MMAをやってた警備員さんの話 作:妄想癖のあるホロリス
デスマーチは得意じゃない。大して仕事ができるわけでもないのに体力だけは人一倍でみんなのように限界を迎えて倒れることができないから。誰もいない孤独の空間を仕事をして誤魔化すしかできないのが恨めしいから。
一人黙々と仕事をする。一緒にデスクに齧り付いて仕事をしていたスタッフさんは倒れ伏し、周りは死屍累々としている。あゝなんと寂しいことか。というか、そもそも名目上は警備員として雇われているはずなのに何故事務仕事を手伝わされているのか。労基に伝えたとてなんの問題もないはずだ。まあその分出るものは出ているからいうまいが。
そもそも三年ほど前から微妙な書類仕事は任されていた。それがどんどんどんどんエスカレートして、最近はもうスタッフの一人として見られてすらいる。特に新人さんたちからはずっと事務所にいるベテランだと思われている。すれ違うと大体みんな会釈をしてくれるし。
悪い気はしないけど、別に良い気もしない。なし崩し的に仕事をしているだけなのに、まるで上司のような扱いをされる。勤続年数で見れば上司であるのは間違いないが、新人として入ってきた君たちの方がスペックが高い。彼らがぶっ倒れる前に既に終わらせている分量の仕事をまだ終わらせられずにいる。余裕があってやれるから長く仕事をしているのではない。やらなきゃいけない分すら終わらせられないから人より長い仕事をするのだ。
視線が資料と電卓を行き来する。入力した値は間違っていないか、数値の算出に間違いはないかと再三確認を繰り返す。俺だけほとんどアナログの作業。勉強してはいるのだが、表計算ソフトは使い方がいまいちよくわかっていない。もう四年が経つというのに関わらずだ。
一人黙々と孤独感に苛まれながらも仕事を終わらせたので、少し身体でもほぐそうと立ち上がる。ついでにストレッチを行うと全身の凝り固まった筋肉、腱、関節がファンファーレのごとく鳴り響いた。
ふと気になって携帯を見ると時刻は五時過ぎを示している。始業時間までそんなに時間はないが、何もしないよりかはマシだろうと考えて飯だけ食べて眠ることにした。
⬛︎
始業時間の三十分前に目を覚ます。体内時計の調子はほとんどずれなく良好で、程なくして起床予定時刻を示す携帯のタイマーが鳴った。手にとって停止する。
睡眠時間は数時間。その生活を年単位。にも関わらず身体は依然好調を誇示している。どういう仕組みかは知らないが、一時間だけでも寝れば体力が全快する。三時間も寝れば軽い怪我も治る。
ぐ、と寝起きの伸びを行う。身体を動かしたことでふわりと舞った不快な匂いが鼻についた。そういえば風呂に入っていなかったと考えて、本社ビルに備え付けてあるシャワー室に向かった。一番なんとかしなければならないのはスーツだが、残り三十分では洗濯したとて乾燥が間に合わない。今はおとなしくシャワーを浴びるだけマシだと考えるべきだろう。なに、最悪香水で誤魔化せばいいのだ。
ざっとシャワーを浴びた後、身体を拭き備え付けのドライヤーを使って鏡を見ながら髪を乾かす。鏡に映るのは大学でMMAを本気でやっていた頃とほとんど変わらない、全盛期の肉体。仕事漬けで大してトレーニングできていないが今でも同じくらいは動けるはず。
もう一度スーツに袖を通して外に出る。このスーツもずっと着ているせいかもう随分クタクタになってしまった。廊下を歩いて事務所に向かっていると、向かいを歩く白い影を見つけた。
あのケモ耳に大きな尻尾、間違えることはない。あの人影は我らがホロライブ一期生、ふわふわ尻尾の五芒星、あなたの心の一番星でお馴染みの白上フブキさんだ。俺が入社した時から少しずつお世話になっている、心強い先達である。
「おや、ケイさん。中々早いですね。徹夜でしたか?」
「おはようございます。まあ、寝てはいますので大丈夫でしょう。白上さんこそこんな早い時間にどうされました? 用事でもありましたっけ?」
ケイさん、というのは俺のことだ。外部でない唯一の警備員であることと名前から取ってそう呼ばれている。昔馴染みのスバルがずっとケイと呼ぶのでそれが定着した形だ。コネ入社というのもあり正直なところさん付けで呼ばれるのは好きではなかったが、もう慣れた。
「特にないですよ。配信も終わって寝付けず暇だったので遊びに来ただけです。暇なら構ってくれると嬉しいぞ?」
