カムパネルラの傷跡   作:忘旗かんばせ

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第六章 3

 4

 

 ぼくは暗い部屋の中にいる。

 煙草の煙が見えていた。

 これは、幻想。幻想とはつまり、現実ではないもの。

 けれどその差異は、果たしてどこにあるだろう?

 

 ぼくたちは、決して光を見ることはできない。

 ただ、その幻想を見る。

 

 脳がシミュレートする錯覚。外の世界を、ぼくたちは思い浮かべることしかできない。

 限られた情報から、世界を頭の中に思い描いて。

 あたかも外の世界なんてものが、本当にあると信じ込みたいみたいに。

 

 馬鹿馬鹿しい、つまらない。

 そんな妄想に縋るのは、寂しいからだ。

 寂しいから、自由になれない。

 本当は、誰も彼も自由なのだ。

 ただ、自由でない方がいい、なんて思ってしまうから。

 

 囚われる。

 

 自分から、檻を描いて。

 閉じこもって。

 鎖に繋がれようとする。

 

 馬鹿馬鹿しい。

 その檻の中が、本当は、世界。

 そこだけが、自由の場所。

 神様に与えられた。

 その中にいれば自由なのに。

 外と繋がりたいと思うから。

 間違う。

 檻の中に、囚われてしまう。

 寂しさが、ぼくたちを愚かにする。

 

 孤独であることの、何がいけない。

 繋がろうとすることに、何の意味がある。

 そんなことは、誰にもできない。

 孤独なまま、手に入らないものに恋焦がれ。

 

 欲望が。

 希望が。

 切望が。

 

 全てを台無しにする。

 

 わかっていることだ。

 初めから全部――わかっていること。

 なのに、目を逸らして。

 不幸になろうとしてしまう。

 自分から進んで。

 自分から望んで。

 孤独であることを、悲劇であると思い込んで。

 間違う。

 馬鹿馬鹿しい。

 愚かしい。

 ついていけない。

 瞼を開くことに、意味なんてないんだ。

 わかっているだろう?

 それなのに――

 

 ぼくは。

 

 目を覚ましてしまう。

 

「……ああ」

 

 とにかく、気分が悪かった。

 

 学生服のまま、寝ていた。脱ぎ捨てたブレザーの上着が、床に転がっている。

 

 机の上には、空き缶。劣化した、アルコールの匂い。

 

 お酒を飲んだんだ、と思った。

 飲まされたのかな、とも。

 誰かがぼくの体をコントロールして、それを飲ませた。そんなことには何も意味もないのに。

 

 昨日は学校に行ったんだった。

 それを思い出した。

 思い出したくは、なかったけれど。

 

『元気? Y/N』

 

 メッセージが一件。

 

『Y』

 

 返せば、すぐに既読がついた。

 

『おけ』

 

 こんなやりとりに、意味なんてない。

 虚飾に塗れた、中身のない言葉の応酬。山羊の届ける手紙。

 ぼくは何もかもが嫌になりそうだった。

 唇をなぞる。

 

『会いたい』

 

 そこまで打って、バックスペース。

 ぼくは携帯を放り捨てた。

 両目を覆う。

 

 昨日は、学校を早退した。

 体調が悪い、と。

 嘘をついた。

 

 近頃。

 ぼくは以前よりずっと、弱くなっている。

 鋼の心を持っていたはずなのに、いつのまにか錆びついて、脆くも穴が空いている。

 

 穢らわしい。

 

 ただひたすらに、そう思う。

 

「何をやっているんだろう」

 

 吐き気がして、口元を抑えた。

 

 嫌なものを見た。

 それだけのこと。

 それだけのことだ。

 それの何が悪い?

 

 馬鹿馬鹿しい。くだらない。

 もとより、現実がままならないものであることなんて、知っているはず。

 頭蓋骨の外側は、手の及ばない世界。もとより空。無きに等しい悪夢の宇宙。知っていること。

 

 なのにどうして、痛む?

 

 フラッシュバック。

 校舎の隅。閉鎖された屋上への階段。その向こうの、小さなスペース。

 元はきっと、ぼくと彼だけが知っていた秘密基地。

 ぼくの知らない、知ってはいけない秘密。

 

 その映像が、思い出したくもないのに、目に焼きついた。

 

「情けない……」

 

 呟いた。

 もとより、ぼくのものではない。

 知っているだろう?

