カムパネルラの傷跡   作:忘旗かんばせ

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エピローグ

 

 0

 

 さようなら、またいつか。

 

 1

 

 青い空の下、ぼくは歩いている。

 

 世界は滅びなかった。

 世界は変わらなかった。

 だから変わったものは、きっと一つだけだ。

 

「やあ」

 

 そんなふうに右手を振ったのは、ドクタだった。

 長い髪を、今は後ろで括っている。

 

「おはよう」

「うん、おはよう」

 

 どちらともなく、微笑み合う。

 

「今日は、いい天気だね」

 

 空を見上げた。薄雲が、空の裾にかかり、偽物じゃない太陽が、世界を照らしている。

 

「うん、そうだね――いい天気だ」

 

 彼は言った。自然な笑み。そこに無理があるようには見えない。

 

「少し早いけど、どうする?」

「ちょっとゆっくり歩こうか」

 

 問いかけにそう答えて、ぼくらは並んで歩き出した。

 異常気象は、何もかもが夢だったみたいに収まった。

 肌寒さもそろそろ消えて、もうすぐ、春が来る。

 

「あ、見て」

 

 ドクタが、遠くを指差す。

 

「桜、咲いてる」

「本当だ」

 

 薄桃色の花が、冬に別れを告げるように咲いている。

 

「綺麗だね」

 

 彼の言葉に、ぼくも頷きを返す。

 そう、世界にはまだ、美しいものがある。

 

「少し、見ていこう」

 

 ぼくは彼の手を引いて、そちらへ向かった。

 川沿いの小道。植えられた桜は、満開とはまだ言えない。それでもところどころ、それに近い咲き方をしている木があって、風が吹くたびに、花びらが舞っている。

 

「――なんだ、お前らも来たのか?」

 

 なんて言葉が、桜の木の影からかかる。

 

「――崇郎(あがろう)

 

 高い背、金髪、顎髭。見慣れた彼が、桜の木陰で携帯を構えていた。どうやら、写真を撮っていたらしい。

 

「もう、桜が咲く季節だ。時間が経つのは早いねぇ」

「老人みたいだよ、それ」

「チクチク言葉だ」

 

 彼は肩をすくめた。

 

「せっかくだからよ、一緒に花見と洒落込まないか? 今、いつもの連中も呼んだところだ」

「いや、ぼくらはぼくらで待ち合わせがあって――」

「すっげぇー! もう桜咲いてんじゃん!」

「はっ、まだまだまだ七分咲き、ってとこだがなぁ」

「――それって、あいつらと?」

「……うん」

 

 ぼくは苦笑した。考えることは、皆同じらしい。

 

「や、マレウス、セルバンデス」

 

 呼びかければ、二人はこちらに目を向けた。

 

「なんだ、お前らも来てたのかよ」

「ねー、予定変更してお花見にしよーよ!」

 

 言おうと思っていたこと先に言われて、ぼくは苦笑した。

 

「ドクタはどう?」

「わかってんだろ?」

 

 彼は笑って肩をすくめる。

 

「それじゃあ、決まりってことで」

「いえーい!」

 

 ぼくが言えば、マレウスが両手を上げて喜ぶ。大袈裟なことだ。

 

「なんか買ってくるか?」

 

 セルバンデスの言葉に、ぼくは首を振る。

 

「いや、しばらくすれば来るだろうから、いいよ」

 

 場所だけ取っておこう――なんて言っても、周りはガラ空きだったけれど、ぼくらは自然と一箇所に寄り集まった。

 

「なんだ、誰かと思ったらあん時の雑魚じゃねぇか」

「言ってくれるぜ。あんたのパンチがイカれてるだけだっつーの」

 

 これでもあいつらの中じゃ割と最強候補だったんだぜ、俺。なんて彼は言うけれど、セルバンデスはもう興味をなくしたみたいに視線を逸らしていた。

 

「ああいうやつなんだよ」

「知ってる」

 

 ぼくが言えば、彼は諦めたように笑った。

 そうこうしているうちに、遠くからバイクの音が鳴り響く。

 

