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嫌い、嫌い、嫌い。
1
昔から人間が嫌いだった。
何を考えているのかわからない。平気で嘘をついて、それを自覚しようともしない。
人間の最も下劣で醜い点は、自らの醜さを決して認めようとしないその頑なさにこそある。
自分だけがこの世で唯一美しいものであるかのようなフリをして、周りの全てを自分のために踏みつけにしようとする。その下劣な残酷さを、けれど残酷と認めずに、正義や愛なんて言葉でそれを飾って、己の醜さを覆い隠そうとする。
その気持ち悪さを、なんと言い表せば良いだろう。
ここは地獄だ、とずっと思って生きてきた。
ぼくは地獄に生まれた蛆虫だ。羽化することもできぬ、腐肉に巣食うが定めの蛆。永久に穢れたまま這いずり回り、飛び立つことさえも許されない。蛆の群れの中、腐肉を貪り醜い体を維持し続ける。なんの罪に対しての罰なのかも理解できぬまま。
己を蝶と勘違いした蛆が、ぼくを醜いと罵っていた。醜いものを醜いと言いたいのなら、鏡に向かっていればいいのに、誰もがそれをしない。それは恐ろしいからだ。鏡を見ることが、己を蛆と認めることが。この世が地獄で、ぼくらはそこに生まれ落ちたのだと知ることが。
けれどだからと言ってそれを認めないことは、地獄に生まれ落ちることよりもなお罪深い。悍ましい世界の姿を美しいと礼賛し、地獄を極楽と言い換えて、蛆を蝶と置換し、薄汚い汚泥の腐肉を蓮の浄土と取り違え、愛と正義を糞と接吻した口で語る。
そしてその滑稽ぶりを、その無様さを、その異常さを、その空虚さを、指摘した相手を徹底的に叩き潰し、この世界は美しいのだと、極楽浄土であるのだと、そんな痴愚蒙昧の迷妄醜態を堅持し続け、己を騙し生きながらえる。
馬鹿馬鹿しいにも程がある。自己を洗脳し、そうまでして醜い世界に縋り付いて、触れるも悍ましき糞の山に頬擦りをし、誰も彼もそれに倣えと喚き散らかす。
狂人の妄想には付き合っていられない。
だからぼくはそれから離れた。この世の全てが醜いとして、せめてその醜さに迎合することだけはしたくなかった。
だからぼくは全てを嫌って。
嫌って。
嫌って。
嫌って――
そして、本物の蝶を見つけた。
それは美しい姿をしていた。
この世の誰でさえ、その美しさを持ってはいなかった。
だからぼくはその人に恋焦がれて、けれどこの薄汚い蛆の身では、触れるにはあまりに罪深すぎた。
だから。
だから――
彼が蛆の一匹に、気紛れに愛を与えた時。
ぼくの世界は、多分、壊れたのだ。
2
走っていた。
とにかく、敵の数が多い。なにせ、全人類だ。もちろん、全員が全員、戦いに挑もうとはしないだろうけれど、
思えばちょうど、ホワイト・スノウがかつて語っていた作戦のその逆をやられた状態なわけである。全く、悪辣極まるやり方だ。何より最悪なのは、それがこの上なく効率的であるということ。
そしてあまりも膨大な数が、その質をも下支えする。
いわば、ハイロウミックス。現代にふさわしい質量両立。
たかだか数十名に過ぎない
だからぼくが今、こうして街を駆けていることも――きっと全く、意味がない。
それでも。
それでもぼくは――それを止めることができなかった。
まず向かったのは、ドクタの居城。彼は我々の中では最も戦力が低い上に、住んでいるのが集合住宅で、近隣住民に顔を知られている。
だからぼくは真っ先にそこに向かって――
パン、パン、と。
乾いた銃声が響いていた。
「カムパネルラ!」
飛ぶことはできないけれど、跳ぶことならできる。
