カムパネルラの傷跡   作:忘旗かんばせ

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第十二章 2

 

 2

 

 差崎誰は一人だった。

 

 周囲には、誰一人として存在しない。

 

 天には、巨大な光の輪がある。

 

 それこそは、聖四文字(YHWH)

 

 肉体を脱し、羽化した彼らが寄り集まった、天の王冠。

 

 作り変わる寸前の、世界卵。

 

「カムパネルラ」

 

 寂光に照らされながら、彼は微笑んでいる。

 相対するぼくに、導くように手を差し伸べた。

 

「この世界はどうにも醜いとは思いませんか」

 

 彼はまるで写鏡のようにその言葉を言い放った。

 

「人間は醜い。どうしたって利己主義で、どう足掻いたって痴愚蒙昧で、どう足掻いたって品性下劣だ」

 

 人の醜さには果てがない。

 彼は言って、空を見上げた。

 

「だから私は、この世界の形を変えたい」

 

 彼は言う。

 

「あれは、天国への(きざはし)なのです」

 

 揺れる水色の髪。光を受けて、それは輝く。

 

 聖四文字(YHWH)は、今や巨大な一つの生命体となっていた。光の輪。それは、寄り集まった彼らが合一した存在だ。一つの生命体として完結した群衆。以前見た紛い物ではない、神そのもの。

 

 かつて人は、己の創造主として神を生み出した。

 

 己は大いなる神の一欠片であり、神はまた、すなわち完全な人間の似姿でもある。

 

 それは人がこの世に作り出した究極のシステム。集合としての人類。総体としての人類。一個の生命体としての、人類という仕組み。

 

 それがこそ、神の正体だ。

 

 それが今。

 形を持って、目の前に顕現していた。

 

「君は、これをどうするつもりなの?」

 

 ぼくは問いかける。

 

「決まっています」

 

 彼は振り返って、言った。

 

「私は、()()()()()()()()

 

 ああ、やはり。

 ()()()()()()()()

 

「そして、神になりかわろう、と?」

「まさか。そんなことをしなくても、自然と移り変わるでしょう」

 

 彼のやりたいことを、ぼくはようやく理解した。

 彼の扇動によって乖獣(オルターエゴ)を発現させた、()()()()()()()()()()()()。繋がり生き、抑圧に加担し、現実という巨大な生命体に迎合した、すべての人間。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それが、彼の試みなのだ。

 

「それをすれば、人は救われる、と?」

「わかりません。しかし、やる価値はある、と。ぼくはそう思いますよ」

 

 天国への階、だなんて、言い得て妙だ。天国なんて存在が、眉唾物でしかありはしないという点まで含めて。

 

「総体としての人類、そのアーキタイプそのものを消し去ることで、残る人間は、ごくわずか。本当の意味で孤独を知る人間だけが、残る」

「けれど、いずれ人が増えてしまえば、元の木阿弥だ。それとも、増えるたびにリセットするの?」

「増えませんよ。新たな世界では誰もが孤独で、誰もが一人で、誰もが永遠。増える意味も、意図も、存在しなくなる」

「そんな世界で、社会を維持できるのかな」

「維持する意味がありますか?」

 

 それは全くその通りの答えで、ぼくは笑うしかなかった。

 

 孤独な人間だけが、唯一残る、寂静の世界。

 それが、理想郷だろうか。

 そんな世界で生きることは。

 幸せと言えるのだろうか。

 

「納得が行ってない、という顔ですね」

「まあね」

 

 ぼくは言った。

 どうしても、思えない。

 人が永遠の孤独に、耐えられる、なんて。

 それはあまりにも、人に夢を見過ぎている。

 

「それはあなたがまだ、現実の抑圧の内側にいるからだ」

 

 唾棄すべき生命礼賛主義。その檻に囚われているからだ、と彼はいう。

 

「思い出してください、カムパネルラ。あなたが現実から剥離し、真の孤独の世界を泳ぐ時、そこには、爽快があるのではありませんか?」

 

 現実という世界に別れを告げ、自由になること。

 それを心地良いと思わないと言えば、嘘になる。

 孤独であること。

 自由であること。

 それは、表裏一体だ。

 

「人は真の意味で自由になるためには、どうしたって孤独でいなければいけない。けれど、どうしてだか人は、孤独を嫌ってしまう。厭ってしまう。ありもしない外の世界に夢を見て、そこに手を伸ばしてしまう」

 

 けれど、それは。

 

