刹那の永遠   作:千里亭希遊

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第五話:妖精の悪戯

 アゼムはその日本当にヒュトロダエウスの所に押しかけ、昼食を一緒にし、他愛無い雑談を交わしたり時折議論をしたりして過ごした。

 その後自身の執務室に寄ると、荷物の整頓を始める。

 何せ前日に首都に帰って来たばかりだ。持ち帰ったデータの整理もできていない。

 

 陽が落ちるまでだらだら仕事をする気はないので、細かいことは一先ず置いておくとして、仕分けるだけでも終わらせようと考える。

 

 記録用のクリスタルは彼なりに分類して色を変えてあった。そうしておいてよかったと、彼はつくづく思う。中身を確認しながら仕分けていたのでは、きっと寝られなくなってしまう。

 

 これはここ、と、未整理クリスタル用の棚に一つ一つ納めていると、執務室の扉がこんこんと叩かれた。

 

(ん? こんな時間に誰だ?)

 

 彼が不思議に思いながら扉を開けると、そこに居たのは。

 

「え、ヒュトロダエウス、なんで」

 

 議事堂に市民が入るには手続きが要る。

 そしてあまりそんなことまでして訪ねて来る必要は生じない。

 

「……アゼム」

 

 彼の名を口にした彼の声音は、とても緊迫していた。

 

「ど、どうした」

「……ハーデスが、妖精たち(ニュンファイ)に連れ去られた、らしい」

 

 彼は一瞬、耳が何を聞いたのか理解できなかった。

 

「……は!?」

「今日はご家族で、ニューサの野原でのんびり過ごしていたそうなのだけれど……妖精(ニュンフェー)が一人二人と増えて行って、最初は楽しく触れあってたんだって。

 でもニュンフェーはニュンフェーだから、ご両親もだけど、双子の二人も充分警戒しながら接していたみたいなんだけど……どうも、ランパスが混じってたみたい、なんだよ……」

 

 ランパス。

 冥精……冥界の、ニュンフェーだ。

 

 ハーデスは『冥界に愛される者』だと、昨日ヒュトロダエウスに聞いたばかりである。

 

「!!!」

 

 息を呑むアゼムを落ち着かせようとするように、ヒュトロダエウスは彼の肩にそっと手を置いた。

 

「ご両親がワタシの所に相談に来たんだけど、さすがにワタシだけじゃ力不足だから、もっと人手がほしいと思ってね。でも、ウルテマやエメトセルクや……ことに当たれそうな人たちは皆出払ってるみたいなんだ。と来たらもう、キミの出番でしょう?」

「そんなの、皆が居たとしても、俺も行ってたさ!!」

 

 しかしアゼムが担当するのは生者の世界だ。

 普通なら、彼の所へは回ってこない案件である。

 

 もどかしさに苦し気に声を上げるアゼムを、ヒュトロダエウスはまた落ち着かせるように肩に手を置いてぽんぽんとする。

 そして静かにという風に、彼は反対の手の人差し指を口に当てた。どうしてもここは声が響いてしまう。

 アゼムは自身の落ち着きのなさに目を伏せた。

 そんな彼を肩をヒュトロダエウスは再びぽんっとする。

 

「夜、いや、夕方になってしまったらもう厄介だ。急ごう」

「……うん……!!」

 

 未整理なままだった鞄を掴むと執務室を出て、ヒュトロダエウスと共に彼は走り出した。

 建物の中で走るのは危ない、なんてとても言ってられない。

 ヒュトロダエウスの言から、委員会だけではなく役人の皆も状況を分かっているのだろう、誰も咎めはしなかった。

 

「ご両親も弟くんも、無理もないけどとても慌てて、とても悔いてて……あの野原には誰でもよく羽を伸ばしに行くんだから、何も悪くないのに、ね。今は、イゲオルムが見ててくださってる。もしかしたらご老体(エメロロアルス)に薬茶をお願いしたりしてるかもしれないね」

「……っ!」

 

 それはそうだろう。

 子が、兄弟が、妖精に連れ去られたなど、半狂乱になってしまったとしても無理はない。

 

 しかも、こんなことは長い年月の中ほとんど起こらなかったことだ。

 妖精には気を付けて接しなければならないというのは誰もが知っていることだったし、妖精のほうも人を拐うなどという大事はそうそう起こしたりしなかった。

 

