時期はすっかり夏に入り、さんさんと降り注ぐ日差しがアスファルトをじりじりと焼く今日この頃。
僕の営む喫茶店コモドは、夏休みに入った響ちゃんたちが毎日のように顔を出すせいで、かつてないほど賑やかな日々が続いていた。
その喧騒に反比例するように、ぴたりと来店が途絶えた少女がいる。キャロルちゃんだ。
「マスターは元気にやってますよぉ。最近はちょっと、こっちも立て込んでましてね」
「解決したら、また全員で派手に邪魔をする」
時折、一人で顔を見せるガリィちゃんやレイアさんに彼女の様子を尋ねても、返ってくるのはそんな言葉ばかり。僕は彼女らのために作ったお弁当を手渡しながら、ただ「いつでも待ってるよ」と伝えることしかできない。彼女が好きだと言ってくれたアッサムの茶葉を切らさないように、棚の在庫を確かめるのが最近の日課になっていた。
そんなある日の昼下がり。店のドアベルが鳴り、入ってきたのは此処では珍しい組み合わせだった。
S.O.N.G.の司令官である風鳴弦十郎さんと、彼の姪であり、僕の大切な親友でもある風鳴翼ちゃん。カウンターに並んで座る二人の表情は、いつもの快活さはなく、どこか硬い。
昨日、弦十郎さんから「翼と君のことで話がある」と電話があった。それで急遽設けたのが、この時間だ。
僕は黙って二人の前にアイスコーヒーのグラスを置く。カラ、と涼しげな音を立てる氷が、緊張した空気を少しだけ和らげてくれることを願って。
「それで…翼ちゃんのことで、お話があると聞いたんですが?」
僕が切り出すと、弦十郎さんが気まずそうに口を開きかけた。だが、それよりも早く、隣に座る翼ちゃんが凛とした声でそれを遮った。
「私から話すわ、叔父様。これは、私の…風鳴家の問題だから」
「翼…」
「優斗さん、聞いてくれるかしら。本当に、馬鹿げた話なのだけれど…」
翼ちゃんは一度目を伏せ、そして意を決したように顔を上げた。
「私の……祖父。風鳴訃堂という人がいるのだけれど、あなたと私を、婚約させようとしているの」
「えっ?」
理解が、追いつかない。婚約? 僕と、翼ちゃんが?
あまりのことに言葉を失う僕に、翼ちゃんは申し訳なさそうに説明を続けてくれた。
「どうして、僕が…?」
「君の力、なんだ。優斗くん」
今度は弦十郎さんが重々しく口を開いた。
「先のアメリカとの一件で、君の『特異促進食』の情報が…フィーネのレポートの件もあるだろうが…どこからか訃堂の耳に入ったらしい。親父は、君という存在そのものを、その力を、風鳴の内に取り込もうとしているんだ。だが、君は現在、S.O.N.G.の重要協力者として俺の直接指揮下にある。だから、表立っては手が出せない」
「そこで、私を使ったのよ」
翼ちゃんが悔しそうに唇を噛む。
「私を優斗さんと結婚させ、風鳴の家の一員として迎え入れることで、間接的に支配下に置こうとしている。あなたの意思なんて、最初から完全に無視して…!」
「家の騒動に、あなたを巻き込んでしまって…本当に、ごめんなさい…!」
深く、深く頭を下げる翼ちゃんに、僕は慌てて手を振った。
「そんな!翼ちゃんが謝ることじゃないよ! 頭を上げて」
「でも…!」
「僕は大丈夫。それに、翼ちゃんが望んでいないのなら、僕が勝手に頷くことなんて絶対にないから。気にしないで」
僕の言葉に、翼ちゃんは少しだけ安堵したように顔を上げた。その瞳が、わずかに潤んでいるように見えたのは、気のせいだろうか。
訃堂という人の身勝手さには腹が立つ。けれど、それ以上に、僕のために頭を下げてくれる親友の気持ちが、何より大切だった。
翼ちゃんは言う。今回の件は、自分たちで必ず解決すると。でも、その前に、彼女の父親である風鳴八紘さんが、僕に一度会ってみたいと願っているらしい。
「本当に、申し訳ないのだけれど…一度、家に来てはもらえないかしら。お父様も、今回のことを直接あなたに詫びたいと言っているの」
弦十郎さんや翼ちゃんの立場を考えれば、断る理由なんてなかった。
