MMAをやってた警備員さんの話 作:妄想癖のあるホロリス
時間が経つのは早いもので、いつの間にか決戦の日を迎えていた。懐かしい試合用のユニフォームに足を通すと酷く懐かしい気持ちになった。あの時の俺はまさか四年後にまたこのオクタゴンに立つことになるとは思いもしないだろう。それくらいあの日の決断は重かった。
指貫グローブをはめる前に、テーピングをしておく。考える前にぐるぐるぐるぐると身体が勝手に巻いていく。辞めたというのにしつこい思い出だ、と少し笑えてきた。
マウスピースはしない。くだらないこだわりと取られるかもしれないが、何にも頼らず強くなろうとしていた時からの思い入れだ。一時期俺の真似をした選手たちがマウスピースをせずに戦っていたせいで、砕けたり吹き飛んだ歯がよくリングの上を舞っていた。
準備を完了して、握った拳をぶつけて鳴らす。あの頃のように俺の背中を叩いて鼓舞するセコンドはいない。だが、この会場のどこかからみんなが見ていると考えるだけで身が引き締まる。なんだ、俺は柄にもなく緊張しているのか。
武者震いはとうの昔にしなくなった。今は少し凶暴な笑みを浮かべるだけだ。
頬をほぐしながら、いざ行かんと決意を固めて控室の扉の前に立つ。俺がドアノブに手をかけようとしたところで、ひと足先に扉が開いた。
「六年ぶりだな、チャンピオン。今日はどうせ一人だろう? 俺たちがセコンドに立ってやるよ」
「お互い引退した身だろ。後で一杯飲みに行こうぜ」
「お前ら────!!」
扉の前に並んで、俺を待ち構えるように立っていたこいつらは────
⬛︎
今、シオンたちは最大収容人数40,000人を越えるアリーナの関係者専用の特別席にいます。リングからはだいぶ遠いけど、備え付けの魔導カメラでアップされているからよく見える。てかコレ一台で億消えるやべーやつじゃん、普段どんなVIPがここ使ってんの!?
……というか冷静に考えて一スタッフでしかないケイさんがホロメンを差し置いてこの規模の舞台に立つってどういうこと? 一応聞かずにいたけどあの人coverに来る前何してたんだろうか。もう隠す必要もないだろうし終わった後に聞けば答えてくれるでしょ。
「シオンちゃんこれ大丈夫なの? ケイさんキレてたりしない?」
「んまー大丈夫でしょ。怒ってたら多分ここまでしてくれてないし」
フブキちゃんが恐る恐る耳打ちしてくる。一応ケイさんと関係のある人を誘ったのだが、この場には十人のホロメンが集まっていた。まさかホロメンがここまで集まるとは思っていなかったけど、どうやらケイさんはなんとかしてくれたみたいだった。
魔導カメラは誰もいないリングを映すことはなく、ひたすら観客席をぐるぐると周りながらスクリーンに投射している。もちろん見どころなんてあるわけないので、今はそれぞれ会話をしながら時間を潰している。
「余は知らんのだけど、ケイさんってそんなに強いのか?」
「ちょこもそんなイメージないかも。ちょっと鍛えてるくらいだと思ってた」
「強いよ。相手がドラゴン以下なら順当に勝てると思う」
「え゛……
驚くべきことに、二期生が全員揃っている。元も含めて全員だ。
「ええ!? そらちゃんも知ってたの!?」
「面接のときに履歴書は見せてもらってたからね。でもそういうのってあんまり言わない方がいいでしょ? 特に本人も言おうとしてなさそうだったし」
「すっげぇ倫理観。僕は無理かも……」
「こぉねも聞いてみたくなるかも」
そら先輩もゲマズのみんなも応援に駆けつけてくれたが、何よりホロのエグゾディアがここに揃っている。ケイさんの試合だって特殊勝利で終了だ。
大丈夫。大丈夫なはずなのに心臓がバクバク脈打つのを感じる。ケイさんなら勝ってくれると信じる気持ちと、まだ見ぬグライザンって奴に負けてしまうのではと心配する気持ちが相剋する。ケイさんは十倍もの重力下で鍛えたのだ。普通そんな環境で生きていられる生物は存在しない。