 わかっていたはず。

 どうでもいいこと。

 ただ、煙草が吸いたかった。

 もう、求めても手には入らない。

 

 りりり、と。

 投げ捨てた携帯が鳴った。

 痛む頭を抑えて、それを手に取る。

 知らない番号だった。

 

「……もしもし?」

『おう。俺だ』

「……だれ」

『ああ? 何だよ何だよ何なんだよ。この声聞いてもわからねぇってのか? 薄情者だな』

「ああ、いや、もうわかった」

 

 乱暴な声。普段なら聞きたくない類だけれど、今ならばいい。むしろありがたい、とさえ、思う。

 

『どうしたどうしたどうしたよ。酷い声じゃねぇか。くたばりかけか?』

「昨日、お酒を飲んだんだ」

『二日酔いかよ。脆い肝臓してやがんな。ケッ。くだらんくだらんくだらんな』

 

 彼は言って、電話口の向こうで舌打ちをした。

 

『お前、今、暇か?』

「二日酔いと戦うのに忙しい」

『そりゃ大変だ。暇で死にそうだろ』

「人の話を聞かない主義?」

 

 ああ、理不尽だ。誰が番号を教えたのだろう。文句を言ってやりたい気持ちでいっぱいだった。

 

『マレウスとドクタとファミレスいるからよ。お前も来いよ』

「遠慮する」

『すんな。来い。殺すぞ』

 

 ぼくは特大のため息を吐いた。

 彼のその言葉は冗談や脅しでは済まない。

 

 きっと番号を教えたのはドクタだろう。同情はするけれど、だからと言って恨む気持ちは無くならない。

 

 ぼくは鉛のように重い体を引きずって、家の外に出た。

 

 

 5

 

「よう、待ってたぜ」

 

 グロッキーになったドクタが、どどめ色の液体の入ったグラスを手に青ざめていた。濁った色は、多種多様なジュースが混ざった証だろう。ハラスメントを受けている最中のようだった。

 

「それで、何の用事?」

 

 ぼくはドクタの手からグラスを奪い取って、一息に飲み干した。こういう悪趣味は、嫌い。残った空のグラスをコン、と机の上に置いて、ぼくはコの字型のボックス席の、一番外側に座った。

 

「ヒュー、かっくいー!」

 

 囃し立てるようにゲラゲラと笑うのは、ぼくの斜め向かい――品のない言葉で言えば、一番上座に座る、虹色の髪をした背の低い女性。よく勘違いされるけれどもう成人して久しい年齢で、勘違いされる原因がつまり中身なのだった。若い、幼い、というポジティヴな意味ではなくて、つまり人間より、動物に近い行動を取る、という意味で。

 

「ゲロマズかったっしょ? よく飲めんねぇ」

 

 何が面白いのか、マレウスはずっとケタケタと笑っている。今日はそういう薬をやっているのかな、と思った。そちらの方が健全に見えるような程度である、ということだ。

 

「味なんて、感じようと思わなければ感じない」

 

 ぼくは言って、真正面に目を向ける。

 

「それで、何の用事があった?」

 

 まるで牙を突きつけるように、ドクタの肩に腕を回すセルバンデスに言う。

 

「ケッ、つまらんつまらんつまらんな。何の用事があった? だってよ。用事がなきゃ呼んでもいけねぇのかよ。ええ? おい」

「まあね。友達ってわけでもない」

「は。まさしくまさしくまさしくだなぁ。俺たちゃいつでも敵同士だ。わかってんじゃねぇかよカムパネルラ」

 

 だが、その言葉に則るなら――

 

「敵に塩を送るってやつだぜ、今回は」

 

 彼は言って、机にドンと何かを置いた。

 それは。

 ()()()()()()()()()()()

 

「は――」

 

 髭の生えた、男性のそれ。髪も髭も()()()()で、まるで浮浪者のよう。首から下がないから、分かりづらいけれど、年齢は三十半ばというところだろうか。

 

 どう見たって、死んでいる。

 

 首から下を亡くして生きていられる人間なんていないのだから、当たり前だ。

 当たり前だ、と。

 いうのに――

 

()()()()()()()()()()()

 

 その生首は、()()()()()()

 まるで当たり前に、生きている人間さながらに、唇と舌を動かして、息など吸えもしないはずのその体で、けれど彼はしゃべって見せた。

 

「いきなり襲いかかってきたからよ、とりあえずぶっ殺して見たんだが――この通りでな。()()()()()()()()()()()()()

 

 ははは――と。

 どこまでも楽しそうに笑うセルバンデスだけれど――

 

「ちょっと――待って」

 

 目眩を感じたのは――二日酔いのせいではないはずだ。

 

「セルバンデス」

「おう、どうした?」

()()()()()()()()()()()?」

 

 ぼくが問えば――

 

()()――()()()()

 

 と。

 彼は何の気負いもなく頷くけれど――それは。

 この生首が生き残っているのは、乖獣(オルターエゴ)の能力ゆえ()()()()という意味になる。

 

「ま、頭だけでも喰っちまおうかと思ったんだけどよ、体に逃げられててそれってのはなーんかしっくりこねぇだろ? んでおまけにこの野郎が、()()()()()()()()なんて言いやがるもんだからよ」

 

 この席をセッティングしてやったってわけだ――なんて、セルバンデスは言った。

 

「と、いうわけだ。私の話を聞く気になってくれたかな、カムパネルラ」

 

 彼は言って、ぼくに視線を向ける。

 

