異空間に潜む巨大な城『チフォージュ・シャトー』の玉座。肘掛けに立てた腕に顎を乗せてもたれるキャロル。その目線の先には、大きく空中投影されたフロンティアが有り、日本とアメリカの行う一連の作業の様子を見ていた。
この後の事に備えて、フロンティア浮上の一連の流れを監視していたキャロル。
浮上が落ち着き、停止してから時間が経たないうちに届いた、マリアからの「フォトスフィアの確保に成功した」という通信を受けても、さして驚く様子は見せなかった。
「やっとか。……所で貴様。いつまでもくつろいでいるんじゃない。準備はできているのか?」
「不要だとも、その心配は」
驚かないのは、キャロルがエンキや了子たちの能力を――口にこそ出さないが――それだけ高く信頼している証拠でもあった。
キャロルは背後のスペースにて、フロンティアが海を割る壮大な光景を肴に、持ち込んだ椅子に深く腰を掛けてワインを煽っていたアダムに向けて鋭く声をかけた。
次に瞬間。下の広間にテレポートジェムの光が瞬き、ヴァネッサが転移して来た。ヴァネッサは一旦周りを見回した後、キャロルの姿を捉えてから玉座に座るキャロルに近づいていった。
「お待たせ、キャロル。フォトスフィアは無事吸い出すことができたわ。これがそうよ」
ヴァネッサが手のひらに乗せて差し出した小さなデータチップ。そこには地球のレイラインであり、フロンティアによって常に更新と記録されていたデータである『フォトスフィア』が抽出されている。
ここに、今回の作戦の要となる情報が詰まっている。立ち上がったキャロルは慎重にヴァネッサの手から受け取る。
キャロルは背後に振り向き、アダムの横で同じく持ち込んだクッションで少女漫画を読んでいたティキに声をかけた。
「よくやった。今すぐにシャトーと同期させる。…おい!ティキ、いつまで漫画を読んでいる!」
「言われなくても準備オッケー♪ ……で〜も〜、やる気を出すためにさ〜、さ·い·し·ょに!アダムにこれをつけてほしいなー!」
「わかったよ。おいで」
アダムの横で大型クッションを枕に寝転がっていたティキは、読んでいた少女漫画を後ろに放り出して立ち上がる。
そして傍らに置いてあったバッグからゴーグルのような特殊な機械を取り出すと、アダムに向けておねだりするように突き出した。アダムは苦笑しながらも、ティキの頭に優しくそのゴーグルを装着してやる。
「…後で漫画を片付けておけよ。ほら、さっさとデータチップを入れろ」
「ぶーぶー。キャロルってば情緒がわかってな〜い。昔からそういう素直じゃないとこ拗らせて、結局世界なんてあやふやな物に八つ当たりするんだから」
「ええい! いらん事言ってないでさっさとやれ!」
「は〜いはい」
顔を赤くして怒鳴るキャロルをからかいつつ、ティキは受け取ったデータチップをゴーグルの差し込み口にセットした。
スイッチを入れると、機械音と共にティキの頭部でギアが完全に固定され、顔の半分を覆うゴーグルモニターに凄まじい速度で文字の羅列が走り出す。
「いつでも行けるよ! ほらほら、早くやっちゃいなよ」
「言われなくても!」
キャロルが錬成陣と共に指を振り、シャトーのシステムとティキをリンクさせ、広間の空中に黄色いホログラムで構成された巨大な『地球』が浮かび上がった。
宇宙から地上観測に特化させたティキの性能。そこへ、地球の縮図であるフォトスフィアのリアルタイムデータと、オートスコアラーから抽出した優斗由来の神の力。そしてアダムが観測し、持ち帰った『ニンフルサグの神の力の残滓』のデータを同期させる。複数の膨大な複合データが、ティキの機構の中で瞬く間に一つの答えへと組み上げられていく。
