カムパネルラの傷跡   作:忘旗かんばせ

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第七章 1

 

 0

 

 夢にまで見たあの日々を。

 

 1

 

「愛と勇気なんてものに救われてしまったらさ、世界だって困ると思うんだよ」

 

 映画を見た。

 

 馬鹿馬鹿しくて、くだらないそれ。巨大な怪獣が、海の向こうからやってきて、それを人間たちが、必死になって撃退する。ありふれた三流映画で、見たことを後悔するような出来だった。

 

 なのにマレウスはパンフレットを買った。どうしてだろうと思ったけれど、たとえば薬物を購入するよりは有意義なお金の使い方だから、これは合理的な判断なのだろう、と思い直す。

 

 映画館はこのショッピングビルの最上階にあって、下の階層には、それが義務みたいに喫茶店が入っている。同じ狙いだろう複数人のグループ客が、さまざまな映画のグッズやパンフレットを持って席に座っていて、もしもマレウスが擬態のためにお金を使ったのなら、それは大成功だったと言えた。

 

「この映画じゃあ、怪獣は人類の罪の象徴、なんだってさ」

 

 つまり、強者が弱者を踏み躙る、というシステムそのものへの皮肉。

 

「だから、それから人を救えるのは、愛と勇気だけなんだ、って」

 

 笑えるよね、とマレウスは言った。

 

「強者が弱者を踏み躙る、というならさ、順番が逆だよ。だって誰がどう見ても、この映画じゃあ怪獣の側が弱者じゃないか」

 

 彼女は言う。それは正しい、とぼくも思った。

 多く群れ、仲間と協調し、愛と勇気なんてわけのわからないもので怪獣を退けてしまう人類と、たった一人で、孤独で、それでも人類全てに対して立ち向かわざるを得なかった怪獣。果たして、弱者と言えるのはどちらだろうか。

 

「現実はいつも、弱者に悪のレッテルが貼られる」

 

 醜く、社会の敵で、愛と勇気によって排除されるべき、悍ましい怪物。それが世界から見た、弱いものの姿だ。

 

 群れから弾かれた奇形。それは存在するだけで害悪で、一刻も早く排除するべきエラーなのだ。

 

「怪獣が、なぜ街を破壊するのか」

 

 それは、愚かな人類への鉄槌なのだ、と製作者は言う。裁きであり、報いであり、復讐であるのだ、と。

 そんなレッテルを、貼り付けて。そんな妄想を、押し付けて。

 それを退けることで、まるで罪を雪いだかのように、思い上がろうとする。

 

 傲慢だ、と思う。

 

「もし、あれが本当の怪獣なら、街を壊すのに理由なんてないはずだよ」

 

 そう。理由なんて、ない。

 ただ、そうしないと生きられない、というだけだ。

 生きていられない、というだけだ。

 たったそれだけのこと。

 それだけのことに、ありもしない意味を求めようとする。

 壊されるだけの理由がなければ、壊されてはいけないはずだ、なんて、思い上がる。

 

 そうではない。

 ただそこにあることが、もうすでに、許されない罪なのだ。

 

 初めから、誰もが。

 罪と言うのなら、生きていることそのものが、罪。

 誰も彼も、お互いに、傷つけ合っている。

 生きているだけで、殺し合っている。

 その自覚もないままに。

 

 誰かを排して。

 誰かを傷付けて。

 誰かを踏み付けて。

 誰かを殺して。

 

 そしてそれさえも、見ないふり。

 

 醜い、と思う。

 

「少し、遊んで帰ろうか」

 

 マレウスが言った。悪くない提案で、ぼくは頷いた。

 喫茶店を出る。

 

「ねぇ」

「なに?」

「何人殺した?」

「七」

「やりぃ。私、九」

 

 勝ったな、と彼女は誇るように言った。

 ぼくたちがこうして、息抜きに出かけられているのも、それだけ、仕事をしているからだった。けれど、それもいつまで続くか。

 

「ここからは、今までのようにはいかないと思う」

 

 こちらには今の所、犠牲が出てはいない。それは奇跡のようなことだった。

 

 おそらくだが。

 

 差崎誰は、この街に潜伏している。

 

 もはや、戦いは赤い空の下だけで行われるものではなくなった。

 

 守護者(プラスティシ)側で、なんらかのブレイクスルーがあったのだろう。

 

