ハッピーエンドに向かうには   作:内海空洞

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今作の設定に合わせて、未来の聖詠を一部変更しています。


誰がための十字架

東経135.72度、北緯21.37度。

 

地図上ではフィリピン海の北部に位置し、日本の沖ノ鳥島から南西に数百キロほど離れた公海上に、アメリカと日本の巨大な連合艦隊が集結していた。

 

眼下に広がる青い海原と、波を裂いて進む無数の艦影。そのさらに上空を複数のヘリが飛ぶ中、一つだけ際立って巨大な機体が飛空していた。かつてF.I.S.から確保し、現在は日本が運用するよう改造された大型エアキャリアである。

 

その機内から窓の外を見下ろしていた響が、「うわぁー……!」と驚嘆の声を上げた。

 

「すごい数! これ全部がフロンティアの調査のために集まったの?」

「ああ。表向きは国連主導の合同調査だが、実態は日米の威信を懸けた一大任務だからな」

 

任務にあたり、口調を『防人』としての自分に切り替えた翼が、響の隣に並び立って説明する。

 

「それに、エンキの話ではこれから浮上する『フロンティア』は、島一つ分にも匹敵する途方もない質量だと言う。万が一浮上時の衝撃で接触事故を起こさないよう、船団も密集させず、あのように大きく間隔を開けて広大な陣形を敷いているのだ。これだけの艦隊が海域を覆う様は、確かに壮観だな」

 

翼の言葉通り、目下に並ぶ船団は、海の中から現れるであろう巨大遺跡を安全に迎え入れるための巨大な『輪』を描いていた。

 

『目標地点上空に到達。装者は待機位置へ』

 

パイロットから作戦開始を告げるアナウンスが響く。

 

「響。そろそろだよ」

「あ、ごめんごめん!」

 

窓に張り付いていた響が、未来に呼ばれて慌てて後部ハッチへと向かう。

二人の傍らには、護衛と見届け人を兼ねて、翼と奏が付き添っていた。

 

現在、マリアたち五人の装者は有事に備えて眼下の船団の甲板で待機中。サンジェルマンたち新生パヴァリアの面々も、自組織が所有する艦で準備を進めている。

 

はるか遠くの旧二課本部の司令室では弦十郎たちが目を光らせ、さらに別次元の位相空間からは、キャロルたちがこの海域を密かに監視しているはずだ。

 

「……自分でこの道を選んだあたしが言うのも今さらだけどよ。……本当に、いいんだな?」

 

後部ハッチの前に立つ二人の背中に、奏がふと、確認するように声をかけた。

 

かつての自分は、家族を奪われた復讐のために地獄を歩く道を選んだ。だからこそ、本来なら戦いとは無縁であるはずの普通の少女たちに、この過酷な運命を背負わせることに、今さらどうして、僅かな未練と心配が拭いきれなかったのだ。

その問いに。未来と響は顔を見合わせると、振り返って太陽のような笑顔を向けた。

 

「「……ありがとうございます、奏さん」」

 

急な感謝の言葉に、奏は「えっ?」ときょとんとする。横で聞いていた翼も同じように目を丸くした。

 

「私たちがこれから歩く道は……きっと、いいことばっかりじゃないかもしれません。痛いことや、辛いこともたくさんあると思います」

 

未来が、胸元にある神獣鏡のペンダントを両手で包み込むようにして微笑む。

 

「でも、前を歩く奏さんと翼さんが、とっても輝いていて。……ただのファンだったあの時よりも近いこの立場で、お二人の背中を追いかけられることに、ちょっとだけ優越感があるんですよ?」

「み、未来……」

 

思いがけない言葉に言葉を詰まらせる奏と翼。それに続くように、響がウンウンと力強く頷いた。

 

「そうですよ! ……実のところ、ずっと二人に憧れてたんです。綺麗で、かっこよくて、その優しさが誰よりも強くて。……大好きな二人に、こうして近づけたのがすっごく嬉しいんです」

 

そして響は、えへへ、と照れくさそうに頭を掻きながら、ペロッと舌を出した。

 

「それに、私お二人が出ている特撮のファンでもあるので……こうして『変身』できるのが、ちょっと嬉しかったりなんかりして!」

「こんな時に……響ったら」

 

未来が苦笑し、緊張感の欠片もない響の言葉に、奏と翼も呆気を取られ――やがて、堪えきれずに吹き出した。

 