雰囲気に呑まれているのか、シオンの体はかすかに震えていた。リングを見つめていると胃が引き締められているような感じがする。当事者でもないのに勝手にプレッシャーを感じて潰れそうになっている。笑えるが、今は笑えない。
これがまだ何にも背負うもののない戦いだったら、シオンもまた何も感じなかったかもしれない。一週間に一度だけでも交流を続けたせいでケイさんがこの試合にどれだけの思いを懸けているかの一端に触れた。簡単に言葉に表すことのできるものじゃなかったけど、スバルに頼まれたからなんて理由で軽々しく手を出すべきものではなかった。何もないように振る舞ってはいたが、ケイさんがこの戦いに込める気持ちを誰も理解できていない。
「どうしたシオン? 不安になってんの?」
スクリーンに映る映像を見て震えるシオンに、スバルが話しかけてくる。
「あー、わかる。知り合いが今から殴られるかもって思うと不安よな」
「いや、それもあるけど、……なんていうかな」
胸の内に燻る恐怖感をうまく言葉にできずにやきもきしていると、シオンの顔を見つめていたスバルがニヤリと笑って言う。
「さてはシオン、負けた時のこと考えてんな?」
なんだかストンと腑に落ちた。ケイさんの熱量を知って、シオンが首を突っ込んだせいで負けたと言われるのが怖かった。きっと否定できないから。
「ケイが負けたらどんな風になるのかなんて、スバルだって正直わかんない。だってケイ今まで負けたことないし。でも、この前のを見る限りだとそこまで荒れることはないんじゃね?」
「けどスバルさあ、思うわけよ。応援するのに負けることを考えるのは無粋じゃないかって」
「もうスバルたちは最後まで試合を見届けるしかないんだから、ケイが勝つと信じて声援を送るしかねえ」
確かに、と返す暇もなく魔導カメラから大音量の声が鳴る。
『さあ! お待たせいたしました! 両選手とも準備が完了したようです!』
魔導カメラの向こうでは実況アナウンサーが試合が始まりそうであることを告げていた。
⬛︎
『我々はこの男を知っている!』
リングを照らしていたすべてのスポットライトが入場口に集中し、ただ一人の登場を待つ。喧騒にまみれた観客も黙ってその男が現れるのを待っていた。
『UFCデビュー二年にしてチャンピオンに上り詰めた稀代の傑物!! 年間百試合という異次元のペースで勝ち上がり、その名を世界へ知らしめた!!』
緊張によってピンと張り詰めた空気がアリーナを覆う。誰もが固唾を飲んでいる。会場中の人間が、爆発を待っている。
『獣人族最大の一番星にして最悪の問題児!! “闘神”グライザアアアアン!!!』
実況アナウンサーのコールに会場中が一気に沸き上がる。両サイドから噴き出るスモークをを突っ切って現れる大男。いっそ清々しいまでのクラッシックな格闘技者スタイルに目が灼けるほどギラギラしたマントを羽織っている。グライザンは両手を掲げることで腰に巻いたチャンピオンベルトを強調し、衆目へ晒し上げるようにゆっくりと歩いてリングに向かう。
そばに控えたセコンドにマントとベルトを渡し、審判からのボディチェックを受けたグライザンは威風堂々とリングに上がった。スポットライトを浴びながら観客に応えるように振る舞っているが、視線はもう一つの入場口に釘付けになっている。
会場中の照明が消灯。ほぼ完全な暗闇に包まれた。
『こちらから入場するのは無名の挑戦者!!』
人の眼が未だ暗黒に慣れない中、ただ魔導カメラはその姿を捉えていた。身長180cmと少し。シルエットは筋肉質ではあるが常人の域を出ない。何より特筆すべきなのはその種族。格闘技界において覇権を失って久しい、ただの人間。獣人のような筋力や身体的特性も、機人のような技の引き出しや正確性も、悪魔のような魔法による強化も、鬼のようなフィジカルやタフネスもない。
『皆さんは知らないだろう!! しかし
それでもなお頂点に君臨した男がいた。どうにもならない種族の差を、センスと努力に裏打ちされた暴力で上回り続けた男がいた。
会場からポツポツと声が上がる。だれも知らないはずの男の入場に、確かに観客は沸いていた。
