刹那の永遠   作:千里亭希遊

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古代 - 導べの章 -
第一話:カーバンクル


 アーモロートの空は、今日も穏やかで美しい。

 芝生に寝転ぶハーデスは、ぼんやりと宙に手を伸ばす。

 最早無意識の動作だったが、彼はふと眉間にシワを寄せた。

 

『……アゼムは、よほどのことがなければ、死なない命だから……キミにとっては、空とおんなじなのかもしれないね』

 

 出会った頃のヒュトロダエウスのセリフ。

 

(だとしたら……なんて幼稚な)

 

 その時だった。

 

「ふッ!?」

 

 突然目と鼻の先をかすめた白いものに、ハーデスは思わず小さく息を吐いて上体を起こす。

 

「ごめんなさい!」

 

 同時に、少し離れた方から、悲鳴のような調子で謝る声が聞こえてきた。

 

 皆が皆ローブを纏うこの街で、これほどその漆黒の生地がはためいているのを見たことがあっただろうか。あのアゼムですらそうそうしない。

 声の主はどうやら、先ほどの白いものを追いかけているらしい。

 

 あっち行きこっち行き、跳ねたり駆けたり、白いものはたいへんすばしっこいようだ。

 追う者も懸命に走ったり跳んだりしてはいるものの、あの様子ではとても追い付けそうにない。

 

 無闇と他者に手を貸せば、解決の喜びを奪うことになりかねない、という意見を知っている。

 とはいえ、第二第三の驚く者を防ぐ方が重要と判断し、ハーデスはパチンと指を鳴らした。

 

 白いものがするりと光の籠に収まる。

 きちんと慣性を殺すようにしてエーテルで包んだので、もし生物だったとしても怪我などはしていないだろう。

 

 追跡者は「わぁ……!」と感嘆の声を上げながら籠に駆け寄り、彼を見遣った。

 

「ありがとうございます!」

 

 感謝の言葉を述べつつ、光の籠を大事そうに抱え上げる。

 そして籠の中の白いものに視線を移し、やがて彼女は呟いた。

 

「……なるほど、ヘンに足止めすると痛そうだと思ったけど、走ってる方向にそって包んじゃえばよかったんだ」

 

 自己解決できずとも、何か得るものがあったらしい。安堵と同時に、分からないものだろうかという疑問も沸く。

 

 しかしそれはすぐに散っていった。

 ゆっくりと歩いて近寄ってこられたために、ハーデスもなんとなく立ち上がると、自身に比べても相手の背丈が小さいことに気づく。

 

 見かけだけでどういう人物なのか判断するのは愚かではある。

 しかしどこか抜けていそうなこの第一印象は、まだ幼いことによるものではないか。

 ハーデスはそれをひとつの予想程度に心に留めた。

 

 となると『彼女』というのも適切な代名詞かどうか怪しい。幼い時分は、男性でもこうした高い声をしていることがあるのだから。

 

「……そいつは、なんだ?」

 

 彼がこんな芝生で一人寝転がっていたのは、先日の一件で極度の過保護にさせてしまった家族から、一時逃げてきたからだった。

 アーモロートから出なければ問題ないはずである。

 

 加えて、元々彼は他人と積極的に関わろうとするたちではない。

 

 しかし好奇心に負け、思わず尋ねていた。

 

 光の籠に囚われたそれは、先ほどまでの元気すぎる跳ね回り様が嘘のように、色々と身じろぎはしつつも、たいそう大人しくそこに納まっている。

 

 エーテルの流れを少し眺めてみると、『そいつ』が魂を持ち合わせていないことまでは把握できた。

 しかしそれが何者なのか、彼がこれまで蓄えてきた知識からは導き出せなかった。

 

「……え、ええっと……この子はまだイデアを創造物管理局に届けていなくて……でも、危ないとかは、ないので……!」

 

 もし自らの作った幻想生物などであったなら、嬉々としてどういうモノか伝えたがる者が多い。なのでここでしどろもどろになられるのは予想外だった。

 

「……私ちょっと気が緩んでいたんでしょうね、こうして逃げ出されてしまうなんて、本当はないはずなのに……」

 

 しょんぼりと肩を縮こまらせる人物に、ふむと彼は顎に拳を当てて考え込む。

 

「逃げ出した、か。それはつまりヒトの管理下に収まらないということか……? イデアとして登録するよりも……」

 

 危険生物は隔離した上で研究を続けることもあると聞く。

 

「ち、違います! この子は決して制御不能だったりするものではないはずです……!」

 

 存外に懸命な訴えを受けて、彼は少し気圧された。

 

「私がまだ未熟者なのと……この子もまだ未完成なんです」

 

 未熟、というなら、やはりまだ幼いのだろう。

 

