カムパネルラの傷跡   作:忘旗かんばせ

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第十章 2

 

 3

 

 雲が晴れて、赤い空が露わになった。

 

 世界の終わり。

 

 それが誰もの目に晒されて、世界は死滅を迎えていた。

 

 異常気象、災害、人心荒廃。連日連夜報じられる悲劇の連鎖。誰もが終わりを予感していて、けれどそれに対して何もできない。

 

 獣の遠吠えのようなアラートが鳴り響いた。

 世界震の前触れだ。複数人でより集まり、自我を強く保てとアナウンスが叫ばれる。

 

 現実に奔る罅。それを世界震と呼ぶ。物理的なそれではない、概念災害。存在そのものを揺るがす振動は、人の現実定義を破壊する。対処法として、気を強く持つこと、集団でつながり合うこと、その二つが推奨されているが、どれも効果を低減する程度で、毎日のように己の存在を失った喪失者が出ていて、誰もが次は自分なのではないかという不安を抱えて日々を過ごす。

 

 この世の地獄だ、と誰かがいった。あるいは、これこそが終末だ、とも。ただ誰もが、その原因には触れなかった。知らないのだ、誰もが。世界を滅ぼすために戦った誰かがいるなんてことは。

 

 学校は閉鎖になった。新着メッセージはゼロ件。けれど、彼の無事だけは確約されている。そこに不安はない。愛は、人を現実に定着させる最も強い鎖だ。

 

 アラートが鳴り響く中、ぼくは外に出た。家の中にいても、外にいても、そう変わらない。

 

 ぼくはポケットに手を入れる。そこには何もない。

 

 随分前から、煙草は吸わなくなった。

 

 赤い空。焼け爛れた、血の宇宙。それは世界の残骸だ。死に絶えた世界の断末魔が、いまさらになって響いている。

 

 ぼくはその中を一人、歩く。

 

 駅前の再開発は止まったままで、建築途中のビルたちが化石のように聳えている。

 その足元を、人々がまばらに歩いていた。

 誰もが終末の気配に当てられて、病んだ顔で俯いている。

 

 これが、求めていたものなのだろうか。

 

 赤い空の下、ぼくは歩き続ける。

 

 駅前。雲が晴れるより前にかろうじて完成した、新しい広場。バスターミナルが併設されて、広く開けたそこは、けれどその規模に反して閑散としている。

 

 理由は明白だ。

 広場の中央。植えられた街路樹の枝から、人間がぶら下がっている。

 

 ぼくはその頬に触れる。氷のように冷たくて、とっくの昔に死んでいた。

 

 ぼくはため息をついて、人気のないベンチに座った。木製ではない、石造りのそれは、温度がない。

 

 ぼんやりと、見上げる。商業ビルになる予定だった、駅前一等地の建築。テナントが入らなくて、一階のファーストフード店と四階の学習塾だけが稼働している状態だけれど、ビル外側に配置された大型ビジョンは稼働していた。

 

 脳を麻痺させるための麻酔薬みたいな、薄めた悪意と支配欲のカクテルが公共電波に乗っている。

 

 ぼくはすぐさま興味を失って、目を逸らそうとした。

 

 の、だけれど。

 

『緊急速報です』

 

 そんな言葉と共に、画面が切り替わった。

 

『現在発生している()()()()()()()()()()()()()()、政府による緊急記者会見が開かれました。中継を行います』

 

 アナウンサーの言葉の後、画面がぱ、と切り替わる。

 

 政治家としては、若い男の顔が映った。最近、前任が暗殺されて代替わりした、新任の総理大臣だった。

 

『内閣府総理大臣の嘉神です』

 

 青い瞳をしているのは、彼がアメリカ人のクォーターだからだ。日本史上初の、海外にルーツの一端を持つ総理大臣であるが、就任時には大して話題にはならなかった。もう、その程度のことで騒げるほどの体力を、民衆が失った後だったのだ。

 

『国民の皆様。今、この世界をおかしいとは思いませんか』

 

 力強い語気で、彼はそう言った。オールバックに撫で付けられた頭から、一房、髪が垂れ落ちる。

 

『度重なる災害、異常気象、人心の荒廃。空は赤く染まり、人の存在を破壊する異常な災害が頻発し、死よりも恐ろしい結末を迎える人間が、決して珍しいものではなくなってしまった』

 

 彼は世界の現状を語る。その言葉の裏には、隠しきれない憤りが見えた。

 

