3
殺人よりも早く、休日が来た。
『もしもし?』
「切るよ」
『ちょっと待ってよ。まだ何も言ってないだろ』
「これから、予定がある」
『何、デート?』
ぼくは電話を切った。
すぐさまもう一度、同じ番号から着信があって、ぼくは舌打ち。
仕方なく、通話ボタンを押す。ゴキブリの背中に触るみたいに。
「違う」
『わかった、わかった。私が悪かった。それじゃ、何? 緊急事態? 親が死んだ?』
「その知らせが来たら、万々歳」
『じゃあいいじゃん。あのさ』
「嫌だ。切る」
『まあ待ってって。聞いてよ。大事な話』
彼女は話をやめなくて、ぼくはいよいよため息をついた。
ここまで食い下がるということは、本当に重大な用事だ。
『私の方にも接触があった』
「――今?」
『信じ難いけれど』
それは一体――どういうことだ。
ぼくは口元に手を当てる。
『もしもし?』
聞こえている。その言葉の代わりに、次の質問を用意した。
「……同一?」
『それが流行でなければ。水色髪のお坊ちゃんだろう?』
それが二人以上いる、というのはあまり想像したくない。きっと同一人物だろう。しかしならば、なぜ彼女の元へ?
「……バレている?」
『言っとくが、盗聴はあり得なかった。アルコール入りでも、それは確実』
彼女の能力は、現実への蚕食能力が極めて高い。秘密裏に張り巡らせることも、ぼくたちのような戦闘型に比べれば負担は少ない。それを常時に、というのは、けれど完全に狂人のそれで、つまり彼女はそうなのだ。
「けれど――ファウストの家は、無警戒だった」
『仕込まれてた可能性は、あるよね』
否定はできない。ボディチェックはしたけれど、絶対とは言えない。所詮、ぼくは素人だ。
「――どうしよう」
『予定より早く、二人だけで決行する、というのが、一つの案』
それは――可能なのか?
『接触時に
「デコイという可能性もある」
『半々、だね。でも、分の悪い賭けではない』
「ぼくは九割に見る」
『そこまで?』
「相手は周到だ」
でも――と彼女は言う。
『奇襲が成立する可能性があるのは、今しかない』
それは――魅力的すぎる餌だ。
「だからこそ、危険だ。キュクロプスを忘れた? ぼくら二人じゃ、あの程度にさえ追い詰められる」
『それは君がボケていたからだろ。私も今度は本気を出す。ジャミングの対策も組んだ』
「その程度は敵も推測するはず」
『だろうね。でもそれがいつでも、十全にとは限らない』
「君に接触があった時点で危険だ」
『あのさ――
彼女は言った。
『君――何かおかしくないか。及び腰だ』
「君の方こそ、どうかしている。冷静じゃないよ。何を言われた?」
『冷静じゃないのは君だって、あのさ、そっちはどういう状況な訳? これまでなかったよね、こんなこと』
「落ち着いて、術中に嵌ってる」
『誰の?』
「ほら、冷静じゃない」
『言葉尻を捕まえる遊びがしたい気分なんだ』
「悪かった。ごめん。謝る。でも、考えてほしい。今、確実に罠だとわかる状況に突っ込んでいって、どんなメリットがある? ぼくたち二人は、確実に犬死にだ」
『二人じゃなければどう?』
「それこそ本末転倒。君の仮説に則るなら、聞かれていたのはファウストに何かを仕掛けられていたということでしょう?」
『君は私の能力を忘れた?』
「知っている。だからこそだよ」
この電話だって、彼女の能力で補強されている。ジャミングも、傍受も、きっとあり得ないのだろう。けれど――
『
ぼくは電話を切りたい気分だった。
「ぼくは――」
『思い出せよ。お前は
そんなに大事か?
