ハッピーエンドに向かうには   作:内海空洞

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ニンフルサグとシェム·ハ。2人のキャラコンセプトの一部として、決定的な何かがあった、響と未来をイメージして書いています。無印からXVまでのひびみくのシリアスシーンをミキサーにかけて混ぜ合わせ、2つに分割したものが今作の2人の状態です。

つまりどっちも重いです。


愛·Scream

風鳴訃堂が極秘裏に用意した、鎌倉の山間部に隠れるように建てられた研究施設。そのほど近くにひっそりと佇む豪奢な別荘の一室。

宵闇の中、そのベランダへふわりと舞い降りたニンフルサグは、念力で音もなく窓を開け放つ。彼女は優斗の身体を抱きかかえたまま宙を滑るようにベッドへと近づき、シーツの上に彼を静かに寝かせた。

 

「ふふ……」

 

眠り続ける優斗を見下ろし、ニンフルサグはその頬を愛おしそうにそっと撫でる。そして彼の腕を優しく掴むと、その手のひらを自身の頬へとぴったりと当てた。

優斗の脈打つ命の鼓動と温かな体温。それを己の肌の奥深くまで染み込ませるようにゆっくりと満喫していく。

 

極上の甘酒にでも酔ったかのように、彼女の瞳がトロンと熱を帯びて濁っていく。

 

「ん……あぁ……温かいわ、優斗……」

 

うっとりとした吐息を漏らしながら、スリスリと優斗の腕に何度も頬を擦りつけるニンフルサグ。そこにあるのは、完全に恋や執着に溺れきった一人の狂おしい少女の顔だった。

 

やがて彼女は名残惜しそうに身を離し、ふう、と小さく息を吐いて気を取り直した。

 

そして、自身が羽織っている白衣状のコートのポケットから『シェム・ハの腕輪』を取り出すと、優斗の腕へとひどく慎重に取り付ける。

 

優斗の身体や精神に少しの負担もかけないよう、己のリソースを腕輪へと注ぎ込み、ゆっくりと再起動させていく。

 

――トクン、と。腕輪の脈動が、優斗の鼓動と重なった。

     

 

 

 

 

一方、優斗の意識は深く暗い闇の底を漂っていた。

 

(ここは……何だろう)

 

上も下もない、音すらない無音の世界。その暗闇の向こう側から一条の『光』が迫ってくるのを優斗は見た。

最初はただの小さな光の玉だったそれは、近づくにつれて徐々に人の形を成していく。

やがてその光が太陽のような強烈な輝きを放ち始め、優斗はたまらず反射的に腕で顔を覆い、目を細めた。

 

「…………っ」

 

どれほどの時間が経っただろうか。

肌を刺すような強い光が収まり、優斗がゆっくりと防いでいた腕を下ろすと、目の前の空間には一人の女性が立っていた。

 

威風堂々とした立ち姿。人智を超えた美しさと肌、圧倒的な神性を纏った存在。

それはまさしく、アヌンナキとしての本来の姿を保った神、シェム·ハであった。

 

圧倒的な存在感と神性を放つその姿に息を呑み、優斗は思わず掠れた声をもらした。

 

「あ、なたは……?」

「不遜である」

 

冷たく、しかし空間そのものを震わせるような絶対的な重圧を伴う声が響いた。

シェム・ハは不機嫌そうに目を細め、眼下の優斗を冷徹に見下ろす。

 

「他者に名を尋ねる前に、まずは己から名乗るのが礼儀というものであろう」

「あ、それはすみません。 始めまして、僕は新城優斗と言います」

 

圧倒的な神の威圧感と、ぐうの音も出ない正論のダメ出し。

優斗は条件反射のように背筋をピンと伸ばすと、慌てて頭を下げて自己紹介をした。

 

神という超越者を前にしても、怯えきることも無駄に反発することもなく素直に非を認めて敬う姿勢を見せた優斗。そのあまりにも予想外な反応に、シェム・ハは少しばかり虚を突かれたように瞬きをした。

 

(……ふむ。矮小なヒトの子にしては、己の立場を弁えた殊勝な心がけを持っているな)