 だから市民には、それらに対抗する術を持つ者なんてまずいない。

 個人で『ヒトではないモノ』と対峙しようとする一般市民は居ないし、役所を作るほどにはそうした危険は起こらなかった。

 

 基本穏やかな世界で、穏やかでない事態に対応できるような術を有しているのは、委員会のような特殊な役目に在る者たちしかいない。だからこうした案件は真っ直ぐ議事堂や官邸に持ち込まれる。

 

 一市民ながら稀有にもそうしたことに当たれそうなヒュトロダエウスに相談が行っていて、彼だけの手に負えないとなったのなら、それが議事堂に行くのは順当だった。

 そして多分、現状アヤカシの類に一番有効な術を持つであろうミトロンは、アログリフのそばを離れることは許されず、そしてアログリフはあの場(星の磐座)を動くことを許されない。

 

 だから最終的にこうしてアゼムのところに回ってきた。今はそれがありがたくはあった。こんな事態、知らないでいたくはないし、助力できないでいたくもない。

 

「まずはニューサの野に行って、エーテルをたどるね」

 

 走りながらそう言うヒュトロダエウスに、アゼムは強く頷いた。

 そして彼の腕をぐいっと強く掴んで、まだ街中だというのに転移の術式を唱え始める。

 ただでさえ走っていることで目立っているのに、である。この街に走るなんて事態に見舞われる市民などそう居ない。

 

「アゼム、ちょっと落ち着い」

 

 ヒュトロダエウスのセリフも終わらないうちに、術式は発動された。

 一瞬で、目印もなにもないはずのニューサの野に二人は立っていた。

 

「て……」

 

 セリフの末尾を口にしながら、ヒュトロダエウスはぽかんとする。

 

「な、なんでキミ、ここに真っ直ぐ飛べるの……」

「きれいだから」

「……」

 

 エーテライトに頼らない転移。しかもヒュトロダエウスを巻き添えにしてエーテル酔いに陥れることもなく、きちんと目的地に二人ともが立っている。

 

(目印は彼の記憶の中にある『きれい』という印象だけ、か……本当、恐ろしい人だ……)

 

 走り出してしばらくたってからの実行だったのは、恐らく走りながら地脈や風脈を探っていたのだろう。

 彼の所業に慄きながらも、ヒュトロダエウスは周囲のエーテルを眺める。

 

(何か妙なところは……あ)

 

 ヒュトロダエウスは、ニュンフェーらしき小さな(エーテル)を見つけた。

 

「アゼム。多分あっちにニュンフェーが居る。何か知ってるかもしれない」

「!」

 

 はっとした様子でヒュトロダエウスの顔を見た彼に、ヒュトロダエウスはほんの少し彼の腕を引きながら歩き始める。

 引っ張ったりせずとも自身で歩き始めた彼の腕を離し、ヒュトロダエウスは目的の場所で足を止めた。

 そして彼がどう声を掛けたものかと思ったその瞬間、ぱっとニュンフェーが二体、姿を現した。

 

《ああ、そこのヒトたち、お願いがあるの》

《聞いて聞いて》

 

 二体ともが必死な様子で言ってくるものだから、二人は不審そうに顔を見合わせた。

 

《お願い、これはイタズラじゃないわ。そんなこと言ってられないの、信じて》

《一緒に遊んでくれて、こんなに素敵な花飾りまでくれたヒトを、おばかさんたちが連れて行っちゃったのよ》

 

「!!」

 

 二体が懸命な様子で身体の前にかかげてきた花飾りは、どちらも可愛らしくまとめられていて、ニュンフェーなら頭に乗せたりできそうなサイズだった。

 ヒュトロダエウスは遣る瀬無さを憶える。

 

(本当に彼ら家族は気を付けて妖精(ニュンフェー)に接して、望みを聞いてあげたんだ……それなのにこの状況か)

 

 しかし、それだけ真摯に接したからこそ、こうして悩みこの場にとどまっていたニュンフェーが居るのだろう。

 

「キミたち、そのヒトはワタシたちの友達なんだ。いったいどこに連れて行かれてしまったんだい?」

《あっちの森のほう……だから、森精(アルセイス)に見張ってもらって……ああっ》

「どうしたの!?」

 

