カムパネルラの傷跡   作:忘旗かんばせ

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第九章 1

 

 0

 

 甘く、淡く、蕩けるように。

 冷たく、白く、溺れるように。

 

 1

 

 もう目覚めたくないような気分で、ぼくは眠っている。

 

 新着メッセージはゼロ。ぼくは、一人だ。

 

「――いつまで寝ているつもりですか?」

 

 そんな声がかかったのはベッドのすぐそばからだった。

 

 ぼくは目を覚ます。

 

「――アスモディリア」

 

 枕元に立っていたのは、かつてそう呼ばれた少女だった。丸メガネに、三つ編み。古ぼけた、委員長スタイルとでも言えばいいのだろうか? 真面目一辺倒、という印象を人に与えるのに、比較的効果のあるファッションをしている。

 

 ぼくが呼べば、彼女はむ、と唇を尖らせる。

 

木嶋(きじま)削子(そぎこ)です。今はオフなので、名前の方で呼んでください」

「……そりゃ悪かった」

 

 ぼくは後ろ頭をガシガシとかきながら、ベッドから起き上がる。窓から朝日が差し込んでいた。

 ぼくはそれを背中に受けながら、彼女に問う。

 

「……どこから入ったの?」

「玄関からです」

「鍵は?」

「開けました」

 

 どうやって、という部分を聞きたかったんだけれど、どうやら思いは伝わらなかったようだ。コミュニケーションは難しい。

 

「何の用事?」

「遊びに来ました」

 

 帰ってくれ、と言いたかったが、口には出さなかった。出す意味がほとんど感じられなかった、というのが第一だ。

 

 ぼくが接してきたそれなりの数の人格たちの中でも、ぶっちぎりでイカれている。アポイントメントもなしに人の部屋に勝手に上がり込むような人間とは、未だかつて一度も接したことがなくて、何をどうすればいいのかわからない。

 

「遊びに来た、って言われてもね。この部屋、ゲーム機の一つもないよ」

「じゃあ山手線ゲームでもしましょうか」

「二人で?」

 

 なんていうか、もう、めちゃくちゃだ。

 ぼくはベッドから降りる。

 

「あのさ」

「はい」

「ぼくたちってもう、協力する意味もない関係だよね」

「まあ、意味でいうならそうですね」

「じゃあどうして、ぼくに絡むの?」

「友達だからではいけませんか」

「いけないね」

 

 まずもって、ぼくと彼女は友達ではない。少なくともぼくはそう認識している。

 

「私は友達だと認識しているので、一対一ですね」

「平行線だね」

 

 ぼくは言って、これからどうするべきかを考えた。

 

「とりあえず」

「はい」

「着替えるから出て行って」

 

 あわよくば、そのまま戻ってこないでほしいという願いを込めて、ぼくは言った。

 

 彼女は従ってくれたけれど、残念ながら、願いは叶わなかった。

 

 2

 

 服を着替えた。あまりお気に入りではない服を着たのは、小さな反抗だったように思う。何に対してか、を具体化するのは難しい。多分、ままならない現実に対して、とか、そんな感じだ。つまり、こういうメカニズムが、ぼくを破壊者(ダウナ)にしたのだろう。と思う。遠ざかった今だからこそ、そんなふうに思うのだろうか。

 

「やぼったい服装ですね」

 

 ぼくはもちろん感情をコントロールすることが出来るから、余計なエネルギーを消費することはしなかった。

 

 アスモディリア――木嶋(きじま)削子(そぎこ)はそんなぼくを見て、腰に手を当てる。

 

「いきましょう」

「どこへ?」

 

 そして、どうして君と、とも聞きたかったが、彼女は答える前にぼくの腕を引っ張った。無作法だ、と思ったが、作法に則れば他人をコントロールしても良い、ということにはならないのだから、これはやや的を外した抗議だろう。

 

 部屋を出る。アパートの三階で、エレベーターなんて気の利いたものはないから、階段で下へ降りていくことになる。運動不足の対策としては良好な設備だ。

 

