ハッピーエンドに向かうには   作:内海空洞

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アイデアが湧き出て指が軽い…!こんな気持ちで書くの初めて。もう何も怖くない…!


………低評価以外は!


不完全だからこそ、明日へ手を伸ばせる

 

――月面遺跡、最深部。

 

数千年の時を超え、すれ違っていた想いを確かめ合ったエンキとフィーネ。

二人を包んでいた神話のように美しく、そしてあまりにも甘ったるい感情の波がようやくピークから落ち着き始めたのを感じ取り、サンジェルマンは一つ小さく咳払いをすると、ひどく申し訳なさそうに、しかし切実な声で呼びかけた。

 

「……もうそろそろ、話してもいいだろうか?」

 

その声にハッと我に返ったように、エンキのホログラムが少し気まずそうに肩をすくめる。

 

『ああ。……すまない、フィーネ。今は彼らの問いに答えるのが先だ』

「わかっているわ。大丈夫よ。焦らなくても、私たちにはまだこれから先の未来がいくらでもあるのだから……」

『そうだ、フィーネ。お前と一緒に歩める未来が、僕たちにはある』

「ああ、エンキ……♡」

『フィーネ……』

「いい加減にするワケダッ!!」

 

完全に二人の、見るも甘いピンク色のオーラ付きの世界へと逆戻りし、再び見つめ合ってイチャつき始めた二人に、ついにプレラーティの堪忍袋の緒が切れた。

 

「なんなんだお前らは! 見てるこっちが恥ずかしくて死にそうなワケダ! ……サンジェルマン、やっぱり私たちがここに来たのは間違いだったんじゃないか!?」

「いや……そんなはずはない……と、思いたいな……」

 

プレラーティに泣きつかれ、サンジェルマンは額に冷たい汗を浮かべながら、困惑しきった顔でひきつった笑いを浮かべることしかできなかった。

 

何百年も追い求めてきた『神の知識』と『バラル呪詛の真実』。その大元である存在が、まさかここまで重度の色ボケだったとは、生真面目な彼女の想定の遥か斜め上を行き過ぎていたのだ。

 

永遠に続いてしまいそうな神と女の惚気空間。

見かねた優斗が、苦笑いを浮かべながら二人のそばへと歩み寄り、ポンポンと空気を叩くようにして割って入った。

 

「エンキさん、了子さん。水差して止めてしまう所悪いんですけど……僕たちの方でも、どうしても聞きたいことがありますので」

『……悪い。少し、昂ぶってしまってな』

 

優斗に窘められ、エンキはバツの悪そうな顔でコホンと咳払いをした。

だが、その横にいるフィーネは未だに「私のエンキかっこいい……」と蕩けきった顔でエンキのホログラムを見つめ続けている。

 

「おい、この色ボケ。お前らがこれ以上近いと、一生イチャつき続けて話が進まないからな! ほら、少し離れろ!」

「ああっ、ちょっとキャロル!? 引っ張らないでちょうだい、私とエンキを引き離す気!?」

「物理的な質量がない映像相手に何を言ってる! さっさとこっちへ来い!」

 

すかさずキャロルが了子の襟首をガシッと掴み、ズルズルと強引にエンキのホログラムから引き剥がす。

 

「嫌ぁーッ! エンキーッ!」と情けない声を上げるかつてのラスボスになる筈だった存在を冷ややかな目で見下ろしながら、キャロルは強引に彼女を優斗たちの後ろへと追いやった。

 

「ふぅ……まったく、世話の焼ける連中だ」

 

キャロルがやれやれとため息をついて腕を組むと、ようやく遺跡の最深部に、本来あるべき「真面目な話し合い」の空気が戻ってきた。

 

キャロルに強引に引き剥がされたフィーネが「理不尽だわ……」と後ろで唇を尖らせる中、遺跡の最深部にはようやく、真実を明かすための厳粛な空気が満ちた。

 

『では、本題に入ろう。優斗、君をこの最深部へと招き入れたのはニンフルサグだ。それは君自身もそう感じているだろう?』

 

静かに問いかけるエンキに、優斗は真っ直ぐに頷いた。

 

