ハッピーエンドに向かうには   作:内海空洞

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今回は説明回。もしかしたらもう1話続くかも。




戦姫絶唱シンフォギアAXZ編
月面出張、喫茶コモドです


喫茶店「コモド」の居住スペースには、平和な喧騒と香ばしくも柔らかな紅茶の匂いが漂っていた。

しかし、静かな雰囲気を壊すように、リビングのソファを占領するように寝転がったクリスは、バリボリと音を立てて煎餅を齧りながら、目の前のテレビ画面で繰り広げられる激闘を眺めていた。そこには、コントローラーを握りしめ、まるで戦場にいるかのような叫び声を上げる切歌と響の姿がある。

 

しかし、クリスの意識の半分は、そのすぐ横で穏やかに行われているティータイムの会話に向けられていた。

 

「最近、出動が増えたみたいだけど、大丈夫?」

「大丈夫。マリア達がここ最近チャリティーコンサートで出向いて不在だけど、マネージャーのセレナの代わりに、緒川さんがサポートしてくれているからなんとかなっているよ」

 

以前は敬語で話していた二人だが、今はもうその垣根はない。共に日常を過ごし、時には同じ食卓を囲む中で育まれた信頼関係が、湯気の向こうで交わされる砕けた口調に表れていた。

クリスは口の中の欠片を飲み下し、新しい袋を破りながら会話に割り込んだ。

 

「むぐむぐ……先輩達もたいへんだよなぁ。ライブ、コンサート、握手会に地方営業。さらには装者としての活躍だろ? アタシ達も学校があるけど、任務があればそれも免除だしな」

「行儀悪いよ、クリス」

「うわーっ! 負けたー!」

「やったデス! 調ぇ! 敵は取ったデスよ!」

 

未来のたしなめる声は、響の絶叫と切歌の歓喜の雄叫びにかき消された。

画面には無情な「GAME OVER」の文字が点滅し、フローリングに投げ出された響の手足がバタバタと悔しさを表現する。その騒がしさが、今のコモドの日常だった。

 

「あ〜あ、せっかく連勝続きだったのになあ……こんな時にお兄ちゃんがいたら、代わりにやってもらうんだけど」

「しょうがないよ響。だって優斗さんは今……」

 

響の不満げな呟きを聞き、未来はふと手元のカップから視線を外し、天井を見上げた。

そこにあるのは白い漆喰の天井だけだが、彼女の瞳はそのさらに向こう、大気圏を超えた遥か彼方の暗闇を映しているようだった。

 

「月にいるんだもの」

 

 

 

 

 

視界一杯に広がるのは、無機質な灰色の荒野と、その頭上で宝石のように輝く青い星。

何を言っているか分からないかもしれないけれど、父さん、母さん。僕は今――

 

「へぇ〜、月の上ってこんな感じなのね」

 

――月の上にいます。

 

景色に見とれる僕の耳元から聞こえる、宇宙服の通信機越しに聞こえる音声には、どこか浮ついた響きがあった。

了子さん――今はフィーネとしての記憶と姿を持つ彼女が、ブーツの底で軽く月面を蹴り、無重力に近い浮遊感を楽しんでいる。

 

「知らなかったのか?」

「流石に月を『破壊』したいとは思っても、『行きたい』とは思わなかったのよねぇ。あの時はとにかく、バラルに関わる全てが憎かったからかしら?」

「普通の感性なら行きたいと思っても破壊したいと思わないワケダ。先史文明の巫女でも長く生きると何処かおかしくなるワケダ」

 

呆れたようなプレラーティちゃんの声に、サンジェルマンさんが苦笑交じりに割って入る。

 

「そう言うなプレラーティ。フィーネも想い人に会える可能性に浮足立っているのだろう……そうだな、私たちも長生きだからな、そう、目的ために周りが見えなくなって、他をさげすろにしていって······おかしいのは私も同じなのだろうな……うっ」

「ごっ、ごめん! そんなつもりはないワケダ! サンジェルマン!」

 

言ってる内に、自分と被るのを自覚してしまい、自爆して徐々に落ち込んでいくサンジェルマンさんを励ますプレラーティちゃん。そんな彼女たちの軽口を聞きながら、僕は改めて目の前の光景に圧倒されていた。

かつて見上げた夜空の月。そこに自分が立ち、逆に地球を見下ろしているという事実は、言葉にできない感動と同時に、足元の心許なさを感じさせる。

 