「分かった。僕でよければ、いつでも」
そう答えると、二人は心の底からほっとしたような表情を見せた。
数日後。僕は弦十郎さんが直々に運転する車に乗って、翼ちゃんと共に風鳴本家へと向かっていた。後部座席で揺られながら、その荘厳な門構えが見えてくる。まるで時代劇に出てくる屋敷のようだ。
「弦十郎さん、わざわざ送っていただいて、ありがとうございます」
膝の上に置いた、老舗の和菓子屋で買ったおはぎの箱を握りしめる。
「はっはっは、気にするな。たまの帰郷も悪くない。それに、俺も八紘兄貴と話しておきたいことがあったからな」
豪快に笑う弦十郎さんの隣で、翼ちゃんが少しだけ緊張した面持ちで窓の外を眺めていた。
「すごいお屋敷だね。翼ちゃんは、ずっとここに?」
「ええ。物心ついた頃から、ずっと。私にとっては、鳥籠のような場所だったけれど…今は、少しだけ違うかしら」
「違う?」
「ええ。帰る場所が、ここだけじゃなくなったから。あなたや奏、みんながいる…コモドも、S.O.N.G.も、今の私の、大切な居場所よ」
そう言って微笑む翼ちゃんの横顔は、とても綺麗だった。
車を降りると、僕たちの到着に気づいたのだろう。玄関から、抜き身の刀のような鋭い雰囲気を持つ男性が、数人の護衛を引き連れて現れた。年は三、四十代くらいだろうか。かけた眼鏡の奥の瞳は、全てを見通すように鋭いが、深く刻まれた皺の数々が、その年輪の重さを感じさせる。
「兄貴」
弦十郎さんが呟く。この人が、翼ちゃんのお父さんの、風鳴八紘さんか。
「お久しぶりです、お父様」
翼ちゃんが深々と頭を下げると、八紘さんの纏う空気がふっと柔らかくなった。
「ああ、よく帰ってきたな、翼。元気そうで何よりだ」
その声は、厳しさの中にも確かな愛情が滲んでいる。二人の仲は、決して険悪なものではないのだと、すぐに分かった。
翼ちゃんに紹介され、僕も慌てて挨拶をする。
「はじめまして、新城優斗と申します」
「君が、新城優斗くんか。話は聞いている。娘のことで、君には大変な迷惑をかけてしまった。本当に、申し訳ない」
八紘さんもまた、深く頭を下げた。この親子は、本当にそっくりだ。
美しい庭園が見える、静謐な広間に通された。大きな一枚板の机を挟み、八紘さんと向かい合うように座る。僕の隣には翼ちゃんが、その向かいには弦十郎さんが腰を下ろした。
早々にお土産のおはぎを渡すと、早速本題に入った。
話は、八紘さんの謝罪から始まった。それも、頭を土下座せんばかりの勢い下げてから。
「父である、訃堂の暴走で君という一個人の尊厳を踏みにじるような真似をしてしまった。風鳴家を代表して、心からお詫び申し上げる」
「や、やめてください、八紘さん! 顔を上げてください!」
慌てる僕に促され、八紘さんはゆっくりと顔を上げた。その表情は、深い悔恨に満ちていた。
彼は語る。祖父である風鳴訃堂は「護国の鬼」とも「外道」とも呼ばれる苛烈な人物であること。僕の力を知り、その影響力を危険視すると同時に、己の内に取り込もうと画策したこと。
「どうにか、ならないのでしょうか。それに、翼ちゃんの気持ちを無視するなんて…」
僕がそう尋ねると、弦十郎さんが真剣な表情で答えた。
「勿論、こちらで対処する。前も言った通り、優斗くんは俺の指揮下に入った。それにご両親の方も親父の管轄外で過ごして貰っている。だから現司令官である俺を無視して、親父が君に手を出すことはできん。必ず守り抜いてみせる」
「私も、内閣情報官という立場を最大限に利用しよう。奴の好きにはさせん」
八紘さんも力強く頷く。
それを聞いて、僕は少しだけ安堵した。そして、隣にいる翼ちゃんに向き直る。
「ごめんね、翼ちゃん。僕なんかが婚約者に当てがわれて…」
その言葉を口にした瞬間、翼ちゃんがむっとした表情で僕を見た。
「あなたという人は…! どうして、そう自分を卑下するのですか!」
「え?」