「直に仕事が始まるので生憎ですが暇ではありませんね。残念でならないですが、他に暇そうな人を探すといいと思います」
「むむ、タレントのモチベーションを保つのだってスタッフの仕事では?」
「おそらくそれはマネージャーの仕事です。仮にスタッフの仕事だったとしてもわたしは一介の警備員ですので」
俯いている白上フブキさんを見て言いくるめはおそらく成功したと判断する。出社まで後十分ほどあるが、余裕を持って到着しておいた方がいいだろう。では、とだけ声をかけてそそくさと横を抜けていく。
白上フブキさんを背にしてから数歩、急激に足取りが重くなる。おかしく思い振り返ると、後ろから引っ張って歩行を邪魔しに来ている姿が目に入った。一体なんのつもりか。今から事務所に向かわなければいけないのに。
「へへへ、強硬手段です。白上の溢れ出る獣人パゥワーをもってすれば成人男性の歩行を止めるなど容易いのですよ!」
何度か動こうと試みるも、獣人パワーは確かなようでピクリとも動かなかった。このままでは均衡状態が続き埒が開かない。少しだけ息を吐き、気合を入れて、無理矢理一歩踏み出した。
「お、おおおお!? 白上のパワーが通用しない!?」
どんどん引っ張る力が強くなっていくが、お構いなしに進んでいく。筋肉痛すら八時間睡眠で治ると知ってから行なった地獄の特訓により、足腰は貨物列車との綱引きが出来るくらいにまで鍛え上げた。今更中型哺乳類の獣人の牽引力程度で止まることがあるわけがない。
力ずくで白上フブキさんを引きずって事務所に向かった。
⬛︎
「それでそんなことになってるんですか……」
結局事務所まで引きずられてきた白上フブキさんを見て、気になっていそうだった春先のどかさんに事情を軽く説明すると、春先のどかさんが呆れたようにそう言った。春先のどかさんとはAちゃんさん直々の後輩仲間なだけあって付き合いは長く、回ってくる仕事も期待を表すように量が多いためよく手伝っている。まあ単に後輩仲間といっても俺の場合はほとんど雑用や職場内に余裕を持たせるために駆け回らされただけだったが。
少しして、仕事がはじまって席についても尚後ろから駄々をこねる声が聞こえてくる。さすがに気が散るのでやめてほしい。春先のどかさんも気になってまた見に来ている。
「気が散るのはこっちもなんですけどね……。というか、素直に言うこと聞いてあげればいいんじゃないでしょうか?」
「そうだそうだー。白上に優しくしろー」
「……別に理由もなく断ってるわけではないんですがね。楽な仕事して他の人と同じだけ貰えるのが心苦しいのと単純に業務内容に含まれていないのと少し面倒くさいからです」
といっても基本的に残業してもなお仕事が残ってしまいそうな人の手伝いなので夕方くらいからしか動き出せない。それまでは警備員らしく不審者がいないか警備室で監視するか、休みの人の代わりをするくらいしかできない。違法だろうが構わない。coverに生きcoverに死ぬつもりなのだから。
「最初はめちゃくちゃ普通だったのに最後のせいで納得がいかない……!」
「そもそもケイさん呼ばれない限り午前中は警備室に詰めてるんですからいいじゃないですか」
余計なことを言いおって、という気持ちを込めて春先のどかさんを見る。あと少しで騙くらかして帰ってもらえそうだったのに。一体どっちの味方なんだ。
「私はフブキさんの味方ですよ? 今は二人とも仕事の邪魔で出ていってほしいですから」
「毒!? どうするんですかケイさん! 白上を使って厄介払いされそうになってますよ!」
「それが皆のためになるのならば、……わたしは一向に構わんッッ」
「くそっ会社に従順すぎる! ……うぎゃー!!」
ジタバタと踠きながら大声をあげて駄々をこねる白上さんを引っ張って、渋々ながら警備室に向かった。本当に行きたくないが、仕方がない。
──
「……警備室ってケイさんの拠点みたいなものですよね? なんでそんなに顰めっ面を?」
警備室が近くなるにつれてだんだんと不機嫌になる俺が気になったのか、白上フブキさんが尋ねてきた。
「簡潔に言えば、価値観が合わない。それに尽きます」
民間でもそうだが、警備会社として名乗りを上げる以上は顧客を安心させられるだけの強さと人格が求められる。その性質上構成員は純粋な人類よりも強力でかつ真面目な性格をした獣人に偏ることが多い。この真面目な獣人という存在がネックで、獣人そのものが持つ強さへの渇望に対しても真面目に取り組むような奴ら、言うなれば全てにストイックであったのだ。
