ハッピーエンドに向かうには   作:内海空洞

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スランプです。


メイデンズ·リゾルヴ

冷たい冬の風が吹き抜ける、午後の市街地。

スーパーのビニール袋を下げて歩く二つの影があった。響と未来だ。

 

数日間の引きこもり生活を経て、ようやく外の空気を吸う余裕ができた二人の足取りは最初はどこか心許なく、ふらついていた。しかし、見慣れた帰り道を歩くにつれ、その歩調には確かな熱が宿り始めていた。

 

「……ねえ、響」

 

不意に、未来が足を止めた。

振り返った響は、自身の親友の瞳に宿る輝きの強さに驚きを隠せなかった。それは、この数日間の暗く沈んだ雰囲気を吹き飛ばしてしまうほど静かで、けれど鮮烈なものだった。

 

「私……ずっと考えてたの」

「未来……?」

「どうしても欲しいものを手に入れたい時、どうしても守りたい時。側にいたい時……普通は『資格』とか『意思』とか、そういう『力』が必要だとか言うけれど。私、それを必要だと思ってなかった。漠然と、そんなのなくても一緒にいられるって、ずっと思ってた」

 

未来は一度深呼吸をして、昂る感情を整える。

 

「でも、現実は理不尽で、どうしようもなく私たちを引き裂いた。だから私、クリスと過ごしている間に考えて……決めたの。待ってるだけじゃ、そう、ただ待つだけじゃ駄目なんだ

「未来、それって……」

「もし、私に適性が、本当に力を引き出せるのなら。どんな形であれ、優斗さんのもとへ行ける手段になるのなら。……私は私自身の手で優斗さんを、大好きな人を迎えに行きたい」

 

それは、戦いとは無縁だった少女が、避けていた力に手を伸ばすことを厭わないという、危うくも強い決意の言葉だった。

 

その覚悟の重さに、響は息を呑む。

 

「怖く……ない?」

 

響は普通の女の子だ。今まで誰かを傷つけるような戦いなんてしたことがないし、誰かが傷つき血を流すのを見るのさえ辛くて目を背けたくなるほど、底抜けに優しく平和な世界で生きてきた。だからこそ、未知の戦場に足を踏み入れようとする親友の覚悟が、どれほど強い決意を持ったのか痛いほど分かったのだ。

 

未来は手にした買い物袋をぎゅっと握りしめ、正直に頷いた。

 

「当然、怖いよ。凄く怖い」

 

けれど。と、未来は響を真っ直ぐに見据える。

 

「優斗さんに二度と会えなくなることの方が……優斗さんがいるコモドの、あの温かい場所に帰れなくなることの方が、私はずっと怖いの」

 

その嘘偽りのない言葉が、響の胸の奥底に燻っていた感情に火をつけた。

 

「響は……どう?」

「私も……怖い。戦うのを見るのだって、本当はずっと嫌だ。痛いのも、誰かが傷つくのも」

 

響は自分の胸に手を当て、ポツリポツリと本音をこぼす。

 

「話し合えるなら、話し合った方が絶対にいい。だって、お兄ちゃんはずっとそうやってきたんだよ。了子さんだって、マリアさんだって、キャロルちゃんだって、サンジェルマンさんたちだって……みんな、お兄ちゃんが体をはって向き合って、話し合って、手を繋いできたから今があるんだもん」

 

神の力で理不尽に攫われたあの出来事は、過去に起きた同じ事を乗り越え、平和な日常を生きてきた響の心に深いトラウマを刻んだ。

 

けれど、ニンフルサグはただの冷酷な化け物ではなかった。言葉を発し、感情を見せ、いびつではあっても確かに優斗への愛情を持っていた。決して、最初から最後まで話を聞いてくれない相手ではないはずだ。

 

「だから……私、未来と一緒に行く」

 

響は顔を上げ、未来の瞳を真っ直ぐに見返した。持ち前の、前を向く少しばかりの強さを総動員して。

 

「今度こそ、お兄ちゃんと一緒にいるために。あのコモドで、三人でずっと一緒に笑い合うために……どんな事だってしてみせる」

 

二人は見つめ合い、互いの決意が完全に重なったことを理解した。

そして、冷たい風の中、互いの名前を強く呼び合う。

 