「優斗さんは分かっていない! あなたの作ってくれる料理が、あなたの存在が、どれだけ私や奏、クリスたち皆の助けになっているか! どれだけの奇跡を起こしてきたか! あなたは、私たちが命を懸けてでも守りたい、かけがえのない日常の宝物なの! それを、僕なんか、なんて言わないで!」
マシンガンのように繰り出される、褒め言葉混じりの説教に、僕はたじたじになる。顔が熱い。
「わ、分かった、分かったから! ありがとう、翼ちゃん!」
僕は少し恥ずかしくて、誤魔化すように話題を変えた。
「そ、それで八紘さん。お話というのは、この件だけでしょうか?」
まだ何か言いたげな翼ちゃんだったが、八紘さんの話の邪魔はできないと判断したのか、少し不満そうに口を噤んだ。
八紘さんは頷き、そして、改めて僕を真っ直ぐに見据えた。
「訃堂の件もあるが…もう一つ、君に直接、礼を言いたくて呼んだんだ」
彼は翼ちゃんに向き直る。
「翼。本当のことを、話してもいいか?」
翼ちゃんは、全てを覚悟したような強い瞳で、こくりと頷いた。
「実は、私と翼は、法的な戸籍上は親子だが、血縁上は違う」
八紘さんの告白に、僕は息を呑んだ。
「翼は…私の妻が、父である訃堂に手篭めにされて、産まれた子だ。つまり、私と弦十郎、そして翼は…腹違いの兄妹、ということになる」
あまりにも外道な行いに、言葉が出なかった。怒りよりも先に、深い悲しみが胸に広がる。
「私は…そんな経緯で生まれた翼を、最初は受け入れることができなかった。遠ざけ、疎むことでしか自分を保てなかった。翼には、何の罪もないというのに…」
八紘さんの声は、震えていた。それを心配そうに見る翼。
「だが、翼は変わった。奏くんと出会い、そして君と出会い、あの子は『風鳴の防人』という呪縛から解き放たれ、一人の人間として自分の道を歩み始めた。そんな娘の姿を見て、私ばかりが過去に囚われているわけにはいかんと、そう思ったんだ」
「お父様…」
「君が、君たちが、翼に、本当の居場所を与えてくれた。新城優斗くん、改めて心から感謝する」
八紘さんに続き翼ちゃんも言う。昔は険悪だった親子関係が、今では本当の親子のようだと。きっかけは奏との出会い、そして僕との出会いだと。
「みんながいたから、今の私がいます。本当に、ありがとう」
そう言って微笑む彼女の笑顔は、一点の曇りもなく、太陽のように輝いていた。
「それは翼ちゃんの努力の結果だよ。翼ちゃんがいたから奏ちゃんも今のままでいられるし、僕だってみんなと出会えた。だから、ありがとうはこっちのセリフだよ」
僕がそう返すと、八紘さんと弦十郎さんは、本当に微笑ましそうな、温かい目で僕たちを見ていた。
その時、ふと八紘さんが僕の顔をまじまじと見て言った。
「しかし…こうして見ると、君はやはり、光一朗殿によく似ているな」
「え? 光一朗って…僕のお爺ちゃんですよね…?」
「知っているとも」
弦十郎さんも、懐かしむように頷く。
「光一朗さんは、かつて風鳴家の専属料理人であり、武術家としては訃堂の弟子でもあった。俺も八紘兄貴も、よく稽古をつけてもらったものだ」
「ええっ!?」
「昔は何度も投げ飛ばされたな。懐かしい」
奏前にちゃん達の模擬戦を見た僕は、弦十郎さんが投げ飛ばされる姿なんて、想像もつかない。それと納得がいった事もある。奏ちゃんと初めて出会った日、お爺ちゃんと親しげに話していたのはこの繋がりがあったからだと。
「そういえば、この婚約の話、お爺ちゃんは…?」
僕が尋ねると、八紘さんは愉快そうに笑った。
「知っているとも。弦を経由して知った光一朗殿は、凄まじい勢いでこの屋敷に乗り込んできてな。訃堂に喧嘩を売りに行ったさ。聞けば、地形が変わるほど殴り合ったらしいがな」
(お爺ちゃん、一体何してるの…)
「父上が珍しく吹っ飛ばされているのを見て、実にスカッとしたよ」
八紘さんは涼しい顔で言う。僕は祖父がかけた迷惑を謝罪したが、どうやら八紘さんは気にしていないらしい。むしろ、体面としての罰だが、お爺ちゃんはしばらくの間、訃堂さんの監視も兼ねて専属料理人に戻っているそうだ。
