夜九時。
訓練を終え、食事も済ませた後、校舎の一室――201号室の扉がゆっくりと開かれた。
「ふぅ……ただいま。」
キルアがスリッパを脱ぎ、部屋へと入る。
その少し後ろを、三輪霞が静かに続いた。
「お、お邪魔します……」
部屋は畳敷きの作りで、シンプルな木製ベッドが二つと、勉強机が一つ、押し入れとクローゼット、小さな冷蔵庫、そして窓の外には竹林。
キルアは窓際のベッドに腰を下ろす。
三輪は鞄をそっと押し入れの端に置き、遠慮がちにもう一方のベッドの前に座った。
「……ほんとに、ごめんなさい。まさか、同じ部屋になるなんて思ってなくて……」
「別に気にしてないよ。」
少しの沈黙。
三輪が不意に口を開ける。
「キルア君って…ゾルディック家、なんですよね。」
キルアが驚いたように三輪を見る。
「知ってんの?」
「う、うん……話はちょっと。東京校からの噂で聞いたことあるだけですが…」
「へぇ……」
キルアは少し視線を落とした。
「まぁ、そんなにいい話じゃないよ。訓練ってより、処理とか暗殺とか、そういうのばっかだったし。」
「……」
三輪はその言葉に、軽々しく返せる言葉が見つからなかった。
けれど、なにか言いたくて、少しだけ勇気を出して口を開いた。
「でも……優しいんですね。キルア君って。」
「……は?」
“君”付けで呼ばれたことに違和感を感じたキルアが振り返る。
そしてふっと、笑う。
「やっぱ、“くん”付けは落ち着かないや。」
「えっ、ご、ごめんなさい……!」
「いいって。でも、キルアでいいよ。年齢とか、気にしないから。あと、タメ口でいいよ。」
三輪は目を見開いたあと、小さく頷いた。
「……じゃあ、キルア。」
その名前を声に出した瞬間、彼女の胸がまた、ふわりと熱を持った。
「ねぇ、三輪はさ。何で呪術師になったの?」
不意に問いかけるキルア。
三輪は窓の外を一度見てから、ゆっくりと答える。
「……初めは、なりたくてなったってわけじゃないよ。私の家、弟も二人いて裕福じゃないし……学費が免除になるって聞いて、呪術高専に入った。」
「……ふーん。」
「でも、今はちゃんと術師として戦いたいって思ってる。誰かの役に立てるなら、それが嬉しいから。」
キルアはじっとその横顔を見ていた。
真剣で、素直で、どこか危うくて――
だけど、まっすぐだった。
「……なんか、いいね。そういうの。」
そう呟いて、ベッドにごろんと仰向けになる。
天井を見上げたまま、柔らかく続けた。
「……俺、さ。この世界の誰かのために生きるって、まだピンとこないんだよね。戦う理由とか、誰かを守るとか……」
「でも、それでもいいと思うよ。今はまだ、それを探してる途中なんじゃない?」
「……探せるかな、俺にも。」
「きっと、見つかるよ。」
三輪の声は静かだった。
でも、どこかに確信を宿していた。
「……そうだといいけど。」
しばらくの沈黙。
夜の校舎は静かで、風の音と、遠くの車の音だけが聞こえる。
「そろそろ寝よっか。」
ベッド脇に腰かけていた三輪が立ち上がり言う。
「そうだな。」
「……キルアは、寝るとき電気つけとく派?」
「いや、どっちでも平気。」
「じゃ、消すね。」
「うん。」
パチ、と部屋の灯りが消える。
二つのベッドに横たわる気配。
沈黙の中、三輪が小さく息を吐いた。
「……キルア。」
「ん?」
「おやすみなさい。」
「……おやすみ、三輪。」
夜の帳に包まれながら、二人は静かに目を閉じた。
それは、特別なことは起きない、ただの一夜。
けれど、ふたりの心にとっては、確かな距離の変化をもたらした夜だった。