 すっかりしょげて肩を落とす人物に、ハーデスは謎の罪悪感を覚える。別に彼が何かしたわけではないというのに。

 そして、愛想良く振る舞うことを知らない彼に、幼き者の慰め方など分かるわけもなかった。

 

「で、一体なんなんだ、こいつは」

 

 なので、何事もないかのように会話を続けようとする。

 話していれば気が紛れることがあるかもしれない、それくらいしか彼に思いつくことはなかった。

 

「ちゃんとした魔道士だったら、きっとうまく頼みごとができるはずなんです。ヒトでは近づけないような所でなさなければいけないことを、代わりにやってくれる子です……!」

「ほう……」

 

 ということは使い魔の一種だろう。この幼き人物が言っている通りであるなら、人々のできることが増えていくかもしれない。

 本当なら大したものだと、何か称賛の言葉を口にしようとしたところに。

 

「フィーーーーーーン! 見つかったかい!?」

 

 第三者の声が聞こえてくる。それとともに駆け寄ってくるローブの人影。この穏やかな都市において、走るなんてことをしている者に日に何度も会うようなことは稀だ。つまり今日は変な日なのだと嘆息する。

 

 光の籠を抱えた幼き人物がその声でぱっと顔を上げたので、きっと『フィーン』だか『フィン』だかというのはこの人物の名前なのだろう。

 

「はい! 兄さん、このかたが捕まえてくれたんです!」

 

 仮面の下の目を輝かせていることがありありと伝わってくるような声音で紹介されて、彼は少したじろいだ。

 

 幼き者はほらほら見て見てと主張するかのように、光の籠を後から来た人物の方に向けている。

 

「そうだったのか、ありがとう、本当に助かったよ……!」

 

 兄と呼ばれた者にまで全力で嬉しそうにされて、彼は明後日の方向に視線を逸らした。

 

「……別に、誰でもできることです」

 

 照れ隠しだったかどうかはわからないが、口をついて出たのは淡々とした雰囲気を持つ声で、ハーデスは少しだけばつの悪さを覚える。

 けれど自分はそういうものなのだから仕方ない。

 

「そんなことは、ないさ」

 

 態度の冷たい彼とは正反対にあるような、朗らかな声が返ってくるので、なんだかますます居心地が悪くなる。

 兄と呼ばれたその人は、なるほどそう呼ばれるだけあってか、幼き者と違って体格も既にしっかりしているように見えた。

 

 ハーデスはどこか既視感を憶えて首を傾げた。

 大人に知り合いはそういない。

 

「俺の場合、この子を捕まえようとしたら、多分、痛めつけて弱らせるくらいしか、手段を持っていないからね」

 

 籠の高さにに視線を合わせるようにして魔法生物を覗き込みながら、さらっと妙なことを言い出す『兄』に、彼はますます首を傾げた。

 

 創造魔法は使い手によって様々な森羅万象を紡ぐ。とはいえ攻撃的な手段しか扱えないような極端な偏りなど聞いたこともない。

 第一。

 

「そいつは、魔法生物でしょう? 魂を持たぬ者が、痛みを感じることはあるのでしょうか?」

 

 フィンが『痛そう』と呟いていたことに後々引っかかりを覚えてはいた。

 至極当たり前のはずの疑問に、しかし相手は一瞬ぽかんと口を開け、そして「ふふっ」と笑った。

 

 それが苦笑なのか普通に笑っただけなのかは、誰もが被る白い仮面のせいで分からない。

 しかしそのどちらだったとしても、今この時は笑いを挟むようなタイミングだったのか分からなくて、ハーデスは少しの困惑を覚える。

 

「そこはちょっと、俺の個人的な感情から、来ていることになるかな。かわいい妹が作ったモノに、無体なことはしたくない」

 

 神妙な雰囲気でそう言ったあと、彼の口元がにいいっと歪んだような気がした。

 

「あと、魂がないからといって、心が生まれないかというと、まだ解が得られている訳ではないから……あったほうが、面白いなって思うかな」

 

 こいつは、と、確信めいたものが脳裏を(よぎ)った。

 そんなセリフを飄々と吐くようなこいつは、きっと。

 

 

 アゼムはもちろん、最近よく弁論まで持ちかけてくるようになった、ほら吹き達人(ヒュトロダエウス)を名乗るあの少し変わった人には、絶対に会わせてはいけない類の人間だ。

 

 

 直感でそう感じた。

 

 あまり他人と関わり合うことを好まない彼にとって、ところ構わず見かける度にヒュトロダエウスが話しかけて来ることも、しかもなかなか有益な時間だったと感じてしまう自分も、既にとてつもなく面倒だった。