『世界は今、崩壊しようとしている』

 

 彼の言葉に、報道陣がざわめき出す。それが治るのを待つまでもなく、彼はさらに言葉を続けた。

 

『我々人類はそれから目を逸らし続けてきましたが、ことここに至っては、もはや認めざるを得ません。世界は今、まさに終わろうとしているのです』

 

 おそらくは報道陣を見渡しているのだろう。視線を見渡しながら、男は言った。

 

『これまで、それは原因不明とされてきました。あるいは、単なる自然災害として、この世界の崩壊は、避けようのない天災であるのだと考えられ続けていた』

 

 多かれ少なかれ、それは人類全体に共通する見解だった。一部の陰謀論では、それを特定国家や民族による攻撃と解釈するものもあったが、それが陰謀論として語られているのが、その信憑性を裏付けている。つまり多くの人々の間では、これは人知の及ばぬ災害であり、ともすれば世界の寿命のようなものでさえある、と考えられていた。

 

『しかし、我々は()()()()()()()()()()()()()()、この一連の()()()()()()が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 記者たちのざわめきが、一層強く、大きくなる。

 

『この映像を見てください』

 

 映像が切り替わり、会見場に用意されたスクリーンが映し出される。

 そこには――

 

『――ぶっ壊せ、セルバンデス』

『――焼き尽くして、マレウス』

 

 その背に乖獣(オルターエゴ)を背負い、戦う、破壊者(ダウナ)たちの姿があった。

 

『これは映画やドラマの光景ではありません。現実のものです』

 

 再び映像が切り替わり、またも総理大臣が映る。

 

()()()()()()()()()()()()()()。これは、我々政府が公式に認める事実であります』

 

 会見の場は騒然としていた。非科学的だ、出鱈目だとヤジが飛ぶ。しかしそれらの一切合切を無視して、総理大臣はさらに話を断行する。

 

『その証拠を今お見せしましょう』

 

 その言葉と同時に――新たな人物が、会見場に現れる。

 小さな背丈。水色の髪。その顔に浮かぶ、貼り付けたような笑み。

 

 それは。

 その姿は――

 

『我々の協力者。この世界を守る守護者(プラスティシ)の一人である、()()()氏です』

 

 迎える空気は困惑。こんな小さな少年が、この場で何の役割を果たすのか? そのような疑いの視線を――彼は一瞬で払拭した。

 

『ルシフェリア』

 

 呼びかける声が、その背に機械仕掛けの天使を降臨させる。

 

 会場のボルテージは最高潮となり、悲鳴にも近しい怒号が幾重にも響き渡る。

 

『これこそが、この世界に超能力が存在する証拠です! 乖獣(オルターエゴ)。そう呼ばれる超存在を現出させる超能力者が、この世界には隠れ潜んでいる!』

 

 彼は一層語気を強めて、叫ぶように言った。

 叩きつけるような言葉に、荒れた会場がしんと静まる。

 

『曰くして、乖獣(オルターエゴ)とは、精神を具現化させた怪物であるそうです。それらは皆人智を超えた強力な力を持っており、()()()()()()()()()()、それを兵器のようにさえ扱っている、とも』

 

 その言葉と共に、スクリーンには破壊者(ダウナ)たちが守護者(プラスティシ)と争う映像が流れた。

 

『そして見ての通り、超能力者たちは、二つの勢力に分かれて戦っています。そのうちの片方が、今ここにいる差崎誰氏の所属する、世界を守ることを目的とした陣営――守護者(プラスティシ)。そしてそれに歯向かうのが、もう一つの陣営――破壊者(ダウナ)です』

 

 もうお分かりでしょう、と。総理大臣は睨みつけるような視線で言った。

 

破壊者(ダウナ)こそが、今まさに()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!』

 

 だん、と拳を演説台に叩きつけて、彼は叫んだ。

 

『彼らは着々とその勢力を伸ばし、世界を守るべく立ち上がった守護者(プラスティシ)を追い詰め、今まさに世界を滅ぼすための王手を掛けた! 度重なる災害! 異常気象! 人心の荒廃! ()()()()()()! それらは全て人為的に引き起こされた、悪意による()()だったのです!」

 

 ()()()

 

 と。一瞬。総理大臣はそこで息を吸って――

 

()()()()()()()()()()()! そうは思いませんか!?』

 

 そんなふうに、問いかけた。

 

