4
ぼくは暗い部屋の中にいる。
煙草の煙が見えていた。
これは、幻想。幻想とはつまり、現実ではないもの。
けれどその差異は、果たしてどこにあるだろう?
ぼくたちは、決して光を見ることはできない。
ただ、その幻想を見る。
脳がシミュレートする錯覚。外の世界を、ぼくたちは思い浮かべることしかできない。
限られた情報から、世界を頭の中に思い描いて。
あたかも外の世界なんてものが、本当にあると信じ込みたいみたいに。
馬鹿馬鹿しい、つまらない。
そんな妄想に縋るのは、寂しいからだ。
寂しいから、自由になれない。
本当は、誰も彼も自由なのだ。
ただ、自由でない方がいい、なんて思ってしまうから。
囚われる。
自分から、檻を描いて。
閉じこもって。
鎖に繋がれようとする。
馬鹿馬鹿しい。
その檻の中が、本当は、世界。
そこだけが、自由の場所。
神様に与えられた。
その中にいれば自由なのに。
外と繋がりたいと思うから。
間違う。
檻の中に、囚われてしまう。
寂しさが、ぼくたちを愚かにする。
孤独であることの、何がいけない。
繋がろうとすることに、何の意味がある。
そんなことは、誰にもできない。
孤独なまま、手に入らないものに恋焦がれ。
欲望が。
希望が。
切望が。
全てを台無しにする。
わかっていることだ。
初めから全部――わかっていること。
なのに、目を逸らして。
不幸になろうとしてしまう。
自分から進んで。
自分から望んで。
孤独であることを、悲劇であると思い込んで。
間違う。
馬鹿馬鹿しい。
愚かしい。
ついていけない。
瞼を開くことに、意味なんてないんだ。
わかっているだろう?
それなのに――
ぼくは。
目を覚ましてしまう。
「……ああ」
とにかく、気分が悪かった。
学生服のまま、寝ていた。脱ぎ捨てたブレザーの上着が、床に転がっている。
机の上には、空き缶。劣化した、アルコールの匂い。
お酒を飲んだんだ、と思った。
飲まされたのかな、とも。
誰かがぼくの体をコントロールして、それを飲ませた。そんなことには何も意味もないのに。
昨日は学校に行ったんだった。
それを思い出した。
思い出したくは、なかったけれど。
『元気? Y/N』
メッセージが一件。
『Y』
返せば、すぐに既読がついた。
『おけ』
こんなやりとりに、意味なんてない。
虚飾に塗れた、中身のない言葉の応酬。山羊の届ける手紙。
ぼくは何もかもが嫌になりそうだった。
唇をなぞる。
『会いたい』
そこまで打って、バックスペース。
ぼくは携帯を放り捨てた。
両目を覆う。
昨日は、学校を早退した。
体調が悪い、と。
嘘をついた。
近頃。
ぼくは以前よりずっと、弱くなっている。
鋼の心を持っていたはずなのに、いつのまにか錆びついて、脆くも穴が空いている。
穢らわしい。
ただひたすらに、そう思う。
「何をやっているんだろう」
吐き気がして、口元を抑えた。
嫌なものを見た。
それだけのこと。
それだけのことだ。
それの何が悪い?
馬鹿馬鹿しい。くだらない。
もとより、現実がままならないものであることなんて、知っているはず。
頭蓋骨の外側は、手の及ばない世界。もとより空。無きに等しい悪夢の宇宙。知っていること。
なのにどうして、痛む?
フラッシュバック。
校舎の隅。閉鎖された屋上への階段。その向こうの、小さなスペース。
元はきっと、ぼくと彼だけが知っていた秘密基地。
ぼくの知らない、知ってはいけない秘密。
その映像が、思い出したくもないのに、目に焼きついた。
「情けない……」
呟いた。
もとより、ぼくのものではない。
知っているだろう?