 本体を伴ってこちらに来る守護者(プラスティシ)が増えて、白昼堂々の暗殺を仕掛けられることも少ないことではなくなった。

 

 戦況は、今の所破壊者(ダウナ)の優勢。

 

 けれどそれは守護者(プラスティシ)側にも内乱があるからで、それが解消されてしまえば、一気にこちらが不利になることもあり得る。

 

 三つ巴の状況が、ぼくたちにとっては、ある種最も、戦いやすいのだ。

 

 守護者(プラスティシ)としては、こちらを放置するわけにはいかない。

 

 現実に入った亀裂は、もう取り返しのつかないところまで拡大している。一刻も早く、破壊者(ダウナ)を皆殺しにしてしまいたい、というのが向こうの本音だろう。そうしなければ、世界の滅びが決定的になってしまうのだから。

 

 だけど、内乱のせいで、それも出来ない。もどかしい状況なのだろうな、と思う。こちらからすれば思う壺で、だからこそ、それを招いた差崎誰の思惑が、不気味だった。

 

 あれは今、何を考えているのだろう。

 

 同階層の最も奥にあるゲームセンターコーナーについて、ぼくとマレウスは筐体を見て回る。ガチャガチャと、乱雑な音色。ゴミ箱の中身を音で表現したら、きっとこんな波長になるのだろう、と思った。

 

 ピコン、とメッセージの受信音。濁流のような煩さの中でも、どうしてか、聞き取れてしまう。

 

 不在着信が、三件。

 

 最期のメッセージは、『生きてる? Y/N』。

 

 ぼくはそのメッセージを開いて、『Y』とだけ送った。

 

 未練だ、と思った。

 

「何で遊ぶ?」

 

 ぼくは携帯をしまって、マレウスに問いかける。七色の電光。下品な多重色が、マレウスの横顔を照らす。

 

「そうだなぁ――」

 

 なんて、店内を見回す最中。

 

「あ」

 

 どちらともなく、声を出す。

 

 店内の一角。パーカーのフードを深く被った人影。

 それが――ポケットから、一振りのナイフを、取り出した。

 

 幻想。光の反射。鋼の鏡面が、虹の光を照り返して、まるで魔法のように、煌めく。

 

 ざくり、と。

 

 音が立ったかのような、錯覚。

 振り回されたナイフが、近くにいた子供の首筋を、切り裂いた。

 

「あーあ……」

 

 落胆の声。マレウスはため息をついた。もう、遊んではいられない。

 

 場は騒然。悲鳴と、逃げ去る人の無様な足跡。

 

 死体を前に、その影は泣いている。

 声もなく、ただ、零れ落ちるように。

 きっと、何かがあったのだろう。

 そこに至るまでに。

 そこに辿り着くまでに。

 

 けれどその事情を知ろうとするものは、どこにもいないのだ。

 

 怪獣と同じこと。

 

 人気のなくなった店内で、ぼくとマレウスは、その小さな怪獣の元に近づいていく。

 

 ぼくはそのフードを剥いだ。

 抵抗は、なかった。

 

 若い男。もしかすれば、ぼくたちと同じくらいの年齢かもしれない、気の弱そうな、線の細い青年だった。

 

 彼の瞳は、もう何も映していない。

 怪獣は、もう立ち去って。

 そこには人間が残っていた。

 

 哀れだ。

 

「これはダメだね」

 

 マレウスの言葉に、ぼくは静かに頷いた。

 もしかすれば、仲間なんじゃないかと思った。

 けれど、彼は人間で、だから、耐えられなかった。

 人と化け物の境界は、そこにある。

 

 人には底があり。

 怪物には底がない。

 

 ぼくたちはどこまでも、堕ち続けることができる。

 

 マレウスは小さく指を振る。電灯が落ちて、フロアが薄暗く閉じた。

 雑音は静止。痛くなるような静寂に、悲鳴の残響が脳裏をよぎる。

 

「何か、言い残すことはある?」

 

 ぼくが聞けば、青年は小さく呟いた。

 

「幸せになりたかった」

 

 幸せに。

 幸せになりたかった、か。

 その理由を。

 ぼくは心底、蔑みながら。

 それでもそれを理解できることを。

 できてしまうことを、自覚した。

 

 幸福と、不幸。

 そこに生まれる差異は、なんだ。

 その差異を作る理由は、なんだ?

