カムパネルラの傷跡   作:忘旗かんばせ

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第二章 1

 

 0

 

 子供みたいなことを言ってごらん。

 

 1

 

「誕生日プレゼントって、何が良いと思う?」

 

 本当は「知らないよ」と返してやりたかったのに、はにかむような笑顔がどうにも、ぼくの心を責め立てた。

 

 卑怯だ、と思う。

 

 何もかもが卑怯なんだ。

 

 ずっと、それだけが頭の中をこだまして、待ち合うこの時間にもオーケストラ。トンボの大群が骨を齧り尽くして、崩れ落ちてしまいそうな気分だった。

 

 アンティーク調の街灯が、待ち合わせの場所だった。この町では唯一のそれで、昔、有名な建築家が寄贈したらしいけれど、誰もその名前を言わないのだから、眉唾な話だ。

 

「や」

 

 片手をあげてやってきた。いつも通りの服装。タートルネックのブラックセーターに、灰色のコート。まさか彼女と出かける時にまで、そんな花のない姿をしているわけじゃあないよね、なんて。

 

「待たせた?」

「別に」

 

 いやらしいやりとりだった。背骨の裏が、まるで出来物に埋め尽くされたように痛痒い。苦痛だ、と思う。嘘のように。

 

「それで、どこにいくの?」

 

 ぼくが問えば、彼は苦笑い。ばっかみたい。何も考えていないんだ。二言目には、きっとデパートにでも行こうかななんていうに違いない。花を理解できないというわけではないくせに、範囲外となると途端にダメになる。悪い癖だよ、と指摘してやりたくなったけれど、しない。

 

「わかった。もう良いよ」

 

 その代わりに言って、ぼくは立ち上がる。

 

「いや、その、何も考えてないわけじゃなくてだな――」

「考えたけど思いつかなかったんでしょ。知ってるよ」

 

 知ってるんだ、昔っから。彼はそういういう人だった。努力が報われないタイプ、と言えば言い過ぎだけれど、しかし見えにくいタイプの。

 

「いこ」

 

 ぼくは彼の手を引っ張った。

 はと気付いて、すぐに離す。繋いでなんて、いられない。

 いられないんだ、もう。

 

「こうして歩いてると、昔を思い出すよな」

 

 並んで歩きながら、彼は言う。

 

「そうかな」

「昔は、俺の方がお前のこと引っ張り回してたよな」

 

 それがいつのまにか、一人でどこへでも行くようになっちゃってさ、なんて、唇を尖らせる。

 

 卑怯、卑怯、卑怯。

 埋め尽くされる心の澱み。

 ああ、嫌な気分だ。

 

「逆転するのは、嫌い?」

「実は意外と、そうでもない」

 

 ぼくは、嫌いだ。嫌いなんだよ。知ってるかい?

 

 きっと彼は知らないのだろう。ぼくも教えない。それで良い。それが良い。言葉に出さなかったものは、ただの電気信号。頭蓋の檻に囚われて、どこへも行けず消えていく。焼け爛れるような痕だけを、脳裏に残して。

 

 服装に気を使い始めたのはいつからだっただろう。彼と知り合ってからなのは間違いがない。元は彼の方が、その手の分野には詳しくて、けれどそれが限られた範疇のジャンルに限ってだと気付いたのは、果たしていつだったか。衣装の数は、きっとぼくの方が多い。それは、無くした何かの代償だから。

 

 ぼくたちは電車に乗った。

 

「どこまで行くんだ?」

「隣町」

 

 男性向けのファッションは、ぼくたちの住んでいる街の方がメインストリートなのだけれど、女性向けのそれは一段劣る。最新のそれに追いつこうと思えば、少しの遠出が必要で、そのコストを、ほとんどの誰もがペイできもしないのに、夢に縋って支払っている。

 けれど数少ない叶った一つを知っているから、それを馬鹿馬鹿しいとは笑えない。

 

 電車の中に、人は少なかった。古びた窓。埃が淵にこびりついて、茶色く汚れていた。来年には、この車両も刷新されると聞いた。どこでだったかは、忘れてしまったけれど。そういうもの。古くなったものは捨てて、新しいものに変える。それが健全で、当たり前のこと。不用品は、ゴミ箱へ。命だって、それは同じ。

 

『――次は――、――です』

 

 ひび割れたアナウンスが、目的地への到来を告げる。

 

「次で、降りるよ」

 

 言った。

 

 子供の頃、電車を降りるのが怖かった。電車とホームの隙間が、まるで無限の暗闇のように感じて、それに呑まれてしまいそうで。

 

 今にして思えば、きっとそれは、手を引かれるのが怖かったのだ。

 

 引かれる手を離されたら、ぼくは置いて行かれてしまう。どこへも行けない暗闇の中に、一人。ただ一人、孤独に。

 

 だから、ぼくは翼を手に入れたのだ。

 きっともう、どこにだって行ける。行く当てがなくとも。行く先を消し去ろうとも。

 

 誰に手を引かれることも、なくなってさえ。

 それはうんと素晴らしいことで。

 ぼくは恐れることもなく、細い暗闇を、悠々と跨いだ。

 

 2

 

「髪の色って、栗色だよね」

 

 そこにいない人物の姿を思い出すことができるのは、一体何のためなんだろう。

 

 思い出せるそれより、思い出せないそれの方が遥かに多い。その差は一体何なのだろう?