「未来……っ!」

「響……!」

 

響が、顔をくしゃっとさせて、だけど力強い笑顔を作って言った。

 

「頑張ろうッ!」

「うん。……絶対に、優斗さんと一緒に帰ろう」

 

未来も力強く頷く。

そこにあったのは、非力な少女たちの姿ではない。愛する人のため、自ら未来を掴み取るために突っ走る『乙女の意地』だった。

 

ふらついていた事など忘れ、二人の足取りはいつしか真っ直ぐで力強い、揃った歩調へと変わっていた。

 

「帰ったら、クリスに相談しよう。きっと、クリスなら無茶だって言いながらも手伝ってくれるはずだから」

「そうだね。怒られちゃうかもしれないけど……へいき、へっちゃら!!絶対説得しよう!」

 

二人は歩幅を合わせ、愛する人が待つはずの、そして今は大切な仲間が待つ『コモド』へと歩みを進める。

 

帰ってドアを開けた先で、奏が持ち込んだ『希望』が自分たちを待ち受けていることなど、今の二人はまだ知らない。

 

絶望の底から自らの足で立ち上がった二人は、これより始まる、神の領域へと踏み込むための『反撃の始まり』を知るのだった――。

 

 

 

 

最新式のシステムが揃った広々としたキッチン。そこで優斗がフライパンに入ったパスタを炒めている。赤いソースと香辛料の匂いからアラビアータであるようだ。

 

その様子を優斗の内側から見ていたシェム·ハが、自身の知らない料理に興味を持ったのか、優斗に声をかける。

 

『おい、新城優斗。我にその食物を献上する権利を与えてやる。速やかに我と味覚を同調させよ』

「わかりましたけど、今作っているものは僕用なので結構辛いですよ?」

『不要な心配である。我に気遣いなどせずともよい。さあ、早くしろ』

「じゃあ、味見を……うん、良い辛さ……シェム・ハさん?」

『――ッッ!?!? む、むぐぅぅぅッ!?』

「あ、やっぱり駄目でしたか」

 

優斗の脳内に、言葉にならないシェム・ハの悶絶する悲鳴が響き渡る。

 

『な、なんだこの舌を焼くような痛覚は!? 我の時代に、斯様な攻撃的な味付けなど存在しておらぬぞ……ッ! 貴様、さては我の舌を破壊するつもりか!?』

(……辛いの、駄目なのかな。次にシェム・ハさんと食べる時はもっと甘めの味付けにしておこう)

 

涙目になっているであろうシェム·ハの抗議をふんわりと聞き流しながら、優斗はキッチンで手際よくフライパンを振るっていた。

 

ここは、鎌倉の山奥にある別荘の調理場。目を覚ました後、優斗の腹の虫が盛大に鳴ってしまったのをきっかけに、彼が「何か食材があるなら、ニンフルサグさんの分も一緒に作りましょうか?」と提案し、現在に至る。

 

(それに、ニンフルサグさんには今まで通り、普通に接したほうが良さそうだし。多分……一人きりにするのは、もっとまずい気がする)

 

この短い監禁生活の間、優斗は彼女の振る舞いから、自分に向けられている感情の正体を何となく肌で感じ取っていた。

あれは、ただの異常な独占欲や狂気ではない。もっと根本的な、幼い子供が抱えるような『ひどい寂しさ』と『依存』だと。

 

彼女は自分を壊れ物のように扱い、まるで宝物を愛でるように接してくる。優斗だけの立場を尊重し、優斗を自分よりも上の存在、英雄視して扱うその不器用な愛情表現。

 

優斗はそれを冷徹に分析したわけではない。ただ、彼女と会話を重ねる中で、ふと思ったのだ。

 

(もしかして、ニンフルサグさんは……他人とどう付き合えばいいのか、よく分かっていないのかな)

 

かつての世界で、彼女と対等だったのは親友のシェム・ハと、弟のエンキだけ。アヌンナキに至っては畏怖の念を抱いて近寄らず、人間はすべて「庇護対象」というカテゴリーだったはずだ。

対等な恋愛関係というものを知らず、さらに長きにわたる封印から目覚め、精神がどこか逆行してしまっているからこそ、与えられた「好き」という感情の扱い方が分からず、お気に入りのおもちゃを隠す子供のような、不器用で極端な執着心になってしまっているのではないか――と。

