「……む?」
人質の命を奪い、少年の心を完全な絶望へと突き落とすため、訃堂が手元の起爆スイッチを力任せに押し下げる。しかし、端末のランプは光一郎に訪れる筈だった、無機質な死を思わせる暗黒のまま、何一つ反応を返さなかった。
「……不快であるな」
突如、訃堂の腕の中で力なく伏せっていたはずの優斗の口から、絶対に出さないであろう低く、冷たく透き通った声が漏れる。
直後、その手のひらが、何のリズムもなく訃堂の肉体へピタリと添えられた。
訃堂が疑問を抱く猶予すら与えられない。即座に起きる爆音と衝撃。
「がっっはっ!?」
一瞬の予兆もなく爆発したのは、理を完全に無視した超絶的な衝撃による波動。空間が揺れたと勘違いするその超威力により、全盛期の引き締まった肉体を取り戻したはずの訃堂が、まるで吹き飛ぶ紙屑のように背後の壁ごと打ち払われた。
風鳴邸の幾重もの壁という壁を易々と貫通し、屋外の庭園まで一直線に続く巨大な空洞が穿たれ、訃堂の姿は山の奥に消え去り、姿が見えなくなる。
「なんだ……!?」
あまりの威力の奔流に、弦十郎は息を呑んで驚愕した。
一方、衝撃の防風にキャロルは金の髪を激しく逆立て、その美貌を苦々しく歪める。彼女の胸中で、長年培った錬金術師としての理性が最悪の事態を告げて警鐘を鳴らしていた。
訃堂に無理やり拘束されていた感触が不快だったのか、優斗は首を軽く傾け、ピキリと骨を鳴らす。衝撃波を放った右手から立ち上る白い煙を、鬱陶しそうに一振りでかき消した。
「優斗くん……? それに、親父は……」
「……最悪のパターン、だな。おそらくだが………優斗の心が、折れた」
瞬きを一回しただけ。弦十郎とキャロルの視界から、優斗の姿が跡形もなく消え去った。
「消えた――!?」
だが、その姿はすぐに捕捉された。
手足から血を流し、虫の息で畳に伏せる光一郎の目と鼻の先。いつの間にかその傍らへ移動していた器が、見下ろすように静かに佇んでいた。
「……ひゅー、ゆ、ゆう、と…げふ…なのか……?」
生き絶え絶えになりながら、死線の淵にしがみつき耐え、必死に孫の顔を仰ぎ見る光一郎。
それは無言のままかがみ込むと、老人の顔の前で白磁のような手をかざした。
すっと指先が弧を描いた瞬間、光一郎の意識が静かな眠りへと落ちていく。それと同時に、抉られ血を吹き出していた手足の肉片が、まるで時間を逆再生するように一瞬で再構成され、傷一つない肌へと復元された。
時間遡行すら思わせる神意の奇跡。傷痕すら残さぬ完全なる回復に、弦十郎とキャロルは言葉を失う。
そこへ、廊下の奥から荒々しい足音と共に八紘たちが駆け込んできた。屋敷内のアルカノイズと警備部隊を速やかに制圧し終えたらしい。
「弦!今の衝撃はなんだ!?」
八紘は部屋の惨状と、無事に横たわる光一郎、そして優斗の姿を確認する。だが、どこにも父親である訃堂の姿が見当たらないことに気づき、眉をひそめた。
「……親父なら、あっちだ」
弦十郎が手短に、壁に開いた巨大な穴を指し示して状況を伝える。事態を呑み込んだ八紘は、すぐさま決断を下した。
「そうか……。ならば、すぐに優斗くんを保護し、吹き飛ばされた訃堂を追うぞ!」
すぐさま指揮を執ろうとした八紘だったが、その言葉は冷ややかに遮られた。
「無常であるな。いつの世も、お前たち人間という存在は……力ある者に踊らされ、あっけなく散りゆく」
優しく眠りについた光一郎の瞼を指先で閉じさせ、神の器がゆるりと立ち上がる。
「だが心配する事はない。我が全て拾い上げるのだからな」
その身から溢れ出る圧倒的な神威と気配の激変に、周囲の空間が重圧でミシリと軋んだ。誰もが、目の前にいる人物がもう「新城優斗」ではないことを、身が凍るような戦慄と共に理解させられていた。
「……優斗ではないな。貴様は、誰だ」
キャロルが『ダウルダヴラ』の魔力を極限まで跳ね上げ、鋭く睨みつけながら問う。
その問いに応じるように、それはゆっくりと振り向いた。
普段なら、太陽の光を浴びたサファイアのように温かく輝いているはずの瞳。
「復活である。我こそがシェム·ハ。シェム·ハ·メフォラシュ」