真面目にトレーニングに励む獣人。聞こえはいいが、付き合わされるこちらからすれば溜まったものではない。どこで知ったかわからないが俺の素性を知っており、顔を合わせる度に手合わせをしようだの一手御指南願うだのと宣うのだ。鬱陶しいことこの上ない。
総合で頂点に立った時から俺の拳は重みを増し、誰かに挑むためものから何かを守るためのものに変わった。というか変えた。そして今やcoverを守るために振るわれるこの拳を、目的を同じくする仲間に対して振るう気はない。
「だいたいです。強くなりたいなら勝手になればいい。
「……ケイさんって、意外とこだわりが強いタイプなんですね」
「そうかもしれないですね」
それもそうだろう。世界広しといえど最強に対して一番こだわりを持っているのは俺だろう。地上、地下、天空、その他あらゆるシチュエーションでの戦闘を拒まず、そしてその全てに勝ってきた。ドラゴンや神格を含めたとて、俺が一番その称号に近いという自負はある。
だからこそ、最強という価値観に確たる一家言を持っている必要があると考えているし、それを遵守している。孤独の頂に座して待つ。それこそが最強たる所以、強者の責務だと定めているからだ。
──
「お、あれが警備室。白上といえどリアルで見るのは初めてですよ!」
ぶちぶち文句を垂れながらも、ようやく辿り着いた警備室に白上フブキさんは若干興奮している。
「ゲームで見るのと大して変わらないと思いますけどね」
「そういうことじゃないですよ! ゲームじゃ真面目な獣人なんて滅多に見かけないですから! はい、どーん!」
大きな掛け声とともにドアを勢いよく開けた白上フブキさん。開け放たれた警備室は、平時では考えられないほど騒然としていた。
「あ、ケイさん来たぞ! 連れてけ!」
入るや否や犬獣人に手を引かれて何処かに連れ出されそうになったので、一旦踏ん張ってその場にとどまる。
「ちょ、ふざけてる場合じゃないですって! まじで一触即発なんです! 走りながら要件は話すんで、ついてきてください!」
⬛︎
「ケイさんを出すよう脅す獣人、ですか」
「ええ。我々からしても随分強く感じられるので、なんとか待ってもらうよう交渉していたのですが、もはや限界に近いということらしくて」
行儀がいいとは言えないが、そう悠長にもしてられないので廊下を走りながら喋る。取り押さえるのではなく相手の要求を呑んで俺を呼ぶ判断を彼らが下したあたり、件の獣人の強さは恐ろしく高いと推測できる。
だからこそおかしい。それほどの強さを持つはずの獣人なのに、俺の記憶にない。俺のことを知る者など、現役として同じ時代に戦った奴らしかいないのだ。そして奴らのことならよく知っている。奴らの中に人のことを考えずに暴れるような、典型的な暴力へ傾倒した獣人はいなかった。非紳士的な振る舞いを是とするような野蛮人はいなかったのだ。
「その獣人について、知っていることは?」
「……デビュー二年にして現UFCチャンピオン、『闘神』グライザン。獣人きっての問題児にして希望の星。我々融和派最大の敵です」
「なるほど、十分です」
それだけ聞いて納得する。確かにあそこであれば俺の記録も多少は残っているだろう。ただそれよりも、古巣といえど俺がかつて座っていた場所の、その価値を汚されていることに我慢がならない。打投極なんでもありの総合とはいえ、あのベルトは確かにリスペクトを持った双方によって争われてきたものなのだ。人のことを考えられないような奴が、あの称号を傘に着ることが許せない。
ふう、と一息吐いて心をフラットにする。いくら相手憎しといえど、仕事に私怨を持ち込むことはポリシーに反する。何より暴力を使う仕事である以上、その正当性を揺らがせてはならない。
「白上さん。ついてくるならここまでです。これ以上は危険が伴います」
「……白上だって行きますよ。せっかくここまで来たわけですし」
仕事が増えた。面倒くさい。と思っているうちに、最後の曲がり角に突入した。あとはまっすぐ抜けるだけ、というところでバカみたいな大きさの声がした。
「ははは! 来たな? このオレに会いに、史上最強が!!」
思わず顔を顰めるほどの声量。少し後ろを見ると、白上フブキさんは突然の爆音に足を止めていた。俺は咄嗟に追従していた犬獣人に視線を送り、白上フブキさんを頼む。