()()()()()()。たかだか数十人の、社会を憎むテロリストのせいで、この世界が滅ぼされてしまうだなんて、そんな馬鹿げた話があっていいのでしょうか!? 断じて、これは許せることではありません! 社会の秩序を、いいえ、世界そのものを守るために、我々は戦わなければならない! 戦う権利があり、また義務がある!』

 

 額から汗を流しながら、彼は真に迫った口調で抗戦を解く。

 

『協力者からの情報提供により、我々政府は破壊者(ダウナ)の全貌を掴むことに成功しました。彼らは一般人に()()()()この世界に隠れ潜んでいます。我々政府はこれを国家の、いいえ、世界の非常事態と見做し、彼らを()()()()()()()、彼らに対する()()()()()()()()()()()()()

 

 それは。

 それは国家による、()()()()()()()()()

 会場はざわめくが、それを黙らせるように、再び拳が叩きつけられる。

 

『これは、警察や自衛隊に対する指示だけではありません。()()()()()()()()()()()()()

 

 そう言って、彼は――頭を下げた。

 

『どうか、協力していただきたい。()()()()()()()()破壊者(ダウナ)を――()()()()()()()()()()()()()()()!』

 

 その言葉に、けれど記者陣は困惑したように声を上げた。

 

『しかし、総理! 彼らは皆危険な超能力を持つテロリストなのでしょう? それに民間人が立ち向かうなんて、あまりにも危険ではありませんか!』

『案ずることはありません』

 

 どん、と総理大臣は己の胸を打った。

 

『先ほど説明させていただいた超能力――乖獣(オルターエゴ)。それは、人間の精神が具現化したもの。()()()()()()()()()()()()()、人に目覚める叛逆の牙であるのです』

『ゆえにこそ』

 

 ――と。

 言葉を引き継いだのは――差崎誰だった。

 

『今まさに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()乖獣(オルターエゴ)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 彼は言って、画面の向こうに目を向ける。

 この世の全ての人間、一人一人を見定めるように、じっと。

 

『皆さん。()()()()()()()()()()()()()()?』

 

 彼は冷たい笑みを浮かべていった。

 

『悔しいとは思いませんか。己の自由が、未来が、世界が、奪われ、汚され、壊されようとしているこの現状が』

 

 す、と。乾いた心に染み込むような、蠱惑の声色。

 

『家族を奪われた人もいるでしょう、友を奪われた人もいるでしょう、愛しい誰かを奪われた人もいるでしょう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 だからこそ――

 彼はそこで言葉を区切った。

 

『それを許せないとは思いませんか? それを防ぎたいとは思いませんか? それに抗いたいとは思いませんか?』

 

 その心を、解き放ってください――

 そんなふうに――彼は語る。

 

『この世界は、決していい世界であるとは言えません。多くの理不尽があります。多くの悲劇があります。多くの苦痛があります。けれどだからと言って、()()()()()()()()()()()。そうは思いませんか?』

 

 彼は手を組んだ。

 

『家族と過ごす明日が欲しい、友と語らう明日が欲しい、愛しい人と抱き合う明日が欲しい、その思いは、決して間違いではないはずだ』

 

 たとえ――

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 人間は。

 終わるにはまだ、早すぎる。

 彼は語って――その背後の、天使が。

 鍵を、掲げる。

 

『皆さん、どうか祈ってください。この世界をまだ、終わらせないために』

 

 そして、鍵が。

 世界の錠を、解き放った。

 

 

 ――顕現。

 

 

 そこかしこに、光の柱が立っていた。

 

 それは神の輝き。かつて見た偽物のそれではない、本物の奇跡。

 

 麗しく、どこまでも暖かく、そして純粋なその輝きの内側からは、無数の、人の似姿が現れる。

 

 薔薇の冠、紅のローブ。顔のない、光の肖像。

 

 乖獣(オルターエゴ)聖四文字(YHWH)

 あえて定義するのならば、多重群体型(リンクスウォーム)とでも呼ぶべきか。

 

 無数の人間が、同じ願いから発露させた、精神の具現化。何より純粋な、()()()()()()()としての乖獣(オルターエゴ)

 

 それが、今。世界中の人間の元に顕現した。

 

『国民の――いえ、世界中の皆さん。抗うための刃は、配られました。ゆえにどうか、破壊者(ダウナ)を滅ぼすため、協力してください。世界を救うための最後の戦いを、始めましょう』

 

 そう結べば――スクリーンに、膨大な量の()()()()()()()()()()

 

『今、この世界に潜んでいる全破壊者(ダウナ)の情報です。彼らを全て排除した時、この世界は救われるでしょう』

 

