カムパネルラの傷跡   作:忘旗かんばせ

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第二章 2

 3

 

「ハロ」

 

 伸ばさない挨拶が特徴的だった。

 雲の下、ぼくは同僚と会う。

 

「今日は、君なんだ」

「この間は、救援に来れなかったから」

「君の責任じゃない」

「責任は、いつだって自分のもの」

 

 それは正論で、ぼくは両手を上げた。越権行為は、ぼくの方。

 

「カムパネルラの調子は」

「悪かったら、ここにはいない」

 

 答える。カムパネルラの傷は、もうとっくに癒えている。いつだって、戦える。何とだって。誰とだって。それが、自由ということだと、信じていられる限りは。

 

 赤い空が、まばらな雲の向こうに見え隠れ。

 

 今日の同僚は、アレクサンドロスではなかった。彼女はお休み。むらっけがある人だから、いつもは来ない。その辺りがサポート役として、信頼しきれないところだ。

 

「そういうファウストはどう?」

 

 英語の授業ではないけれど、ぼくは仕返しをした。こういう報復の応酬を、情と呼んでもてはやす風潮があって、ぼくはあまり好きではないけれど、彼はそれが好きな方だと知っていた。

 

 ファウスト、と呼ばれた少年は薄く頷く。問題ない、という意味だろう。

 

 ぼくは隣の彼を改めて見る。

 

 日本刀のような、硬い鋼の印象を受ける。

 野球帽を深くかぶって、目元を隠していた。やや伸びた癖毛が、さらにその隠蔽を深くする。そこまでしてもなお隠しきれない、ギラつく視線の輝きが、彼を象徴するようなそれだ。

 背丈はぼくより少し低い。当然で、彼は年下。まだ、中学三年生。成長期はこれからだろうと思うけれど、これ以上成長すると、どうなってしまうんだろう? と思わせられるような威圧感が、すでにある。

 鍛わった体つきに、どんな時でも変わらない仏頂面。体に刻まれた無数の生傷。

 

 ファウスト。彼は、戦士だ。

 

「今日の敵は、強い」

「予感?」

 

 聞けば、彼は頷いた。

 彼の予感は、当たる。ぼくは小さくため息をついた。

 

「……休めばよかった」

「今からでも遅くはない」

「冗談だよ」

 

 ぼくは首を振った。敵前逃亡をするほど怖気付いてはいない。隣にいるのが最強の戦士とあれば、余計に。

 ただ、面倒だなと思っただけのこと。思うことは、不随意。ぼくの心さえ、ぼくのものにはならないのだ。

 ビルの屋上。冷たい夜風が吹いている。

 

「来る」

 

 どちらともなく、言った。

 

 雲を裂いて、何かが現れる。それは鈍色の偶像。形は人間であるように見えるけれど、その大きさと材質は明らかにそうではなく、何よりその背の巨大な翼が、人であることを否定する。

 

 有翼者(イカロス)。そんな名前が脳裏に浮かぶ。

 

「先行する」

 

 そう言って、彼はぼくを置いて飛び出した。

 敵は一体しか姿を見せていない。ぼくには後詰をしろ、ということだろう。

 

 こと一対一の決闘において、ファウストに勝てる敵は存在しない。ぼくはそれを確信しているから、何の心配もなく、ただ横槍だけを警戒していられる。

 

 通常の人間で言えば、三人分はあるだろう巨体のイカロスに対し、飛び出したファウストの影は小さい。人と同等の矮躯。けれどそれゆえに、それは人の(すい)でもある。

 

「ファウスト」

 

 遠く離れていても、その声が聞こえるような錯覚。

 彼の通り名にして、彼自身の乖獣(オルターエゴ)――ファウスト。

 

 武者鎧を纏う影の怪物。それを表す上で、最も近い表現はそれだろうと思えた。本体を纏うように顕現したファウストは、中空を踏んで天へと駆け上がりながら、その実体が不鮮明な腕で腰の刀を引き抜く。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 瞬間、向かう先のイカロスの両目が光り輝く。放たれるのは不可視の衝撃波。空間を揺らすそれは戦場である空の向こうから遠く離れたぼくをさえ強く揺さぶり、吹き飛ばそうとするほどだけれど――

 

「ファウスト」

 

 少年はきっと、空の向こうで呟いただろう。

 

 ただそれだけで――

 

 斬撃一閃。

 