「っと、うわわっ!」

 

感傷に浸ろうとした瞬間、パワーアシスト機能付きの宇宙服が過剰に反応してしまった。

ほんの少し爪先で地面を押しただけなのに、身体がふわりと宙に浮き上がり、バランスを失って回転しかける。

 

「む、優斗、 気をつけろ。ここは地上とは重力が違う、無理をするな……ほ、ほら、手を貸せ!」

 

叫んだのは、キャロルちゃんだった。

彼女はすかさず、身に纏った、紫色の特殊装甲――ファウストローブの機能で浮かして僕に接近すると、その小さな手で僕の腕を掴み、強引に月の大地へと引き戻した。

慣性の法則に従い、僕の身体は彼女の胸へと飛び込む形になる。

 

「――っ!?」

 

考えている宇宙服より薄いとはいえ、まだまだ厚手な宇宙服越しでも、彼女の華奢な身体がしっかりと僕を受け止めてくれたのが分かった。

至近距離で見上げたキャロルちゃんの顔が、ヘルメットのバイザー越しに赤く染まっていく。

 

「ごめんね、キャロルちゃん。……それと、ありがとう」

「……ふん。これくらい造作もない」

 

彼女はプイと顔を背けたが、握られた手は離されなかった。

その様子を、ニヤニヤと見守る視線が一つ。

 

「おっ、キャロル。月の上でおててを繋いで、ロマンチックなデートなワケダ。お顔を真っ赤にしてお熱いことだな。ひゅーひゅー」

「う、うるさいっ!」

「ほらほら、遊んでいないで、もう行くわよ。遺跡の場所は近いんだから」

 

プレラーティちゃんのからかいにキャロルちゃんが噛みつき、それを了子さんが急かす。

まるで遠足に来たような賑やかさだが、僕以外の彼女たちが纏っているのは最新鋭の錬金術が生み出した決戦兵器だ。

 

「……ところで、どうだ? フィーネ。そのファウストローブの着心地は」

「悪くないわ。長く研究して、時には身にも纏っていたもの、とても馴染むわ。流石は稀代の錬金術師、と褒めるしかないわね」

 

了子さんが身につけているのは、聖遺物『ネフシュタンの鎧』の欠片を基に再構築されたファウストローブ。生身で宇宙空間に耐えるその性能に、僕は改めて息を呑んだ。

 

「でも、本当に宇宙空間で生身なのに、平気なんですね。その、キャロルちゃんの物や、了子さん達が着けている、ファウストローブっていう装備は。はー、すごいですね……」

「ふふん、当然だ。今回はエルフナインの手を借りたとはいえ、元はこのオレが一から手がけた物。生半可な物では比べるのもおこがましい」

 

僕の純粋な感嘆に、キャロルちゃんは誇らしげに胸を張る。

「悪くない」と言いたげな表情だが、口元の緩みは隠せていない。

 

「悔しいが、この技術においてはキャロルに軍配が上がるワケダ」

 

月面という非日常の極みで繰り広げられる、あまりに日常的な会話。

なぜ僕が月の上にいるのか。なぜ、かつて敵対していたらしいサンジェルマンさんたちと一緒なのか。

その理由を語るには、数日前まで時間を遡る必要がある。

 

 

 

 

 

日本の平和を影から支える守護者たちの拠点、S.O.N.G.本部。その実態は、深海を無音で航行する巨大な潜水艦である。

 

「コモド」の暖簾を一時的に降ろし、僕は急遽、店を臨時休業とした。理由は、了子さんからの、「今後の運命に関わる重大な話がある」という呼び出しだ。

 

案内役の緒川さんに連れられ、僕は狭く無機質な艦内の通路を歩いていた。分厚い隔壁の向こうから聞こえるのは、分厚い鋼鉄によって囲まれて反響する、僕らの足音だけ。

 

「この時間帯だと未来ちゃん達学生は、学校に。奏ちゃん達社会人は、外で活動中ですね」

「ええ。本艦に残っているのは、万が一のスクランブルに備えて待機しているセレナさんくらいでしょうか。静かなものです」

 

緒川さんの背中は、いつものように頼もしく、隙がない。

並んで歩く足音が、鉄の床にカツカツと心地よい音がする。

 

