カムパネルラの傷跡   作:忘旗かんばせ

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第九章 2

 

 4

 

「――綺麗ですね、カムパネルラ」

 

 ここからは一人で、と送り出された。

 その先に待っていたのが差崎誰だったのは、だから驚くべきこととは言えなかった。

 

「素敵だ」

「そういうおべっかは――」

「おべっかなんかであるものですか」

 

 彼は言って、くすりと笑った。

 

「心の底からの感想ですよ。見惚れるようだ。カムパネルラ。あなたは美しい」

 

 その言葉に、ぼくはどう返していいかわからない。怖い。不安だ。気持ちが悪い。

 もう帰ってしまおうか、と思って俯いて。

 

 彼が、背伸びをするように。

 ぼくの唇に、口付けを授けた。

 

「証拠にはなりませんか?」

 

 ……嫌いだ、と思う。

 彼は、ぼくの心に踏み込んでくる。安心を与えようとしている。その挙動が、信頼ならない。信頼できない。したくない。

 

 ハイヒールを際立たせる、タイトシルエットの黒のスキニー。青いシャツに、黒のニットカーディガン。耳には、猫のピアス。

 

「背が高いから、似合ってないでしょ」

 

 ぼくが言えば、彼は首を振る。

 

「そんなことはありませんよ。とてもよく、似合っています」

 

 びっくりしてしまいそうなほど、とびきりの笑顔。

 彼は言って、ぼくと手を繋いだ。手慣れている。

 彼はそのまま歩き出した。

 

「初デート、ですね。気合いを入れてきてくれたのですか?」

「入れさせられたんだ」

「ああ……なるほど。あの子達を怒らないであげてくださいね。彼女らなりに、あなたと仲良くなりたいんですよ」

「逆効果だよ」

「本当に?」

 

 彼はくすりと笑って見せる。憎たらしい。

 

「カムパネルラ。あなたには今のその姿の方が、以前よりもずっと、よく似合っている」

 

 私は、今のあなたが好きですよ、と。彼はそう言った。

 

「前のぼくは嫌いだった?」

「もう、すぐにマイナスに取る」

 

 彼は言って、ぼくとの手の繋ぎ方を変えた。指を絡めとるような、恋人繋ぎ。

 彼とは一度だって、しなかった。

 

「私が一番乗り、というわけだ。嬉しいです」

 

 彼は言って、微笑んで見せる。意味がわからない。

 

「君はさ」

「はい?」

「ぼくのことが好きだ、という」

 

 だけれど、それは。

 

「それはぼくを、味方につけるための嘘だろう?」

 

 いまさら、それをしたって、もう意味のないことじゃないか。

 もうすでに、目標は達成されている。

 ならばこれ以上、ぼくを懐柔する意味なんて、どこにもない。

 

「嘘なんて吐きませんよ。以前の言葉で誤解されているなら、悲しいことです」

 

 彼は言って、にっこりと笑った。

 

「私はね、カムパネルラ。あなたのことをずっと見てきたんです」

 

 その言葉に、何か引っ掛かるものを感じる。奇妙な違和感。そう、それは――

 

「ずっと」

 

 その一文。

 

「私はね、カムパネルラ」

 

 彼はどこか遠くを見ながら言った。

 遠く。遠く。

 空の向こうを見つめながら。

 

()()()()()()()()()()()()

 

 遥かな未来の、滅びゆく世界における覚醒者ではなく。

 

 ()()()()()()()()()守護者(プラスティシ)()()()、と。彼は言った。

 

「ずっと、()()()()()()()()()()()()()()を、お教えしましょう」

 

 心臓が跳ねる。魂が揺れる。やめてほしいと叫び出しそうになる。背筋が汗ばんで、目の前が眩む。

 

 けれど彼は何の躊躇いもなく、その残酷を口に出した。

 

()()差崎(ささき)詩郎(しろう)()()()()

 

 それは。

 それはずっと危惧していた可能性だった。

 

 初めは、子孫なのだと思った。彼の子供か、あるいは孫か、そのレベルの血縁なのではないか、と。

 

 だからこそぼくは、差崎誰を誰よりも殺したかった。

 

 しかし、ああ。

 

 彼がこの街に潜伏するという道を選んだ時点で、その予測は最悪の先を描いた。

 

 ()()()()()()()。その話を一度だけ。聞いた覚えがあった。

 

「あなたは私のことを、覚えてもいないでしょうが」

 

 ずっと昔に一度だけ、出会ったことがあるのですよ――と。彼はぼくにそう言った。

 

「その時から、私はあなたに惚れていた」

 

 好きだったんですよ、カムパネルラ。

 あなたのことが――誰よりも。

 

「信じて、もらえますか?」

 