 

素直な優斗に毒気を抜かれ、ふっと気をよくしたシェム・ハは口角を少し上げた。

 

「よかろう、その敬意に免じて我が名も教えよう」

 

機嫌を直したシェム・ハは胸を張り傲然と、そしてこの上なく盛大に言い放った。

 

「我が名はシェム・ハ!シェム・ハ・メフォラシュ !!いずれこの星の知性体を一つに束ね、唯一神として統べる神である!」

「シェム・ハ……ッ」

 

その名を聞いた瞬間、優斗の脳内で散らばっていた情報がカチリと繋がり、雷のような衝撃が走った。

 

(シェム・ハって……エンキさんが何千年もかけて止めようと奔走していた、あの神!? ……思い出した!よく見れば、ちょっと前にニンフルサグさんと一緒に僕の夢の中に出てきたのもこの人……!)

 

目の前で腕を広げ、フフン、と偉そうにふんぞり返っているこの美しい女性こそが、かつてニンフルサグと袂を分かち、この星の生命を脅威に晒す反逆の元凶であると優斗はここでようやく気がついたのだった。

 

エンキから厄災をもたらすと言われていた神が目の前に現れている、という事実を突きつけられ内心冷や汗を流しつつも、優斗は持ち前の割り切りの早さで「取り敢えず話だけでもしてみよう」とコミュニケーションを取ろうと口を開きかけた。

 

だが、それよりも早く。シェム・ハは何か決定的な違和感を感じ取ったように、訝しげに周囲の暗闇を見渡した。

 

「我が目覚めたということは誰かがバラルを解き、あの腕輪をこの肉体に着けさせたか……。だが、我の意思が全く表に出せぬ。……ふん。まるで牢獄だな」

 

彼女は自身の置かれた状況を冷静に、かつ瞬時に分析していく。

 

「それに、こいつ自身から感じる波動……ニンフルサグの差し金か。我を止めると息巻いていたが、まさかこのような搦め手を使ってくるとはな。ニンフルサグめ……」

 

忌々しげに、だがどこかかつての親友の采配に感心したような響きを微かに混ぜて呟く。そして、シェム・ハの鋭い眼光が優斗を射抜いた。

 

「確かに効果的ではあるな。それに小僧……ただの人間ではないな? いかなる並行世界とも紐付かぬ『特異点』か。その上、ニンフルサグから直接力を分け与えられているな?」

「特異点……? 一体、どういうことなんですか?」

 

一人で納得し始めたシェム・ハの言葉に優斗は困惑して首を傾げる。

足場のない真っ黒な空中であったが、シェム・ハは音もなく重力に逆らうようにゆっくりと降下し、優斗と真っ直ぐ視線が交差する同じ高さに降り立った。

 

そして、値踏みするように優斗の顔を覗き込み、不敵な笑みを浮かべる。

 

「疑問ではないか? ……何故、お前のような存在に我が宿ることができたのかをな」

「それは……」

 

優斗は記憶を巡らせる。確か以前、エンキが言っていた。人類には『ネットワークジャマーバラル』という言語からなる他者への繋がりを妨害する状態が備わっており、それがシェム・ハの復活を妨げる強力な原因になっていると。

 

「じゃあ、僕にはその……バラルがかかっていないと言うことですか?」

「左様」

 

優斗の的確な推理にシェム・ハは同意するように頷いた。しかし直後、彼の口から飛び出した『忌々しい名』にピクリと眉を潜め、不快げに顔を歪める。

 

「エンキさんが言っていたバラルがかかっていない?……あ、考え事をしてすいません。僕の事情を説明するとですね……」

「不要である」

 

慌てて説明しようとする優斗を、シェム・ハは遮った。

 

「ここは貴様の内なる世界。わざわざ言語を介して語るよりも、我が直接貴様の記憶を読み取れば済む話よ」

 

そう言うや否や、シェム・ハの瞳が怪しく輝き、優斗のこれまでの人生――その記憶の奔流へとアクセスし始めた。

最も色濃く刻まれていた響と未来との初めての出会い。そこから今日に至るまでの激動の日々が、彼女の脳裏に瞬時に流れ込んでいく。

 

