ハッピーエンドに向かうには   作:内海空洞

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各話のタイトルは、思いつきとフィーリングでつけています

それと、この話でスランプになり、途中からAIの力を借りた文章になっております。


雨のち晴れの曇りのひととき

 

「ありがとうございましたーっ」

「ありがとう。また来るよ」

 

僕の見送りの言葉を背に、今日最後の常連客が店を出ていく。開いたドアのベルがカランと鳴る音と共に、外の激しい雨音が店内に流れ込んできた。

今日は祝日だというのに、天気は朝からずっと大雨だ。バケツをひっくり返したような、という表現が陳腐に聞こえるほど、時には数メートル先も見えなくなるほどの豪雨が降り続いている。これでは、いつも来てくれる他のお客さんたちも、今日ばかりは足を運べないだろう。

 

さっきのお客さんで、今日はもうおしまいかもしれないな。急に静まり返った店内に、ふとそんな考えがよぎる。

誰もいなくなったテーブルから食器を回収し、カウンターに置く。お爺ちゃんが手際よくそれらを食洗機に入れていくのを横目で見ながら、僕は近くの椅子に身を寄せた。

立花さん一家に初めて手料理を振る舞ってから、もう数年が経った。僕の顔つきに大きな変化はないけれど、身長はぐんと伸び、体つきも年齢相応にがっしりとしてきた。料理の腕前も、今ではお爺ちゃんからお墨付きをもらい、僕一人でメニューを提供できるまでになっている。

 

「今日はあの二人も来れないだろうな」

 

ぼんやりと呟きながら、視線を店の一角に向けた。そこに飾ってあるのは、二つ折りの写真立て。片方には、少し前にアメリカへ行った時の少し照れくさそうな家族写真。そしてもう一枚には、テーマパークではしゃぐ僕と、満面の笑顔を浮かべた響ちゃんと未来ちゃんのスリーショットが収まっている。

 

あんなにちっちゃかった響ちゃんと未来ちゃんも、今ではぐんぐん成長して、時々二人だけでも店に来てくれるようになった。もちろん、お小遣いの範囲で、だけど。

僕が作り続けているお菓子の効果かは分からないけれど、なんだかすごく気に入られたみたいで、今では家族ぐるみで一緒に遊んだり、出かけたりする仲になっている。遊園地に行ったり、花見や夏祭りを楽しんだり、時にはお正月といった季節の行事にも誘ってもらえるようになった。

 

まあ、出かけた時の二人の反応は、だいたいこんな感じだったけれど……。

 

『優斗お兄ちゃん!!次、次!あれに乗ろうよ!!……あっ!あれも食べたーい!』

『わかったから、わかったから。ほら、はぐれないように手を繋ごう。はい、未来ちゃんも』

『は、はいぃ……』

 

基本的には、響ちゃんの凄まじいハイテンションに引っ張られて、ついていくこっちが大変だった。未来ちゃんはなぜか、僕が手を繋いだり、二人を褒めたりするたびに、顔を真っ赤にしていた気がするけど……。一体、どうしてだったんだろう?

そんな昔の思い出に浸りながら、激しい雨音をBGMにぼーっとしていると、最近ますます元気になってきたお爺ちゃんが、外の様子を見て決然と言った。

 

「優斗や、こんな天気じゃこれ以上客も来んじゃろ。今日はこの辺で店じまいにするぞ」

「そうだね。じゃあ、看板を裏返してくるよ」

 

ドアを開け、一歩外に身を出す。壁にかかった看板を「OPEN」から「CLOSE」の表記に変えようとした、その時だった。視界の端に、鮮やかな赤い色が映り込んだ。

店の中からは見えなかった軒下の影。そこに目を向けると、この土砂降りの雨に打たれたのか、頭のてっぺんから爪先までずぶ濡れになった一人の女の子がいた。

 

見た感じ、僕より一つか二つ年下だろうか。身長は、僕の頭一つ分くらい低い。

赤い髪の彼女は、そこで雨宿りをしているらしかった。なぜか傘も持たず、ただ暗い顔で自分の腕を抱きしめ、寒そうに小さく震えている。

 

「ねえ君、雨もまだ止みそうにないし、よかったら中に入りませんか?」

「えっ?……ああ、大丈夫です。ましになったらすぐに行きますんで」

 