『3代目“戦竜”に頼み込み、ほぼすべての人と媒体から自身に関する記録と記憶を抹消させた異例の経歴を持つ男!!』
現役だったのは四年しかないにも関わらず総試合数は千を越し、そのすべてで無敗を貫き続けた男がいた。
人々の記憶から消え去り今や知る人ぞ知る戦士に成り果てたが、戦竜の魔法とて万能ではなかった。未来永劫人の記憶と世界中の記録媒体から抹消し続けることは戦竜をしても困難で、いくつか条件を決めて効果を引き上げる必要があった。
その一つが記憶の抹消はケイがリングに再び上がるまでの間のみに限定することだった。つまり、ケイがこうして再度戦いの場に身を置く決心をした時点で戦竜の魔法は効力を弱めており、この場にもポツポツと記憶を取り戻しつつある人間はいた。
『グライザン以上という狂気じみたスケジュールでデビューしたその年に、UFC発足以来最大の魔境と呼ばれたランキングを制覇しチャンピオンへと登り詰めた!!』
竜が、鬼が、悪魔が、機人が、獣人が、世代さえ違えばチャンピオンを欲しいままにした傑物たちが鎬を削り合った魔境を人の身でありながら統べた男がいた。あらゆる試合で不利一辺倒だった下馬評を覆し、既存の常識に真っ向から喧嘩を売るような快進撃を成し遂げた。
綺羅星のごとき輝きを見せつけた彼は、降る星のようにパタリと姿を消した。
『“スクラップ”、“悪魔祓い”、“鬼退治”、そして史上初の“ドラゴンキラー”!! 俺たち闘技者の憧れであり、超えるべき最大の壁!! なんの因果か再びリングへ戻ってきたこの男を、俺はあえてあの時と同じように呼んでやる!!』
ありとあらゆる闘技者から畏怖と敬意を込めてその異名はつけられた。
『ただの人間にしては異常なほどの強さから、彼はかつてこう呼ばれた!!』
“
そして今。魔法による記憶制御は決定的な破綻を迎え、伝説はここに完全な回帰を果たしたのだ。
スポットライトがケイを照らす。
グライザンのような威風堂々たる歩みではないが、対戦相手以外の全てを気にかけないまっすぐな歩みは観客に一本の刀を想起させた。リングに近づくにつれ上がるボルテージを、臨界まで上がりきった拍動が呑み込んだ。ただの心音一つ。されど覚えているものに、思い出したものたちにとってそれは全種族が三年かけても引き摺り下ろすことの叶わなかった君臨者の帰還を知らしめた。
つまり、この場における熱狂の趨勢は、完全に元チャンピオンに傾いていた。
⬛︎
際限なく盛り上がり続ける観客を無視してリングに向かう。“戦竜”のおっさんが言うにはすでに魔法は解けかけていて、記憶を取り戻している奴らがいるらしい。俺の復帰で喜んでくれる人がいるのは嬉しい限りではあるが、今はグライザンしか眼中にない。
思えば、昔はただ漠然と強くなればいつか普通に暮らしていけるなどと考えていた。普通を傲慢にも両親と同程度と勝手に決めつけ生きてきた。でも、完全に違うことはないが多分それは違う。普通とは、きっと身の丈にあった生き方を全身全霊で送ることだ。俺を庇って死んだ親父もおふくろも、それぞれの価値観の中で全力で生きてきたのだ。
俺の立場は俺の考える普通とはすでにかけ離れている。だからこそ、俺は俺の普通を定義し直した。俺は俺が決めた普通の生活を守るために戦う。周囲に恵まれたこの環境を維持するために、外敵たるグライザンを討たねばならないのだ。
「逃げずに来たことは褒めてやるよ。元チャンピオン」
「ぬるま湯で育ったガキの言うことなんざ当てにならないが、受け取っておいてやろう」
俺とグライザン。両者がリングに上がった。魔導カメラもレフェリーも既にリング外に退避しており、この会話を聞く者はいない。猛々しく笑うグライザンをシニカルに睨め付ける。まさしく一触即発。起爆寸前のダイナマイトとてここまで張り詰めはしない。
仮初の平穏、ゴングがなるまでの休戦状態。されど練り上げられた集中は時間の流れを緩やかにし、掻き立てられた闘争心は今か今かと始まりを待ち侘びている。
そして、──ゴングが、────今──────鳴っ────────た!!!!