「やや、お待たせー! って、おー、破壊者(ダウナ)組も勢揃いじゃーん」

 

 なんて明るくやってきたのは、法崎貴嶺だった。大型バイクをぶんぶんと蒸してやってきた彼女は、ヘルメットを脱いでバイクを降りる。その背後には、男が二人乗っていた。

 

「飯もの類、買ってきたぜ」

「デザートもパチってきました」

 

 そう言って袋を掲げるのは、冴継次々と二階阿鈴人。二人とも、悪い笑顔をしている。バイク三ケツの不良には、よく似合う表情だ。

 

「レジャーシートは?」

「あっ、忘れちった」

 

 崇郎が貴嶺に問いかけて、彼女はぎゃーとわざとらしく頬を抑える。

 

「おいおい、これじゃ立食パーティーだぜ」

「ふ、心配は無用です」

 

 そう言いながら現れたのは――巨大な巻きござを背負った木嶋(きじま)削子(そぎこ)(はまぐり)善架(ぜんか)だった。

 

「貴嶺が担当になった時点で絶対何かミスはあると想定していましたからね」

 

 削子は誇らしげに言って、メガネを指で押し上げた。

 その影から、善架が苦笑しながら顔をのぞかせる。

 

「や、みなさんお揃いで」

 

 おしゃれ番長に相応しい、バチバチに決まった派手なファションで、善架は言った。彼女の方は、腕にビニール袋を下げている。

 

「飲み物も買ってきたよ」

「お酒?」

「ソフトドリンク」

 

 なんだよー、なんて仰け反るマレウスだけれど、彼女は最近、これでも健康になっている。薬物を、やめたのだ。

 

「コーラの人!」

 

 はーい、とまばらに返事が帰る。続いて、ジュースの人、と声がかかって、ぼくは手を挙げた。

 セルバンデスたちがござを広げるのを眺めながら、冷えた缶を受け取る。

 

 ぼくらは靴を脱いで、ござの上に登った。

 びゅう、と風が吹いて、ござの上が桜の花びらで彩られる。

 

「いやあ、風流だねぇ」

 

 なんて、似つかわしくないことをドクタが言ったものだから、ぼくは笑ってしまった。

 

「なんだよ、笑うなよぉ」

 

 と責められるけれど、それは無理というものだ。

 ぼくは頭上を見上げる。桜の花が、青い空を背景に、風に揺れていた。

 

 戦いは終わった。

 

 あの後、どんなメカニズムによるものか、世界崩壊の余波や、全人類の覚醒騒動によって巻き起こった事態は、無かったことになった。

 

 おそらくは世界が再構築された際に、矛盾をなくすためにそうなったのだろう。

 

 死に果てた人間すらも蘇って、けれど人々はあの時代のことを、決して忘れたわけではない。赤い空の下の、滅びかかる世界のことを、人々は記憶したままで、ぼくたちが世界を滅ぼそうとした張本人であることも、また忘れられてはいない。

 

 それでもぼくたちがこうして自由にお花見なんかに精を出していられるのは、今ここにはいない一人の守護者(プラスティシ)の尽力と――そして人々の、罪悪感によるものだろう。

 

 世界が滅ぶには、理由がある。

 

 それを自覚した人間が、多くはなくとも、確かにいた。

 

 その彼らが少しずつ手を尽くし――その結果ぼくらは、自由を失わずに済んだ。

 

 それはきっと、決して悪いことでは無かっただろう。

 

 ジュースの缶を傾ける。甘酸っぱくて、少しほろ苦い。シトラスの香り。

 

 空の向こうを、燕が飛んでいく。

 

「お、あいつ、もうすぐ着くって」

 

 不意に、崇郎が携帯を見ながら言った。

 

 その言葉に、思い思いの反応が帰りながらも、誰も嫌がる人間はいなかった。

 

 ぼくは目を閉じて、思いを馳せる。

 

