カムパネルラの傷跡   作:忘旗かんばせ

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第十章 1

 

 0

 

 which do you choice ?

 

 1

 

 冴継(さえつぎ)次々(じじ)法崎(ほうざき)貴嶺(たかね)は同級生なのだという。

 

「ついでに言えば、鈴人(べると)もね」

 

 二階阿(にかいあ)鈴人。彼が言っていた友達、というのが、彼ら二人だった。

 

 駅前、昼下がりの待ち合わせ。空は鈍色。通行人は、まばら。

 

 ぼくは彼らと共に、遊びに出ていた。

 異常気象は日常になって、本当なら冬の季節に、もう夏並みの気温の日が混じるようになった。

 世界の滅びは近づいている。

 

「……こんなことをしている余裕はあるのかな」

 

 問いかける。なぜそれを言いたくなったのかは、ノットファウンド。

 

「さあ? 少なくとも、誰くん的にはOKみたいだし、良いんじゃない」

 

 ゆるくウェーブのかかった茶髪。法崎貴嶺は名前に反して気さくにいった。

 

 トップである彼がそう判断する理由をつかめていないのは、不安にはならないのだろうか。ぼくは思うけれど、口を挟むようなことではない。ぼくは彼らの味方というわけではないのだ。

 

 しかし、ならば。

 ぼくは彼らの、何なのだろうか。

 

「鈴人も手伝い終わったら来るって」

 

 携帯を見ながら、やや背の低い黒髪の青年、冴継次々が言う。

 

「よしゃ。じゃ、先いってよっか」

 

 貴嶺は歩き出す。行き先は決まっていたから、どこへとは聞かない。ただ着いていくだけだ。

 

 駅前。再開発が行われている側とは逆の、古びたビル群の一角。そこに格安のカラオケボックスがあって、ぼくは彼と良くそこを利用していた。そういう場所に彼らを導くことは少しだけ抵抗があったけれど、もうお綺麗ではない場所に彼が近づく理由もなくなっている。だから、すれ違うことさえありえない。そう考えれば、気も楽だった。

 

 ハイヒールを履いて、歩く。それももう、随分慣れたことのような気がする。

 

 化粧をするようになった。ピアスを隠さなくなった。

 

 小さな変化は、けれどやっぱり大きくて。

 ぬるま湯に毒される。

 

「おーい、大丈夫?」

 

 目の前で手を振られて、ようやくカラオケボックスに到着していることに気付いた。

 

「ごめん。入ろうか」

 

 今時押しボタン式の自動ドアを潜り抜けて、ぼくらは中に入る。受付を済ませて、部屋へ。

 

 決して綺麗とは言えない個室だけれど、彼らはなんの文句も言わなかった。

 

「何歌う、何歌う?」

 

 弾んだ声で聞いてくる貴嶺。

 

「君らから先入れなよ」

「えー、カムパネルラが歌うとこみたいなー」

「俺も俺も」

「あとでね」

 

 ぼくは言って、足を組む。聞く姿勢。途中で、店員が飲み物と軽食を運んできた。ワンドリンク制ではないのだけれど、不思議なことに、ここの軽食は悪くない味がする。古びても取り壊しにならないのは、それが秘訣なのではないかと推測されていた。

 

 冴継次々は歌がうまかった。法崎貴嶺は、あえて言及しない。それを答えとする。

 

 ぼくは控えめに二、三曲だけを歌った。評判はそこそこで、貴嶺は大喜びしていたけれど、彼女はずっとそんな調子だったからどのくらいお眼鏡に適ったかはわからなかった。

 

 そうこうしている内に、二階阿鈴人が現れる。

 

「お先」

 

 ぼくが言えば、彼ははにかんで片手を上げた。

 

「遅くなりました」

「お疲れ様」

「お疲れー」

「どうもどうも」

 

 ねぎらいの言葉もそこそこに、彼はマイクを握る。

 

「アアァ――――――!!!!」

 

 選曲はヘヴィメタル。……意外と言えば、意外だ。

 

「楽しいね」

 

 鈴人のシャウトが響き渡る中、貴嶺がぼくに言った。

 

 楽しい。

 楽しいって、なんだろう?

 

 苦痛の反対を、そう名付けたのだろうか? 摩擦が無ければ、それが楽しいということか。それならば、永遠に孤独でいることが、最も楽しいことのはず。

 

 けれど、ぼくらは今そうではない。

 

 目の前に、他者がいる幻想を見ている。それが、楽しいということか。本能的な高揚感? 同じ目的を、複数人で共有する。それだけのことが、楽しさか?

 

 そうではない。そうではない、と思いたい。

 そう思いたいのは、なぜだ。

 

 何が恐ろしい。

 本能ではいけないのか。

 いけないのだとすれば、ならば何を求めている。

 ぼくたちは今、何を得ている。

 

 二階阿鈴人の熱唱に、冴継次々がコールを入れている。ぼくたちはその光景を眺めている。誰もが同じ空間にいて、けれどぶつかり合っていない。

 

 ただ、時間と空間を共有している。

 それができるのは、なぜだろう。

 それを嫌だと思わないのは、なぜだろう。

 

 もしかして……。

 何も与えていないからか。

 そういうことなのか?

 お互いに何も与えずに、ただそこにいることを認める。

 それだけが。

 それだけを許されることが。

 楽しさなのだろうか。

 

「――センキュー!!」

 

 乗りに乗った鈴人が、歌い切った勢いそのまま叫んで、ぼくは笑った。

 

「おかしいね」

 

 こんなふうに笑うことは、久しぶりだ。どうして、笑いたくなっただろう?