 

「……」

 

当のニンフルサグは現在、ここには居ない。

少し前に風鳴訃堂から通信があり、「ちょっと野暮用を片付けてくるわね。すぐ戻るから、大人しく待っているのよ?」と、ひどく渋々といった様子で部屋を出て行った。おそらく、優斗には聞かせたくないような会話なのだろう。

 

優斗は火を止め、お皿に料理を盛り付けながらこの数日間で見せた彼女の表情を思い返す。

 

念話でシェム・ハと口喧嘩をしてコロコロと笑う顔。

ニコニコと優斗に擦り寄り、頭を擦り付けて幸せそうに頬を染める顔。

優斗がふと、話し方が敬語に戻ってしまった時に見せた、捨てられた子犬のように悲しそうに萎れる顔。

それを「自業自得だ」とからかったシェム・ハに、本気で怒り狂う顔。

 

どれもこれも恐ろしい神のそれではなく、恋に振り回される、どこにでもいる普通の女の子のように見えてしまうのだ。

彼女から向けられる愛――いや、恋心は間違いなく本物だ。だからこそ優斗はひどく悩んでいた。

 

優斗は、ニンフルサグが向けてくるその熱烈な恋心に対し、明確な「答え」を未だに返せていない。

感謝はしている。自分をこの世界に導いてくれた大きな恩がある。彼女は「優斗がいたから来れた」と言うが、優斗からすればそれはお互い様だ。

 

好意を持てないわけでもない。優斗から見てもニンフルサグは息を呑むほど美人だし、そんな人がまるで子犬のように慕い、甘えてくる様子には、男としてグッとくるものがある。つい甘やかしたくなってしまうような魅力に溢れている。

 

でも、それに「応える」ことはできない。

 

優斗の心には、未だに告白の返事を待たせている未来、クリスたちの存在が重く残っているからだ。彼女たちへの想いに決着をつけていない以上、これ以上の関係を進めることは不誠実極まりないと、自分自身が許せなかった。

 

(……僕のせいだ)

 

もう少しで、自分の中の気持ちに整理がつきそうだったあの誕生日。そこにぶつけられた特大の感情は、優斗が他者へ向ける『好き』のゴールをさらに遠ざけてしまった。

複数から向けられる好意に答えを出せず、ただ保留にしてしまっている現状。それは他でもない、自分の優柔不断さと、「誰一人傷つけたくない」という傲慢さが招いた結果なのではないか。

 

受容的で優しすぎるが故に優斗はすべての責任を自分の中に抱え込み、一人で苦しんでしまう。

 

(僕は……皆と仲良くしてほしい。みんなで笑い合いたいんだ。それはきっと叶うはずだ)

 

痛む胸を押さえつけるように、優斗はぎゅっと目を閉じる。

 

(だって、フィーネさんも、マリアさんも、キャロルちゃんも、アダムさんも。かつて敵対していた皆が、今は穏やかに過ごせているじゃないか。話し合って、時にはぶつかり合って、それでも前を向いて歩ける意思があるのなら)

 

(僕が我慢して、もっと頑張って上手く立ち回れば……きっと、きっと……!)

 

無意識のうちに自身の心にギリギリと重いプレッシャーをかけ、退路を断つように追い込んでいく優斗。

 

『……ふっ』

 

内なる世界の特等席から、その優斗の危うい精神の揺らぎを観察していたシェム・ハは、口元を歪めてニヤリと笑った。

 

(良き優しさだ。だが……その脆き自己犠牲の精神、利用させてもらうぞ、新城優斗)

 

暗闇の中浮かぶシェム·ハは、静かに何かの企みを巡らせるのだった。

 

 

 

 

 

「よし、これで全員だな」

 

キャロルが指定した場所――休業中で客が居ないはずの喫茶店『コモド』のフロアに装者たち7人が集結していた。

 

「優斗さんが見つかったって、本当デスか!?」

「切ちゃん、正確には『見つかるかもしれない』、だよ」

「それでも! 何も分からないより全然いいデス!! 今度こそ、余裕綽々だったあの神様の鼻っ面をギッタンギッタンにしてやるデース!」

「うん。次こそ細切れに切り裂いて、フカの餌にしようね切ちゃん」

「べ、別にそこまで言ってないデス……調、目がマジ過ぎて怖いデス……」

 