「ははっ、あーっはっはっは! なんだよそれ!」

「ふふっ……ふふふ。全く、お前達は大したものだな」

 

お腹を抱えて笑う奏と、目元を拭う翼。

彼女たちのあまりにも「いつも通り」で真っ直ぐな眩しさに、奏の胸の中にあった未練や心配は、すっかり綺麗に吹き飛んでいた。

 

「……未練たらたらだったのは、あたしの方だったな。よし! こっからはもう何も言わねえ! 行ってこい、お前ら! 一発でかいのぶちかましてやれ!!」

「「はいッ!!」」

 

奏の力強い檄に、二人の元気な返事が重なる。

直後、重々しい機械音と共に後部ハッチが完全に開放された。吹きすさぶ強風と、眼下に広がる青い大海原が二人を迎え入れる。

 

「行こう、未来!」

「うん!」

 

響と未来。二人は互いの手を強く、決して離さないように握り合った。

開け放たれたハッチの淵に立ち、目の前の広大な空を真っ直ぐに見据え、思い切り青空へと飛び出す。

落下する風の中で、二人は胸のペンダントを握りしめ、高らかに『歌』を紡いだ。

 

「――Balwisyall Nescell gungnir tron――」

「――Rei shen shou jing rei tron――」

 

今、二つの純真な祈りが、まばゆい閃光となって大空を包み込む。

二人が望む『未来(あした)』を取り戻すために。

 

 

 

 

 

聖詠の響きと共に、二人の身体を包む眩い閃光が弾けた。

 

着ていた衣服が光の粒子となって一時的にギアペンダントへと還元され、代わりに二人の素肌を漆黒のインナースーツが覆っていく。そして、次々と励起されるエネルギーが物理的な質量を持ち、彼女たちを護るアーマーとなって展開・装着されていった。

 

光が収まった空中に、二人の新たな装者が誕生する。

 

未来の纏う『神獣鏡』は、高貴な紫と純白を基調としたデザインだった。背中と下半身を除けばアーマーの装甲面積は最小限に留められているが、その分、細やかな意匠の装飾が施されている。そして何より目を引くのは、太ももから下を覆う円錐型の巨大なブースターに似た装甲だ。

遠目から見れば、それはまるでふわりと広がる美しいウェディングドレスのようにも見えた。神獣鏡が持つ本来の特性か、あるいは彼女自身の適性の高さゆえか、未来の身体は重力から完全に解放されたように空中で静かに滞空している。

 

一方、響の纏う『ガングニール』は、鮮やかな黄色と白を基調としていた。インナーの上から装着されたアーマーは未来よりも堅牢で、肌が露出しているのは顔と二の腕、太もも、そしてお腹周りのみ。それ以外の急所はしっかりと覆われている。

 

各パーツにはお椀のような半球状の小型ブースターが至る所に備え付けられており、そこから勢いよく炎を噴き出して宙に留まっていた。

 

そして、一番の大きな違いであり特徴――響の首元からは、吹きすさぶ風を受けてはためく純白の長いマフラーが、ヒーローのように力強くたなびいていた。

 

実のところ、響と未来はこの作戦までに少ししかシンフォギアを纏ったことのない完全な素人である。出撃前にリディアンのトレーニングルームで一、二回ほど練習こそ行ったものの、こうして本番の空気に触れるのはこれが初めてだ。

 

それでも、今回の作戦に必要ない響が未来の傍にピタリとついているのは、同じ初心者という目線で未来の極度の緊張を和らげ、ダイレクトフィードバックによる急激な感覚の変化に体を馴染ませるための「ならし」を、二人で一緒に行うためでもあった。

 

「おっとと……生身で空を飛ぶって、なんかすごい新鮮!」

 

空中でバランスを取りながら、響が感嘆の声を上げる。

 

「でも、思ったよりスムーズに動けるよ。エルフナインちゃんとウェル博士が言ってた『ダイレクトフィードバックシステム』のおかげかな」

 

空を飛ぶという未知の感覚に対し、恐怖よりも先に「どう動けばいいか」という最適解が脳に自然と浮かんでくる。それが天才たちの残してくれた安全装置の恩恵だと理解し、未来は小さく微笑んだ。

 

