あの日から、奏ちゃんと翼ちゃんの二人は、ちょくちょくコモドに顔を見せるようになった。最初は月に一、二回だったその訪問は、気づけば週に一、二回になり、今ではすっかり常連さんの一員だ。昼頃に来ることが多い奏ちゃんは、決まってハンバーグのランチを頼む。
もちろん、他のメニューも気になるらしく、一通りは食べているけれど、結局はハンバーグに戻ってくるのだ。対照的に、翼さんは和食の定食をよく食べている。
元々、喫茶店であるコモドのメニューに和食はなかった。それがどうしてメニューに加わったのかというと、こんな経緯があった。
ある日、ふとした会話で翼さんが和食好きだと知った僕は、試しに鯖の味噌煮定食を作って、試食として出したことがある。
「よかったら、どうぞ。口に合うか分かりませんけど」
「……!これは……」
一口食べた翼さんの目が、カッと見開かれた。
「優斗さん。この、ふっくらと煮付けられた鯖の身に、絶妙な塩梅で染み込んだ味噌のコクと甘み……そして、付け合わせの丁寧な仕事が施された小鉢の数々。素晴らしいです
」
「あはは、翼さん、大袈裟ですよ」
目を輝かせ、ふんふんと鼻息が少し荒い翼ちゃんの心から賞賛の言葉に、苦笑いで受け取る僕。隣で奏ちゃんが笑っている。
「大袈裟なものですか。この定食は、我が風鳴の料理番にも引けを取らない。いや、この温かみのある味わいは、むしろ……」
そこまで言って、翼さんは真剣な眼差しで僕を見つめた。
「優斗さん、一つ、お願いがあります」
「はい、なんでしょう?」
「この鯖の味噌煮定食を、コモドの正式なメニューに加えてほしい」
その言葉には、彼女の普段の優しい口調の中に、隠しきれないほどの強い圧がこもっていた。
「ええっ!?いや、でも、うちは喫茶店ですし……」
「そこをなんとか。この味を、私だけのものにしておくのは、世の損失なんです!」
「ぶはっ!翼、必死すぎ!」
翼さんの猛烈なプッシュと、それを見てお腹を抱えて笑う奏ちゃん。そんなやり取りの末、鯖の味噌煮定食は晴れてコモドの定番メニュー入りを果たしたのだった。意外にも頼む人が多いのは喜んでいいのだろうか?
ちなみに、弦十郎さんは奏ちゃんを引き取りに来た次の日に、立派な菓子折りを持って、改めてお礼を言いに来てくれた。今では時々、櫻井了子さんという科学者らしい女性や、緒川慎次さんという真面目そうな男性を連れてくることもある。なぜか、その了子さんからは、時々ジッと値踏みするような視線を感じることがあるけれど。
当然、奏ちゃんたちがそんな短い周期で来ていれば、よく顔を出す響ちゃんや未来ちゃんともかち合うことになる。響は持ち前の明るさと人懐っこさですぐに二人に懐いたが、未来ちゃんの方はしばらくの間、猫のように奏ちゃんを警戒していた。僕には理由が分からなかったけれど、未来ちゃんの女の勘が、奏ちゃんが僕に向ける感情は、単なる友達以上のものだと告げていたらしい。もっとも、奏ちゃんにとっては、そんな未来ちゃんの警戒心すら可愛らしく映るようで、よくからかっては楽しんでいる。翼さんも、最初は騒がしいこの空間に少し呆れているようだったが、最近ではその表情も自然と柔らかいものになっていた。
今日も、そんな四人がテーブル席に集まって、姦しくも華やかな会話に花を咲かせていた。奏ちゃんと響は大きなパフェを、翼さんと未来ちゃんはケーキセットを頼んでいる。
「奏、最近少し食べすぎではないか?体の管理も……」
「いーじゃん別に。最近、すこぶる体の調子が良くてさ、すぐお腹空くんだよ」
「わかるー!優斗お兄ちゃんのご飯、美味しいもんね!」
「響、あなたも人のことは言えないでしょう?」
翼さんの小言を奏ちゃんが軽く受け流し、響がそれに共感し、未来ちゃんが呆れたようにツッコミを入れる。いつもの光景だ。
食べ終えた後、ふと何かを思い出したように、奏ちゃんが僕を呼んだ。
「優斗、ちょっとこっち来て座ってよ」
幸い、他にお客さんはいなかったので、僕は素直にその隣に腰掛けた。すると、奏ちゃんは勿体ぶった様子で言った。
「じゃーん!重大発表があります!」
「「「?」」」
「あたしと翼、ユニット組んで歌手になるんだ!」
「奏!それはまだ守秘義務が……!」