「はい。前にあの白い空間で会った時、ニンフルサグさんに『僕にできることはあるか』って聞いたら……『君の魂を錨にしてこの世界に留まることで、それを道しるべにして空間の狭間から戻ってこれる』と言っていました」

『戻る……? そうか、彼女はシェム・ハに襲撃されて以来、まったく連絡が取れなかったが……次元の狭間に落ちていたのは、そのせいだったのか』

 

エンキの口から再び出たその名前に、優斗は先ほどのフィーネとの会話でも耳にした『シェム・ハ』という人物が妙に気になった。

 

「エンキさん。その、さっきから言っている『シェム・ハ』って……一体誰なんですか?」

「それともう一つ」

 

優斗の言葉に被せるように、サンジェルマンが鋭く、しかしどこか縋るような切実な声で問いかけた。

 

「我々人類の相互理解を阻んでいる『バラルの呪詛』とは一体何だ? かつてアダムは、それを解き放つことで人類は完全な自由になると言っていたが……!」

『……ああ。それも含めて、かつて僕たちに起こったすべての真実を説明させてもらうよ』

 

ホログラムのエンキが静かに目を伏せると、円形の部屋を照らしていた光が微かに薄暗くなり、まるで数千年前の記憶の深淵へと潜っていくかのように空気が重くなった。

 

そして、エンキによる『バラルの呪詛』を巡る長きにわたる神話の語りが始まった。

エンキがフィーネと共に生きていた数千年前の時代。その当時はまだ、地球に他のアヌンナキたちも多数存在しており、優斗に力を与えたニンフルサグもその中の一柱だった。

だがある日、一人の神がアヌンナキ全体を裏切り、突如として宣戦布告をしてきたのだという。

その神はある方法で『絶対的な能力』をその手に収め、反旗を翻し、止めようと襲いかかってきた同胞たちをことごとく鏖殺(おうさつ)していった。

 

『その神の名が、シェム・ハ。……シェム・ハ・メフォラシュだ』

「シェム・ハ……」

「『力ある言葉(…あるいは明かされし神の名)』という意味が込められた名前ね……」

 

学んだ錬金術と神秘学の知識を持つフィーネが、忌々しそうにその名の意味を呟く。

エンキは重々しく頷き、さらに残酷な真実を紡ぎ出した。

 

『そもそも、我々アヌンナキという種族は、自らの進化に行き詰まった存在だった。長い宇宙の旅の果てに流れ着いたこの地球を、広大な実験施設に見立て……環境を整え、生命を創造し、進化を促し、時には容赦なく改造を施し、必要がなくなれば廃棄もしてきた』

「廃棄、だと……」

 

神々のあまりにも冷徹で科学的な振る舞いに、サンジェルマンが顔をしかめる。

彼らは慈愛に満ちた創造主などではなく、地球というフラスコを覗き込む研究者に過ぎなかったのだ。

 

『我々がこの星の環境を造り変えるために建造した、惑星環境改造装置「ユグドラシル」。君たち人類、ルル・アメルは元々、その巨大なシステムの末端……「生体演算端末群」として設計・創造された存在だったんだ』

「生体演算、端末……? 僕たちが、機械の部品みたいに作られたってことですか?」

 

突然明かされた人類のルーツに、優斗が目を丸くして驚きの声を上げる。

だが、彼はすぐに小さく息を吐き出すと、「……でも、だからといって、今の僕たちが偽物ってわけじゃないですよね」と、己の命の在り方を否定することなく、その事実をスッと素直に自分の中に落とし込んだ。

 

「人間の脳細胞とネットワークを、惑星規模の演算システムとして組み込むとはな……。スケールが馬鹿げているが、構造としては理にかなっている」

 

キャロルも一瞬だけ目を見開いて驚愕したものの、卓越した錬金術師としての思考が即座にそのシステムを理解し、神の所業をあっさりと飲み込んでみせる。

 

「人類が貴方たちに創られた存在だということは知っていたけれど……『ユグドラシル』ですって? 惑星環境を改造するための装置なんて、私は聞いたことがないわ」

 