「それは人間の肉の器にプログラムされた、下劣な呪いでしかありはしない。社会という、現実という、巨視的生命体が生存するために、人に掛けた呪いです。その寂しさが、人に繋がりを求めさせ、その繋がりが、現実という肉体を構成し、そしてそれが鎖となって、われわれを縛る」

 

 奴隷にする。

 現実の奴隷と、成り下がる。

 

「そのメカニズムに、反逆する。そのための神殺しなのです」

 

 と。彼は言った。

 

「真実の孤独。真実の自由。不変なる黄金の精神だけが永遠を紡ぎ、そして己の内側だけで完結し続ける世界。それを、美しいとは思いませんか」

 

 誰も傷付かず。

 誰も傷付けられない。

 触れなければ、そこに摩擦は存在し得ない。

 求めなければ、そこに執着は存在し得ない。

 愛さなければ、そこに支配は存在し得ない。

 全ては自由。孤独のまま完結し、思考だけがどこまでも自由に羽ばたくことができる。

 けれど、それは。

 

「それはきっと、寂しいよ」

 

 その寂しさから、人が逃れられるとは思えない。

 ぼくは。

 人が生きることを辞めた程度で。

 寂しくなくなれるとは、思えない。

 

「どうして、人は他者を求めるだろう?」

 

 そんな下劣な衝動を、捨てられないだろう?

 それは生命であるがゆえに?

 生存に有利だから、集まろうとするのか?

 増殖に有効だから、繋がろうとするのか?

 安定に有益だから、固まろうとするのか?

 

 それは違うと、ぼくは思う。

 その側面があることは、否定しない。

 ぼくたちが生命の奴隷であることは、確かに正しいのだろう。

 けれど、それだけではない。

 この心に渦巻く、狂おしいまでの寂寞は、そればかりでは、ないはずだ。

 

 繋がること。

 求めること。

 愛すること。

 その本質は――

 

 憧れだ。

 

 ぼくたちは。

 

 自分にはない、輝ける欠片を、誰かの中に求める。

 それは決して、己の目で見つけることはできず、傷跡の形をして、人の内側に埋まっている。

 

 それを、誰かがなぞり。

 

 その傷跡が、七色に輝くことを。

 

 奇跡、と呼ぶ。

 

 ぼくらは、その奇跡を求めて、生きているんだ。

 

 ぼくたちが孤独であるのは。

 欠けたまま、生まれてくるのは。

 その輝きを、見つけて貰うために。

 そのために、ぼくたちは一人のまま、生きていく。

 穢れ、傷付き、痛み、憂い、それでもまだ、いつか。

 本当の美しさに出会うため、歩き続ける。

 だから――

 

「君の世界を、ぼくは受け入れることができない」

 

 誰もがその孤独を、その欠落を抱えたまま、輝くことなく、死んでいく。

 そんな世界は、寂しい。

 

「寂しくても、傷付くよりは、マシではありませんか」

「傷付くとも、その傷がいつか、輝きに変わる日が来る」

 

 その一雫に千年の。

 その虹輝くに万年の。

 その傷癒えるに億年の。

 その愛消えるに、永遠の。

 

 きっと、無限に等しい時間が必要だろう。

 それでも、人はいつかその傷を、輝きとして愛することができるはずだ。

 

 

「この世界は醜い」

 

 彼は語った。

 

「だからこそ、私は孤独になりたい」

 

 その言葉がこそ、ただ一つ、彼の真実。

 

 

「この世界は醜い」

 

 ぼくは言った。

 

「だからこそ――ぼくは、まだ」

 

 本当に美しいものを、探していたい。

 

 

「カムパネルラ、あなたは、本当の幸いを知ったのですね」

 

 彼はどこか寂しそうな顔で言った。

 

「うん」

 

 ぼくは頷く。それを、教えて貰うことができた。それが一つ、ぼくの大きな幸福だった。

 

「私はどうしても、それを信じることができない」

 

 だから――

 だから。

 

「戦いましょう」

 

 彼は言って――その背に、翼を広げる。

 

 ルシフェリア。

 かつて神に仇なした光の天使。その麗しき叛逆を示す十二の翼。貌無き仮面は――ひび割れ。

 その尊顔が、涙を流す。

 

「カムパネルラ」

 

 ぼくは、その名を呼んだ。

 