だが今、そこに宿っていたのは――妖しく揺らめく赤紫色の残光と、怪異な同心円が刻まれた神の双眸だった。
一方、鎌倉の風鳴邸で最悪の事態が引き起こされる少し前。
フロンティア宙域の前線では、奏、マリア、サンジェルマンの三人が、ニンフルサグを相手に苛烈な死闘を繰り広げていた。
ガングニールの一撃によって初めて頬に「傷」を負わされたニンフルサグ。彼女はその痛みを合図にするかのように、近接戦の不利を悟り、圧倒的な手札の多さを活かした変幻自在の猛攻へとシフトしていた。
「くっ……! 近づけさせない気か!」
「このままじゃ、ジリ貧だわ!」
奏の槍とマリアの槍が、空中に生み出される重力波やエネルギーの雨に阻まれ、あと一歩が届かない。翼たちの応援を待ちたいところだが、彼女たちは別区画で発生したアルカノイズの大群の掃討に追われ、すぐには駆けつけられない状況だった。
S.O.N.G.の潜水艇司令室にたどりつき、戦況を見守るエンキ――そしてフィーネもまた、唇を噛んでいた。未遂とは言え、彼女はかつてアメリカを巻き込んだ事件の首謀者であり、国際的には今なお逃亡中の大罪人である。表立って前線に出ればS.O.N.G.を政治的に窮地に立たせるため、今は息を潜めるしかない。エンキも、アヌンナキという特大の地雷を抱えている。だが、両名ともいざとなれば世界中を敵に回してでも、この戦場に飛び出す覚悟だけは決めていた。
膠着を破ったのは、ニンフルサグだった。
一瞬の隙を突き、不可視の衝撃波がサンジェルマンの腹部を捉え、彼女を彼方へと吹き飛ばす。
「サンジェルマン!」
「しまっ――」
奏とマリアが思わず気を取られた、まさにその刹那。
ニンフルサグは冷徹に指を弾き、二人の直下へピンポイントに極大の超重力を発生させた。さらにその重力の向きを強引に真横へと書き換える。
「きゃあっ!?」
「なっ、おわぁぁっ!?」
まるで足元に底なしの穴が開いたかのように、奏とマリアは重力の暴力に為す術もなく別々の方向へと弾き飛ばされた。
空中で足場を作る術を持たないマリアは、ガングニールのマントを全開に広げ、必死に落下速度を殺すが、戦線復帰には時間がかかる。奏もまた、自力で空中を蹴り上げて戻ろうとする。
が、はるか遠くまで吹き飛ばされたため、戻るまでに十数秒のタイムロスが生まれてしまった。
孤立したサンジェルマン。だが、彼女は無理やり空中で態勢を立て直すと、スペルキャスター『エスコペターラ』の弦を指が引きちぎれんばかりに強く弾いた。
「舐めるなッ! 私達たちをッ!!」
擬似的な絶唱。彼女の命を燃やすような凄まじいエネルギーが、エスコペターラの銃口に一点集中していく。
その苛烈な熱量に対し、ニンフルサグはただの防御では防ぎきれないと瞬時に判断した。彼女は両腕を前にかざし、右手に「超高温」、左手に「絶対零度」のエネルギーを同時に生成する。相反する二つの力を衝突させることで引き起こされる『相転移現象』――その爆発的な対消滅エネルギーで、サンジェルマンの砲撃を空間ごと相殺しようというのだ。
互いの超エネルギーが、臨界点に達しようとした瞬間。
二人――いや、ニンフルサグの視界を強引に遮るように、空の彼方から飛来物が猛烈な速度で割り込んできた。
「……!?」
コースを予測し、直撃を悟ったニンフルサグは、エネルギーの合成を一旦中断。まるで物理法則を無視したような直角飛行で、その飛来物を紙一重で回避する。
しかし、長年戦い抜いてきた歴戦の錬金術師であるサンジェルマンがその隙を見逃すはずがなかった。
「喰らえっ!!」
引き金が引かれ、身の丈を優に超える極太の光線が放たれる。
避ける術を失ったニンフルサグは、無理やり両手に生み出しかけていた相転移エネルギーぶつけるように混ぜ合わせ、簡易的な盾として展開した。
空間が激しく歪み、エネルギーの余波がフロンティアの甲板を抉り取る。ニンフルサグは自身の両腕を黒く焦がすダメージと引き換えに、なんとかサンジェルマンの砲撃を相殺してみせた。
焦げた両腕の細胞を神の力で急速再生させながら、ニンフルサグは忌々しげに、自身の行動を妨害した『飛来物』の正体へと視線を向ける。
「……この生態反応。貴方なのね」
