ハッピーエンドに向かうには   作:内海空洞

33 / 71
遅れてしまい申し訳ない気持ちで一杯です。なんとかモチベーションがギリ復活したので更新させて貰いました。


雨音は、告白の足音/魔女達の盤上

クリスの、決意に満ちた告白から数日が過ぎた。

あれから優斗とクリス。二人の関係は、目に見えるほどに……は、変わらなかった。

 

日常はこれまでと同じように、穏やかに流れていく。

 

だが、水面下では確かな変化が起きていた。クリスが、優斗との距離感を意識的に、そして大胆に縮め始めたのだ。

それはまるで、これまで優斗から受けた数え切れないほどの優しさを、今度は自分が返していくのだという、彼女なりの愛の伝え方だった。

 

世話を焼き、隣に立ち、そして時折、不意に距離を詰める。

照れを残しつつもぐいぐいと迫るクリスと、それにたじたじになる優斗。

その微笑ましい光景は、事情を知る常連客たちの間で、コモドの新たな名物となりつつあった。

 

クリスのその積極的な姿は、当然、他の乙女たちにも火をつけた。

 

マリアは、海外での公演やシンフォギアでの活動の合間を縫って、優斗のためだけにブレンドしてもらったという特別な紅茶葉を手に店を訪れる。

 

未来は、学校帰りに「今日の夕飯のお手伝いに来ました」と、ごく自然にカウンターの中に入り、優斗の隣を確保する。

 

奏は、仕事の打ち合わせを無理やりコモドでセッティングし、その流れで居座るのが常套手段となっていた。

 

結果として、皆が自ずとコモドに集まる時間が増えた。

 

しかし、そこにギスギスとした雰囲気はまるでない。元々の仲が良い彼女たちにとって、それはまるで賑やかなお祭りのようだった。

 

「優斗、ほら、じっとしてろって。ネクタイが曲がってる」

 

クリスが優斗の胸元に手を伸ばし、甲斐甲斐しく身なりを整える。その距離の近さに、優斗は少しだけ頬を赤らめた。

 

「あ、ありがとう、クリスちゃん」

「ふふん、これくらい当然だろ」

 

得意げに胸を張るクリス。

そこへ、マリアが優雅な仕草で紙袋を差し出した。

 

「優斗、少し休憩なさい。あなたのために、特別に取り寄せた特別な茶葉なの。きっと、疲れが癒えるわ」

「わ、ありがとうございますマリアさん。うん、いい香り…」

「ええ、あなたのための香りよ」

 

にっこりと微笑むマリアの言葉には、クリスへの明確な牽制が含まれている。

 

「おーおー、やってるねぇ二人とも」

 

テーブル席でその様子を見ていた奏が、ニヤニヤしながら口を挟んだ。

 

「優斗ー! あたしとケーキ、一緒に食べようぜ! ほら、あーん」

「ちょ、奏ちゃん! さすがにそれは…!」

 

奏がフォークに刺したショートケーキをぐいっと優斗の口元に突き出す。

 

「貴方達、少しは慎んだらどう?優斗さんが困っているでしょう」

 

カウンターの端でコーヒーを飲んでいた翼が、呆れたようにため息をついた。

 

「翼さんの言う通りデス! 優斗さんを困らせちゃダメなんデスよ!」

「でも、みんなすごく楽しそう…」

 

切歌と調も、翼に続いて嗜める言葉を発するが、面白そうにその光景を眺めている。

 

「むむっ。マリア姉さんも優斗さんに、あーん、しましょう!此処にケーキもありますから!」

「ち、ちょっとセレナ!?」

 

マリアの押しが弱いと思ったのか、面白がるセレナがマリアにアドバイスと表して背中を押していく。

 

優斗は完全に乙女たちの愛情の渦の中心で、前世を含めた人生でも初めての出来事にどうしていいか分からず目を回していた。

 

「うぅ…み、未来ちゃーん、助けてー…」

 

ついに、優斗からSOSが飛ぶ。

 

その言葉を待っていたかのように、今まで静かに成り行きを見守っていた未来が、すくりと立ち上がった。彼女はクリス、マリア、奏の三人を一瞥し、その瞳には「あなたたちの出番は終わりです」という静かな圧が宿っている。

 

