ハッピーエンドに向かうには   作:内海空洞

12 / 71
猫の恩返し

ぐったりと布団に横たわる、見ず知らずの少女。雨に濡れて冷え切った体をなんとか温めなければならないが、びしょ濡れの服をそのままにしておくわけにもいかない。かといって、年頃の女の子の服を僕が脱がせるなんて、そんなことできるはずもなかった。

 

途方に暮れた僕が真っ先にしたのは、最も信頼できる女の子たち、響ちゃんと未来ちゃんに助けを求めることだった。

 

『ええっ!? お兄ちゃんの家に女の子が倒れてたの!?』

『すぐ行きます!』

 

電話で事情をかいつまんで話すと、二人は飛ぶように駆けつけてくれた。僕が事情を説明する間、響ちゃんは布団で眠る少女――後に自己紹介をした――クリスちゃんを興味津々な目でのぞき込み、未来ちゃんはどこか値踏みするような、じっとりとした視線を僕に向けていた。その視線が何を意味するのか、鈍い僕には分からなかったけれど、少しだけ背筋が寒くなった。

 

「というわけで、二人にお願いがあるんだ。この子の着替えをやってもらえないかな」

「任せてよ、優斗お兄ちゃん!」

「……わかりました。お安い御用です」

 

僕は押し入れから、昔、母が置いていった予備の服をいくつか取り出して二人に渡した。

 

響ちゃんは「この子、手足長いからこっちのワンピースの方が似合うかも!」と楽しそうに服を選んでいる。一方、未来ちゃんは僕から服を受け取ると、「優斗さんは、向こうに行っててください。絶対に見ないでくださいね」と、有無を言わせぬ迫力で僕を部屋から追い出した。

 

リビングのドアが閉められ、僕はキッチンでそわそわしながら待つことしかできない。しばらくして、「終わりましたよ」という未来ちゃんの声にリビングへ戻ると、クリスちゃんは僕のベッドに寝かされ、清潔なワンピース姿になっていた。濡れた髪も丁寧にタオルで拭かれている。

 

「ありがとう、二人とも。本当に助かったよ」

「ううん! 困った時はお互い様だよ!」

「……お礼、期待してますから」

 

未来ちゃんがボソリと呟いた言葉に、僕は力強く頷いた。「もちろん、今度とびきり美味しいものご馳走するからね」と約束すると、二人は少し安心したように微笑んで、夜道を帰っていった。

 

嵐のような時間が過ぎ去り、部屋には静寂が戻る。クリスちゃんの呼吸は、さっきよりも随分と穏やかになっていた。額に当てた手も、危険な熱さではなくなっている。

 

ほっと胸をなでおろした僕は、何か彼女が食べやすいものを、と思いキッチンに立った。熱で弱った体に優しく、それでいて栄養のあるもの。すぐに、ふわりと卵が香る雑炊が思い浮かんだ。

 

コトコトと土鍋を火にかけ、丁寧に灰汁を取りながら、彼女の回復を祈る。僕の料理に特別な力なんてない。でも、ただひたすらに、目の前の人が元気になりますようにと願う。それだけは、誰にも負けない自信があった。

 

出来上がった雑炊を器によそい、お盆に乗せて寝室へ運ぶ。ベッドの傍らに腰を下ろし、彼女の額に置いた濡れタオルを新しいものに取り替えようと、そっと手を伸ばした。

 

その瞬間、閉ざされていた彼女の瞼が、ゆっくりと持ち上がった。

虚ろだった紫の瞳が、今度ははっきりと僕の姿を捉えていた。

 

 

 

目が覚めて、最初に感じたのは警戒心だった。

知らない天井。知らない匂い。そして、目の前には知らない男。

あたしは確か、雨の中で……。

記憶が徐々に鮮明になるにつれ、自分がこの男に助けられたのだと理解した。一応、礼は言うべきか。そんなことを考えていると、男は「気がついたかい?」と優しく微笑んだ。

 

「……」

「気分はどう? 熱は少し下がったみたいだけど」

 

男の言葉には答えず、あたしは体を起こそうとした。だが、その動きは途中で止まる。

なんだ、この服。

あたしが着ていた服じゃない。ふわりとした、ワンピース?