踏み込み、捻り、殴る。同時に動き出したグライザンと俺だが、初速の差で俺の拳の方が速く当たる。
鼻っ柱に突き刺さり、抜けていった衝撃がグライザンの頭骨で弾けたのを感じ取る。神経系に相当のダメージ。ダウンどころかKOを奪える手応えだった。
グライザンは拳を振り抜いた姿勢のまま、動かない。意識を失ったか、それとも死んだか。
アウトレンジまで下がり様子を見ていると、ガバリと顔を上げたグライザンと眼が合った。まるで胡瓜を見た猫のようにフェンス側に飛び退いて、鼻から息と血を吹き出した。
「ははは! 男子三日でなんとやらだ!!」
喋りながら、グライザンの体が膨れ上がっていく。骨格すら音を立てて歪み、人のソレから獣のように変貌する。僅かに見上げるくらいだった身長は大きく首を傾けなければならないほど伸び、筋肉は二回り以上パンプアップしている。
一部の獣人のみが使える獣化とか言う技だろう。何度か使えるやつと戦ったことはあるが、グライザンほど極端に変化したパターンは見たことない。あれでは獣が二足歩行しているようにしか見えない。
攻撃方法に変化があるかを脳内で試しながら見ていると、グライザンの一瞬の踏み込みを捉えた。
巨大化した体躯を活かして彼我の距離を一歩で詰めてきたグライザンが仕掛けてくる。空気を裂きながら放たれる左ジャブ。威力の予測がつかないので当たるわけにもいかず、ステップで左に避ける。前回でわかっていたことだがやはりスピードが落ちていない。それどころか加速しているまである。
動いた俺を追うように放たれたジャブを手で弾くか避けるかして捌いていく。どれだけ的確に対処しようが、反撃に移れない。広がったグライザンのリーチが俺の間合いからボディを外している。
どうにもならない、なんてことはない。
飛んでくるジャブを弾く。続け様に打ち込まれたグライザンの右拳をダッキングで躱わす。リスクはあるが、リターンを求める。
ダッキングからはまだ戻らない。腰だめに構えた左腕に、ギリギリまで力を入れる。足のバネを使って体を跳ね上げながら、アッパー気味にボディへ突き刺さるパンチ。ガゼルパンチと呼ばれる一撃は、まるで吸い込まれるかのようにグライザンに直撃した。
確定的な破壊の感触。だからと言って手は緩めない。間合いから抜けられる前にやれるだけやる。鉄は熱いうちに打て、だ。
ボディとの打ち分けも、キックを交えたコンビネーションも、当たりはするがどれも有効打足り得ない。やはりグライザンのタフネスは他の獣人と比較しても常軌を逸している。先程砕いた肋骨も、おそらく既に修復された。本当にどうなっているのか。
リバーに右フックが刺さる。効くはどうかはわからないが打つに越したことはないと考え攻勢を保つ。
左のキックがボディに入る。続けてジャブを重ねようとするが、グライザンの右手が霞んだのが見えた。上体をひねって回避し攻勢を保つ。
コンパクトに打ち込んだ縦拳はグライザンに防がれた。当然放たれる反撃をいなしつつ、攻勢を保つ。
徐々に俺とグライザンの攻防の比率が逆転していく。戦いながらギアを上げつつ動きを出力に適応させてはいるのだが、避けなければならない俺と防げば問題ないグライザンとでは回転率が違う。
一ラウンド五分、残り……少し。刹那に満たない逡巡を挟み、多少の被弾は許容して出力をさらに上げる。おそらく、グライザンの力は俺の想定のはるか上をいく。試合前にあった速度差は最早見る影もなく、俺がフルパワーに到達する前にグライザンはそれを上回るだろう。