「優斗さん、そろそろ夕飯の仕込みの時間ですよね。わたし、お手伝いします。さ、行きましょう」

 

そう言うと、未来は優斗の手をごく自然に取り、彼をキッチンの奥へと誘った。

 

「あ、ありがとう未来ちゃん…助かったよ…」

「いいえ。当然のことです」

 

頼りにされたことがよほど嬉しかったのか、未来の口元は綻び、足取りは軽い。

 

「行けー!未来ー! お兄ちゃんを独り占めしちゃえー!」

 

その後ろ姿に、響が満面の笑みで拳を突き上げ、エールを送った。そのあまりにも和やかで、賑やかで、そして少しだけ火花の散る光景に、店内にいた誰もが、幸せそうな笑みを浮かべていた。

 

 

 

晴れ続きであった毎日の合間を拭って今日は、生憎の大雨だった。

 

バケツをひっくり返したような、という表現が生ぬるく感じるほどの豪雨。テレビのニュースでは、海辺や川に近い地域に洪水警報が出ていると、アナウンサーが緊迫した声で伝えている。

 

朝からS.O.N.G.本部で訓練に参加していたクリスちゃんも、この雨では帰宅は困難だろう。『今夜は本部に泊まる』と、先ほど残念そうに連絡があった。

 

そのせいで、店内には珍しく僕一人きりだ。

がらん、とした空間に、窓ガラスを叩きつける雨音だけが、やけに大きく響いている。

外の景色は、分厚い雨のカーテンに覆い隠され、何も見えない。

 

お客様も、さすがにこの天気では誰も来ないだろう。店を閉めてしまってもいいのだが、もしかしたら雨宿りに駆け込んでくる人がいるかもしれない。そう思うと、なかなか閉めるに閉められなかった。

 

カウンターの隅には、いつでも使えるようにと、乾いたタオルを山積みにしている。

暇になってしまった時間を潰すために、新しいコーヒー豆の焙煎具合を研究する事にした。

雨音をBGMに、豆が爆ぜる音と、立ち上る香ばしい匂いに集中していると、不思議と心が落ち着いてきた。

 

我ながら、上出来だ。と、1人感心する。

 

完成した一杯をテイスティングし、この深いコクと柔らかな酸味に合うお茶請けは何だろうか、と思考を巡らせていた、その時だった。

 

ふと、窓の外に人影が見えた。店の軒先、雨が直接当たらない僅かなスペースに、誰かが佇んでいる。

 

雨宿りだろうか。

 

しかし、その姿には見覚えがあった。

 

窓越しに見える、燃えるような朱色。ボリュームのある、特徴的な髪。

 

間違いない。

 

「奏ちゃん…?」

 

ツヴァイウィングの片翼にして、かけがえのない親友。天羽奏、その人だった。

いつもなら、店のドアを勢いよく開けて「よっ、優斗! 来てやったぜ!」なんて言いながら、自分の家のように入ってくるのに。

 

どうして、外に?

 

疑問に思いながらも、僕は慌てて店の入り口へと向かった。

 

ドアを開けると、そこにいた奏ちゃんは、雨でずぶ濡れだった。夏の盛りとはいえ、雨に打たれた体は寒そうに、小さく震えているように見える。

 

「どうしたんだい? 奏ちゃん」

 

普段の彼女からは想像もつかない、か弱いその姿に、僕は心配で思わず眉をひそめた。

しかし、彼女から返ってきたのは、予想外の言葉だった。

 

「あっ、優斗。……じゃなかった。ゔんっ…すいません、此処に雨宿りで使わせてもらってるだけなんです…ましになったらすぐに行きますんで…」

 

僕の姿を見て、一瞬ぱっと顔を輝かせた奏ちゃん。だが、すぐにわざとらしく表情を曇らせ、他人行儀な口調でそう言った。

その演技は、あまりにも拙く、表情もどこかとぼけたような茶目っ気が隠しきれていない。

 

心配していた僕は、あっけに取られてしまった。

 

こんな大雨の中、ずぶ濡れで、初対面を取り繕うなんて、一体どうして。

そう思った瞬間、ふと、脳裏にある光景がよぎった。

 

初めて、彼女と出会った、あの日のことが。

そこで、僕は全てを察した。

 