 振るわれた刃が、不可視の衝撃波それそのものを両断する。

 

 ファウスト。彼は戦士だ。どこまでも強く、ただひたすらに強く。

 間合いはさらに近づく。クロスレンジ。それはファウストの世界。

 

 剣が閃く。

 

「――硬い」

 

 思わず呟いた。

 ファウストの刀は、突き出されたイカロスの巨大な拳を真っ向から捉えて、それを左右に引き裂くように、肘の寸前までを分かって――そこで止まった。

 その鈍色は、おそらく見た目通り、あるいは見た目以上の硬質なのだろう。内部までもがほぼ全て、鍛造された金属でできた巨人。そう思って差し支えあるまい。――と、それが楽観的な予想だったと気付かされるのは、直後のこと。

 

 引き裂かれたイカロスの腕。それが刀を咥え込んだまま、再生する。

 

「なるほど、ターミネーターか」

 

 ぼくは独りごちる。

 引き裂かれた腕部は蠢きながら再度癒着し、腕の中に刀を封ずる。そして――

 イカロスの目が、再び輝く。

 けれど。

 

()()()()()()()()()()()()

 

 物理攻撃の無効化と、大火力攻撃。その合わせ技程度では、ファウストを相手取るのにまるで一つも足りやしない。

 ファウストは刀を手放した。

 

 そして――

 

 次の瞬間、イカロスの体は()()()にされていた。

 

 ファウスト。恐るべきは、その固有能力。

 

 時よ止まれ、汝は美しい。

 この世には醜きが溢れにすぎ、けれどその中でさえも、まだ美しいものを探し踠く彼に、その力はあまりにも皮肉のようで、けれどだからこそ、何より悍ましく強力だ。

 

 催眠術だとか超スピードだとかそんなチャチなものじゃあ断じてない、比喩表現抜きの()()()()。それこそがファウストの能力で、だからこそ彼は、彼という戦士は絶対無敵。

 

 どこかの吸血鬼や高校生とは違って、止めていられるのはわずか一秒程度で、インターバルもそれなりに長いという話ではあったけれど、しかし彼という極限の戦士に一秒の自由を与えることは、あらゆる敵に対する絶対の死を意味する。

 

 予感は外れたな、なんて思いつつ、もう再生することもなく、朽ち果てながら堕ちゆくイカロスの残骸を眺める。

 

 自らが成した成果を誇ることもなく、刀を収めて空を踏み、帰還するファウスト。さて、何と労いの言葉をかけようか。

 

 なんて、その、思考が、

 

「――え?」

 

 狂う。

 

 時の歯車を堰き止める無敗の戦士――ファウスト。

 その姿が、空中で()()()

 そして、次の瞬間。

 

 彼の首が――落ちていた。

 

「――ッ、カムパネルラッ!」

 

 叫びながら、屋上の柵を飛び越える。現れる水棲の未熟児。癒着したそれの翼を駆りて、ぼくは堕ちゆく彼の元へと向かおうとし――

 

「やめた方がいいですよ」

 

 なんて――声が、背後から――

 

「――死ね」

 

 考えるよりも先だった。

 熱閃を放つ。過去のどれよりも激しく、強く。

 

「おっと、危ない」

 

 その攻撃は、()()()()()()()()()()()

 

「落ち着いてくださいよ。何も私は、あなたを殺そうってつもりじゃあないんですから」

 

 振り返った先にいたのは、少年だった。

 

 ぼくよりも、ファウストよりも、ずっとずっと幼い。ともすれば小学生くらいなんじゃないか、なんて思うほどで――

 水色の髪。染めたのだろうか? まるで非現実的なそれが、けれどどうしてか酷く似合う。

 

「――誰? 君」

 

 ぼくが問えば、少年はまるで無垢にもにっこりと笑う。

 

「実はまさしく誰なんです――なんちゃって」

 

 理解できない冗談を言って、彼は小さく舌を出した。

 

「私の名前は、ササキスイ。差別の差、山編に奇形の奇、誰何(だれなに)の誰と書いて――差崎(ささき)(すい)と申します」

 

 気軽にスイちゃん、と呼んでください――なんて、ありえないにも程がある。

 

守護者(プラスティシ)

 

 冷たく言えば、相手は両手を上に向けた。

 

「そう呼ばれることもありますね」

 

 私としては、あまり、()()ってつもりもないんですけど――と口にしながら、彼は後ろ手に手を組んだ。

 

