Soulbound Chronicle 作:「」
待って――
「アヤセくん、待ってくださいそれは──!」
叫びは遅すぎた。
彼の指先が、クリスタルの表面に触れた瞬間、まるで心臓が止まったような感覚に襲われた。
空間が、弾けたのだ。
耳をつんざくような共鳴と、目を刺す光。
風が、熱を持って逆巻く。図書館全体が生き物のように震え、足元の石床が、微かに浮いた。
「アヤセくん!!」
手を伸ばした――だが、彼はもうそこにはいなかった。
わたくしは思わず駆け寄った。
けれど、そこにはもう、彼の姿はなかった。
──残されていたのは、わたくしの胸にぽっかり空いた言葉にならない喪失感だけ。
わたくしの指が掠めたのは空気の残像。
彼の身体は、クリスタルに吸い込まれるように光の粒となって消えていた。
信じられない。 何が起きたのかを考えるが理解が追いつかない。
けれど、わたくしは即座に杖を構え、浮遊するクリスタルの前へ踏み出した。
「これは……召喚の核!? 古代魔法の意志媒体……っ!」
クリスタルの内部で光が脈打つ。
その中心には、見覚えのある影が揺れていた。
──アヤセくんだ。
「アヤセくん……! 聞こえますか!?」
声を張ったが、返事はなかった。
代わりに、空間に響いたのは――低く、性別さえ不明な、異質の声だった。
『──我が主よ。 汝が真に望むものを、今ここに示せ』
「……主? アヤセくんを、主として認識しているの……?」
『望みを述べよ。 代償は要らぬ。 汝の心にある最も欲するものをただ与えん』
クリスタルは、そう語った。
それは誘惑でもなく、命令でもなく、ただひたすらに優しく、穏やかな声だった。
まるで、親が子に子守唄を語りかけるように。
わたくしは一歩踏み出す。
恐怖はない。 けれど、不安はあった。
「……アヤセくん……今、何を考えているの……?」
彼は、欲しいものを手に入れろと言われた。
それは彼にとってもしかしたら……
そのとき、クリスタルが再び光を発し文字が浮かび上がる。
古代ルーンによる宣言。
『──汝の心の奥底にある欲望は現実に干渉する。 我は汝の魂と一体化し、その答えを具現せん──』
「……なに……?」
次の瞬間。
視界が反転する。
音が消え、世界が白黒に分離する。
そして、アヤセの記憶が、まるで映像のように、わたくしの目の前に広がった。
──草原を走る、小さな少年。
──笑いかける姉達の影。
──誰にも振り返ってもらえなかった孤独。
──最初の宝物を拾った瞬間。
──初めて誰かを好きになった日。
──そして、わたくしと出会った瞬間。
手を引いてもらった酒場の片隅で、心が救われたと彼が思った、その光景。
「……アヤセくん……」
わたくしの喉が、勝手に震える。
彼の欲望は、確かにわたくしだった。
──彼の中で、わたくしは叶えられた願いとして存在していたのだ。
『我が主よ。 汝の最も欲するものは、既にこの世に存在する。 よって、我はその使命を終え、自己を破壊する』
一条の光がクリスタルを貫いた。
ガァァァァン……!!
まばゆい閃光。
クリスタルの表面がひび割れ、光の奔流が柱のように立ち昇る。
「アヤセくん戻って……! あなたが願ったものは、今ここにいるんです……!」
わたくしは叫ぶ。
魔力が満ちた空間で、声など掻き消えるというのに、ただ叫び続けた。
「わたくしを、選んでくれてありがとう……! でも、今度はわたくしがあなたを取り戻す番です……!」
「……アスターさん」
「……!」
振り返ったときには、彼は、立っていた。
煙のように形を取り戻しそこに。
頬に傷ひとつなく、けれど少しだけ泣いたような顔でわたくしを見ていた。
「……帰ってきた…ね」
「……うん。 ごめん、心配かけた」
わたくしは駆け寄って、何も言わずに彼の胸に飛び込んだ。
「アスターさん、ほんとに泣いてる……?」
「……違います、これは……風が、少し強くて……」
「この部屋、風なんて吹いてないよ?」
「アヤセくん、喋らないでください。 今は、わたくしにつかまっていてください」
「……うん」
抱きしめた彼の身体は、温かかった。
あの光の中でも、冷えずにここまで戻ってきた彼の命のぬくもりだった。
わたくしは、強く、強く思った。
この少年のためなら、何度だって叫べる。
何度でも、扉を開ける。
何度でも、手を伸ばす。
彼が欲しがってくれたこの命ごと、全てで、わたくしは彼を守りたい。
──そう、決めた。