ぼくはマンションの外からカムパネルラの力を借りて跳躍し、ドクタの居住階まで飛び上がった。
手すりを超えてドア前の廊下に転がり込み、そのままドクタの部屋へ。
すでに鍵が壊されている。
慌ててドアを開けば――
「っ、お前、なんで――」
その声は、ついこの間、聞いたばかりのそれで。
そこにいたのは、
片方の肩から血を流しているのは、撃たれたからなのだろう。床に、壊された拳銃が転がっている。
……打てる手は、打つ。
当たり前の話だ。
だから――
「――カムパネルラ」
ぼくは、断絶を告げる。
現出した傷だらけの未熟児。それは弱り果ててなお、かつて最強と呼ばれた
「……お前のこと、友達だと思ってた」
「ああ――ぼくもだよ」
最後の会話はそれだった。
それっきり、冴継次々の目は光を失い――もう二度と、動かなくなった。
「……大丈夫、ドクタ?」
次々の体をどけて助け起こせば、ドクタはゲホゲホと咳き込んだ。
「なんとか……。って、それより、君――」
彼は、ぼくを見つめる。
「
くしゃり、と。
顔を歪めて。
言う彼に、ぼくは苦々しく語る。
「裏切ったのは、ごめん。今更だって言われるのも、仕方ないと思う。それでも――」
「
彼はぼくの肩を掴んだ。
「君は――
なんで今更。
今更
なんて、彼は。
ぼくの身を案じるように、そう言った。
「それは、どういう――」
「勝ち馬に乗ればよかったんだ」
「
君には。
そんなふうに、彼は語った。
「君に対する奪還作戦も、こっちでは立ち上がってたんだよ、最初は」
君が脅されているんなら。
不当な取引で、無理やり従わされているんなら。
なんとかして解放してやらなくちゃいけない。
「そう思って、みんなで協力して、君を取り戻そうとした」
でも――
「君、楽しそうだったから」
向こうの世界で、ちゃんと生きていけるんだ、って、そう思って。
「だから、やめたんだ」
そうしてただ――見送った。
「今だって」
今だって、
「幸せに生きていけるんなら――それが一番だろ」
「――ふざけてる」
ぼくは、肩に置かれた手を振り払った。
「ありえない、お前、偽物か? そんな、そんなこと、ドクタが言うわけがない」
裏切りに、死を持って制裁を望みさえした彼が、そんなふざけたことを言うわけがない――
「わかってるよ。ボクだって、変なこと言ってるってさ。でも、でも――」
――楽しかったんだよ。
彼は。
泣きそうな顔で、そう言った。
「楽しかったんだ。君といた、あの時間が」
いつかのファミリーレストランでの思い出を、彼は語った。
「セルバンデスとマレウスの馬鹿野郎がさ、アホみたいにジュース混ぜたやつをボクに無理やり飲ませようとして、君が助けてくれたこと、あったじゃん」
あれ、ボクは嬉しかったよ。
そう言って、彼は弱々しく微笑んだ。
「そんなこと、ばっかりだっただろう。君といるとさ。もうずっと、思うんだ。ああ、この人、
「そんな――」
そんなことで。
そんなことで、ぼくを測るな。
そんなの、ただの気まぐれだ。
見たくないものを、見なくても済むようにしただけだ。
そんなことで、それだけのことで――
「それだけのことをできる奴がいないから、ボクらはこんな様になったんだよ」
彼は言って、困ったように眉を寄せる。
「だから、君が向こうに行って、そこで
だから、だから――
「君は、ボクたちを助けようとしてくれなくて、いいよ」
彼は言って――冴継次々の死体に近づく。
そして――
「これ、実は秘中の秘だぜ。
彼は言って――次の瞬間、次々は息を吹き返した。
「精神的にはでかいショックを受けたままだし、しばらくは目覚めもしないだろう。でも、死にはしない。いずれ目覚める。だから、こいつを連れて戻りなよ。今ならまだ――間に合うはずだ」