 周りの人間にまで興味を持たれてしまい、更に弁論が始まるのだ。たまったものではない

 

 その上、この三人が自分の目の前で意気投合でもしようものなら、面倒の種が無限増殖していくことだろう。

 

「……ですが、心が生じたとして、『ヒトが近づけない場所』なんかじゃ当然恐怖を感じるでしょうから、余計に哀れでしょう」

 

 厭な予感もあって深く関わり合うつもりはないはずなのに、会話を長引かせそうなものが口をつく。

 人々と弁論を繰り広げることが多くなったせいで、変な癖でもついてしまったのかと、彼は眉間にしわを寄せた。

 

「あ……人が近づけないような所って……そっか……私、とても高い所とか狭い所とかしか……考えていませんでした。あぁ……そっか……危ない所があることも、あるんですよね……この子も、怖いかもしれないですよね……」

 

 ハーデスが兄のほうに返したつもりの言葉で、フィンのほうが光の籠ごと魔法生物を抱きしめながらうなだれる。

 その様を見て、ああ厭だ面倒臭いと内心思いながら、ハーデスは言葉を続ける。

 

「人々の助けになれば、と創造魔法を働かせることができるなら、それだけで充分有意義だ。続けていれば、対策が打てる時が来るかもしれないし……そのうち十四人委員会あたりが、『心』について解き明かすかもしれない。きみが生み出して今確かに存在している『そいつ』のためにも、歩みを止める理由はないんじゃないか?」

 

 肩をすくめながら、面倒臭がっていることが誰にでもわかりそうな声音で、誰でも言いそうな適当な慰めを言うと、何故かフィンから熱い視線とともに「はい……!」と頷かれ、その兄からは優し気に見つめられてしまった。

 何故かとてつもなく厭な予感がした。

 

 

 予感通りか否か、彼はフィンに妙に懐かれてしまっていた。

 魔法生物の捕獲時に、自分が思っていなかった方法を見せてくれた彼がとても頼もしくでも見えたのだろうか。

 

 その魔法生物に関してアドバイスを求めているようなないような、ぼんやりした話をしに来るのだ。

 

 彼は態度では面倒くさそうにしながらも、時折息抜きに寝転がる場所を、この芝生以外へ変えてしまったりはしなかった。

 

 そのせいか兄のほうともよく顔を合わせた。あまり首都に帰らない人間らしいというのが信じられないくらいよく現れた。

 

 始末に負えないのは、彼が危惧したはるか以前から、ヒュトロダエウスとこの男は知り合いだったらしかったことだ。

 妹のほうと違い、やはりこの二人が合わさると突拍子もないものに話題がぶっ飛んでいく。心底疲れた。

 

 だが、悪くなかった。

 

 悪くなくて──美しいアーモロートの街並みとともに、愛しい日常の風景だった。

 

 ──しかし。

 

「……詐欺です」

 

 ハーデスは怒り心頭とばかりにアゼムに詰め寄る。

 

 フィンの『兄』は彼だった。

 

「いやあ、気づかれてると、思ってたんだけどなあ……」

 

 ハーデスの剣幕にたじたじとなる、白い仮面(・・・・)のアゼム。

 

 なんでも、十四人委員会として行動するのでなければ、彼は赤い仮面をつけないらしい。他にそんな委員(メンバー)はいない。

 

 極めつけは、魂の色を隠す術まで自身で生み出していた厄介さである。

 

「だって、ヒュトロダエウスに見つかると、怒られるから……」

「それはあなたがいつも無茶をするからでしょう」

「えっ」

 

 驚かれた。自覚もないのか。

 

 ハーデスは溜め息をついた。

 

「そうだ。今度、もう一人の妹も、紹介するよ」

「……一体いつになるんでしょうね?」

「……ははは」

 

 彼が紹介すると言ってからもう一年は過ぎている。

 

「きっと、びっくりすると、思う」

 

 にこにこするアゼムに、ハーデスは大きな溜め息をつく。

 

「…………懲りてないんですね?」

「えっ」

 

 本当に、何も自覚がないのは腹立たしい。

 

(でも、てことは、もう一人は私も知っている人物なのか……?)

 

 内心では静かに思考を巡らせる。

 

(それに、フィンは私より少し幼い……『不老』の彼が生まれたのは、そう遠い昔ではない、のか……?)

 

 しかしヒュトロダエウスの言動を振り返るに、そんなことはないと思われた。

 

(……私の方こそ、知らないこととだらけじゃないか)

 

 ハーデスは複雑な思いで、やはり溜め息をついた。







✦カーバンクル
 煉獄一層で思わず突っ伏しました。
 プロト君は試行錯誤のひとつということでお願いします…。

✦フィン
 アゼムは抜けてるので説明もしてませんが、愛称です。
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