状況を理解した瞬間、カッと顔に血が上った。

 

「て、てめぇ……! あたしに何しやがった!」

 

咄嗟に自分の体を抱きしめ、布団の端まで後ずさる。動揺で声が上ずるのを止められない。

 

「えっ!? ち、違う、誤解だ!」

男――優斗は、慌てて両手をぶんぶんと振った。

 

「僕じゃなくて、知り合いの女の子に着替えを手伝ってもらったんだ! 本当だよ!」

 

そう言って、彼はポケットから携帯電話を取り出し、一枚の写真を見せてきた。そこには、太陽みたいに笑う茶髪の女の子と、その隣で少し困ったように笑う黒髪の女の子、そして、優斗自身が写っていた。フィーネの資料で見たことがある。確か、立花響と、小日向未来。

 

写真を見せられ、彼の必死な形相を見ていると、本当に何もされていないのだと分かった。途端に、張り詰めていた緊張の糸が切れ、全身から力が抜けていく。あたしは、再びベッドに体を預けた。

 

「……行く宛ては、あるのかい?」

 

優斗の静かな問いに、あの洋館での光景が脳裏に蘇る。

 

『あなたはもう、用済みよ』

 

フィーネの冷たい声。黄金に輝くネフシュタンの鎧。あたしを物のように切り捨てた、唯一信じていた光。

 

「……どこにも、ねぇよ」

 

吐き捨てるように言ったあたしの声は、自分でも驚くほどか細く、震えていた。

沈黙が流れる。同情されるのか、それとも厄介払いされるのか。どちらにせよ、長居は無用だ。そう思っていたら、彼は予想外の言葉を口にした。

 

「じゃあ、しばらくここにいたらいいよ」

「……は?」

 

驚きのあまり、間抜けな声が出た。何を言っているんだ、こいつは。会ったばかりの、素性も知れないあたしを、家に置く?

 

「とりあえず、何か食べないと元気も出ないだろ? 卵雑炊、作ったんだ。よかったら、食べさせようか?」

 

悪戯っぽく笑いながら言う優斗に、あたしは反射的に叫んでいた。

 

「なっ……! 一人で食える!」

 

半ばひったくるように雑炊の器を受け取る。まだ温かい器が、冷えた手に心地よかった。

 

「はは、そうだよね。じゃあ、僕は下で作業してるから。食べ終わって、もし気が向いたら……その、さっきの返事、聞かせてくれると嬉しいな」

 

優斗はそう言うと、静かに部屋を出て行った。

 

一人残された部屋で、手の中の器を見つめる。ふわりと立ち上る湯気から、優しい出汁の匂いがした。空腹なのは、確かだった。おそるおそる、スプーンを手に取る。不慣れな手つきで、ぎこちなくそれを口に運んだ。

 

「……!」

 

温かい。

そして、美味しい。

ただの塩と卵と米のはずなのに、今まで食べ

たどんなご馳走よりも、あたしの空っぽの心と体に染み渡っていく気がした。

 

いつぶりだろう。誰かが自分のために作ってくれた、温かい手料理を食べるのは。

フィーネの元でも、贅沢はできていた。けれど、それは生きるための『餌』でしかなかった。こんな風に、心が温かくなる食事は、ずっと昔に失ってしまったものだ。

 

気づけば、あたしは夢中でスプーンを動かしていた。懐かしい温もりに包まれて、器が空になる頃には、ほんの少しだけ、体が軽くなっていた。

空になった食器を前に、手持ち無沙汰になる。

 

体も少し動くようになった。さっきの返事、どうするべきか。考えがまとまらないまま、とりあえず食器を返しに行こうと、あたしは階下へ向かった。

店のスペースに続く階段の途中で、優斗の声が聞こえてきた。誰かと話しているらしい。邪魔するのも悪いと思い、あたしは物陰にそっと身を隠した。

 

『―――それで、心当たりはない、と。本当にそうなんだな?』

 

聞き覚えのない、厳つい声。物陰からそっと覗く。そうだ、あの男だ。二課の司令官、風鳴弦十郎。

 

『ええ。見ての通り、今日は一日店にいましたけど、そんな女の子は見かけていませんよ』

 

優斗の、落ち着いた声が返ってくる。

心臓が、どくんと大きく跳ねた。探しに来たんだ、あたしを。こいつ、どう答える気だ。まさか、あたしを売り渡すんじゃ……。

緊張で、息が詰まる。

 