彼女は言った。
「――わかった。そっちへ向かう」
『なるべく急いで。早い方が良い』
兵は拙速を尊ぶ。そうだろうとも。わかっているんだ。
勝率が高いのは今。相手はなぜ、彼女に接触したのか。相手はなぜ、イカロスをぶつけたか。それが答えだ。彼女の糸は、おそらく気付かれていない。ぼくが並べ立てているのは、全て言い訳でしかなかった。
ぼくは舌打ちをして、メッセージアプリを開く。
『ごめん、急用』
既読はすぐについて、十数秒。
『おけ。気をつけて』
それだけのやり取りで通じ合えることが、今は憎らしかった。
4
飛ぶことはできない。ここはまだ、現実の中。だからぼくはなるべく違和感の無いように、できるだけ普通の速度で歩く。バイクの乗り方を練習すればよかったな、と思った。
指定されたのは最寄り、地下鉄構内の多目的トイレ。彼女の家に向かうのは、露骨すぎる、ということだろう。こちらに監視の目がないとは限らない。
長い階段を降りて、改札を通過する。多くの階段で、下り方向のエスカレータが省略されるのは、バリアフリーという概念がいかに単なるお題目でしかないか、という現実を示している。足に不自由する人間にとっては、下り階段の方が危険が多い。当事者に聞けば分かることなのに、それをする人間はどこにもいない。誰も他人になんて興味がなくて、寄り添うふりだけで十分だと思っている。施すとは、下劣な行為だ。
ぼくは構内のトイレに向かった。休日とは言え、田舎の昼間。すれ違う相手もいない。盲導のチャイムだけが、虚しく鳴り響いている。
緊張はなかった。もう、心は切り替わっている。空が赤くないことだけが、唯一の不安。
ホームへ下る階段の横、壁の隅の通路から、男子トイレを通過して、女子トイレの手前。多目的トイレのドアを――開く。
「待っていたよ」
そこには。
ただ――血溜まりがあった。
アレクサンドロス。大王の名を持つ
その彼女が――真っ二つに、切り裂かれていた。
内臓が。ドロドロと、まるで蛹を潰したように、醜く、混合して。
とろけたように――広がっている。
分たれた頭蓋の半分から。
褪せた血色の、脳髄が。
溢れて、落ちて。
彼女だったものは。
もうとっくに――壊れ終わった後だった。
「彼女のことは、残念だった」
その戦士は。
手に、日本刀を――持っている。
血に染まった、鈍色。赤に濡れて煌めく、先鋭の死。
「君のことも、残念だ」
その刃を。
上段に。
大上段に――構えて。
姿が――ブレる。
「カムパネルラ」
刃は。
翼の半分を――切り裂いていた。
「――流石だな」
「どうして」
どうして――君が。
今更になって、ぼくたちを、殺すんだ。
「どうして、だと」
分かりきったことを聞くのは、嫌いなんじゃなかったか。
彼は言って、刀を納める。
それは断じて、非戦の似姿などではなく、むしろ、その、真逆の――
「――ッ!」
首を。
確かに刃が――通過した。
居合――
それを防げたのは、透過の力ゆえに。
ぼくは――大きく、肩で息をする。
どっと、冷や汗がこぼれ落ちる。
ここは現実の内側。その世界で
それは――お互いにのこと。
こちらの透過がほんの一瞬になっているのと同様、彼の時間停止も、おそらくはコンマ一秒以下になっているはず。だからこそ初撃、カムパネルラは翼を断たれる程度で済んだ。
「俺には――叶えたい願いがある」
それは時間稼ぎだとわかっていたけれど、同時に本音でもあろうと察せられた。そうでもなければ、本当に裏切るわけがない。
そうだ。
彼は――
ファウストは、裏切った。
ぼくたち
「ぼくと彼女は、そうじゃなかったから?」
「そうだ。今からでも遅くはない。こっちに来てくれ」
頼む、と彼は言った。
こちらに来い、ではなく。
来てくれ、なんて。
頼む――だなんて。
まるで、人間みたいに。
「目が曇っていたのは、誰もがか」
いや、あるいは、あの
「一つ、質問」
息を整える代わりに、問う。
「君は、何を願ったの?」
こんなのはただの時間稼ぎ。もう今更、問答に意味なんて生じない。
だけど、時間が欲しいのは、きっと向こうも同じだろう。
予想通り、彼は答えた。
「――戦友たち全員の蘇生と、その後の人生の確実な幸福」
彼は刀を構えたまま――言う。
「その願いを叶えるための対価として、
ああ――そうか。
君は、そういう男だったね。
「その願いだけは――」
叶えさせるわけには、いかない。
話を聞いておいて、よかった。
ぼくはこれで。
君を本気で殺すために、戦える。
「ぼくは」
幸福なんて、望んじゃいない。
余計なお節介は、嫌いなこと。誰も彼もがそれをしたがるのは、きっと、自分にして欲しい裏返しだ。だけど、それは、ただの甘えで、自己満足。所詮人間は、どこまで行っても一人で、孤独で、通じ合うことなんて、不可能なんだ。
狭いステージ。ぼくには有利で、敵には不利。最後にここを選んでくれたことを、ぼくは彼女に感謝する。大丈夫。心配しないで。もう迷わない。世界はぼくが、滅ぼしてみせるよ。だから君は、もういい。
安心して、死んでくれ。
「カムパネルラ」
そうだろう?