「そんな、そんなの――」
それをしたら。
そんなことを、してしまったら。
「君たちが死んでしまう」
ぼくは。
それだけは絶対に、認められないんだ。
「はは、やっぱり君、
からからと笑って、彼は
「君がいても、どのみち死ぬ。死体が一つ増えるだけなら、それより一人でも、ボクたちを覚えていてくれる誰かが生き残ってくれている方がいい。ボクたちは最後に一発でかく花火をあげて――潔く散るよ」
だから見ててよ、カムパネルラ。
彼はぼくの胸に拳を当てた。
「世界に、ボクたちが生きていた証を見せつけて――死んでやるから」
だから、見届けてくれ、なんて。
そんなのは。
そんなのは――
我儘だ。
「断る」
ぼくは言って、彼の手を引いた。
「ちょ、何してんの――」
「逃げるよ。この場所にいたら、次が来ちゃう」
ぼくは彼を引っ張り続ける。玄関を飛び出れば――そこには、数人の人間が立っていた。
全員が全員――
だがその輝きは、どうにも弱々しい。
「出て来たぞ!」
「隣のやつは!?」
「か、関係ない人は――」
「いや、よく見ろ、あいつ、追加で報道されてた奴だ!」
その言葉に――全員がしんと静まる。
「や、やるのか?」
「やらないと、世界が滅びるんだよ」
狼狽したような呟きに、ぼくはそう返事をしてやった。
そこまで言っても――誰も、ぼくたちに攻撃をしない。
「どいて」
脅すように、光を放つ。直撃はさせない。廊下を熱線が焼いて、塞いでいた人員たちが、きゃあとかわあとか言葉にならない悲鳴をあげて逃げていく。
「行こう」
ぼくはドクタの手を引いて、柵を乗り越えて飛び降りた。
「ここ三階――」
「大丈夫」
カムパネルラの翼と尾をクッションに、ぼくとドクタは地面に舞い降りた。
「逃げよう」
手を引いて、路地の隙間に入り込む。先ほどは覚悟の足りない人間ばかりだったからどうとでもなったけれど、そればかりであるだなんて楽観はできない。可能な限り、人目には触れるべきではない。
ぼくは路地裏を抜けて、人気の少ない裏通りに出る。
が。
「そこの二人、止まりなさい!」
荒げられた声に目線を向ければ――そこに立っていたのは、警察官だった。
すでに――抜き放った銃を、構えている。
背後には――光り輝く
ぼくはカムパネルラを呼ぶけれど、それよりも早くドクタのドゥ・リトルが影から飛び出した。瞬間、警察はおそらく反射的にだったのだろう、驚いた表情のまま、引き金を引いた。それがドゥ・リトルの頬をほんの少し掠めるけど、叶ったのはそこまでで、指先に揃うメスが、警官の頸動脈を切り裂いた。
「自分の身は、自分で守れる」
ドクタは済ました顔で言った。
「ある程度までは、誰でもね」
調子が戻ってきた。
警察官は崩折れ――そこで、奇妙な現象が発生した。
彼の背後に控えていた
「――追う?」
「この状況で?」
ドクタの言葉に、ぼくは返す。銃声に釣られてだろう。民衆が徐々に集まって来た。集団で少数を袋叩きにする遊びをしたそうだ。
「カムパネルラ」
光を放つ。
熱線が人々を穿ち、皆殺しにするけれど――やはり同じように、
いや、そうだ。
それでは、彼の理想は叶わない。
だから、肉体の死と
そこまでは、理解できる。
できる、が。
ならば彼らは、一体どこへ向かったのか?
不気味だ。
不気味では、あるけれど――
「今はとにかく、安全な場所へ」
そんな場所が残っているのかどうかさえわかったものではないけれど。
ぼくらは足早に、その場を離れた。
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