 ぼくは乖獣(オルターエゴ)を展開したまま全霊の警戒を張る。――人間としての姿を晒した守護者(プラスティシ)を見るのは、これが二度目だ。一度目の惨劇は――思い出したくもない。

 

「あなたのお仲間は、もう死んでいる。遺体も残りはしないでしょう。それよりもここは一つ、実りのある話をしませんか?」

「その仲間を殺しておいて、良く言う」

「それはお互い様というものでは?」

()()ってつもりもないんだろ」

「ええ。ですが、()()()()()()()()()()()?」

 

 嫌な笑顔だった。ぼくは沈黙を選ばされる。

 

「私たちの試算した中では、かなり有力なパーセンテージだったんですよ」

「何が」

()()()()()()()()()()()()()

 

 それは、何の冗談だろう。守護者(プラスティシ)破壊者(ダウナ)は不倶戴天。決して相容れない両極端だ。手を組む、なんて、その概念そのものが、両者の間には存在しえない。

 

「私はそうとも思わないんですよね」

 

 あくまでも笑みを絶やさず、少年は言った。

 

「仮にそうだとしても」

 

 守護者(プラスティシ)破壊者(ダウナ)の間に手を組む余地があるのだとしても。

 

()()()()()()()()()()()()()()

 

 ぼくとだけは。

 現状生存している破壊者(ダウナ)の中で、()()()()()守護者(プラスティシ)()()()()このぼくとだけは――

 

 絶対に、ありえない選択肢で、あるべきはずだ。

 

「憎悪と殺戮に相関性はないでしょう」

 

 憎しみがなくとも、人は人を殺せる。

 逆に、憎しみで人を殺せる人間は、憎しみでしか人を殺せない。

 

「だからこそ、最も多くの守護者(プラスティシ)を殺戮せしめたあなたがこそ、最もそれに執着を持っていない、と、そう予測を立てました」

 

 その証拠に――

 

「たった今仲間が殺されたばかりなのに、あなたは平然と私との会話に応じている」

 

 その指摘が。

 酷く、癇に障った。

 

「殺し合う方が、望み?」

「それは、誰の?」

 

 沈黙。

 

「まずは、こちらの定案を聞いてほしいのです」

 

 彼は祈るように両手を合わせた。少なくとも、神にというわけではないだろうけれど。

 

「あなたには破壊者(ダウナ)を見限って我々の側について欲しい」

「メリットは?」

 

 まさか、用意していないなんてことはありえない。もしも命を助けてやることが対価だ、なんて言い出したのなら、その瞬間後ろに向けて飛び降りてやるつもりだった。

 

「我々が提供できるメリットは」

 

 彼は言う。

 

()()()()()()()()()()()()()()

「――」

 

 それは。

 それは一体、どういう意味で――

 

()()()()()()()()()()。あなたたち破壊者(ダウナ)は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ならば仕方がありません。世界(こちら側)()()()()()()()。あなた方が現状のルールを厭って世界の破滅を願うなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。これは交渉というより――事実上の降伏宣言です」

 

 ()()()()()()()()()()()()――ってわけですよ。

 差崎誰は――そんな妄言を宣った。

 

「信用できない」

「でしょうね。私も逆の立場なら信用しません。()()()()()()()()()()

 

 彼は言って、指を一つ立てた。

 

「いいですよ」

「……何が」

()()()()()()()()()()()()()()

 

 なるべく荒唐無稽な願いである方が、やりやすいですね。と彼は微笑む。

 それは――

 

「報酬の払い損になりそうだけれど」

「可能性はゼロではない。しかし、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 だから、良く悩んでください、と彼は言った。

 

「あくまでも、お試しですから。必ずしも、()()でなくても結構ですよ。そちらは、本格的にこちらに来ていただく時、もう一度、あるいは何度でも」

 

 思い浮かぶ願いは、一つ。

 けれど、それは。

 それは――

 

「わかった」

 

 ぼくは思考を打ち切った。

 

「それじゃあ、ぼくが叶えて欲しい願いは――」

 





沃懸濾過(@loka_ikaku)さんから再びはちゃめちゃに素敵なファンアートを頂きました!
https://x.com/loka_ikaku/status/1941137567241675001
許可を得て、作中に挿絵として掲載させて頂いております。
沃懸濾過さん、ありがとうございます!

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