(ほう……これが、あのエンキが気にかけていたという女か)

(…アダムとかいうあの出来損ないの実験体がまだ生き永らえていたとはな)

 

記憶を読み進めながら、シェム・ハは時折興味深そうに呟く。

 

だが、大昔に自分へ致命のトドメを刺した張本人――エンキが、この現代まで肉体を持って月で生き延びていた事実を優斗が知った瞬間の場面。

 

「チィィィィッ!!」

「……ッッ!?」

 

空間が震えるほど特大の舌打ちを響かせた。

思わず近くにいた優斗も肩を跳ねて驚いてしまう。

 

「あの忌々しい男めが……! 昔に我を何度も殺したのみならず、ニンフルサグと結託してまで我の邪魔をしようというのか……!」と、神らしからぬドス黒い恨み言をブツブツと吐き捨てる。どうやら昔にあった因縁を今でも覚えているようだ。

 

――だが、本当にシェム·ハにとって、問題なのはここからだった。

 

記憶は進み、優斗の誕生日パーティーへと至る。優斗自身は出会った直後のニンフルサグによって意識を刈り取られていたため、自覚的な記憶はない。しかし、人間は意識を失っていても聴覚は生きていることが多い。そのため優斗の肉体は周囲の音。乱入してきたニンフルサグの立ち振る舞いやその言葉を、無意識下にしっかりと『記録』してしまっていたのだ。

 

シェム・ハは、その記録を直に脳内に直接読み取ってしまった。

優斗を抱きしめ、頬を擦り寄せて恍惚とした表情で語る、かつての親友の姿を。

 

『ああ! 優斗、優斗!! 貴方の事をずっと、ずっとずっとずっとずっと見ていたわ!!』

『私が極上の幸福だけで満たして、甘やかして……その幸せに満ちた甘美な姿を私だけが味わい尽くしたいの! 永遠に愛し、慰め、満たし、独り占めしたいの!!』

 

「……………………は?」

 

あの、常に知的で高潔で、認めたくはないが自分より上のニンフルサグが。慈愛慈悲の精神で人類の行く末を見守るニンフルサグが。

 

たった一人の男に完全に狂い、激重な愛情と欲望を撒き散らす病んだ少女に成り果てているという、あまりにも信じがたい現実。

 

その場にいた全員がドン引きしたヤンデレ発言の全容を余すことなくノーカットで直聞きしてしまったシェム・ハ。

 

彼女の美しい顔が、言葉にならない強烈な困惑と悪寒で文字通り限界まで引きつっていた。

あまりにも重く、ねっとりとした特大の感情。それが他でもない、目の前にいるこの男――優斗一人に向けて全て注がれているという事実シェム・ハは完全に引いていた。

 

(恋愛事に全く触れた事が無いと言っていたが、ここまで拗らせていたか……)

 

シェム・ハの知るニンフルサグは、少し天然なところはありつつも極めて聡明で、シェム·ハに対して馴れ馴れしかったがその実、確固たる信念と芯を持つ高潔な神だったはずだ。

 

それがどうだ。数千年の間という空白期間があったとはいえ、よもや一人の人間にここまでドロドロの執着を抱く存在と化しているとは。あまりの変貌ぶりにシェム・ハは完全に呆気に取られてしまった。

 

そして同時に、一つの恐ろしい事実に思い至る。

目の前の優斗は意識を失っていたためにニンフルサグの狂態を一切知らないのだ。

つまり、彼がこの精神世界から起き上がり現実世界で目を覚ました瞬間。彼を待ち受けているのは極限まで拗らせ、彼を甘やかし尽くそうと待ち構えている、狂気の女神とのマンツーマンでのご対面である。

 

(……あの重すぎる執着が、我に向けられたものでなくて本当に良かったわ)

 

神としては情けないが心底からの安堵を覚えつつ、シェム・ハは優斗へ視線を戻した。

その瞳には、先ほどまでの威圧感など微塵もない。ただ純粋に、これから地獄へと向かう哀れな生贄を悼むような、すっごく可哀想なものを見る目が向けられていた。

 