 画面には、無数の名前が表示されている。

 

 ドクタ、セルバンデス、マレウス、ラーフラ、トリオン、テセウス、ゴグマゴグ、クラムボン、ヘラクレイトス、トーラス――あるいはぼくが顔も名前も知らないような破壊者(ダウナ)たちまで。

 

 全ての顔と名前が、そこにはあった。

 

 けれど――ぼくの名前は、ない。

 

『どうか、皆さん。共に世界を救いましょう』

 

 再びマイクの前にたった総理大臣がそう結んで、前代未聞の会見は、終わった。

 

 ああ、これが。

 ()()()()()()()()()()

 

 ぼくは思う。赤い空。壊れ掛けた世界。それは決して、破壊者(ダウナ)の優勢を意味してはいなかった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()、差崎誰の手のひらの上で踊らされていた――

 

 それだけのこと。

 

 世界を滅ぶ寸前まで追い詰めさせて、()()()()()()()()()()()()()()()乖獣(オルターエゴ)()()()()()()。それこそが、目的だったのだ。

 

 ぼくは。

 ぼくは――電話をかける。

 

 コール、コール。

 

『もしもし?』

 

 受話器が、取られた。

 

「君は――」

 

 喉が渇くのを、強く感じた。

 

「君は初めから、このつもりだったの?」

 

 ぼくが、問えば――

 

()()

 

 と。

 答えが帰った。

 

 ああ。

 そうか。

 そうなのか。

 そういうことなのか。

 

『お願いがあります、カムパネルラ』

 

 聞きたくない。もう何も。何一つ。

 けれどそんな願いは、どこまでだって叶わない。

 

()()()()()()()()()()()()()

 

 ぼくは。

 ぼくはその言葉に、立ち竦む。

 

「――それは」

 

 無理だ、と。声を出そうとして――

 

『私たちでは、代わりになれませんか?』

 

 なんて。

 泣き出しそうな声が、ぼくを襲った。

 

『削子も、崇郎も、貴嶺も、鈴人も、次々も、善架も、みんな、あなたが好きですよ』

 

 あなたが好きで。

 あなたを失いたくない。

 それは。

 痛いほど、伝わることで。

 けれど。

 

「……君は?」

 

 ぼくは問う。

 

「君は、どうなの?」

 

 電話の向こうで、悲しげに笑う声。

 

『知っているでしょう? 私だって、あなたのことが大好きだ』

 

 心の底から。

 ずっと昔から。

 好きで好きで、たまらない。

 

『だから、どうかお願いです。――()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ああ。

 そうか。

 君は、そちらの道を選ぶんだ。

 選ぶんだね。

 

 知っていた。

 知っていたさ。初めから。

 だけれど、夢を見たかったんだ。

 そうだろう? それくらいの自由は、許されたっていいと思ったんだ。

 

 けれど、それは。

 間違いだった。

 

「差崎誰」

 

 ぼくは、彼の名を呼んだ。

 

「ぼくは世界と君となら、君を取ったよ」

 

 けれど、それは。

 もう天秤から、転げ落ちた。

 

「ばいばい。君のこと、ぼくは結構好きだった」

『待ってください、カムパネルラ――』

 

 ぶちり。

 

 ぼくは電話を切って、そのまま地面に携帯を叩きつけた。

 

 踏みつけて、壊す。

 

 念入りに。

 徹底的に。

 もう二度と、元に戻らないように。

 

 これでいい。これがいい。ぼくにはこの様が、お似合いだ。

 

 そしてぼくは、走り出す。

 もうすでに、腹は決まっていた。

 

 背後のニュースが、破壊者(ダウナ)の追加情報を晒す。

 

 公開されたのは、ぼくの顔写真。名前はなくて、写真も今の変わったぼくではなく、過去の姿であるのは、きっとせめてもの未練なのだろう。

 

 そんなところが情けなくって、子供なんだよ、お前は。

 

 ぼくは心の中で毒付いた。

 

 走り出す。ヒールが邪魔で、踵を折った。

 お姫様の時間は、もうおしまい。

 

 ぼくは――

 ぼくは、破壊者(ダウナ)だ。

 

「カムパネルラ」

 

 呼ぶ声が、傷だらけの未熟児を呼ぶ。

 空を飛ぶことは、できなくても。

 

 戦うことは、まだできる。

 

 それが、それだけが。

 

 ぼくにできる唯一だった。

 





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