「み〜っけ、た!!」
ゴーグルのモニターが単眼のような模様に切替わり、ティキが高らかに観測結果を告げると同時。ホログラムの地球儀の一部――日本の極東エリアが強く発光した。
「場所が分かったのはいいけれど……具体的にはどこなのかしら? これ以上は、日本の地理を詳しく調べてもらうしかないわね。キャロル。端末を基地に繋げたいの、お願いできる?」
「いいだろう。後でこちらもデータを共有しておきたい……終わったのならゴーグルをよこせ!」
「は〜い!」
ティキが頭から外したゴーグルをキャロルに放り投げ、さっさとアダムに甘え始める。放物線を描くゴーグル自体は、ぞんざいに扱われた事に舌打ちしながらもキャロルが危なげなくキャッチした。そしてヴァネッサに向けて受信用の端末を出すよう手で促した。
「よこせ」
「ええ……これでいいかしら?」
「十分だ。では、繋げるぞ」
キャロルはゴーグルに内蔵されているケーブルを端末に繋げてデータを共有する。
データを移行している間に空中に先ほどとは別の錬成陣を浮かべ、指先で弾くように操作。チフォージュ・シャトーの位相を一部分だけ地上に露出させ、二課本部の司令室へと通信を繋いだ。
『どうしたんだ、キャロルくん。……もしかしてだが、君から直接通信をかけてくるということは……』
「ああ。お前たちの成果によって、ニンフルサグ、あるいは優斗の居場所を探知することに成功した。生憎だが、オレは日本の細かい地形には詳しくなくてな。正確な場所を知りたい」
「司令。そちらにデータを送ります」
端末をキャロルから戻して貰ったヴァネッサがゴーグルから吸い出した座標データを二課へ送信する。データ送信直後、藤尭が猛烈な勢いでタイピングを行い、解析にかけた。
『解析完了しました!……ここは、鎌倉ですね。風鳴邸から少し離れた、山奥の別荘施設のようです』
『鎌倉だと……? やはり親父の手の届く場所か。松代にある風鳴機関の旧本部と予測して緒川に探らせていたが、外れたか。……キャロルくん』
「心配するな。と、言いたいところだが……オレの忍耐もそろそろ限度を迎えそうだ」
キャロルは腕を組み、人差し指で自身の腕を叩きながら静かな威圧感を放って告げる。
「今は錬金術師としての思考回路に無理やり切り替えて、考えに没頭させる事で怒りを逸らしているが……それにも限度がある」
『兄貴が家宅捜索の権限を勝ち取るまで、あと3日はかかると見ている』
「遅い。1日で済ませろ」
『たいした無茶振りだな……』
「待ってやるだけマシと思えよ? 昔のオレならばこんなまどろっこしい真似はせず、今頃とっくにここには居ないだろうからな」
キャロルは随分と穏やかになった。
かつての彼女なら、成長しなかった幼い感情に任せ、苛立ちのままに癇癪を起こし、たった一人の為に世界を巻き込んでいただろう。だが、優斗と出会いがそれを変えた。
彼のおかげで焼却したはずの思い出を取り戻せたことで、一部の記憶しかなかった時より精神年齢が跳ね上がり、彼女の心には確かな「芯」ができていた。
細部まで明確に思い出し、記憶の最後に残っていた、父・イザークの『世界を識れ』という遺言。
過去のキャロルはそれを曲解し、世界を錬金術だけで「分解・解析」しようと躍起になっていた。
だが今は違う。自分で歩き、学び、受け入れる。ありのままで生き、大切な人たちと共に時間を重ねることこそが、世界を最も『識る』ことなのだと向き合うことができたのだ。
共に歩み、未来へ生きていたいと思える、かけがえのない大切な人ができたから。