 道路を一台の車が通り過ぎた。

 

 ぼくと彼女は道を歩いていく。頭上には分厚い雲がかかっていて、何だか気温もおかしな調子。暑いとも寒いとも言い難いけれど、兎にも角にも不自然で、居心地が悪いような、これは、世界の崩壊が間近に近づいていることを意味している。

 

 彼女はぼくをどこへ連れていくつもりなのだろう。もしかしたら、処刑台だろうか、と想像した。それだったら、話は早い。抵抗をする気も、もはやない。好きにしてくれればいい、と思う。

 

 けれどぼくが連れて行かれた先は、そういう心地の良いシンプルさがある環境ではなかった。

 

「おいでなすったか」

 

 そんな芝居掛かった言葉でぼくを出迎えたのは、あの時いた六人の天使たちの一人――ベルゼバベリアと呼ばれた青年だった。高い背。洒脱なファッション。顎には髭。染めた短い金髪にはパーマがかかり、ふわふわとランダムにカールしている。柔和な笑みに、鋭い目つき。確か、名前は――

 

冨士(ふじ)崇郎(あがろう)。フジでもアガロウでも、好きな方で呼んでくれよ」

 

 呼び名に困っているのを見越してか、彼はそんな細やかな気遣いをしてくれた。

 

 そう、そんな名前だった。あの戦いでは、最も多くの敵兵力を叩いていた。あの時戦ったスウォームの、三分の一は彼が倒していたように思う。

 

 彼はばしりとぼくの肩を叩いた。

 

「前の戦いじゃあ世話んなったぜ。サンキューな」

 

 今更で、礼を言われるようなこともない。どいつもこいつも、ぼくのことを勘違いしている。いや、勘違いならばまだ良い。見たい虚像を、ぼくという実像の上に被せて見つめている。馬鹿馬鹿しい。そういう妄想がしたいのなら、一人でやっていてほしいな、と思う。巻き込まれる側は、溜まったものじゃない。

 

「……最高幹部が二人も集まって、何の用事なの? 戦闘なら、ぼくは免除されているはずだけれど」

 

 背後から撃たれることを警戒している、ということだろう。もちろん直接的にそんな言葉を言われたことは一度もないが、しかし誰でもその程度のリスクは考える。

 

 内乱は終わり、クーデターはなった。彼らは守護者(プラスティシ)の主流派となり、今は差崎誰が頭目となって、生き残りを束ねている。内乱は終わり、戦いのステージは移り変わった。つまり、対守護者(プラスティシ)から、対破壊者(ダウナ)へ。そのような事情もあって、ぼくのお仕事というのは、もう「何もしないこと」ばかりになっている。

 

「仕事じゃねぇよ。俺たちゃ二人とも休みだって」

 

 彼は言って、拳をサムズアップの形にし、背後を指した。

 

「俺の今日の役目は、メイクアッパー、ってとこだ」

 

 それまで注目していなかったけれど、ぼくはその背後の建物に目をやった。筆記体の、読みづらい店舗名。そこはどうやら、メイクスタジオのようだった。

 

「……ぼくにバイトでもしろって?」

「違ぇよ。逆だ」

 

 逆? と首を傾げる間に、アスモディリア――じゃない。木嶋削子が、ぼくの背中を押す。

 

「ほら、いきましょう」

「何? どういうこと?」

「あなた、今の自分の状態を客観視していますか? 髪も伸びっぱなしで、酷い有様ですよ。せっかく素材がいいんですから、それを活かさないと勿体無いです」

 

 勿体無い、という発想が、ぼくには理解できなかった。通常、それは何らかの余計な物資が無意味に消費されることを揶揄する言葉であるように思う。それでいうのなら、もう今更見せる相手もいないぼくが、容姿に気を配ることの方が、全体的なリソースで見ればよっぽど勿体無いことであるように思った。そういう反論をしようか、とも思ったけれど、もう全てが面倒くさくなって、ぼくは唯々諾々としたがってしまう。