一方、フィーネは人類の起源そのものよりも、自らも知らなかった神々の未知のシステムの名称に驚き、眉をひそめていた。

そんな三人の反応とは対照的に、パヴァリア光明結社の錬金術師たちは重いショックを受けていた。

 

「我々人類が、ただの演算のための端末に過ぎなかったと……?」

「私たちの命すらも、神からすればただの処理能力の一部に過ぎなかったというワケダ……」

 

サンジェルマンとプレラーティは、自分たちの存在意義を根底から無機質に定義するような神々の冷徹な目的に、隠しきれない動揺を見せ、小さく唇を噛んだ。

 

『……すまない。それが、我々アヌンナキの身勝手な設計目的だった。そして——』

 

エンキは痛ましそうに伏し目がちになり、その冷酷な歴史の続きを語り始める。

 

『その進化の実験の過程で、君たち現生人類よりも先に生み出された存在がいる。それが、人類の完成形(プロトタイプ)として設計された最初の被検体……アダムだ』

 

エンキの口から明かされた、パヴァリア光明結社のトップの正体。

そのあまりにもスケールの大きい事実に、かつての部下であるサンジェルマンは息を呑んだ。

 

「局長が……人類のプロトタイプ!?」

「なるほどな。だから無駄に長生きで、無駄に力を持ってて、無駄に神経を逆撫でする人でなしな性格だったのか。納得だ」

 

驚愕で固まるサンジェルマンの横で、キャロルは腕を組みながら、まるでゴミでも評価するかのように鼻で笑ってこき下ろした。

 

「そ、そこまで言っていいの!?」

「アダムの評価なんて、私たちからすればその程度なワケダ」

 

未だ世界を脅かす大悪党に対する容赦のない暴言。思わずツッコミを入れた優斗に対し、プレラーティもやれやれと肩をすくめて忌憚なき意見を放つ。

 

パヴァリア結社を裏切った彼女たちにとって、自分たちをただの駒としか見ていなかったアダムに対する敬意など、もはや微塵も残っていなかったのだ。

 

『アダムは、アヌンナキが求めるスペックをすべて備えていた。まさに完成された個体だったんだ。だが……』

 

エンキは痛ましそうに伏し目がちになり、彼が捨てられた理由を語る。

 

『最初から完成されたスペックは、同時にその先の“拡張性”も“成長性”も奪ってしまった。環境に応じて自らを進化させることを求めていた我々にとって、変化しない完成品は不十分だと判断され……開発に携わった者たちによって、廃棄処分が決定されたのだ』

 

完全、完成形を目的に作ったがゆえに、発展性がなかった。

それが神々が彼に下した、残酷なまでの不良品の烙印だった。

 

『廃棄が決定されたアダムがその後どうなったかは、僕も当時は知らなかった。まさか彼が処分を逃れ、この現代まで生き延びていたとは予想していなかったよ』

「……なるほど。それでアダムが『神の力』を求めたのね」

 

エンキの説明を聞き終え、フィーネ(了子)は何か腑に落ちたように腕を組んだ。

 

「どういうことですか、了子さん?」

「アダムのアヌンナキへの憎しみは、数百年前になんとなく感じていたのよ」

 

優斗の問いかけに、フィーネはかつて不老不死の魔女として歴史の裏で暗躍し、アダムと敵対した時の記憶を呼び起こす。

 

「昔、彼と敵対した時……アダムから私に向けられた激情的な憎しみと執着は、異常なほどだった。その理由が今ならわかるわ」

 

フィーネはふっと冷たく、けれどどこか哀れむような笑みを浮かべた。

 

「おそらく彼は、嫉妬していたのよ。私や、私たち不完全な人類が神(エンキ)の恩寵と愛を受けているのに……誰よりも『完璧』を求められて造られた自分は、神から不要なものとして捨てられた。その事実にね」

「……完璧だったからこそ捨てられて、不完全な私たちが愛された……」

 

サンジェルマンが、そのあまりにも皮肉な因果に顔をしかめる。

 

「ならば……! では、そこまで我々不完全な人類を選び、愛しておきながら……なぜ貴方は我々を呪ったのだ!」

 