故に決着を急ぐ。差が健在であるうちに、グライザンがさらなる引き出しを開けぬうちにノックアウトする。
乱雑になる動きを頭の中で即座に修正して適用する。肉を叩く音が一層大きくなり、歓声を上回り始める。ひっきりなしに響く打撃音。断続的だったそれは次第に間隔を狭めていき、やがて連続した一つの音になった。
グライザンの攻撃も受けれないことはないくらいまでギアを上げたところで、唐突に、視界が弾けた。
視界の左半分が明滅して使い物にならない。何かを食らった。こけ脅しにもならない威力だが、ジャブより早く何時放たれたかすら捉えられない高速の何か。引き伸ばされている時間は回復を待たずに過ぎていく。
まずい、追撃が、くる。
グライザンの拳が俺の脇腹に突き刺さるのと、がむしゃらに放った反撃が当たるのと、ラウンドの終了を告げるブザーがなったのは同時だった。気が抜けて膝を付いて倒れるが、それはグライザンも同様だった。よかった、あれなら効いたらしい。
おそらく折れた肋骨を抑えながら、セコンドの戦竜と羅刹に連れられリングを降りる。インターバルは一分間。椅子に座らされてアドバイスを受ける。
「はァ、頼む、三十……いや二十秒くれ。肋が砕かれた」
「ああ、問題ない」
すまない、と断りを入れて眼を瞑る。暗闇の中、意識が身体の奥底へ向かう感覚に身を委ねる。いつか紫咲さんが言っていた、魔法力を感じる方法。あの時は大して信じていなかったが、グライザンを殴り続けてようやく信じる気になった。あの回復力の一端を担うのはおそらく魔法だ。理屈は知らないが体内で回復魔法の類を使い続けている。
意識の縁が何かに引っ掛かる感覚がした。靄のように漠然とした、それでいて膨大な力の源流。一度認識してからは楽なもので、魔法力をこねくり回してグライザンの体内を駆け巡っていたものに似せていく。伸ばして縮めて開いて閉じて力を込めて、どうにか似せた魔法力を勘で起動状態に持っていく。まさかこんなところで紫咲さんに何度か魔法をかけられたのが活きてくるとは、人生わからないものである。
肋骨とその他外傷を治した時点で俺の中にあった魔法力は消失した。次使うにはどれだけかかるかわからない回復を待つ必要があるが、このラウンドで勝負を決めればどうということはない。
意識を引き上げて眼を開けると、あんぐりと口を開いてこちらを見る二人のおっさんがいた。
「どうした。おっさん」
「いや、なんだ。魔法が使えたのかと思ってな」
「うはははは! しばらく隠居していたかと思えば魔法を習得していたのか! 強くなることに余念がないのは変わらんな!」
「使えねえよ。グライザンの真似しただけだ。今は成功させれたが、平時じゃ多分もう無理だな」
アドレナリンと集中と、この場の空気感が俺の初めての魔法行使を可能にした。ビギナーズラックもまあ多少はあるかもしれないが。
「で、なんかあるか? 俺としてはあの最後の一撃が気になるが」
「ああ、あれか。グライザンが咄嗟に打っただけにしか見えなかったが、脅威になるか?」
「戦竜、一応言うがケイは人間だぞ? 我らと違い獣人のじゃれ付きでも怪我を負うのだ」
「そうだったな羅刹。全盛期の印象が強くて失念していた」
「早くしろおっさんども。時間がなくなる」
「すまんなケイ。グライザンのあれは、本能に裏打ちされた最適な打撃──言い方を問題視せぬのであれば、猫パンチだ」