もう一度前に向き直り、残り十メートルもない直線を走り抜ける。通路の先、エントランスで待ち受けていたのは身長二メートルは優に越すだろうという大柄な獣人。獰猛な笑みを携えてこちらを見つめている。
「あなたは何者で、ここに何の用ですか?」
「何だ聞いてねえのか? オレァ
ぁグライザン。用は……簡単に言やあ手前に挑戦状を叩きつけに来たんだ」
「それは何故」
「何故も何でもあるもんかよ! オレは男で獣人だ。だから最強を目指すだけ。至ってフツーで平凡だろう?」
「断れば?」
「はっ! そこに君臨しておいて、そんな無粋なことを聞くんじゃねえよ。まあ答えてほしいんなら答えてやる。そうだな、オレは……何でもするぜ?」
その宣言とともにより一層増した闘気に打たれて足が下がりそうになるのを力尽くで止める。
「計り兼ねてんのか? そうだな……手前のやる気が出るってんなら金でも国でも差し出してやる。手前が怒って本気を出すってんなら、後ろにいる狐でも何でも手にかけてやろうか。そしたらどうだ、二度とアイドルとして活動できねえかもしれねえなあ?」
それはライン超えだろう。押さえつけていた気が漏れ出した。呼応するようにグライザンの闘気も爆発的に増大する。
「それが逆鱗か!! いいぜ、それで手前が本気になるなら何人だって殺してやるし犯してやる!!」
グライザンの視線がズレる。俺の奥、さっき走ってきた通路に向かう。それはマズイ。そっちには白上フブキさんがいる。
ネコ科特有の瞬発力で、グライザンが駆け出した。その巨体ゆえに搭載している筋肉も多く大きく、加速力はチーターすら凌ぐだろう。
遅れた一歩目。それゆえに生まれた致命的な差。
よーいどんでスタートしてもヒトは獣人に勝てやしない。それほどまでに種族間に存在する差は大きい。だからこそ俺は鍛えた。汗を流し血反吐を吐き、全身の筋肉が限界に到達しかすかな痙攣に包まれて動けなくなるまで鍛え上げた。創作でしか語られない最速を手にするために。
わずかに体を沈めて重心を移動。同時に駆け出すために力を抜く。
グライザンの加速度がチーター以上だとしても、それを上回る勢いで加速すれば関係ない。参考にするのは世界最高加速度の生物。
解き放つ瞬間に全筋肉を励起。脱力からの瞬間的な力みはグライザンを大幅に上回る加速を生み出す。履いていた革靴が急な負荷に耐えきれず引きちぎれるが、関係ない。初速にして最高速。他の追随を許さない、世界で俺と彼と彼らにだけ可能な走法。────ゴキブリダッシュ。
地面を蹴飛ばしたとは思えない爆発音が響き、瞬く間にグライザンとの距離を詰める。勢いそのままにグライザンの頭部に蹴りを入れようとするが、音に反応してグライザンが咄嗟にガードを取ったためクリーンヒットにはならなかった。
意識を刈り取ることを目的としていた一撃は防がれたが咄嗟の判断程度の甘いガードで完全に衝撃を殺し切れるものではなく、ガードの上からグライザンを十メートル弱吹き飛ばした。
「なんだなんだなんだ!! 六年も現役から離れてるからどうなってるか心配だったがほとんど変わってねえじゃねえか!!」
腕の衝撃を確かめるように拳を何度か握っては開くグライザン。その姿は未だ元気一杯といった様子で蹴りが堪えているようには見えなかった。タフネスの高さは獣人の特性だが、グライザンのそれは嘗て戦った彼らとあまりにも乖離しすぎている。
長丁場になりそうだ、と腹を括っていると、後ろから白上フブキさんの声が聞こえてきた。
「わー! ケイさんボロボロじゃないですか!」
「白上さん、下がっていてください。想像以上でした。庇いながらじゃ勝てません」
こちらへ向かってくるグライザンと睨み合いながら、白上フブキさんに撤退を促す。いくら白上フブキさんが獣人として破格の才能を持っているとしても、この場に並び立つには磨き足りない。グライザンと正面切って戦うとなれば、いちいち気にする必要がある“お荷物”は足枷にしかなれない。言い方は悪いかもしれないが、お互いの安全を確保するなら最適解はそれしかない。
「次は! オレの番だ!!」
こちらの様子を一切考えずに突っ込んでくるグライザン。気を取られたせいで、ほんの一瞬だけ反応が遅れる。