ああ、そうか。奏ちゃんは、あの時の再現をしているんだ。

どんな意図があるのかまでは分からない。でも、なんだか、無性に楽しくなってしまった。

せっかくだ。彼女の茶番に、乗ってあげよう。

 

「もうこっちも店じまいするところなんですよー。それに、奏ちゃ……君がそんなに濡れているのを、見て見ぬふりはできませんからー」

 

自分でも分かるくらい、大根役者のようなわざとらしい口調で、僕は奏ちゃんの背後に回る。

そして、その小さな背中を、優しく店の中へと押した。

奏ちゃんも、それが予定調和だったかのように、されるがままに店内へと入っていく。

 

「さあ、まずはこれで体を拭いて。すぐにお風呂、沸かすから」

 

僕は用意していたタオルを彼女に渡し、急いで風呂の準備に向かう。

その間に、奏ちゃんは濡れた髪と体を大雑把に拭い、カウンターの席にちょこんと腰を下ろした。

 

「お待たせ……さて、何をお飲みになりますか? 紅茶? 緑茶? それともココア?」

 

戻ってきた僕は演技を続け、喫茶店のマスターとして彼女にメニューを尋ねる。

一方の奏ちゃんは、もう演技は終わりとばかりに、いつもの調子で注文した。

 

「じゃあココアを頼むぜ」

 

雨音だけが静かに響く中、僕は彼女のためだけに、一杯のココアを丁寧に作り上げていく。

湯気を立てる温かなマグカップを、彼女の前にそっと置いた。

 

それを受け取る彼女の姿を見て、僕は懐かしさに浸る。

あの時の奏ちゃんは、本当に、触れただけで消えてしまいそうなほど、弱々しくて、儚かった。

その彼女が今や、どんな困難も跳ね除けるほどの強さと、そして優しさを持った、立派な女性になったのだ。

しみじみと感傷に浸っていると、奏ちゃんが声をかけてきた。

 

「なあなあ、優斗」

「なんだい?」

 

両手のひらで、彼女は自分の口元を隠している。しかし、その目が楽しそうに細められていることから、笑っているのが分かった。

 

「ひげ」

「くふっ」

 

隠していた手をどかすと、彼女の上唇には、ココアの泡が、まるで立派な口ひげのように付いていた。

その不意打ちに、僕は思わず笑ってしまった。

 

「……ゔうんっ!……また懐かしいことをするね。思わず笑っちゃったよ」

「へっへー。あん時の事はまだ忘れてなかったのさ」

 

何年もかけた、彼女からの可愛い仕返し。

昔、そんなこともあったなと、僕の心は温かいもので満たされていった。

 

 

 

その頃、とあるスタジオの楽屋。

 

収録を終えた風鳴翼は、テーブルに置かれた一枚の書き置きを、破れる寸前の力で握りしめていた。

その後ろでは、マネージャーの緒川慎次が、苦笑いを浮かべて佇んでいる。

肝心の書き置きの内容は、こうだ。

 

『ごっめーん。急に用事が入ったから、先にドロンさせてもらうんで後はシクヨロっ♪ PS.翼のプリン間違えて食べちゃった。メンゴメンゴ』

 

あまりにもふざけきったその内容に、翼の肩がワナワナと怒りで震える。

 

「か・な・でぇぇぇええええ!!」

 

ついに抑えきれなくなった怒りが、絶叫となって楽屋に響き渡った。

 

(確執のあった了子さんとの仲が深まったのは喜ばしいことですが…決して真似してほしくないところまで、そっくりになってしまいましたね…)

 

現在出張していることになっているであろう櫻井了子の、良くない部分まで受け継いでしまった奏の将来を、慎次は本気で不安に思うのだった。

 

 

 

風呂から上がり、すっかり温まった奏ちゃんと、リビングのソファに並んで座る。

テレビでは、特に面白くもないバラエティ番組が流れていた。

晩御飯まで、まだ少し時間がある。

 

「そういや、突然ここに来たのはいいけど、時間とか大丈夫? 最近忙しいって愚痴っていたけれど」

「へーきへーき。今日は軽い収録だけだったし。…それに書き置きもしてあるし、大丈夫さ」

 

大丈夫じゃない未来が、僕にはっきりと見えた。

 

部が悪いと思ったのか、誤魔化す様に話題を変えた奏ちゃん

 