 話の途中で驚いた声を上げたニュンフェーに、アゼムが思わず心配の声を掛ける。

 

《その子から、アケローン川に向かってそう、っていう声が届いたわ》

「!!!」

 

 アゼムもヒュトロダエウスも息を呑んだ。

 それは彼岸と此岸を分ける川。

 

《きっと時間がないから、ごめんなさい、えいっ》

 

 妖精の片方がアゼムの頭に体当たりする。

 

「ひゃっ」

 

 小さな衝撃に思わず声が出たアゼムは、そして事態を理解して彼は驚愕の声をあげる。

 

 ──その妖精は、身を投じて目印の光(マーカー)になってしまった。

 

「そんな! キミ、そこまで……!」

《だって、遊んでくれたんだもの、こんな仕打ちはないわ。だからあたしもあなたに……きゃっ》

「キミはそこまでしないで。あの子だけでもう、ありがたすぎるから……っ」

 

 ヒュトロダエウスに頭を押さえられた妖精は小さく声を上げたが、手をどけるとしゅんとしていた。

 

《……お願い。あのヒトを助けて。本当に楽しかったの。嬉しかったの……》

「もちろんだよ。本当にありがとう……」

 

 ヒュトロダエウスは俯いて声を絞り出す。

 アゼムは嗚咽を上げまいと必死に抑える。

 

 応えは悲しみではなく、感謝でなければならない。

 

 アゼムの頭の中に、アルセイスのものと思われる声が聞こえてくる。

 

《こっちよ、こっち……》

 

 あのニュンフェーは、このアルセイスの声を直接彼に届けられるようにと、自身の身体をアゼムにぶつけて破壊し、媒体として付着させた。

 伝言ゲームにしないために。たったそれだけのために。

 

 そのエーテルは既に冥界へと流れ始めていた。完全に消えてしまえば、アルセイスの声は伝わってこなくなる。時間は限られていた。

 

「本当に、ありがとう……必ず、連れて、帰るから……」

《うん。あたしもあの子も、木精(ドリュアス)だから、ここから動けなかったの。あのヒトを必ず、お家に帰してあげてね》

 

 そう願うドリュアスの周りには、紫と白の可憐な花をつける、小さなヘリオトロープの木々があった。

 

 

── ‧₊˚⊹⋆.*⃝̥✧˖°☽♁ꙩ♂✦☿♃♀♄♆♇✧♅✧˖°‧₊˚⊹ ──

 

 

 木精(ドリュアス)が導いてくれた森は、一見、人がすんなり通れそうな場所がなかった。

 

 相手は悪戯好きな妖精たち(ニュンファイ)なのだから、通常なら道もない程ヒトの手がまったく入っていない場所に(いざな)われて、すんなり入るわけはない。

 しかし小さなドリュアスがその身を犠牲にしてまで案内しようとしてくれている今、探査の術式すらほぼ張らずに二人は足を踏み入れる。

 

 アゼムは内心でごめんと謝りながら、絡む枝や蔦、更には細い幹を、進入のために叩き切ろうとした。

 

 しかし。

 

「!?」

 

 それら植物は、勝手にすうぅっと道を作るように退いて行った。

 ならば植物を傷つけるわけにいかない。力を他所に逃がそうとして、彼は急な転換にたたらを踏み、慌てたヒュトロダエウスが肩を支える。

 

 いつもなら、力押しばかりしてなどと揶揄う場面だったが、これはヒュトロダエウスも予想していなかった。

 こんなことが起きるなら、手を貸してくれているのは森精(アルセイス)だけではないのだろう。

 

「……っ」

 

 アゼムは小さく息を呑んだ。アルセイスの声が届くようにしてもらっている彼女には、何事かが伝えられたらしい。

 

「本当に、ありがとう……!」

 

 そう言って、開いてくれた道の中に疑いもせず足を進めながら、同じく迷いなく横について歩くヒュトロダエウスに、彼は言う。

 

「アルセイス、ひとりじゃ、ない。森精たち(アルセイデス)、何人か、で、教えて、くれてる……っ」

「無理に話してくれなくてもいいからね。たくさんの声を聞き分けて情報化するのはただでさえ大変だから」

 

 というのは建前だった。この人は動揺するとまず、うまく喋れなくなるのだ。

 