迫真の表情で、サンジェルマンがエンキのホログラムへと一歩踏み出し、問い詰める。

その顔には、何百年もの間「人類の相互理解」を求めて血塗られた道を歩んできた彼女の、悲痛なまでの切実さが浮かんでいた。

 

バラルによって人生を歪められたフィーネもまた、エンキと繋いだ手を強く握り締めながら、彼の次の言葉を待っていた。

 

サンジェルマンの悲痛な問いに、エンキは深く、悲しげに目を伏せて口を開いた。

 

『バラルの呪詛……君たちがそう呼んでいるものは、決して人類を罰するための呪いなどではない。あれは、シェム・ハの絶対的な支配から君たちの自由意志を護るための……僕が遺した防壁「ネットワークジャマー·バラル」なんだ』

「防、壁……? ジャマーだと?」

 

『先史文明期における人類、ルル・アメルは、元々「統一言語」という名の強力な不可視のネットワークですべての精神が繋がっていた』

 

エンキの語る真実に、その場にいる全員が息を呑む。

 

『裏切ったシェム・ハという神は、「言葉」そのものを世界を書き換えるプログラムとして操り、司る力を持っている。……もし人類が統一言語で繋がったままであれば、ヤツはその言葉のネットワークを介して全人類をハッキングし、その肉体に直接「憑依」することができる』

「言葉を介して、肉体に憑依……ッ!?」

『つまり、統一言語を解する人間がこの星にいる限り、シェム・ハは何度でも、無限に蘇り続けるということだ』

 

言語という概念そのものを依り代にし、人間がいる限り永遠に滅びない神。

そのあまりにも理不尽で絶対的な悪意のシステムに、キャロルでさえも戦慄に顔を歪めた。

 

『それを防ぎ、シェム・ハの無限の復活を阻止する手段は一つしかなかった。……人類を繋ぐ共通の回線を物理的に切断し、互いの言葉を通じなくさせることだ』

「それが……統一言語の喪失。互いを理解できなくなるという『バラルの呪詛』の正体……」

 

フィーネが震える声で呟く。

 

もしあの時、エンキが統一言語を奪わなければ、人類はとうの昔にシェム・ハという神の端末として乗っ取られ、自由な心など残っていなかったのだ。

エンキは人類を愛していたからこそ、あえて互いが分かり合えなくなるという苦しみを与えてでも、彼らをシェム・ハの無限の器にされる運命から隠し、護り抜いた。

 

真実を聞き終え、フィーネは静かに涙を流した。

数千年の間、神に見捨てられたと恨んだこともあった。だが、隣で彼の手の温もりを感じている今の彼女は、エンキの深すぎる愛と自己犠牲を、ただ静かに、落ち着いて受け止めることができた。

 

だが——。

 

同じ真実を聞かされたサンジェルマンの心境は、フィーネのそれとは全く異なっていた。

 

「ああ……あああ……ッ!!」

 

サンジェルマンの口から、絶望に満ちた嗚咽が漏れた。

彼女たちパヴァリア光明結社が、サンジェルマンが何百年も追い求めてきた悲願。それは『バラルの呪詛』を解き放ち、人類に完全な相互理解をもたらすこと。

 

だが、その呪詛を解くということは、即ち『人類を護る防壁を破壊し、全人類をシェム・ハの憑依体として捧げる』という最悪の破滅行為に他ならなかったのだ。

 

自分のしてきたことは、すべて裏目だった。

人類を救うと信じて積み上げてきた屍の山は、人類を終わらせるために自ら死神を呼び寄せるための儀式でしかなかった。

 

そして何より、アダムは。

 

人類のプロトタイプであり、神の知識の端くれを持っていたあのアダムは——この真実を知りながら、あるいはどうなろうと知ったことではなく、ただ自分を捨てた神への復讐と己の完全性の証明のためだけに、自分たちの純粋な理想を利用していたのではないか?

