特異災害対策機動部二課、その地下深くにある私専用の研究室。その静寂の中で、私、櫻井了子は一人、思考の海に沈んでいた。壁一枚を隔てた向こうでは、スタッフたちが慌ただしく走り回り、モニターには例のライブ会場からの映像が繰り返し再生されている。だが、私の意識はそこにはない。私の頭の中を占めているのは、あの少女――マリア・カデンツァヴナ・イヴが放った、一つの名。
『我が名はフィーネ』
……フィーネ。数千年もの間、私自身であったその名を、あの少女が、全世界に向けて高らかに名乗った。その意図は、一体何なのか。
モニターの中で、彼女はF.I.S.の非道を糾弾し、自らの行動を正当化していた。曰く、F.I.S.はかつてのフィーネとの協力関係から始まったが、そのフィーネを裏切り、暴走した、と。まるで、フィーネ自身は善意の協力者であり、悲劇の被害者であったかのように。
(面白いことをしてくれるわね)
口元に、自嘲とも苦笑ともつかない笑みが浮かぶ。
フィーネは、決して正義などではない。少なくとも、私がそうであったように。世界を一つに繋ぎ、統一言語を取り戻し、エンキに会う。そのためなら、あらゆる犠牲を厭わない存在。それがフィーネ。あの少女の語る、純粋な被害者像とは程遠い。
考えられる可能性は二つ。
一つは……まさか、この私を仲間として取り込むつもりかしら? 逃げ隠れている事にしているこの私を、あの宣言で受け入れる大義名分と土壌がある事をアピール。見つけ次第『貴女を受け入れ、その名の下に団結しましょう』なんて、甘い誘いをかけているのかもしれないわね。冗談じゃない。今の私が世界をどうこうする気など、もはやカケラもないのだから。私の目的はただ一つ、愛するエンキと再会すること。今更、小娘たちの革命ごっこに付き合う気など毛頭ない。
もう一つは……もっとたちの悪い、政治的なスケープゴート。今、この国で逃走・潜伏中の本物のフィーネ、つまり居ないはずのこの私の存在を餌に、アメリカ政府やF.I.S.を揺さぶるための陽動。彼女たちの行動によって私が再び危険視されれば、動きは鈍る。その隙を突く算段。どちらにせよ、実にクレバーで、そして厄介な手だ。
そもそも、アメリカという国は、私にとってとっくの昔に『用済み』の駒だった。エンキが生きていると知った今、あんな国に構っている暇はない。だからこそ、F.I.S.関連のゴタゴタが本格化する前に、弦十郎くんとその背後にいる日本の権力者たちと交渉し、私は司法取引にも似た形で二課への協力をしている。私と言う存在はここからいなくなったことにしてから、約束したのだ。
エンキとの再会という、私の数千年来の悲願。その邪魔になりそうな火種は、今のうちに消しておきたかった。ただ、それだけのことよ。
それにしても、と私は思考を切り替える。
マリア・カデンツァヴナ・イヴ。彼女たちがシンフォギア装者であるという情報は、私の方法によって二課も掴んではいた。だが、大元のF.I.S.はアメリカ政府傘下の組織である以上、表立って敵対する可能性は極めて低いと判断されていた。何より、弦十郎くんが、奏ちゃんたちをこれ以上政治の薄汚い裏側に巻き込むことを良しとしなかった。彼らの甘さが、結果として最悪の事態を招いた、とも言える。
まさか、そのF.I.S.の内部から反乱者が現れ、全世界を巻き込む形で宣戦布告を叩きつけるなど、夢にも思わなかった。おそらく、先日こちらが警護し輸送した『ソロモンの杖』を、まんまと利用されてしまったのだろう。
あのライブでの宣言の際、司令室のモニター越しに弦十郎くんが鬼のような形相でこちらを凝視してきたので、私は全力で首を横に振って無関係をアピールしておいた。あれで疑われては、たまったものではない。
