コンクリートむき出しの階段を静かに踏みしめ、二人は建物の二階へと上がる。
先を歩くキルアの背中。
そのシャツにはびっしょりと汗が滲み、背骨に沿って流れた線がはっきりと浮かんでいた。
(キルア……汗を……?)
三輪は息を呑んだ。
あのキルアが。
特級相手でも表情ひとつ変えず、息すら乱さずに戦ってきたキルアが、今は額からも汗が滴り、肩で息をしている。
「……しかし、正直舐めてた。」
静かに、キルアが口を開いた。
「この呪霊……攻撃の質が今までと全然違う。肉体より内側に直接くる、このタイプ……厄介すぎる。」
振り返らずに話すその声には、ほんのわずかに疲労と、悔しさが滲んでいた。
三輪は黙ってその背中を見つめる。
口からは何も言えなかった。キルアの痛みも、強さも、自分には分からない領域がある。
それでも――
「……私、もっと強くなる。」
ぽつりと、三輪が言った。
キルアは立ち止まり、静かに振り返る。
「……ん?」
「だって……今の私じゃ、キルアを守るどころか……キルアに守られてばっかり……。それが、すごく悔しくて。」
拳を握りしめた三輪の瞳は、涙に滲んでいたが、その奥には強い決意の光があった。
キルアはしばらく無言でその顔を見つめ――やがて、ふっと微笑む。
「うん、そうだね。三輪なら、もっと強くなれる。」
その言葉には嘘もお世辞もなかった。
真っ直ぐに信じて、真っ直ぐに伝える声だった。
「……でも、無理すんなよ。焦って変な方向行くと、取り返しつかなくなるからさ。」
「……うん。」
短く返した三輪。
キルアの優しさが、時に自分を甘やかすように思えて怖くなる。でも今は、その言葉が温かく心に染みていた。
――ギィ……。
古びた建物の音が、静寂を破る。
二人の視線が同時に音の方へ向いた。
長い廊下の奥。
仄暗い天井の下、吹き抜けの鉄骨が影を落とす場所に、それは“いた”。
四肢の長い、痩せ細った人影のようなもの。
だが、その表皮はまるで剥がれ落ちた肉塊のようで、顔のあたりは眼球すら定かでなく、ただ口だけが異様に裂けていた。
「……来たな。」
キルアの声が静かに引き締まる。
「呪力量、さっきのよりも……いや、それ以上……?」三輪が震えるように言う。
「三輪。後ろに下がって。」
「でも、私――」
「俺がやる。」
キルアはそう言い、少しだけ三輪に笑いかけた。
「さっきの約束、覚えてるだろ? これ終わったら飯食いに行くんだよ。」
「……うん。」
鼓動が高鳴る。恐怖ではない。彼と一緒に未来を歩きたいという想い。
三輪は一歩後ろに下がり、刀に手をかけて構えた。
(少しでも……少しでも、何か役に立てるように。)
キルアはゆっくりと前に出た。
その歩みは、決して軽くはなかった。頭の奥に残る痛み、重くのしかかる疲労。
けれど、それでも――
(三輪がいる。俺が守らないと。)
白銀の髪が揺れ、蒼い目が怪物を射抜く。
「行くよ。」
キルアが、再び消えた。
――その空間に、雷の気配が閃いた。