 

「私は……私は……なんという、無意味で、取り返しのつかない過ちを……ッ!」

 

己の愚かさと、残酷すぎる真実。

すべてを利用され、何もかもが間違っていたという事実に、サンジェルマンの誇り高き心は深く、決定的に砕け散った。

 

「サンジェルマン……!」

「サンジェルマンさん!!」

 

糸が切れた操り人形のように、力なく膝から崩れ落ち、冷たい床に座り込んでしまった錬金術師。

その痛々しい姿に、プレラーティと優斗が弾かれたように駆け寄った。

 

「私は……私は…」

 

己の愚かさと、残酷すぎる真実。

すべてを利用され、何もかもが間違っていたという事実に、サンジェルマンの誇り高き心は深く、決定的に砕け散った。

 

「あ……、……」

 

両手で自分のの肩を抱き、ガクガクと震えていたサンジェルマンの体の力が完全に抜けた。

 

絶望に耐えきれなくなった彼女の心が、自分自身を護るために意識を深い闇へと強制的に沈めていく。

それと同時に、彼女の身体を包んでいた青白いファウスローブが、まるで主を失った光のように霧散し始めた。

 

錬金術師の象徴であった、凛々しくも荘厳な礼装。それが主の意識の断絶とともに光の粒子となって剥がれ落ち、床に落ちるよりも先に宙へと消えていく。

本来の男装姿へと戻っていく彼女の腰に提げられていた、銃型のスペルキャスターも、維持するための力を失い、光となって宙に霧散した。

 

「サンジェルマン!!」

 

糸が切れた操り人形のように、力なく崩れ落ちていく彼女を、プレラーティが弾かれたように駆け寄って抱きとめた。

 

プレラーティの腕の中に落ちたのは、ファウスローブの冷たい質感ではなく、ただの服に包まれた、ひどく脆い友の身体だった。

 

「しっかりしろ! サンジェルマン! 私がわかるか!? ……なぁ、返事をしてくれ……!」

 

プレラーティが必死に肩を揺さぶっても、サンジェルマンは焦点の合わない虚ろな目を虚空に向けたまま、ピクリとも動かない。口を半開きにして、ぼーっとしたまま、一切の反応を示さなかった。生命力そのものが抜け落ちてしまったかのような、あまりにも痛々しい姿。

 

「ちょっと見せてみなさい」

 

フィーネが素早く二人の傍へと駆け寄った。

かつて長い年月を生き、様々な知識を蓄えてきた彼女は、慣れた手つきでサンジェルマンの脈を取り、瞳孔の反応を確かめる。

 

「……急性ストレス反応による、心因性ショックね。あるいは一時的な解離症状と言ってもいいわ」

「ショック、だと……?」

「ええ。自分が何百年も信じてきたものがすべて間違いで、最悪の破滅を招くものだった。そのあまりに過酷すぎる真実を突きつけられたことで……ストレスで擦り切れていた彼女の心が完全に耐えきれなくなり、自分自身を護るために強制的に意識をシャットダウンさせているのよ」

 

フィーネが静かに、深い同情を込めた声で診断を下した。

何百年も泥を被り、血を流してまで追い求めた悲願が、すべてアダムの手のひらの上だった。その絶望の深さは、同じく長い時を狂気の中で生きたフィーネには痛いほどよくわかった。

 

「そんな……サンジェルマン……」

 

プレラーティは歯を食いしばり、意識を手放した友の身体をギュッと強く抱きしめる。

 

「しばらく横にして、安静に休ませたほうがいいな。……プレラーティ、了子、お前たちはサンジェルマンについていてやれ」

 

事態を冷静に見極めたキャロルが、短く指示を飛ばした。

プレラーティとフィーネはこくりと頷き、サンジェルマンの身体をそっと滑らかな床に寝かせると、彼女の手を握りながら介抱に回る。

 

「さて……ここからは、オレたちがこいつらの代わりに話を聞こう」

 

キャロルがゆっくりと立ち上がり、優斗と共に、再びエンキのホログラムへと真っ直ぐに向き直った。

優斗もまた、サンジェルマンの痛々しい姿に胸を痛めながらも、決意を込めた瞳でエンキを見上げる。

 

