カムパネルラの傷跡   作:忘旗かんばせ

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第七章 3

 

 5

 

 会話はなかった。

 

 ただ、不気味な沈黙だけがあった。

 

 夕暮れの帰り道。焼け爛れたような紅に染まるアスファルトを切り裂いて、長く伸びた漆黒の影が、積み重なった罪のようで、吐き気がする。

 

 あの後。ぼくは()()をホワイト・スノウに任せて、目を覚ましたシロを連れて出た。これ以上、あの場に彼を置いたままには、したくなかった。

 

 並び歩く足音は、遅い。まるで焦れるように。噛んで含めるように。停滞するように。逃れるように。時を引き延ばすように、じわりじわりと、蝸牛の歩み。

 

「なあ」

 

 先に口を開いたのは、シロだった。

 

 惑うような瞳。いつもの胡散臭い笑みは消え去って。

 今はただ、子供のように、不安一色の顔色。

 

 そんな顔を、させたかったわけではない。

 ない、のに。

 

 そんな言い訳は、もうとっくの昔に意味を失っている。

 

「お前、何をやってるんだ、一体」

 

 問い詰めるような言葉。ぼくは、けれど口を開かない。開けない。開くことが、できない。

 

「何で、あんなことを」

 

 知らない。わからない。そんなこと、ぼくに聞かないで――脳髄の最も原始的な人格が喚き散らかす。うるさい。黙ってよ。ぼくのくせに、ぼくの言うことを一つも聞きやしない。頭蓋骨をかち割って、引き摺り出してしまいたかった。

 

「何とか、言ってくれよ」

 

 それは祈りに似た言葉だった。己が信じたいものを信じさせてくれという懇願だった。けれどぼくには、それに応える術がない。その願いを叶える力がない。だからもう、どうしようもなかった。だって、そうだろう? どうすればいいかなんて、わからないんだ。もうずっと昔から道に迷って、どこに行けばいいのかもわからない。

 

 導いてくれる人はいなくなって。

 手を引いてくれる人はいなくなって。

 こんなにも近いのに、遠ざかって。

 

 ぼくは一人だ。

 

 だから。

 だからね――

 

「シロ」

 

 ぼくは。

 ぼくは――

 

「ぼくは世界を滅ぼすんだ」

 

 カムパネルラ。

 水棲の未熟児。死産の赤子。叶わなかった願いの遺骸を、だからぼくは、見せつけた。

 

 見て。

 

 見て。

 

 見ろよ。

 

 これがぼくだ。

 

 この有様が、ぼくなんだ。

 

「この世界には、破壊者(ダウナ)という存在がいてね――」

 

 ぼくは全てを語る。

 

 彼に秘密にしていたこと。秘密にしていたかったこと。全部、全て、ぶちまけてしまう。嘔吐するみたいに。射精するみたいに。何もかもを空っぽにしたい。ぶちまけて、穢して、メチャクチャにして、見せつけてやりたい。

 

 もう、そんな醜さしか残っていなかった。

 

「ぼくたちは、世界を滅ぼすために戦っているんだ」

 

 世界を守る守護者(プラスティシ)を殺して。

 世界を形作る人間を滅ぼして。

 空の彼方の星すらも、一つ残らず消しとばして。

 この世界に、幕を引く。

 

「それがぼくの、夢なんだよ、シロ」

 

 ごめんね。

 ずっと、嘘をついていた。

 本当は。

 ぼくは。

 この世界が嫌いなんだ。

 

「何で、何でだよ。そんなこと、今まで一回だって――」

 

 そうだね。

 言っていない。

 君にはそんなこと、言っていない。

 言いたくなかった。

 聞かせたくなかった。

 話したくなかった、

 何もかも、秘密にしていたかった。

 だって。

 

「君のことが好きだったから」

 

 言った。

 言ってしまった。

 

 あーあ、と思う。

 これだけは、言うまいと思っていたのに。

 言いたくないと、思っていたのに。

 そんな軛さえ、もう役立たず。

 全てが壊れてしまった。

 溢れた。

 砕けた。

 

 ぼくの体を。

 

 怪獣が支配している。

 

「君のことが好きだったから、全部、秘密にしていたかった」

 

 ごめんね。

 好きだよ、シロ。

 好きなんだ。

 君のことが好きで、好きで、好きで、仕方がなくて。

 でもそんな君のことさえ、ぼくはもう世界で一番嫌いなんだ。

 

 殺してしまいたいくらい。

 壊してしまいたいくらい。

 滅ぼしてしまいたいくらい。

 全てを無かったことにしてしまいたいくらい。

 

 大嫌いだ。

 

「そん、な――」

 

 知らなかった、と。

 彼は言った。

 

 そりゃあそうさ。

 ぼくは、嘘がうまいんだ。

 君よりずっと、どんな嘘も。

 

 知っていた?

 知らなかったでしょう。

 君は、ぼくのことを何も知らないんだ。

 

 君はぼくを、暴いてはくれなかった。

 ぼくの秘密を、秘密のままに取り置いていた。

 そんなところが好きだった。

 心の中の、触れてほしくはないところに、決して触れない。

 その気遣いが好きだった。

 

 でもね。

 同じくらい。

 同じくらいそれが、嫌いだったんだ。

 

 ねぇ。

 どうして踏み込んでくれなかったの?