だからこそ――表には出していないが、キャロルの腹の底は愛する者を奪われた怒りで、煮えたぎる鉄のようにドロドロと燃え盛っていた。
「オレが直接、風鳴訃堂の拠点に強襲をかけて終わらせてもいいんだがな。『護国災害派遣法』だったか? オレという特異災害に対処するという名目で、貴様らも堂々と動けばいいだろう」
『いや、それではキャロルくんたちの今後の立場が決定的に悪くなる。……こんな言い方はずるいが、それはきっと、優斗くんが望まないだろう』
「……オレが望んだことだ。最終的に隣にいられればいい。……そうじゃなくなっても、優斗が生きてさえいてくれれば、それだけで……」
『……とにかくだ』
皮肉げな態度を隠そうともせずキャロルは襲撃を提案するが、弦十郎がその身を案じてキャロルを穏やかに引き止める。卑怯な事を言っている自覚はあるのか、眉間にシワを寄せ、キャロルにとって大事な存在の優斗まで持ち出してまでキャロルを真剣な声音で引き止めた。
『兄貴が緒川家を動かして、親父が過去にアメリカの研究所を襲撃したパヴァリア残党を匿っていた、という情報を切り札として確保に動いている。親父が推し進めた護国災害派遣法はいくら官僚を抱き込んだとはいえ、今まで大きな特異災害が起きていない現状ではかなり無理を通した法案だ。……まるであの時だけを凌ぐための、捨て案のようだと今は思う』
「ふん。外道の考えなどオレには関係ない。まあいい、取り敢えず1日だけは待ってやるが、それを過ぎた場合はオレが直接襲撃をかけ――」
キャロルがしぶしぶ待機する事を選ぼうとした、その時だった。
通信先の二課の司令室で、鼓膜を劈くようなけたたましいアラートが通信先のシャトーにも鳴り響いた。
『この反応は……アルカノイズ!? それも無数、フロンティアの海域に向かっています! 一体どこから!?』
『それに、この異常な高エネルギー反応は……!?』
友里と藤尭の驚愕の声に、キャロルは即座に空中のモニターをフロンティアの周辺映像へと切り替える。
そこには――大小問わず、様々な種類の大量のアルカノイズが突如として出現し、待機していた連合艦隊の船団や、上陸した調査員たちに次々と襲い掛かっている光景が映し出されていた。
船団の護衛に回っていたクリスや切歌、調、そしてマリアやセレナが、すでに迎撃を開始している。
『まさか、潜水艦か、それとも船員の中に人員をを紛れ込ませていたか……!? やはり親父も、フロンティアの力を欲しているということか!』
バタバタと慌ただしくなった二課で、弦十郎がギリッと歯を食いしばる。
『奏たちは!?』
『今、エアキャリアから飛び出してアルカノイズの殲滅に向かいました! それから……響ちゃんと未来ちゃんも、出撃の許可を求めています!』
『弦十郎さん! 私たちも戦います!』
『お兄ちゃんだけじゃない、他の誰かを助ける力を貰ったのなら!』
通信越しに、焦燥に駆られた未来と響の叫びが響く。
心優しい彼女たちの目の前で人が襲われているのだ。放っておけるはずがない。
『ダメだッ!!』
だが、弦十郎はかつてないほどの鋭く、大きな声でそれを一蹴した。
『お前たちが戦うことは、絶対に許可しない! 今回の作戦でお前たちがギアを纏ったのは、あくまでフロンティアを起動させ、優斗くんを奪還するための鍵としてだけだ!』
『でも……ッ!』
『これ以上の戦闘行為は、大人である我々が引き受ける。誰も傷つける必要のない平和な日常へ帰るべきお前たちに、これ以上『戦い』という一線を……血を流す領域を踏み越えさせるわけにはいかない! 響くん、未来くん! すぐに安全な場所へ退避するんだ!』
自分たちを護ろうとする弦十郎の痛切な叫び。
