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「人間の持つ最も厄介な構造的欠陥は、一人では生きられない、という点です」
ちゅう、とオレンジジュースを啜る音。透明なプラスティックの管が、オレンジ色に染まる。
「単純に、一人で生きるより複数人が有利、という度を超えて、明確に、克明に、一人で生きること、が生存に不利になるようにできている。一人で生きられない、というより、一人では生かしてもらえない、と言った方が良いかもしれませんよね」
孤独であるものを積極的に排除するようなプログラムが、遺伝子に書き加えられている。そんなふうに思えてなりません――と、
「けれどそれは生き物としてみれば、当たり前のプログラムなのですよ。そもそも、個人、という概念自体が、何かの間違い。人間という生き物が、複雑な形をしすぎているがゆえの、一種の誤作動。異常な錯覚である、と言えます。個人という概念自体が幻想で、どうしようもなく幻覚なんですよ。我々は人類という総体を構築するパーツの一つで、それ以上の存在には決してなれない。たとえば人間という個体が多くの細胞の集合からなるように、人類という総体が、多くの人間の集合からなる巨大な一個の生命体なのです」
しかるに――
「その集合から独立しよう、あるいはその集合に対して反逆しよう、という個体が積極的に排除されるのは、仕組みとしては正しい。言ってしまえば、癌細胞みたいなものなわけですよね。人類という総体の中に、それの存続に貢献しない個体がいる、というのは困ったことなわけですよ。積極的に排除しなければ、人類という総体自体がやがてダメージを負ってしまう」
そこまで語って、彼はため息を吐いた。
「馬鹿馬鹿しいとは思いませんか?」
彼は言って、足を組んだ。
「多細胞生物の誕生から、十億年。
彼は語る。
彼は語る。
彼は語る。
その言葉は。
その言葉は全くもって――正しい。
人間の知性なんて、そんなもの。今までも、これからも、ずっと。生きている限り、ぼくたちは永久に自由にはなれない。
ぼくたちは檻に囚われた奴隷だ。肉体という檻の中に囚われ、生きるという至上目的を、望んでもいないのに押し付けられて、ただ、泥のように眠れるその日まで、働き続ける。
そこに自由はない。
そこに幸福はない。
そこに尊厳はない。
光なき暗闇の中、鎖に繋がれ腐りゆく。
「あなた方が、
そう。
「
にっこり、と。
彼は微笑む。
「私はね、
彼は両手を広げる。それは迷える子羊を導く神父のように。
「この世界がくだらないから、滅ぼしてしまう。
それが。
それが
彼は語った。
「実を言うと、
なんて、冗談めかして笑う、彼。
「悲しいかな、実力主義の其方と違って、こちらは結構な組織主義なんですよね。もちろん、悪い意味で」
なんて、彼は笑う。
「上層部には、なかなか現場の意見が通らなくて」
実はこの交渉も、独断なんです、と彼は困ったように眉を下げる。
「我々は、
少年は言って、指を立てた。
「世界を取り戻す、なんて言えば威勢はいいですが、それって単なる現状維持ですよね。要は元の木阿弥。戦争に勝ったって、戦争がなくなるわけじゃない。やるべきは
つまり。
「
これが――我々の目標です。
と。
差崎誰は――そう語った。
なんとなく、想像がつく。つまりは――
「
「まさしく」
「我々は頭蓋から外に出る術を手に入れた。ならば、積極的に活用するべきです。カムパネルラ。あなたにならわかるのではありませんか? 肉体なんて、そんなくだらないものに囚われる馬鹿馬鹿しさが」
癪に障る物言いだった。
「この世の大半の悲劇は、人が生きているがゆえに存在すると、そのように私は思うのです。人が
だが――言っていることは、理解できないわけじゃない。
喉が渇くのを感じた。
「だからこそ、切に、願うのです。カムパネルラ。私はあなたに、乞い願う。どうか、我々の味方になっては頂けませんか」
我々と共に。
と。
彼はぼくに、手を差し伸べた。
「……見返りは?」
ぼくは言葉を返す。あの時と同じ。けれど背後に、空は広がらない。
「見返りはどんな願いでも――なんて、今更ペテンは通用しませんよね」
ははは、なんて乾いた笑い。