「……不憫である。……気を強く持てよ、新城優斗」

「えっ!? な、何を見たんですか!?僕に一体何があったというんですか!?」

 

さっきまで傲岸不遜にふんぞり返っていた厄災の神から、突然肩でも叩かれんばかりの底知れぬ同情と労いを向けられた優斗。

 

彼には当然その理由など知る由もなく、ただただ不気味さと困惑に顔を引きつらせて叫ぶしかなかった。

何とも言えない微妙な空気をどうにか誤魔化そうと、優斗はコホンと一つ咳払いをして口を開いた。

 

「えっと…その…シェム・ハさんはニンフルサグさんとは、どういう関係だったんですか?」

 

その問いに、シェム・ハはピクリと柳の眉を動かした。

 

(……本来であれば、斯様な小僧と無駄話に興じている暇などないのだがな)

 

現状のすべてを理解したシェム・ハとしては、これ以上優斗と対話をする義理はない。速やかにこの肉体の主導権を奪い、本来の目的を果たしたかった。

 

彼女の目的――それは、この星のすべての知性体を一つに統合させ、宇宙に全能の「唯一神」を誕生させること。それこそが、「互いに分かり合えない」という知性体だけが抱える根源的な『痛み』に抗う唯一の手段だからだ。統合されれば、すれ違いから生まれる悲しみも広がることはなく、無力な人間が理不尽に淘汰される未来も消え去る。

 

しかし、なぜかこの肉体の「権限」は目の前の優斗がしっかりと握ったままだった。

これがニンフルサグの施した細工の所為なのか、あるいは並行世界に唯一の『特異点』という彼の特殊な性質故か。自らのハッキングが通じないという初めてのケースに苛立ちを覚えつつも、神の知的好奇心を強く惹かれていた。

 

(仕方あるまい……強引に奪えぬのなら、籠絡するまでよ)

 

シェム・ハは小さく息を吐き、対話の姿勢をとることにした。優斗に情を湧かせるか、あるいは何らかの契約を結べるよう、ある程度こちらに好意的な態度を見せておくという打算的な判断だった。

 

「……語るほどの事でもないが。強いて言うなら、腐れ縁というやつだ」

 

そう前置きをして、シェム・ハは語り始めた。

二人が出会ったのは、アヌンナキがこの地球に降り立ち、進化のプロセスを解明するための実験

 

――すなわち、地球上の「生命の創造」を始めたばかりの時代だった。

 

シェム・ハはその卓越した技術ですぐさま頭角を現し、同族の間でも『改造執刀医』と畏怖と称賛を込めて評されるほどに名を広めていった。

だが、そんな彼女よりもさらに早く、そして圧倒的な成果を上げていた神がいた。それこそがニンフルサグである。

 

生命の創造、高度な学問の構築、未知の技術開発。あらゆる分野で多岐にわたる快挙を成し遂げていくニンフルサグ。だが、シェム・ハが見る彼女の表情はどこか退屈そうで、ひどくつまらなさそうに見えたのだ。

 

「あれだけの大業を成しておきながら、何故あのような顔をするのか……当時の我は、それが無性に腹立たしくてな」

 

ムカついたシェム・ハは、彼女に対抗するように自身の研究と成果をさらに上げていった。

そして長い時間が経ち、ついにニンフルサグがシェム・ハの実力を明確に認知した時のこと。彼女がひどく面白そうな、輝くような笑顔で話しかけてきた時――何故かシェム・ハの胸の奥に、ひどく満たされたような、嬉しい感情が湧き上がったのだという。

 

「きっとあの時に、我はニンフルサグ……『ニンフィ』と友になったのだろうな」

 

そこから、神々らしからぬ奇妙な友情が始まった。

無音の空間に、シェム・ハの脳裏に浮かんだ光景が幻影のように映し出される。

 

『見て見てシェム!ここに飲み物いれると〜?…なんと!2秒でキンキンに冷えちゃうの!』

『……疑問だが、それにどれだけのリソースと部品を使ったのだ?』

『えーっと……あれと、これと、それかな?』

『今すぐ戻せ』

 