分たれた半身。蠢く醜い未熟児よ。死産に生まれた
ぼくは目を開いて、眼前を見る。
世界がゆっくりと動くような。粘つく時間の停滞。タイルの目の穢れさえもが、はっきりと見える。
敵は戦士。百戦錬磨。
刀を構え直すような愚は犯さない。
動作の起こりは、極限に静か。
だから、補うのは勘だ。
いつだ。
いつ来る?
いつ来るのが、嫌だ?
わかっているよ。
君は強い。
知っている。
だから、わかる。
強い人間は、強い選択肢しか取れない。
だから――
瞼がしばたく、その、刹那。
閃く。
刀の一振りは、時を飛ばして――
瞬間。
放つは輝き。
時の間を超えるカウンター。
けれど――それを超えて、振り抜かれる刃。
透過。
切り札を、切るしかない。
そう思わされる、捨て身の踏み込み。
ぼくはどこまでやれる?
透過の切れ目を狙った二撃目。
大振りな横。
透過が切れる瞬間がわからなかったか。
攻撃範囲の広さを取った一閃。
でも、それが致命傷。
「君は強いね」
羽ばたきながら、言った。
狭い空間。飛ぶという選択肢は、予想外であったはず。断たれた短さが幸いしていなければ、絶対に不可能だった。
にも関わらず、ファウストは刀を跳ね上げて追い縋った。超反応。これが、歴戦の戦士。
間に合わなかった足が少し、切り裂かれる。
痛み。出血。
そんなものが追いつくよりも先に、瞬く。
「カムパネルラ」
それは光の傘。亡骸の鱗が瞬いて、広げた半分の翼から、光を降らせる。
姿がブレる。
ぼくの眼前に、出現。
音速を超えた突き。
狙いは頭で――けれど、紙一重、避ける。
耳の先のピアスが、首の皮一枚と一緒に切り裂かれた。一番のお気に入りだったのに。もっと安物を付けてくればよかったな、なんて、ああ。
どうしてぼくは、それを選んだんだろう。
「――うんざりなんだよ」
何もかもが、嫌になって。
光を放つ。
めちゃくちゃに。
乱雑に。
氾濫するように。
光が、瞬いて。
ファウストの鎧が――砕けていく。
けれど、それは――
「――ぬるい」
刹那の交差。
鎧を犠牲に、彼は刀を振るう一瞬の時間を確保した。
そしてその一瞬は、永遠に等しく引き伸ばされる。
透過はもう間に合わない。
冷静さを失った、ぼくの負け。
ああ、嫌だな、と思う。
どうしていつも、目先のことにばかり囚われて、本当に大切なものを見失ってしまうのだろう?
