カムパネルラの傷跡   作:忘旗かんばせ

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第三章 1

 0

 

 君のためだよ。

 どうか喜んで。

 

 1

 

 守護者(プラスティシ)の襲撃もない夜に集まったのは、珍しいことだった。

 

「お酒、君は飲む?」

「いらない」

 

 アルコールは嫌いだった。思考を麻痺させるだけなら優れているとも言えるけれど、その後に訪れる副作用が大きすぎる。ぼくは少しだけ未来を予測するという能力を持っているから、それを飲まない、という選択肢を取れるけれど、彼女はそうではないようだった。

 

「グラスはね、面倒だから、洗わないんだ」

 

 瓶に直接口をつけている理由を、説明してくれているのだろう。博物館じゃないんだから、いらないサービスだな、と思った。

 

「それで、なんだ。イエス・キリストを殺すんだっけ?」

「それだと、ファウストだよ」

 

 あ、そう、と彼女は言って、瓶を机に置いた。彼女も未成年だというのに、堂に入った所作だった。

 

 ぼくはアレクサンドロスの家に来ていた。家といってもほとんど廃墟同然で、そこかしこにゴミと、それが詰め込まれている袋があるだけだった。机の周りだけがかろうじて人間の存在する余地がある空間で、彼女はどこで寝ているんだろう、という疑問だけがホットケーキの泡みたいにふと浮かんでは消えていった。

 

「じゃあなんだろう。天草四郎かな。それとも武藤遊戯か。なんでも良いけど」

 

 へらへらと笑ったまま、彼女はいう。機嫌がいいのは、アルコールのおかげだろうか。未来の分の機嫌を、過去に持ってくることができる装置、と考えると、アルコールは一種のタイムマシンかもしれない。あまりロマンはないし、実益も微妙なところだ。

 

「向こうもそれを想定してはいるだろうねぇ」

 

 彼女は言って、瓶を傾ける。

 

「私が行って、意味があるかな」

「どちらかというと、後詰。敵が武藤遊戯ならいいけれど、天草四郎なのなら、森宗意軒がいる」

「誰、それ」

「調略役と奇跡役は、別」

 

 あの時対面した守護者(プラスティシ)がそう、というのは有り得ない。もし本当にいるならそれを表に出す意味は全くゼロだ。

 

「わからないぜ。目の前でじゃないと奇跡を起こせないのかもしれない」

「だとするのなら調略なんかのためにのこのこ出ては来ないだろう。リスクが高すぎる」

「でも現に君は殺さなかった」

「リスクが高すぎたからね」

 

 そもそも、()()()()()()()()()()()()。あれはその手の力を持っている。だからこそ――

 

「それに加えて奇跡までってのは、人の域を超えている」

 

 よしんば手品でも、首と胴の離れた相手をどうにかするほどの手品だ。そんなものは奇跡同然で、やはり過ぎたる力。

 

 乖獣(オルターエゴ)は、現実を蝕む亀裂。けれどだからこそ、決して全能にはなり得ず、その力には限界がある。人という名の枷。それゆえに、ぼくらは世界を壊すのだ。

 

「いずれにせよ、敵が一人でのこのこやってくる、っていうのは、ちょっと有り得ないよね。調略ってのは、有利な側がやるから意味があるのであって、不利な側がやるのではただの命乞いだ」

 

 向こうは精鋭を揃えてくるだろう。最低でも、こちらのエース二枚を確実に喰えると判断できる程度の札は用意するはず。だからこそ。

 

「君が必要だ」

 

 少数精鋭で戦う以上、がむしゃらに戦うのでは圧殺されて終わりだろう。ぼくたちは暴力装置。指揮者がいてこそ、その力は万全になる。

 

「熱烈なラヴコールだね」

「気味が悪い、辞めてくれ」

「わかってるよ。冗談が通じないな、君は」

 

 冗談だとしても、という意味だったのだけれど、それを教えてあげることは憚られた。時折、こういう不親切を優しさと呼んだりするようだった。

 

「ま、いずれにせよ、私もやるしかないね。君ら二人を失うのは損が大きすぎる。どのみち負ければ終わりの勝負。賭けるなら、オールイン以外は有り得ない。何より――」

 