鼻息を荒くして興奮する切歌を物騒な言葉で宥める調。しかし、その調自身も無意識に手首を擦るなど、そわそわと落ち着きがない。

ずっと暗闇でもがいていた彼女たちにとって、「彼のもとへ辿り着く方法があるかもしれない」という事実だけで、これ以上ない希望だった。

 

「それにしても、キャロルはどうやって……いや、野暮ね。私たちはただ、優斗を助けに行けばいいだけだもの」

「はい、マリア姉さん。必ず助けましょう。……優斗さん、無事ですよね……?」

「大丈夫よ、セレナ。優斗の事だもの。もしかしたら私たちが攫った時のように、料理でも振る舞って普通に和やかに馴染んでるかもしれないわ」

「ふふっ、本当にありそうですね」

 

不安を隠せないセレナに、マリアは優しく微笑みかけた。

かつてマリアが『フィーネ』を名乗っていた頃、優斗をアジトへ誘拐したにも関わらず、彼は怯えるどころか勝手に台所を借りて料理を振る舞い、敵であるはずのマリアたちと和気藹々と馴染んでしまったのだ。その彼の底知れぬ包容力を思い出し、セレナも強張っていた肩の力をふっと抜いた。

 

「しかし、奏。キャロルからテレポートジェムを預かっていた事を、どうして今まで誰にも言わなかったの?」

「状況が状況だったからな。あの乱戦の最中、無言でキャロルがアタシの手の中にジェムを握らせてきたって事は、大勢に知られると不都合だって判断したんだろ」

「叔父様にすら黙っていたのも、その一環だと?」

「おっさんには悪いけど、立派な囮になってもらったのさ。全員でじっと待ちの態勢でいるより、おっさんや緒川さんが血眼になって動いてる方が、クソジジイから見れば自然だろ?」

「……なら、せめて私にくらい言ってくれてもよかったのに」

 

少し拗ねたように口を尖らせる翼。その様子に、奏は呆れたように笑う。

 

「だーって翼、お前そういう演技とか隠し事、死ぬほど苦手じゃんか」

「そっ、それくらい私だってできるわ!」

「いやいや。……アタシたちの一番最初の特撮『戦姫絶唱シンフォギア』のシーン、ネットのコメントでなんて言われてたっけ? えーっと……『アクションはキレキレなのに、長文のセリフになると急に棒読みっぽくなるのはどうかと思う』だっけ?」

「ぐっ……!? い、今は普通にできるもんッ!!」

 

図星を突かれた上に、過去の黒歴史を掘り起こされた翼が、顔を真っ赤にして抗議する。その微笑ましいやり取りに、場の空気がほんの少しだけ柔らかく和んだ。

 

そんな中。切り裂くような強張った声が聞こえた。

 

「……マリア、少しいいか?」

 

真剣な表情を作ったクリスが、真っ直ぐにマリアへ声をかけた。

マリアが静かに向き直ると、二人のただならぬ雰囲気に周囲の空気もピンと張り詰める。

 

「……済まなかった」

「……何を?」

 

深く頭を下げるクリスにマリアは静かな、感情を読ませない声で問う。

 

「アタシがガキだった。お前たちの気持ちも考えず、一番言っちゃいけない事を言って、勝手にあたり散らした。……お前たちを不安にさせて状況を悪くさせたこと、本当に反省してる。ごめん」

「…………」

 

クリスの心からの謝罪。それを聞いたマリアは無言のままスッと手を伸ばし、クリスの両頬を両手でむにっと挟み込んだ。そして、少しだけ強引に顔を上げさせ、目線を合わせると――ふっと、憑き物が落ちたように優しく微笑んだ。

 

「いいのよ。私が過去にやらかしたのは事実だもの。……それに、あの言葉のおかげで、私も改めて自分を見つめ直すきっかけになったわ。だから、おあいこよ」

「マリア……」

「こちらこそ、ありがとうクリス。……これから、またよろしく頼むわね」

「……っ、ああ! 任せとけ!!」

 