 

 与える、というのは、傲慢。欲しいものだけを選び取る。お互いに、それだけでいい。そう、それだけでいいのだ。

 

 それができることを。

 

 楽しい、と表現したりする。

 

 2

 

 半袖のシャツは着たくない。だから暑くても、ぼくは長袖のシャツを着る。

 

 今日は三十度を超えると聞いた。本当なら、まだ雪が降ってもおかしくないような時期だ。

 

 空色のハイヒールを履いてきた。

 最小のドレスが、ぼくを持ち上げている。

 

「こんにちは、カムパネルラ」

 

 差崎誰。彼はぼくの姿を見て、すぐに笑顔になった。

 

「今日も綺麗ですね」

 

 よく似合っています、なんて褒める言葉は、さて何度聞いただろう。

 彼はぼくに手を差し出して、ぼくはそれを受け入れる。

 手を繋いで、歩く。

 

「戦局は、悪いんじゃないの」

「いいえ、そうでも」

 

 そうなのか。この有様でも、まだ?

 問いかけるが、彼は微笑むばかり。

 答えの代わりに、呟かれる。

 

「我々が求めるのは、単純な勝利ではありませんから」

 

 破壊者(ダウナ)との融和。まだ、その理想を捨ててはいなかったのか。

 いや、捨て去れるような理想であるのなら、初めから抱くことはしないだろう。ならば、それは当たり前のことだ。

 

「うまくいく?」

「行かせますよ」

 

 彼はぼくを見ない。

 不意に、酷い不安がぼくを襲った。

 

「手伝おうか?」

 

 口に出してから、ぼくは驚いた。

 そんな言葉が、自分から飛び出すなんて、あり得ないことだろうと思っていたのに、どうして、いまさらになって?

 

 驚いたのはぼくばかりではなかったみたいで、差崎誰もまた、いつもは柔和に閉じた顔を大きく歪め、目を見開いている。

 

「ありがとうございます。でも――不要ですよ」

 

 彼は言って、その顔をいつもの微笑みに戻した。

 

「あなたは、何もしないでください。その方が、ええ。助かります」

 

 そうか。

 まあ、そうだろうな、と思う。

 いまさら裏切り者がのこのこと顔を出したところで、逆効果にしかならないだろう。

 あとは、彼を信じるしかない。

 

「今日は、楽しいことをしましょう」

 

 彼は言った。話はおしまい、という露骨なアラート。赤信号を渡れるほどの強さは、ぼくにはもう残ってはいなかった。従って、立ち止まる。

 

 どこか、致命的な何かが、腐り落ちている。

 それを強く自覚しているのに、もうどうにもならない。

 

 いや、どうにもならない、のではない。どうにも、したくないのだ。

 

 疲れ切っている、という感覚に似ている。それはもう、この場から動きたくない、という思い。自分自身の首に、鎖を巻いてしまった。

 

 以前、ぼくはもっと強かったように思う。

 強かった。孤独だった。爛れていた。傷んでいた。

 重しがないことが、人に空を飛ばせる。

 

 ぼくは今、空を飛べるのだろうか?

 

 不安にならなければいけない、と、小さくなった炎が残された力を振り絞って火の粉を散らす。けれどもう、周りには燃え滓ばかりが残っていて、火の粉は落ちて消えてしまう。

 

 誰かが恨みがましくぼくを見つめている。

 

 それはぼくだ。すでに死んでしまった、ぼく自信。それは心の底に横たわる醜い死体。それが新しいぼくを酷く憎んで、けれどもの言えぬまま腐ってゆく。どうしてこんな様になった? わかっている。そんなことは知っている。水は高きから低きへと流れる。いくら止めようと手を伸ばしたって、指の隙間を伝って落ちていくのだ。

 

 ぬるま湯がぼくを腐らせた。

 

「カムパネルラ?」

 

 いつのまにか、ぼくは立ち止まっていた。

 その呼び名は、誰を呼ぶ言葉だった?

 

「大丈夫」

 

 意味のない言葉を吐いて、ぼくは再び歩き出す。

 深呼吸をした。

 空を見上げた。分厚い雲の向こうに、赤い空が見える。

 

 かつて、ぼくが息をできるのはその場所だった。今は、どうだ?

 

 かつてぼくたちは水棲の生き物だった。息をできるのは水の中だけで、陸は死の世界だった。けれどいつしか、海の中を追われたものたちが、鰓の代わりに肺を得て、陸を己の世界とした。

 

 それは素晴らしいことのようで、けれどぼくらはもう二度と、鰓を取り戻すことはできないのだ。

 

 それは一つの悲劇。

 

 全ての存在は、いつだって失うことしかできない。

 

 赤子が生まれる瞬間泣き叫ぶのは、失ったからだ。

 母の胎内という安寧を。羊水に満たされた己の世界を。

 失って、壊されて、そして穢れた世界に、引き摺り下ろされる。

 それが生まれるということ。

 

 生まれたものは、もう二度と、その前には戻れない。

 生きていなくても良い頃には、戻れない。

 水は高きから低きに流れる。

 

 ぼくは。

 ぼくは重力に惹かれている。

 

「ねえ」

「どうしました」

「キスをして欲しい」

 

 こんな言葉を、言えるようになった。

 

 言えるように、なってしまった。

 

 唇が触れ合う。湿り気と、温度。ちゅ、と恥じらうように音が立つ。

 

 馬鹿馬鹿しい代償行為。

 

 けれどもう、それに縋ることしか、ぼくにできそうなことはなかった。

 

 半袖のシャツを、いずれ着れるようになるだろう。

 

 それが少しだけ、物悲しい。

 

 翼が崩れていく。

 

 ぼくはもう、空を飛べそうにない。

 





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