 ぼくの心に、土足で踏み込んで。

 踏み荒らして。

 めちゃくちゃにして。

 見つけて欲しかった。

 求めて欲しかった。

 欲して欲しかった。

 

 君はいつも。

 ぼくの本当の願いを、叶えてはくれないね。

 

 ああ、なんて浅ましいわがままだろう。

 いやらしい。

 わかっているんだ。

 わかっているのに。

 何もかもが、止まらない。

 吐き気がする。

 頭が痛かった。

 煙草が吸いたい。

 お酒が飲みたい。

 眠ってしまいたい。

 もう、全てが嫌になっていた。

 

「ぼくは世界を滅ぼすんだよ、シロ」

 

 世界を滅ぼすんだ。

 君が大好きなこの世界を。

 君が大好きなあの人だって巻き込んで。

 全部全部、滅ぼすんだ。

 

 一人残らず。

 一つ残らず。

 

 全部全部殺し尽くして。

 全部全部壊し尽くして。

 

 その罪深さが、わかるかい。

 その悍ましさが、わかるかい。

 

 シロ。

 シロ。

 シロ――

 

「ぼくのことが嫌いになったでしょう?」

 

 彼は。

 絶望したような顔で、ぼくを見る。

 そう。

 それでいい。

 それが見たかった。

 君のその顔が見たかった。

 そんな顔をするんだね。

 ぼくには一度だって、見せたことがない顔だね。

 きっと、ぼく以外の誰にだって。

 そんな顔だけは、しないんだろうね。

 だから、これはぼくのもの。

 これだけは、ぼくのものだ。

 嬉しくなった。

 ぼくはナイフを取り出して。

 それを、彼の手に握らせる。

 

「ぼくを殺してみる?」

 

 ぼくを殺せば。

 もしかしたら、世界は滅びないかもしれない。

 救われるかもしれない。

 元通りかもしれない。

 世界はまだ、続くかもしれない。

 試してみる?

 試してみようよ。

 いいでしょう?

 ほら。

 ほら――

 

「ぼくを殺してよ、シロ」

 

 もう、そんな願いしか残っていないんだ。

 ねぇ、シロ。

 ぼくのことが憎いだろう?

 大嫌いだろう?

 だって、ぼくは君を殺すんだもの。

 君の大切な人を、殺すんだもの。

 この世界の全てを、怖すんだもの。

 そのナイフを、突き立ててよ。

 ぼくは彼の手をとって、刃を、ぼくの首筋に沿えさせる。

 

「殺せるよ、シロ」

 

 今なら、殺せる。

 ぼくは抵抗しないよ。

 これが最後のチャンスだ。

 もう二度と訪れない好機だ。

 人殺しの化け物を。

 破壊者(ダウナ)のエースを。

 世界を壊そうとする、破綻者を。

 殺し尽くせる、唯一の機会だ。

 

「どうしたの?」

 

 彼の手は、震えている。

 彼の目は、震えている。

 戸惑うように。

 恐れるように。

 ナイフは動かない。ぼくの命は、奪われない。

 それは、どうして?

 

「殺さなきゃ」

 

 殺さなきゃ、もう、滅びてしまう。

 世界の全てが、壊れてしまう。

 ぼくは、世界を滅ぼすんだよ、シロ。

 人殺しなんだ。

 破壊者(ダウナ)なんだ。

 怪物なんだ。

 ほら。

 醜い化け物は、退治しなきゃ。

 君も。

 君の愛しい人も。

 全て死に絶えてしまうよ。

 ねえ、シロ。

 世界を守ってよ。

 ぼくを殺して、世界を守って?

 

「――できない……」

 

 泣きそうな声で、彼は言った。

 一度だって聞いたことのない声だった。

 歯を食いしばりながら、彼はナイフを捨てる。

 ああ、そうか。

 そうか。

 君は、ぼくを殺してもくれないんだね。

 ぼくを止めてもくれないんだ。

 ぼくは。

 ぼくは君にとって、殺したいほど憎い相手にさえも、なれないんだ。

 じゃあ、いいよ。

 もういいよ。

 もう、いい。

 

「負け犬」

 

 ぼくは彼を罵った。

 

「所詮きみは、その程度なんだ」

 

 人を殺す度胸もなく、生きている。

 馬鹿馬鹿しい。くだらない。

 そんな様で。

 そんな様でよくもまあ、生きていられるものだ。

 

「どうして、ぼくを殺してくれなかったの」

 

 恨むよ、シロ。

 君のことを恨む。

 ぼくだけじゃない。

 世界の誰もが、君のことを恨むんだ。

 腰抜けの、意気地なしが。

 世界の全てを裏切って。

 ぼくという害悪を、摘まなかったせいで。

 この世界は滅びるんだ。

 

「一生そこでそうしていればいい。何も選べない、無様な負け犬。死んでしまえ。ぼくはもう行くよ」

 

 涙を落とす彼に、ぼくは言葉を叩きつけて。

 翼を広げる。

 カムパネルラ。その骨の翼には、鋼の皮膜が張って。

 未熟児は羽化する。

 現実はもう、壊れかけ。

 だからぼくは、空を飛べる。

 

「バイバイ、シロ」

 

 さよなら。

 君のことが、世界で一番好きだった。

 

 夕陽が落ち、黒紫の帳が降りる。

 瞬く星すらなく、瞼を閉じるように、闇に満ちて。

 

 もう、夜が来る。

 





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