二人はある程度の上空で姿勢を安定させる。

眼下には、見渡す限りの広大な海と連合艦隊。そして、その海の底に眠る巨大な遺跡。

 

「未来」

 

響の真剣な呼びかけに、未来は力強くコクリと頷いた。

 

「うん、やってみる」

 

そう言って未来は響から少し距離を取ると、目を閉じ、胸の中に浮かび上がる『歌』を真っ直ぐに紡ぎ出した。

 

それは、愛の歌だった。

 

厳しい理不尽にも、過酷な運命にも決して奪わせない。ただひたすらに大好きな人を心から抱きしめていたい、そのすべてを受け止めてあげたいと願う、純粋で強固な祈り。

 

未来の歌声は、潮風に乗って戦場となる海域に広く、優しく響き渡る。

 

空母の甲板で警戒陣形に就いていた米海軍のベテラン兵士は、鼓膜を打つヘリのローター音と波の音に混じって、ふと、空から柔らかな『歌声』が降ってきたのを感じた。

 

最初は通信の混線かと思った。だが違う。それは上空に浮かぶ、ウェディングドレスのような装甲を纏った少女から直接響いてくるものだった。

 

「……なんだ、この歌は……」

 

引き金に掛けられていた兵士の指から、思わずスッと力が抜ける。

 

それは敵を打ち倒すための勇ましい戦歌でも、自身を鼓舞する行進曲でもない。ただひたすらに愛しい人を想い、そのすべてを両手で包み込もうとする、限りなく純粋でひたむきな祈りの声。

隣でライフルを構えていた若い兵士が、ふいにポロリと涙をこぼした。

 

「……故郷に置いてきた、母さんを……思い出したッス……。なんでだろう、無性に会いたいな……」

「馬鹿野郎、任務中に泣いてんじゃ……っ」

 

叱責しようとしたベテラン兵士自身も、気づけばヘルメットのバイザー越しに視界を滲ませていた。

 

言葉の意味など分からなくても関係ない。未来の歌声は、言語の壁を越え、巨大な遺跡が浮上してくるという異常事態への恐怖で強張っていた兵士たちの心を、たまらなく温かく、切ない『愛』で満たしていった。

 

自分たちは今、この優しくて尊い祈りを護るためにここに集ったのだ。

国籍も所属も違う海原の上の数千の兵士たちが、言葉を交わすことなく銃を下ろし、たった一人の少女が放つ光を、祈るように見上げていた。

 

やがて、歌の盛り上がりに呼応するように、未来の背中に装着されていたパーツがパージされる。

空中で細かく分解されたパーツは、未来の背後で再結合し、巨大な円形の『鏡』を形成してまばゆく輝き始めた。

 

歌声が最高潮に達し、そして静かに終わりを迎えると同時。

背後に形成された巨大な鏡から、太陽を濃縮したような一筋の極光が、真っ直ぐに海面へと向かって放たれた。

 

光の柱は海面に激突し、水しぶきを上げることもなく、そのままスッと深海へと溶け込んで消えていく。

 

「……やったの?」

「多分……」

 

傍に寄ってきた響の問いに、未来も自分の放った力の規模に戸惑いながら小さく返す。

 

その直後だった。海の下から地球そのものが震えるような重低音が響き渡り、海面が異常なほど大きく揺れ始めたのだ。

 

「きゃっ!?」

「うおっ、すげぇ波だ……ッ!」

 

突然の激しい横揺れに、船の甲板から一連の流れを見守っていたマリアやクリスたちが、たまらずたたらを踏んで姿勢を低くする。

そして、白波が渦巻く海面から、天を衝くような巨大な岩の先端が姿を現した。

 

それは凄まじい水柱と波をかき分けながら、絶え間なくせり上がってくる。超古代の遺跡のような巨大な建造物群が見えたかと思えば、それに連なる広大な「大地」そのものが、ついに海を割って姿を現したのだ。

 

「で、でかい……」

 

甲板で手すりにしがみついていた船員の誰かが、呆然と呟いた。

浮上する大地の端が、連合艦隊の大型艦のすぐ横をすれすれで掠めていく。だが、事前の忠告通りに艦隊を大きく広げて待機していたおかげで、乗り上げたり衝突したりする船は一隻も出なかった。

 

滝のような海水を滴らせながら、それは完全に空の下へと姿を現す。

フィリピン海に突如として現れた、島一つ分に匹敵する規格外の超巨大遺跡――『フロンティア』。

 

