雷光、呪の渦中へ   作:ぴーまんねこ

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第三十九章 蠱紅(ここう)

軋む音を立てて、キルアの足が一段一段と階段を踏みしめていく。

 

その背を追う三輪の目には、いつもの無敵の少年の姿はなかった。

白い肌は青白く、唇は血の気を失い、こめかみから頬、首筋にまで滴るような汗が伝っている。

その汗の量は異常だった。

 

「キルア、大丈夫……?」

 

階段を三分の二ほど登ったところで、三輪が小さな声で問いかけた。

 

キルアは振り向かず、手すりに縋るように体を支えながら笑みを浮かべた。

 

「問題ないよ。……これくらい、慣れてるし。」

 

笑顔の裏側にある苦悶を、三輪は感じ取っていた。

嘘だ。大丈夫なはずがない。

それでも、彼女はそれ以上何も言えなかった。

 

今、引き返すという選択肢が現実的でないことは、誰よりも三輪自身が理解していた。

 

やがて、二人は階段を登り切った。

 

そこにはテナント工事が途中で止まった、灰色の広大な空間が広がっていた。

天井の照明すら取り付けられておらず、淡い自然光が割れた窓から差し込んでいる。

等間隔に立ち並ぶ鉄骨の柱だけが、空間の構造をかろうじて保っていた。

 

その奥――

 

真っ赤な着物をまとい、腰を下ろしたまま静かにこちらを見つめている存在があった。

髪は腰まである長さで、艶やかで整っているにもかかわらず、彼女の放つ気配はまるで腐臭を伴う瘴気のようだった。

 

姿は人のようでありながら、人ではない。

 

そのオーラを受けた瞬間、三輪は立ち止まり、呼吸を詰まらせた。

 

(なんて禍々しい……)

 

声にならない恐怖が喉元をせり上がる。

これまでに見聞きしたどの呪霊とも比べものにならない、桁違いの重圧。

 

「ここまで妾に近づいた人間は……久しいな」

 

女――蠱紅は、まるで舞台の台詞のように、ゆっくりとした口調で言った。

その声は異様なほど美しく、だが底の底から冷気が染み出すような感触を伴っていた。

 

「こいつ……人間の言葉を喋ってる……」

 

三輪が息をのんで呟いた。

その言葉に蠱紅が目を細める。

 

「ふふ、妾は《蠱紅》と申す。言葉を喋るなど当然であろう。妾は……長きにわたり、呪いを食らい、育った者よ。」

 

「これ……お前がやってんの?」

キルアが自分の頭を指差し、怒気混じりに問う。

 

「いかにも。妾の術は精神に直接干渉する。して……お主、この世界の者ではないな?」

 

キルアはピクリと表情を動かしたが、答えなかった。

 

「妾の術にかかり、ここまで近づいた者は皆……正気を失った。妾にとっては、お主ほどの者の精神を喰らうことこそが、至高の悦楽なのだ。」

 

「……へっ。笑えねー冗談だな」

 

キルアはそう言いながらも、膝が小さく揺れている。

汗が床にポタリと落ち、染みになった。

 

蠱紅の視線がゆっくりと三輪へと移動する。

 

「その女子……妾の術には触れることすらかなわぬ。力の差は歴然……なれど、お主はどうする?」

 

三輪は唇を噛んだ。

鋭い言葉が、自分の無力さを突きつけてくる。

けれど、それでも――

 

(キルアは……こんな状況でも戦ってる。私が、逃げるわけにはいかない)

 

三輪の手が、柄にかかる。

 

「この程度で俺を止めたと思うなよ。」

キルアの声が響いた瞬間、足元に稲妻が迸る。

 

しかし、次の瞬間――

 

「――死ね」

 

蠱紅の指先がキルアを指した。

 

「うがぁあああああああああ!!!」

 

絶叫とともに、キルアが頭を抱えてその場に崩れ落ちた。

 

「キルア!!」

三輪が駆け寄ろうとする。

 

「来るな……っ」

キルアが震える声で制止する。

その顔は血の気が引き、目は焦点を失いかけていた。

 

「ふふ……無駄だ。お主は妾に近づくことすらできまい。この距離で正気を保っていることが、もはや異常なのだ。」

 

蠱紅がゆっくりと立ち上がった。

その動作だけで、部屋の空気が一変する。

重く、粘つくような呪圧が空間全体を支配していく。

 

――この戦いは、今までとはまるで違う。

 

キルアの限界、三輪の覚悟。

すべてが試される、最終局面がいま幕を開けようとしていた。

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