 

 ぼくは彼女の姿を鮮明に思い出せる。焼け付くように、記憶の中に住み着いている。

 

 それは、何のために?

 何がしたくて、僕の脳はそれを記憶したんだろう?

 

「うん」

 

 照れたように、彼は頷いた。

 ぼくはそれから目を逸らして、アクセサリを手に取る。

 

 流行りの、というには、まだ知名度が低いアクセサリショップ。けれど作りは良くて、価格もそこそこ。その内、自分は他人とは違うのだ、というラベルを自分に貼り付けたい人々が、群がりだすだろうことは目に見える。

 

 店の中に、人はまだまばら。ぼくたちは二人並んで、その中を巡っていた。

 

 学生でもギリギリ手が届くジュエルアクセサリー。下は一万円台からあって、けれど安物の謗りを受けるようなチャチさはない。

 

「彼女、ピアスは開けてる?」

「いいや」

 

 そうか。そうだろうな、と思う。

 痛みに弱そうな人だった。そんな人の方が、彼には似合う。そう、よく似合っている。

 

「彼女、好きなモチーフとかある?」

 

 動物、植物、マーク、シルエット。どれでも良いけど、知っているのなら。

 

「えっと、確か――猫が好きだったと思う」

 

 ちょうど――

 

「お前がつけてるみたいな」

 

 なんて、指を刺される。耳元。シルバーがかたどる、小さな猫のピアス。揺れるそれを、彼は確かに、見咎めていた。

 

「……一応言うけど、同じのを送ろう、なんて、よしたほうが良いよ」

 

 ぼくは言った。トラブルはごめんだ。人の心なんて馬鹿馬鹿しいもので、すぐに敵を作りたがる。きっと、好きなんだ。生まれた時から、戦うことが。そうでなければ、生きていられないみたいに。

 

 図星だったのだろう、彼は「え、ダメかな」なんてマヌケにも言った。

 

「ダメに決まってるでしょ。これ、メンズだし」

 

 本当は、ちがう。でも、言う必要はない。目的はすでに叶った。これ以上は、全てが余分。

 

「これなんかどう?」

 

 ピンクゴールドのチェーンに、猫のトップが付いたペンダント。猫の首元に首輪のようにジュエルが散りばめられていて、色使いも悪くない。

 

 大人の女性がつけるには幼すぎるデザインかもしれないが、学生には相応だろう。

 

 ぼくが差し出してみれば、彼はそれを両手で持って広げた。

 

 きっとその先に、見えているのだろうな、と思う。彼の脳裏にももうすでに、刻まれているのだ。きっと鮮明に、美しく。

 

「……うん、いいな」

 

 彼は言って、頷いた。どうやら、満足してもらえたらしい。

 

「ありがとう。お前に頼んで正解だった」

 

 なんて、屈託のない笑顔で言われて、どうにも。

 

「お礼は、まだ取っておきなよ。喜ばれるか、わからないんだから」

 

 そう言って、ぼくは彼をレジに押しやった。

 彼が会計を済ませている間、手持ち無沙汰で、何気なし店内を見回す。

 

 目に入ったのは、指輪。永遠の愛を示すダイヤモンド。炭素の化合物の、何が永遠を示しているのだろう? 圧せば砕け散り、熱せば溶け消える。永遠なんて儚い嘘だ、という教訓だろうか? だとすれば、洒落ている。

 

 変わらないものなんて、どこにもない。

 

 どれほど留まりたいと願っても、変わらないでくれと祈っても、時の濁流はただひたすら無慈悲に僕たちを未来へと押し流し、それは死という永遠の停滞を迎えるまで変わらない。

 

 ふと、手を見た。痩せた手のひら。細かった指は、少しずつ節くれ立って、男の指になっていく。もう、指輪は似合わない。

 

「何見てんの?」

「別に」

 

 会計を終えた彼が戻ってきた。ぼくはそっけなく返す。

 

「それさ」

 

 彼が大事そうに抱える紙袋を、ぼくは指差す。

 

「ちゃんと、自分一人で選んだ、って言うんだよ」

 

 人間という生き物はとても厄介なことに、現実という概念ととても相性が悪い。時としてそれに反する嘘を心は望み、自分の、あるいは他人の脳からそれを与えられると、何かが思い通りになった、という錯覚を得る。あるいは、頭蓋骨の外側の世界は、思うがままに出来ない、という不都合を、ほんのひととき忘れることができる。そういうものを、世間では幸福と呼んだりするそうで、なんだかとても、不毛であるように思うけれど、そのような無意味を食事と睡眠に次いで求めるのが、人間という生き物の大きな特徴の一つだ。