『そうか。……わかった。邪魔したな』

 

弦十郎の声が、少しだけ柔らかくなった。

 

『もし見かけたら、連絡を頼む。……いや、

いい。もし会えたらその時は……いや、頼んだぞ、優斗くん』

『はい』

 

あいつが店から出て行く気配がして、あたしはほっと息をついた。優斗は、あたしを庇ってくれた。

 

物陰からそっと顔を出すと、カウンターを片付けていた優斗と目が合った。

 

「あ、クリスちゃん。体、もう大丈夫なのかい? 食器、ありがとう」

 

優斗はにこやかに言った。だが、あたしはそれどころじゃなかった。

 

「……なんで、あいつにあたしのこと、話さなかった?」

 

あたしの問いに、優斗はきょとんとした顔をした。

 

「あんた、わかってんだろ。あいつがあたしを追ってるってことくらい。あいつは敵だ。なんで庇った!」

 

フィーネから、二課は敵だと聞かされていた。あたしを捕まえようとしている連中のはずだ。なのに、こいつはあっさりと嘘をついて、あたしを匿った。

優斗は、少しだけ視線を彷徨わせた後、観葉植物の葉を指でつつきながら、恥ずかしそうに言った。

 

「……君を拾ったとき、なんとなく、わかったんだ。君が、誰にも頼れなくて、でも、助けてほしそうな顔をしてたから」

「……は?」

「だから、僕が助けたいなって。ただ、それだけなんだけど……」

 

具体性のない、あまりに純粋な理由。呆気に取られていると、脳裏に、忘れたかった光景がフラッシュバックした。

 

ボランティアのために、幼いあたしを危険な戦場に連れた結果、テロに巻き込まれて勝手に死んでいった両親。彼らも、いつも口にしていた。『困っている人を助けたい』と。その結果が、これだ。

 

「……ふざけんなよ」

 

怒りが、腹の底からこみ上げてきた。

 

「同情してんのか! 偽善者ぶって、あたしを助けて満足か! あんたみたいなのが、一番むかつくんだよ!」

 

八つ当たりだとわかっていた。でも、叫ばずにはいられなかった。

だが、優斗は怯まなかった。彼は、僕の目をまっすぐに見つめ返すと、真剣な声で言った。

 

「同情じゃない。僕が、そうしたかったんだ」

「……!」

「君がどんな事情を抱えているのか、僕にはわからない。でも、君が助けを求めているなら、僕は手を差し伸べたい。偽善だと思われても構わない。僕が、そうしたいんだ」

 

彼の瞳には、嘘も、下心も、何一つ映っていなかった。ただ、あまりに真っ直ぐな善意だけが、そこにあった。

 

あたしには、わからなかった。なぜ、この男はここまで他人に優しくなれるのか。

あたしが言葉を失っていると、彼はふっと表情を緩め、あっけらかんと言った。

 

「それに、弦十郎さんにも、頼まれちゃったからね」

「……は? いつ……」

「言ってたじゃないか、『頼んだぞ』って」

 

にこりと笑う優斗。

そこで、あたしは全てを悟った。

あのやり取り。あの言葉。あの男は、あたしがここにいることをとっくに知っていたんだ。知った上で、優斗に全てを任せた。二課は、このお人好し一人に、絶大な信頼を置いている。

 

「…………はぁ」

 

全身から、力が抜けていく。深いため息が、口から漏れた。もう、どうにでもなれ。

 

「……わあったよ。世話になる」

 

あたしが渋々そう言うと、優斗は「そっか!」と、子供みたいに嬉しそうな顔をした。

 

「じゃあ、色々用意しないとね! 着替えとか、歯ブラシとか!」

「……言っとくけど、仲良くする気はねえからな」

「うんうん、わかってるわかってる」

「……ぜってー、わかってねーだろ!」

 

あたしの叫びが、夜の店内に虚しく響き渡った。

 

 

 

翌日、喫茶店コモドには、不機嫌そうな顔でカウンターに立つ、新しい店員の姿があった。

 

「……なんであたしが、こんなカッコしなきゃなんねえんだよ」

 

フリルのついた可愛らしいエプロンを身につけたクリスは、ぶつくさと文句を言っている。優斗に恩を着せられたままなのが癪で、「泊めてやる代わりに働いてやる」と啖呵を切った結果がこれだった。