高度な次元干渉技術と貴重な素材を無駄遣いして、ただ果実水をキンキンに冷やすためだけの機械を作って呆れられた日。

 

『ねえねえシェム!新しい料理を作ったの!味見、お願いね』

『否認である拒否である否定である!!何故料理ごときが蠢いている!?』

『さあ?』

『貴様!……おい、待て、こっちに来るな!……むがー!?』

 

ニンフルサグが「新しい芸術の創造よ!」と意気込んで作った料理が、何故かドロドロの意思を持ってシェム・ハの顔面に襲いかかってきた日。

 

『あの二人、何をして……ひゃあーー!?』

『些末であるな。キス程度などアヌンナキ連中でもやっていることだろう』

『それはそうなんだけど!……なんか、いけない物を観ているようでぇ』

『ニンフィ。いつまでもその様子であるのならば、いつか生き遅れと呼ばれるぞ』

『それは貴女もでしょーー!』

 

あるいは、遥か上空から人間を観察していた時、若い男女が物陰で口付けを交わすのを見たニンフルサグが顔を真っ赤にして両手で目を覆い隠しながらも、指の隙間をバッチリ全開にしてガン見しており、シェム・ハが横で深い溜息をついた日――。

 

「……ふっ。今思えば、本当に馬鹿馬鹿しい日々であったよ」

 

懐かしむように目を細めるシェム・ハ。

まるで、どこにでもいる普通の小娘のようにはしゃぎ、笑い合ったあの時間。それは間違いなく数千年を生きるシェム・ハの生涯の中で、一番眩しく輝く『黄金のような日々』だった。

 

(だからこそ……あそこまで無残に壊れてしまったあいつの姿など、見たくはなかったのだがな)

 

先ほど読み取ってしまったニンフルサグのヤンデレ化した姿を思い出し、シェム・ハが心の中でこっそりと頭を抱えた、その時だった。

 

「……あれ?」

 

優斗の輪郭が、ノイズが走ったようにブレ始めた。

絶対的な無音だったこの精神世界に、ドクン、ドクンという彼自身の心音と、外界の『空気の揺らぎ』が混ざり込み始める。

 

「時間切れか。どうやら、お前の肉体が意識を取り戻し始めたようだな」

「えっ、目覚める……? そっか、僕、目を覚ましたらみんなのところに――」

 

安堵の笑みを浮かべる優斗を見て、シェム・ハは口元をヒクつかせた。

 

(……こいつ、自分が今どこで誰の隣で寝かされているか全く気づいておらぬな。無理もない、まさか恩人であるニンフルサグが大暴れするとは思ってもなかろうよ)

 

「新城優斗」

 

意識が途切れ、闇の底へと浮上していく優斗の背中へ向け、がらでは無いと分かっているが、シェム・ハは最後に心底からの哀れみとエールを込めて声をかけた。

 

「――健闘を祈る」

 

それが、これから激重な神の愛の牢獄で目を覚ます特異点へ向けられた、厄災の神からの手向けの言葉だった。

 

 

 

 

 

優斗は微睡みの中から、ゆっくりと現実へ意識を浮上させた。

視界が鮮明になると同時に、至近距離にこの世のものとは思えない美貌が飛び込んでくる。宝石のように澄んだ黄金の瞳。そして、まるで世界で一番愛おしい宝物を愛でるような、とろけるように柔らかく深い慈愛に満ちた笑顔。

 

ニンフルサグが、ニコニコと極上の笑みを浮かべて彼を覗き込んでいたのだ。

 

「……っっ!?」

 

優斗は心臓が跳ね上がった。

いきなりの至近距離での顔合わせに体がビクッと軽く跳ねるも、すんでのところで理性を総動員し、情けない驚きの悲鳴をグッと喉の奥に押し込める。

 

「起きたのね! 優斗! 具合はどう? 変なところはない?」

 

だが、ニンフルサグは優斗の驚きなど気にも留めず、さらに顔を近づけてきた。

互いの鼻先がツンと触れ合いそうなほどのゼロ距離。彼女からふわりと香る甘い匂いと、整いすぎた顔立ちに覗き込まれ、優斗は思わずカッと頬を熱くした。

 

