東京郊外、杉並区の外れ――。
車が停車したのは、取り壊し予定の団地が立ち並ぶ区域だった。
草は伸び、窓ガラスは割れ、壁の一部は崩れ落ちている。
昼間にも関わらず、あたりは重たい霧のような瘴気に覆われていた。
三人は車を降りる。
「こちらです。現場は団地の中庭付近。中にいるのは……未確認の特級、1体のみ。ですが、それだけで十分すぎるほど危険です。」
「了解。」
キルアが軽く頷く。
その隣で、三輪は緊張で小さく息を呑んだ。
「三輪さん、くれぐれも無理はなさらないように。今回はあくまで、キルア君の補佐という位置づけですから」
「……はい!」
少し強く返事をした三輪の横顔を見て、伊地知は安心と不安の入り混じった表情で軽く頷いた。
「では、帳を下ろします。」
伊地知が印を結ぶと、空気が揺らぎ、辺りの光が一段暗く沈む。
日中にも関わらず、夜のような闇が押し寄せ、空間が切り替わる。
「おぉ、相変わらず気持ち悪いね。」
キルアは慣れたようにポケットに手を突っ込みながら、闇に包まれた団地へと足を踏み入れた。
三輪もすぐにその後に続く。
団地の敷地内へ入ると、すぐに異変を感じた。
地面がじわりと濡れている。だが、これは水ではない。
黒く粘ついた液体――呪力が染み出した跡だった。
「……これは……。」
三輪の顔から血の気が引いた。
その時だった。
“ガン……ガン……ガン……”
団地の中央、中庭に設置された壊れかけの遊具が、誰も触れていないのに軋みを上げて揺れた。
そして――
「――出てきた。」
キルアがぽつりと呟く。
視界の先、ブランコの下に、ズルリ、と巨大な影が現れた。
四足で這うその姿は、遠目には人型のようでありながら、頭部には無数の口が重なり合っていた。
目はなく、代わりに耳のような器官が左右に広がっている。
「何…あれ……人の呪い?」
「かもね。まずはどのくらい動くか見たい。」
キルアがゆっくりと前へ出る。
「ちょっと下がってて、三輪。」
「……わかった。」
手のひらからヨーヨーを外し、左右に一つずつ握る。
「さて……」
キルアの足元に青白い電気が弾けた。髪がふわりと浮かび、空気が一瞬張り詰める。
その瞬間、呪霊が動いた。
跳躍。常識外の高さで跳び、真上からキルアを押し潰すように襲い掛かる――
「……遅い」
キルアは一言そう呟いたかと思うと、影のように滑り抜け、次の瞬間には呪霊の背後にいた。
「こっちだよ」
キルアが片手のヨーヨーを振る。
それは唸りを上げながら呪霊の首を狙い、正確に側頭部を打ち抜いた。
「ぐあ”っ!!」
呪霊が呻き声のような唸りを上げると同時に、地面が激しく揺れた。
「!?三輪、伏せて!」
キルアがそう叫ぶと、呪霊の体から放たれた呪力が、まるで音波のように周囲に広がり、コンクリートを砕いていく。
三輪はとっさに伏せ、爆風が通り過ぎるのをやり過ごした。
「さすが特級って感じだね……。」
キルアが舌打ちしながら再び距離を詰める。
建物の壁を蹴って跳躍し、空中から呪霊へ再接近。
今度は両手のヨーヨーを使い、十字を描くように同時に叩き込んだ。
「――雷掌・双輪(らいしょう・そうりん)!」
ヨーヨーから放たれた電撃が呪霊を貫き、その巨体が一瞬痙攣する。
「が、があああああ……!!」
呪霊は苦しみの雄叫びを上げ、倒れたまま動かなくなった。
キルアがそっと地面に着地し、肩を軽く回す。
「じゃあ、次で終わらせるよ。」
その様子を、数メートル後ろから見ていた三輪は、ただただ呆然と見つめていた。
(……あれが、特級と戦うってこと……)
そして、何より――
(あの人は、本当に“守ってくれる”んだ。あんな脅威の前でも、私を気遣いながら戦ってくれてる。)
胸の奥がまた、静かに熱を帯びていった。
キルアは最後の一撃の構えに入っていた。
跳躍。
落下と共に、両手のヨーヨーを交差させて放つ――
雷が閃き、空間が震え、呪霊の身体が四散した。
空気が静まり返った。
帳の向こうの世界に、わずかに光が差す。
キルアがヨーヨーを巻き戻しながら、三輪の方を見た。
「大丈夫だった?」
「……うん」
三輪はゆっくり頷きながら、心の中で、確かに言葉にした。
(もっと、強くなりたい――この人の隣に立てるように)