 私もそいつを――殺したくって仕方がない。

 ははは、と彼女は笑うふりをした。

 ちゃぷん、と瓶の中身が揺れる。ぼくらの中身は、こうはいかない。もうとっくに、固く固く凍りついて、動かないんだ。

 

「久しぶりだね」

「何が?」

「人を殺す相談をすること」

 

 昔はそれは、特別なことだった。

 どうしてそれは、特別だっただろう。

 特別であるのだと、錯覚していたのだろう。

 

 それは。

 それは多分、甘えだ。

 

 人を殺すことが特別だと、錯覚したかった。

 特別なんだと、言って欲しかった。

 そういう甘えが、ぼくらの中にまだ、残っていたんだ。

 

 だけれどそんなものは、全て嘘。

 虚像、虚妄。迷妄、迷想。

 全ては夢。

 

 人は見たいものだけを目に映すけれど、やがて現実は、そのフィルタを上回る。

 私を見ろと、そのヴェールを剥ぎ取る。

 

 どれだけ拒んでも。

 抵抗しても。

 嫌がっても。

 請うても。

 叫んでも。

 全ては無意味。

 

 生々しくて。

 残酷で。

 見たくもないものを、見せられる。

 

 それが、世界が壊れる、ということ。

 

 そう、世界なんて、とっくの昔に壊れている。

 壊れ切っている。

 それを知っているか、まだ、知らないか。

 違いはただ、それだけでしかない。

 

「上手く殺せるといいな」

 

 彼女は言った。ぼくも同じことを思った。

 アイスクリームは、当たり付き?

 期待とは、その程度のことだった。

 

 2

 

 学校に来るのは、随分と久しぶりのような気がしていた。いつから来ていなかったのか、もう思い出せない。

 

 それほどぶりに袖を通した制服が窮屈に感じるのは、体が大きくなったわけではなくて、きっとその中身の、形が変わったからだろう。

 

 合わない靴のように。

 ずれているのだ。

 

「や」

 

 教室の喧騒がどこか遠のいて聞こえるようになったのは、その声が聞こえたからだった。

 ぼくは顔を上げる。

 手を振ったのは、彼だった。

 

「シロ」

 

 名前だけを呼ぶ。それだけで、十分。認識しましたよ、というチェックボックス。これを挨拶と呼んだりする文化もある。

 彼はにひひと怪しく笑った。

 

「どうしたよ。今日は真面目じゃん」

「日替わりでいいなら、誰でも」

 

 そちらの方が素敵だと思うけれど、残念ながら、今の社会ではそういう考え方は多数派ではない。

 

「いいの、構ってて」

「構わせろよ。たまにしか来ないんだから」

 

 たとえばそれは、道端で見かける猫に対する感想に似ている。餌をやれば、もっと親しくなれるだろう、なんて考えるのは、人間の理屈。一方的な押し付けで、まるで的外れだ。

 

「なんのお話がある?」

「桃太郎を読んであげようか」

「ぼくはもう、帰りたくなってきたな」

「嘘、嘘」

 

 二回繰り返した意味は不明だけれど、もしかしたらぼくの分も言ってくれたのかもしれないな、と後から気がついた。

 

「それで?」

「うん。むしろ、それは俺が言いたいかも」

 

 彼は頬を掻いた。

 

「なんかさ」

「うん」

「悩んでる?」

 

 別に、と。

 

 言えばいい。

 言えばよかった。

 言えばよかった――はずだ。

 

 なのにどうしてか、言葉が出ない。

 一秒の沈黙。

 

「……久々だしさ。昼、二人で食わない?」

 

 その一拍は、致命傷だった。

 ぼくはため息をつきたい気分だったけど、飲み込んだ。代わりをしてくれる人は、どこにもいなかった。

 

「彼女、怒るよ」

 

 ぼくは言った。勤めて笑顔で。にっこり。考えていることは何もない。白痴のポーズ。誰にだって、きっと効果は抜群だ。

 ほら、彼にも。

 

「男同士でどうこういわれやしねぇよ」

 

 そうだね。

 そうだ。

 全く正しい。

 全くもって――それは正しい。

 

「うん、そうだね」

 

 ぼくは同意した。

 

「実はね、悩み事がある」

「どんな」

「次のテスト範囲が、さっぱり」

「それはお前の、自業自得」

 

 そう、その通り。

 全部、自業自得だよ。

 全部自業自得なんだ。

 知っている。初めからずっと、全てが。

 この世に生きている人間は、自分だけなのだから。

 そうだろう?