「あ、あの、ニンフルサグさん?」

「なあに?」

「ごめんなさい……ちょっと、近いです……」

 

優斗は慌てて両手のひらを揃えて小さな壁を作ると、ジリジリとベッドの上を後ずさる。

ニンフルサグは「きょとん」とした顔で首を傾げたが、特に気にした様子もなく優斗のすぐ隣に腰を下ろした。

優斗もベッドを椅子に見立てて座り直し、周囲を見渡した。

 

(おかしいな……)

 

確か先ほどまで、響たちと外で誕生日パーティーをしていたはずだ。しかし、ここは見覚えのない豪奢な部屋の中である。

 

「確かあの時、星空の下でニンフルサグさんに会ったと思ったら、急に意識がなくなって……もしかして、ニンフルサグさんが介抱してくれたんですか?」

 

優斗は完全に状況を勘違いしていた。

自分は連日の疲れか何かで倒れてしまい、偶然現れた彼女が助けてくれたのだと認識したのだ。まさか、目の前でニコニコしている女神が、自分を強制的に気絶させて攫ってきた張本人だとは夢にも思っていない。

 

「ありがとうございます。ニンフルサグさんもやっとこっちに来れたんですね。おめでとうございます!」

「こっちこそ、優斗がいたから来れたのよ。それと改めて。優斗、お誕生日おめでとう」

「はい! ……でも、ニンフルサグさん。もしかして、そっちが素ですか? 初めて会ったときよりだいぶ柔らかい気がするのですが……」

 

その指摘に、ニンフルサグはほんの少しだけ頬を染め、もじもじと指先を絡ませた。

 

「えっと、そうなの。あの時は……そのぅ……ちょっぴり気が張りつめていて余裕がなかったの。……不快、だったかしら?」

 

上目遣いで、おずおずと尋ねてくるその姿は、庇護欲をそそる可憐な少女そのものだった。

 

「別に不快でもなんでもないですよ! ……ただ、そっちの方が、なんていうか親しみやすくて僕は好きです」

「本当かしら!?」

 

優斗の言葉に、ニンフルサグはパァッと顔を輝かせた。

 

「じゃあ、優斗の前ではずっとそうしているわ! ……それと、無理に敬語を使わなくていいのよ? 普段どうりの方が私は嬉しいわ」

「……ニンフルサグさんがいいのなら。……それじゃあ、もう少し砕けた言い方で話すよ」

 

微笑み合う二人。一見、和やかな空間。

しかし、そのやり取りを優斗の意識の奥底で傍観していたシェム・ハは盛大に顔を引きつらせていた。

 

(……驚愕であるな)

 

あの時のヤンデレ全開な狂態を直接見聞きしたシェム・ハからすれば、今のニンフルサグの態度はどう見ても「猫を被っている」としか思えない。優斗を安心させるために、見事なまでに無害で可憐な少女を演じきっているのだ。

 

かつては互いに高め合い、最終的にはシェム・ハ自らが絶縁を叩きつけた相手でもある。かつての親友だったニンフルサグがここまであからさまに媚を売り、一人の人間に愛を乞う姿を見せつけられたシェム・ハは内心、酷く複雑な感情を抱かずにはいられなかった。

 

ふと、優斗は自分の腕に奇妙な重みと冷たさを感じた。

視線を落とすと、そこには見慣れぬ、しかしいこかで見たような意匠の腕輪がはめられている。

 

(これ……確か、さっきの夢の中でシェム・ハさんがつけていた腕輪とそっくりだ……)

 

それよりも今は優先して確認すべきことがあった。ここが何処なのか。そして、響や未来たち皆はどうしているのか。

 

「ニンフルサグさん。久しぶりに会えたのはやまやまですけど、ここは何処?」

「そうね。ここは……」

 

ニンフルサグは軽やかな足取りで窓際へ向かうと、ベランダのカーテンと窓を大きく開け放った。

目に入ってきたのは見渡す限りの深い緑。周囲を険しい山々に囲まれた、外界から完全に隔絶された森だった。澄んだ空気が流れ込む中、視界の隅には無機質な研究所のような施設が建っているのが見える。

