3
雲が晴れて、赤い空が露わになった。
世界の終わり。
それが誰もの目に晒されて、世界は死滅を迎えていた。
異常気象、災害、人心荒廃。連日連夜報じられる悲劇の連鎖。誰もが終わりを予感していて、けれどそれに対して何もできない。
獣の遠吠えのようなアラートが鳴り響いた。
世界震の前触れだ。複数人でより集まり、自我を強く保てとアナウンスが叫ばれる。
現実に奔る罅。それを世界震と呼ぶ。物理的なそれではない、概念災害。存在そのものを揺るがす振動は、人の現実定義を破壊する。対処法として、気を強く持つこと、集団でつながり合うこと、その二つが推奨されているが、どれも効果を低減する程度で、毎日のように己の存在を失った喪失者が出ていて、誰もが次は自分なのではないかという不安を抱えて日々を過ごす。
この世の地獄だ、と誰かがいった。あるいは、これこそが終末だ、とも。ただ誰もが、その原因には触れなかった。知らないのだ、誰もが。世界を滅ぼすために戦った誰かがいるなんてことは。
学校は閉鎖になった。新着メッセージはゼロ件。けれど、彼の無事だけは確約されている。そこに不安はない。愛は、人を現実に定着させる最も強い鎖だ。
アラートが鳴り響く中、ぼくは外に出た。家の中にいても、外にいても、そう変わらない。
ぼくはポケットに手を入れる。そこには何もない。
随分前から、煙草は吸わなくなった。
赤い空。焼け爛れた、血の宇宙。それは世界の残骸だ。死に絶えた世界の断末魔が、いまさらになって響いている。
ぼくはその中を一人、歩く。
駅前の再開発は止まったままで、建築途中のビルたちが化石のように聳えている。
その足元を、人々がまばらに歩いていた。
誰もが終末の気配に当てられて、病んだ顔で俯いている。
これが、求めていたものなのだろうか。
赤い空の下、ぼくは歩き続ける。
駅前。雲が晴れるより前にかろうじて完成した、新しい広場。バスターミナルが併設されて、広く開けたそこは、けれどその規模に反して閑散としている。
理由は明白だ。
広場の中央。植えられた街路樹の枝から、人間がぶら下がっている。
ぼくはその頬に触れる。氷のように冷たくて、とっくの昔に死んでいた。
ぼくはため息をついて、人気のないベンチに座った。木製ではない、石造りのそれは、温度がない。
ぼんやりと、見上げる。商業ビルになる予定だった、駅前一等地の建築。テナントが入らなくて、一階のファーストフード店と四階の学習塾だけが稼働している状態だけれど、ビル外側に配置された大型ビジョンは稼働していた。
脳を麻痺させるための麻酔薬みたいな、薄めた悪意と支配欲のカクテルが公共電波に乗っている。
ぼくはすぐさま興味を失って、目を逸らそうとした。
の、だけれど。
『緊急速報です』
そんな言葉と共に、画面が切り替わった。
『現在発生している
アナウンサーの言葉の後、画面がぱ、と切り替わる。
政治家としては、若い男の顔が映った。最近、前任が暗殺されて代替わりした、新任の総理大臣だった。
『内閣府総理大臣の嘉神です』
青い瞳をしているのは、彼がアメリカ人のクォーターだからだ。日本史上初の、海外にルーツの一端を持つ総理大臣であるが、就任時には大して話題にはならなかった。もう、その程度のことで騒げるほどの体力を、民衆が失った後だったのだ。
『国民の皆様。今、この世界をおかしいとは思いませんか』
力強い語気で、彼はそう言った。オールバックに撫で付けられた頭から、一房、髪が垂れ落ちる。
『度重なる災害、異常気象、人心の荒廃。空は赤く染まり、人の存在を破壊する異常な災害が頻発し、死よりも恐ろしい結末を迎える人間が、決して珍しいものではなくなってしまった』
彼は世界の現状を語る。その言葉の裏には、隠しきれない憤りが見えた。
『世界は今、崩壊しようとしている』
彼の言葉に、報道陣がざわめき出す。それが治るのを待つまでもなく、彼はさらに言葉を続けた。
『我々人類はそれから目を逸らし続けてきましたが、ことここに至っては、もはや認めざるを得ません。世界は今、まさに終わろうとしているのです』
おそらくは報道陣を見渡しているのだろう。視線を見渡しながら、男は言った。