その全貌が、ついに白日の下にさらされたのだった。

 

フロンティアが完全に浮上しきり、大地を揺るがすような激しい振動が収まった後。

未来と響も一度エアキャリアへと帰還し、フロンティアの平坦な外周部に着陸した。極度の緊張から解放された二人はそのまま休憩に入り、よくやったとばかりに奏と翼から思いっきり頭を撫で回されていた。

 

一方、別働隊として動くマリアたち残りの装者5人は、上陸する各探索班の護衛としてそれぞれ部隊を分けていた。

 

今回の合同調査において、八紘のにより「日本が優先して中枢を調べる権利」をもぎ取っていた。その権利を行使し、一直線にフロンティアの『制御室』へと向かう一台の装甲車があった。このチームには、護衛としてマリアが随伴している。

 

深く帽子を被った数人が乗り込むその車は、まるで最初から道を知っているかのように、迷宮のような遺跡内部を極めてスムーズに進んでいく。

 

「……そろそろいいか?」

「いいわよ」

 

周囲に他国の監視の目がない区画に入ったと同時、乗員たちが帽子と偽装を解く。そこには、作業服を着て一般調査員に紛れ込んでいたエンキと了子、そしてヴァネッサの姿があった。

 

「エンキと了子は、直接制御室のシステムを弄るのね?」

「ああ。僕がいれば、フロンティアの起動ロックは解除できる。その後の繊細な制御は了子が……」

「こんな場所だし、今は『フィーネ』でいいわよ。一応、これもあるから大丈夫」

 

そう言ってフィーネは、持っていたカバンから板状に待機状態でまとまっている完全聖遺物『ヤントラ・サルヴァスパ』を取り出した。

 

あらゆる機械装置を動かせるようになるとされている完全聖遺物だが、その真髄は『使用者の意思をダイレクトに装置へと繋げ、意のままに操れる』という極めて高度なハッキングと制御の効能にある。これも今作戦に置いて全権を獲得した八紘に告げて許可を貰った物の一つである。

 

「エンキが扉を開け、私がこれでフロンティアを制御して安全を確保する。そして、地球の記憶である『フォトスフィア』のデータだけをピンポイントで取り出すわ」

「後はそれを私の端末に落とし込んで持ち帰り、シャトーのキャロルに渡せばいいってわけね」

 

ヴァネッサが自身の持つ特殊な演算用PCを叩きながら確認する。

 

ほどなくして、四人を乗せた車は最深部の制御室へとたどり着いた。

到着するや否や、四人は即座に行動を開始する。エンキは制御室の中央に鎮座する、複雑な模様が刻まれた球体コンソールに静かに手を添え、フロンティアの制御権を掌握し始めた。

球体が淡い光を放ち、何千年も眠っていた遺跡のシステムがエンキの生体波長に応えて次々と目覚めていく。その作業の最中、傍らでヤントラ・サルヴァスパを展開し、システムの補助を行っていたフィーネが、ふと手を止めてエンキの横顔を見つめた。

 

「……ねえ、エンキ。本当にいいの?」

「ん? 何がだい?」

「今更野暮な事を言うけど、このフロンティアの本来の機能を使えば……貴方は、地球を離れて星の海へ旅立った『同胞』たちの元へ帰ることだってできるはずよ。それを放棄して、私たち人間の都合で使ってもいいの?」

 

その問いには、愛する人が離れてしまうことへの嫉妬や引き留める意図は一切、とはいかないが

ただ純粋に、気の遠くなるような時間を月で一人ぼっちで過ごし、生き残ってしまったエンキという存在に対する、彼女なりの深い気遣いだった。

 

エンキは制御球から手を離すことなく、ふっと優しく、満ち足りた微笑みを浮かべた。

 

「構わないさ。……今のこの地球に、もう僕たちアヌンナキが座る席はない。人は立派に成長し、君たち自身の手で未来を紡いでいるのだから」

 

かつて人類の言葉を奪い、呪いをかけた己の過去。そして神々が去った地球で、ただ一人同じ同胞であるシェム·ハを討ち取って残された今の境遇。そのすべてに、今のエンキは微塵の後悔も抱いていなかった。

 

「それに……今の僕は、神でも何でもない。ただの『エンキ』で十分なのさ。そう、フィーネ……君という愛しい女性を愛する、ただの一人の男でね。それ以上のものなんて、今の僕には必要ないんだ」