 ……そういう人だから、日常会話ですらぎこちなくなってきているこの数年、周りが皆心配している訳である。

 ただ、アゼムが動揺するような事態など、市民の身にはほとんど起きない。本件は正真正銘異常事態だった。

 

 彼はヒュトロダエウスの気遣いに、しかし否を口にする。

 

「いや……さっき、ヘリオトロープの子たち、ほかにも、いたって。皆で、森の、ほかの精霊にまで、頼んでくれた、って。この子、が……こんなに、頑張ってくれた、から……!」

 

 言ってアゼムは自身の頭の左上のあたりに手のひらを浮かせる。……触りはしない。触れたらそれだけで、あの子が拡散するのを早めてしまいそうな気がした。

 そしてぎゅうとその左手を自身の胸元で握り締める彼に、ヒュトロダエウスもきゅっと口を引き結ぶ。

 

 ニュンファイは皆とても純粋だ。

 だから人からすれば驚くようなことを、真っ直ぐにやってのけてしまう。

 それは時に崇高な献身になり、極稀に邪悪な略奪になる。

 

「彼の『眼』もあるだろうけど……それだけの皆が協力してくれてるほど妖精にきちんと接したから、連れ去られるほど冥精(ランパス)に気に入られたのかもしれないね。でもそんなのヒトにはどうしようもない。だから逆に……こちらの抵抗は正当だ。ちょっとお仕置きしてあげないとね」

「……うん」

 

 明るい調子でヒュトロダエウスが言うが、アゼムの声は変わらず硬い。

 しかし彼にはヒュトロダエウスの気遣いが分かっているから、次第に動転していた感情は落ち着いていく。

 彼のエーテルの様子からそれを察して、ヒュトロダエウスはほっとする。

 

「……ありがとう」

 

 励ましたかったのを感づかれていて、少し居心地が悪くなる彼だった。

 

 アルセイデスの声とざわざわと勝手に避ける植物たちの導くまま、足早にその奇異なる小路をひたすら進む。

 

 恐らく最短距離をほぼ直進させてくれている。

 相手(ランパデス)は小さき人が通れそうな隙間や獣道を利用してふらふらと移動しているだろうから、追いつくためにこれ以上ないほど最高の助力だ。

 

「ッ! もうすぐ、だって……!」

 

 それを知らせる声を聞いてすぐに、開けた場所に出た。

 そこに冥精たち(ランパデス)が居るかどうかの確認よりまず、アゼムは振り返って頭を下げる。

 

「みんな、本当にありがとう……!」

 

 自然の精たちを相手にするなら、重々真摯にあらねばならないこと以上に、本心からそう思ったから。

 しかし急を要するのは事実、避けてくれた植物たちがざわざわと元にもどっていくのを視界の端に収めつつ、頭を上げて周りをうかがう。

 

 既になにごとか見つけたらしく、歩き出したヒュトロダエウスの後を、彼は追いかけた。

 

 周囲の空気から薄々感づいていた通り、場所が開けたのはそこが川べりだからだった。

 ゆったりと足を止めたヒュトロダエウスの背に追い付くと、その緩やかにうねる川の堆積による平坦地には、妙に空気がブレているところが存在する。

 

「その子を返しなさい! おばかさんたち!!」

 

 ヒュトロダエウスの声が鋭く響く。普段穏やかな彼との落差が激しいが、相手に侮られてはならないのだ。

 アゼムにとっては既知な面ではある。

 

 彼の声に応えるように、まずはローブに身を包む小さき人の姿が現れた。少年の姿を不器用に隠していたためであろう空気のブレが消える。

 仮面もフードも被っていないハーデスの瞳は閉じられていて、眠っているか気絶しているようだった。立った状態でふわりと宙に浮かされている。

 

 本人の意思なく素顔を見ることになってしまい、二人が苦々しさと怒りを憶えて唇を噛んでいると、続いてぱぱぱと三体のニュンファイが姿を現した。

 

 少年の周りにとりついているランパデスは、先ほど姿を見せてくれたヘリオトロープの木精たち(ドリュアデス)に比べて顔立ちがきつい。基調色の明度も低めだ。

 そしてその三体の様子にヒュトロダエウスは眉をひそめ、アゼムは驚く。それらは小さき人の頭や肩や腕に頬ずりしていた。

 