さすがに、こんな状況で放っておくわけにはいかない。声をかけたのだが、彼女は遠慮しているのか、それとも他人を警戒しているのか、今にもこの雨の中に飛び出して、消えてしまいそうな儚げな雰囲気を漂わせている。

 

「もうこっちも店じまいするところなんですよ。それに、君がそんなに濡れているのを、見て見ぬふりはできませんから。さあさあ」

「えっ?うわっ」

 

僕は彼女の背後に回り込み、その両肩に手を置いて、半ば強引に店の中へと促した。急に背中を押されたものだから、彼女も驚いて、軽くつんのめりながらも店内に入っていく。

触れた肩は、雨に濡れたせいで驚くほど冷たかった。寒さに体力を奪われているのか、踏ん張る力も弱いようだ。すぐにでも暖めてあげないと。

 

「ごめんお爺ちゃん!今すぐ母さんの服、何か貸せるものを持ってきて!あと、お風呂の準備もお願いできるかな!」

「どうした……なるほど。わかった、すぐ用意しておく。優斗はそれまで、彼女にタオルと、温かい飲み物でも淹れてやってくれんか」

「うん、わかったよ!」

「ち、ちょっと待って!別にそこまでしなくてもいいって!……それに、今お財布も持ってないし……」

 

ここで、彼女からストップがかかった。ただ雨宿りをしていただけなのに、手ぶらの身でこれ以上世話になるのは申し訳ない、と思ったのだろう。でも、店に入れてしまった以上、このまま見捨てるなんて野暮な真似はできない。

 

……ここは、少し口調を崩して、明るく接した方がよさそうだ。

 

「気にしなくてもいいって。ほら、タオル。あと、こっちはバスタオル。椅子にも敷いておくから、ここに座って。お風呂の準備ができるまで、今すぐあったかいものを出すからさ」

「……ありがとう、ございます」

 

僕の引く気のない態度に観念したのか、彼女はバスタオルを肩にかけると、もう一枚のタオルで濡れた髪を拭きながら、カウンターの椅子にちょこんと腰掛けた。

 

「何飲む?コーヒー?紅茶?それともココアかな?あ、温かいお茶もあるけど」

「それじゃ……ココアを、お願いします

ココアか。確かこの棚に……あった。

僕は粉末ココアをカップに入れ、分量より少しだけ多めに砂糖を加える。冷蔵庫から牛乳を取り出し、少量注いで粉を溶かしたら、まずはレンジで一度温める。取り出したカップからは、くつくつという音と共に、甘い香りが立ち上った。さらに牛乳を継ぎ足し、もう一度レンジへ。最後に、底に粉が溜まらないようにスプーンで軽くかき混ぜれば、特製ホットココアの完成だ。

 

「はい、どうぞ。ホットココアです」

「ありがとう。……ずずっ……ふぅ」

 

服や肌に張り付いていた長い髪の水気を拭き取ったことで、少し余裕ができたのだろう。彼女は素直にココアを受け取った。カップから立ち上る湯気と甘い香りが、彼女の周りの張り詰めた空気を少しだけ和らげたように見えた。青ざめていた顔に、ほんのりと赤みが戻っている。

 

「そういえば、名前を言ってなかったね。僕は新城優斗。優斗でいいよ。この喫茶店『コモド』で、お手伝いみたいなことをしてる。さっきの人は僕のお爺ちゃんの光一朗。……それで、君の名前は?」

「んくっ。ぷはっ……あたしの名前は天羽奏。あ、です。私も、奏って呼んでください」

「いいよいいよ、そんなにかしこまらなくて。年も近そうだし、普通でいいよっ……!」

「……わかった。敬語はなんか慣れなくってさ、助かるよ。それと、ココア美味しかった。……って、なんで笑ってるんだ?」

 

自己紹介もそこそこに、フランクな態度に切り替えて話してくれる奏ちゃん。でも、悪いんだけど……。

僕は人差し指で自分の鼻の下をちょん、となぞるジェスチャーをした。

 

「口のところにね、ココアの髭が、ついてる」

「っ!?」

 

僕の指摘に、奏ちゃんは髪の色に負けないくらい顔を真っ赤にした。慌てて持っていたタオルで口元をごしごしと拭うと、じとーっとした目で僕を見てくる。

思わず目が合って、じっと見つめ合っているうちに、なんだかおかしくなってきて。気づけば、僕たちは二人揃って笑い出してしまっていた。

 