だが、フロンティアの空を覆い尽くさんとするアルカノイズの大群は、容赦なく「非戦闘員」の少女たちをも戦火の渦へと呑み込もうとしていた。
『そうも言ってられねえぜ! 大将首もお出ましってな!』
雑音の混じる通信越しに、爆炎の熱と火薬の匂いを錯覚させるほど昂ぶった奏の声が割り込んだ。焦燥感の裏に、強敵を前にしたヒリつくような戦意と期待が隠しきれずに滲み出ている。
『ニンフルサグがいる! それと錬金術師らしい奴らもだ!』
『なんだとぉ!?』
弦十郎の驚愕の怒声が響く中、モニターに映し出された激戦の海域。そこには、おびただしい数のアルカノイズを引き連れ、空中に神々しく君臨する黄金の女神の姿があった。
キャロルの背後でその映像を静かに見つめていたアダムは、フッと息を吐き、感情を隠すように帽子を目深に被り直した。
「こうして直に見るのは見逃して……いや、助けられて以来だね。……あの時から変わらないままだよ」
かつてアヌンナキの種族の進化の為に見捨てられ、廃棄処分されそうになった冷たい記憶。その絶望の底から自分を逃がしてくれたのは他でもない彼女の温かい手だった。
アヌンナキという種族はひどく憎いが、ニンフルサグだけは例外だ。だが今、彼女は大切な友である優斗を攫った明確な『敵』として立ちはだかっている。一度敗北を知り、他者を思いやる心を知った今のアダムにとって、この対峙はあまりにも皮肉で残酷だった。
無意識にギリッと奥歯を噛み締めるアダムの微細な震えを察したのか。ティキが隣にすり寄り、その冷たい腕を慰めるようにギュッと強く抱きしめた。
「敵もなりふり構わなくなって来たらしいな。目的はフロンティア……それもナスターシャが言っていた月の遺跡の管理者権限か? まあいい、これはチャンスだ。こいつがここにいるということは」
『親父の元にいる戦力が減り、優斗くんの救助がしやすくなった。……だがこちらも迎え撃つ戦力を分けなくてはならなくなったのと同じか』
盤面を俯瞰するキャロルの瞳には、すでに一切の焦りはない。圧倒的な脅威の出現すらも、彼女の錬金術師としての冷徹な思考回路は勝利への逆算へと組み込んでいく。
「だがお前達も動きやすくなるだろう? ニンフルサグが訃堂の横にいた記録もある上に、今、等の本人がアルカノイズを使用している錬金術師といる。つまり風鳴訃堂の元に錬金術師共がいて、アメリカでやらかした犯罪集団を匿った罪を確定にできる。……が、逆に言えばここさえ抑えればどうにでも出来ると考えたか。さて、ここから戦力をどう分けるか……」
「それじゃあ、僕が行こう。サンジェルマン達と当たる彼女の所にはね」
アダムが、静かに、だが決して揺るがない決意を込めて一歩前へ出た。
画面の中ではニンフルサグの振るう神の力に対し、メインで当たるマリアと奏。そして合流したサンジェルマンたちが死力を尽くして激突している。クリスたち残りの装者は、広範囲に散開して錬金術師の残党とアルカノイズの群れを食い止めていた。
「僕が出張っても問題ないわけさ。今回はパヴァリアも正式に作戦に関与しているからね。……今のパヴァリア統括局長として、残党の不始末をつける義務もある」
「動くのね! ついに動くのね!! キャー!! アダムのかっこいい所が見たーい!」
「キャロルも早く動くといいさ。彼女も話を聞くだろうね、優斗くんを抑えれば」
「……だといいがな」
アダムの声音の奥底で燻る『恩人への捨てきれない情』を、キャロルは鋭く見抜いていた。
だが、それを冷笑することも、止めることもしない。あえて無視をした。もし自分が逆の立場であれば、きっと同じように救おうと足掻く己の甘さを自覚していたからだ。