 本当の幸いを知る少年の名を持つ、その乖獣(オルターエゴ)の名を。

 ぼくの半身。

 寄り添うように、それがぼくの側に立つ。

 七つの光の角。竜の頭に、水蛇の体。広がる翼は天使にして悪魔。水棲の魚鱗が、七色に煌めく。

 

 カムパネルラ。今はこそ、救世に歯向かう輝ける竜。

 

 言葉は要らず。ぼくたちはどちらともなく、羽ばたいた。

 

「決着をつけましょう!」

「望むところ、だよ」

 

 赤き空の下、二つの影が交差する。

 

 麗しき輝き。煌めく七色のプリズムが、相互に交差する。

 

 傲慢の罪を冠する美しき天使――ルシフェリア。その権能は――

 

「『等価』――! 私は必ず、()()()()()()()()()

 

 それは究極の反則にして、この世の何よりか弱い力。

 

 敵対するものと全く同等の力を得ること。それは逆説的に言えば、どこまで行っても相手を超えることだけはできないということ。

 

 あるいは集団戦であれば、瞬く間に駆逐されてしまう類の力だ。

 

 けれど、今は――

 

「一対一! さあ、カムパネルラ! ()()()()()()()()()()()!」

 

 十二枚の翼から、光を放つ。それはぼくのカムパネルラが放つ光と全く同質の攻撃。

 

「相殺する」

 

 ゆえにこそ、ぼくは全く同じ動作によってそれらを相殺していく。

 そして――

 

「カムパネルラ」

 

 突貫。相手は当然、光を連射してくるが――

 

「引き剥がす」

 

 その全てを、現実から剥離させる。

 対するルシフェリアは、その選択肢を選ぶことができない。突貫しているのはぼく自身で、意思のあるそれを現実から引き剥がすことは不可能であるからだ。

 

「――ッ、ルシフェリア!」

 

 だから彼は、自らを現実から剥がす方向性で解決を試みる。現実から乖離し、攻撃を交わす。それは無敵の防御のようで――けれど。

 

「ぐっ、あ――!?」

 

 咄嗟に盾にしたルシフェリアの腕を噛み砕かれて、差崎誰は悲鳴を上げる。

 

 現実からの乖離。それを試みたのは、差崎誰だけではなかった。

 

 現実から遠ざかる彼を追って、ぼくもまた反現実の世界へと到達。それにより、レイヤーを同じくすることで、彼への攻撃を無理やり通したのだ。

 

 カムパネルラ。その天敵は――自分自身。

 

 それは大昔からわかっていたこと。

 

 だって、ぼくはぼくが、今日この日まで、大嫌いだったから。

 

「くっ――」

 

 差崎誰は反転し、距離を取ろうと翼を羽ばたかせる。近接戦闘はまずいと感じたのだろう。しかし、それをみすみす許すぼくではない。

 

 カムパネルラが追従する。天使と竜によるチェイス。赤い空の下、二つの影が疾走する。

 

「ルシフェリアァッ!」

 

 彼は熱線をチャフのように撒く。ぼくはそれを即座に現実から引き剥がして無効化する。

 

 それに合わせて彼は現実から離脱。ぼくのクールタイムを狙った形だろうけど、甘い。

 

「カムパネルラ」

 

 今のカムパネルラは、一秒単位でその力を増し続けている。

 

 クールタイムなどなく、ぼくもまた彼を追って現実を離脱。反現実の世界で彼に追従する。

 

「光を!」

 

 十二の翼が束ねられ、一つの砲を形成する。その内側から極太の光線が放たれ、反現実の世界を薙ぎ払う。

 

「カムパネルラ」

 

 呼びかければ、カムパネルラの鱗が煌めく。その口ががぱりと開き、喉奥から、光と全く同等の熱線を放った。

 

「ぐっ――」

 

 薙ぎ払う極光をぶち抜いて、カムパネルラの熱線がルシフェリアを焼く。

 

 差崎誰は即座に現実へと離脱し、それ以上の損傷を防ぐ。ぼくもすぐさまそれに追従。彼の眼前に躍り出る。

 

「う、あああああっ!」

 

 その瞬間、ルシフェリアが翼の一枚を直接光へ変換した。肉体の一部を贄と捧げての大質量爆撃。E=MC^2――あるいはそれそのものではあるまいにせよ、質量→エネルギーの変換を伴う爆発的な破壊が周囲一体に撒き散らされる。

 