それは、高速で回転しながら空を裂く『帽子』だった。
空中に綺麗な放物線を描いた帽子は、まるで意思を持っているかのように、持ち主の元へと正確に帰還する。
「やあ」
ふわりと空から舞い降りた長身の男が、空中でキャッチした帽子を深く被り直しながら、サンジェルマンの隣へと静かに降り立った。
「久しぶりだよ、貴女とは。あの日……僕を逃がしてもらって以来だ。この時を、ずっと待っていたのかもしれない」
「局長……」
サンジェルマンが、安堵と驚きの入り混じった声で呟く。
そこにいたのは、今もパヴァリア光明結社を束ねていた統括局長であり、アヌンナキによって造られた人類の原初たる試作品――アダム・ヴァイスハウプトだった。
創造主たる母・ニンフルサグに真意を問い質し、そして友である優斗と部下のサンジェルマンを救うため、彼は己の因縁に決着をつけるべくこの戦場へ参上したのだ。
「……」
ニンフルサグは無言で彼を見つめ返す。
「おや、だんまりかい? 優斗の一生を傍で見ていたのだろう。なら、知っているはずさ。優斗の側に、この僕がいたことは」
「ええ、そうね。あの時、私が見逃した貴方がまだしぶとく生きていたと知った時は……少しだけ驚いたわ」
「つかないほうがいいよ、嘘はね。僕はちゃんと覚えているさ。あの時の、貴女の言葉を」
「……」
アダムは指先で帽子のつばを軽く押し上げ、ニンフルサグの冷ややかな顔を真っ直ぐに見据えた。
「『いきなさい』。それが生きることなのか、未来に向かっていくことなのか……長い間、すっかり忘れていたよ。貴女は望んでいたんだろう? この世界に生まれたヒトが、この世の生命が、誰もが自由に自分の足で生きていくことを」
「それが何だというの? 今の私には……優斗しか、いないわ」
「本当にそう思っているのかい? 確かにそれは嘘じゃないだろう。でも……それ『だけ』でもないはずだ」
アダムの静かな指摘に、ニンフルサグの冷徹な鉄面皮が、かすかに、だが確かに歪んだ。
「……何が言いたいの?」
「おっと、ぶれているよ。……少なくとも、僕が言いたいのはだね。その……」
ここで、アダムはひどく気恥ずかしそうに頬を掻いた。その人間臭すぎる仕草に、隣にいたサンジェルマンも、対峙しているニンフルサグでさえも、思わず呆気に取られたように目を丸くしてしまう。
「『ありがとう』。……ということさ、つまりね」
「な……に……?」
「僕は長い間、暗闇を彷徨った。出来損ないとして存在を消されそうになり、神々に見捨てられてからはね。それからの僕は、ただ僕を捨てたアヌンナキを超えることだけを目指した。深い憎しみを込めてね。……それでも、僕という存在を唯一認めて、逃がしてくれた貴女に会うことだけは、心の奥底に封じ……いや、それすらも忘れようとしていた」
アダムの言葉は、かつての狂気に満ちた彼からは想像もつかないほど、穏やかで素直なものだった。
「……感謝するなら、筋違いよ」
ニンフルサグは顔を背け、吐き捨てるように言った。
「私は結局、何もできなかった……。アヌンナキに対しても、かつて愛おしいと思ったヒトに対しても、そして……一番大切だった、親友に対しても……!」
ニンフルサグはアダムの心からの感謝を、どうしても受け入れることができなかった。
優斗という存在への、盲目的なまでの執着。親友を裏切り、決別してしまったことへの果てしない後悔。ヒトを実験動物のようにもてあそんだ同胞たるアヌンナキと同じ種である自分への、強烈な自己嫌悪と罪悪感。
今の彼女は、優斗という一本の細い糸にすがりつくことで、辛うじて自己を保っているに過ぎない。そうでなければ、自分が何のために数千年もの間、孤独に耐えてきたのか分からなくなってしまうからだ。
だが、その罪悪感の根底にあるのは――間違いなく、ニンフルサグが誰よりも『ヒトを愛してしまった』という事実の裏返しだった。
「違う、と言えばいいのかな。僕には」
アダムは小さく微笑んだ。
「でも、それでいいのかもしれないね。僕がずっと求めていた答えとしては」