『これまで、それは原因不明とされてきました。あるいは、単なる自然災害として、この世界の崩壊は、避けようのない天災であるのだと考えられ続けていた』
多かれ少なかれ、それは人類全体に共通する見解だった。一部の陰謀論では、それを特定国家や民族による攻撃と解釈するものもあったが、それが陰謀論として語られているのが、その信憑性を裏付けている。つまり多くの人々の間では、これは人知の及ばぬ災害であり、ともすれば世界の寿命のようなものでさえある、と考えられていた。
『しかし、我々は
記者たちのざわめきが、一層強く、大きくなる。
『この映像を見てください』
映像が切り替わり、会見場に用意されたスクリーンが映し出される。
そこには――
『――ぶっ壊せ、セルバンデス』
『――焼き尽くして、マレウス』
その背に
『これは映画やドラマの光景ではありません。現実のものです』
再び映像が切り替わり、またも総理大臣が映る。
『
会見の場は騒然としていた。非科学的だ、出鱈目だとヤジが飛ぶ。しかしそれらの一切合切を無視して、総理大臣はさらに話を断行する。
『その証拠を今お見せしましょう』
その言葉と同時に――新たな人物が、会見場に現れる。
小さな背丈。水色の髪。その顔に浮かぶ、貼り付けたような笑み。
それは。
その姿は――
『我々の協力者。この世界を守る
迎える空気は困惑。こんな小さな少年が、この場で何の役割を果たすのか? そのような疑いの視線を――彼は一瞬で払拭した。
『ルシフェリア』
呼びかける声が、その背に機械仕掛けの天使を降臨させる。
会場のボルテージは最高潮となり、悲鳴にも近しい怒号が幾重にも響き渡る。
『これこそが、この世界に超能力が存在する証拠です!
彼は一層語気を強めて、叫ぶように言った。
叩きつけるような言葉に、荒れた会場がしんと静まる。
『曰くして、
その言葉と共に、スクリーンには
『そして見ての通り、超能力者たちは、二つの勢力に分かれて戦っています。そのうちの片方が、今ここにいる差崎誰氏の所属する、世界を守ることを目的とした陣営――
もうお分かりでしょう、と。総理大臣は睨みつけるような視線で言った。
『
だん、と拳を演説台に叩きつけて、彼は叫んだ。
『彼らは着々とその勢力を伸ばし、世界を守るべく立ち上がった
と。一瞬。総理大臣はそこで息を吸って――
『
そんなふうに、問いかけた。
『
額から汗を流しながら、彼は真に迫った口調で抗戦を解く。
『協力者からの情報提供により、我々政府は
それは。
それは国家による、
会場はざわめくが、それを黙らせるように、再び拳が叩きつけられる。
『これは、警察や自衛隊に対する指示だけではありません。
そう言って、彼は――頭を下げた。
『どうか、協力していただきたい。
その言葉に、けれど記者陣は困惑したように声を上げた。
『しかし、総理! 彼らは皆危険な超能力を持つテロリストなのでしょう? それに民間人が立ち向かうなんて、あまりにも危険ではありませんか!』
『案ずることはありません』
どん、と総理大臣は己の胸を打った。
『先ほど説明させていただいた超能力――
『ゆえにこそ』
――と。
言葉を引き継いだのは――差崎誰だった。
『今まさに、
彼は言って、画面の向こうに目を向ける。
この世の全ての人間、一人一人を見定めるように、じっと。
『皆さん。
彼は冷たい笑みを浮かべていった。
『悔しいとは思いませんか。己の自由が、未来が、世界が、奪われ、汚され、壊されようとしているこの現状が』
す、と。乾いた心に染み込むような、蠱惑の声色。
『家族を奪われた人もいるでしょう、友を奪われた人もいるでしょう、愛しい誰かを奪われた人もいるでしょう。
だからこそ――
彼はそこで言葉を区切った。
『それを許せないとは思いませんか? それを防ぎたいとは思いませんか? それに抗いたいとは思いませんか?』
その心を、解き放ってください――
そんなふうに――彼は語る。
『この世界は、決していい世界であるとは言えません。多くの理不尽があります。多くの悲劇があります。多くの苦痛があります。けれどだからと言って、
彼は手を組んだ。
『家族と過ごす明日が欲しい、友と語らう明日が欲しい、愛しい人と抱き合う明日が欲しい、その思いは、決して間違いではないはずだ』