普段なら賑やかな少女たちの笑い声が響くこの場所も、今は深海の水圧に押し潰されそうなほどの静寂に包まれていた。彼女たちがいないS.O.N.G.は、やはり公的な組織なのだと再認識させられる。

ある一室の前で、緒川さんが足を止めた。重厚な電子ロックが施されたその部屋は、了子さんが入り浸っている研究区画だ。

 

「失礼します」

 

緒川さんの入室の合図と共に、気密扉が油圧の音を立ててスライドする。

そこは、最先端の科学設備と、古めかしい資料が乱雑に混在するカオスな空間だった。特有の薬品臭と、何処から持ち出したか分からない古い紙の匂いが鼻を突く。

 

「では、これで失礼します。あとは司令もここに来ますので、了子さん、あとはお願いします」

「まっかせてちょうだ〜い!」

 

緒川さんが部屋から退出する。見回した部屋の中には、何故かハイテンションの了子さんと、最近ここで研究三昧だというキャロルちゃん、そしてエルフナインちゃんがいた。

 

「こんにちは了子さん。何やら話があるって聞きましたけど」

「いらっしゃい優斗くん。ええ、ええ! そうなのよ! 今日は私にとって、ぜぇええっったい!! 喜ばしい日だわ!」

 

僕が挨拶をするやいなや、了子さんは子供のように歓声を上げた。

 

普段のおちゃめながらも冷静沈着な、あるいは妖艶な彼女の面影はどこへやら。キャスター付きのオフィスチェアに座ったまま、くるくるとその場で回転し、遠心力で白衣をなびかせている。高笑いでも始めそうだ。

 

以前、自動人形のファラさんが「主が研究に没頭しすぎて健康に支障が出る」と心配していたが、これは別の意味で影響がでて、心配になる光景だ。

 

「こんにちは、キャロルちゃん、エルフナインちゃん。……了子さん、どうしたの?」

「こんにちは優斗さん。ええと、今日会った時からずっとこんな様子でして……」

「大方、やっと日程が決まって浮き足立っているのだろう。やかましくて仕方がない」

 

エルフナインちゃんは困り果てた苦笑いを浮かべ、キャロルちゃんは腕を組み、心底鬱陶しそうに眉をひそめている。どうやらこの騒ぎは、僕が来る前から続いていたらしい。

理由を尋ねようとしたその時、背後の扉が再び開き、風を纏うようにして大柄な影が入ってきた。

 

「すまない、待たせたな」

「お久しぶりです、弦十郎さん」

 

S.O.N.G.司令官、風鳴弦十郎さんだ。

その足取りは少し速く、急いで駆けつけてくれたことが分かる。威圧感のある巨体だが、僕に向ける眼差しは常に温かい。

 

「ここの所会えなくてすまないな。忙しいだろうに、優斗くんもよく来てくれた」

「気にしないでください。もし気にするようでしたら、今度コーヒーを飲みに来てください。配合がうまくいったので、ぜひ感想を聞かせてください」

「分かった。喜んで足を運ぶとするさ」

 

多忙を極める司令官への配慮と、僕自身がここへ来ることを苦にしていないという意思表示。

それを察してくれた弦十郎さんは、父親のような笑顔で「コーヒー」という次の約束を結んでくれた。その一言だけで、張り詰めていた空気が少しだけ緩む。

 

「こほん……じゃあ、始めるわ。それと、今回に必要なゲストもいるから、まずは紹介からかしら」

 

必要な役者が揃ったことで、了子さんはようやく回転を止め、咳払いを一つ。

乱れた白衣の襟を直すと、瞬時に科学者の顔へと戻る。彼女は手元のコンソールを流れるような手つきで操作し、部屋の壁際に設置された空間投影モニターを起動させた。

空間にノイズが走り、電子音と共に四角い光の枠が浮かび上がる。

通信回線が繋がり、鮮明になった映像には、一人の人物がこちらを見据えて佇んでいた。

 

『どうやら時間は合っているらしい。……これで全員か?』

「そうよ」

『では、改めて自己紹介をしよう。私の名前はサンジェルマン。パヴァリア光明結社で幹部をやらせてもらっている』

 

モニター越しでも伝わる、圧倒的な知性と気品。

中世の貴族を思わせる軍服のような衣装に身を包み、腰まで届く長い髪を揺らすその姿は、一言で表すなら「男装の麗人」だった。

鋭い眼光は冷徹さを帯びているが、その奥には長い年月を生き抜いてきた者特有の、深淵な哲学と情熱が静かに燃えているように見えた。

 