ニンフルサグの精神が、数千年の孤独によって完全に摩耗し、狂ってしまったわけではない。彼女の心の奥底には、今もまだ血の通った『愛と悲しみ』が残っている。
その事実を知ることができただけで、アダムは深い安堵を覚えるのだった。
「……言いたいことは、それだけかしら?」
アダムの真意を振り切るように冷ややかに切り捨てるニンフルサグの問いに、アダムは帽子のつばを指先で弾き、肩をすくめてみせた。
「僕からはそうだね、とでも言おうかな。何より――後は、彼女が君と話したいそうだからね」
「何を……?」
その時だった。フロンティアの上空、張り詰めた大気を凄まじい勢いで切り裂いてくる猛烈な飛翔反応を、ニンフルサグが鋭く捉えたのは。
「僕にとっての第一優先は、君に真意を問い質すことだったのさ。その答えと君の在り方次第では、この僕も全力で戦うつもりだった」
アダムの穏やかな声を聞き流しながら、ニンフルサグは怪訝そうに視線を遥かな天空へと向ける。
「けれど、答えは得られた。もっとも、他の者たちにとってはまた別の話だろうけれどね。それは僕自身の納得であるからさ」
サンジェルマンもまた、空を一直線に貫いてくる光の軌跡を即座に認識していた。インカムの回線を繋ぎ、飛び込んでくるその声を聞いた瞬間、サンジェルマンの唇から、戦場にはあまりに不釣り合いな、諦めと呆れ混じりの溜息がこぼれる。
「まったく……あの子は」
大気を激しく叩く推進器の爆音と風切り音が、ここ地表にまで重低音となって響き渡り始めていた。
「だからこそ、彼女が代表者というわけさ。君と一番話したがっていた子がやってくる。……それにしても、あんな瀬戸際で『くじ引き』で順番を決めるとはね。肝が据わっているというか、実に面白い提案をするじゃないか。……どうだいサンジェルマン、あの子達を優斗と一緒にパヴァリアへスカウトしてみるのは?」
「……冗談でもやめてください、局長」
唐突すぎるアダムの無茶振りに、サンジェルマンは苦虫を噛み潰したような顔で即座に一蹴した。
「……ぅ、あ……ぁぁぁぁぁ……ッ!」
その時、轟音の隙間から、何やら情けない悲鳴のような叫び声が急速に近づいてきた。
一直線に突っ込んでくる黄色と白の影は、まるで減速する気配を見せず、フロンティアの硬質な大地へ向かって頭から真っ逆さまに落下してくる。
「うわぁぁぁぁぁっ!? 止まって止まって、止まってぇぇぇぇぇえええッ!!」
最近になってシンフォギアを纏ったばかりで、今回が人生初の実戦となる少女――立花響。
ダイレクトフィードバックシステムは人間単体での高速単独飛行にはまだ対応しきれておらず、急造の制御に慣れていない響は、空中で手足をバタバタと無様に暴れさせながらパニックに陥っていた。
しかし、地面が鼻先に迫った刹那――。
S.O.N.G.の歴戦の装者たちから蓄積されていた膨大な、主に弦十郎の着地データがシステムを通じて即座にフィードバックされ、それまでの大パニックが嘘だったかのように、響の身体が滑らかな弧を描いて完璧に姿勢を制御した。
凄まじい衝撃音と共に、アダムとニンフルサグのちょうど中間に位置する大地が派手に陥没した。舞い上がった土煙と衝撃波が、砂混じりの潮風に乗って周囲の三人の肌を激しく叩く。
煙がゆっくりと晴れていく中、現れたのは、クレーターの中心で見事な三点着地を決めた少女のシルエット。アーマーを纏う黄色と白の真新しい『ガングニール』を纏ったその姿に、ニンフルサグは苦々しげに目を細め、その名を低く呟いた。
「……立花、響」
しかし――名を呼ばれた当の響は、完璧な着地姿勢のままピクリとも動かない。
それどころか、両腕と膝を小刻みにプルプルと震わせ、完全に固まっていた。
何が起きたのかと、アダム、サンジェルマン、そしてニンフルサグまでもが、怪訝そうにその背中を凝視する。
張り詰めた沈黙の中、響がバッと勢いよく顔を跳ね上げた。
「こ、怖かったぁぁぁぁ〜〜〜っ!! 思いっきり飛んだらすっごく速くて、びっくりしたぁぁぁっ!!」
死線が交錯する戦場の重圧を、一瞬で吹き飛ばすような能天気でドデカい絶叫。初陣の恐怖と驚きから、響は涙目になりながら大きな身振り手振りで叫んでいた。
