奏ちゃんや翼ちゃんとの、あの雨の日の出会いから数年が経った。
高校を卒業した僕は、お爺ちゃんから喫茶店「コモド」を正式に受け継ぎ、今では店のマスターとしてカウンターに立つ毎日だ。お爺ちゃんは今、悠々自適の隠居生活を楽しみながら、時々アドバイザーとして店に顔を出してくれる。
そして、奏ちゃんと翼ちゃん。あの二人は今や、押しも押されもせぬトップアーティスト「ツヴァイウィング」として、テレビや雑誌で見ない日はないほどの存在になっていた。
二人が紡ぐ歌は、時に激しく、時に優しく、聞く人の心を奮い立たせる力がある。特に、二人の声が重なり合うハーモニーは奇跡のようで、奏ちゃんの力強い歌声と、翼さんのどこまでも伸びていくような歌声が合わさった時、それは単なる音楽を超えた、魂を揺さぶる感動を生み出すのだ。ファンとして、そして友人として、彼女たちの活躍は自分のことのように嬉しかった。
それでも、ひとたびコモドのドアをくぐれば、彼女たちは「ツヴァイウィングの天羽奏と風鳴翼」ではなく、いつもの「奏ちゃん」と「翼ちゃん」に戻る。
僕や、いつものように店に集まる響ちゃん、未来ちゃんとの関係も、昔と何一つ変わらない。それが、なんだかとても心地よかった。
意外だったのは、未来ちゃんが響ちゃんよりも先にツヴァイウィングの熱心なファンになっていたことだ。発売されるCDは必ず手に入れ、僕が奏ちゃんたちからもらったサイン入りのCDを、それはもう嬉しそうに眺めていた。
もちろん、僕も「親愛なるファン1号様」として貰ったサイン色紙は、今でも家の写真たてと共に一番いい場所に飾ってある。
その日も、いつものメンバーがコモドのテーブル席に集まっていた。何度目になるか分からない、でも毎回新鮮で楽しい、当たり前になった光景。僕が淹れたコーヒーや紅茶を片手に、他愛もない話に花を咲かせていた、その最中だった。
「んじゃ、優斗。これ、やるよ」
そう言って、奏ちゃんがテーブルの上に数枚のチケットを置いた。黒を基調とした、高級感のあるデザイン。そこに刻まれた文字を見て、響ちゃんと未来ちゃんが同時に声を上げた。
「「これって……!」」
「そ。今度やる、あたしたちのライブのチケット。しかも、プレミアムなやつ」
奏ちゃんは、少し得意げに、でもどこか照れくさそうに付け加えた。
「わー!やったー!ありがとう、奏さん!」
「い、いいんですか……?こんなに貴重なものを……」
響ちゃんが満面の笑みで奏ちゃんに抱きつかんばかりの勢いで喜ぶ隣で、未来ちゃんは恐縮したようにチケットと奏ちゃんの顔を交互に見ている。
「本当にいいの、奏ちゃん?これ、すごく手に入りにくいって聞いたけど」
僕も、そのチケットの価値を知っていた。ファンクラブでも抽選になるほどのプラチナチケットだ。それをこんなにあっさりともらってしまっていいものか。
「いーんだよ、別に。優斗はファン1号様なんだから、最前列で見る権利があんだろ」
奏ちゃんは、ぷいっと顔をそむけながら言った。その耳が少し赤い。
「奏の言う通りだ。優斗さんたちには、いつも世話になっているしね。これは、私たちからのささやかな感謝の印だと思って受け取ってほしい」
翼さんが、穏やかな笑みでそう言ってくれる。
「……そっか。ありがとう、奏ちゃん、翼ちゃん。すっごく嬉しい。ライブ、楽しみにしてるね」
僕がそう言って笑うと、奏ちゃんは「おう」と短く答え、翼ちゃんは嬉しそうに頷いてくれた。響ちゃんと未来ちゃんは、早速チケットを手に取って、ライブ当日の計画を立て始めている。その賑やかな光景を眺めながら、僕の胸にも温かいものがじんわりと広がっていくのを感じていた。
そして、ライブ当日。
会場である巨大なドームの前には、開演までまだ時間があるというのに、黒山の人だかりができていた。その人の波に、僕と、その両脇にいる響ちゃんと未来ちゃんは、少しだけ圧倒されていた。