なるほど、猫パンチ。言われてみれば確かに、あの出の速さと瞬発力はネコ科くらいしかない。となるとグライザンはネコ科動物の何かになるわけだが、あそこまで大きい種類など居ただろうか。虎の獣人もあれほど巨大なやつは見たことがないが。
「グライザンが何をもとにした獣人かは今考えるべきじゃないな。ケイ、策はあるのか?」
「策も何も、気になったのはあれが物理的に対処可能かどうかだからな。おっさんらにでも見えるなら、一度食らった以上次からは対応できる」
「なら良いか。だがしかしケイ、先に見せたあの回復力はグライザンにもあるのだろう? 現実的に、削り切れるのか?」
「問題ない。とっておきがある」
グライザンだろうとなんだろうと削り切れる、まさしく必殺技と呼べるほどのとっておきが。
⬛︎
「ははは、見ろよオレの足」
「な……外れてるじゃないですか」
「外されたんだ。あの野郎、一瞬の交錯でオレの膝関節を抜きやがった。意識もほとんど飛びかけてやがったのによ」
⬛︎
インターバルが終わり、再びリングに上がる。俺の全力駆動にもようやく頭が慣れてきた。これから先、戦いの中でこの状態を下回ることはないレベルまで持ってくることができている。出し惜しみはない。相対するグライザンはなんというか……細まっている。
先程のような巨体とは違う。上背はそう変わっていないのだが、身に纏う筋肉が細い。いや、多分あれは圧縮されているだけだ。つまり筋肉の密度が上がっている。どういう理屈だ。
グライザンの適応できる幅がどの程度かわからない以上、俺の全力に追いつかれる前に勝負を決める必要がある。どうにか隙を作り出して、ようやく実現可能になったあれをぶちかます他あるまい。
「色々とかんがえているようだが、全て徒労だ。手前のパワーじゃオレにダメージを通すことはできない」
「はッ。勝手に言ってろ」
睨み合う俺とグライザンを他所に、再開を告げるブザーがなる。開幕同様に突っ込んできたグライザンだが、俺は臨戦を保ったまま動かない。飛び込んでくるグライザンは、初手をハイキックに切り替えた。
頭部に襲いかかる脚を、アッパーカットで跳ね上げる。勢いのまま体勢を崩してくれることを期待したが、そう簡単にはいかない。体を持っていかれると判断したグライザンは即座に軸足で跳んだ。
空中で体を捻りながら振り下ろすように放たれた蹴りを受けるわけにもいかず、回避して対処する。グライザンは地面に着いた蹴り足で跳ねて俺との距離を詰めてきた。攻め続けることで俺を攻撃に移らせないつもりだろう。
暴風雨のように打ちつけるグライザンの猛攻を、逸らすか避けるかでなんとか凌ぎ続ける。相手の手足は四本で、地面に立つのに一本は使う。ならば飛んでくる打撃は最高で三つしかない。両手でいなし、一つは避ける。我ながら完璧な防御理論だ。
だがまあグライザンが守りに徹すれば勝てるなどという楽な相手であるかと言えばそうではない。上限知らずの戦闘スキルには、むしろ早急に攻めに転じる必要がある。
一番のチャンスは時折混じる仮称:猫パンチの時だろう。出が早いだけで威力のないあれならば受けつつ反撃するか真正面から打ち破れる。だというのにだ。グライザンは猫パンチの使用を一向にやめようとしない。今や見切られ当たらなくなり意味をなさなくなったそれを、手数を補うために使い続けているのか、焦って腰を入れられないのか。