「聞いていたか? これからオレが風鳴訃堂の元に行こう。一度そっちに飛んだ後にお前たちも連れて行く。正確な座標と戦力を用意しておけ。……親のやらかしは、その子供のお前が決着をつけろ」
『30分くれ。兄貴に話をつけて、俺が行こう。奏たちはそのままフロンティアの対処に当たって貰う。……しかし、ニンフルサグは優斗くんにあれほど執着心を持っているのに、側を離れてまでここに来たのだ……?』
弦十郎の重々しい疑問の声を最後に、ブツン、と通信が切断される。
「優斗を独りにしてまで前線に出てきた理由」。その不吉な予感に背筋を撫でられる感覚を無理やり振り払い、キャロルは眼下の広間で彫像のように控える四機の人形たちを見下ろした。
「聞いていたな。お前達」
「イエス、マスター。派手に優斗様を迎えにいきましょう」
レイアが胸に手を当て、しなやかで優雅な礼を決める。機械仕掛けの瞳の奥にはマスターの恩人を取り戻すための冷徹な戦意が静かに灯っていた。
「ええ。この美しき剣舞の調べ、邪魔する愚物には死のステップを刻んでさしあげましょうか」
ファラが踵をタップさせて軽快なリズムを鳴らす。その口元には、敵を情け容赦なく斬り裂く刃のように鋭く、妖艶な笑みが浮かんでいる。
「優斗を助けて、お礼にい〜っぱい!ご飯を作って貰うゾ!」
ブォン! と空気を引き裂く重低音を響かせ、無邪気な笑顔のままミカが戦闘用の巨大な鉤爪を力任せに振り回す。彼女の原動力はいつだって、あの温かくて美味しい食卓への無邪気な渇望だ。
「素直じゃないマスターが待ち焦がれた逢瀬ですもの。私たちで最高の舞台を整えてあげなきゃ、ね?」
ガリィが後ろ手でクスッと笑いながら、クルリと華麗なターンを決めた。主のいじらしい恋心をからかうような口調の裏に自らの命すら惜しまない絶対の忠誠心が、甘い毒のようにたっぷりと滲み出ていた。
「受け取れ、アダム。お前はお前でケリをつけてこい」
キャロルはローブの懐から、煌めく二つのテレポートジェムを取り出した。そのうちの一つを親指で弾き、アダムへと投げ渡す。
「……恩人とはいえ、僕の過去の亡霊でもあるからね。しっかりと向き合ってくるよ」
放物線を描いて飛んできた冷たいアンプルを片手で軽々とキャッチし、アダムは静かに頷いた。
キャロルはそれ以上何も言わず、眼下の広間で待つオートスコアラーたちの元へ降りるべく、玉座の間から続く豪奢な階段へと足を向けた。その小さな背中へ向けて、アダムがふと、ひどく穏やかな声で問いかける。
「一つだけ聞いてもいいかい?キャロル。……野暮だろうだけどね」
「……なんだ?」
大理石の床を硬く叩いていたキャロルの靴音が、ピタリと止まる。
振り向くことはしない。ただ、張り詰めたような冷たい静寂だけが二人の間に落ちた。
「今のこのチフォージュ・シャトーには、『呪われた歌』を除いて……『万象黙示録』を成すために必要な機能がすべて君の近くに揃っている。……世界を壊せなかったことへの未練は、あるかい?」
かつて、託された思いをねじ曲げ世界を激しく憎み、すべてを分解してやろうと狂気に囚われていたキャロル。絶対的な力を持つ城を手元に必要なパーツが自身の知り得る所にある今、彼女の心に少しでも過去の野望が燻っていないか。それは不躾で、しかしアダムなりに思いやりを乗せた問いだった。
アダムから見るキャロルの背中は、振り向かない。
ただ、シャトーの薄暗い天蓋を見上げるように、静かに頭を上げた。脳裏をよぎるのは苛立ちと怒りで自身を焼き尽くしていた孤独な記憶。そして――灰になりそうな心を満たすように、温かいご飯と、共に歩む「また明日」を教えてくれた、あの優しい青年の笑顔だった。