彼女こそが、サンジェルマン。

かつてキャロルちゃんが僕に為に敵対し、今は停戦協定を結んでいる組織の幹部。

 

画面の中の彼女は、品定めをするように僕たちを一瞥すると、優雅に一礼して見せた。

 

最初に反応を示したのは、やはり司令官である弦十郎さん。

彼は映画愛好家であり、古今東西の歴史や伝承にも造詣が深い。その名は、単なる敵対組織の幹部名として聞き流すにはあまりにも有名すぎたのだ。

 

「サンジェルマン……? それは確か、18世紀のヨーロッパ社交界に現れ、数々の歴史の裏で暗躍したとされる怪人物の名だ。時空を超えて生き続けるとも言われる伝説の伯爵。……だとすれば」

 

弦十郎さんの喉がごくりと鳴る音が、静まり返った研究室に響いた。

モニターの向こうの男装の麗人は、その問いかけを予期していたかのように、優雅に顎を引いて肯定する。

数百年という時間を生き抜いてきた者だけが持つ、重厚で冷ややかなプレッシャーが、映像回線を通じて肌を刺すようだった。

 

『そうだ、私がそのサンジェルマンで間違いない。お前たちが知っているのは、表舞台に少しの間出ていた私の断片的な記録……ほんの少しに過ぎないが』

「なるほど……。錬金術によって長き時を生きる存在。キャロルくんの様な人物が他に実在していたとはな」

 

弦十郎さんが腕を組み、納得と共に警戒心を新たにする。

 

その重苦しい空気の中で、モニターの中のサンジェルマンさんの視線が、不意に弦十郎さんから僕へと移った。その冷徹な眼差しが一瞬だけ揺らぎ、気まずさのようなものが過ったように見えた。

 

『新城優斗……だな。まず、君に謝罪しなければならない』

 

結論から述べられた予期せぬ言葉に、僕は首を傾げた。モニターの中のサンジェルマンさんが、その頭を画面越しに深く下げたのだ。

 

『私の部下であるプレラーティが、君の身柄を狙い、危険に晒した。結社の幹部として、心から詫びよう』

 

ひたすらに悔恨の念が入った謝罪に、僕は慌てて言葉を挟んだ。

 

「あ、頭を上げてください、サンジェルマンさん! 僕は気にしてませんから!」

『しかし、君を標的にしたのは事実だ。力を持っただとはいえ、無関係の民間人を巻き込むなど······』

 

サンジェルマンさんがそう告げるが、僕は本当に気にしてはいなかった。何故なら···

 

「だって、僕は何も被害を受けてないですから。それに……」

 

冷たい金属の床に響くような、誠実で重い懺悔の声。僕はそれを遮るように慌てて両手を振り、隣に立ってくれている少女へ視線を向けた。

彼女から漂う微かな甘い香りが、僕を安心させてくれれた。僕が今ここで無事に立っていられるのは、彼女が命懸けで守ってくれたからこその結果だ。

 

「実際に立ち向かって、対処してくれたのはキャロルちゃんです。彼女が身を挺して話をまとめてくれたのに、安全なところにいた僕があれこれ言う権利なんてありません」

 

だから、と僕は彼女を安心させるために、できるだけ柔らかく微笑んで見せた。

 

「僕からは、あなたを許します。もう解決して、終わったことですから」

『…………っ』

 

画面越しのサンジェルマンは、ふっと息を呑んだ。

 

何百年もの間、裏社会の泥水をすすり、裏切りと憎悪に塗れてきた彼女にとって、一切の打算がない純粋な許しの言葉は、あまりに眩しすぎたのだろう。

肩の力が抜け、彼女の纏っていた張り詰めた空気がふわりと霧散していくのが分かった。

 

「それに、さっき弦十郎さんにも言ったんですけど……よかったら、うちの喫茶店に来てください」

『……喫茶店?』

「はい。サンジェルマンさんも、その、色々な立場やお仕事で、すごく疲れているんじゃないかって思うんです。コーヒーでも紅茶でも、なんでも淹れますよ。仕事仲間でも、お友達でも連れてきて、ゆっくり癒されに来てください」

 

コモドの温かい照明と、サイフォンから立ち上る琥珀色の湯気を思い浮かべる。誰であっても、一息つける場所でありたい。祖父から受け継いだその想いは、相手が高名な錬金術師であっても変わらない。

