人気のない道路脇に止めた黒い車の中で、伊地知はじっと腕時計を見つめていた。
(――静かだな)
何分が経ったのか、わからなくなるような沈黙が車内を満たす。
時折、建設中のショッピングモールの方角から微かな呪力の揺れが感じられ、それが不安をより一層かき立てる。
その時――
「ピリリリリ……ピリリリリ……」
伊地知の携帯が震え始めた。
ディスプレイには「高専 情報部」の表示。
「……はい、伊地知です。」
スーツの袖を引き直しながら、いつも通り丁寧に応答する。
『伊地知さん。現在、キルア君と三輪さんが対応中の特級呪霊について、新たな情報が入りました。』
少し息を飲みながら、伊地知は座席を正す。
「どういった内容ですか?」
『この呪霊――知性を持っている可能性があります。』
「……知性……?」
目を細め、ハンドルを強く握り直す。
『はい。これまでに似たような呪霊の行動記録が全国でいくつか確認されており、拠点を点々としながら、廃墟となった建物――主に三階建て以上の構造を好んで潜伏。しかも、各階に護衛として特級級の呪霊を配置していた痕跡が複数あるんです。』
「つまり、縄張りを守る意識がある……?」
『おそらく。さらに……一番厄介なのが、術式です。』
『この呪霊は、自分の拠点――すなわち縄張りに侵入してきた者の内、自身が“脅威”と判断した術師の精神に直接、呪力干渉を行うタイプです。』
「精神攻撃……ですか?」
『はい。脳に直接入り込むような、呪いによる干渉です。一般人や並の術師であれば、一瞬で精神を崩壊されて再起不能になります。廃人となるケースも確認済みです。』
「……っ」
思わず、伊地知の喉が鳴った。
冷や汗が背筋を伝い、携帯を持つ手がじわりと湿る。
『さらに、根源の呪霊に近づけば近づくほど、その干渉は激しくなるとの記録も。倒すには接近戦が避けられませんが、近づけば近づくほど脳への影響は強くなる。まさに悪夢のような構造です。』
「……今回、現場にいるのはキルア君と三輪さん……」
『ええ。今回の討伐メンバーの中で、呪霊が“最も脅威”と判断するのは……間違いなく、キルア君でしょう。』
その言葉に、伊地知の鼓動がドクン、と跳ねた。
『もし、キルア君が精神攻撃により戦闘不能になった場合――』
「……残されるのは、三輪さんだけになる……」
『三輪さんは現在三級術師。特級相当の呪霊に一人で対峙するのは無謀です。最悪、全滅の可能性もあります。』
ハッキリとした“絶望”の二文字が、受話器越しに投げつけられた気がした。
伊地知は震える指で携帯を持ち直し、深く息を吐いた。
「至急、応援を――五条さんか、夏油さんの派遣をお願いします!!」
声は震えていたが、言葉には覚悟が滲んでいた。
『ご安心ください。すでに夏油さんが現場に向かっております。ただ、間に合うかどうか……』
「……わかりました」
通話が切れると、車内にまた静寂が戻った。
しかし、先ほどまでとは違う。
空気が、重い。
伊地知は携帯を胸元に戻し、ぎゅっと手を握った。
――助けに来ている。だが、それでも間に合わない可能性がある。
(どうか……どうか無事でいてください……)
(もう少しの辛抱です)
祈るように目を閉じた伊地知の額を、一筋の汗がつたっていた。