少しの沈黙の後。キャロルは、憑き物が落ちたような、どこか晴れやかな声でポツリと応えた。
「……燃やし尽くしたさ、そんな思いは」
「そう……」
「今のオレは、ただの『キャロル』だ。世界を壊すより、あいつの隣でくだらない話をして笑い合える明日の方が……今のオレにとっては、よほど価値がある」
独り言のような、しかし微塵も迷いのないその言葉に、アダムは一瞬だけ目を丸くした後、心の底から嬉しそうに目を細めた。
「……そうかい。それは何よりだ」
アダムはキャロルの答えに深く納得したように微笑むと、「行くよ、ティキ」と傍らの少女を優しく抱き寄せた。そしてジェムを地面に叩きつけ、かつての恩人が待つフロンティアの空へと真っ直ぐに転移していく。
残されたキャロルは、ふう、と小さく安堵のため息を吐き出した。
踵を返し、玉座の階段を下りて、絶対の忠誠を誓う四機の自動人形とヴァネッサの元へと合流する。
「待たせたな。……行くぞ、お前たち」
「「「イエス、マスター!」」」
優斗をこの手で迎えに行くために。キャロルたちはジェムを起動し、弦十郎たちの待つ二課の司令室へと光となって飛ぶのであった。
ニンフルサグが別荘から飛び立ち、数時間が過ぎた頃。
薄暗い一室のベッドに腰掛けた優斗は焦点の合わない虚ろな瞳で、ただぼんやりと白い天井を見上げていた。
(……何をやっているんだろうな、僕は)
祖父を盾に取った訃堂からの非情な密命により、優斗は己の良心を殺してニンフルサグを説得した。フロンティアへ向かうよう、お願いという形で彼女を騙して誘導したのだ。
『優斗、何かあったら思いっきり私の名前を呼んで。そうすれば何時でも、貴方の元へ駆けつけるから』
出立の間際。優斗のお願いを聞いてくれた彼女は、不安げな優斗の背をひどく優しく、温かな腕で抱きしめてくれた。鼻をくすぐる甘い香りと女神の無垢な愛情が裏切った優斗の浅ましい心をギリギリと締め上げる。
しかし、祖父を人質に取ってまで優斗を脅し、間接的に女神を操ろうとする訃堂のやり方。それは裏を返せば、あの二人には完全な連携など取れていないという明白な証拠でもあった。
(……だったら)
優斗は重く沈む泥のような自己嫌悪を無理やり切り離し、深く息を吸い込んだ。
冷えた空気が肺を満たすのを感じながら、思い切り背伸びをして立ち上がる。そして、部屋の出口へ向けて重い足を踏み出した。
「……」
ヒヤリと冷たい金属のドアノブを握りしめた、その瞬間だった。
『疑問である。新城優斗、何処に行こうとしている?』
優斗の左腕。そこに嵌められた腕輪のクリスタルが明滅し、精神の奥底からシェム・ハの冷徹な声が響き渡る。
「……訃堂さんの所に行って、説得を試みます」
『はっ、無駄であろうよ。あの男は目的の為に手段を強制させる、生粋の外道だろう』
鼻で嗤うようなシェム・ハの気配。
『今のお前のように支配し、飼い殺す事でしか人を用いる事が出来ない。一人で行った所で祖父を持ち出され、また言いなりにされるのが精々だろう』
「だからですよ」
『……何?』
「お爺ちゃんを人質にしてまで、訃堂さんが成し遂げたい事。それが何かは分からないけれど、それを知らないままでいるからダメなんです」
ドアノブを握る優斗の手に、ギュッと強い力がこもる。
「勿論、こんな汚い手段で言い聞かせられるのは、正直とっても嫌です。けれど……きっとそこまでしなければ成し遂げられない、その人なりの理由があるのかもしれない。だから話を聞いて、真意を聞きに行きます」
絶望に沈みかけていたはずの優斗が、突然持ち直したかのように見せる強い意志。