ふぅ、と深くため息を吐く。
今は何より、優斗くんの安否が気にかかる。彼こそが、エンキを救うための、唯一無二の鍵なのだから。
だが、あの少女たちの背後にいる人物を考えれば、ひとまずは安心、か。
ナスターシャ・セルゲイヴナ・ソコロワ
――かつてF.I.S.で、私とも多少の面識があったロシア人の科学者。彼女は、レセプターチルドレンに対して、科学者としての探究心以上に、母親にも似た深い愛情を注いでいた。その彼女が後見人であるならば、優斗くんを無下に扱うことはないはずだ。
真に懸念すべきは、もう一人の方。
ドクター・ウェル。あの男は、ナスターシャとは真逆。隠してはいたようだけど、純粋な探究心という名の狂気に憑かれた、典型的なマッドサイエンティスト。きっと今頃、よだれを垂らさんばかりの勢いで、優斗くんの身体や能力を調べ上げようとしているに違いない。彼の『運命介入食』は、私ですら完全には解明できていない、まさに神の領域。ウェルのような俗物に、好き勝手にいじらせるわけにはいかない。
「……さて、と」
私は背筋を伸ばし、席を立つ。感傷に浸っている暇はない。
会場から帰還し、誘拐した相手への怒りとさせてしまった自分への無力感に打ちひしがれていた奏ちゃんたちのことだ。きっと今頃、自らを責め、無茶な単独行動にでも出かねない。彼女たちのメンタルケアもまた、今の私にできる、数少ない贖罪の一つなのだから。
目の前の景色が、目まぐるしい速度で流れていく。風を切り裂く音だけが、やけにクリアに耳に届いていた。
僕は今、ピンク色のシンフォギアを纏った少女の腕の中に、いわゆる『お姫様抱っこ』の体勢で運ばれていた。その体は驚くほど軽く、まるで重力など存在しないかのように、彼女はビルの屋上から屋上へと跳躍を繰り返している。
やがて、速度が緩やかになり、僕たちの目の前に古びた建物が見えてきた。かつては多くの人々が出入りしたであろう、大きな病院。だが今は、壁は蔦に覆われ、窓ガラスの多くは割れている。ここが、彼女たちのアジトなのだろうか。
調さんは、廃病院の入り口前で静かに着地すると、衝撃を一切感じさせない、驚くほど優しい動きで僕を地面に降ろしてくれた。
「……ありがとうございます」
「……ううん」
僕がお礼を言うと、彼女は少し驚いたようにキョトンとした顔になり、小さく首を横に振った。そして、おずおずといった様子で、僕に問いかけてくる。
「……できるだけ、優しく運んだけど……怪我はない?」
「はい、大丈夫です。全然、揺れませんでしたし」
その気遣わしげな様子に、僕は少しだけ心が和むのを感じた。少なくとも、根っからの悪い子、というわけではなさそうだ。
隣にいた緑色のギアの少女が、興味津々といった表情で僕の顔をぐいっと覗き込んできた。その瞳はキラキラと輝いている。
「おおーっ! あなたが優斗さんデスか!」
「え、あ、はい。僕が優斗ですが……君は?」
少し驚きながらも尋ねると、二人は同時にシンフォギアを解除し、光の粒子が霧散すると、そこには私服姿の少女たちが立っていた。
「私は月読調。こっちは……」
「暁切歌! よろしくデス、優斗さん!」
ショートカットの少女――切歌さんが、元気いっぱいに自己紹介してくれた。そのテンションの高さに、思わず笑みがこぼれる。
「マリア様が言ってた命の恩人って、優斗さんのことだったんデスね! なるほどなるほど~、確かに優しそうな顔してるデス!」
「え、命の恩人……?」
僕が首を傾げていると、不意に背後から声がかかった。
「――お待たせしたわね」
振り返ると、そこには先ほどまでのステージ衣装ではなく、ラフな私服に着替えたマリアさんが立っていた。その表情には、ステージ上での険しさはなく、どこか穏やかささえ感じられた。