 彼は――笑顔を消して。

 不安そうな瞳で、ぼくを見た。

 

「――信じるよ」

 

 信じる、信じるということの、馬鹿馬鹿しさ。

 人間は、この世の全てを信じる以外の形によって認識することはできない。

 目の前にある全てが不確かで。

 だから何かを信じないと、生きていけない。

 あるいは。

 信じてもらえなければ、生きていけないのだ。

 

「よかった」

 

 彼はほうと息を吐く。安心のジェスチャー。ぼくに同じことは、できそうにない。

 手のひらから伝わる温もりが、気持ち悪かった。死人に息を吹き込もうとするみたいな、虚しい暖かさ。

 しばし無言のまま、歩く。

 

「ああ、ここです」

 

 駅前から少し離れた、商店街の一角で立ち止まる。

 辿り着いたのは、洋菓子専門店だった。喫茶店が併設されていて、作りたてのお菓子を楽しめる趣向らしい。

 

「次は甘いものを、と約束しましたからね」

 

 少なくとも肉や魚よりは、嬉しい。だからぼくは、何も言わなかった。

 彼に導かれて、席に座る。庭が見えるテラス席。白い椅子に、クロスの敷かれたテーブルを挟んで、向かい合って腰掛ける。

 

「ごきげんよう、カムパネルラ」

 

 水とメニューを運んできた店員がそんなことを言うものだから、ぼくは少し驚いた。

 見れば、それは見覚えのある青年。

 

二階阿(にかいあ)鈴人(べると)。同胞の内にては、レヴィアティリアの名を戴いております」

 

 銀縁の眼鏡。オールバック。タイを締めたフォーマルな給仕服が、よく似合っている。

 あの時にいた、天使たちの一人。これで四人目、だ。

 

「……何が目的なの?」

「それはもちろん、お客様に最高のひとときを味わってもらうことでございます」

 

 そういって、彼は一礼を残し立ち去っていった。

 そういうことが聞きたいわけでは、なかったのだけれど。

 

「言ったでしょう。あなたと仲良くしたいんですよ。みんな」

「……どうして?」

 

 ぼくは尋ねる。そんな風にされる理由は、どこにもない。ぼくと仲良くして、彼らにどんな得がある。どんな利がある。全く理解できなくて、だからこそ、恐ろしい。

 

「利があるとか得があるとか、そんなことで人間関係は動きませんよ。ただ、我々にとって、()()()()()()()()()()()()()、と、ただそれだけです」

 

 彼は言った。

 そんなわけが、ない。それとも、そういう期待をかけているのか? だとするのなら、的外れだ。ぼくに、それに応える能力はない。

 ぼくが俯いていると、彼は呑気に「どれにします?」なんて聞いてくる。

 

「じゃあ、これ」

 

 ケーキセット。スタンドに所狭しと季節のケーキが積まれたそれはこの店で一番高価なそれで、価格は一万円近い。ほとんど嫌がらせで言ったのだけれど、彼は笑顔で「では私も同じものにしましょう」なんて言う。

 

「……一人で食べ切れる量じゃないよ、これ」

「え、そうですか?」

「少なくとも、ぼくは手伝ってもらわないと、無理」

 

 言えば、彼は小さく笑う。ああ、なんだか全てが逆効果だ。

 机に置かれた小さなベルを鳴らすと、もう一度先ほどの店員――二階阿鈴人が現れた。

 

「このケーキセットを一つと、飲み物は?」

「紅茶。ストレート」

「茶葉はいかがなさいましょう」

「選べるの?」

 

 聞けば、リストが見せられる。好みの茶葉があったので、ぼくはそれを頼んだ。

 

「私も同じものを」

 

 言って、差崎誰はメニューを閉じる。

 鈴人がそれを回収していった。

 風が流れていく。不思議と、寒くは無かった。

 よく手入れの行き届いた庭には、山茶花が咲いている。

 しばらくすると、またも同じ彼が、ケーキスタンドと紅茶を台車に乗せて運んできた。

 手際よく、それらがシルバーと共に並べられていく。

 ぼくは思わず口を開いた。

 

「君も、バイトなの?」

 

 さっきの記憶が残っていたから、そんなことを聞いてしまった。

 

「いいえ。私は、ただの手伝いです」

「手伝い?」

「実家なので」

 

 ああ――家族経営なのか。

 

「いずれは、私が継ぐことになるでしょう」

「そのために、戦っているわけ?」

「そう言えたら格好もつくのですがね。友達がそちらにいったので、成り行きで、というのが、正直なところです」

 

 彼は肩をすくめていうけれど、そちらの方がよっぽど、理解できる理由であるように思えた。そんな風に思う、思ってしまう自分自身に、驚いた。

 

「時に、カムパネルラ」

 