だからか。珍しく怪我をしたお爺ちゃんが「心配するな、お爺ちゃんがなんとかしてやる」なんて息巻いていたのは。僕は深いため息を吐いた。
「そういえば翼、今でもあの日の部屋は、そっくりそのままにしてある。よかったら優斗くんと、ゆっくり休んでいくといい」
八紘さんの言葉に、翼ちゃんはにこやかに頷いた。だが、ふと何かに気づいたように首を傾げる。
「…あの日の部屋、ですか?」
「ああ、そうだとも」
翼ちゃんの顔から、すっと血の気が引いた。そして、僕たちに断りを入れると、何故か慌てた様子で広間から飛び出していった。
数秒後。
廊下からドタドタと大きな足音が聞こえてきたかと思うと、襖が勢いよく開け放たれた。そこに立っていたのは、顔を羞恥で真っ赤に染め上げた翼ちゃんだった。
「お父様! 部屋を今でも保ってくださったのはありがたいのですが! 本当にそっくりそのままにしておかなくてもよろしいじゃないですか!?」
「む? 翼がいつでも帰ってきて馴染めるように、綺麗にはしておいたはずだが?」
「確かに埃一つありませんでした! ですが、何も小物一つしまっていない、あの散らかった状態のままでなくても…!」
「昔からあの状態で平気で過ごしていたではないか。…ああ、心配はいらん。下着の類は、女中に清掃させてある」
「そういうことでは!ありません!!」
どうやら翼ちゃんの部屋は、彼女が出て行った日の、物が散らかった状態のまま、完璧に保存されていたらしい。
普通の親子のように大声で言い合う二人を見て、僕と弦十郎さんは、ただ苦笑いを浮かべることしかできなかった。
欧州某国。人里離れた山奥に存在する、パヴァリア光明結社のアジトの一つ。
オレ、キャロル・マールス・ディーンハイムは、協力関係になったフィーネ、そしてミカと共に、その研究施設を蹂躙していた。
「雑魚ばかりだゾ! もっと歯ごたえのある奴はいないのか!」
ミカが鉤爪、時にはカーボンロッドで錬金術師を薙ぎ払いながら叫ぶ。
「末端の構成員では、この程度でしょうね。数を揃えたところで、私たちの相手にはならないわ」
フィーネが優雅に腕を振り、巫女としてに能力だろう見えない力の刃が抵抗する者たちを切り裂いていく。
(こんなものか)
最後の抵抗勢力を炎で焼き払い、竜巻を起こしながら、オレは内心で舌打ちした。これだけ派手に動いているというのに、パヴァリアの反応が鈍すぎる。
オレがS.O.N.G.ではなくフィーネと手を組み、こうして公然とパヴァリアに牙を剥いているのは、奴らの目を、あの男――新城優斗から逸らすためだ。そして、オレ自身が、奴らにとって無視できない脅威であることを、改めて刻み込むためでもある。護衛としてガリィとレイアをコモドの近くに配置し、ファラには単独で情報収集を命じている。ミカを連れてきたのは、単純に一番戦闘力が高いからだ。
意外にもオレとフィーネの利害は一致している。フィーネは、自らの恋人エンキの復活に関わるかもしれない優斗を敵に渡す気はない。そしてオレは、オレの安息の地を、あの男との穏やかなひとときを、誰にも邪魔させたくない。
この時、気づいてはいないが、キャロルの中で、優斗の存在は、父イザークへの想いとは全く別の、新しい「愛する」という感情に変わりつつあった。
アジト内部の殲滅が終わり、建物の外に出る。
「さて、このアジトはどうするの? これだけ暴れて潰しても、幹部の連中は一向に向かってくる気配がないようだけど」
フィーネの問いに、オレは片手を虚空に突き出した。
「此処に残してもしょうがないだろう。……こうするか」
オレの錬成した魔法陣から、そこらの家よりも何倍も巨大な火球が出現する。
「マスター、カッコいいゾ!」
「あらあら、派手にやるわね」
無邪気にはしゃぐミカと、感心したように呟くフィーネを尻目に、オレは躊躇なく火球を放った。