「エンキさん。その、アダムさんが……『シェム・ハ』の復活を望んでいるのかはわかりません。でも、局長である彼がバラルの呪詛を解こうとしている以上、僕たちはそれを止めなきゃいけない。……ですよね?」

 

優斗の静かで力強い問いかけに、キャロルも腕を組んで同意する。サンジェルマンが倒れた今、この星の未来を背負い、神の遺した真実を受け止める役割は、彼らに託されたのだ。

 

気絶したサンジェルマンをプレラーティたちに任せ、キャロルは優斗の隣に並び立つと、鋭い視線でエンキのホログラムを見据えた。

 

「一つ聞く。アダムの企みはともかくとして……その『シェム・ハ』とやらは、すぐにでも復活する可能性はあるのか?」

 

人類を乗っ取る神。そのスケールの大きすぎる脅威に対し、キャロルが最も警戒すべき点を確認する。

だが、エンキは静かに首を横に振り、即答した。

 

『いや、ない』

「言い切れるのか?」

『ああ。確かにあの時、僕は相打ち覚悟で彼女に致命傷を与え、その息の根を止めた。そして、その直後にバラルを起動して全人類のネットワークを切断している。……ヤツが復活する確率は、限りなく低いはずだ』

 

エンキの断言を聞き、優斗は「よかった……」と心底ホッとしたように胸をなでおろした。

だが、そんな優斗の無防備な安堵の表情を見て、エンキはどこか不安そうにホログラムの目を細める。

 

『しかし、懸念はある』

「懸念?」

『僕がバラルを起動し、自らの意識をこのマルドゥーク(月面遺跡)に完全に定着させるまでのわずかな間に……絶命したはずのシェム・ハの「遺体」が、何処かへ消えてしまったんだ』

「なんだと……!?」

『シェム・ハの狂信者が持ち去ったのか、生き延びた他の仲間が封印したのかは、今となっては定かではない。だが、神の肉体は死しても、シェム・ハの「情報」はその遺体に色濃く残っている可能性が高い。万が一、知識のない人間が不用意にその遺体に触れれば、どのような恐ろしい影響があるかわからない』

 

遺体が残っている限り、シェム・ハというプログラムの残滓がどこかで燻り続けている。

その不気味な事実に優斗が顔を強張らせる中、キャロルはフッと不敵な笑みを浮かべた。

 

「なんだ、なら話は単純じゃないか。アダムに先を越される前に、オレたちが真っ先にその遺骸を見つけ出し、完全に処分すればいいだけだろ」

「あはは、キャロルちゃんは本当に頼もしいね」

 

強気な宣言に、優斗がパッと顔を輝かせて称賛する。

 

向けられた真っ直ぐな尊敬の眼差しに、キャロルは「ふ、ふんっ! オレを誰だと思っている!」と顔を真っ赤にして照れ隠しにそっぽを向いた。

 

そんな微笑ましい二人のやり取りを静かに見つめながら――エンキは、決して声には出さず、胸の内で重い思考を巡らせていた。

 

(……この娘やフィーネですら気づいていない。彼自身も、無自覚なのだろう)

 

エンキの視線が、優斗の口元、そしてその魂の奥底へと向けられる。

 

(新城優斗。君が今、彼らと当たり前のように交わしているその言葉は、現代の言語じゃない。……君は今、誰も使えないはずの『統一言語』を無意識に使用して彼女たちの脳に直接、言葉を変換して伝えているんだ)

 

それは、神話の時代に失われたはずの奇跡。

そして、先ほど遺跡のシステムが優斗をスキャンした際に判明した、もう一つの恐るべき事実。

 

(新城優斗の魂には、僕が人類にかけたはずの防壁……『バラル』が、一切かかっていない)

 

彼は今、この地球上で唯一、バラルの呪詛から完全に解放された存在なのだ。

言葉をプログラムとして操るシェム・ハにとって、バラルの呪詛を持たず、統一言語を解する優斗の肉体は、これ以上ないほどに完璧な『器(依り代)』になり得る。

 

(おそらく、ニンフルサグが君の魂に力を分け与え、この世界に送り出す時に施した細工なのだろう。……だが、なぜそんな危険な真似を?)