 

「この後、どうする?」

 

 目的は済んで、店を出た。エネルギーの節約をするのなら、もう帰るべきだけれど、彼はそうは思っていないみたいで、ぼくにそれを聞いてきた。

 

 心に、不随意の不整脈。嫌な気持ちで、眩々する。

 

「どうにでも」

「じゃあ、飯でも食って行こうぜ」

 

 言ってから、「どこがいいかな」とスマートフォンをいじりだす。何が食べたい、とはぼくには聞かない。言っても、ヌル以外の回答が返ってこないことを知っているからだ。

 

 好きな食べ物がない、と、よく勘違いされる。

 

 別段、それで困ることもないので、訂正はしない。したいと思ったこともない。

 

 ただ、本当は、食べることそのものが、好きではないのだ。

 

 自分が生きていること、生きていることの奴隷であること、それを強く突きつけられるのが、食事という行為で、これはひどく苦痛に思えた。

 

 空腹と、それを解消するための食事。それがもうすでに、奴隷を調教するためのメカニズム。檻に囚われて、決して抜け出せない。

 

 これに対する反逆には三つのパターンがあって、しかしそれも完全ではない。

 

 一つは効率を突き詰めること。食事の回数と時間を最小限にして、肉体の維持に必要なエネルギーを得ることだけを目的にする。そうすれば、余分な時間やエネルギーを、肉体の維持というつまらない仕事のために奪われずに済む。ただしこれは、肉体を維持するのに極限に効率的であるという意味で、逆に、奴隷としては最高の仕事をしていることにもなる。

 

 二つ目は、逆に、美味しさ、ひいては快楽だけを追求した食事をとること。大抵には、これは健康の悪化を伴う。人間の進化は、文明の進化に対し、速度が遅くなっている。これは一つの希望だ。まだ不十分だけど。

 

 三つ目は究極。つまり、食べない。これは死を伴うので、ある意味では究極の反逆だ。デメリットは、もちろん、死ぬこと。そうやって、ぼくたちは生きている限り、命を人質に取られて、様々な自由を奪われている。それが許し難いことだ、と、本当は誰もが思っているはずなのに、それを忘れるための巧妙なウィルスが、さまざまな形で散布されていて、生まれてから一定の段階までの間に、感染してしまう。

 

 ぼんやりと考えるうちに、ぼくは彼と共にどこかの店に入っていた。

 

 ぼくが三番目を選びたがることを、彼はもうずっと前から知っていて、だからこういう不必要なサービスを、ぼくに対してよくしようとしてくれる。

 

 外の明かりがよく入るのは、店の奥に大きな窓があるからだった。ナチュラルウッドを基調とした店内の作り。テーブルの隅に立てられた、プラスチックの禁煙マークだけが、ただ一つ無粋だった。

 

「どれにする?」

「ここは、何の店なの?」

「ピザ。二つ選んでいいぜ。半分ずつしよう」

「そんなに食べられないよ」

「余ったら俺食うから大丈夫」

 

 勢いに押されて、ぼくは適当に二枚のピザを選んだ。両方とも、魚介が上に載っているもの。彼は、肉よりその手のものが好きだ。味に頓着しないぼくより、彼にとって意味のあるそれを選んだ方が、効率的。

 

「お前さ、もうちょっと我儘言っていいんだぜ」

「じゃあ、煙草が吸いたいな」

「そういう我儘は、ダメ」

 

 嘘つきだ、と思う。あるいは、間違えているのか。きっと、そのどちらでもあり、どちらでもない。その境界が、そもそもないのだ。間違いであることが観測されたものが、嘘として扱われる。全ては外部からの評価で、脳自身にそれを区別するシステムはない。

 

 そして間違いは、決して正解の対義語ではない。

 

 幻想、夢、自由。それらは、間違いに該当する。正解も、間違いの一部だ。

 

 全ては幻想で、夢のようなもの。

 

「シロこそ、我儘を言えばいい」

「今日はだいぶ、言った気がするけど」

「たとえば?」

「プレゼント選び手伝ってもらったり」

 

 そうだね、それは、我儘だ。

 だけど、どうしてだろう。それを、そうカウントする気にはならない。

 

「もっとさ、めちゃくちゃな我儘を、言いたくはならない?」

 

 たとえば、世界を壊してしまいたい、みたいな。

 

 ぼくはいつだって、思っている。

 いつだって、最高の我儘を言っている。

 それは幸福じゃないか?

 幸福だと言ってくれよ。

 

「そうだなぁ」

 

 言って、彼は笑った。

 

「ずっと、今日みたいな日が続けばいいなぁ、って思うよ」

 

 そう、そうだよ。

 それが、我儘だ。

 叶うことのない願いが、我儘なんだ。

 





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