轟音と共にアジトが爆炎に包まれる。生き残りがいたかもしれないが、知ったことか。オレの世界の復讐の炎は、まだ静かに燃えている。ただ、守るべき……いや、守りたいものができただけだ。あいつを脅かすなら、たとえ誰であろうと容赦はしない。
見せしめとして破壊したアジトがクレーターと化した平野から離れた所で、オレたちはブルーシートを広げて休憩していた。もうすぐ、ガリィが優斗の作った弁当を持ってくる手筈になっている。
「それにしても、奴らの動きが不気味ね。プレラーティは、あなたが記憶を取り戻したことをサンジェルマンたちに話していないのかしら」
「可能性はあるな。あのサンジェルマンという女は、妙に責任感の強い堅物だ。オレの裏切りの真意を知れば、まず確認のために飛んでくるはずだ。あいつは、何故だかオレのことを妙に気にしていたからな」
犠牲をなくすために、少なくない犠牲を厭わない女。そんなあいつが、優斗の存在を知れば、黙ってはいない。
なのに、こない。おそらくプレラーティが情報を止めているのは確かだ。サンジェルマンを敬愛した様子があった奴の事だ、手を煩わせない為に水面下で動く気だろう。オレ達が奴らを誘い出すためのアジト襲撃の行動しても、未だにオレ達の前に来ないのは報告を止めているからだろうな。
しかしオレたちはもういくつものアジトを潰してきた。そろそろトップのアダムに報告が上がるのも時間の問題だ。
だが、いまだに奴らの大きな動きはない。舐められているのか? …それとも、ほかに何か別の狙いが…?
思考を深く沈めて考えた、その時だった。
ジリリリリリリ……!
何もない平野に、場違いな電話のベルが鳴り響いた。いつの間にか、近くの岩の上に、見た目の古い旧式の電話機が置かれている。
(アダムのテレパスか)
オレは恐れることなく受話器を取り、耳に当てる。
『やあ、キャロル。久しいね。聞かせてもらってもいいかな?君がボクを裏切った理由をね』
「相変わらずの、エセ紳士然とした倒置法の喋り方か。…オレに、復讐よりも優先するものができた。ただ、それだけだ」
『ほう。イザークよりもかね?君の父親の』
「貴様に教える義理はない。アルカノイズ、テレポートジェムの改良、オートスコアラーのデータ。…これまでの協力の対価は十分に支払ったはずだ。オレがお前らに頼む事がない以上、オレに干渉するな」
オレがそう言って電話を切ろうとすると、アダムはクツクツと笑った。
『残念だよ。失うのは、ビジネスパートナーの、優秀な君をね。……それよりもキャロル。話がしたいのだが?君の後ろにいる、フィーネに』
オレは無言でフィーネに受話器を渡した。
フィーネはそれを受け取ると、優雅な仕草で耳に当てる。
「ごきげんよう、アダム。随分と余裕そうじゃないこと」
『…フィーネ…逃げネズミになった君が、今更何のようだい?忌々しい宿敵め』
「あら、落とし物の多いそそっかしいあなたが言えたことかしら? それに、ネズミに足元を掬われるのが、あなたのいつものパターンでしょう?」
フィーネの挑発に、アダムはフンと鼻を鳴らした。
『達者なことだ、減らず口だけは相変わらずね、滅びの巫女。して、今度はキャロルと手を組んだ様だね。滑稽の極みだ、寄生を繰り返すのは』
「少なくとも、自分の創造物すら守れない、どこかの“完璧な”誰かさんよりは、よほど見込みがあると思うけれど」
『……貴様』
アダムの息遣いが、一瞬荒くなる。フィーネは畳み掛けた。
「ねえ、アダム。あなたの言う“完璧”とは、一体何かしら? 理想の通りに進まなければ癇癪を起こし、自分の価値を証明するためだけに他者を踏み躙る。そんなものが、本当に“完璧”と呼べるのかしらね」
「私は、あなたとは違う。ようやく見つけたのよ。完璧ではなくともこの手で守り抜くに値する、ささやかで、どうしようもなく温かい輝きを」
その言葉は、隣で息を詰めて聞き入いっていたオレにも、そして電話の向こうのアダムにも、明確な意志として伝わった。それは、フィーネが過去の復讐から完全に脱却し、新たな目的――受け入れてくれた仲間を守り、エンキを救うこと――に己の全てを懸けるという決意表明だった。