「実はさ、シンフォギア。あ、特撮の方な。続編が決まったんだよ」

「そうなの? まあ、大人気だもんね。面白いし、最終回もまさかあんな終わり方をするなんて」

「あれなー。最後にボスの手を取るシーンな、土壇場でああなったんだよ。…実は相手のボス、フィーネ状態の了子さんがモチーフなんだぜ」

「え、そうなの!? 許可もそうだけど、了子さんよく怒らなかったね」

「なぜかノリノリだった。キャラを作るのにクリスにも色々聞いてなー? ……鬱憤が溜まってたみたいでさ、そらもうボロクソに言いまくってたな」

「…とりあえずクリスちゃんは、今度僕が労っておくよ」

「あっ、それはずるい! 主役のあたしを労る心はないのかなー?」

「じゃあ、今度好きな料理のリクエストを聞くよ。それでいい?」

「んー。今はそれでいいや」

 

奏ちゃんとの会話は、尽きることがない。

話が盛り上がるたびに、ソファに並んで座る二人の距離が、少しずつ、少しずつ近づいていく。

 

「この前マリアちゃんが言っていたけど、切歌ちゃんたちの金遣いが荒くなったって愚痴ってたよ」

「あ、あー……あれな? ゲーセンに遊びに行った時にUFOキャッチャーを予算五千円でどれだけ取れるかって、競争したんだよ。勿論あたしの奢りで。そしたらさ、切歌より調の方がはまっちまったみたいで、今でもマリアに内緒でちょくちょくみんなを連れ回してんだ」

「…あんまり、変な事を覚えさせない方がいい、と言ったらいいのかな? まあ、今まで普通に遊べなかった反動だからしょうがないのかなあ」

「だろ? 年頃の女の子は遊んで当然だぜ。ちなみにセレナもマリアに内緒でこっそり遊んでいるぜ? あとはマリアだけさ」

「程ほどにしといてね?」

「じゃあ、優斗も一緒に行こうぜ? そうしたら考えてやるさ」

 

彼女の近況報告を、僕は楽しく聞いていた。

 

「そうそう、水着をこの前買ったんだ。これで誘ってくれた旅行に行けるけど…本当に良いの?」

「いいっていいって。S.O.N.G.での社内旅行扱いだけど、実際は身内の集まりみたいなもんだからな。優斗も臨時とはいえ食堂で働いただろ? それに、おっさんも優斗だけじゃなく響ちゃんと未来ちゃんの分まで許可を出してくれたし。色々屁理屈こねて決まったけど、こうなるとただ遊びに行く様なもんさ」

「それは本当にありがとうだよ。実は海に行くのは子供の時以来だから、結構楽しみにしてたんだ」

「あたしも。撮影なんかで行くこともあったけど、遊んだりは出来なかったしな。…新しい水着をあたしも買ったんだ、楽しみにしてろよ」

 

気づけば、二人の肩が触れ合うくらい、距離はゼロになっていた。

 

そのまま、奏ちゃんは僕の肩に、こてん、と頭を乗せるように寄りかかってきた。

自然と会話が途切れ、部屋の中には、窓を打つ雨音と、テレビの音だけが響く。

奏ちゃんは、小さく深呼吸をすると、思い切ったように、僕に尋ねた。

 

「…なあ……クリスから、言われたんだろ?」

「…うん」

 

その問いかけに含まれた真剣な響きに、僕は前の出来事を思い出し、神妙に頷く。

ここまで、真っ直ぐな好意をぶつけられて、知らないふりなど、もうできなかった。

好き。

それは、親愛の感情ではない。異性として、一人の男として、向けられたものだ。

 

「優斗は気づいていなかったけど、あたしが優斗に向けた今までの好きは、全部本当。ちょっとは意識しろって思ったりもした。」

「…でもさ、今一歩進むのに怖気付いた心も少しあったんだ。だから、ずるずると優斗の優しさに甘えてさ…」

 

何処かで言った墓を共にしたい、とまで言った彼女の言葉。あれも、本気だったのだ。

 

「なのにライバルは未来だけだと思ってたら、クリスにマリアに…どんどん増えてったし。全くこのすけこましめ」

「ごめんなさい…?」

 