 

照れ隠しすらしない、あまりにも真っ直ぐで深い愛情の言葉。フィーネは少しだけ目を丸くした後、「……バカ」と、ひどく嬉しそうに目を細めた。

 

数千年という途方もない時間を超えて、ようやく結ばれた二人の不滅の絆。

その神話のようなやり取りを、護衛として立つマリアと、端末を操作するヴァネッサは、野暮な口を挟むことなくただ静かに、温かい目で見守っていた。

 

「……よし。ロック解除、およびフォトスフィアへのアクセスパスが開通したよ」

「了解。ヤントラ・サルヴァスパでデータを抽出……完了。ヴァネッサ!」

「ええ、こっちで受け取るわ!」

 

フィーネがシステムから切り出した莫大なデータ群を、ヴァネッサが特製のPCへと有線で一気に吸い出していく。

風鳴訃堂が動く前に、フロンティアの中枢から最も重要なデータだけを掠め取る。電光石火の泥棒作戦が今、完了しようとしていた。

 

 

 

 

 

反撃の狼煙を上げる者たちとは対照的に、鎌倉の別荘に囚われた優斗の精神は、静かに、そして確実に限界へと追い詰められていた。

 

発端は、ニンフルサグが風鳴訃堂の呼び出しで一時的に部屋を空けた時のことだ。

別荘の警護を任されていた訃堂の部下の一人が、優斗の部屋に現れ、一通の封筒を差し出した。

 

「訃堂様からです。お受け取りください」

「え?……ありがとうございます?」

 

優斗の手に渡った事を確認した後、訃堂の部下は早々に立ち去っていった。

 

「僕宛に…?何だろう」

 

部屋の椅子に座り手紙を開けて確認する優斗。中に入っていたのは――薄暗い地下室のような場所で、後ろ手に縛られ、椅子にうなだれている祖父・新城光一郎の写真と、訃堂からの手紙だった。

 

「ッッ!?」

 

手紙に記された訃堂の言葉は、古めかしい時代劇を思わせる口調に、慇懃無礼な敬語が混ざった独特のものだった。

 

『単刀直入に申し上げよう。女神の絶大なる力を我が護国の悲願に用いるため、貴殿には我が手足となり、彼女を御していただきたい。

貴殿が首を縦に振らぬことは承知の上。ゆえに、この老爺を我が屋敷にお招きした。貴殿が我に従い、女神を説き伏せるのであれば、祖父の安全は保証しよう。だが、不用意な真似をすれば……命はないものと思われよ』

 

(お祖父ちゃんッ……!)

 

優斗の血の気が引く。

光一郎が自分から単身で訃堂の元へ乗り込んだなど知る由もない優斗は、「自分が神に攫われたせいで、じいちゃんが巻き込まれて誘拐されてしまった」と思い込んだ。

 

手紙を握りしめる優斗の手が、ガクガクと小刻みに震える。

風鳴訃堂は、神と唯一対話ができる優斗の精神を支配し、間接的にニンフルサグをコントロールしようとしているのだ。

 

「ただいま、優斗。……どうしたの? 顔色が悪いわ」

 

戻ってきたニンフルサグが、優斗の異変に気付いて心配そうに顔を覗き込む。

優斗は必死に手紙の内容をニンフルサグから隠し、「なんでもない」と無理に笑ってみせた。そんな優斗のギクシャクした態度に、女神は少しだけ不満げに眉をひそめつつも、そっと優斗の冷え切った手を両手で温かく包み込んだ。

 

「隠し事は嫌よ。……でも、いいわ。何があっても、私だけは貴方の味方。絶対に裏切らないし、貴方を傷つけるものから必ず護ってみせる」

 

純粋で、嘘偽りのない女神の愛情。

だが、それを向けられれば向けられるほど、優斗の胸はどす黒い自己嫌悪で張り裂けそうになった。

 

(……ニンフルサグさんにお願いをすれば、じいちゃんを助けられるんじゃないか……?少しだけ嘘を言えば……だめだ!)