そのあまりに場違いで破天荒な登場に、サンジェルマンは深く額を押さえて天を仰ぎ、アダムは堪えきれずにクスクスと肩を揺らして笑い、そして戦場を支配していたニンフルサグすらも、呆気に取られたように目をパチクリとさせて、完全に言葉を失っていた。
集まる三人の視線にようやく気づいた響は、照れくさそうに頭をかきながら、へへへと笑ってサンジェルマンの元へ駆け寄った。
「あっ、サンジェルマンさーん! 大丈夫です……かっ!?」
大型犬の様に能天気に駆け寄った響の頭頂部へ、サンジェルマンの容赦のない拳骨が炸裂した。
「あ痛ーっ!?」
情けない悲鳴を上げて両手で頭を押さえる響に対し、サンジェルマン眉を吊り上げ、怒気よりも心配を滲ませた声音で説教を叩き込む。
「馬鹿者! あれほど皆の前で、無茶な単独行動はしないと約束しただろう! いくらシステムの補助があるとはいえ、実戦経験のないお前が一人で突っ込んでくるなど……!」
「落ち着きたまえよ、サンジェルマン。新しい力を手に入れれば、試してみたくなるのが若者というものさ。かつては君だってそうだっただろう?」
「局長!茶化さないでください! ……はぁ。いいか?立花、次はもう少しやり方を考えなさい」
「は〜い! すいませんでした!」
くすくすと肩を揺らすアダムの横で、響はぺろりと舌を出し、大仰に頭を下げた。
先ほどまでの殺伐とした死線が嘘のように、一瞬で温かな空気へと塗り替えられていく。その光景を、ニンフルサグはただ呆然と見つめていた。
「……なぜ、貴女がここに来たのかしら」
我に返ったニンフルサグの瞳に、冷徹な光が戻る。しかしその声色には、拒絶の奥深くに隠しきれない強い戸惑いが混ざり合っていた。
「あの時、告げたはずよ。貴女たちの役目はもう終わったと」
言葉を紡ぐニンフルサグの表情が、かすかに苦痛に歪む。
「だから……帰りなさい。ここは貴女達のような子供が足を踏み入れる場所ではないわ」
厳しく突き放すその眼差し。だが、その底に滲んでいるのは、かつて優斗の精神の奥底から見つめ続けてきた、彼自身の「誰も傷つけたくない」という切痛な願いを写したかのようだった。
言葉の終わりと同時、ニンフルサグは指先を微かに払う。
本気で命を奪うためのものではない、あくまで立ち去らせるための――しかし人間を一撃で気絶させ吹き飛ばすには十分すぎる、鋭い衝撃波の光弾が牽制として放たれた。
だが、響は動じない。
迫り来る光弾に対し、彼女は半歩だけ身体を開くと、右腕のアームドギアを滑らかに旋回させた。ぶつかる直前、その手のひらで衝撃波の軌道を包み込むように撫で、円を描いてフロンティアの遥か彼方の夜空へと、軽やかに弾き流してみせる。
破裂音と共に空中で弾けた閃光が、響の横顔を照らした。
初陣とは思えないほど無駄のない、自然体の受け流し。自身の牽制を片手で容易くいなされたことに、ニンフルサグの瞳が驚愕に見開かれる。
それでもなお、響は視線を逸らさなかった。弾き流した右手を下ろし、大地を踏みしめて力強く一歩前へと進み出る。
「嫌です!」
「……は?」
あまりに迷いのない即答に、ニンフルサグは再び虚を突かれて目を丸くした。
「ニンフルサグさん。私、ううん、私たちは……そんな言葉で引き下がったりしません! だって――」
響はすっと目を閉じ、フロンティアの冷たい潮風を胸いっぱいに吸い込んだ。
「――まだ、あなたに『ありがとう』を言えてないからです!」
「……はあっ!?」
予想だにしない言葉の刃に、ニンフルサグの思考が激しく乱れる。
「お兄ちゃんが私たちの傍で笑って生きてこれたのも! 了子さんやマリアさんたち、キャロルちゃんやサンジェルマンさん、アダムさん! それにエンキさんやここにいるみんなが、今こうして生きて笑い合えているのもッ! 全部……ニンフルサグさんが、今日まで必死に頑張って命を繋いでくれた証だからですッ!」
響は両拳を強く握りしめ、魂の底から叫びを迸らせた。
「だから、私はニンフルサグさんと話がしたい! 拳を交わすんじゃなくて、ちゃんと話し合って、これから仲良くなりたいんです! だって、だって――!」
――頑張ってくれた証、仲良くなりたい、ですって?