 

 店の中に入れられると、ぼくは鏡の前の椅子に座らされた。店内は白を基調としていて、雰囲気としては、美容院に近い。というより、その機能を内包しているのだろう。

 

 この店はどうしたのだろう? 借りたのか、あるいはまさか、作ったのか? 福利厚生の一環だろうか? 守護者(プラスティシ)は、その辺りにも力を入れていると聞いた。組織的なのだ。

 

「俺、美容師専門学校通ってんのよ」

 

 そう言ったのは、冨士崇郎だった。彼はぼくの背後に立って、ぼくの体にカットクロスをかける。幼稚園児みたいな格好になるのでぼくはこれがあんまり好きではなかった、

 

 彼は続いて、腰のホルスターからハサミを取り出す。普通のそれではない、片方の刃が櫛状になっている、散髪用のものだ。

 

「髪、人にいじられんの()だったりする?」

 

 もうちょっと早いタイミングで聴くべきではないだろうか。ぼくは思ったけれど、それを指摘してあげることはしなかった。

 

「別に」

「オッケー。んじゃ、とびきりカワイクしてやんよ」

「いらない」

 

 ぼくの言葉は届かなかったみたいで、彼はぼくの髪を切り始めた。長く伸びた髪は、もう背中の半分くらいに達している。彼はそれに鋏を入れ、時にはピンで止めながら、形を作っていく。しゃりしゃりと、髪が削ぎ落とされる音。この音は、別に嫌いではない。

 

 髪をちゃんと切るのは、久しぶりのことだった。しばらく前から髪を伸ばし始めて、そのあとは、美容院に行く暇もなくなった。そしてそのうちに、行く理由もなくなった。そう思えば、これはいい機会だっただろう。バッサリと切られてしまえば、諦めもつく。

 

 ぼくは目を閉じた。髪が削ぎ落とされる音だけが響いていく。自分の一部が、切り落とされること。それがこんなに心地よく感じることも、滅多とないことだ。血を流すことと、髪を刻むこと。どちらも自分の一部が無くなることなのに、どうしてその二つは、まるで正反対に意味を持つのだろう?

 

 その答えは、きっと……。

 

 生きているか、死んでいるか。

 

 死んだものは、切り離される。

 それが、集合の摂理。

 

 ならばぼくは。

 ぼくはもうすぐ、切り離される側なのか。

 切り落とされる髪のように。

 ぼくもまた、剪定され……。

 離れてゆく。

 

 悪くない。

 悪くない末期だ。

 

 そう、続くよりは。

 

 だらだらと。

 散漫と。

 意味もなく。

 苦痛に塗れたまま。

 続き続けるよりは。

 

 死んだ方が――ましだ。

 

 なんて、考えているうちに。

 

「いかがですかい、お客サマ」

 

 なんて言葉で、目が覚める。

 眠っていたような、感覚。意識が落ちていたわけではないけれど。

 あるいは飛んでいた、のか。

 どれくらい時間が経っただろう?

 

 ぼくは目を開ける。

 鏡にぼくの姿が映っている。

 髪は長いままだった。

 上半分は丸みを帯びたショートボブ。襟足からは、長く伸びたロングヘア。

 元のぼくとは、随分雰囲気が違う。どこか、水棲の生き物のようなシルエット。

 

「クラゲウルフ、っつーんだぜ」

 

 背後で、冨士崇郎が自慢げにそう言った。

 

「似合ってるじゃないですか」

 

 待合だろうか。客席ではない椅子に座っていた木嶋削子が、こちらへやってきてそう言った。崇郎は「だっしょ?」なんて言いながら、ぼくの肩に手を置く。

 

「ついでだし、ちょっと染めていーか? 差し色あると、映えるんだよ」

「……好きにしてよ」

「あと、嫌じゃなきゃちょっとパーマ当てたい」

「何でもいい」

「……気に入んなかった?」

 

 そうは言っていない。

 ぼくはため息をついた。

 

「悪くない」

 

 そう、悪くはない。

 変わること。嫌いだったこと。

 それも、悪くはない。

 どうしてか、そう思える。

 

「ねぇ」

「うん?」

「どうして、こんなことをするの?」

 

 何の意味があって、彼らはぼくに構うのだろう?