 全ては全く理不尽で、許せないこと。

 

「それじゃあ、もう、おやすみ」

 

 大丈夫。

 もうこの世界には、幸せな人間なんて、生まれてこない。

 不幸な人間なんて、生まれてこない。

 全ては、ぼくたちが滅ぼすから。

 だから、おやすみ。

 

 カムパネルラ。

 水棲の未熟児が立ち上がって、青年を噛み砕く。

 

 命を奪う感触。

 涙なんて、流れない。

 

「お疲れ」

 

 マレウスが、ぼくを気遣う。珍しい限りのことだ。

 人気の消えたゲームセンターを出る。もうじき、警察も来るだろう。逃げなければいけない。

 

 窓の外を見た。

 

 空には雲がかかっている。

 もう、ずっと長くのことだった。

 

 世界の終わりは穏やかに近づいている。

 

 あの雲の向こうに、もう何もないことを、どれだけの人が気付いているだろう?

 

 逃げ出した人々は、誰も彼も、疑いもしていないはずだ。

 

 だから気付いたのは、きっと彼だけだった。

 彼だけが、世界の正しい姿を見ていた。

 

 世界はもう、滅んでいる。

 それが白日の元に晒される日が、まだ来ていない、というだけのこと。

 

 ぼくたちがそうするよりずっと前から、それは破綻していたのだ。

 

「帰ろうか」

 

 ぼくはマレウスに声をかけた。

 

「一服してから」

 

 そう言って、彼女は同じものを口に咥えながら、ぼくに煙草を差し出した。

 

 平和を謳うには、あまりに皮肉が効き過ぎていたけれど。

 

 ぼくはそれを受け取って、火をつける。

 

 冷たい唐辛子の味がした。

 

 2

 

 大きな地震があって、首都圏の機能が麻痺した。海外では大型のハリケーンが街を吹き飛ばし、時期ハズレの豪雨が都市を沈めた。

 

 先週にはロサンゼルスに隕石が降って、東南アジアでは致死率九十パーセントの疫病が発生。他の地域も、似たり寄ったりの天災ばかりで、テレビは壊れたように悲劇のニュースを垂れ流す。

 

 天災が多発するようになって、人殺しのニュースも増えた。

 

 誰も彼もが、生きていることに価値を見出さなくなったのだろう。元々余裕のなかった人間から順に、身投げするように狂気に犯されて、それが元々あった血と怨嗟を、目に見える形に置き直す。

 

 奇形の鯨が打ち上がったというニュースが、街路のスクリーンに踊っていた。

 

 世界の終わりは緩やかに近づいている。

 

「――カムパネルラだな?」

 

 学校には、もうずいぶん長い間行っていない。守護者(プラスティシ)との戦争が、激化したからだ。

 

「そういう君は、どちら様?」

 

 路地裏から現れた女性は、ダークグレーのスーツを着ていた。縛った髪に、意志の強い瞳。守護者(プラスティシ)。どちらの陣営なのかは知らないけれど、どちらであっても、ぼくには関係のないことだ。

 

「私の名は、真貉(まむじな)暫実(しばみ)

 

 誇れる名があるようで、それは羨ましい限りのことだった。ぼくは冷めた目で彼女を見つめる。

 

「ねえ」

「……なんだ?」

「君はどうして、ぼくと戦うの?」

 

 聞けば、彼女は不快げに眉を顰める。

 

「決まっている。世界を救うためだ」

 

 世界を救う。世界を、救う?

 

 それは一体、どんな意味の言葉だろう。

 

 世界とは、何を指す。

 救うとは、何を指す?

 

 この世の何が、どんな状態になれば、それは世界が救われた、などと呼べるのだろうか?

 

 滅びないだけでは、現状維持。その言葉は正しい。

 

 こんなことは、馬鹿げている。

 

「君に世界は、救えない」

 

 世界を救うなんてことは。

 この世の誰にも、出来はしない。

 

 だから世界は、壊れている。

 初めからずっと、砕けている。

 

 ぼくらがそうする前から。

 ぼくらがそうなる前から。

 

 世界はずっと、救われないまま、朽ちている。

 

 その傷を、誰が癒そうとした。

 その痛みに、誰が寄り添おうとした。

 その苦しみを、誰が止めようとした。

 

 誰も、何も、見えていない。

 

 盲目の群勢。

 