 

「その時に、いっぱいお話ししましょう。戦いじゃなくて、美味しいお茶を飲みながら」

『…………ふふっ。ああ、そうだな。是非行かせてもらうわ』

 

沈黙の後、サンジェルマンの口元が綻び、重い鎧が外れたような美しい笑顔が咲いた。一人称が「私」に、そして口調もどこか年相応の女性らしい、柔らかなものに変わっている。

 

「なっ……!?」

 

その瞬間、隣で空気が爆発したように揺れた。キャロルちゃんだ。

彼女の鋭い視線は、サンジェルマンの瞳の奥に宿った明らかな「熱」――僕に対する無意識の情の萌芽を、決して逃さなかったのだ。

 

「おいコラ! 何を勝手に店に誘っているんだ優斗! サンジェルマン、お前もだ! 停戦中とはいえ、気安く馴れ合うつもりはないぞ! ほら、さっさと本題に入れ、本題に!」

 

キャロルちゃんは顔を真っ赤にして、僕とモニターの間に割り込むようにして叫び、無理やり話を終わらせようと手をバタバタと振る。

 

小声でブツブツと呪詛のように愚痴る彼女の小さな背中は、明確にサンジェルマンを『恋の敵』として危険視し、威嚇していた。

 

「だから優斗は無自覚に人を惹きつけるのだ……本当に油断も隙もない。ただでさえ、敵は多いのに、オレの安息の地をこれ以上荒らされてたまるか……」

「ふふ、キャロル、顔が真っ赤です」

「やれやれ、相変わらず優斗くんは凄いわねぇ」

 

一人で焦り、僕を背中に庇うように立つキャロルちゃんを、エルフナインちゃんと了子さんが微笑ましそうに眺めている。

 

何が何やら分からない僕をよそに、了子さんがパンと手を叩いて場を引き締めた。

 

「さて、場の空気もすっかり解れたところで……本題に入りましょうか。今回のパヴァリア光明結社との停戦協定……その条件の一つが、これよ」

 

了子さんが操作したパネルに、新たな画像が表示される。そこに映し出されたのは、荒涼とした灰色の台地と、無数のクレーター。

 

紛れもない、「月」の映像だった。

 

「月の遺跡……」

「ええ。サンジェルマンと私、そしてキャロルの間で交わされた条件の内一つ。それは『月の遺跡の共同探索』よ」

『あそこには私、いや我々が求める答えがある。だが、結社の他の者……特に局長であるアダムには知られるわけにはいかない。ゆえに、このメンツになる』

 

サンジェルマンの言葉を引き継ぎ、了子さんが今回の遠征メンバーを発表する。

 

向こうからはサンジェルマンさんと、その同志であるプレラーティさん。こちらからは了子さんとキャロルちゃん。

 

そして――了子さんは真っ直ぐに僕を指差した。

 

「そして、この探索には優斗くん、貴方の同行が不可欠なの」

「……優斗くんが? 待ってくれ、了子くん。優斗くんは協力者とはいえ民間人だ。月面などという過酷な環境に、彼を連れて行くリスクは大きすぎる」

 

即座に異を唱えたのは弦十郎さんだった。

大人として、そしてS.O.N.G.の責任者として、僕を危険に晒すことには敏感だ。しかし、了子さんは首を横に振り、声を潜めるようにして身を乗り出した。

 

その仕草は、ここが盗聴不可能な潜水艦の密室であることを再確認させるような、極めて秘匿性の高い空気を醸し出していた。

 

「弦十郎くん、エルフナインちゃん。……ここだけの話にしておいてね。これは、そう、例えるなら国家機密レベルにも匹敵する話よ」

「……?」

「優斗くんの料理……『運命介入食』。あれがなぜ、聖遺物の適合係数を上げたり、人の運命を変えるほどの奇跡を起こせるのか。……それは彼の力が、この世界の理屈ではない、『神の力』に由来するものだからよ」

 

一瞬、思考が停止した。

エルフナインちゃんが息を呑み、弦十郎さんが目を見開く。当の僕でさえ、他から聞かされると自分の耳を疑う。

 

「か、神の力……? 優斗さんの料理が、ですか?」

「ええ。彼自身が、時空を超えて漂着した特異点。……そして、月の遺跡の封印を解くための、唯一無二の『鍵』でもあるの」

「僕が……鍵?」

 