いつの間にか山奥に運ばれていた事に驚く優斗に、ニンフルサグは振り返って事もなげに説明した。

 

「ここは風鳴訃堂が所有する研究所の別荘なの。場所は……まあ、内緒でね? ずっと寝ていたから分からなかったかも知れないけど、あれから1週間たったのよ」

「1週間!? 嘘ですよね?…みんなは、僕がここにいることを知っているの?」

 

場所も時間も大きく飛んでいた事に優斗は驚愕した。しかし、一番気がかりなのは残された奏や響たちのことだった。

 

「知らないわよ?」

「……え?」

 

しかし、悪びれる様子もなく首を傾げたニンフルサグの答えに、流石の優斗も顔色が変わる。

 

「だって、私が貴方をここに連れてきたんだもの」

「それって、どういう……うわっ!?」

 

次の瞬間。窓の近くに立っていたはずのニンフルサグが、文字通り優斗へと飛びかかってきた。

勢いそのままにベッドへと押し倒され、優斗は彼女に完全に馬乗りになられてしまう。

 

「ふふっ……ふふふふっ! ああ、驚いた顔も本当に素敵で愛おしいわ!」

 

先ほどまでの可憐な少女の面影は、そこにはなかった。

至近距離で見下ろしてくる黄金の瞳は、ドロドロに溶けたような熱を帯び、艶やかな唇がひどく甘い弧を描く。

 

「この1週間……私は一睡もせず、一秒たりとも貴方の側を離れなかったわ」

「い、一週間ずっと……?」

「ええ、そうよ。貴方の腕にあるシェムの腕輪。それを貴方の身体に完全に馴染ませるためにね」

 

ニンフルサグは優斗の胸にすり寄るように顔を近づけ、陶酔しきった吐息を漏らす。

 

「貴方の心や身体が、神の力で少しでも傷ついてしまわないよう……私が付きっ切りで力を注ぎ込んで、親和性をナノ単位で調整し続けていたの。その間、ずっと貴方の寝顔を見つめて、髪を撫でて、匂いを嗅いで、鼓動を感じながら……優斗、優斗って、愛を囁き続けていたのよ。ああ、本当に……あの白い闇の底から救われたような、至福の168時間だったわ……!」

 

それは、神の威厳などとうに捨て去った、狂気に満ちた愛の告白だった。

 

(……こ、この女……ッ!!)

 

優斗の意識の奥底でそれを聞いていたシェム・ハは、かつての親友の底知れぬ狂気に文字通り戦慄していた。

自分がなぜ表に出られず、優斗の精神が完全に保たれているのか。特異点という性質だけでなく、ニンフルサグが優斗を溺愛するあまり最愛の彼を絶対に傷つけない完璧な揺り籠(牢獄)を、1週間も不眠不休で執拗に組み上げていたからなのだ。

 

(我を封じるためだけではなく……この男を護るためだけに、1週間もへばりついていたというのか!? 狂人め……ッ、これでは我が入り込む隙など微塵も無いではないか!)

 

ドン引きを超えて恐怖すら覚えるシェム・ハを他所に、ニンフルサグの全開の言葉の愛撫は続く。

 

「醜い争いも理不尽な悲しみも、貴方に味わわせないわ。私が貴方のすべてを甘やかして、極上の快楽と幸福だけでその心も身体も満たしてあげる。……ねえ、聞こえているのでしょう、シェム?」

 

ニンフルサグは馬乗りのまま優斗の腕にはめられた腕輪へと視線を移し、ひどく甘い声で呼びかけた。腕輪がビクついた感覚が優斗にもわかった。

 

「貴女の目覚めのための器として、これ以上ない最高の『揺り籠』を用意したわ。私の愛する優斗と、私のたった一人の親友である貴女。これからはこの閉ざされた楽園で、私たち三人だけで誰にも邪魔されることなく永遠の時を紡いでいくの。さあ、私と一緒に永遠に愛し合いましょう……? 優斗、シェム……!」