 彼は立ったまま、ぼくの目を見た。

 

「あなたはなぜ、戦っておられたのですか?」

 

 その言葉に、ぼくは。

 ぼくは――

 

「ぼくは、この世界が、嫌いだったから」

 

 嫌いで、嫌いで、仕方がなくて。

 自由になりたかった。

 解き放たれたかった。

 何もかも全部、無かったことに、したかった。

 だから、ぼくは戦っていた。

 

「その気持ちは、少しだけわかります」

 

 彼は言って、寂しげに微笑んだ。

 

「実をいうと」

 

 そのタイミングで、彼は少しだけ声を細め、唇の前に人差し指を立てる。口外しないでくれ、というおねだりのジェスチャーだ。

 

「私は、家業を継ぎたくはないのです」

 

 内緒ですよ。

 そういって、彼は立ち去っていった。

 

「……彼は」

 

 ポツリと、つぶやく。

 

「家族仲が悪いの?」

「そういうわけではないようですが、一人。彼よりも学業面で優秀な弟さんがいらっしゃるらしいです」

 

 ああ、そういう理由か。

 嫌いではない。嫌いではないことが、苦痛。そういう世界もまた、存在する。

 愛おしいこと、煩わしいこと。縛られること、すり減ること。

 全ては同根の苦。

 

 一瞬。

 ぼくがこの店を焼き尽くしてしまえば、彼は救われるだろうかと考えた。

 

 けれど、そうではない。そうではないのだ。人は人を救えない。それが絶対の真実。救いたい、というのは、傲慢の極みの欲望。それで救われるというのならば、とっくにやっているだろう。だから彼がこの道を選んだのは、彼には大切なものが複数あって、それを全て守るためには、自分自身を手放さざるを得なかったということ。

 

 それは間違いなく悲劇だ。

 その自己犠牲を尊いものであるかのように語ることは、許される行いではない。そんな風に、まるでポルノのようにそれを消費して悦に浸るのは、品性下劣の悪徳だ。だから、その選択に与えられる最後の一つは、悼むこと。悼んで、同じように涙を流すこと。それだけが唯一、ぼくたちに許される最後だ。

 

 悲しい、という思いは、諦めの先にだけある。

 

 そのメカニズムそのものが、ただひたすらに、悲しかった。

 

「カムパネルラ」

 

 囁くような、優しい声色だった。

 

「だからこそ、我々は世界の形を変えたいんですよ」

 

 彼は言う。

 ああ、そうか。

 だからこそ、彼は。

 差崎誰に、惹かれたのか。

 

「人は、自由になれるかな」

 

 ただ、生きなくても良くなるというだけで、それができるだろうか?

 生きていなければ、彼は救われるのだろうか。このジレンマから解き放たれるのだろうか。

 

 そうであればいい、と、祈る。

 祈ること。それしかもう、ぼくに出来ることはない。

 

 全ての選択権を、ぼくは手放した。

 鳥籠の鳥。それが今は、酷く心地良い。それはどうしてだろう。

 あんなにも嫌だったことなのに。

 どうして、ぼくは?

 

「カムパネルラ」

 

 その呼びかけに、はと正気を取り戻す。

 彼はケーキの一片をフォークで掬い取って、ぼくに差し出していた。

 

「はい、どうぞ」

「……ぼくに、どうしろって?」

「あーん、してください」

 

 正気だろうか? いや、正気でなく、こんなことはできない。

 

 差し出す、というのは、正気の人間にしかできないことで、だからこそ、悲劇なのだ。

 

 仏教の世界には、三尺三寸箸という逸話がある。地獄でも極楽でも、死者は同じように一メートル以上もある長い長い箸で食事を取らねばならず、地獄のものは自分の口に食事を運べないので痩せ細り、極楽にいるものは互いに食事を食べさせ合うがゆえに飢えとは無縁であるという。

 

 なんとも悍ましい話ではないか。

 

 極楽とは、すなわち人の理想世界だ。人は理想の内側に、互いに助け合うという価値観を内包しようとした。それ自体が、どれほど残酷で醜いものであるかも知らずに。

 

 押し付け合うことの、何が極楽だというのだろう?

 束縛されあい、他者がいなければ生きていけない世界。それこそ地獄の本懐だ。

 

 だからこそ、ぼくは、差し出されたそれを、口に入れた。

 

 冷たいイチゴと、柔らかなクリーム。

 

 あの日と同じように。

 

 ぼくはもう、地獄に足を踏み入れたのだ。だからこれは、ぼくにはお似合いの罰だった。

 

「美味しいですか?」

「うん」

 

 問われて、頷く。

 

 どうしようもないほど、どこまでもひたすらに甘くって。

 

 苦味の一つもないことが、いかにも罪の味だった。

 





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