了子さんの言葉は、あまりにも現実離れしていた。

けれど、彼女の瞳に迷いはない。僕に宿る力が、まさか月の遺跡を開く鍵だなんて。

 

重苦しい沈黙が落ちる中、ただキャロルちゃんだけが「ようやく話したか」といった顔で、静かに腕を組んでいたキャロルちゃんが真っ直ぐに僕を見据えた。その瞳には、錬金術師としての鋭い知性が光っている。

 

「何故、月の遺跡に優斗が必要なのかは分かっている。あくまで仮説だがな。しかし優斗、その前に、お前の事情を聞かせてもらう必要がある」

「……了子さん?」

 

僕の視線は自然と、モニター横の彼女へ向いた。

彼女が口にした「事情」とは、間違いなく僕の根幹に関わる秘密のことだ。僕がかつて命を落とし、空間の狭間で異世界の神・ナガルサガクさんに出会い、転生させてもらったという事実。それを知っているのは、以前直接打ち明けた了子さんだけである。

こくり。了子さんは静かに頷いた。ここにいる面々になら話しても大丈夫だという、確かな信頼がその仕草に込められていた。

 

正直、誰かに話す日が来るとは思っていなかった。もし話すとしても、それは未来ちゃんや響ちゃんたち、家族のように過ごしてきた幼馴染たちが先だと考えていたからだ。けれど、フィーネである了子さんは見つかったものの、もう一人の探し人であるエンキさんはまだ見つかっていない。ナガルサガクさんとの約束を果たすためにも、ここは避けて通れない道だった。

一度深く息を吸い込み、潜水艦内の冷たい空気を肺に満たす。意を決して、僕は静かに過去を紡ぎ始めた。

 

「……信じられないかもしれないけど、聞いてください。僕は元々、別の平行世界にいた人間なんです」

「別の世界……? それは、どういうことだ?」

「暴走した車から、見知らぬ親子を庇って……その、死んでしまいまして。······でも、魂だけが偶然、空間の狭間に迷い込んでしまったんです」

 

驚きで息を呑むエルフナインちゃんと、眉をひそめる弦十郎さん。モニター越しのサンジェルマンさんも絶句している中、僕は言葉を続けた。

 

「そこで、ナガルサガクという神様に出会いました。彼女は自分が囚われている牢獄から脱出し、この世界に戻るため、僕の魂を『アンカー』……道標のような役割にする代わりに、力をくれて、この世界に転生させてくれたんです。その時、エンキとフィーネという二人の情報を探してほしいと頼まれました」

 

僕が話した内容は、決して長くはなかった。

語り終えた後、静まり返った室内で、反応ははっきりと分かれた。当然知っている了子さんは平然としていたが、弦十郎さんとエルフナインちゃん、そしてサンジェルマンさんは驚愕に目を見開いている。

 

そんな中で、キャロルちゃんだけは全くの無反応だった。

 

「ふん。生まれがどうだろうと、どうでもいいことだ」

「キャロルちゃん……」

「オレも錬金術で、擬似的に生き返りを繰り返している身だ。優斗だけが特別おかしいわけではないだろう。お前はお前だ」

「そうよねぇ。私も延命の為に転生しているし。変な言い方だけど、ここには転生仲間が2人もいるもの。それが3人になっただけの話」

 

あっけらかんと言い放つキャロルちゃんの言葉は、ぶっきらぼうなようでいて、何よりも僕の存在を丸ごと肯定してくれる温かさがあった。

 

あっさりと言い放つ了子さんの言葉は、飄々としながらも、1人ではないと認めてくれる優しさを感じた。

 

「そうです! 優斗さんは……そんなすごい力を持っていても、決して悪用したりせず、ずっと私たちを支え続けてくれた、立派な人です!」

 

エルフナインちゃんも、キャロルちゃんの言葉に勇気づけられたように身を乗り出し、真っ直ぐな瞳で肯定してくれた。その優しさに、少し胸の奥が熱くなる。

そんな僕の頭に、ぽん、と大きくて分厚い手が乗せられた。弦十郎さんだ。

 

「……一人の大人としては、文字通り死ぬような目に遭う無茶をしたことは、決して良いとは言えん」

 

厳しい声音の奥には、僕が一度命を落としたことへの深い気遣いと痛みが滲んでいた。彼はいつも、僕たち若い世代の命を第一に考えてくれている。

 