 

それは、正気などとうに捨て去った狂気に満ちた愛の告白だった。あまりにも重く、湿度が限界突破(ナイアガラ)した狂気の愛の告白。

 

それを優斗の意識の奥底で直に浴びてしまったシェム・ハは、かつての親友の変わり果てた姿にドン引きするあまり、元々の喋り方を失っていた。

 

(……うわ。……なんだこの重すぎる愛念は……マジで引く……)

 

威厳ある神としての荘厳な口調すら崩壊し、ただドン引きした言葉が内なる世界に響き渡る。シェム・ハからすれば復活の機会を捨てて、今すぐこの肉体から逃げ出したくなるほどの強烈な悪寒だった。

 

だが、当の被害者である優斗の反応は、シェム・ハの予想を遥かに超えるものだった。

誘拐され、豹変した恩人に突如馬乗りになられ、行き過ぎた感情を生でぶつけられる。常人なら恐怖でパニックになってもおかしくない状況。だというのに、優斗は瞬きを数回繰り返してニンフルサグの言葉を頭の中で整理すると、至って冷静に、そして真面目な顔で頷いたのだ。

 

「なるほど。状況は理解したよ」

「……え?」

 

予想外に落ち着き払った声に、狂気に酔っていたニンフルサグが逆に虚を突かれて瞬きをする。

 

「つまり、僕が倒れたから介抱してくれたんじゃなくて、僕とずっと一緒にいたいから、みんなに内緒で僕を攫ってきたってことですよね。……僕のことをそこまで想ってくれていたなんて、そこは素直に嬉しいと思う」

「優斗……っ!」

 

自身の愛を一切否定せず、真っ直ぐに受け止めて感謝までしてくれた優斗に、ニンフルサグは感極まったように瞳を潤ませた。

 

「でも」

 

優斗は、馬乗りになって優斗の胸板にすり寄っていたニンフルサグを起き上がらせ、肩にポンと手を置き諭すような、しかしまっすぐな瞳で聞き返した。

 

「それはそれ、これはこれです。攫うのは駄目ですよ。未来ちゃんや響ちゃんたち、今頃僕がいなくなって凄く心配してるはず。僕はニンフルサグさんと一緒にいるのも嫌じゃないけど、みんなが悲しむのはダメです」

 

まるで、ちょっとイタズラをしてしまった子供を優しく窘めるかのような、あまりにもフラットで冷静な切り返し。

 

「攫われた」挙句「知らぬ間に過剰に愛されていた」という非日常の事実を完全に受け止めた上、病んでしまった神の狂気すら受け入れてしまう優斗の異常なまでに頑強な精神構造。

 

(…………は?)

 

その一部始終を内なる世界で見ていたシェム・ハは、別の意味で完全にドン引きしていた。

 

(いや、そこは怯えろ……ッ! なぜその重圧を真正面から受け止められる!?…今のこいつもそうだが、この男も大概に頭のネジが吹き飛んでいる……!!)

 

恋愛を拗らせた狂気の女神と、それを真っ向から受け止めてしまう優斗。

 

二人の規格外すぎるやり取りに挟まれ、厄災の神であるはずのシェム・ハが一番常識的なツッコミに回らざるを得ないという、何ともカオスな状況が形成されていたのだった。

 




シリアスを書く事に耐えられない、本話にぶち込む技量がない作者のQ&A

Q、腕輪は7つの音階とかで起動しなくていいの?
A、統一言語の扱いに困るので、今作ではあまり出ません。シェム·ハに関してならニンフルサグは誰よりも詳しいので、そこら辺は大丈夫です。

Q、シェム·ハが結構気安い。
A、原作よりは人間したに見ていません。あと、今は圧倒的に不利な状態です。なので会話くらいはしてやろう。位の面持ちです。

Q、ニンフルサグってこんな性格?
A、普段は明るい響。上に立つ時は演技のマリアと防人翼。大切な誰かに対してはG編での神獣鏡装備時くらいの時の未来。
なので優斗はなんとなく、ひびみくに似ているニンフルサグの本性にほだされています。
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