「あははっ!……はぁ、こんな風に笑うなんて、いつぶりだっけ」

「ふふっ!……え、それって……?」

 

奏ちゃんの呟きに反応しようとした、その時だった。店の奥からお爺ちゃんの声がかかる。

 

「優斗や、その子の服と風呂の準備ができたぞ」

「ありがとう、お爺ちゃん。そうだ、紹介するよ。この子の名前は、天羽奏ちゃん」

「ちゃん……」

「奏ちゃんと言うのか。いい名前じゃのう。それと服なんじゃが……わしの娘のしかないが、よかったら着ておくれ」

「あ、はい。何か色々と、ありがとうございます」

「若いもんが気にせんでいいわい。さ、これ以上冷えて風邪でもひいたら大変じゃ。早く入ってしまいなさい」

「じゃあ、お借りします」

 

お風呂は二階にある。お爺ちゃんが先に立って案内し、奏ちゃんがその後に続いていく。

 

「あ、もうこんな時間か」

 

ふと壁の時計を見ると、もう結構いい時間になっていた。晩御飯の準備もしないと。店を閉めたから、片付けも始めないと。忙しくなってきた。

 

 

 

奏は、湯船に肩までしっかりと浸かり、ぼーっと天井を眺めていた。二課から飛び出し、冷たい雨に打たれ、心までもが氷のように冷え切っていた体が、お風呂の温かさでじんわりと溶かされていく。

 

「はぁ……」

 

力なく漏れた溜息が、湯気に溶けて消えた。胸の中に渦巻くモヤモヤは、まだ晴れそうにない。

 

(なにやってんだろ、あたしは)

 

奏の心中は、自己嫌悪でいっぱいだった。結局、自分の感情に任せてやったことは、他人に迷惑をかけただけ。そう思うと、頭がずっしりと重くなる。

 

(弦十郎さん、了子さん……)

 

八つ当たりで酷いことを言ってしまった。今頃、きっと必死であたしを探してくれているだろう。恩人たちの顔が脳裏に浮かぶ。

 

(……翼)

 

そして最後に浮かんだのは、唯一同じシンフォギア装者である、風鳴翼の悲しそうな表情だった。

天羽奏は、かつてはごく普通の少女だった。聡明な父がいて、優しい母がいて、仲の良い妹がいた。誰が見ても幸せな、ごく普通の家族だった。

 

あの日、ノイズにすべてを奪われるまでは。

 

それからの奏は、復讐だけを誓い、日々を生きてきた。たとえこの身が滅んでも、ノイズを殺せる力が欲しい。そう願って、制御薬(LiNKER)に身を委ね、血反吐を吐きながら、無理やりシンフォギアへの適合を果たした。訓練で体が軋み、限界を超えて倒れたことも一度や二度ではない。歌の練習では、喉が枯れ、血を吐くこともあった。

 

それでも、実戦で初めてノイズを殺した時、奏の心を満たしたのは、ドス黒い多幸感だった。

 

日常を奪われ、命を懸けて戦う。普通の少女なら、きっと耐えきれずに壊れていただろう。だが、奏は一人ではなかった。手を差し伸べてくれる仲間がいた。その手を、奏は自ら振り払ってしまったのだ。

 

新城家にたどり着く数時間前。訓練室で、奏は荒い息を繰り返していた。疲労困憊の体とは裏腹に、その瞳は暗い光をたたえ、心中はどす黒い負の感情で埋め尽くされていた。ノイズへの憎しみを筆頭に、リンカーなしでは満足に戦えない焦り、一人では力が足りないという苛立ち、そして……目の前で華麗に舞う天才、風鳴翼への嫉妬。

翼は、最新技術で作り出されたホログラムのノイズを、完璧な立ち回りで次々と切り裂いていく。それについていくだけで、奏は精一杯だった。

 

わかってはいるのだ。名家である翼は、幼い頃から恵まれた環境で育ち、シンフォギア“天羽々斬”への適合率も高い。その上で、誰よりも努力を欠かさない。品性も、美貌も、歌声も、すべてを兼ね備え、少し抜けたとこもあるがそれも魅力になってしまう完璧な人間。

 

「はあっ!」

 