「大人の立場としては言いにくいが……男として言わせてくれ。よく頑張ったな、優斗くん」

「……はい。ありがとうございます」

 

温かい手のひらでゆっくりと撫でられ、僕は照れくささと安心感で少しだけ笑った。

 

その穏やかなやり取りを、モニターの向こうのサンジェルマンさんは静かに見つめている。彼女の鋭い瞳は何かを深く思案するように伏せられており、錬金術師としての深い思考の海に沈んでいるようだった。

 

『だが、新城優斗が遺跡探索に必要な理由は何だ?鍵だとして、どんな関係がある?』

 

事情を聞いたサンジェルマンさんの純粋な疑問。それに答えたのは了子さんだった。

 

了子さんが再びコンソールを叩くと、モニターには月面に眠る巨大な建造物が映し出された。

静まり返った研究室に、彼女の冷徹ながらもどこか熱を帯びた声が響き渡る。

 

「結論から言うわね。月の遺跡……カストディアンの遺産を起動させるには、この世界の物理法則を超えた『認証』が必要なの。そして、その最適任者が優斗くんなのよ」

 

了子さんは僕の隣まで歩み寄ると、その華奢な指先で僕の胸元を軽く指し示した。

そこには肉眼では見えない、けれど彼女たちには優斗の手料理で感じ取れた「神」の残滓が眠っている。

 

「まず第一に、優斗くんは女神ナガルサガクから直接力を授かった転生者であるということ。その力……『運命介入食』を生み出す根源が神の力由来であるなら、同じく神に近い存在が手掛けた月の遺跡が、彼の波動に反応する可能性は極めて高いわ」

「神の力による、遺跡の直接認証……ということですか?」

 

エルフナインちゃんが身を乗り出し、解析モニターに表示された数値を確認する。

了子さんは、そうよ、と深く頷き、さらに核心へと踏み込んだ。

 

「何より決定的なのは、優斗くんがナガルサガクから『私』と『エンキ』……両名の探索を託されている点よ。ナガルサガクが彼に二人を探させたからには、再会した際に何らかの『仕掛け』が発動するよう、優斗くんの魂そのものにシステム上のプロトコルが組み込まれている可能性が非常に高いの」

 

その説明を聞き、弦十郎さんは深く眉間に皺を寄せ、サンジェルマンさんは納得したように目を細めた。

僕自身、自分の魂にそんな重大なパスワードが隠されているなんて思いもしなかったけれど、了子さんの言葉には抗いようのない説得力があった。

 

「つまり、優斗くんは単なる観測者かつアンカーじゃない。遺跡という巨大な金庫を開けるための、生きた『マスターキー』なのよ」

 

了子さんの断言に対し、室内を支配したのは、期待と不安が混ざり合った重苦しい沈黙だった。

 

僕が月の扉を開く鍵。その重責に指先が少し震えたが、隣に立つキャロルちゃんの「心配するな」と言いたげな不敵な笑みが、不思議と僕の心を落ち着かせてくれた。

 

 

 




テンポよく会話シーンを書けるようになりたい、本話にぶち込む技量がない作者のQ&A

Q、響達は暇なの?
A、暇です。原作の事件がほとんど潰れたので、何かしらの危機があるわけではなく、訓練などはそんな多くはない。弦十郎がそもそも子供は平和な日常を過ごして欲しいと考えていますので、あっても、特異な事件や災害救助などでしか出させないようにしています。

Q、サンジェルマンはコモドに行くの?
A、はい。その機会があったら、割とうきうきしながら行きます。それとなんですが、優斗に引かれる人の特徴に、日々にくたびれ、癒しを求める年上の女性が多いです。なので、今のサンジェルマンにとって、思いやりのある人の多い優斗の周りはとても癒しになります。ただでさえ、上司のアダムに無茶振りされ、部下のやらかしに頭を抱えることが多いこの頃は、内心のストレスがすごいことになっています。

Q、プレラーティは何処に?
A、今回の月に行くために必要なラピス抜きファウストローブの技術をキャロルから資料と材料の一部を渡されており、
自室で必死に調整中です。ちなみにキャロルが渡した資料はワザととわかりづらくなっていて、プレラーティは現在、唸り声と、キャロルのへ悪態を吐きながら頭を抱えて作業に取り掛かっています。

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