マリアからの許しと、安堵。そして強い決意を込めた言葉にクリスも力強く頷き返す。

そして、その後ろでハラハラと見守っていた切歌と調にも向き直った。

 

「……お前たちにも、嫌な思いをさせて悪かったな」

「気にしてないデス! クリスさんが元気になってくれた方が、何百倍も嬉しいデース!」

「うん。私たち、ずっとクリスさんの味方ですから」

「お前ら……っ」

 

三人の優しい笑顔に、クリスの目頭が再びツンと熱くなる。

しかし、その美しくも少し湿っぽい空気を、空気をあえて読まない奏のニヤニヤ顔がぶち壊した。

 

「いやぁ〜、良かった良かった! クリスのやつ、後輩たちに嫌われたんじゃないかって、アタシの胸の中で顔面ぐしゃぐしゃにして大号泣するくらい気にしてたからさぁ〜。仲直りできてアタシも嬉しいぜ!」

「まぁ!」

「なっ……!? よ、余計なこと言うなバカ先輩!!」

 

マリアが上品に口元を覆って嬉しそうに驚き、クリスがボンッと音が鳴るほど顔を真っ赤にして講義する。

 

「えー? 本当のことじゃん。アタシのお気にの服、お前の涙と鼻水でびっちょびちょになったんだからな〜」

「あぁぁぁぁぁっ! 違う、それは……ッ!」

「……ふふっ。じゃあ、そんなクリスさんのために、私たちも思いっきり抱きつくデース!」

「うん。そんなに私たちのことを思ってくれていたなんて、私、凄く嬉しいです」

「ちょっ、お前らまで引っ付くな……っ! 暑苦しいっ!」

 

慌てふためくクリスの両腕に、切歌と調がぎゅっと嬉しそうに抱きつく。

 

そんな彼女の内情を知った翼やマリアたちは、真っ赤になって照れ隠しに悪態をつくクリスの姿を、ひどく温かい、姉のような眼差しで見守るのだった。

 

「……で」

 

一通り騒ぎが落ち着いたところで、奏がフロアを見渡し、首を傾げた。

ここには現在、奏、翼、クリス、マリア、セレナ、切歌、調の『装者7人』だけが集まっている。

 

「おっさんと、響、未来は? ここにいねぇみたいだけど」

「あ、それなら上にいるぞ。何でも、三人で大事な相談があるとかでな」

 

噂をすれば何とやら。奏が上の階に視線を向けたその時、階段を降りてくる三人の足音がフロアに響いた。

 

「響、未来。それに……」

 

様子を見ようと声をかけかけたマリアが、ピタリと言葉を止める。

階段から降りてきた響と未来の表情は絶望に沈んでいたものとは全く違う、どこか晴れやかで「やり切った」というような、強い覚悟に満ちた顔をしていた。

 

だが、その後ろから付いてきた弦十郎の表情は対照的だった。

いつも頼もしい大人の余裕を見せる彼が、今はまるで、とてつもなく苦い薬を無理やり飲み込んだような、ひどく渋く、痛ましさを堪えるような顔をしていたのだ。

 

(……ただの相談じゃないな、こりゃ)

 

守るべき対象の戦う力を持たない一般人の彼女たちが、一体どんな決意を彼にぶつけたのか。そして、大人の責任としてそれをどれほど重く受け止めたのか。

 

その異様な空気を察し、マリアたちが事情を聞こうと口を開きかけた、その瞬間だった。

突如として、誰も座っていない近くのテーブルの上でレトロでけたたましいベルの音が鳴り響いた。

 

「な、何デスか!?」

「電話……? しかも、やけに古い……」

 

装者たちが弾かれたように身構える。

 

テーブルの上にいつの間にか出現していたのは、真鍮製の豪奢な装飾が施された、アンティーク調の電話だった。

それは物理的な電話機ではない。パヴァリア光明結社の総代・アダムが持つ規格外のテレパシー能力が、空間に干渉し、疑似的な物質として『具現化』したものだった。

一番近くにいた弦十郎が、厳しい表情のままスッと手を伸ばし、受話器を取って耳に当てる。

 

「……俺だ」

『待たせたな。準備は出来ているか?』

 

受話器の向こうから聞こえてきたのは、アダムではなく、相変わらず優斗以外は尊大で傲岸不遜な幼い少女の声――キャロル・マールス・ディーンハイムの声だった。

 