翼さんが慌てて止めようとするが、奏ちゃんは意に介さない。
「いーじゃん、ここにいるみんなだから言うんだって。あたしたちのファン、第一号になってくれるだろ?」
突然の告白に、僕たちは三者三様の驚きを見せた後、すぐに祝福の言葉を贈った。
「すごい!おめでとう、二人とも!」
「おめでとうございます、翼さん、奏さん」
「かなでさんたち、テレビにでるの!?」
奏ちゃんは、ありがとうな、と少し照れ臭そうに、頬を染めながら言った。
「あん時、優斗がおふくろのハンバーグ食わせてくれたおかげでさ。あたし、ちゃんと踏ん切りがついたんだ。だから……ありがとな」
「私からも、礼を言わせて。ありがとう、優斗さん」
翼さんも、優しく微笑んで感謝を伝えてくれる。響はよく分かっていないのかキョトンとしていて、未来ちゃんは「むぅ」と可愛い唸り声をあげながら、奏ちゃんをじっと見ていた。
その数日後。新城家の写真立ての横には、一枚のサイン色紙が新たに飾られていた。
『親愛なるファン1号様の優斗へ。 ツヴァイウイングより』
と、二人のサインが書かれた、僕にとっての新しい宝物だ。
そこは、日本の地面深くに存在する、政府主導の超法規的機関。特異災害対策機動部二課。
オペレーションルームの巨大モニターに、シミュレーター内で訓練に励む二人の少女の姿が映し出されている。
「お疲れさん。今日の訓練はここまでだ」
司令官である風鳴弦十郎が、満足げにモニターを見つめる。その傍らには、技術主任の櫻井了子、オペレーターの藤尭朔也と友里あおいが控えている。
了子は、表示されたデータを見て、わざとらしく驚きの声を上げた。
「いやーん、信じられない!翼ちゃんはともかく、奏ちゃんのガングニールの適合率、軒並み最高値で固定されてるじゃない!この前なんて、リンカー無しでもいけるかもーなんて言うからそのまま展開させてみたけど、ほんとに問題ないし。どーなっちゃってるのかしらねぇ?」
そのおちゃらけた口調とは裏腹に、彼女の瞳の奥には鋭い探究の色が浮かんでいた。
「ふん。あいつらも、ようやく自分の顔で笑えるようになったということだ」
弦十郎は、本当に嬉しそうに目を細めている。彼はふと何かを思い出したように、了子に尋ねた。
「ところで了子くん。先日、例の喫茶店に行ったそうだが……優斗くんの料理は、どうだった?」
「んもぉ〜、すっごく美味しかったわよ!まるで、お肌が十歳は若返ったみたい!」
「……そうか」
コメントに困る弦十郎の耳に、オペレーターのあおいの声が届く。
「司令、回線繋ぎます」
弦十郎が受話器を取ると、了子はいつものふざけた雰囲気をすっと消し、深い思考の海に沈んだ。
(天羽奏のコンディションの異常なまでの向上。先日、私が彼の料理を食べた後、徹夜明けだったはずの体の疲労感が完全に消え去っていたこと……)
いくつかのピースが、彼女の頭の中でカチリと音を立てる。
(まさか、あの新城優斗に何か秘密でも?いや、観測した限り、彼自身からは何の特異性も感じられなかった。そもそも、手料理を食べただけで奇跡が起きるなんて……ありえない)
フィーネの思考回路に切り替わりつつあった脳が、その可能性を即座に否定した、その瞬間。
「了子くん!」
弦十郎の声に、はっと我に返る。
「はぁい、なぁに?弦十郎くん」
彼女は思考を中断し、いつもの櫻井了子の笑顔に戻ると、弦十郎のもとへ歩み寄った。
その時、彼女の頭の中から、新城優斗という存在は、すっかり抜け落ちていた。
日常という名のカウントダウンが、静かに時を刻んでいることに、まだ誰も気づいてはいなかった。
本話にぶち込む技量がない作者のQ&A
Q、なぜ翼はこんなに押しが強かったの?
A、光一朗の前職は風鳴の専属料理人です。やめてしまったもののレシピは今も残っており、光一朗から教えを受けた優斗は無意識に翼の好みを再現しています
Q、未来はなぜそこまで奏に警戒したの?
A、奏は隙あらば、優斗をじっと見ています
Q、なぜフィーネは優斗の料理を深く調べなかったの?
A、薬膳料理で体調は良くなっても、普通の料理でガンは治らない。そういうことです
Q、肌は十歳若返ったの?
A、若返りました