 

一瞬でも、そんな醜く自分勝手な考えが頭をよぎった自分が許せなかった。

自分に愛を向けてくれる彼女の想いと、肉親である祖父の命。その二つを天秤にかけ、彼女を裏切ろうとした自分の「優しさの底の浅さ」に、吐き気すら覚える。

 

時間が経ち。外との連絡手段が一切絶たれた別荘で、優斗は意を決して、目の前の女神と、自身の中に潜む神へと向き合った。

 

「ねえ、ニンフルサグ。それに……シェム・ハさんも。もう、こんな事はやめよう」

「……」

「君たちは不器用なだけで、本当は優しい所があるって、僕は分かってる。だから一緒にみんなの所へ行こう? ちゃんと話せば、みんなきっと君たちを受け入れてくれる。……もし怒られたって、僕が絶対に説得するから」

 

縋るような優斗の説得。

その言葉の奥にある、どこまでも他者を信じようとする『優しさ』に、ニンフルサグは一瞬だけ悲しそうに瞳を揺らした。一方、優斗の精神の奥底にいるシェム・ハは、その甘すぎる『脆さ』を嘲笑っていた。

 

しかし、神々の反応は違えど、その結論が揺らぐことはない。彼女たちはすでに、己の愛と野望のために進むべき道を完全に定めていた。

 

「……心配ないわ、優斗」

 

やがてニンフルサグは、蕩けるような甘い笑みを浮かべた。

 

「私たちがこれから行うことには、ちゃんと人間たちの『席』も用意してあるから。だから心配しないで。誰も傷つかないし、誰も私たちを邪魔しなくなるわ」

「え……?」

 

決定的に噛み合わない会話。

優斗がそのズレに戸惑った、その時だった。

 

『……女神よ。興を削ぐようで申し訳ないが、少々厄介な事態になりましてな』

 

部屋のモニターに再び訃堂からの通信が入り、不機嫌そうに振り返るニンフルサグ。

だが、そこに映し出された『映像』を見た瞬間。

 

――優斗の心臓は嫌な音を立てて跳ね上がった。

 

そこに映っていたのは、広大な海に浮上した超巨大遺跡『フロンティア』。

 

そしてその上空を舞う、二人の少女の姿。

 

「……ひびきちゃんに…みくちゃん……?」

 

優斗は自分の目を疑った。

だが、長年二人を見てきた優斗が見間違えるはずがない。それは、黄色と紫の『シンフォギア』であろう装備を纏い、空中に浮かぶ立花響と小日向未来の姿だった。

 

(なぜ? どうして……!?)

 

激しい動揺が優斗の脳をガンガンと揺らす。

 

(二人が、どうしてあんな危険な場所にいるの!? 誰も止めなかったの!?)

 

優斗にとって、二人は『平和の象徴』だった。

出会った時からすでに戦う運命にあった奏たちや、生き方が定まっていた大人組とは違う。未来と響は、戦わなくていいはずの、日常にいなければならない大切な女の子たちなのだ。

 

(未来ちゃんや響ちゃんは意味もなく自分から戦う力を求めるような子じゃない。……じゃあ、周りの大人が無理やり? ……いや、そんなはずない。奏ちゃんや弦十郎さんが、あの二人に戦わせるような真似をするはずがない!)

 

ハァ、ハァと、優斗の息が浅く、荒くなる。

 

画面の中では、訃堂が「パヴァリア共と競合してフロンティアを起動させたようだが、我々にとっては好機。女神の御手を煩わせずとも、手間が省けましたな」と語り、ニンフルサグも「ふん。わざわざ炙り出す手間が省けた」と答えている。

 

だが、そんな会話はもう優斗の耳には入っていなかった。

そこで――優斗の精神の最も脆くなった部分に、シェム・ハがそっと、残酷なまでの『推論』を囁きかけた。

 

『……ひどく混乱しているようだな、新城優斗。ならば、論理的に推測してみろ』

 

脳内に直接響く、シェム・ハの冷徹な声。

 

『なぜ、戦う力を持たぬはずのあの小娘たちが、自らあのような場所に立っている? あのフロンティアを起動させようとしていることと、無関係なはずがなかろう』

「……ッ」

『奴らの狙いは明白。フロンティアのシステムを用いて、お前の居場所を逆探知するつもりなのだろう。あれには地球上とリンクしているシステムがあったはずだからな……だが、それを起動させるためには、何らかの特別な【鍵】が必要だった』

 

シェム・ハの言葉が、パズルのピースを嵌めるように、優斗の脳内で最悪の真実を組み上げていく。

 