響の無垢で真っ直ぐな言葉が、鋭利な刃となってニンフルサグの胸の奥を抉り抜く。
違う。そんな綺麗なもののはずがない。
全能とすら謳われるアヌンナキの神たる力を持ちながら、空間の狭間に囚われていたとはいえ、自分は数千年の間、結局のところ何もできなかった。《何もしなかった》に等しい時間を無為に過ごしてきただけだ。
暴走しようとする唯一無二の
我らのせいで愛したはずのヒトが争い傷つく歴史を、ただ言い訳を重ねて傍観することしかできず。
果てしない孤独の果て、ようやく見出した優斗というたった一人の人間にすがりつき、己の存在意義を押し付けて、挙句の果てには奪い去ろうとしているだけの、浅ましく無力な自分。
己の無能に対する果てしない自己嫌悪。そして、かつて愛したヒトに対する拭いようのない後ろめたさと罪悪感。
それらを誤魔化すように、優斗というただ一つの希望に縋り付いてここまで来たのだ。
ここで退いてしまえば、やり通さなければ――あの何もできなかった《何もしなかった》数千年は、一体何だったというのか。
今さら子供の純粋な善意に救われてしまえば、自分が積み重ねてきた孤独も、罪も、すべてがただの滑稽な過ちになってしまう。
耐えきれなくなったニンフルサグの胸の奥から、激情が張り裂けんばかりに爆発した。
「うるさいッ!!」
拒絶の叫びと共に、黄金の神気が荒れ狂う嵐となってフロンティアを薙ぎ払う。
「お前のような子供に……私の何がわかるというのよッ!」
「子供じゃない! わたしは立花響ッ! 17歳ッ!」
ニンフルサグの手によって遥か彼方へと弾き飛ばされていた二条の光条が、大気を切り裂く轟音と共に急降下してくる。
マリアはガングニールの白のマントを硬質化させ、出力を広範囲に広げたアームドギアの噴射と連動させて落下速度を一気にゼロへとねじ伏せる。その真上を、奏がフロンティアの隆起した地面を足場にして強く蹴り上げた。
宙空で交差した二人は、重力に抗うように身を翻すと、お互いにガングニールの長槍と構えたまま、響の左右を挟み込むようにド派手に着地。激しい風圧が二人の足元から細かい瓦礫を吹き飛ばした。
「いいねぇ、その啖呵! まったく、初陣のくせに最高にイカしてるぜ!」
「ええ。でも、神を前にして自己紹介から始めるなんて。れど……その真っ直ぐさ、嫌いじゃないわ」
「誕生日は9月の13日で、血液型はO型ッ!」
マリア達とは別の方向から、空を真っ二つに切り裂き激しい推進器の音をひ響かせ、一基の大型ミサイルが超低空で突っ込んできた。先端と尾翼にそれぞれ足をかけ、曲芸染みた体勢で乗りこなしているのはクリスと切歌だ。
地表すれすれでミサイルを強引に水平旋回させ、ブレーキ代わりに逆噴射を点火。地面と瓦礫を豪快に削り、摩擦の火花を派手に散らしながらドリフトするように横滑りしていく。
限界まで勢いを殺した瞬間、二人は同時にミサイルを蹴って宙へと跳躍。空中で美しく反転し、硝煙と粉塵を巻き上げながら響のすぐ斜め後方へと滑らかに着地した。
「んなド真面目な顔で個人情報ばら撒いてんじゃねぇよバカッ! ったく……相変わらず調子が狂うヤツだぜ」
「あははっ! でもでも、これこそ響さんらしさ全開デス! そうデスよ!どんな相手にだって、まずは自分を知ってもらうことからデス!」
「身長はこないだの測定でもまだ157cmッ!」
近くの断崖から、轟音と共に一筋の稲妻が夜空を翔けた。飛び出したのは、天羽々斬の蒼とシュルシャガナの桃色が複雑に噛み合い、融合を果たしたアームドギアの合体バイク。車輪の代わりに猛烈な速度で回転する無数の鋭利な刃が、鮮烈な残光を尾を引くように夜空へと刻みつける。