「あなたの両親に会わせる前に、まず会ってほしい人がいるの。ついてきて」
そう言うと、彼女は僕たちに背を向け、廃病院の中へと入っていく。僕たち三人も、その後を追った。
意外にも内部は、外観以上に綺麗にしていた。持ち込んだであろう機材以外は埃っぽくはあったが、空調が効いているのかひんやりとした空気が漂っている。所々には生活の痕跡が見られ、彼女たちがここで過酷な日々を送っていることが窺えた。
「ここよ」
マリアさんは、一番奥にある『院長室』とプレートが掲げられた扉の前で立ち止まり、静かにドアを開けた。
そこは、アジトの他の場所とは違い、より清潔に保たれ、多くの医療機器や大型モニターが設置された、さながら司令室のような空間だった。
そして、その中央。複数のモニターに囲まれるようにして、一人の老婆が専用の車椅子に座り、静かにこちらを見ていた。左目には、眼帯。その傍らには、妹のセレナさんが心配そうに佇んでいる。
「初めまして、新城優斗くん。私が、この子たちの後見人をしている、ナスターシャ・セルゲイヴナ・ソコロワ。……子供たちから『マム』と呼ばれているわ」
穏やかだが、芯の強さを感じさせる声。セレナさんとナスターシャと名乗った彼女は、僕を真っ直ぐに見つめ、そして、深く頭を下げた。
「まずは、謝罪させてほしい。あなたと、あなたのご両親を、このような強引な形で巻き込んでしまったことを。本当に、申し訳ない」
頭を下げたナスターシャに続き、マリア達もそれぞれ謝罪の言葉をした。
「あ、あの、頭を上げてください……!」
僕は慌ててそう言った。彼女らの謝罪は、心からのものだと伝わってきたから。ナスターシャさんは姿勢を整え、一息ついて僕を見直した。
「では、単刀直入に説明させてもらうわ。私たちが、なぜあなたを『誘拐』しなければならなかったのかを」
ナスターシャ教授の説明は、衝撃的なものだった。
ライブでのマリアさんの演説通り、アメリカ政府の制御下にあったはずのF.I.S.が、フィーネの遺した負の遺産――聖遺物に関する膨大なデータを手にしたことで、暴走を始めたこと。彼らは飽くなき探究心と欲望のままに非人道的な実験を繰り返し、政府はそれを黙認していること。
「そして……彼らは、フィーネの資料の中にあった、あなたのデータに目をつけたの」
「僕の、データ……?」
「ええ。あなたの特異な異能……聖遺物やシンフォギアに計り知れない影響を与える可能性。F.I.S.はそれを解析し、あなたを『触媒』として利用しようとしていた。そして政府はそれ以上に貴方の異能を欲しがった。そのために、まずあなたのご両親を人質に取り、身柄を拘束する計画を立てていたのよ」
それを知った私たちは、これ以上アメリカ政府に任せてはおけないと判断した、と彼女は続けた。
「そして何より……セレナの命の恩人であるあなたを、あの者たちの毒牙にかけるわけにはいかなかった。だから、F.I.S.が動く前に、こちらで先手を打って、あなたのご両親の身柄を保護させてもらったの」
「じゃあ……!」
僕の声に、希望の色が滲む。ナスターシャ教授は、優しく頷いた。
「ええ。あなたのご両親は、ご無事です。今も隣の部屋で、休息を取ってもらっているわ」
「……そっか……よかった……」
全身から、ふっと力が抜けていくのを感じた。ここまででずっと胸の中にあった重い石が、ようやく取り除かれたようだった。心からの安堵に、僕は深いため息をつき、その場にへたり込みそうになった。
よろけた僕を、心配したマリアさんが手に肩を添えて支えてくれた。
「大丈夫?」
