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ブリキの心臓。ガラスの血管。頬を伝う、ラピスラズリ。
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カムパネルラのことは嫌いじゃないが、決して好きってわけでもない。
アレクサンドロスにとって、だから彼の位置付けは難しかった。
友達と呼ぶには少し遠くで、同志と呼ぶには志が全く同じかは疑問が残る。知り合いと呼ぶにはいささか密で、恋人なんて冗談にも程がある。だから彼と自分の関係は、きっと同族だとかそんな感じに呼ぶべきなのだろう。アレクサンドロスは思っていた。
カムパネルラと最初に出会ったのは、寝室でのことだった。彼はアレクサンドロスの父親を殺して、その死体を消し炭にした。呆然とするアレクサンドロスを上着で包んで、それから動けない彼女を風呂場に連れて行って、丁寧に洗った。そんな出会いが始まりだった。
カムパネルラは無口な人間だった。兎にも角にも、喋ることを好かない。正確には、そう、余計なことを喋るのを、だろうか? きっと彼の周りには、受信機能の発達したテレパシストがいたのだろう。それくらい、彼は発信を怠る。本当に最低限、口に出さなければ絶対に伝わらないだろうことを、「そんなことも言われなきゃわからないのか、マヌケ」とでも言いたげにぼそりと呟く。そんな人種で、だからアレクサンドロスからしてみれば、彼は大層付き合い難い人間だった。
「人を殺しちゃいけません、なんて、下品な言葉だよね」
いつか彼が言っていた言葉を思い出す。つまり彼にとって、言葉として口にだすに足る、と判断された言葉なわけで、記憶に残るのはある意味当然のことだった。
「殺さないでください、ならまだしもさ」
口の端がほんの少しだけ歪んでいる。それがつまり彼にとっての笑顔なのだ、ということを、最近、アレクサンドロスは掴みつつあった。
「つまり、ポジショントークだ、って話?」
乗っかってやる。熟練のテレパシストってわけじゃないけれど、しかしそれに近い振る舞いができるくらいには、アレクサンドロスは頭の回転が早かった。それは幸運なこととは言えないけれど。
「生きてることは素晴らしい、なんて馬鹿みたいだ」
「でも、死んで確かめるわけにもいかないんだから、仕方がないんじゃない?」
「生まれて確かめてるんだから、十分だよ」
また彼は笑う。珍しい。機嫌がいいみたいだ。
「人を殺しちゃいけない理由なんてない」
殺されちゃいけない理由なんて、ない。
「それがあって欲しい、と願うのは、ただの甘えだ」
宝石を吐き出すみたいに、彼は言った。綺麗な言葉だ。そう思った。
人を殺すことは、ひどいこと。
そんな幻想を、誰が始めに求めただろう?
生きたい。
生きていたい。生きて次に、繋がりたい。
意味もなく……溺れて。
そこで永久に、回っているのか?