 

洸とはまた違う、年頃の可愛らしい店員は、すぐに常連客たちの注目の的になった。

 

「おや、新しい子かい? 可愛いねぇ」

「クリスちゃん、このお菓子あげるよ」

 

年配の客たちに可愛がられ、クリスはタジタジになるしかなかった。

 

この唐突な新メンバーの加入に、関係者たちの反応は様々だった。

司令室で報告を受けた弦十郎は、「ふむ、任せて正解だったな」と満足げに頷いた。

翼をはじめとする二課の面々は、敵であった少女が知り合いの店にいるという事実に、ただただ驚いていた。

奏は、優斗と親しげに(クリス本人はそのつもりはないが)話すクリスを見て、「な、なんか……ライバルが増えそうな、嫌な予感がする……」と頬を引き攣らせた。

 

響は、「よろしく、クリスちゃん! 仲良くしよう!」と無邪気に引っ付いては、「うぜぇ! くっつくな!」とあしらわれている。

そして未来は、カウンターの中で優斗と並んで作業するクリスを、黒いオーラを漂わせながら見つめていた。

 

 

 

コモドで働き始めて、数日が経った。

戸惑うことばかりだったけど、生活は驚くほど穏やかだった。

美味しいご飯。温かい布団。気持ちのいい風呂。そして、笑いかけてくれる、お人好しの隣人。

 

それは、今まであたしが知らなかった、心の安らぎだった。フィーネの元でも、物質的には何不自由ない生活だった。けれど、胸にぽっかりと空いていた穴が、今、少しずつ満たされていくのを感じていた。優斗の優しさが、その笑顔が、凍てついていたあたしの心を、ゆっくりと溶かしていく。

 

二課とは、すでにある種の停戦協定を結んでいた。あたしがフィーネに関する情報を提供する代わりと自身の巻いたタネを消すために、二課はあたしの身柄を保障し、このコモド、いや、優斗の家に住むことを黙認する。それが条件だった。

 

時折、あいつらと共にノイズと戦うこともあった。最初は反発しかなかったが、背中を預けて戦ううち、奇妙な連帯感が芽生え始めていた。

 

この日常を、これ以上壊したくない。

そう思うようになったあたしは、自分がシンフォギア装者であるという事実を、優斗には隠し通すことに決めた。あいつを、これ以上面倒事に巻き込みたくなかった。

 

同じ従業員の洸さん――あのバカの親父とも、なんだかんだ言いながら打ち解けてきた。全てが順風満満に進んでいるように思えた。

今日も、二課からのコールで、密かに店を抜けてノイズを片付けてきた。

 

「クリスちゃん、お疲れ様。何かあったのかい?」

「……ちょっとな。野暮用だ」

「そっか。気をつけてね」

 

優斗は、あたしが時々いなくなることを不思議に思いながらも、深くは詮索せず、ただ信頼して見送ってくれる。その優しさが、今は少しだけ胸に痛かった。

 

「……ただいま」

 

今となっては帰る場所に誰に言うでもなく呟きながら、あたしはコモドのドアを開ける。

そろそろ開店準備を始める時間だ。いつものように、優斗が「おかえり」と笑ってくれるはずだった。

 

しかし。

店の中は、しんと静まり返っていた。

カウンターにも、厨房にも、いつもそこにいるはずの彼の姿は、どこにもなかった。

 




本話にぶち込む技量がない作者のQ&A

Q、なぜ弦十郎はクリスがここにいることが原作より早く気づいたの?
A、警視庁公安部の経験とおそらく監視カメラが原作と同じだが、普通にクリスの気配を感じていました

Q、なぜ優斗に頼んだの?
A、自分が来た時点で裏から逃げればいいのに、止まっている姿を見て多少優斗に心許してると判断しました

Q、クリスがあっさりと説得されたけど?
A、この時点でクリスの心は折れていました。原作よりボコボコにされて色々へし折られ、フィーネに見放され、あの兄妹も会っていません。そして優斗の優しさ受け入れる気満々の姿に、ここにいて良いと安堵した結果です

Q、優斗はクリスの事情を知っている?
A、ある程度聞いていますが、クリスの意思を尊重しています

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。