「ファウストさんには、申し訳ないことをしました。我々の理想のために、彼のことを利用した。実を言うと、我々に死者蘇生なんて不可能なんです。ただ、
「言って、良かったの?」
「どのみち、ですよ。あなたに
「そう」
そうか。
そうか――
「代わりに」
彼は――言う。
「私たちは、
その言葉に、ぼくは――
「落ち着いてくださいよ、カムパネルラ」
喰らいつく牙を、寸前で止める。
「余計な犠牲を出すつもりはありませんよ。言ったでしょう? 我々は融和派なんです」
彼は言って、肩をすくめた。ぼくはカムパネルラを引っ込める。
「ただ――あなたの事情を、ある程度は、少なくとも外部から観察できる程度には、知り得たということ。その上で、言います」
あなたには――
「
――。
――――。
――――――。
それは。
それ、は――。
「カムパネルラ。人は一人では生きられないものです。あなたもそうだ。どれほど孤独であると思ったところで、孤独でありたいと願ったところで、人は一人では生きられない。だからこそ、あなたは
あなたは。
「
彼は笑った。
「カムパネルラ。あなたの本質はそうであるはずだ。あなたの人生には、決定的にそれが欠け続けていた」
ならば。
「私があなたを愛します」
にっこり、と――
屈託なく、純粋に、神の如く、悪魔を従え、天にも昇り、地獄さえも掬い上げるような――微笑みで。
差崎誰は、そう言った。
「あなたの欠落を愛しましょう。あなたの醜さを愛しましょう。あなたの愚かさを愛しましょう。あなたの恥じらいを愛しましょう。あなたの努力を愛しましょう。あなたの欲望を愛しましょう。あなたの矛盾を愛しましょう。あなたの衝動を愛しましょう。あなたの停滞を愛しましょう。あなたの卑屈を愛しましょう。あなたの絶望を愛しましょう」
私は。
「私はあなたの全てを愛しましょう」
あなたの望むものを、
ですから、カムパネルラ。
「私と共に来てください」
そんな言葉と、共に。
差し出された、手を。
ぼくは。
ぼくは――
ぱしり、と。
払い除けた。
「
その言葉には。
かけらの魅力も、感じなかった。
「お前の愛なんて、いらないよ」
虫唾が走る。
そう吐き捨てて、ぼくは席を立つ。
「差崎誰。君は勘違いをしている」
これは、サービス。心ばかりの親切、というもの。
「人間は、初めから自由だ」
生きているかいないかなんて、些細な違い。
だというのに、それを失うのは。
「孤独だからだよ」
どれほどそうではないと願っても。そうではないのだと叫んでも。人間はどこまで行っても孤独なのだ。
「ぼくたちは孤独に囚われ、だからこそ他者を求めようとする」
けれどそれさえ。
それさえも、全ては幻想。
叶わない、夢。
「檻の中から出たところで、新しい檻が立ち塞がるだけ」
生まれ落ちたその日から、ぼくらは檻を見据えている。その内側から、どれほど手を伸ばしたって、あるいは手を伸ばすからこそ、永遠に、誰とも出会えない。
全ての知性は無意味に生まれ。無価値に死に絶える。
そこに意味はない。
そこに変化はない。
そこに結論はない。
全ては初めから無意味で、最後まで無価値であり続ける。
たかだか生きることをやめたくらいで――孤独という罰から、逃れられるものか。
「この世界に、愛なんてものは存在しない」
あるのは、ただ。
欲求。
繋がりたいという、浅ましい欲望。
それを叶えようと、近づいて。
混ざり合おうとして。
けれど、それが叶わないと知って、夢から覚める。
流れ落ちる一条の涙だけが、得られるもの。
ぼくはもうそれを知っている。
だから。
「ぼくは誰も、求めない」
求めてなんか、いない。
いないんだ。
「ぼくは世界を滅ぼすよ」
世界がどんなカタチをしていても。
そうしなければ、ぼくはもう、どこにもいけないんだ。
ぼくは背を向けて、歩き出す。
「お仲間さんの居場所は、聞かなくていいんですか」
声を受けても、立ち止まらない。
「君が答えるわけがない」
「おや、ご明察」
からからと笑い声が響く。
「さようなら。カムパネルラ、次に出会うときは、敵同士です」
「生まれた時から、そうだよ」
そう、その通り。
生まれた時から、ぼくたちは皆、敵同士なのだ。
浅ましく奪い合い。
悍ましく求め合う。
全ての存在は、皆。
等しく、醜い。
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