どちらにせよ、俺にとって有利な点であることは確かだ。ならばわざわざ見逃す必要もない。直線的になり始めたグライザンの甘い打撃を弾きつつ機を見計らう。
グライザンの右拳を逸らす。
グライザンの左脚を避ける。
左拳を受ける。右肘を逸らす。右脚を躱わす。
逸らす、避ける、躱わす、受ける、逸らす、受ける、躱わす、避ける、逸らす、受ける、避ける、躱わす、受ける、躱わす、逸らす、避ける、受ける、逸らす、躱わす、避ける、逸らす、受ける、躱わす、避ける、逸らす、受ける、避ける、躱わす、逸らす、受ける、避ける、躱わす、受ける、逸らす、避ける、躱わす、受ける、逸らす、避ける、躱わす、受ける、避ける、逸らす、躱わす、受ける、逸らす、避ける、躱わす、受ける、逸らす。
避ける、逸らす、受ける、躱わす、受ける、逸らす、躱わす、避ける、受ける、躱わす、避ける、逸らす、受ける、避ける、躱わす、逸らす、逸らす、受ける、躱わす、避ける、受ける、躱わす、避ける、逸らす、逸らす、受ける、避ける、躱わす、受ける、躱わす、避ける、逸らす、受ける、避ける、逸らす、躱わす、躱わす、受ける、逸らす、避ける、受ける、逸らす、躱わす、避ける、受ける、逸らす、躱わす、避ける、受ける、逸らす、躱わす、避ける、受ける、逸らす、避ける、躱わす、逸らす、受ける、避ける、躱わす、躱わす、受ける、逸らす、避ける、受ける、逸らす、避ける、躱わす、受ける、逸らす、避ける、躱わす、受ける、避ける、逸らす、躱わす、受ける、逸らす、避ける、躱わす、躱わす、受ける、逸らす、避ける、受ける、逸らす、躱わす、避ける、逸らす、受ける、躱わす、避ける、受ける、逸らす、避ける、躱わす。
暴力の滝に打たれながら耐え忍ぶこと苦節三分と少し。ようやく千載一遇の機会が巡ってきた。連打の初撃の猫パンチ。右手で撃ち込まれるそれを、同じく右手で迎撃する。グライザンの腕が伸び切る寸前、力の入りきっていない状態で衝突させたのが功を奏したのか、一方的に右腕を破壊した。
打撃音が止んだことで生まれた静寂の中、体勢を崩しかけているグライザンと目が合った。歓声も、実況も聞こえないほどに間延びした一瞬で交わった視線を外しはしない。度重なる接触と擦過、そして回避行動によって俺の手足の感覚はほとんどなくなった。特に末端は顕著で、もはやどんな形をとっていたかすらわからなくなってきている。
しかしそれは俺が動きを止める理由にはならず、理性と自我で痛みを塗りつぶし本能と感覚で拳を一層固く握る。現役の頃に一番欲していた力を、とうとう力を重視しなくなった今になって手に入れるとは皮肉が効いていると少し笑う。あの頃考えた全状況下において当たりさえすれば竜でも鬼でも確定で有利に持っていける攻撃手段。
重力十倍を克服し、俺自身が自壊しかねないギリギリの出力を把握した今だからこそ到達した必殺技。俺の知覚すら振り切って加速する身体は、俺が限界だと感じて止めるまで駆動する。踏み出した足。衝撃で罅でも入った気がするが無視する。時を超えて形になった俺の必殺を、
一発目を振り切った。わずかに残る鈍痛から当たったと判断。急制動に全身の筋肉が悲鳴をあげているが次の動作に入る。
二発目を振り切った。関節部に走る異質な痛み。筋繊維が断裂した気がするが動かせるので問題なし。次の動作に入る。
三発目を振り切った。当たったのは多分俺の肘だ。何かを砕いた感覚と肘辺りに生まれた刺されるような違和感が教えてくれる。次の動作に入る。
