2
差崎誰は一人だった。
周囲には、誰一人として存在しない。
天には、巨大な光の輪がある。
それこそは、
肉体を脱し、羽化した彼らが寄り集まった、天の王冠。
作り変わる寸前の、世界卵。
「カムパネルラ」
寂光に照らされながら、彼は微笑んでいる。
相対するぼくに、導くように手を差し伸べた。
「この世界はどうにも醜いとは思いませんか」
彼はまるで写鏡のようにその言葉を言い放った。
「人間は醜い。どうしたって利己主義で、どう足掻いたって痴愚蒙昧で、どう足掻いたって品性下劣だ」
人の醜さには果てがない。
彼は言って、空を見上げた。
「だから私は、この世界の形を変えたい」
彼は言う。
「あれは、天国への
揺れる水色の髪。光を受けて、それは輝く。
かつて人は、己の創造主として神を生み出した。
己は大いなる神の一欠片であり、神はまた、すなわち完全な人間の似姿でもある。
それは人がこの世に作り出した究極のシステム。集合としての人類。総体としての人類。一個の生命体としての、人類という仕組み。
それがこそ、神の正体だ。
それが今。
形を持って、目の前に顕現していた。
「君は、これをどうするつもりなの?」
ぼくは問いかける。
「決まっています」
彼は振り返って、言った。
「私は、
ああ、やはり。
「そして、神になりかわろう、と?」
「まさか。そんなことをしなくても、自然と移り変わるでしょう」
彼のやりたいことを、ぼくはようやく理解した。
彼の扇動によって
「それをすれば、人は救われる、と?」
「わかりません。しかし、やる価値はある、と。ぼくはそう思いますよ」
天国への階、だなんて、言い得て妙だ。天国なんて存在が、眉唾物でしかありはしないという点まで含めて。
「総体としての人類、そのアーキタイプそのものを消し去ることで、残る人間は、ごくわずか。本当の意味で孤独を知る人間だけが、残る」
「けれど、いずれ人が増えてしまえば、元の木阿弥だ。それとも、増えるたびにリセットするの?」
「増えませんよ。新たな世界では誰もが孤独で、誰もが一人で、誰もが永遠。増える意味も、意図も、存在しなくなる」
「そんな世界で、社会を維持できるのかな」
「維持する意味がありますか?」
それは全くその通りの答えで、ぼくは笑うしかなかった。
孤独な人間だけが、唯一残る、寂静の世界。
それが、理想郷だろうか。
そんな世界で生きることは。
幸せと言えるのだろうか。
「納得が行ってない、という顔ですね」
「まあね」
ぼくは言った。
どうしても、思えない。
人が永遠の孤独に、耐えられる、なんて。
それはあまりにも、人に夢を見過ぎている。
「それはあなたがまだ、現実の抑圧の内側にいるからだ」
唾棄すべき生命礼賛主義。その檻に囚われているからだ、と彼はいう。
「思い出してください、カムパネルラ。あなたが現実から剥離し、真の孤独の世界を泳ぐ時、そこには、爽快があるのではありませんか?」
現実という世界に別れを告げ、自由になること。
それを心地良いと思わないと言えば、嘘になる。
孤独であること。
自由であること。
それは、表裏一体だ。
「人は真の意味で自由になるためには、どうしたって孤独でいなければいけない。けれど、どうしてだか人は、孤独を嫌ってしまう。厭ってしまう。ありもしない外の世界に夢を見て、そこに手を伸ばしてしまう」
けれど、それは。
「それは人間の肉の器にプログラムされた、下劣な呪いでしかありはしない。社会という、現実という、巨視的生命体が生存するために、人に掛けた呪いです。その寂しさが、人に繋がりを求めさせ、その繋がりが、現実という肉体を構成し、そしてそれが鎖となって、われわれを縛る」
奴隷にする。
現実の奴隷と、成り下がる。
「そのメカニズムに、反逆する。そのための神殺しなのです」
と。彼は言った。
「真実の孤独。真実の自由。不変なる黄金の精神だけが永遠を紡ぎ、そして己の内側だけで完結し続ける世界。それを、美しいとは思いませんか」
誰も傷付かず。
誰も傷付けられない。
触れなければ、そこに摩擦は存在し得ない。
求めなければ、そこに執着は存在し得ない。
愛さなければ、そこに支配は存在し得ない。
全ては自由。孤独のまま完結し、思考だけがどこまでも自由に羽ばたくことができる。
けれど、それは。
「それはきっと、寂しいよ」
その寂しさから、人が逃れられるとは思えない。
ぼくは。
人が生きることを辞めた程度で。
寂しくなくなれるとは、思えない。
「どうして、人は他者を求めるだろう?」
そんな下劣な衝動を、捨てられないだろう?
それは生命であるがゆえに?
生存に有利だから、集まろうとするのか?
増殖に有効だから、繋がろうとするのか?
安定に有益だから、固まろうとするのか?
