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『今暇? Y/N』
『Y』
『駅前ゲーセン』
『り』
上着を羽織って、ぼくは部屋を出た。
すっかり、寒くなった。
道を歩きながら、ぼくは思う。
この間は結局、ぼくが約束を破ることになった。謝らないとな、と思うと同時に、謝って何の意味がある、とも思う。失った時間は取り戻せない。失った信頼も、同じく。
一度付いた傷は、消えない。
駅に近づくにつれ、歩行者は増える。俯いた面構え。誰も彼もが疲れ切っていて、きっとぼくもその一人。宇宙からはどんな見分けもつかなくて、頭の中身が腐り果てるような気分。
どんどんと体が重たくなって、シンナーを吸ったみたいに吐き気がしてきた頃。ぼくは目的地に着いた。
駅前のビル。一階はボウリング場で二階がゲームセンター。三階以降は雑居だったけれど、テナントが撤退して廃ビル状態。たまに不良が居着いて、チンケな犯罪取引の現場に使っては摘発されている。警察もここに目をつけていて、ほとんど蛸壺と同じ役割だ。
ぼくはビルの中に入って、二階へ上がる。エスカレーターなんて気の利いたものは存在しない。そのうち、二階と一階も廃墟になるのだろうな、と思う。
この辺りは、再開発が始まっている。今は地下鉄と地上線の駅を一体化する工事が始まっていて、その流れを受けて、駅前も整備が進んだ。このビルなんかは、新駅構想では裏手側になるから優先度は低いだろうけれど、それでも邪魔に思われていることには変わりないはずだ。
ぼくらのような学生がゲームセンターに通う時代ももう終わる。ぼくなんかは比較的古い側の生態をしていて、新しい生態系に居場所はない。今はオンラインで繋がることが主流というより当然で、物理的な溜まり場を欲する人間は異端に近しい。当然、そんな人間が集まる場所もまた同じで、だから廃れるのは当然だった。
ふらりと店の中を見て回る。彼はどのあたりにいるだろう。筐体同士の音楽がぶつかり合って、頭が割れそうなノイズの合唱。それを避けるように店の奥へ進んでいく。
奥に進むほど灯りが少なく、また古臭くなっていく。
ゲーム筐体から離れた一角に、喫煙コーナーがあった。そんなものがいまだにあること自体が異端の象徴で、だからこそぼくらにとってはありがたい限りだ。
彼は当然のように、そこで煙草を吹かしていた。
「……早かったじゃん」
彼はすぐにぼくに気付いて、バツの悪そうな顔色。
ぼくが来る前に吸い終わる予定だったのだろうか。タバコはもう、残り三分の一程だった。
「辞めたんじゃなかったの」
「辞めたかったんだけどなぁ」
一本ちょうだいよ、というと、ダメ、と断られる。
「ケチ」
「ケチじゃない。ほら、あっち行ってな。副流煙吸うと癌になるぞ」
「いいよ、別に」
「俺がダメなの」
彼は言って、まだ残っていた煙草を灰皿スタンドに捨てた。勿体無い。
「呼んどいて悪かった。行こう」
「別に、捨てなくても良かったのに」
「いーんだよ」
彼は言って、ぼくの背中を押す。喫煙所から、早く引き離したいみたいだった。まさか、残った煙草を拾うとでも思われたのだろうか。だとすれば心外で、ぼくはそこまで意地汚くはない。言ってみようかなと思ったけれど、ジョークとしては間抜けすぎるし、辞めておいた。
「何で遊ぶ?」
「あれやろうぜ」
彼が指さしたのはカーレースのゲームだった。筐体の座席が車のそれを模したような形になっていて、臨場感がある。とは言っても、本物の車を運転したことがあるわけではないから、本当に臨場感があると言えるのかはわからないけれど。
ぼくと彼は並んでそれに乗り込んだ。