四発目を振り切った。高速で動くあまり、俺の目には強いブラーのかかった景色しか映らない。今一体どうなっているのか、わからないまま次の動作に入る。
五発目を振り切った。息が苦しい。身体中が痛みで熱を帯び始めている。大丈夫、熱いのなら、温かいのならばまだ生きている。次の動作に入る。
六発目を振り切った。酸欠でいよいよ視界が白く明滅し始めた。息つく暇なく殴り続けて籠った熱が全身に溜まり、燃えるような痛さに苛まれる。次の動作には、入れない。
大きく、速く息をする。六発の打撃音が、完全に重なって鳴る。おおよそ予想通りとはいえ頭の箍を外して殴れるのは六発が限界だった。充分だ。むしろこれで良い。
明瞭とはいかないが、しかし徐々に取り戻しつつある見づらい視界で前を見る。リングの上、グライザンは、立っていた。
ギリギリで腕を滑り込ませて盾にしたようだが、両腕とも地に打ちつけた木の枝のごとくへし折れている。あの様子では次の攻撃を防ぐことはできまい。ならば問題ない。俺の
牽制にも、ガードを固められても、フィニッシャーとしてでも。あらゆる状況下において運用可能なこの技を、俺の一番好きな星の名を冠した必殺技を喰らって沈め。
一歩踏み込んで距離を詰める。大きく息を吸う。暑さは耐えれる。痛みも耐えれる。引き絞った右腕と、捻った上体には力が溜まっている。
──────
全弾、直撃。
ガタが来てガクガク震える足を支えながらグライザンを見る。一発と見紛うほどの速度で六発打ち込まれたグライザンは、凄まじい勢いで吹き飛びフェンスを大きくひしゃげさせていた。
徐々に、徐々に前に崩れていくグライザン。今この場だけは俺の集中力が憎い。拳に残る感覚は、六発全てが人であれば不可逆なほどの身体破壊を起こしたと告げている。速く、速く倒れてくれ。
明らかに異常な打撃に、レフェリーが俺とグライザンの間に割り込むように近づいてくる。グライザンが地に伏せた。レフェリーは俺が静止しているのを確認して、すぐさまグライザンの元に向かう。頭上で手を振るようなジェスチャーをして、試合終了を告げるゴングが鳴った。
ようやく集中が切れて、時間が等速に戻る。フェンスに登って観客を煽るなりして盛り上げるのが一般的ではあるが、今の俺にそんな余力はない。せめてもの行動として膝の震えを押し殺しながら両手を天に突き上げると、祝福するかのように大音量の歓声が上がった。
堪え切れなくなって後ろに倒れ込むと、二つの手で支えられた。戦竜のおっさんと羅刹のおっさんだ。開いた手をゆっくりと挙げると二人は意を汲んでくれたようで、俺を引き上げて立ち上がらせた。
声援を受けて歩く。それも誰かに手伝ってもらいながら。自身のために強さを求めていたかつての俺ならば絶対にしなかったであろうことだ。普通に生きるという他者の存在を必要とする目標を持っていたにもかかわらず、自分一人が強ければなんとかなると思い孤独に生きてきたあの頃の俺ならば。
『決着ゥーーー!!! 怪人が、最新の“
実況によって際限知らずに上がっていく会場の歓声を浴びながら、リングを後にする。応えはしなかった。もう少しだけ、勝利の余韻を味わいたかったから。
グライザンは、強かった。一人で鍛錬していたとなると敗戦必至なほどに強かった。だが俺が勝った。あの一月の間で、人と共に練り上げた強さが勝ったのだ。俺にはそれだけで充分だった。