たとえ――
『
人間は。
終わるにはまだ、早すぎる。
彼は語って――その背後の、天使が。
鍵を、掲げる。
『皆さん、どうか祈ってください。この世界をまだ、終わらせないために』
そして、鍵が。
世界の錠を、解き放った。
――顕現。
そこかしこに、光の柱が立っていた。
それは神の輝き。かつて見た偽物のそれではない、本物の奇跡。
麗しく、どこまでも暖かく、そして純粋なその輝きの内側からは、無数の、人の似姿が現れる。
薔薇の冠、紅のローブ。顔のない、光の肖像。
あえて定義するのならば、
無数の人間が、同じ願いから発露させた、精神の具現化。何より純粋な、
それが、今。世界中の人間の元に顕現した。
『国民の――いえ、世界中の皆さん。抗うための刃は、配られました。ゆえにどうか、
そう結べば――スクリーンに、膨大な量の
『今、この世界に潜んでいる全
画面には、無数の名前が表示されている。
ドクタ、セルバンデス、マレウス、ラーフラ、トリオン、テセウス、ゴグマゴグ、クラムボン、ヘラクレイトス、トーラス――あるいはぼくが顔も名前も知らないような
全ての顔と名前が、そこにはあった。
けれど――ぼくの名前は、ない。
『どうか、皆さん。共に世界を救いましょう』
再びマイクの前にたった総理大臣がそう結んで、前代未聞の会見は、終わった。
ああ、これが。
ぼくは思う。赤い空。壊れ掛けた世界。それは決して、
それだけのこと。
世界を滅ぶ寸前まで追い詰めさせて、
ぼくは。
ぼくは――電話をかける。
コール、コール。
『もしもし?』
受話器が、取られた。
「君は――」
喉が渇くのを、強く感じた。
「君は初めから、このつもりだったの?」
ぼくが、問えば――
『
と。
答えが帰った。
ああ。
そうか。
そうなのか。
そういうことなのか。
『お願いがあります、カムパネルラ』
聞きたくない。もう何も。何一つ。
けれどそんな願いは、どこまでだって叶わない。
『
ぼくは。
ぼくはその言葉に、立ち竦む。
「――それは」
無理だ、と。声を出そうとして――
『私たちでは、代わりになれませんか?』
なんて。
泣き出しそうな声が、ぼくを襲った。
『削子も、崇郎も、貴嶺も、鈴人も、次々も、善架も、みんな、あなたが好きですよ』
あなたが好きで。
あなたを失いたくない。
それは。
痛いほど、伝わることで。
けれど。
「……君は?」
ぼくは問う。
「君は、どうなの?」
電話の向こうで、悲しげに笑う声。
『知っているでしょう? 私だって、あなたのことが大好きだ』
心の底から。
ずっと昔から。
好きで好きで、たまらない。
『だから、どうかお願いです。――
ああ。
そうか。
君は、そちらの道を選ぶんだ。
選ぶんだね。
知っていた。
知っていたさ。初めから。
だけれど、夢を見たかったんだ。
そうだろう? それくらいの自由は、許されたっていいと思ったんだ。
けれど、それは。
間違いだった。
「差崎誰」
ぼくは、彼の名を呼んだ。
「ぼくは世界と君となら、君を取ったよ」
けれど、それは。
もう天秤から、転げ落ちた。
「ばいばい。君のこと、ぼくは結構好きだった」
『待ってください、カムパネルラ――』
ぶちり。
ぼくは電話を切って、そのまま地面に携帯を叩きつけた。
踏みつけて、壊す。
念入りに。
徹底的に。
もう二度と、元に戻らないように。
これでいい。これがいい。ぼくにはこの様が、お似合いだ。
そしてぼくは、走り出す。
もうすでに、腹は決まっていた。
背後のニュースが、
公開されたのは、ぼくの顔写真。名前はなくて、写真も今の変わったぼくではなく、過去の姿であるのは、きっとせめてもの未練なのだろう。
そんなところが情けなくって、子供なんだよ、お前は。
ぼくは心の中で毒付いた。
走り出す。ヒールが邪魔で、踵を折った。
お姫様の時間は、もうおしまい。
ぼくは――
ぼくは、
「カムパネルラ」
呼ぶ声が、傷だらけの未熟児を呼ぶ。
空を飛ぶことは、できなくても。
戦うことは、まだできる。
それが、それだけが。
ぼくにできる唯一だった。
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