コインを入れるとゲームが始まる。比較的、上等なグラフィックス。車のゲームは、それに拘られている場合が多い。ヴァーチャルの世界で、現実を再現しよう、というプロジェクト。それが叶えば、場所やエネルギーの問題を無視して、車を走らせるという遊びができる。その第一歩として最も進んでいるのが、車なのは、きっと需要の多さと供給の難しさの合致ゆえなのだろう。人が増えるほど、大きなものを所有するのは難しくなるし、それを動かすこともまた同様になっていく。世界中で、ガソリン車を規制しよう、という流れが増えているけれど、それはいずれ、車そのものを排除しようという方向性に変わることになるだろう。道を走る車は、少ない方が便利なのだ。ヴァーチャルの世界には、そのジレンマがない。
「この間はさ」
アクセルを踏みながら、彼は言った。森の中のような道路を走るコースだった。
「大丈夫だったか?」
今ここに生きている以上、問題はなかったと認識できるはずだけれど、彼が確認したいのは、多分そんな意味ではないのだろう。
「――うん」
ぼくは答えた。
本当は、謝るつもりだったのに、その言葉が出てこなかった。
彼には、見透かされたのだろう。
「……あんまさ、思い詰めんなよ」
彼は言って、ハンドルを切る。ドリフト。ぼくはそれにしくじって、わずかに置いていかれる。
「何があっても、俺はお前の味方だから」
嘘ばかりだ。
背を追いながら、思う。
アクセルを蒸す青色の車が、ぼくを置いていく。
「……もし、さ」
ぼくはアクセルを踏み込んだ。急加速。加速度を得る機能は付いていなくて、これはまだ、発展途中。
「もし仮に、ぼくが人を殺した、って言ったら、どうする?」
青の輝きを、追い越す。コーナーの急カーブ。それに失敗したのは、彼の車の方だった。
「……どうして欲しいかによる」
サイドミラー。木々の向こうから、追い縋ろうとする青の車が見える。
「もし、捕まりたくないって話なら、それを手伝うし」
加速、加速。
「償いたいって話なら、それを手伝う」
加速、加速、加速――
「どっちでもないんだったら――」
せめて。
「隣にいるよ」
YOU LOSE。
浮かぶ文字列。
負けたのは、ぼくだった。
ぼくたちは席を立って、ベンチに移る。
飲み物を買った。
彼はコーヒー。ぼくは、水。
ボトルを握る手が、冷たい。
「あのね」
ぼくは隣を見ずに言った。
「ぼくのせいで、人が死んだんだ」
ぼくが。
ぼくがあの時、
彼女は。
アレクサンドロスは――死なずに済んだ。
「ぼくは」
ぼくは――
彼女を殺したんだ。
ちっぽけな。
つまらない。
くだらない。
未練のせいで。
そんなものを。
捨てられなかったせいで――
「大丈夫」
気が付けば。
ぼくは抱きしめられていた。
「お前のせいじゃないよ」
「……君は」
君は何も知らないから――
「人は」
彼は言う。
「人は必ず死ぬ」
どんな時でも。
どんな時であろうとも。
いつだって人は、死んでしまう。
「そこに理由はない」
どれだけ見つめようとしても、そこにあるのはただ結果だけだ、と。
彼は語る。
「理由があるように見えても、それは見えるだけなんだ」
見ようとしている、だけで。
それに、本当は意味なんてない、と。
彼は言う。
「お前のせいじゃない」
ただ、悪かった。
間が、悪かった。
運が、悪かった。
巡り合わせが、悪かった。
それだけ。
それだけのことだ、と。
彼は言った。
「悲しかったんだろう?」
彼は。
そう言って、ぼくの背をさする。
「今は、泣け」
気が付けば。
ぼくは泣いていた。
この涙は――嘘だ。
こんなものは、全て嘘。
ぼくに涙を流す権利なんて、ない。そんなものはとっくの昔に、失われている。
だからこれは、全て嘘の涙。
卑怯な手段。
恥ずかしくなるような――
ぼくは。
ぼくはそれでも。
彼に縋ることを、辞められなかった。
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