 ぼくは即座に現実から乖離するが、全てのダメージをゼロにすることは叶わなかった。現実から乖離するまでの一瞬――その一瞬だけでさえ、甚大なダメージ。ぼく自身に傷はないが、盾としたカムパネルラの翼は焼け爛れ、悲惨な状態だ。飛行能力を失ってはいないが――その性能は大幅に落ちている。

 

 ただしそれは――必ずしもぼくだけがというわけではない。

 

 現実から乖離したぼくを追って、差崎誰もまた反現実の世界へと来訪する。その姿は悲惨の一言。焼け爛れた天使の似姿。翼は贄とした一枚を超えて、四枚ほどが纏めて消失している。天使の輪にはひび割れが走り、不安定に明滅していた。

 

 その惨状も当然だ。自分自身の羽を直接光に変換する――それは自爆技もいいところ。当然最もダメージを喰らうのは、それをした当人、まさにその人なのだ。

 

「カムパネルラァッ!」

 

 彼は叫びを上げてこちらへと突撃してくる。

 そうまでしたとしても、ここでぼくを倒したい、倒さねばならない。彼はそう判断したのだ。それは、なぜだろう。そうまでして、彼が孤独にこだわるのは。己一人で生きたがるのは。

 

 あるいは。

 寂しさの、裏返しか。

 

 ぼくは――

 

「来い、差崎誰」

 

 逃げない。

 飛びかかる彼を、真正面から迎え撃つ。

 放たれる光。それを同等の光線によって迎え撃ちながら、向かってくる彼を正面に捉え続ける。

 

 そして、激突。

 反発しあう力と力、掴み合い、喰らい合い、縺れ合いながら、互いに光を放ち、互いの体を焼いていく。

 

「私は――」

 

 彼は、その仮面を脱ぎ捨てた。

 

()()、あなたが好きだった!」

 

 そう叫んで――彼は、翼の一つを爆発させる。

 反現実の世界に、音なき大爆発が炸裂する。

 視界を焼き尽くす光の奔流。けれどぼくはその中でも、彼の体を離さない。

 

「ぼくは――」

 

 ぼくは。

 それになんと返すべきなのだろう。

 ぼくは彼のことを、どんなふうに思っているのだろう。

 その迷いを突かれてか、乖獣(オルターエゴ)ではない、彼自身の腕に、胸ぐらを掴まれる。

 

「けれどあなたは、俺を選んではくれない!」

 

 叫んで、彼はぼくの頬を打つ。

 

「あなたのせいで、俺はどんどん、醜くなっていく!」

 

 ああ、全く――鏡写しだ。

 ぼくは彼と同じ。

 寂しさに、苦しさに、愛しさに。

 襲われて、冒されて、押し潰されて。

 その傷が今も、痛み続けている。

 けれど、だから――

 

「ぼくは」

 

 ぼくはきっと。

 

「その思いには、答えられない」

 

 きっと。

 ぼくは彼のことが好きなんだと思う。

 けれどそれは。

 同情とか。

 憐憫とか。

 慰撫とか。

 そんな不誠実の入り混じった好きで。

 それは彼が求めるような愛おしさとは、きっと乖離している。

 だからぼくがその気持ちに答えても、彼はきっと、幸福にはなれないだろう。

 だから――

 だから。

 

「光を」

 

 貫く。

 カムパネルラ。本当の幸いを知る、美しき少年の名を持つ竜。彼が放った光が、天使を落とした。

 ぼくは。

 目を見開いて落ちてゆく差崎誰を、受け止める。

 

「君は」

 

 目を、合わせて。

 逃げないように、ぼくは言った。

 

「醜くなんか、ないよ」

 

 ぼくは口下手で、上手い言葉が思いつかない。だから代わりに、一言だけ。

 

「君に好きと言ってもらえて、嬉しかった」

 

 それは。

 それはね。

 本当のことだ。

 嘘じゃない。

 全部全部、本当で。

 この世の何より、真実だ。

 

「――なんですか、それ」

 

 彼は、困ったように笑って――目を閉じる。

 きっともう、限界だったのだろう。

 焼け爛れた翼で飛びながら、意識を失った彼を、地上に戻す。

 そして――見上げるのは、神の似姿。

 この世の何より強く輝く、天の王冠。

 

「カムパネルラ」

 

 それを、ぼくはあるべき場所に返す。

 神なんて、いらない。

 殺すことも、生まれることも。

 誰もそれを、望んでなんていない。

 だから、ぼくは。

 ぼくは――

 

 

 羽ばたいた。

 





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