「ああ。こっちは全員揃っている」

『そうか。ならば、渡しておいたテレポートジェムを使え。オレたちが待つチフォージュ・シャトーに、直接空間を繋いである。用件はそれだけだ。さっさと来い』

 

こちらが何かを尋ねる暇も与えず、キャロルは一方的に電話を切った。すると、テーブルの上の電話は、蜃気楼のように揺らめいて跡形もなく消え去ってしまう。

弦十郎はゆっくりと受話器を下ろす動作を空中で止め、振り返って奏を見た。

 

「キャロルくんからだ。ジェムを使って、彼女たちの待つチフォージュ・シャトーへ飛べと」

「了解。まったく、気が短いことで」

 

奏は手の中でテレポートジェムを軽く弄びながら、不敵に笑う。

そして、フロアに集まった装者たち、響、未来、弦十郎をぐるりと見渡した。

 

「全員、心の準備はいいか?」

 

誰一人として、怯む者はいない。

マリアも、翼も、クリスも。そして、戦う力を持たないはずの響と未来も、真っ直ぐに奏を見つめ返して力強く頷いた。

 

「よし、それじゃあ……神様相手の反撃の狼煙と行こうぜッ!」

 

奏が、手にしたテレポートジェムを力強く床へと叩きつける。

パリンッ! とガラスが砕け散る澄んだ音と共に、中から溢れ出した光が、複雑な錬金術の陣を描きながらコモドのフロアを包み込んだ。

 

次の瞬間、眩い閃光が弾け、コモドに集まっていた10人を超える人影は、キャロル達が待つ反撃の拠点――チフォージュ・シャトーへと一瞬にして転移していったのだった。

 

 

 

 

 

閃光が収まると、そこは古城の趣を残しつつも高度な錬金術の設備が立ち並ぶ巨大な空間――チフォージュ・シャトーの大広間だった。

 

「一人も欠けなかったか」

 

不遜な声が見下ろしてくる。

広間の最奥、階段を上った先にある玉座のような豪奢な椅子で、大きく隙間を開けて座っているキャロルがふんぞり返って出迎えた。

そしてその隣には、静かに佇むサンジェルマン。さらに傍らに置かれたもう一つの椅子にはアダムが優雅に腰掛け、その上ではオートスコアラーのティキが寝そべるようにして、ヒラヒラと軽く手を振っていた。

 

「キャロルちゃん! サンジェルマンさん!」

 

転移の戸惑いもそこそこに、響がパァッと顔を輝かせて二人の名前を呼んだ。

 

「……ふん。絶望してピーピー泣いているかと思えば、意外と元気そうだな。拍子抜けだ」

「心配してくれてたの? ありがとう、キャロルちゃん!」

「し、心配などしていないッ! オレはただ事実を述べただけだ!」

 

素直に感謝をぶつけてくる響の眩しさに、キャロルは少し調子を狂わされたように顔を背ける。その横で、サンジェルマンは僅かに口元を緩め、響たちへ向けて小さく手を振り返した。

 

「久しいな、立花、小日向。シンフォギアの装者の皆。そして風鳴弦十郎」

「ああ。そっちも無事で何よりだ」

 

弦十郎が一歩前に出て挨拶を交わす。

クリスや翼たちも、あの一見から見ることすら無かった新生パヴァリアの面々がこうして頼もしい味方として再び並び立ってくれている事実に、ホッと胸を撫で下ろした。

 

「それで、キャロル。お前、あの後すぐに雲隠れして今まで何をしていたんだ? あの時の連絡の以外にも色々寄越してもよかっただろ?」

 

奏の軽い苦言に、キャロルは鼻を鳴らす。

 

「そんな暇があるか。オレが真っ先にこのシャトーに引っ込んだのは、神の力――ニンフルサグの固有波長を解析し、追跡と反撃の準備を整えるためだ」

「追跡って……手がかりなんて何もなかったじゃないか!」

「オレの腕を舐めるなよ」

 

キャロルは得意げに笑い一瞥する。

 

「優斗の作る料理には、あいつから授かった力が宿っていて、様々な事象を起こしていたのは知っているな? オレはガリィ達を優斗の料理を『胃』に当たる器官で摂取し、分解して稼働エネルギーに変換できるように改造していた」