 ……これがニュンフェーに対する真摯な態度の結果なのか、それとも『冥界に愛される者』がゆえか……あるいは両方とも、か。

 

「いくらその子を気に入ったとしても、生者をお前たちのセカイに連れて行くことは許されない!」

 

 毅然としたヒュトロダエウスの声の響きはとても真っすぐで、空気を裂いて通って行くような印象を抱かせた。

 ランパデスの所業は道理に反することだと、きちんと言葉にして主張する。

 

「一緒に遊んでくれたヒトはきちんと無事で家に帰さなければならない! それを破ってはいけない!」

 

 しかし。

 

《あらぁ。だってこの子、わたしたちのお願いを聞いてくれないんですものぉ》

《そうよそう。だって教えてくれないのよ》

《ねー》

 

 くすくすと笑いながらランパデスは口々に言った。

 一緒に遊んでくれたなら、と言われて、それは十全ではなかったと主張しているのだ。

 

 ニュンファイに真摯に接したハーデスが、それでも『教えてくれない』と言われるようなことならば。

 

「真名を教えるように要求するのはルール違反だ!」

 

 即そう切り替えされてランパデスは驚いたらしく、全員ぽかんと口を開けた。

 そして拗ねた表情で抗議の声をあげる。

 

《ええ~! なんでわかったの~!》

《つまんなぁ~い!》

《ひっど~い!》

 

 真名は、己を己と定義する大きな一片だ。容易に(しゅ)となり得る構成要素だ。

 だから、不必要に名乗ってはならないし名乗らせてはならない。

 

 特に異種族に対しては当然のこと。

『他者』をまずどう扱うのかは種族が異なれば大きく異なる場合が多い。

 そして真名を知ることでできてしまうことも種族様々である。

 

 そのため特に魔法やまじないなどを扱える種であるなら、当たり前に知っていなければならない暗黙のルールだった。

 

 だから二人は比較的友好、どころか献身的でさえあったニュンファイを相手にさえ、名乗っていないし名乗らせなかった。加えてお互いの名を呼ばずにいた。

 

「キミたちが全員キミたち自身の真名を教えてくれるなら、そのあとで教えるかどうか考えてあげてもいいけど?」

 

 前半に比べて後半の情報が少なすぎる常套句。

 

 そしてヒュトロダエウスの権能は、奈落。相手の真名を知れば容易に落とせてしまう。ただ其処は冥界とはまた異なるため、そうまでする気は彼にはない。……今の所。

 

 そして何が可能になってしまうかを、ランバデスは知りようもない。

 しかし不利でしかないのは明白であって。

 

《ええぇー! ずるいわぁ!》

《卑怯だわ!》

《お顔の皮が分厚すぎるよ~!》

 

「そりゃあ、キミたちより一枚二枚多いし?」

 

 しゃあしゃあと言いながら、ヒュトロダエウスは自身の仮面をとんとんと人差し指で示した。二枚というのはフードもあるからだろう。

 

「何より、キミたちだってさっき、何をこの子が教えてくれないのかきちんと言わなかった。だから、御相子だよ」

 

 翻って、これはこうだった、と、きちんと言葉にすることで、ランパデスに落ち度があることを明言する。

 

《だって、あなたたちはそうやって顔をきちんと見せないじゃない》

《だったら名前くらい聞いたっていいでしょう?》

《それじゃあ誰が誰だか分からないんだもの!》

 

 少年の意識がない今、要求したのか勝手にかは分からないが、こうして顔を露にさせておいてこの言い様である。

 

 よりエーテルに近い存在であるニュンファイは相手を顔や背格好ではなく、エーテルで区別するところが大きい。

 だからそもそも道理のない主張だ。

 そもそも、他種族に対しては外見で区別をつけようとすることのほうが難易度が高い。

 しかし『自分たちは』そうではないと言い張られては、他種族であるこちらには証明が難しい。なのでそれには触れず、

 

「我々は、そういう生き物。誰が誰だか分からないことが、普通」

 

 アゼムがきっぱりと『こちらの事実』を言う。

 

「我々の『普通』が、キミたちに侵される道理は、ない!」

 

 凛と通る、最近の彼からは想像がつかない力強い声。

 