「ぼくに――一体、何の用」

「そう急くな、カムパネルラ。物事には順序というものがある。そうだろう? まずは自己紹介から行こうじゃないか」

 

 名刺を渡せる手もないが、なんて言いながら、彼は片目だけを閉じた。ウィンクのつもりだとしたら、不快さは十分以上だった。

 

「私の名は、然戸(さど)円里(まどり)。曰く仲間の内にては、『愛好館(ハウスホリック)』の然戸円里とも呼ばれている」

 

 然戸円里――『愛好館(ハウスホリック)』の然戸円里。

 

「私の役目は、メッセンジャーだ」

 

 彼は言って、髭だらけの口を動かす。

 

「単刀直入に言おう。我々は――我々守護者(プラスティシ)は、君たちに協力を要請したい」

 

 その言葉に、ぼくは顔を顰める。

 

「それは、もう断った」

「それは、別口の要請だろう? 我々は、むしろその真逆の立ち位置から、協力を要請しているのだ」

 

 真逆の立ち位置。つまりは――

 

「ソレイユの件は、申し訳なく思う」

 

 ()()()()、か。

 

「そう。我々には、一度、重大なすれ違いがあった。君もわかっている通りと思うが、これは差崎誰に踊らされたせいだ。たった一手の誤情報で、本来手を組めたはずの二人が殺し合う羽目になった。()()()()()()()()()()()というのが、私の素直な感想だ」

 

 もはや――

 

「奴は、()()()()()()()()()()()()、と、そう結論付けざるを得ない。それは、共通認識として共有できる価値観のはずだ。だからこそ――奴を。差崎誰を討伐するために、協力して欲しい」

 

 その言葉に――ぼくは。

 

「見返りは?」

「戦争における確実な助命、及び、戦後における地位の約束。不満ならば、現行の金銭を支払ってもいい」

 

 話にならない。ぼくたちは鼻で笑った。

 

「馬鹿馬鹿しいよ、然戸円里。それの何がメリットになる」

 

 馬鹿馬鹿しい。くだらない。ぼくたちのことを、何一つとして理解できていない。

 

 そんなだから。

 

 そんなだから――お前は守護者(プラスティシ)なんだ。

 

「お前たちとの協力なんて、必要ないよ。あんな奴、()()()()()()()()()()()()()()()()()。だからこそ――お前たちもまとめて、一人残らず殺してやる。ぼくたちに手を組むなんて選択肢は、存在しない」

 

 それに――

 

「お前たち、()()()()()?」

 

 ぼくが問えば――彼は黙り込んだ。

 

「くだらない。腹芸の一つくらいできないのかな。あのさ、見え見えなんだよ。どうせ、()()()()()()()()()()()()()? それで敵を一本化したいんだ。二正面作戦は愚策。だからこそ、()()()()()()()()()()()――」

 

 そのために、一時的に破壊者(ダウナ)と協力体制を築きたい。そんな意図は見え透いている。だからこそ――

 

「ぼくたちのことを舐めすぎだ」

 

 まず戦うというのなら、その相手は()()()()()()()()()()()()

 

「身内と喧嘩した後でも戦えるような敵だ、と、ぼくたちをそう見下しているわけだ。馬鹿馬鹿しいね。それでも守護者(プラスティシ)かよ、お前。ちょっとさ、やる気が足りないんじゃない?」

 

 責め立てる言葉ならば、無限に口を突く。

 

「協力するというのなら、差崎誰とこそそ協力するべきだろうに、君たちはそれをしようとすらしない――()()()()()()()()()()、誰と組んででも破壊者(ダウナ)と戦うべきなのに、その役目すら放棄するんだ。笑わせるよ、守護者(プラスティシ)。そんな信念のかけらもない相手と、協力なんてできるはずがない」

 

 然戸円里は――じっとりと、その目でぼくらを睨め付けた。

 

「後悔するぞ」

()()()()()

 

 その言葉と同時に――セルバンデスが、その頭を叩き潰した。

 瞬く間に、砕け散った頭蓋は灰となり、その灰さえ、瞬く間に消え失せる。

 

「大層大層大層よぉ、()()()()宣戦布告じゃねぇか」

 

 セルバンデスは嬉しそうに言う。

 

()()()になるぜ」

「臨むところだよ」

 

 もとより――ぼくらには敵しかいない。

 それを再確認しただけ。

 

「戦おう、みんな」

 

 戦う。

 戦うしか、ないんだ。

 

 もうとっくの昔に、そうすると決めた。

 

 そうすると決めたから、ぼくらは破壊者(ダウナ)になったんだ。

 

 返る三つの頷きを、心強く思いながら。

 

 ぼくは覚悟を決めた。

 

 もう二度と、振り返らないように。

 ぼくの生きる場所はここであるのだと。

 ぼくの死ぬ場所はここであるのだと。

 

 強く強く、心に刻んだ。

 





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