わかっていたはず。
どうでもいいこと。
ただ、煙草が吸いたかった。
もう、求めても手には入らない。
りりり、と。
投げ捨てた携帯が鳴った。
痛む頭を抑えて、それを手に取る。
知らない番号だった。
「……もしもし?」
『おう。俺だ』
「……だれ」
『ああ? 何だよ何だよ何なんだよ。この声聞いてもわからねぇってのか? 薄情者だな』
「ああ、いや、もうわかった」
乱暴な声。普段なら聞きたくない類だけれど、今ならばいい。むしろありがたい、とさえ、思う。
『どうしたどうしたどうしたよ。酷い声じゃねぇか。くたばりかけか?』
「昨日、お酒を飲んだんだ」
『二日酔いかよ。脆い肝臓してやがんな。ケッ。くだらんくだらんくだらんな』
彼は言って、電話口の向こうで舌打ちをした。
『お前、今、暇か?』
「二日酔いと戦うのに忙しい」
『そりゃ大変だ。暇で死にそうだろ』
「人の話を聞かない主義?」
ああ、理不尽だ。誰が番号を教えたのだろう。文句を言ってやりたい気持ちでいっぱいだった。
『マレウスとドクタとファミレスいるからよ。お前も来いよ』
「遠慮する」
『すんな。来い。殺すぞ』
ぼくは特大のため息を吐いた。
彼のその言葉は冗談や脅しでは済まない。
きっと番号を教えたのはドクタだろう。同情はするけれど、だからと言って恨む気持ちは無くならない。
ぼくは鉛のように重い体を引きずって、家の外に出た。
5
「よう、待ってたぜ」
グロッキーになったドクタが、どどめ色の液体の入ったグラスを手に青ざめていた。濁った色は、多種多様なジュースが混ざった証だろう。ハラスメントを受けている最中のようだった。
「それで、何の用事?」
ぼくはドクタの手からグラスを奪い取って、一息に飲み干した。こういう悪趣味は、嫌い。残った空のグラスをコン、と机の上に置いて、ぼくはコの字型のボックス席の、一番外側に座った。
「ヒュー、かっくいー!」
囃し立てるようにゲラゲラと笑うのは、ぼくの斜め向かい――品のない言葉で言えば、一番上座に座る、虹色の髪をした背の低い女性。よく勘違いされるけれどもう成人して久しい年齢で、勘違いされる原因がつまり中身なのだった。若い、幼い、というポジティヴな意味ではなくて、つまり人間より、動物に近い行動を取る、という意味で。
「ゲロマズかったっしょ? よく飲めんねぇ」
何が面白いのか、マレウスはずっとケタケタと笑っている。今日はそういう薬をやっているのかな、と思った。そちらの方が健全に見えるような程度である、ということだ。
「味なんて、感じようと思わなければ感じない」
ぼくは言って、真正面に目を向ける。
「それで、何の用事があった?」
まるで牙を突きつけるように、ドクタの肩に腕を回すセルバンデスに言う。
「ケッ、つまらんつまらんつまらんな。何の用事があった? だってよ。用事がなきゃ呼んでもいけねぇのかよ。ええ? おい」
「まあね。友達ってわけでもない」
「は。まさしくまさしくまさしくだなぁ。俺たちゃいつでも敵同士だ。わかってんじゃねぇかよカムパネルラ」
だが、その言葉に則るなら――
「敵に塩を送るってやつだぜ、今回は」
彼は言って、机にドンと何かを置いた。
それは。
「は――」
髭の生えた、男性のそれ。髪も髭も
どう見たって、死んでいる。
首から下を亡くして生きていられる人間なんていないのだから、当たり前だ。
当たり前だ、と。
いうのに――
「
その生首は、
まるで当たり前に、生きている人間さながらに、唇と舌を動かして、息など吸えもしないはずのその体で、けれど彼はしゃべって見せた。
「いきなり襲いかかってきたからよ、とりあえずぶっ殺して見たんだが――この通りでな。