僕の肩に、ぐりぐりと頭を擦り付けて抗議する彼女に、自覚のない僕は困惑しながら謝るしかない。

 

「この際だし、言っちまうか」

 

そう言うと、奏ちゃんは体を起こし、僕の方に向き直る。

そして、ためらうことなく、僕の膝の上に、すとん、と腰を下ろした。

 

「―――っ!」

 

膝から伝わる、彼女の柔らかな感触と、温もり。

異性を、意識し始めた僕の体には、それはまるで甘い毒のように、全身を蝕んでいく。

心臓が、早鐘を打つ。体温が、急激に上がっていくのが分かる。

何より、頬を赤らめながらも、真っ直ぐに僕を見つめる、彼女の真剣な表情。

その美しさに、僕は見惚れて、動けなくなってしまった。

 

「優斗が……欲しい」

「誰よりも、あたしの隣にいてほしい」

「何よりも、あたしを見てほしい」

 

「どんな事よりも、あたしに夢中になってほしい」

 

「かなでちゃ…」

 

彼女の全てが籠った、魂の告白。

圧倒され、顔を真っ赤にしたまま固まる僕に、彼女の顔が、ゆっくりと近づいてくる。

気恥ずかしさと、ほんの少しの嬉しさが混じった羞恥心で、僕は、ぎゅっと目を瞑った。

しかし、いつまで経っても、唇に柔らかい感触は訪れない。

代わりに、頬に、ふに、と温かいものが触れただけだった。

 

「へ…?」

 

自惚れていたわけではないが、キスをされると思ってしまった僕は、恐る恐る目を開ける。

そこにいたのは、そっぽを向きながら、今の僕に負けないくらい、顔を真っ赤に染めた奏ちゃんだった。

彼女は一度、ふぅ、と息を整えると、改めて僕に言った。

 

「今は、これくらいで我慢する。してやる。…本当のキスは、全てを手に入れてからにするさ」

 

 

「……覚悟しろよ?」

 

 

「その…お手柔らかに……?」

 

未だにパニックから抜け出せない僕の、間抜けな返事に、奏ちゃんは、ぷっと吹き出して笑った。

そして、そのまま僕の体に、ぎゅっと抱きついてくる。

体全体がぴったりとくっつき、お互いの激しい鼓動が、ダイレクトに伝わってきた。

突然のハグに、僕の体はさらに硬直する。

 

(この時間が、ずっと続けばいいな)

 

奏が人知れずそう思った、その時だった。

 

ピンポーン、と、静かな家に、無粋なインターホンの音が鳴り響いた。

 

「か、奏ちゃん。誰かが来たみたいだから、少し離れてくれないかな?」

「……ちっ」

 

いい雰囲気を台無しにされた、奏ちゃんの機嫌が一気に急降下する。

彼女から聞こえた盛大な舌打ちを、僕は聞こえないふりをして、心なしか急いで玄関へと向かった。

 

「はい。どなた様でしょ…う……か…」

 

扉を開けた先にいた人物を見て、僕の出迎えの言葉は、どんどん尻すぼみになっていく。

 

なぜなら、そこにいたのは。

 

「夜分遅くにすまない、優斗さん」

 

後ろにマネージャーの慎次さんを従え、にっこりと、それはもう綺麗に微笑む、一人の女性。

 

「奏のバカは、ここにいるか?」

 

その笑顔とは裏腹に、額には、隠しきれていない怒りの青筋が、くっきりと浮かび上がっていた。

 

防人モードに入った風鳴翼、その人だった。

 

 

 

その後、翼さんに腕ずくで部屋から引きずり出されながら「あとちょっとで行けたのにー!」と、奏ちゃんは最後までごねていた。

しかし、翼さんはそれを完全に無視。

挙げ句の果てに、彼女の首筋に手刀を一つ。ぐったりと意識を失った奏ちゃんを、米俵のように雑に担ぎ上げた。

慎次さんが、深々と僕に頭を下げて謝罪する。

僕は、嵐のように去っていく彼らを、ただ呆然と、手を振って見送ることしかできなかった。

 

 

 

一方、チフォージュ・シャトーでは。

 

「ぷっ…くくく…あっはははは!」

 