「なるほど、そうだったっけ……それで?」

「ああ。こいつらには優斗の料理に宿る力、いや神の力の一部というものか……それがまだ残っていた。そして抽出し、解析に回していた。……もしも、優斗の肉体がシェム・ハに乗っ取られるような最悪の事態になった時、優斗の肉体を傷つけず、神の構成要素だけを分解して引き剥がす術式を組み上げるためにな」

 

キャロルは、優斗を絶対に助けるための専用の術式を、この一週間寝る間も惜しんで一人で組み上げてくれていたのだ。その事実に、マリアやクリスたちは胸を熱くする。

 

「だが、その解析の途中でサンジェルマンから連絡が入ってな。利害が一致したから、このシャトーで先に合流させてもらったというわけだ」

「そういや、このチフォージュ·シャトーは一体何処に存在しているんだ?」

 

弦十郎の問いに、今度は椅子に座ったアダムが、クックッと楽しげに肩を揺らして答えた。

 

「簡単なことだよ。位相空間をズラして存在しているのさ、現在のこのチフォージュ・シャトーは。日本の空にありながらね」

「位相空間を……?」

「でっち上げたのさ。『ここはどこの国の領土でもない治外法権である』という詭弁をね。おかげで、堂々と動けるというわけだ。風鳴訃堂の『護国災害派遣法』とやらの管轄外で」

 

アダムは肩をすくめ、やれやれと首を振る。

 

「報告してくれたのだがね、サンジェルマンたちが。探りを入れた米国から帰還した私に事の顛末を。……驚いたよ、まさか愛を拗らせて強行手段に出るとは」

 

深い溜息を吐くアダム。

 

「優斗に顔を合わせづらくなって嫌になるよ。生みの親とはいえ、考えることがかつての僕と似てしまうなんて」

「そのおかげで我々は糸口を掴むことができた」

 

サンジェルマンがアダムの言葉を引き継ぎ、真剣な眼差しで全員を見渡した。

 

「これから、局長とキャロルが抽出した『残滓と神の力』、そして『ある方法』を用いて、行方知れずとなっている優斗――いや、ニンフルサグの現在位置を特定する」

「特定するって、本当にそんなことができるのか!?」

 

クリスが身を乗り出す。サンジェルマンはコクリと頷き、空中にホログラムを投影した。

 

「計画はこうだ。まず、かつてのアヌンナキの宇宙船、巨大遺跡『フロンティア』のシステムを起動する。そして、地球のレイライン、いや、地球の全てが記録された情報体である『フォトスフィア』を、星図観測機能を持つティキにリンクさせるのだ」

「アダムにいろんな所を弄ってもらったんだから!」

 

ティキが「えっへん!」とばかりに胸を張る。

 

「局長の手で改造したティキの観測対象は『宇宙』から『地上』へと完全に特化させている。それによって逆探知を行う。現在、日本のどこかに潜んでいる莫大な神のエネルギーを、一つの『星』に見立てるのだ。手元にある残滓の波長とキャロルが解析した神の力を照らし合わせれば、星を観測するように居場所をピンポイントで割り出せる」

「す、すごい……! それなら、お兄ちゃんの場所が分かるんだね!

 

響が歓喜の声を上げる。しかし、キャロルとサンジェルマンの顔は険しいままだった。

 

「……だが。この計画を実行するためには、越えなければならない絶対条件が二つある」

 

サンジェルマンの重い声に、場が静まり返る。

 

「一つ。フロンティアは現在起動していない。いくら非常事態とはいえ、あれほど巨大な物を勝手に起動すれば、深刻な国際問題に発展しかねない。しかし、そこは既にクリアされている。君たちの頼もしい身内によってな」

 

サンジェルマンの言葉に、弦十郎がハッと顔を上げる。

 

「八紘兄貴か……!?」

「ああ。米国はニンフルサグと手引きした錬金術師の残党による襲撃を受け、保管していたシェム・ハの腕輪を奪取された。解析に失敗したばかりか、半ば自業自得によって施設を破壊され、米国の面目は丸潰れだ。……風鳴八紘は、そこを突いた」

 

サンジェルマンは、そのしたたかな政治手腕に感心したように目を細める。

 