「いつだってみんな、自分が正しいと思いたい」
そこに逆転がある。
彼は言う。
本当はたまたま、生きているだけ。
何かの間違いみたいに、生きてしまっているだけ。
なのにどうしてか、それを認められない。
理由がないことに耐えられない。
だから、正しいと思いたい。
生きていることは、正しい。
そんな幻想に囚われる。
本当はそっちの方が、間違っているかもしれないのに……。
その可能性を見るのが、恐ろしくて仕方がない。
「みんな、本当は知っている。己が間違っていること。己の中に間違いがあること。でも、それをみんな、認めたくないんだ。否定したい。躍起になって。間違いなんて自分の中には一つもないって、汚れた手で魂を拭って純粋になりたがる」
馬鹿馬鹿しいね。笑っている。まるで神様みたいな微笑だと思った。そう、神様はきっとこんなふうに、笑っているのだろう。遥か遠くの天上から、地上を眺めて。
なんて馬鹿馬鹿しくて、救い難いのだろう、と。
地上の全てを、そんなふうに見つめている。
「『間違い』を叩くことが、潔白になると思っているんだ。間違いを許さない自分は、正しい側にいるんだって。でもそれも結局、因果の誤謬。踏み絵にはなんの意味もない……ただ、見せつけてるだけだ。自分が…何かを踏み躙ることができる人間だ、って」
どうにも汚れて、穢らわしい。
余計な意図ばかりがへばりついて、剥がれない。
「でもじゃあ、綺麗ってのは、どういう概念なんだい?」
気になって、アレクサンドロスは問うた。そう、それはずっと気になっていることだった。病的なくらい穢れを憎む彼にとって。けれどならば、美しいとはなんなのだろうかと。
「美しさは……手放すことだよ」
「手放す?」
「そう。己の中の、醜さを……」
たとえば驕り高ぶりを。他者と自己。その二つの間に敷く段差を。
たとえば甘えを。自分こそが正しいのだと信じたがる、その誤謬を。
たとえば虚飾を。自分を飾り、醜さなどないのだと見せびらかすその偽りを。
たとえば妥協を。理不尽に怒らず、醜悪に迎合し、堕落を許すその怠惰を。
たとえば……執着を。誰かを己のものにしたいなんて、傲慢を。
「手放して、生きていくことだ」
それはきっと純粋な生なのだろう。いや、その生をすら手放すのが、きっと彼の理想。命なんてものがあるから驕り高ぶり、甘え、偽り、妥協し、執着する。だからそれを手放す。そう、それはこの上なく透き通って美しい、魂の純化。けれど、どうなのだろう。その人生は……。
「手放す、だけ?」
手放すだけが、美しさなのだろうか。
何かを手に入れることは。
何かを受け取ることは、醜さなのだろうか。
「それは……」
彼は言い淀む。
何か、触れたくないものに触れるように。
「それは錯覚だ」
何かを手に入れる。
何かを受け取る。
それは幻想。
人間は、その頭蓋の内側から外に出ることができない。
光さえ……。
頭蓋骨の内側を、照らすことはできない。
「けれど、信号は?」
アレクサンドロスは問う。
光そのものは届かなくとも、けれどその信号は、内側まで届くはずだ。
そう問えば、けれど彼は。
「刻まれるのは、傷だけだ」
らしくもなく、言う。
けれど、そう。
傷とて、受け取るものには変わりないのではないのだろうか?
痛みも。
苦しみも。
それは証。
己がそこに存在したこと。
存在し、抗ったこと。
その証じゃないか。
アレクサンドロスは思って、けれどそれを言わなかった。
だって、そう。
それを言ったカムパネルラの顔が、とても辛そうだったから。
彼は多くの傷を受けて。
今もなお、苛まれている。
愛おしい棘を、その心の内側に抱いて。
難儀な人だ、と強く思う。
アレクサンドロスからすれば特に、そう見える。
彼自身は認めたがらないけれど。
彼はきっと、恋をしている。
その恋はずっと、彼の心を苛んでいて。
いつかその心を致命的に破壊するだろう。
それがアレクサンドロスには、わかる。
だから、そう、せめて。
「私は最後まで、そばにいるよ」
意味がわからない、とばかりに、彼は首を傾げる。
それでよかった。
好きなわけではない。
愛してるなんてもってのほかだ。
友達だとすら思っちゃいない。
けれど、それでも。
情はある。
矛盾を抱え。
愛に苦しむ彼に——抱く、情は。
だから彼女は小さく笑って。
叶うことのない、嘘を吐いた。
2026年1月18日開催の「文学フリマ京都10」にて、当小説、「カムパネルラの傷跡」を加筆修正の上、同人誌化し、配布します。
カバーイラスト、挿絵は沃懸濾過(@loka_ikaku)さんに担当して頂いております。イラスト化された
場所はみやこめっせ3F第三展示場、サークル番号「け-12」、サークル名「狐猫社」にてお待ちしております。
是非是非、お気軽にお立ち寄りくださいませ。
イベント後にはBOOTHにて事後通販、電子版の販売も予定しております。詳しくは作者X(旧Twitter)(下記URL)などにて。
https://x.com/wasuhatakanbase
何卒よろしくお願いいたします。