「マリアさん…ちょっと、ホッとしちゃって」
甲斐甲斐しく接してくるマリアさん。なぜか距離が近い。
「後でまた、あなたに頼みたいことがあるのだけれど……今はまず、ご両親に会って、安心させてあげなさい」
ナスターシャ教授の温かい言葉に、僕はこくりと頷いた。
「じゃあ、案内するデス! こっちデスよ、優斗さん!」
元気良く手を挙げた切歌さんが、僕の手をぐいっと引っ張る。隣の調さんも、どこか嬉しそうに、うずうずしているように見えた。
ナスターシャ教授が許可を出すと、切歌さんは僕を連れて部屋を飛び出していく。僕は出る直前、ナスターシャさん達に向かって、深く頭を下げた。
優斗たちが賑やかに部屋を出ていくと、院長室には穏やかな空気が流れた。ナスターシャは、安堵したように微笑むセレナの頭を、マリアが優しく撫でた。
「……よかったわね、セレナ。これで、少しは恩が返せるかしら」
「はい、マム……」
だが、その微笑ましい光景は、扉が再び開かれることで破られた。入ってきたのは、白衣を纏った、人の良さそうな笑みを浮かべる男――ドクター・ウェルだった。
「やあやあ、うまくいったようですね、教授。――して、あれが例の?」
ウェルは、優斗が出て行った扉の方に、値踏みするような視線を送る。先ほどまでの穏やかな空気が霧散し、ナスターシャ達の表情が険しくなった。
「ドクター。彼には、あまり干渉しないようにと伝えたはずよ」
「おや、人聞きの悪い。僕はただ、純粋な科学者としての興味を抱いているだけですよ。あのフィーネですら解明できなかった、運命に介入する料理……! もしそれが本当なら、ネフィリムの『餌』としてだけではなく、我々の計画に、そして僕、いえ、人類の未来に予想だにしない福音をもたらすかもしれない!」
その目は、純粋な探究心などではない。獲物を見つけた肉食獣のような、ぎらついた欲望に満ちていた。ナスターシャの警告など、彼の耳には届いていない。ウェルは、優斗という極上のサンプルを前に、今か今かと、自らのメスを入れる日を待ち焦がれていた。
優斗さんが、ご両親のいる部屋に入っていく。その扉が閉まるのを見届けて、私と切ちゃんは廊下の壁に寄りかかった。
「いやー、びっくりしたデス! マリア様もセレナも、あんなに綺麗な顔した人が命の恩人だって言うから、どんな人かと思ったデスよ!」
「……うん。優しい、人だった」
「デスよねー! しかもイケメン! ちょっと羨ましいデス!」
能天気に話す切ちゃんの横で、私は俯いた。胸の中に、鉛のような重い何かが沈んでいく。
「……どうしたんデスか? 調」
私の変化に気づいた切ちゃんが、心配そうに顔を覗き込んでくる。
「……やっぱり私たち、これでよかったのかなって」
「え?」
「優斗さんの力を借りるのが目的だったとしても……こんな、無理やりなやり方で、彼や彼の家族を巻き込んで……」
「そ、それはしょうがないデスよ!」
切ちゃんは、私の言葉を遮るように、必死に言葉を紡いだ。
「マムの病気を治すには、優斗さんの力が必要なんデス! 優斗さんの料理なら、きっとマムを元気にできるって、マリアも言ってたじゃないデスか!」
「……うん」
「それに、F.I.S.の研究所に囚われてる、みんなを助けるためでもあるんデス! 私たちの仲間を救うためだって分かれば、きっと優斗さんも、協力してくれるはずデスよ!」
切ちゃんの言葉は、いつもみたいに真っ直ぐで、一点の曇りもなかった。そうだ。私たちは、私たちの家族を守るために、ここにいる。そのために、彼の力が必要なんだ。
「……そうだよね。……それしか、ないんだよね」
自分に言い聞かせるように呟くと、切ちゃんは「そうデスよ!」と私の肩を明るく叩いた。その優しさに、私の口元から、くすり、と小さな笑みがこぼれた。