ははは――と。
どこまでも楽しそうに笑うセルバンデスだけれど――
「ちょっと――待って」
目眩を感じたのは――二日酔いのせいではないはずだ。
「セルバンデス」
「おう、どうした?」
「
ぼくが問えば――
「
と。
彼は何の気負いもなく頷くけれど――それは。
この生首が生き残っているのは、
「ま、頭だけでも喰っちまおうかと思ったんだけどよ、体に逃げられててそれってのはなーんかしっくりこねぇだろ? んでおまけにこの野郎が、
この席をセッティングしてやったってわけだ――なんて、セルバンデスは言った。
「と、いうわけだ。私の話を聞く気になってくれたかな、カムパネルラ」
彼は言って、ぼくに視線を向ける。
「ぼくに――一体、何の用」
「そう急くな、カムパネルラ。物事には順序というものがある。そうだろう? まずは自己紹介から行こうじゃないか」
名刺を渡せる手もないが、なんて言いながら、彼は片目だけを閉じた。ウィンクのつもりだとしたら、不快さは十分以上だった。
「私の名は、
然戸円里――『
「私の役目は、メッセンジャーだ」
彼は言って、髭だらけの口を動かす。
「単刀直入に言おう。我々は――我々
その言葉に、ぼくは顔を顰める。
「それは、もう断った」
「それは、別口の要請だろう? 我々は、むしろその真逆の立ち位置から、協力を要請しているのだ」
真逆の立ち位置。つまりは――
「ソレイユの件は、申し訳なく思う」
「そう。我々には、一度、重大なすれ違いがあった。君もわかっている通りと思うが、これは差崎誰に踊らされたせいだ。たった一手の誤情報で、本来手を組めたはずの二人が殺し合う羽目になった。
もはや――
「奴は、
その言葉に――ぼくは。
「見返りは?」
「戦争における確実な助命、及び、戦後における地位の約束。不満ならば、現行の金銭を支払ってもいい」
話にならない。ぼくたちは鼻で笑った。
「馬鹿馬鹿しいよ、然戸円里。それの何がメリットになる」
馬鹿馬鹿しい。くだらない。ぼくたちのことを、何一つとして理解できていない。
そんなだから。
そんなだから――お前は
「お前たちとの協力なんて、必要ないよ。あんな奴、
それに――
「お前たち、
ぼくが問えば――彼は黙り込んだ。
「くだらない。腹芸の一つくらいできないのかな。あのさ、見え見えなんだよ。どうせ、
そのために、一時的に
「ぼくたちのことを舐めすぎだ」
まず戦うというのなら、その相手は
「身内と喧嘩した後でも戦えるような敵だ、と、ぼくたちをそう見下しているわけだ。馬鹿馬鹿しいね。それでも
責め立てる言葉ならば、無限に口を突く。
「協力するというのなら、差崎誰とこそそ協力するべきだろうに、君たちはそれをしようとすらしない――
然戸円里は――じっとりと、その目でぼくらを睨め付けた。
「後悔するぞ」
「
その言葉と同時に――セルバンデスが、その頭を叩き潰した。
瞬く間に、砕け散った頭蓋は灰となり、その灰さえ、瞬く間に消え失せる。
「大層大層大層よぉ、
セルバンデスは嬉しそうに言う。
「
「臨むところだよ」
もとより――ぼくらには敵しかいない。
それを再確認しただけ。
「戦おう、みんな」
戦う。
戦うしか、ないんだ。
もうとっくの昔に、そうすると決めた。
そうすると決めたから、ぼくらは
返る三つの頷きを、心強く思いながら。
ぼくは覚悟を決めた。
もう二度と、振り返らないように。
ぼくの生きる場所はここであるのだと。
ぼくの死ぬ場所はここであるのだと。
強く強く、心に刻んだ。
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