最後の一体が翼に両断され、消滅すると同時に、訓練終了を告げるブザーが鳴り響いた。

 

「そこまで。今日の訓練は終了だ」

 

入口から、赤い髪を逆立て、スーツをきっちりと着こなした偉丈夫が入ってくる。風鳴弦十郎。翼の親戚であり、この特異災害対策機動部二課の司令官だ。

 

「お疲れさん。翼も奏も、この後の予定はないはずだ。もう上がっていいぞ」

「わかりました」

「……あたしはいい。もう少し続ける。さあ、次を出してくれ」

 

翼がシンフォギアを解除する一方で、奏はアームドギアの槍を握りしめたまま、訓練の続行を望んだ。

 

「やめておけ、奏。お前の体は限界だ。これ以上は体に毒になるだけだ」

 

弦十郎は、奏の覚悟を認めつつも、一人の大人として、これ以上彼女を追い詰めることはできなかった。

 

「そうだよ、奏。一旦やめて、今日はもう休もう?」

 

私服姿に戻った翼が、心配そうに声をかけてくる。翼は、奏のストイックな姿勢に、どこか憧れを抱いていた。自分にはない、苛烈なまでの目標への渇望。だからこそ、もっと彼女と仲良くなりたかった。彼女のことを、もっと知りたかった。

その純粋な気持ちから、翼はつい、こう言ってしまった。

 

「訓練もここで終わりにして、“それより”も、どこか美味しいものでも食べに行かない?奏のこと、もっと聞きたいな」

 

翼に悪気はなかった。だが、その言葉が、余裕を失っていた奏の心の琴線に、最悪の形で触れてしまった。

 

「……さい」

「え?」

「……うるっさいんだよッ!!」

 

心の奥底に溜め込んでいた黒い感情が、堰を切ったように爆発した。家族の仇を討つこと。それが、今の奏にとってのすべてだった。

 

「あたしは強くならなくちゃならないんだ!みんなの仇を討たなくちゃいけないんだ!!ノイズを殺せるなら、明日なんていらないんだよ!」

 

ぐちゃぐちゃになった心が、行き場を求めて叫び出す。

 

「なのに『それよりも』だって!?……翼はいいよな!家族もいて!環境も才能も、何もかも持ってて!その余裕の顔の裏で、どうせあたしのこと、下に見て笑ってんだろ!?」

 

自分でも何を言っているのかわからない。ただ、苛立ちだけが言葉になって溢れ出ていく。

「ち……ちが……」

 

「もうほっといてくれ!関わるな!仲良くしてくれなんて誰が頼んだ!?勝手に一人でやって……っ!?」

「奏ッ!!」

 

これ以上は言わせまいと、弦十郎の張りのある大声が訓練室に響き渡った。

叫んだことで息が切れ、歯を食いしばって弦十郎を睨みつける。怒られる、そう思った。だが、弦十郎の顔は、怒りではなく、深い悲しみに歪んでいた。

 

(な、なんで……?どうして、そんな顔……?)

 

予想外の表情に戸惑った、その時。背後から、ひっ、と息をのむような、すすり泣く声が聞こえた。翼だった。

 

「ごめん……なさい……ごめん、なさい……」

 

アメジストのような美しい瞳から、涙がはらはらと溢れ落ち、整った顔立ちがくしゃくしゃに崩れている。

 

(ち、違う。あたしは……あたしが……!?)

 

初めて見る翼の泣き顔。自分が吐き出した醜い言葉。あまりの現実に、奏の心臓が破裂しそうなくらい激しく脈打ち、頭の中が真っ白になった。

 

「え、あ、う……うわぁあああ!!」

「待て!奏ッ!!」

 

奏は、叫びながら訓練室を飛び出した。一刻も早く、この場所から逃げ出したかった。

恩人に醜い感情をぶつけてしまった。気高い仲間たちの中で、自分だけが勝手な癇癪で戦っている。そして何より、心のどこかで憧れていた翼を、泣かせてしまった。

雨が降りしきる外へ飛び出し、奏は当てもなく街中へと消えていく。その頬を伝うのは、冷たい雨粒か、それとも後悔の涙か。もう、奏自身にも分からなかった。

 

 

 

奏が飛び出していった扉に、弦十郎は手を伸ばしたまま、しばらく立ち尽くしていた。今すぐにでも追いかけたい。だが、目の前で泣き崩れている翼を放っておくわけにもいかなかった。