両親のいる部屋から出てくると、廊下で待ってくれていた調ちゃんと切歌ちゃんが、少し心配そうな顔でこちらを見ていた。
「どうでしたデスか?」
「うん。すごく心配されたし、たくさん謝られちゃったけど……でも、僕の方こそ、心配かけてごめんねって。お互い様だよって話をしてきたよ」
父さんも母さんも元気そうだった。何より、マリアさんたちが本当に丁重に扱ってくれていたことに、心から感謝していると言っていた。その事実が、僕の心を穏やかにしてくれた。
「それに、ここの皆さんが、僕たち家族を守るために動いてくれたことにも改めてありがとうって言ってたよ」
「えっへん! とーぜんデス!」
切歌ちゃんが、自分のことのように胸を張る。その隣で、調ちゃんも静かに、でも嬉しそうに言った。
「うん。優斗さんのお父さんとお母さんは……私たちにも、とても優しくしてくれた、いい人たちだもの」
その時だった。
きゅるるるる~~……。
静かな廊下に、可愛らしい音が響き渡った。音の発生源である切歌ちゃんが、照れくさそうにお腹を押さえる。
「あはは……。けっこー前から、なんも食べてないデス……」
「……私も、お腹すいた」
しょんぼりする切歌ちゃんの隣で、調ちゃんがぽつりと呟き、「おさんどんの用意、してくるね」と立ち上がろうとした。
その瞬間、僕の中で、一つの決意が固まった。
「あの、よかったら……僕に、作らせてもらえませんか?」
「「え?」」
僕の提案に、二人はきょとんとした顔で僕を見る。
「両親を助けてもらった、そのお礼です。ここの設備、少しお借りしてもいいでしょうか?」
了子さんから、僕の料理が普通じゃない、特別な効果を持つことは聞かされている。でも、それを抜きにして、僕はただ、恩を返したかった。
家族を、僕の大切なものを守ってくれた人たちに、僕にできる精一杯の感謝を伝えたかった。
恩には、恩を。仇には、……今はまだ、分からない。でも、これが僕の信念だった。
それに、僕は二課のみんなを信じている。奏ちゃんも、翼ちゃんも、クリスちゃんも。
待っててくれる響ちゃんも、未来ちゃんも、みんな、必ず僕を助けに来てくれる。その時まで、僕は僕にできることをして、精一杯生き残る。そして、またみんなと会うんだ。
「いいんデスか!? やったー!」
「じゃあ、マムたちも呼んでくるデス!」
僕の申し出に、二人は子供のようにはしゃいで喜んでくれた。切歌ちゃんは廊下を駆け出し、残った調さんが、少し照れたように「こっちだよ」と調理室を案内してくれた。
数十分後。
アジトの食堂らしき広い部屋のテーブルには、僕の作った料理が並んでいた。
調さんと切歌さんには、ハンバーグにエビフライ、ナポリタンに星形のポテト。旗の立ったチキンライスが主役の、お子様ランチを豪華にした『大人様ランチ』。
マリアさんとセレナさんには、香味野菜をじっくり煮込んだ特製ミートソースをたっぷりかけたスパゲティ。
そして、ナスターシャ教授には――。
「肉が好きで、野菜は苦手だと聞いたので。厚切りのステーキです。ソースは、食欲をそそるガーリック醤油で」
そのステーキの横には、艶やかに輝くオレンジ色の小さな塊が添えられている。
その時、食堂の入り口から、新たな人物が現れた。白衣を纏い、度の強そうな眼鏡をかけた、人の良さそうな笑みを浮かべた男性。
「ほう……。これがあのフィーネですら、原理の理解ができなかったという料理ですか」
彼は、ウェルさんと名乗った。マリアさんたちのシンフォギアの調整などを担当している、優秀な科学者らしい。
「ウェルさんの分もありますよ」