 

「んー、それは後でのお楽しみ、的な」

「意味がわからない」

「ま、別に大した理由はねぇよ。ただ――俺としては、戦友に自分を知ってもらいたかった、ってとこが第一かな」

 

 崇郎はそう言って、鋏をホルスターにしまう。

 

「俺はヘアメイクアーティストを目指してる。別に、でっけー理想があるわけじゃねぇけど――人が理想の姿に近づく手伝いしたいってのが、俺のエゴ」

 

 それを叶えるためにゃ、世界に続いててもらわなくちゃなんなくて。

 

「そのために、俺は戦ってる」

 

 彼は言って、鏡越しに笑った。

 

「私は彼みたいにちゃらんぽらんではないので、でっけー理想があります」

 

 木嶋削子が割り込んだ。

 

「私にはたくさんの友達がいます。私は、彼ら彼女らが笑っているのを見るのが好きですし、泣いているのを見るのが嫌いです。だから、私は彼ら全てが笑って生きれる世界を作りたいですし、そのためには誰くんに付いて行くのが一番いいと判断しました」

 

 だから。

 

「私はあなたにも笑ってほしい。あなたの笑顔が、私はどうしても見たい。今日、あなたを招待したのも、そのためです」

 

 今日一日で、あなたを何としてでも笑顔にしてみせますよ、なんて彼女は自信満々に腕組みをする。全く、傍迷惑な理想もあったものだ。付き合わされる側の身にもなってほしい。

 

 そうこう考えているうちにも、作業は続いて行く。パーマと、カラーリング。二つが済めば、ぼくは見違えるような姿になった。

 

「どーよ?」

 

 鏡越しに、彼は自身げに問いかける。

 

「……悪くない」

「悪くない?」

「……気に入ったよ」

「っしゃ」

 

 彼はニヤリと笑って、小さくガッツポーズ。

 鏡の向こうのぼくは、少しだけ顔を斜めにする。ゆるくカールした横髪。後ろ髪を彩る、青の差し色。今までにしたことがない髪型。中性的で、少し、ガーリィ。彼は、どう思うかな、と思った。もう、考えても意味のないことなのに。

 

「んじゃ、次はメイクな」

「メイク?」

「そ。髪だけじゃ、片手落ちだぜ」

 

 彼は言って、メイク道具を次々と取り出して行く。

 

「ねぇ、いいよ、そういうのは」

「ダメダメ。半端が一番良くないんだぜ。キメるなら、全部バッチリキメとかなきゃさ」

 

 彼は強引に押し切って、ぼくの顔に細工を加えて行く。化粧下地。ファンデーション。コンシーラー。フェイスパウダー。肌に載せられるたびに、自分の姿が変わって行く。アイブロウ、アイシャドウ、アイライナー、ビューラー、マスカラ。目が整えられて、チーク。そして――

 

「口紅、塗らないで」

「どうして?」

 

 嫌なんだ。それは。嫌なことを思い出す。

 

 綺麗になりたかった。美しくなりたかった。振り向いて欲しかった。

 

 母親の、メイク道具の中から、一本のリップを抜き取った。鮮やかなピンクの。それを塗れば、綺麗になれると思っていた。まるで魔法のステッキのように。けれど、鏡に映ったぼくは、ひどく不恰好な姿をしていて――

 

 彼女は。

 ぼくをひどく罵った。

 泥棒。変態。薄汚い、奇形の子。

 悍ましい血の色をした、醜いバケモノ。

 

「大丈夫だよ」

 