 

「今日のお昼はいいよ」

 

 彼女と食べてきて。

 ぼくは言った。

 

「その代わりさ――次の休日、付き合って」

 

 ああ――浅ましい。

 浅ましいな、と思う。

 全ての復讐は、浅ましい。

 極めて愚鈍で、愚劣。なんの意味もない、エネルギーと時間の、無駄遣い。

 誰が、ぼくをコントロールしているんだろう、と思った。まるでぼくじゃない誰かが、この体を動かしていた。

 

「いいよ」

 

 そう、彼はそういう。

 そういう人だと。知っている。

 それは、卑怯だ。

 こういう卑怯な手段ばかりを、ぼくは使う。

 こういう卑怯な手段だけしか、ぼくは使えない。

 卑賎だから。

 卑小だから。

 いやらしい。

 魔物の子供。

 

「ありがとう」

 

 ぼくは心にもないお礼を言った。こういう嘘ばかりが、上手くなる。なぜ、そんなふうな形になった? 締め付ける服の形が、どこの誰と違ったのだろう? 伸びる枝葉を、誰かに切り落として欲しかった。

 

「ねえ、シロ」

「なんだ?」

「もし、もしもさ」

 

 もしも――

 

「もしもなんでも願いが叶うっていわれたらさ、叶えたい願いがある?」

「ドラえもんの話?」

「ランプの魔人でもいいよ」

 

 なんじゃそりゃ、と彼は首を捻った。

 

「そりゃあ、まあ? ボクも人間でございますから」

 

 一つや二つありますけども、なんて戯けて言って見せる。その様子が妙におかしくて、ぼくは鼻から息を漏らした、

 

「何、想像したの。えっちなお願い?」

「そういうのは、間に合ってるから」

 

 ちょっぴり頬が赤い。

 見たくない色で、爪の先が疼くような。

 

「それってさ、絶対に叶えたい願い?」

「絶対に、の定義は?」

「たとえば、それを叶えるために、誰かを傷付けることになったとしても」

 

 誰かの幸せを、壊してでも。

 その願いを、叶えたい?

 

「そりゃあ――無理だなぁ」

 

 そこまでしてなら、いらない、と彼は言った。

 

「この間話してた、夢のことでも?」

「うん、夢のことでも」

 

 そうならない手段で、叶えるさ、なんて――ああ。

 彼らしくもない、馬鹿馬鹿しさ。

 人は、変わる生き物。

 変えられてしまう、生き物。

 

「何、お前、ライダーバトルにでも参加してんの」

 

 沈黙の秒数が長かったのだろう。

 会話には時間制限がある。

 怪訝な顔で、彼は言った。

 

「実はそう、って言ったらどうする」

「危ないから、辞めてほしい」

 

 俺ができる範囲のことならしてやるから――と。

 それはひどい、無責任の言葉だった。

 

「そんなこと、現実にあるわけないでしょ」

 

 ぼくは言った。

 そう、あるわけがない。

 願いなんて、叶わない。

 初めから、知っていたことだ。

 だからぼくは、学校に来た。

 もう、最後かもしれないから。

 予鈴が鳴った。もうまもなく、授業が始まる。喧騒は、もう本当になりを潜めていたみたいだった。

 

「あのさ」

 

 彼は言いずらそうに口にする。もう、教室に帰らなきゃいけない時間のはず。勿体ぶっているのは、時間の無駄。

 

「嫌じゃなきゃ、明日も来いよ」

 

 勉強なら教えてやるし、なんて冗談。

 彼よりぼくの方が、成績はいい。休んでいても、それは変わらない。

 

「嫌じゃなきゃね」

 

 それだけ言って、ぼくは彼を見送った。彼は二回振り返って、その度にぼくは、無駄だ、と思った。

 

 嫌じゃなければ。

 嫌じゃなければ――なんだって、するよ。

 

 嫌だ、という感情さえなければ。

 なんだって、出来たよ。

 

 昔から、それだけは得意だったはずなのに、どうしてだろう。

 最近は酷く、下手になった。

 





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