 

「翼……大丈夫か?」

「はい……グスッ、なんとか……」

 

弦十郎は、己の至らなさを悔いていた。心の傷は、そう簡単には癒えない。歳の近い翼がいれば、奏も復讐以外の生き甲斐を見つけられるのではないか。そんな甘い考えが、彼女をここまで追い詰めてしまったのだ。

弦十郎はポケットから携帯を取り出し、通話をかける。

 

「もしもし、了子くんか?」

『は〜い、デキる女の櫻井了子です♪どしたの?弦十郎くん』

 

電話の向こうから、蜂蜜のように甘ったるい声が聞こえる。

 

「少し野暮用ができた。後のことは任せる」

『え?……ちょっ』

 

返事も聞かず、一方的に通話を切る。ここで自分が行かなければ、奏との間にできた亀裂は、二度と元には戻らない。そんな確信があった。

 

「司令……わたしは、そんなつもりじゃ……」

 

俯く翼に、弦十郎は力強く言った。

 

「わかっている。必ず、奏は俺が連れて帰ってくる。だから翼は、ここで体を休めていてくれ」

「……はい」

 

 

 

「……っていうわけさ」

「へ、へぇ〜。そんなことが……」

テーブルに肘をつき、頬杖をつきながら、奏ちゃんは事の経緯を話してくれた。風呂から上がり、僕の母さんが昔着ていた、少しサイズの大きい服に着替えた彼女は、どこか吹っ切れたような顔をしていた。

ノイズに家族を殺され、引き取られた先で、父代わりの弦十郎さんと、仲間の翼ちゃんという女の子に、酷いことを言ってしまった。合わせる顔がなく、飛び出して、雨の中を彷徨っているうちに、ここにたどり着いた、と。

 

……うん。重い。重すぎる。

 

せいぜい、家族と喧嘩して家出でもしたのかと思っていたら、想像の斜め上を行くヘビーな話だった。奏ちゃんも、話しているうちに辛い記憶が蘇ったのか、また少し雰囲気が暗くなりかけている。

何か空気を変えなければ、と思ったその時。

 

ぐぅぅぅ〜〜〜……。

 

静かな部屋に、盛大な腹の音が響き渡った。僕じゃない。お爺ちゃんは下にいる。ということは……。

 

「ははっ、悪い。あたしの腹の音だ。そういや、ここに来るまでまだ何も食べてなかったっけ」

 

恥ずかしそうに頬を染め、お腹をさするジェスチャーをしながら、奏ちゃんが笑う。

 

「せっかくだし、何か食べてく?もうこんな時間だし、保護者への連絡も、食べてからで遅くはないよ。最悪、今日は泊まっていってもいいし」

「それは悪いって……言っても、聞かないんだろ?優斗は」

「おっと、そこまでお見通しか。もしかしてエスパー?」

 

僕の冗談に、奏ちゃんは楽しそうに笑って返してくれた。

 

「そんなわけないだろ」

「だよね。今日はハンバーグだけど、好き嫌いやアレルギーとかはない?」

「大丈夫。好き嫌いがないのが、あたしの取り柄の一つさ」

「わかった。それじゃあ、テレビでも見て待っててよ」

 

僕は部屋を出て、キッチンへと向かった。

晩御飯は僕が作ることになった。ハンバーグのタネは、昼のうちに作ってある。フライパンで両面をこんがりと焼き、蓋をしてじっくりと蒸し焼きにする。竹串を刺して、透明な肉汁が溢れ出てくれば、火が通った証拠だ。

皿にハンバーグを移し、フライパンに残った肉汁にケチャップとウスターソース、隠し味の醤油を加えてソースを作る。それをハンバーグにたっぷりとかければ完成だ。付け合わせのサラダと、市販のコンソメスープ、そして温かいロールパンを添えて。

 

「お待たせー。ハンバーグ、お待ちどう様」

「待ってましたっ!おおー、美味そうだな!」

 

テーブルに運んだハンバーグに、奏ちゃんの目が輝く。

 

「僕の分はまだ下にあるから、先に食べてていいよ」

 

そう言って一度キッチンに戻ったが、僕が自分の分を持って部屋に戻ると、奏ちゃんは手も付けずに待っていてくれた。

 