 彼は言って、自分の唇を指差した。

 

「実は俺も今、リップ塗ってんだぜ」

「え」

 

 ぼくは思わず、振り返る。その唇には、確かに、天然の人体にはない色艶があった。

 

「化粧ってのはさ」

 

 彼はぼくの目を見ながらいう。

 

「自分を偽るとか、変えるとか、そんなもんじゃなくて、自分のなりたい姿、本当の姿を見つけ出すためにあるもんだと、少なくとも俺はそう思ってる」

 

 彼はぼくを見ながらも、同時に自分自身にも言い聞かせるように、淑やかに語った。

 

「どんな人間にも理想の姿があって、それに至ろうとする自由は何人にも制限されていいものじゃない。風習、風評、風潮、そんなもんはクソ喰らえさ。目的で考えればいい。髪を切るのも服を着替えるのも、理想の姿に近づく手段の一つだろ。それらは良くて、メイクはダメか? その差異ってなんだ? 平等に、手段なのにさ」

 

 彼は言って、小さく笑った。

 

「肉体に、どれほどの価値がある。永久不変なものなんて一つとしてなくて、いずれ全ては塵になる。なら今一時、その上に絵筆を載せることが、何の罪にあたるのかっつー話だよ。そんなのにこだわるのは、時代遅れだ。肉体なんて、代替可能な外套でしかない。大事なのは魂の形だろ。それに近付くための、手段の一つさ」

 

 彼は言って、リップを手に取る。かつて夢を抱いた、桃色の。

 

()()()()使()()()

 

 お前に魔法をかけてやる。

 彼は言って、ぼくの唇に紅を引く。

 

「ほら、見てみろ」

 

 鏡の向こうには、見たこともないぼくがいた。いや、それはぼくなのだろうか?

 宝石を散りばめたような、鮮やかな(かんばせ)

 妖精のようだ、と思った。子供の頃、そんな姿を夢見たことがある。妖精には、性別がない。男も女も何もなくて、どんな姿にも自由になれる。

 けれどぼくはどうしようもなく人間で、それは叶わなくて、叶ってはいけなくて、夢は破れて、そのはずなのに。

 どうして、いまさらになって。

 

「素敵ですよ、カムパネルラ」

 

 木嶋削子はぼくに言う。

 

「しかしこれでは、衣装が片手落ちですね?」

 

 彼女は言って、ぼくの手を取る。

 

「次へ行きましょう」

 

 3

 

「や、ようこそ」

 

 そんな気軽な言葉でぼくたちを出迎えたのは、あの時にいた六人の天使たちの一人――サタナエリアと呼ばれた少女だった。

 

「久しぶりだね、カムパネルラ。あの時は、助かったよ」

 

 赤色のインナーカラーが特徴的だった。ピアスが多い。涙袋を強調するメイク。今時の、なんて言葉が脳裏をよぎる。

 

 彼女はぼくたちを手招く。その先は――アパレルショップだった。

 

「三人目?」

「ええ。いいでしょう?」

 

 彼女は言うけれど、何がいいのか、全く理解が及ばない。こんなのでいいのか、なんて無意味な焦燥感、どの立場からの心なのだろう?

 

 ぼくは小さくため息をつく。恥ずかしいような気分。

 

 駅前の再開発地区。そこに新たにできたビルの一つ。その一回が、そのアパレルショップだった。色とりどりの衣装が所狭しと並べられた店内。モノトーンを基調とした建物には、衣装たちが良く映える。

 

「素敵なお姫様だ」

「そういうおべっかは、嫌い」

「おっと、それは失礼」

 

 口を抑える彼女。わざとらしい仕草。

 視線を逸らすようにして、ぼくは言葉を変えた。

 

「ここは、君の店なの?」

「君、なんて言葉では呼ばず、どうか善架と呼んでほしい。苗字の方は嫌いでね」

 

 彼女はそう言って微笑んだ。

 