 

弟が命を懸けて構築した人類への防壁を、なぜニンフルサグは優斗だけ意図的に外したのか。

その真意が、エンキにはどうしてもわからなかった。

 

 

 

サンジェルマンが意識を手放したことで、これ以上の探索同行は不可能と判断された。

 

「……すまない、キャロル、新城優斗。私たちは一度、サンジェルマンを連れて帰還するワケダ」

 

プレラーティは気を失ったサンジェルマンをしっかりと抱き支えながら、申し訳なさそうに通信機も兼ねたテレポートジェムを取り出した。

 

「気にするな。オレたちで残りの後始末はしておく。そいつを休ませてやれ」

「プレラーティさん、サンジェルマンさんのことお願いしますね」

 

キャロルと優斗の気遣う言葉にプレラーティは小さく頷き、ジェムを割って起動する。眩い光と共に、二人の錬金術師の姿は月面遺跡から地球へと転送されていった。

 

残された優斗、キャロル、そしてフィーネの三人は、いよいよエンキの『肉体』の解放に取り掛かる。

マルドゥークの動力源として捧げられたエンキの生身の体は、中枢回路に無数のコードで繋がれ、彼自身の神の力とコールドスリープ技術の掛け合わせによって数千年間、完璧な状態で保存されていた。

 

本来であれば、生命維持と直結したコードの解除や、数千年単位の冷凍睡眠からの解凍作業など、現代の科学技術では安全の確約すらできない至難の業だ。

だが、そこは生命の真理すら操るアヌンナキの超技術。システムにアクセスしたエンキのホログラムが終了プロセスを走らせると、その姿が消える。数分後に拍子抜けするほどあっという間に、すべての解除が完了した。

 

白く冷たい保存ガスが吹き出し、幾重にもロックされていた強固な生命維持カプセルがゆっくりと開かれる。

中から現れたのは、先ほどのホログラムと寸分違わぬ、しかし確かに血の通った『エンキ』その人だった。

 

「……数千年ぶりの肉体だ。重力も、空気の冷たさも……何もかもが、ひどく重くて、懐かしい」

 

久々の生身の感覚に戸惑うように、エンキがゆっくりとカプセルから足を踏み出し、自身の掌を開いたり閉じたりして確かめる。

次の瞬間、彼の胸に弾かれたように飛び込んだ影があった。

 

「エンキ……ッ!」

 

フィーネだった。

彼女は力いっぱいエンキの身体に抱きつき、その顔を彼の胸に深くうずめた。

 

先ほどのホログラムの時とは違う。すり抜けることのない、確かな肉体の柔らかな感触。触れ合った肌から伝わってくる、生きている人間の温かい体温。そして、耳を澄ませば確かに聞こえてくる、力強く脈打つ心臓の鼓動。

 

「ああ……フィーネ。僕の、愛しい人」

 

エンキもまた、残された片腕で彼女の背中を強く、壊れないように優しく抱きしめ返した。

お互いの体温と重みを直に肌で感じ合うことで、二人は「自分たちが今、数千年の時を超えて、確かに生きてここに存在している」という途方もない奇跡を、心の底から実感していた。

 

 

 

数千年ぶりの体温を分かち合った抱擁の余韻もそこそこに、エンキは中央に鎮座する水晶へと再び向き直った。

 

彼が復活したとはいえ、シェム・ハの脅威から人類を護る防壁――『バラル』をここで停止させるわけにはいかない。

 

エンキは残された片手を水晶にかざすと、自身の身体から淡い光の奔流を引き出し、遺跡の中枢システムへと直接注ぎ込み始めた。

 

「……よし。僕の持っている『神の力』の半分を切り離し、マルドゥークの動力として回した。これで少なくとも、最低五百年程はバラルの機能を維持できるはずだ」

 

光が収まり、少しだけ疲労の色を見せたエンキが安堵の息を吐く。

 

「ただ……僕の意識が肉体に戻った以上、これからの監視プログラムは、僕の思考をトレースさせた疑似的なものに切り替わった。今まで僕自身が直接制御していたようには、完全にはいかないだろう」