「先に食べててよかったのに」

「作ってもらったのに、家主より先に食べるわけないだろ?」

 

コップにお茶を注ぎながら言うと、奏ちゃんは姿勢を正して、悪戯っぽく笑った。

 

「そう?……じゃあ、食べよっか」

「そうだね。……いただきます」

「いただきます」

 

二人揃って手を合わせる。奏ちゃんは待ちきれないといった様子で、早速ハンバーグにナイフを入れた。

 

「うーん、うまい」

 

僕も一口頬張る。今日のハンバーグは、奏ちゃんの好みに合わせて少し濃いめの味付けにしたが、我ながらなかなかの出来だ。

 

「そのハンバーグ、奏ちゃんの口に合った?……かな?」

 

感想を聞こうとしたが、奏ちゃんの様子がおかしい。ハンバーグの一片を口に運んだまま、信じられないものを見るような目で、皿の上を見つめている。

 

「ど、どうしたの?もしかして、まずかった?」

「違う、味は美味いんだ。……だけど」

 

呆然とした顔のまま、もう一口。今度は味を確かめるように、ゆっくりと咀嚼する。そして、飲み込んだ後、彼女の瞳から、静かに一筋の涙がこぼれ落ちた。

 

「……かぁ、さん?」

「お母さん?」

 

まさか、僕が作ったハンバーグが、奏ちゃんのお母さんの味と似ていたんだろうか。

奏ちゃんは、流れる涙も拭わず、ただ夢中でハンバーグを食べ進めていく。一口、また一口と、大切な何かを確かめるように。僕も、今は何も言わず、ただ静かに自分の食事を進めることにした。

外の雨音と、二人の食器が触れ合う音だけが、部屋に響いていた。

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさま」

 

食事が終わり、食器を片付けた後、僕は奏ちゃんが座るソファの隣に腰掛けた。彼女は、何か言いたげな雰囲気を漂わせている。

しばらく無言の時間が流れた後、少し落ち着いた様子の奏ちゃんが、ぽつりと口を開いた。

 

「……聞かないのか?」

「話したいのなら、聞くよ」

 

僕の即答に、奏ちゃんはきょとんとした後、ふっと軽く笑った。

 

「……ぷっ、なんだよそれ」

 

その笑いで心の整理がついたのか、彼女はぽつり、ぽつりと語り始めた。

 

「あたしさ、今の生活の中で、ずっとこれでいいのかって……心のどこかで悩んでたんだ。ノイズのせいで一人だけ生き残って……。家族の最後の瞬間が、いつも頭の片隅にこびりついて、離れない。そのたびに、胸が怒りでどうにかなりそうで……苦しくってさ……」

 

僕は黙って頷く。

 

「憎しみや怒りは、いつまでも消えない。でも、それはいいんだ。これは、あたしのものだから。……でも、翼に酷いことを言って……あんな顔をさせたのは、あたしで……。雨の中、あたしなんかこのまま消えちゃえばいいって、本気で思ってた」

 

膝の上の手を強く握りしめ、奏ちゃんは悲痛な表情で語る。

 

「でも……優斗の料理が、思い出させてくれたんだ」

 

沈んでいた彼女の表情に、ぱっと、小さな光が灯った。

 

「僕のが?」

「……味付けや食感がさ、母さんのハンバーグに、そっくりだったんだ。……そういや、妹も好きだったっけな。二人しておかわりするもんだから、すぐ足りなくなってさ。たまに取り合いになって、母さんに叱られて……父さんが笑いながら、自分の分を分けてくれたっけな……」

 

大切な思い出を語るうちに、奏ちゃんの瞳がまた潤んでいく。

 

「……その時の味に、似ていたの?」

「……ああっ……!とっても……っ!」

「そっか……よかった」

 

僕の言葉に、奏ちゃんは不思議そうに顔を上げた。

 

「だって、奏ちゃんの中に、今もちゃんと家族が生きてるって、わかったから」

「あたしの中に……?」

「うん。君の中にある憎しみや怒りは、僕には本当の意味では分かってあげられない。けど、それ以上に、君が誰かを信じたいって思ってる気持ちは、すごくよくわかったよ。だって……」

 

僕は、彼女の目をまっすぐに見て、続けた。

 

「そうやって、喧純して『言い過ぎたかな』って落ち込んだり、大切な家族のことを話して明るく笑えたりする人がさ、優しくないわけないじゃないか。奏ちゃんは、すごく頑張ってるよ。……本当によく、頑張ったね」

 

その言葉が、最後の引き金になった。奏ちゃんの瞳から、堪えていた涙が堰を切ったように溢れ出す。僕は、その小さな背中を、ただ優しく、ぽん、ぽんと撫で続けた。

数分後。すっかり落ち着いた奏ちゃんにティッシュを渡した、その時だった。玄関のインターホンが鳴った。こんな時間に誰だろう?