「そして、質問に対する答えはNOだ。いくら私とても、まだ店を持てるような立場ではない。ただのバイトさ。将来は、自分の店が持てればいいとは思うけれどね」

「彼女は、我々の中では一番のおしゃれ番長なので」

 

 古い表現で、少しおかしかったが、意味はわかる。彼女の纏う衣装はアパレルブランドの店員という枠組みを超えて、最先端でファッショナブルだった。

 

「さて、お客人、今日はどんな衣装がお望みかな?」

「別に、望むものなんて――」

「とびっきり素敵で可愛い衣装をお願いします」

 

 横から、木嶋削子が言った。

 

「あのさ、何か勘違いしているみたいだけれど、ぼくは――」

「カムパネルラ。怯える必要はありません」

 

 彼女は言って、ぼくの手を握った。

 

「あなたを否定する人間なんて、ここにはいませんよ」

 

 だから、自分を殺さないで。

 なんて、馬鹿馬鹿しい言葉。ぼくがいつ、自分を殺したと言う。ずっと、自由に生きてきた。ぼくは、誰にも囚われてなんか、いない。

 

「それじゃあ」

 

 彼女は、ぼくの目を見つめる。黒い眼の内側に、ぼくの姿が映った。輝くような首から上に、野暮な服装。まるでチグハグで、それは。

 

「あなたは、どんな服が着たいんですか?」

 

 ぼくの心の中身みたいに。

 ぼくは。

 ぼくは――

 店の中央の展示台に、靴が並べられていた。白色の、ハイヒールが目に映る。

 すぐに目を逸らすけれど――

 

「ハイヒールは」

 

 苗字は嫌いだと言った善架は、その靴を手に取る。

 

「最小のドレスだ、と、私はそう定義する」

 

 彼女はそう言って、それをぼくの前に持ってきた。

 足首に花の装飾が纏う、美しい靴。

 

「ドレスの役割は、人間をより高いステージに導くこと。それは物理的な意味ではなく、精神的に」

 

 ドレスを纏う時、人はいつだって必ず、()()()()()()()()()()()()

 と、彼女はそんなふうに語った。

 

 人気のない店内。ぼくは椅子に座らされる。やぼったいスニーカーと靴下を脱がされて、素足のまま。

 

「人はいつだって、己の人生の主役だ。だというのに現実の抑圧が、それを忘れさせようと必死になる。偽物の法則が人の自由を縛り上げて、主役の地位から引きずり下ろし、お前は脇役なのだと洗脳する。そうして道を踏み外させて、二度と戻れなくさせてしまう」

 

 だからこそ。

 彼女は言葉を続ける。

 

「ハイヒールは、道標なのだ。その高らかな踵が、己の歩むべき道を思い出させる。自分こそが人生の主役であることを思い出させ、現実のくだらない抑圧が足を引くことを防いでくれる。輝くばかりのお守りなのさ」

 

 彼女はぼくの足に、その靴をあてがった。

 トゥキャップの内側につま先が収まり、カウンターが踵を受け止める。ストラップが留められれば、ぼくの足は、白く彩られた。

 サイズは、ぴったりだ。

 

「立ってみて」

 

 ぼくは立ち上がる。一歩、二歩と歩いて、少しふらつく。

 

「歩き辛いよ」

「それは、初めて履いたからだ」

 

 すぐに慣れるさ、と言って、彼女はぼくの手を引く。

 

「これに合う服を誂えよう」

 

 彼女は言って、ぼくを店の奥に連れて行く。導かれるままに、ぼくは手を引かれた。目眩く、色とりどりのヴェールを超えて。

 

 どうして、いまさらなのだろう。

 ぼくは思う。

 

 ずっと昔に、こんな夢を見た。それが叶ってほしい時には、決して叶わなかったくせに、いらなくなった後にいまさら、お仕着せのようにやってくる。

 

 ぼくの体に触れる布が、ひどく煩わしく感じて。

 

 ぼくは、目を閉じた。

 





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