『…くだらないね』
アダムは、フィーネの変節を一笑に付した。彼の興味は、もはやフィーネの過去にも現在にもない。
無意識に放つアダムの苛立ちが、電話機越しに伝わってくる。
『まあいい。こちらも相応の対応をさせてもらさ、君たちがボクに牙を剥くというのならね。まとめて相手になるさ、このボクが神の力を得て完全となった暁に』
一方的にそう告げると、電話機は霞のように掻き消えた。
「「はぁ…」」
オレとフィーネは、同時に深いため息を吐いた。
面倒な奴が、いよいよ本格的に動き出す。
その時、空間が歪み、魔法陣からガリィがテレポートジェムで現れた。その手には、見慣れたバスケットが提げられている。
「マスター! お待ちしましたぁ!」
「ガリィ! 遅いゾ!」
ガリィの姿を認めたミカが、喜んで彼女に抱きついた。
「ちょっと、ベタベタするんじゃねえよ! 鬱陶しい!」
そう言いながらも、ガリィはミカの頭を押さえつけて引き剥がそうとする。しかしミカは意に返さない。
フィーネがガリィに優斗の様子を尋ねると、「特に何も。平和そのものでしたわ」と退屈そうに報告した。
「ああ、つまらないつまらなーい。ファラちゃんと交代してくださいよぅ、マスターぁ」
「断る。お前の能力は、いざという時に優斗を連れて逃げるのに最も有用だ」
「ちぇー」
頬を膨らませるガリィからバスケットを受け取り、中身を広げる。ふわりと、優斗の店の匂いがした。
サンドイッチと、魔法瓶に入った熱い紅茶。そしてデザートのクッキーが二種類。
早速サンドイッチを頬張る。うん、美味い。あの男の作るものは、どうしてこうも心を落ち着かせるのか。最近食事機能をつけたミカも、ガリィに食べさせてもらってご満悦だ。
その時、フィーネが恨めしそうな顔でこちらを見ていることに気づいた。そしてガリィに話しかけた。
「…ねえ、ガリィちゃん……私の分は?」
「はぁ? あるわけないじゃないですか。頼まれたのはマスターと、この食いしん坊の分だけです」
ガリィがしれっと言うと、フィーネの顔がひきつった。
「そ、そんな…! ねえ、キャロルちゃーん?その、一口だけ…」
「断る」
「お願い! 巫女だってお腹は空くのよ!」
「それが先史文明の巫女の言うことか! この食い意地の張った女め!」
「なんですってぇ!」
ギャーギャーと騒ぐ二人を横目に、ガリィは2人の取っ組み合いを見て面白そうにくすくす笑っている。
「止めなくていいのカ?」
「いいんだよ。見ていて面白いから」
ああ、そうだ。
こんな、馬鹿馬鹿しくて、どうしようもなく温かい時間。それを思い出させてくれた優斗。お前を守るためなら、オレは、神だろうが悪魔だろうと、敵に回してやる。
貼り付くフィーネを蹴飛ばしたオレはもう一度、優斗の作ったサンドイッチを、ゆっくりと味わいながら、そう固く誓った。
書きたい事が多いけど表現が難しい、本話にぶち込む技量がない作者のQ&A
Q、八紘さん。翼と仲がいいね
A、原作と比較すると、まだ普通の夢見る女の子の翼に早めに絆されました。もし翼が優斗を異性として好いていた場合、訃堂から守った上で仲を取り持つ可能性があります
Q、優斗の祖父、光一朗は強いの?
A、まあまあ強いです。現時点の弦十郎には敵いませんが、少なくとも訃堂と殴り合うくらいです
Q、キャロルは何をしているの?
A、居場所がわからない幹部の3人を炙り出し、叩く為に、フィーネの過去の記録、S.O.N.G.の機能を弦十郎の許可の元収集したデータと単独行動中のファラによって分かったアジトの居場所の情報を元に、テレポートジェムで移動、襲撃を繰り返してます。
Q、ミカ達も食べれる様になっている?
A、はい。味覚はキャロルをベースに、食べた物を胃に当たる部分で分解されるパーツに切り替えました。分解した際、謎のエネルギーに変換され、キャロルは思い出を供給する必要がなくなりました。味の好みはキャロルの影響か、全員甘いものが好みです。