「いやいや、結構。ご存じないようですから教えてさしあげますが、僕は甘いものしか受け付けない体質でしてね。そういったものは、ちょっと」
そう言って部屋を出て行こうとする彼の背中に、僕は声をかけた。
「――なので、ウェルさんの分は特大のチョコレートパフェですけど……いりませんでしたか?」
僕がそう言いながら、厨房から人の顔よりも大きなパフェグラスを持ち出すと、ウェルさんの動きがピタリと止まった。
「……どうしたの、それ?」
マリアさんが、驚きを通り越して引き攣った表情で尋ねる。
「切歌ちゃんから、ドクターはとにかく甘いものが好きだって聞いたので。生クリームとチョコアイスをたっぷり使って、フルーツもたくさん乗せてみました」
シェアしてもいいですよ、と僕が言い終わる前に。ウェルさんは、いつの間にか空いている席に座っていた。
「……何をしているんですか? 早く、僕の前に運びなさい。僕のようなインテリジェンスの塊は、常に脳に糖分を供給する必要があるのですから」
その、あまりにしれっとした態度に、マリアさんたちはジト目で彼を見ていた。
「「「いただきます!」」」
元気な声と共に、食事は始まった。
マリアたちは、一口食べるごとに「美味しい……」「これは……」「おいしーデース!」「おいし…」と感嘆の声を漏らす。優斗の料理は、ただ美味しいだけではない。荒んでいた彼女たちの心と、戦いで疲弊した身体を、内側から優しく癒していく。
その中で一人、ナスターシャだけは、ステーキの肉だけを黙々と食べ進めていた。そして、最後にフォークの先に残ったのは、オレンジ色に輝く、人参のグラッセ。
彼女が野菜、特に人参を何年も口にしていないことは、ここにいる誰もが知っている事実だった。
「……一応、蜂蜜とバターでじっくり煮込んで、人参特有の風味はできるだけ消したつもりなんですけど……無理なら、残していただいても大丈夫ですよ」
優斗が、気遣わしげに声をかける。
ナスターシャは、フォークの上の人参と、優斗の顔を、交互に見た。
長年の、生理的な嫌悪感。
だが、それ以上に、科学者としての知的好奇心と、目の前の心優しい青年への、恩義と興味が勝った。
――セレナを救った、この奇跡の味。試してみる価値は、あるかもしれない。
覚悟を決め、彼女は目を閉じて、その人参をゆっくりと口に運んだ。
そして、数秒の咀嚼の後、静かに目を開き、一言。
「……意外と、いけますね」
その瞬間、食堂の空気が凍り付いた。
マリアも、セレナも、調も、切歌も、信じられないものを見る目でナスターシャを凝視している。
その沈黙を破ったのは、切歌の絶叫だった。
「マ、マ、マムが……! マムが、野菜を食べたデー―――ッス!!」
その声に、全員の驚きが爆発する。
「嘘……!?」
「マムが……!?」
「何年ぶりなの……!?」
まるで奇跡の目撃者となったかのように、少女たちはわなわなと震えながら驚いていた。そのあまりの反応に、優斗はさすがに不思議に思い、尋ねた。
「あの……ナスターシャさんって、今まで、どのような食事をされていたんですか……?」
少女たちの純粋すぎる驚きの視線を受け、偉大なる教授は、ほんの少しだけ、バツが悪そうに顔を赤らめるのだった。
そろそろ低評価とか来そうでビクビクしてる、本話にぶち込む技量がない作者のQ&A
Q、フィーネ余裕ありすぎでは?
A、エンキ生存はそれだけでかい。あと、1人でもどうにかなると思っています
Q、食材はどこから?
A、うろ覚え知識ですが、この頃は確かアジトに物資が補充されていて、資金もあったはずです。
Q、ウェルが素直
A、彼も久々の甘いものにウキウキしています
Q、優斗結構呑気だね
A、彼の中の辞書にある、疑う。の文字は修正液で消されています。