 

「誰か来たみたいだね。ちょっと下に行って、確認してくるよ」

 

階段を降りると、玄関にはすでにお爺ちゃんがいて、お客さんに対応していた。赤い髪に赤いシャツを着た偉丈夫が真剣な表情のその相手は……。

 

「君が優斗くんかい?奏が世話になったな。はじめまして、だな。風鳴弦十郎だ」

「風鳴さん……!」

 

いつの間にかついてきた奏ちゃんを迎えに来たのだ。弦十郎さんは、昔のお爺ちゃんと知り合いらしく、二人は親しげに話していた。聞けば、お爺ちゃんが風鳴家で働いていたことがあるらしい。

 

あの後弦十郎さんから感謝の言葉をもらい、このお礼はなからずする、との事だった。圧が強すぎてことわりの返事はしていない。それだけ心配していたのだろう。弦十郎さんの車に乗る前、奏ちゃんは、おずおずと僕に尋ねた。

 

「……また、来てもいいか?」

 

僕は、満面の笑みで頷いた。

 

「もちろん。今度は、友達と、弦十郎さんも一緒に、ぜひ来てください」

 

 

 

流れる夜景が映る車内で、奏と弦十郎の間には気まずい沈黙が流れていた。奏は、酷い言葉をぶつけてしまった負い目から。弦十郎は、彼女をそこまで追い詰めてしまったことへの後悔から。

やがて、奏がぽつりと謝罪の言葉を口にし、翼の様子を尋ねた。弦十郎は、翼はもう眠っていると答えた。

また、沈黙が落ちる。

 

「……復讐は、やめられない。でも」

 

静寂を破ったのは、奏だった。

 

「これから一緒に戦う仲間たちに、ちゃんと謝って、あたしのことを話す。翼とも……ちゃんと、向き合う。そう、決めたから」

 

「だから、これからもよろしくな。おっさん」

 

その声は、静かだったが、迷いのない力強さに満ちていた。弦十郎は、その言葉に感慨深げに、そして優しく、ただ一言、「ああ」と頷いた。

 

 

数日後。コモドのドアベルが、カラン、と軽やかな音を立てた。

 

「いらっしゃーい」

「よっ、優斗!」

 

そこに立っていたのは、奏ちゃんだった。そして、その隣には、青い髪の少女。奏ちゃんが言っていた風鳴翼だろう。少し緊張した面持ちの翼ちゃんの姿が。翼ちゃんは、僕を見つけると、深々と頭を下げた。

 

「はじめまして、風鳴翼です。この度は、奏がお世話になりました。あなたのおかげで、奏は……私たちと、向き合ってくれました。本当に、ありがとう」

「いえ、僕は何も……」

 

カウンター席に、奏ちゃんと翼ちゃんが仲良く並んで座る。二人が軽口を叩き合いながら笑っている姿は、まるで昔からの親友のようだった。

 

僕は、そんな二人を微笑ましく思いながら、カウンター越しに尋ねた。

 

「ご注文は?」

 

すると奏ちゃんは、太陽のような笑顔で、元気よく言った。

 

「もちろん、ハンバーグで!」

 




本話にぶち込む技量がない作者のQ&A

Q、奏が翼達とギスギスしすぎでは?
A、時系列的には、奏がガングニールを纏い、数回だけ出撃。助けた自衛官の歌の辺りの発言前になります。

Q、奏ってこんな性格?
A、自分はどうなってもいいから、ノイズを殺すため力を得たのに、才能がある人を見て、心の底に溜まっていた自身への苛立ちと翼への嫉妬心が爆発されていきました。後この時の翼と奏はコミュニケーションが足りてません。

Q、ハンバーグと家族のくだりは?
A、オリジナル設定です
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