「君に救えるものなんて、一つもない」

 

 意図して、声を出した。それは恵んでやった、ということ。つまり、見下しだ。あるいは失望か。どちらでも、意味は同じになる。

 

 憐れみは、決して対等な相手には向けられない感情。侮辱と同義で、つまりそういう趣向だった。

 

 ぼくはカムパネルラを呼び覚ます。歪な体。未熟な骨格。恥ずかしくなるような、それを。

 

 ひゅららら、とカムパネルラは音亡く鳴いた。輝く鱗が、下劣な光を湛える。殺戮の予兆。

 

「マキャヴェッリ」

 

 呟く声が、鋼の騎士を呼ぶ。虚空より現れた、黒鉄の重騎士。フルプレートのアーマーに、その愚直さを表すかのような真っ直ぐの剣。路地裏の影の中でなおも、ぬらりと煌めく残酷。けれどそれは、ぼくを殺すには、まるで足りない。

 

 世界を救うには、まるで足りない。

 

「人の殺し方を、教えてあげる」

 

 その学びを活かす機会は、きっと永遠に来ないだろうけれど。

 呟いて、翼を広げた。

 

 人に何かを救うことなんて、出来ない。

 人が誰かを救うことなんて、出来ない。

 

 そんな錯覚があったとしても。

 

 それらは全て、非現実。

 

 人が人に与えられるものなど、極僅か。

 その中に救いなんてものは、存在しない。

 

 あるのは、

 痛みと、

 傷。

 

 ただ、そればかり。

 そればかりが、人が人に与えられるもの。

 人が世界に、与えられるもの。

 だから破壊者(ダウナ)は、それを選択した。

 

 与えることを、選択した。

 

 与えられざるものたちへ。

 憐れみと。

 心ばかりの、餞別を。

 

「な――ぜ」

 

 それが最期の言葉になった。

 

 全身を解体された守護者(プラスティシ)を、ぼくは見下す。

 

 穴だらけになった騎士が、錆びた金属がそうなるように、クシャクシャに崩れた。

 

 血溜まりに、人間の残骸だけが、沈む。

 

 与えてやれるものは、もう、ない。

 

「は――」

 

 小さく。

 笑い声が漏れる。

 

 馬鹿馬鹿しい。くだらない。

 これでまた一歩、世界は終わりに近づいた。そのヴェールを止める鋲が、外れた。

 

 これからもずっと、同じことの繰り返し。

 ぼくはため息をついた。

 

 血の匂いが染みつく前に、ぼくはその場から離れようとして、ふと。

 電話が、かかる。

 コール音。番号に、見覚えはない。

 

 ぼくは、電話に出た。

 

『もしもし?』

「……どちら様?」

『あの、私です。シロくんの、彼女の――』

 

 ぼくは、電話を切りたくなった。

 けれど、それを堪える。

 

「――何の用事?」

 

 ぼくに。

 ぼくなんかに。

 わざわざ連絡を取る意味は、なんだ。

 

『あ、その、ごめんなさい……』

「別に、責めてない」

 

 イライラする。コミュニケーションが噛み合わない。

 

「用事を言って欲しい」

『すいません。その、シロくん、そっちにいますか?』

 

 質問の意図が読めない。

 

「いないけれど」

『あ、じゃあ、どこにいるか、知りませんか』

「君の方が、知っているでしょ」

 

 そう返して、けれど、何か。

 嫌な予感が、背筋を這う。

 

『それが、その。今日、本当はデートの予定だったんですけれど、シロくん、来なくて、連絡もつかないんです』

 

 ――。

 ――――。

 

『何か、知りませんか――』

 

 その言葉に、けれど、ぼくはもう構っていられない。

 電話を切って。

 ぼくは――振り向く。

 

「言っただろう」

 

 そこには。

 一人の男が――立っている。

 

 髪も髭も()()()()の、浮浪者のような出立ち。

 

 それは()()()()()変わらずで、擦り切れた、薄汚い茶色のコートを、ローブのようにだらりと羽織っている。

 

 彼は。

 髭に塗れたその口を、引き裂くように歪めた。

 

「後悔するぞ――と」

 

 そしてぼくは、思い出した。

 

 いつだってぼくの人生には、取り返しのつかない失敗ばかりが、横たわり続けてきたことを。

 

 全てが遅くなってから、ようやくぼくは、思い出したのだ。

 





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