『その鍵こそが、あの小娘たちというわけだ。……奴らが自ら危険な戦場に赴き、シンフォギアという呪われた武具を纏っている理由。それは他でもない、お前を助け出すためだ』

「あ……あ……ぁ……」

『お前がニンフルサグを疑わず、むざむざ攫われたからだ。お前がいつまでも甘い理想を抱き、誰も傷つけまいと決断を先延ばしにしてきたから! お前の平和の象徴は、お前のせいで血を流す運命を背負ったのだ!』

 

優斗の心の中で、何かが決定的に砕け散りそうになる。

 

自分を助けるために、あの優しい未来と響が、恐ろしい戦場に引っ張り出されてしまった。

自分が誘拐されたせいで、祖父の命が危険に晒されている。

自分のせいで、彼女たちの平和な日常が永遠に壊されてしまった。

 

(僕の、せいだ……僕のせいで、お祖父ちゃんも、響ちゃんも、未来ちゃんも……みんなが……っ!)

『……辛かろう、優斗』

 

絶望の底に沈む優斗の精神に、シェム・ハは先ほどまでの冷徹な声が嘘のように、ひどく優しく、蠱惑的な甘い言葉を落とした。

 

今のシェム・ハは、自力で優斗の精神を力ずくで乗っ取ることはできない。だからこそ、完全に心が折れたこの瞬間を狙い、優斗自身に『肉体の主導権』を差し出させるための罠を張る。

 

『お前の優しさは、この残酷な世界を生きるには不向きすぎたのだ。……そう、己を責めるな。お前を苦しめるすべての元凶は、我が終わらせてやろうではないか』

「……シェム、ハ…さん…?」

『あの小賢しい老いぼれから、祖父を無傷で奪還してやろう。戦場に立つあの無力な少女たちも、誰一人傷つけることなく、お前の望む平穏な日常へと帰してやろう。神である我には、それができる』

 

悪魔の囁きは、今の優斗にとってあまりにも甘美な『救済』に聞こえた。

 

『お前はただ、「我にこの体を明け渡す」と許可するだけでいい。お前はもう、何も見ず、何も考えず、深い微睡みの中で休んでいればいいのだ。……さあ、我にすべてを任せるがいい』

 

悪魔の囁きは、今の優斗にとってあまりにも甘美な『救済』に聞こえた。

 

(……だ、ダメだ……!)

 

だが、優斗はギリギリの所で歯を食いしばり、精神の内で首を振った。

彼の心は、決して弱くはない。むしろ、常人ならとうの昔に発狂しているようなこの異常な状況下で、ここまで自我を保ち続けてきた精神力は強靭だった。

みんながきっと、ここへ助けに来てくれる。優斗はそう信じているし、自分自身でも現状を打破するために、何ができるかを必死に模索し続けていた。

 

だが――圧倒的に『時間』が足りない。

 

訃堂は今この瞬間にも、祖父の命を握っている。自分が早く決断を下さなければ、光一郎が殺されるかもしれない。

 

かといって、祖父を助けるためにニンフルサグを利用し、彼女を騙して操るような真似は、優斗の信念が絶対に許さなかった。誠心誠意話し合えば、ニンフルサグなら分かってくれるかもしれない。だが、自分が説得を試みている間に、訃堂がそれを察知して祖父を手に掛ける可能性も十分にあり得る。

 

盤面は、優斗の行動を完全に詰ませていた。

そして皮肉なことに、この手詰まりの現状を誰一人犠牲を出さずに打破できるのは、他でもない『シェム・ハ』だけだった。

 

短い時間とはいえ精神の内で対話を重ねてきた優斗は、彼女がただの邪悪な化け物ではないことを、感覚的に理解し始めていた。彼女は傲慢な所もあるが、その言葉に嘘はない。優斗が全員を助ける代わりに身を明け渡す契約をしたのなら、その規格外の力で必ずやり遂げるだろう。

 

優斗は、自分自身が傷つき、痛みを受けることはいくらでも許容できる人間だった。

神に囚われる恐怖も、肉体を奪われる絶望も、一人で耐え忍べる強さがあった。

 

だが――『他人が自分のせいで痛みや苦しみを受けること』だけは、絶対に許容できない人間だった。

 