だが、精神を共有するシェム・ハにはお見通しだった。それがひどく脆く、破滅的な自己犠牲の上に成り立つ『ただの強がり』であるということを。
『お前が行って何になる? 奴にとってのお前の価値など、ニンフルサグを制御するための道具でしかない』
「だったらお爺ちゃんを人質にとって、わざわざ遠回りな脅しをしなくてもいいように……お爺ちゃんと引き換えに、僕自身が訃堂さんの手駒になればいい」
『……』
「そうすれば、より素直にニンフルサグさんに頼みごとをしやすくなるはずです」
優斗が静かに落とした視線の奥。その瞳には、黒曜石のように妖しく、眩しい『危険な覚悟』の光が宿っていた。自身さえ生贄になれば、全てが解決するという危うい自己犠牲。
『……やけにでもなったか?』
「……かも、しれません。でも、この一件を引き起こしたのは訃堂さんとニンフルサグさんです。そのせいで、みんなが僕を探すためにあんな大がかりな事までして……」
「だったら、せめて訃堂さんの真意を聞いて、僕がこんな馬鹿げた事を終わらせます。もう、みんなが戦わなくてもいいように……皆が、無事に家に帰れるようにするために」
ポツリとこぼれた本音には、愛する者たちの平穏を願う痛切な祈りが込められていた。
しかし、その愚かなまでの優しさを、シェム・ハはひどく哀れであると同時に『極めて好都合』だと嘲笑う。
(……実に都合がよくなってきたな。あの風鳴訃堂という男、この国へ向ける異常な執念さえ満たされれば他はどうでもいいと切り捨てる類の人間だ。こいつが恭順を示せば、表向きは受け入れるだろう)
シェム・ハの冷徹な思考が、先の未来を盤面の上で弾き出す。
(だが、秘密裏に祖父を手放すような真似は決してすまい。そしてニンフルサグも、新城優斗が苦しんでいると感じている。もし新城優斗が助けを求めれば即座に風鳴訃堂へと牙を剥く。記憶にあるS.O.N.G.だったか?そいつらもほっとかないだろうな。そうなれば結果は――必然の三つ巴)
シェム・ハから見て、あの老狸は人間にしては規格外の実力を持っている。敵対した者が無事で済むはずがない。
優斗を助けに来た大切な仲間や、盲目的な愛を注ぐ女神が、訃堂の手で無残に傷つけられる光景を見せつけられれば……。
(その時こそ、お前の精神は完全に限界を迎える。もはや我の甘言に抗うことなどできまい)
まさか、ニンフルサグという神や、風鳴訃堂という修羅に真っ向から渡り合える『人間』が存在するとは夢にも思っていないシェム・ハ。
間もなく訪れるであろう確実な乗っ取りのチャンスに、厄災の神は精神の暗闇の中で一人、泥のように暗い笑みを浮かべていた。
モチベが売り切れなので更新が落ちる、本話にぶち込む技量がない作者のQ&A
Q、なんでアダムがシャトーに?
A、ティキ一人がいればいいと言ったキャロルにアダムと離れたくないティキがごねたから。あと現場にいると気が散るからとサンジェルマンに言われています。言われたアダムは地味にショックを受けていました。
Q、錬金術師達は何を今まで何をしていたの?
A、ニンフルサグの名にて訃堂の下につくよう指示されてました。崇拝の視線が鬱陶しかったせいか、ニンフルサグはずっとほったらかしにしていました。ちなみにシェム·ハを宿した優斗にも同等の視線を向けています。
活動報告にて本編後や、番外編等の書いてほしい内容のリクエストを取るのはありでしょうか?
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あり
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なし