本来なら今日、未来ちゃんは親戚のおばさんの事故のお見舞いに行く予定だった。だが、保護者として知り合いで信頼できる僕が付き添うこと、そして何より、未来ちゃん自身の強い希望があった。彼女の推しであり、親友であり、そして、おそらくは同じ人を想う大切な人たちの大舞台。その熱意が未来ちゃんのお父さんを動かし、こうして一緒に来ることができたのだ。
「うわー!すごい人だね、優斗お兄ちゃん!」
「なんだか、目が回りそう……」
僕の隣で、響ちゃんと未来ちゃんが興奮と緊張の入り混じった声を上げる。二人の視線は、ずらりと並んだグッズ販売のブースに釘付けになっていた。
「見て、未来!あの翼さんのキーホルダー、すっごく格好いい!」
「ほんとだ……。あ、でも、あっちの奏さんのタオルも可愛い……。どうしよう、お小遣い、足りるかな……」
「大丈夫だよ、未来!足りなかったら、わ一緒に買お!」
「うん。ありがとう響……」
このままでは、開場時間になってもここから一歩も動けそうにない。僕は苦笑しながら、二人の手を取った。
「ほら、二人とも、行くよ。グッズは後でも買えるから。まずは席に行こう」
「はーい!」
「は、はいぃっ……!」
僕の左手を握る響ちゃんは、無邪気に元気な返事をする。対照的に、右手を繋がれた未来ちゃんは、顔を真っ赤にして俯いてしまった。その小さな手を優しく握り直し、僕は人の波をかき分けるようにして、会場の中へと進んでいった。
プレミアムチケットの特典である専用レーンを通ると、ほとんど待つことなく会場内に入ることができた。案内された席は、ステージのど真ん中、まさにこれからツヴァイウィングが歌うであろう場所の、目と鼻の先だった。
「ち、近い……!」
「奏さんたちが、すぐそこに……!」
あまりの近さに、二人とも興奮で言葉を失っている。その様子を微笑ましく思いながら、僕もまた、高鳴る胸を抑えきれずにいた。友人として、彼女たちの晴れ舞台をこんなに近くで見られることが、純粋に嬉しかった。
観客の数がピークに達し、会場の照明がふっと落ちる。割れんばかりの歓声と、無数のペンライトの光が、巨大なドームを星空のように埋め尽くした。壮大なオープニング映像の後、ステージにスモークが焚かれ、派手なレーザー光線が乱れ飛ぶ。そして、イントロと共に、ステージの上方からワイヤーに吊るされた二つの影が舞い降りてきた。
「「「うおおおおおおおおっ!!」」」
地鳴りのような歓声が、ドームを揺るがす。
ステージに降り立ったのは、光り輝く衣装を身に纏った奏ちゃんと翼さんだった。一曲目は、彼女たちのデビュー曲であり、最も人気の高いナンバーだ。奏ちゃんのパワフルな歌声が、翼さんのクリアな歌声が、巨大な会場の隅々まで響き渡る。ダンスも、パフォーマンスも、テレビで見るのとは比べ物にならないほどの迫力とキレがあった。
僕たちは、ただただその圧巻のステージに魅了されていた。
曲の途中、ステージ上を移動していた奏ちゃんが、ふと僕たちに気づいた。彼女は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐにニッと悪戯っぽく笑うと、僕たちに向かって力強くウインクをしてみせた。隣にいた翼さんも、奏ちゃんの視線の先に僕たちを見つけ、優雅に微笑みながら、そっと手を振ってくれる。
「きゃああああ!奏さんがこっち見た!」
「翼さん……!」
突然のファンサービスに、響ちゃんと未来ちゃんはより一層目を輝かせ、ペンライトを振る手にも力がこもる。僕も、少し照れくさかったけれど、二人に向かって小さく手を振り返した。
ライブの勢いは最高潮に達し、数曲を歌い終えた二人が、トークを挟んで次のナンバーに差し掛かろうとした、その瞬間だった。
ドォォォォンッ!!