祖父が冷たい部屋で縛られている。

戦う術を持たないはずの未来と響が、自分のために戦場に立っている。

大好きな人たちが、自分のせいで血を流そうとしている。

 

(……ああ)

 

苦しみ抜き、耐え続けてきた優斗の精神が、ついに限界を迎え始める。

自分がすべてを背負って消えれば、大切な人たちが無事に日常へ帰れるのなら。それが、自分の優柔不断さが招いた罪への、せめてもの償いになるのなら――。

 

『……決まったようだな』

(うん。……お願い、シェム・ハさん。みんなを、助け……っ)

 

心が折れかけ、差し伸べられた『神』の手に、優斗の魂が力なく触れようとした――その瞬間だった。

 

(――ダメだッ!!)

 

優斗は激しく歯を食いしばり、すんでのところでその手を振り払った。

 

もし自分がここで肉体を明け渡して消えれば、みんなの命は助かるかもしれない。けれど、自分が犠牲になったと知れば、未来や響は、残されたみんなはどうなる?

 

自分の身を投げ出すという選択は、結局のところ、自分が一番見たくない『誰かが悲しむ結末』を生み出してしまう。

 

(う……く…っ……!!)

 

声にならない絶叫が、優斗の精神の内で木霊する。

心を引き裂く自己嫌悪と、シェム・ハの甘言。その二つの極限の重圧に挟まれながらも、優斗は己の魂の主導権を、血の滲むような気力で必死に握りしめていた。

 

(みんなが来てくれると信じている。僕にもまだ、何かできることがあるはずだ。だから、まだ諦めるわけにはいかない……!)

『驚嘆であるな……この絶望の淵にあって、なおも抗うというのか』

 

シェム・ハは振り払われた自身の手を見つめ、愉快そうに目を細めた後、暗い笑い声を漏らした。

 

『我という救済を拒み、痛みに耐え続ける精神力は見事。……だが、あの小娘たちが戦場にいるという現状が覆ることはない。お前のその足掻きは、ただ限界を先延ばしにしているに過ぎない』

「ハァッ……ハァッ……っ!」

『ならば見届けるがいい。時間は無情。……次に致命的な一手が打たれ、お前の大切な者たちが血を流す光景を目の当たりにしたその瞬間。……お前は必ず、自ら私に恭順を示すであろうな』

 

精神の奥底に響く予言のようなその言葉に、優斗は荒い息を吐きながらモニターを睨みつけることしかできない。

 

限界は、もうすぐそこまで来ている。

 

ギリギリの綱渡りで己の自我を繋ぎ止める優斗と、その崩壊の時を確信して嗤うシェム·ハ。

二つの意志が渦巻く中、波乱に満ちた戦いの幕が、ついに上がろうとしていた――。

 




ゴロゴロしていたらGWが溶けてしまった、本話にぶち込む技量がない作者のQ&A

Q、未来の聖詠が違うけど?
A、リンカーではなく優斗の料理を食べた未来の、聖遺物の適合率はぶっちぎりで高いです。なので正規適合者と同じに近い扱いです。

Q、響が飛んでるけど?
A、響のガングニールは未来の神獣鏡が飛べることに合わせて変化した物です。最初はブースターとか無かったのですが、未来が飛べると知ってエルフナインにどうにかできないかを聞いたところ、槍は投擲にも使われるので、自分の体を槍に見立ててアームドギアとして望めばいけるのでは?と言われた響が思い込みで達成。つまり未来を連れて最速で、最短で、真っ直ぐに、一直線に優斗の元に行くためです。

Q、光一郎ってなぜ囚われたの?
A、訃堂の強行を察知できてしまった光一郎は場所を弦十郎に教えるか、自身の手で止めるか迷った結果、止める方を選択。単身挑むも敗れた光一郎は訃堂の思惑を叶えるための人質になってしまいました。もしも弦十郎に教えていたらフロンティアの起動は無かったでしょう。

Q、優斗のメンタルが弱くなってる?
A、自身に振りかかる理不尽、すなわち死の淵の状況でも、どうにもできないならば受け入れる潔さはありますが、他者の痛みや悲しみに共感し、思いやって寄り添おうとします。なので自分のせいで他人が苦しむ状況に怒りと苦しみを抱いていますが、ある程度客観視できてしまうせいで、今考えなしに投げ出すことが一番不味いとわかっています。そのジレンマが優斗を更に弱くしてしまいました。

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