二人の乗ったバイクは重力を置き去りにして崖下へと急降下。着地と同時にタイヤの刃が豪快に地面を削り、土煙を噴き上げながらスライドする。滑らかな制動と共にギアが瞬時に分離・再構成され、二人は一切の乱れもない完璧な残心を保ったまま、響の背後を固めた。
「ふっ……無謀と笑われようとも、刃ではなく言葉で繋ごうとするその揺るぎなき意志、見事ね」
「はい……どんな相手でも、最初の一歩を恐れずに踏み出せる響さんを、わたしは尊敬してます」
「体重は……もう少し仲良くなったら教えてあげるッ!」
沖合にて日米合同艦隊を包囲していたアルカノイズの群れを完全に殲滅し終えたカリオストロとプレラーティの二人が、荒れ狂う漆黒の海原を鉄球をタイヤにバイクの様な形に大型化したフラガラッハを使い、軽々と飛び越えてフロンティアの地表へと急行してくる。
重力に逆らうような勢いでフロンティアの大地を踏み締めた二人は、足元の土煙を豪快に払い、頼もしげにサンジェルマンの傍らへと堂々たる着地を決めた。
「あーもう、なんなのよ一体!なんの選手宣言しているの!?」
「合流完了なワケダ、げっ、局長までいるワケダ!」
「お前達!」
「やあ、カリオストロ、プレラーティ」
「趣味はカラオケで思いっきり歌うことで、好きなものはお兄ちゃんのオムライスッ!」
上空の暗雲を払い、清らかな白銀の光条がフロンティアの地表へと降り注いだ。
その光と共にふわりと背中の羽上手く使いこなし舞い降りたセレナは、手にした短剣を指先で滑らかに回し、優雅な所作で鞘へと収める。
「傷つけ合うためではなく、分かり合うためにまず自分から心を開く……その対話の姿勢、とても誇らしいですよ」
穏やかな笑みを浮かべ、響の勇気を讃えるセレナ。
そしてその隣には、純白と紫の装甲――『神獣鏡』を纏った未来の姿があった。
未来は言葉を口にすることなく、静かな足取りで響の元へと歩み寄る。
振り向いた響の瞳をまっすぐに見つめ、優しく、けれど何があっても絶対に揺らぐことのない絶対の信頼を込めて深く頷くと、迷いなくその真横へと並び立った。
役者は、すべて揃った。
並び立つ仲間たちの温かな気配を一身に受けながら、響はニンフルサグの瞳を真正面から見据え、これ以上ない大声で胸を張った。
「あとは……大好きな人はお兄ちゃん!!だから、返して貰います!私の、私達の大事な人を!!」
戦場に響き渡る、あまりにも堂々とした少女の叫び。
怒りも、絶望も、神の威厳すらもどこかへ吹き飛んでしまったかのように、ニンフルサグはただただ、目の前に並び立つ人間たちの姿を呆然と見つめることしかできなかった。
10,000字以上書かないとボリュームが少ないのではと考えてしまう、本話にぶち込む技量がない作者のQ&A
Q、なぜシェム·ハは約束を守ったの?
A、優斗がお気になのと、神は、というかシェム·ハは契約に真摯に向き合う質です。あと原作の未来の対応から見て、割と情がある方だなぁと思ったから。
Q、アダムはなぜ今頃?
A、実はチフォージュ·シャトーでニンフルサグを確認したのち、ティキをパヴァリア本部に預け、部下に指示をある程度出したあとに、30分ぐらいどう話せばいいか考えを巡らせ、うじうじしていた所を切れた幹部候補に蹴っ飛ばされてやっとニンフルサグの前に立った感じです。
Q、何でダイナミック自己紹介を?
A、ノリと勢いから。ちなみに響の体重は普通に見破られています。