構えすらできていない俺の目の前で、グライザンはすでに拳を振りかぶっている。予測よりも速くなっているし、心なしか体格すらも巨大化しているように思える。否、グライザンはこの数秒で確実に巨きくなっている。
引き伸ばされた刹那の中、発射寸前の拳を避けきれない上に防御も抜かれかねないと判断した俺は、迎撃するという選択肢しか選ぶ余地がなかった。できる限り本気で、それよりもかち合うタイミングを重視した一撃を放つ。
完全に後手に回っている以上、相殺を狙うほかなかった。
「ぬぅン!!!」
「ぐ…………!!」
ぶつかり合った瞬間、腕の骨が軋む。開放骨折に至らないだけで間違いなく折れている。今回の戦いでは二度と右腕を使った攻撃ができなくなったが、グライザンも同じかそれ以上だろう。見るからに腕の形が歪んでいる。
「さぁ……どうする! オレの挑戦を受けるんだったら引いてやる! 受けねえんならここにいる奴を全員殺す!」
確かに腕はへし折った。にも関わらずグライザンの闘気は微塵も萎える様子はない。むしろ激しさを増してすらいる。現状と気迫的な意味も考えれば、確実に戦況はこちらが大幅な不利だろう。
追い詰められた。ここはもはや……受けるしか、ない。
「わかった。俺はお前の挑戦を受けてやる」
「ああ、そりゃあ良い……!!」
実体があれば周囲を圧殺していたほどの闘気は一瞬にして収まり、グライザンは
「一月だ。一月やる。その間に衰えた体を叩き直して、全盛期以上にまで鍛え上げろ」
出てきたのはクシャクシャになった紙。それをこちらに投げ飛ばし、振り返って帰りの歩みを進め始めたグライザンは出口付近で思い出したように言った。
「参考までに言っておくが、この程度の骨折が有効になるなんて思うなよ。こんなもの、ささくれに劣る代物だ。数秒もあれば完治する。オレを倒してえなら殺す気でやってくれよ」
⬛︎
「クソ……最悪だ」
あの獣人から受け取った手紙を読んだあと、ケイさんの吐き捨てるような呟きを白上は聞き逃しませんでした。手紙の内容は見えませんでしたが、見たこともないくらいに顔を顰めているケイさんを見れば簡単な憶測は立てられます。
あれにはきっと、ケイさんにとって本当にしたくないことが書かれている。
一応白上もホロライブの古参ですし、ケイさんが入社した頃も知っています。あの頃からケイさんは変わらずで、いつもできない理由を並べ立てる。それさえ論破すれば渋々ながらもやってくれる。
そんなケイさんが、本気で拒絶したがっている。となればその結論に辿り着くのはすぐでした。
「……白上さん。今日あったことは口外禁止でお願いします」
大きく息を吐いたケイさんは両手で頬を叩いたあと、明らかに取り繕った表情でそう言った。
「いいですけど、ケイさんは……どうするつもりですか?」
「まあ、こうなった以上受けざるを得ないでしょう。とりあえず病院で骨折の診断をもらったら、社長に説明して休職をもらいます。一ヵ月でどうにか鍛え直して再戦……ですかね。正直勝てるかは怪しいですけど」
薄く笑って言うケイさん。その姿に今までのような落ち着きは感じられず、一振りの名刀のような鋭い緊迫感が薄く張り付いています。その様は工芸品というよりも実戦を伴ってきた血腥い本物の刀のようでした。
ケイさんはもらった紙を懐に仕舞い、立ち上がりました。ただ立ち上がるだけでもさっきの勝てないだなんていうのが冗談に聞こえるくらいには洗練されていて、六年ぶりの実戦だとは思えないほどでした。
ああいうのをオーラがある、とでもいうのでしょうか。立ち去っていくケイさんの輪郭は陽炎のように揺らいでいて、一目見るだけで只者ではないと理解させられます。
身近にいる人が実はすごい人だったというのは創作でよくありますが、実際に起こるとなんというか……無性に腹が立ちますね。年齢的にはそんなにかもしれませんけど、coverに籍を置いている時間で言えば白上だって大先輩です。無条件に信用しろなんて口が裂けても言えないですが、四年あってカケラも知らされていないのは流石にあんまりですよ。多分みんなそう言うでしょうね。
……いや、スバルちゃんは違うかな。coverに入る前からの知り合いだと言っていたし、ある程度は知っていると思われる。……口外するなとは言われたけど、元から知っている人に口を滑らせてもらえば問題なしかな。うん、名案にごつ。ははは、勝ったな風呂入ってくる!
善は急げと言いますし、早速スバルちゃんに聞き込みじゃい!