「彼は米国に持ちかけ、国連管理のもと『フロンティアの合同解析任務』という名目をでっち上げたのだ。日本と米国の共同事業としてな。そして恩を売られたアメリカは八紘殿の要望に対し、答えなくてないけない状況にあるといってもいい」

 

ここで、椅子に座ったアダムが面白そうに口を挟む。

 

「見事なものだよ、そのすり抜け方はね。風鳴訃堂の定めた『護国災害派遣法』の。……ただS.O.N.G.は現在、謹慎の身で表立って動けない。だからこそ、国連の同盟組織であり日本の訃堂の管轄外にある僕たち『新生パヴァリア』が、日本に代わってその解析任務を請け負うという図式さ」

 

アダムは優雅に足を組み替え、微笑を浮かべる。

 

「これで、国際法上は何の問題もなくフロンティアを起動できる。政治という戦場においても、人間は捨てたものではないね」

「ああ。これで一つ目の壁は越えた。問題は……もう一つの方だ」

 

キャロルが玉座から立ち上がり、階段を下りて真っ直ぐに『彼女』の前へと歩み寄った。

 

「フロンティアを起動するための『鍵』が必要だ。……祓いと清めの力を持つ、神獣鏡のシンフォギアがな」

 

その言葉が落ちた瞬間。

 

装者たちの息が止まり、全員の視線が響の隣に立つ一人の少女へと集中した。

 

「……」

 

階段を降りてきた時、弦十郎がなぜあんなにも苦い、痛ましい顔をしていたのか。

マリアも、クリスも皆、その理由を完全に理解した。

 

「待ってッ! 司令、あなたまさか……ッ!」

「……こうなるとは俺も思いもしなかった。そうじゃなくても未来くんと響くんは決めた、いや、俺達の不甲斐なさが決めさせてしまった。止めても俺達の作戦をどうにかして乗り込もうとするだろう。だったら目に入る所でサポートするしかない」

 

マリアの悲痛な叫びに、弦十郎はギリッと拳を握りしめて俯いた。

静寂の中。キャロルの前に立った未来は、逃げることも怯むこともなく、ただ真っ直ぐにキャロルの瞳を見つめ返した。

 

「……私の手で、優斗さんの場所が分かるんですね」

「そうだ。だが、お前はただの一般人。神獣鏡のギアにいくら適正があるとはいえ、訓練すら受けていない。未だ纏ったことのないその身に強制的に力を引き出せば……」

「やります」

「そうだよ、キャロルちゃん。私達は決めたんだ」

 

キャロルの警告を遮り、響は未来と2人で隣に並び、手を繋ぎながら淀みなく即答した。

 

「私が……私と響が必ず優斗さん連れて帰ります」

 

その顔には響と二人で帰り道に固めた『乙女の意地』が静かに、けれど熱く燃え上がっていた。

 

 




何でこんなに読まれているのかわからなくて怖い、本話にぶち込む技量がない作者のQ&A

Q、未来達、立ち直るの早いね?
A、実は未来、悲しみもありますが、振り返って考えた結果怒りのほうが勝ってます。原作無印編とか見ると、結構アグレッシブなのですよ。

Q、ニンフルサグって優斗から見るとそうなっているの?
A、今のニンフルサグは優斗全肯定マシーンでもありますが、寂しがりやな女の子でもあります。でも優斗も優斗で余裕が無くなってきています。何しろ今作において優斗が攫われたり狙われたり、求められたりとしていますからね。

Q、アダムのテレパシーって他人も使えるの?
A、多分行けます。原作でサンジェルマンがティキに渡しているので、アダムが消さない限りは。

Q、アダムはニンフルサグに合わなくていいの?
A、人間性を持てる様になったアダムは、自身を客観視する事が多少出来るようになりました。なので今のニンフルサグの行動はアダムに共感性羞恥心を持たせるには十分です。

Q、八紘はいつの間にそんな事を?ていうかフロンティアいる?
A、いる。八紘に関してはアメリカとの友好する事で国際的な橋渡しの代表ケースして、他の国同士でも仲良くできる事を示したかったからでもあります。が、一番は翼がどんな国行ってもスムーズに歌を歌える環境にしたかった心もありますが。

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