 しかし、そばに居たヒュトロダエウスは、言い切った後にはぁっ、と彼が苦し気に息をついたのが分かって、内心もどかしいものを抱えた。

 噛んで含めるようにゆっくり区切りながら言っているように見せかけて、これは無理をしている。

 だからやめなさいという意思表示で彼の袖を小さく引く。

 

 ただこれで、なんでそっちの子は喋らないの、等の言いがかりをつけられなくはなるし、毅然とした雰囲気のおかげで、からかって遊んで良い対象とは思われなくなるだろう。おそらくそのための行動だ。

 

《ヘンなの~!》

《わけわかんなぁ~い!》

《面倒臭くないのかしらぁ~?》

 

 ランパデスは口々に不満の声を上げる。

 

「我々の普通を変と言うなら、キミたちの普通が変と言われても良いということだね。キミたちが悪いんだから、ややこしい話なんてしてあげずにその子を返してもらってもいいんだよ?」

 

 言ってすっと重心を落とすヒュトロダエウス。

 とはいえ、これは単なるポーズだ。何かされるかもしれないという思いを、ランパデスに抱かせるためのもの。

 

《きゃ~こわぁ~い!》

《野蛮だわ!》

《おそろしいわ!》

 

「生者を勝手に連れて行こうとしているキミたちのほうが野蛮だよ。キミたちが素直にその子を放してくれるなら、恐ろしいことになんてならいけど?」

 

 むー! とか、うー! とかいう抗議の唸り声を上げるランパデス。

 

〖まだ姿を現してないランパデスは居ないか?〗

 

 アゼムから発された念話に、彼はエーテルを視る眼を凝らす。

 

 念話は『意思』を送る物だから、声に出すものとは違い、明確な音として伝わったのではない。たどたどしさの感じられないそれに、ヒュトロダエウスはどこか懐かしさを感じた。

 

 ニュンファイ、はもともと自然界のエーテルから生じる存在だ。

 姿を隠す時はそのエーテルに紛れ込んでいるようなものだから、居るか居ないかを測ることが難しい。

 だが彼の『眼』なら区別がつけられる。そして。

 

〖……まずい!〗

 

 ヒュトロダエウスが危機の念を発したのが早かったか、アゼムが動くのが早かったか。

 アゼムは一歩前に出て、全方向に障壁を張っていた。パァンと音すら立てて内と外を隔てたそれは、恐らく地中にすら及ぶ球形のもの。

 

《きゃーーー!》

 

 それに弾かれて悲鳴をあげるもの数体。

 余裕を失くしたのか姿を隠していたものが解けたうえに、余程勢いをつけてこちらになにかしようとしていたのか、反発によりぽとぽとと地に落ちて、目を回していた。

 

 アゼムが彼に確認したのは、そもそも不穏なものを感じたからなのだろう。

 彼は『視え』なくとも、こうして勘で悟る場合が多々ある。

 

 ヒュトロダエウスは、大げさに呆れのため息をつく。

 

「はあぁぁ。そっちが先に手を出したねえ」

 

 ランパデスを拘束するか、ハーデスを絡めとるか、と思案したその瞬時。

 

《カローぉおン!!》

 

 ランパデスの一体が叫ぶ。

 

 ヒュトロダエウスとアゼムはしまったと思うも、その場の空気が一瞬で変わった。

 

 この場が同じ川であることを利用して、嘆きの(アケローン)川とおぼしき境界の川を呼び寄せられてしまったらしかった。







妖精(ニュンフェー)
 ギリシャ神話の妖精は精霊のようなものらしいですが、ここで出てくる彼らはほぼピクシーだと思ってください。

✦ニューサの野
 ギリシャ神話でペルセポネーがハーデースに連れ去られた野原です。

✦官邸
 アニドラスの開発コードは『アシエン官邸』だったとか。
 これにも独自設定が詰め込まれていますが、それはまた別の機会に。

✦アゼムの口調
 ぎこちないのは、救えなかった事態の積み重ねによって、自己卑下が酷くなっていくためです。
 無意識に、強くはっきりとした意思表示を行える立場じゃないと思っている。
 しかし今は弱く見られてはならない。

✦ヒュトロダエウスの権能
 周りに自身を『嘘吐き』という偽名で呼ばせる原因。
 名前の意味を知って偽名にしたくなりました。
 詳細は後々。
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