空間投影されたモニターの前で、フィーネが大爆笑していた。

その横では、キャロルが腕を組み、不機嫌そうに、しかしどこか面白そうに、口の端を吊り上げている。

さらにその隣では、エルフナインが両手で真っ赤になった顔を隠しているが、指の隙間から、モニターの映像をチラチラと覗き見ていた。

 

映し出されているのは、つい先ほどの、優斗たちの家での出来事の全てだった。

ローテーションで行われる優斗の監視任務。今日は、ガリィの担当だった。

この一部始終を目撃した彼女が、面白がってキャロルたちに報告したところ、フィーネが悪ノリし「ぜひ見たい」と言い出したのだ。

 

キャロルも、万が一の事態に備えるという名目と、単純に優斗の顔が見たくなったという本音から、それを許可したのだった。

 

エルフナインは完全にとばっちりだったが、いざ始まると、自分から見れば遥かに大人な男女のやり取りに、ドキドキしながら夢中になってしまっていた。

 

「っはー……笑ったわ。奏ちゃんも惜しいわねぇ。あとちょっと押したら、行けたかもしれないのに」

 

笑いすぎて滲んだ涙を、フィーネが指で拭う。

 

「ふん。優斗があの程度で落ちるものか」

 

キャロルの声には、なぜか少しだけ安堵の色が混じっていた。

 

「とはいっても、優斗くんがキスされそうになった時に、ものすごく慌てていたのはどちら様かしら?」

「ええい、うるさい! ……優斗の奴…この一件が落ち着いたら、このオレの魅力で、絶対に釘付けにしてやる。それにファウストローブを使えば、奴らのスタイルとも互角。取るに足らんわ」

 

ふふん、と虚勢を張るキャロル。その態度を、フィーネは軽くため息をついて受け流す。

 

「まあ、わたしは奏ちゃんを応援させてもらうけれど。……エルフナインちゃん、そろそろ落ち着いたらどうかしら」

「あわわ……あれが、大人の恋愛…!」

 

まだ夢見心地なエルフナインに、フィーネは近くにいたレイアを呼び、彼女を部屋に連れて行くよう頼んだ。

 

エルフナインたちが部屋を去り、静寂が戻った司令室。

 

先程までの和やかな、それでいて少しだけ気まずい空気は霧散し、二人の魔女の間には、硝煙の匂いすら感じさせるような、張り詰めた緊張感が満ちた。

フィーネは、面白がるような笑みを消し、冷徹な分析者の顔でキャロルに問いかける。

 

「で、どの辺りで勝負をつけるのかしら、キャロル? さすがに、このまま世界中のアジトを潰し回るわけにもいかないでしょう」

「そろそろだな」

 

キャロルはモニター消えた空間に視線を向けたまま、短く答えた。

 

「下からの突き上げで、上も動かざるを得なくなる。問題は、誰が来るか。理想を掲げるサンジェルマンの三人か、あるいは救世主を気取るアダムか」

 

フィーネは、その言葉に「ふふ」と小さく笑った。

 

「アダムの可能性は低いわ。あの男は尊大な態度をしているけれど、その本質は矮小なもの。ああ見えてみみっちいところがあるのよ。自らが玉座から降りてくるのは、全ての障害が取り除かれ、勝利が確約された、最後の最後だけ。泥仕合には降臨しないつもりよ」

「だろうな。奴のやり方は、常に駒を動かし、敵を消耗させ、漁夫の利を得る。今回もそのつもりだったのだろうが」

 

キャロルの言葉には、明確な侮蔑が込められていた。

 

「奴らの想定を、オレたちの機動力と破壊力が遥かに上回った。それだけのことだ」

 

世界各国に点在するアジト。通常ならば、それらを同時に叩くことなど不可能だ。しかし、キャロルには空間を転移する錬金術の秘蹟「テレポートジェム」がある。

 

移動のタイムロスを完全に無視した神出鬼没の連続攻撃は、パヴァリアの組織網を根底から揺るがしていた。

 

「では、奴らが取りうる次の手は限られてくるわね」

 

フィーネは指を折りながら、可能性を一つずつ吟味していく。

 

「まず、チフォージュ・シャトーへの総攻撃。でも、これはない。奴らは影の組織。公に大規模な戦闘行為を行うのは、自らの存在を世界に暴露するようなもの。それに、あなたと、そしてS.O.N.G.に情報を流しているこのわたしの戦力を、奴らは正確に把握できていない。リスクが高すぎるわ」