突如、僕たちの遥か後方で、鼓膜を突き破るような轟音が鳴り響いた。
悲鳴と怒号。何が起きたのか分からず、僕も近くの観客たちと一緒に後方を振り返る。煙が立ち上る先、その地面には、ぽっかりと巨大な穴が開いていた。そして、その暗い穴の向こうから、異形の影が、ぞろぞろと姿を現した。
「ノイズ……!?」
誰かが叫んだ。歪なマスコットのような、しかし見る者に生理的な嫌悪感を抱かせるその姿。僕は、教科書でしか見たことのないその存在に、息を呑んだ。
この時、優斗たちは知る由もなかった。このライブの裏側で、特異災害対策機動部二課の指揮のもと、ある秘密の実験が行われていたことを。
ツヴァイウィングの歌唱と、そこに連なる一万人のオーディエンスから放たれるフォニックゲインを利用し、聖遺物「ネフシュタンの鎧」を起動させる。それが、このライブに隠された真の目的だった。
後に判明することになるが、実験は一応の成功を収め、ネフシュタンの鎧は起動する。だが、その直後、何者か――フィーネの手引きによって大量のノイズが出現し、ライブ会場は未曾有の大パニックに陥る。そして、その混乱に乗じて、起動したばかりのネフシュタンの鎧は、何者かによって強奪されてしまうのである。
「な、なに……?あれ……」
「優斗お兄ちゃん……怖い……」
あまりに急な展開に、響ちゃんと未来ちゃんはついていけず、ただ震えている。僕は、すぐさま二人を庇うように抱き寄せた。
「大丈夫だ、二人とも!こっちだ、逃げるよ!」
他の観客と同じように、僕も二人を連れて出口へと向かおうとした。だが、ノイズは、まるでフォニックゲインに引き寄せられるかのように、ステージに近いエリアから人間を襲い始めた。当然、最前列にいた僕たちとノイズとの距離は、絶望的に近い。
次々と炭素の塊に変えられていく観客たち。阿鼻叫喚の地獄絵図が、目の前で繰り広げられる。
このままでは、三人とも逃げ切れない。最悪の事態を覚悟した僕は、決断した。
「響ちゃん、未来ちゃん!先に行け!あっちの出口に向かって、全力で走るんだ!」
「で、でも、優斗お兄ちゃんは!?」
「僕は後からすぐに行く!いいから、早く!」
二人を無理やり突き飛ばすようにして、先に行かせる。僕自身が囮になって、少しでも時間を稼ぐ。ナガルサガクさんにもらったこの丈夫な体なら、少しは耐えられるかもしれない。そんな淡い期待を抱いて、迫りくるノイズの群れに向き直った、その時だった。
「――はああっっ!!」
凛とした、それでいて力強い声が、爆音と悲鳴を切り裂いて響き渡った。
瞬間、僕の目の前を、一陣の風が吹き抜ける。突風に煽られ、思わず目をつぶる。次に目を開けた時、目の前に迫っていたノイズたちが、綺麗に真っ二つになっていた。
ノイズが塵となって消え去ったその先。ステージの照明を背に、一人の少女が立っていた。
燃えるような朱色の鎧。その手に握られた、光が反射する美しい槍。それは、先ほどまでステージの上で歌っていたアイドルの姿ではなかった。
絶望的な状況を覆す、希望の光。
シンフォギア「ガングニール」を身に纏った、天羽奏の姿が、そこにはあった。
本話にぶち込む技量がない作者のQ&A
Q、優斗にプレミアムチケットを渡した理由は?
A、一番前で視線を釘付けにしたかったから。緒川さんに用意してもらいました。
Q、盛岡のおばさんは?
A、未来が父にライブに優斗と行く強い意思を見せたのと、連絡したおばさんがそれほど怪我を負ってなかった。
Q、ノイズは無差別に襲うのでは?
A、独自設定で、ここのノイズは強いフォニックゲインに引かれる性質を持っています。