 

神の力による半永久的なバックアップとはいえ、イレギュラーに対する完全な対応力は失われた。エンキがそのことに少しだけ悔しさを滲ませると、フィーネは彼の身体を気遣うようにそっと支えながら、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。

 

「完全じゃなくても、私たちにとっては万全の備えだわ。それに……『不完全だからこそ、明日へ手を伸ばし続けていられる』。そうでしょう?」

「……フィーネ」

「昔、貴方が私に教えてくれたことじゃない。完璧じゃない……不完全な私たちだからこそ、互いを求め、手を伸ばすことができるのよ」

 

自身の過去の言葉を、数千年の時を超えて最愛の女性から教え返される。

そのひどく懐かしくて愛おしい響きに、エンキは少しだけ驚いたように目を見張った後、目元を和らげて心底嬉しそうに微笑んだ。

 

「……ああ。そうだね。君の言う通りだ」

 

神としてすべてを背負い、完璧な防壁になろうとしていたエンキの心を、フィーネの言葉が優しく溶かしていく。

その光景を少し離れた場所から見ていた優斗とキャロルも、二人の間に流れる穏やかで揺るぎない絆に、思わず顔を見合わせて小さく微笑み合ったのだった。

 

 

 

月面遺跡でのすべての目的を果たし、真実と『神』を連れ帰るという途方もない成果を挙げた一行は、テレポートジェムを用いて、静かに地球へと帰還した。

 

向かった先は、彼女たちが拠点としているキャロルの館。

 

館の静かな客室では、ファラたちとプレラーティの必死の看病の甲斐あって、気絶していたサンジェルマンが重い瞼をゆっくりと開けていた。

 

力なくベッドに座るサンジェルマンのその瞳にはかつての気高い意志の光はなく、残酷な真実に打ち砕かれた、深い虚無感と絶望の影が色濃く落ちたままだった。

 

そんな彼女の様子に胸を痛めながらも、事態は一刻を争う。

アダムの野望を止め、シェム・ハの遺骸が利用されるのを防がなければならない。

 

キャロルと優斗は、館の通信機を立ち上げた。

 

繋いだ先は、太平洋上でバルベルデの復興支援を終える前の、バルベルデに近い海の中のS.O.N.G.本部――風鳴弦十郎のホットライン。

 

『優斗くん! キャロルくん! 無事だったか!』

「はい。……ただいま帰りました、弦十郎さん。色々とありましたけど、なんとかこっちに戻ってこれました」

 

優斗とキャロルの無事な姿を見て、ホッとするもつかの間、弦十郎の表情が少しずつ固まっていく。

 

何故なら、モニター写る優斗の背後で、エンキに過剰な世話を焼く見たこともないフィーネの姿と、鬱一歩手前まで来てそうなサンジェルマンの悲痛な姿がどうしても目に引くからだ。

 

「あの、その、……神様を連れて来てしまいました。…どう、しましょう?」

 

モニター越しに驚く弦十郎に対し、キャロルはため息を吐き、言うに困った優斗はただ、事実を弦十郎に告げるしかなかった。

 

 




本話にぶち込む技量がない作者のQ&A

Q、アダムの目的があっさり見破られすぎじゃない?
A、この状況の面子に見破られなかったら、終身名誉ラスボスの称号与えてもいいです。

Q、サンジェルマンがどんどんお労しくなってますけど?
A、ここまでなるとは、思って…いました。サンジェルマンはある種の殉教者の様な生き方をしていました。敬虔な信徒が、心の有所としていた教典どころか、神の存在すらも否定されたようなものです。

Q、エンキが力を分けて500年って短くない?
A、シェム·ハとの戦いは、平行世界にダメージを逃がせないのか、お互い致命傷を負わせるものでした。時に銀に変換する埒外物理攻撃はエンキの魂レベルでダメージを喰らいました。幸い、ニンフルサグ製の回復治療ポッドで肉体は治った物の、今までバラル稼働の為に力のリソースを振り分けたので、完全復活はなりませんでした。

なので実力は最低でも10分の1まで落ち込む事となっています。


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