 さて、彼と出会ったら何を言おう――なんて、そんな思いは、すぐに吹っ飛ぶことになるのだけれど。

 

「や、久しぶり」

 

 なんて片手を上げながら現れたのは、長身の男だった。

 

 黒いTシャツに白いアウターシャツを羽織り、下半身には青のジーンズ。

 

 黒い髪に、胡散臭い笑みの浮かぶ顔。

 

 その姿は――

 

「シロ」

「うん、まあ――弟に誘われてな」

「誘いました」

 

 少し気まずそうに頬をかく彼の後ろから現れたのは、差崎誰。そう、彼らは――兄弟なのだ。

 

「と言っても、腹違いなんですけどね」

「え、そうなの?」

 

 それは――知らなかったことだ。なるほど。シロとあれだけ親しんでおきながらも、ぼくと彼がほとんど顔を合わさなかったのは、そういう事情もあったのか。

 

「今は、一緒に暮らすようになった」

 

 どうやら、彼の家庭にも、いろいろな事情があったようだ。それは――望まれてもいないのに、踏み込む領域ではないだろう。

 

「いい機会ですので、紹介しておこうかな、と」

 

 彼は言って、「兄です」とシロを指す。おおー、と気の抜けたどよめき。

 

「えっと、いつも弟さんにはお世話になっております」

「あ、どうもこちらこそ……」

 

 兄弟がいる同士の共鳴だろうか、鈴人とシロが挨拶をしあう。

 

「はいはーい質問!」

 

 そこに割り込んだのは、マレウス。彼女は手を上げて、シロに問う。

 

「なんか親しげだけどさー、うちのカムパネルラとどーゆー関係なわけ?」

 

 彼女に問われて――思わず、ぼくらは顔を見合わす。

 

「えっと――」

 

 困ったように躊躇うシロに、ぼくはふ、と小さく笑って、指を指した。

 

「元カレ」

「え、マジ!?」

「嘘言うなって!」

 

 ぼくは両手を上に向けた。この程度の茶目っ気は、許されたっていいはずだ。

 

「ったくお前、生意気になりやがって」

「可愛くない?」

「……いや、可愛いやつだよお前は」

「そ」

 

 ぼくは言って、席を空けた。

 

「座ったら?」

「いや、いいわ。俺がいると、やっぱ邪魔になるっぽいし」

 

 彼は言って、代わりのように弟を前に押し出した。

 

「あとは、お若いみなさんで」

「いや年変わんないでしょ」

 

 なんてツッコミがどこかから入るものの。彼は何も返さず去っていった。

 ぼくはその背中を見送る。

 

「いいんですか、追わなくて」

「追って、どうするの?」

「……一発殴ってみるとか」

「ああ、それはなかなか、いい提案」

 

 でもそれのためにわざわざ靴を履くのは面倒だ。

 ぼくはそれを言った差崎誰の方へと向き直った。

 

「今はそれより、することがある」

「たとえば?」

「友達と楽しい時間を過ごす、とか」

 

 そういうことが、できるようになった。

 これはもしかしたら、堕落なのだろうか?

 振り落ちる桜の花びらを眺めながら、ぼくは思う。

 以前のぼくなら、きっと何があってもこんな光景を受け入れることはできなかっただろう。

 けれど今はそれができていて、それを嫌だとも思わない。

 それはきっと一つの劣化で、許されない鈍化なのだろう。

 

 それでも今のぼくには。

 その変化がどうにも、愛おしく感じられてしまう。

 

 ぼくは、みんなの顔を見回した。

 

 いろいろなものを失って、得たものはほんのわずか。

 

 誰も彼もが不幸になって、世界は終わらず、変わりもしない。

 

 ぼくたちは、失敗した。

 

 それでも人生はまだ続いていて、どうやら終わる気配もない。

 

 だからぼくは、もう少しだけ。

 

 美しいものを探すために、生きていこうと。

 

 そんなことを思いながら――どこまでも青い空を、懐かしむように見上げた。

 





これにて完結となります。
ご愛読、ありがとうございました。

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