それは違うと、ぼくは思う。
その側面があることは、否定しない。
ぼくたちが生命の奴隷であることは、確かに正しいのだろう。
けれど、それだけではない。
この心に渦巻く、狂おしいまでの寂寞は、そればかりでは、ないはずだ。
繋がること。
求めること。
愛すること。
その本質は――
憧れだ。
ぼくたちは。
自分にはない、輝ける欠片を、誰かの中に求める。
それは決して、己の目で見つけることはできず、傷跡の形をして、人の内側に埋まっている。
それを、誰かがなぞり。
その傷跡が、七色に輝くことを。
奇跡、と呼ぶ。
ぼくらは、その奇跡を求めて、生きているんだ。
ぼくたちが孤独であるのは。
欠けたまま、生まれてくるのは。
その輝きを、見つけて貰うために。
そのために、ぼくたちは一人のまま、生きていく。
穢れ、傷付き、痛み、憂い、それでもまだ、いつか。
本当の美しさに出会うため、歩き続ける。
だから――
「君の世界を、ぼくは受け入れることができない」
誰もがその孤独を、その欠落を抱えたまま、輝くことなく、死んでいく。
そんな世界は、寂しい。
「寂しくても、傷付くよりは、マシではありませんか」
「傷付くとも、その傷がいつか、輝きに変わる日が来る」
その一雫に千年の。
その虹輝くに万年の。
その傷癒えるに億年の。
その愛消えるに、永遠の。
きっと、無限に等しい時間が必要だろう。
それでも、人はいつかその傷を、輝きとして愛することができるはずだ。
「この世界は醜い」
彼は語った。
「だからこそ、私は孤独になりたい」
その言葉がこそ、ただ一つ、彼の真実。
「この世界は醜い」
ぼくは言った。
「だからこそ――ぼくは、まだ」
本当に美しいものを、探していたい。
「カムパネルラ、あなたは、本当の幸いを知ったのですね」
彼はどこか寂しそうな顔で言った。
「うん」
ぼくは頷く。それを、教えて貰うことができた。それが一つ、ぼくの大きな幸福だった。
「私はどうしても、それを信じることができない」
だから――
だから。
「戦いましょう」
彼は言って――その背に、翼を広げる。
ルシフェリア。
かつて神に仇なした光の天使。その麗しき叛逆を示す十二の翼。貌無き仮面は――ひび割れ。
その尊顔が、涙を流す。
「カムパネルラ」
ぼくは、その名を呼んだ。
本当の幸いを知る少年の名を持つ、その
ぼくの半身。
寄り添うように、それがぼくの側に立つ。
七つの光の角。竜の頭に、水蛇の体。広がる翼は天使にして悪魔。水棲の魚鱗が、七色に煌めく。
カムパネルラ。今はこそ、救世に歯向かう輝ける竜。
言葉は要らず。ぼくたちはどちらともなく、羽ばたいた。
「決着をつけましょう!」
「望むところ、だよ」
赤き空の下、二つの影が交差する。
麗しき輝き。煌めく七色のプリズムが、相互に交差する。
傲慢の罪を冠する美しき天使――ルシフェリア。その権能は――
「『等価』――! 私は必ず、
それは究極の反則にして、この世の何よりか弱い力。
敵対するものと全く同等の力を得ること。それは逆説的に言えば、どこまで行っても相手を超えることだけはできないということ。
あるいは集団戦であれば、瞬く間に駆逐されてしまう類の力だ。
けれど、今は――
「一対一! さあ、カムパネルラ!
十二枚の翼から、光を放つ。それはぼくのカムパネルラが放つ光と全く同質の攻撃。
「相殺する」
ゆえにこそ、ぼくは全く同じ動作によってそれらを相殺していく。
そして――
「カムパネルラ」
突貫。相手は当然、光を連射してくるが――
「引き剥がす」
その全てを、現実から剥離させる。
対するルシフェリアは、その選択肢を選ぶことができない。突貫しているのはぼく自身で、意思のあるそれを現実から引き剥がすことは不可能であるからだ。
「――ッ、ルシフェリア!」
だから彼は、自らを現実から剥がす方向性で解決を試みる。現実から乖離し、攻撃を交わす。それは無敵の防御のようで――けれど。
「ぐっ、あ――!?」
咄嗟に盾にしたルシフェリアの腕を噛み砕かれて、差崎誰は悲鳴を上げる。
現実からの乖離。それを試みたのは、差崎誰だけではなかった。
現実から遠ざかる彼を追って、ぼくもまた反現実の世界へと到達。それにより、レイヤーを同じくすることで、彼への攻撃を無理やり通したのだ。
カムパネルラ。その天敵は――自分自身。
それは大昔からわかっていたこと。
だって、ぼくはぼくが、今日この日まで、大嫌いだったから。
「くっ――」
差崎誰は反転し、距離を取ろうと翼を羽ばたかせる。近接戦闘はまずいと感じたのだろう。しかし、それをみすみす許すぼくではない。
カムパネルラが追従する。天使と竜によるチェイス。赤い空の下、二つの影が疾走する。
「ルシフェリアァッ!」
彼は熱線をチャフのように撒く。ぼくはそれを即座に現実から引き剥がして無効化する。