 

「政府を動かすのも無意味だ」

 

キャロルがフィーネの言葉を引き継ぐ。

 

「S.O.N.G.相手なら有効な手だが、国籍も持たぬ個人のオレに、政治的圧力が何になる。愚の骨頂だな」

「優斗くんへの追加の刺客も、もう送れないでしょうね。これまで送った駒は、S.O.N.G.か、あるいはわたしたちが影で全て処理してきた。人質としての価値も、揺動としての効果も、もはや期待できない」

 

全ての可能性が、一つ、また一つと潰れていく。

 

そして、残された唯一の選択肢。

 

「ふん。奴らから、停戦を持ちかけてくるだろうな」

 

キャロルは、確信を持って言い切った。

フィーネも、静かに頷く。

 

「ええ。そして、その交渉役として現れるのは…」

「サンジェルマンだろう」

 

二人の予想は、寸分の狂いもなく一致していた。

 

「おそらく、プレラーティはここまでの被害を想定していなかった。サンジェルマンたちには、キャロルの真の目的…つまり、優斗くんという一個人を守るためだけに動いているという事実を、隠していたはずよ。自分の失態を認めたくないという、つまらないプライドのためにね」

 

「だが、この被害だ。もはや隠し通せる規模ではない。サンジェルマン自身が、プレラーティとカリオストロを問い詰め、全ての裏を知った。そう考えるのが自然だ」

 

「サンジェルマンは、理想主義者でありながら、同時に冷徹な現実主義者でもあるわ。無意味な戦いで消耗するのは、彼女が目指す『人類の救済』から最も遠い行為。ならば、彼女は動く。アダムを説得し、この不毛な争いを一時的にでも止めるために」

「交渉のカードは、『新城優斗の不可侵』。それを奴らが約束する限り、オレはパヴァリアが何をしようと関知しない。そういう取引だ」

 

それは、二人の魔女が描いた、完璧なまでの未来予測図。

パヴァリア光明結社という組織の在り方、そしてそこに所属する幹部たちの性格までをも完全に読み切った、冷徹な戦略。

盤上の駒は、全て動き、あるべき場所へと収まろうとしている。

 

「そら、来たぞ」

 

キャロルが静かに言った、その瞬間。

消されていた空間投影モニターに、ノイズと共に新たな映像が浮かび上がった。

通信要求のシグナル。発信源は、パヴァリア光明結社。

 

『久しぶりだな、キャロル』

 

モニターに映し出されたのは、波打つ白銀の髪を青いリボンで結んだ、男装の麗人。

その青の瞳は、強い決意の色を宿していた。

 

パヴァリア幹部にして現代に生きる高位の錬金術師。

 

サンジェルマン、その人だった。




未だにキャラクターを掴むのに難儀している、本話にぶち込む技量がない作者のQ&A

Q、優斗周りはなんでギスギスしていないの?
A、お互いが、こいつなら選ばれても仕方ないか。と認め合っている所もあります。最悪、側にいてワンチャンあるかな?とか思ったりする事もあるとか。というか付き合った程度では諦めないと勝手に作者は思っています。

Q、奏が収録を先にブッチして翼のプリンを食べたからといって、此処までキレるか?
A、八紘から送られた6個セットで10,000円を超えるプリンを全部食われました。翼は今回の収録が終わったらご褒美に、奏と分け合って食べようしていました。ですが、翼も奏の恋路を邪魔してしまったのも事実なので、お互いに謝ってこの件はチャラにしたそうです。

Q、パヴァリアぼっこぼこにされてますね。
A、容赦とか遠慮とか配慮とか躊躇とかがないキャロルとフィーネ。刺客も策略も全て潰されてしまい、プレラーティからしたらちょっかいかけたら噛み付くどころか噛みちぎられたし、協力したカリオストロはこの惨状を見て逆に諦めてしまいました。流石にサンジェルマンも2人に詰めてしまいます。その時の2人はだいぶしょぼくれていたそうです。アダムも過去のフィーネの所業にほんの少しのトラウマがあり、サンジェルマンが意見を言った時には、態度に出ていませんがホッとしたそうです。

優斗にこれ以上ヒロインはいる?

  • いる
  • いらない
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。