それに合わせて彼は現実から離脱。ぼくのクールタイムを狙った形だろうけど、甘い。
「カムパネルラ」
今のカムパネルラは、一秒単位でその力を増し続けている。
クールタイムなどなく、ぼくもまた彼を追って現実を離脱。反現実の世界で彼に追従する。
「光を!」
十二の翼が束ねられ、一つの砲を形成する。その内側から極太の光線が放たれ、反現実の世界を薙ぎ払う。
「カムパネルラ」
呼びかければ、カムパネルラの鱗が煌めく。その口ががぱりと開き、喉奥から、光と全く同等の熱線を放った。
「ぐっ――」
薙ぎ払う極光をぶち抜いて、カムパネルラの熱線がルシフェリアを焼く。
差崎誰は即座に現実へと離脱し、それ以上の損傷を防ぐ。ぼくもすぐさまそれに追従。彼の眼前に躍り出る。
「う、あああああっ!」
その瞬間、ルシフェリアが翼の一枚を直接光へ変換した。肉体の一部を贄と捧げての大質量爆撃。E=MC^2――あるいはそれそのものではあるまいにせよ、質量→エネルギーの変換を伴う爆発的な破壊が周囲一体に撒き散らされる。
ぼくは即座に現実から乖離するが、全てのダメージをゼロにすることは叶わなかった。現実から乖離するまでの一瞬――その一瞬だけでさえ、甚大なダメージ。ぼく自身に傷はないが、盾としたカムパネルラの翼は焼け爛れ、悲惨な状態だ。飛行能力を失ってはいないが――その性能は大幅に落ちている。
ただしそれは――必ずしもぼくだけがというわけではない。
現実から乖離したぼくを追って、差崎誰もまた反現実の世界へと来訪する。その姿は悲惨の一言。焼け爛れた天使の似姿。翼は贄とした一枚を超えて、四枚ほどが纏めて消失している。天使の輪にはひび割れが走り、不安定に明滅していた。
その惨状も当然だ。自分自身の羽を直接光に変換する――それは自爆技もいいところ。当然最もダメージを喰らうのは、それをした当人、まさにその人なのだ。
「カムパネルラァッ!」
彼は叫びを上げてこちらへと突撃してくる。
そうまでしたとしても、ここでぼくを倒したい、倒さねばならない。彼はそう判断したのだ。それは、なぜだろう。そうまでして、彼が孤独にこだわるのは。己一人で生きたがるのは。
あるいは。
寂しさの、裏返しか。
ぼくは――
「来い、差崎誰」
逃げない。
飛びかかる彼を、真正面から迎え撃つ。
放たれる光。それを同等の光線によって迎え撃ちながら、向かってくる彼を正面に捉え続ける。
そして、激突。
反発しあう力と力、掴み合い、喰らい合い、縺れ合いながら、互いに光を放ち、互いの体を焼いていく。
「私は――」
彼は、その仮面を脱ぎ捨てた。
「
そう叫んで――彼は、翼の一つを爆発させる。
反現実の世界に、音なき大爆発が炸裂する。
視界を焼き尽くす光の奔流。けれどぼくはその中でも、彼の体を離さない。
「ぼくは――」
ぼくは。
それになんと返すべきなのだろう。
ぼくは彼のことを、どんなふうに思っているのだろう。
その迷いを突かれてか、
「けれどあなたは、俺を選んではくれない!」
叫んで、彼はぼくの頬を打つ。
「あなたのせいで、俺はどんどん、醜くなっていく!」
ああ、全く――鏡写しだ。
ぼくは彼と同じ。
寂しさに、苦しさに、愛しさに。
襲われて、冒されて、押し潰されて。
その傷が今も、痛み続けている。
けれど、だから――
「ぼくは」
ぼくはきっと。
「その思いには、答えられない」
きっと。
ぼくは彼のことが好きなんだと思う。
けれどそれは。
同情とか。
憐憫とか。
慰撫とか。
そんな不誠実の入り混じった好きで。
それは彼が求めるような愛おしさとは、きっと乖離している。
だからぼくがその気持ちに答えても、彼はきっと、幸福にはなれないだろう。
だから――
だから。
「光を」
貫く。
カムパネルラ。本当の幸いを知る、美しき少年の名を持つ竜。彼が放った光が、天使を落とした。
ぼくは。
目を見開いて落ちてゆく差崎誰を、受け止める。
「君は」
目を、合わせて。
逃げないように、ぼくは言った。
「醜くなんか、ないよ」
ぼくは口下手で、上手い言葉が思いつかない。だから代わりに、一言だけ。
「君に好きと言ってもらえて、嬉しかった」
それは。
それはね。
本当のことだ。
嘘じゃない。
全部全部、本当で。
この世の何より、真実だ。
「――なんですか、それ」
彼は、困ったように笑って――目を閉じる。
きっともう、限界だったのだろう。
焼け爛れた翼で飛びながら、意識を失った彼を、地上に戻す。
そして――見上げるのは、神の似姿。
この世の何より強く輝く、天の王冠。
「カムパネルラ」
それを、ぼくはあるべき場所に返す。
神なんて、いらない。
殺すことも、生まれることも。
誰もそれを、望んでなんていない。
だから、ぼくは。
ぼくは――
羽ばたいた。
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