きっと、脳みその構造なんだ。ぼくはきっと、頭が悪い。予測機能に、深刻なエラー。回路の一部が、大昔に焼き付いた。
せめてもの抵抗のように、ぼくは少しでも相手を傷つけようと、迫り来る彼のその両目に、指を伸ばして――
衝撃。
「――えいえいえい、おうおうおう」
がなりたてるような声だった。
「随分随分随分よぉ、寂しいことをしてくれるじゃねぇか」
まばらに染めた、品性下劣な銀髪を、逆立つ鶏冠のように振り乱す。
それは天を衝く怒髪。
この世の全てに怒り散らす、魔人の象徴。
「この俺を抜きに、殺しに殺しに殺し合いかよ」
釣り上がる眦。筋骨隆々、仁王立ち。
「どうにもどうにもどうにもよぉ――いけすかねえぜ、クソガキども」
ああ――感謝するよ、アレクサンドロス。
君は最後まで――戦い抜いたんだね。
吹き飛ばされたぼくは、壁に叩きつけられ、そのまま床までずり落ちて。彼女の遺骸に寄り添うように、崩れ落ちた。
臓物がクッションとしてぼくを受け止める。据えた、生臭い匂い。今だけはそれに、ひどく安堵する。
ぼくは起き上がれもしないまま――見上げる。
「見なよ、アレクサンドロス」
君が最後に呼んでくれた、鬼札だ。
男は。
銀の髪をした、狼のような大男は。
その釣り上がった眦で世界の全てを見下しながら――叫んだ。
「殺し合うなら――俺を混ぜろや」
ぎ、と。擦れる歯の音。食いしばる牙が――火花を灯す。
彼は、彼こそは――
「――セルバンデス」
その名を呼ぶ。
そう、彼こそはセルバンデス。
ぼくたちが
彼の
そのためだけに、
その殺戮対象は、同族たる
「貴様――何をしに来た」
「ああ? アレックスから
もう一人も死にかけだしよぉ――
彼は竜の吐く炎のように、熱く深々としたため息を漏らした。
「これはこれはこの分は――
なぁ、ファウストよぉ――
呼びかけられた、影色の武者は。
「ふざけるな――」
冷や汗と共に。
ファウストは吠える。
そうとも、彼に取って、セルバンデスは戦友であり天敵。
向こうが最強の戦士であるなら、こちらは最悪の狂戦士――その相性は、極悪極まる。
万全の状態ならばともかく――疲弊した今の彼に、勝ち目など億に一つもないだろう。
「おいおいおいおいおいおい。ふざけるなはこっちのセリフだぜ。てめぇ、出涸らしじゃねぇかよクソバカヤロウが。こっちは祭りだって聞いてんだぜ。それをてめぇみてぇな出涸らし一匹で我慢してやろうってんだから、そこはありがとうございますだろうがよ」
理不尽極まる物言いに、その場の誰もが呆気に取られる。
うちに――
「おい、クソガキ――」
彼はぼくに一瞥をくれる。
「今回はアレックスの死に顔に免じて、てめぇは勘弁してやるよ。だから代わりに――死愛開始を宣言しやがれ」
言って――彼はファウストに向き直る。
その背に浮かび上がるのは――彼の
四本の腕を持ち、一つの巨大な銅鑼を背負う機械の魔神。
それが――撥を構える。
「死愛、開始」
ぼくの言葉が、響くや否や。
銅鑼が、打ち鳴らされる。
瞬間。
世界が――砕け散る。
「
銅鑼の音さえ、かき消すような。
爆音のような咆哮をあげて――セルバンデスの体が
その頭蓋は獣の様相。
その語源を表すような、熊のそれではあるまいが――
牙を剥く、毛むくじゃらの
対する彼は、時を――
「くぅ――ッ」
止められない。
それも当然。セルバンデスの異能は、
仮にファウストが消耗していなければ、まだしも拮抗する目もあっただろう。
だが彼はすでに――二人の
拳が、まるでミサイルのような破壊音を立てながら振るわれる。
ぼくとの戦いにより、すでにひび割れ始めていたトイレの内部、それが今や、
それは全て余波でしかなく――その超暴力を一身に受けるファウストは――
「ゥ――ォォォオオオオオオオオ!!」
それは嵐に抗うように。
戦士は狂戦士に立ち向かう。
「俺は、負けない。負けられないッ!!」
それは散っていった仲間のために?
だとすれば、とんだ的外れだ。
刃が閃き、閃き、閃き――
けれど、まるで届かない。
「そぉ――らぁ――よっ!!!!」
突き出された拳が、ファウストの正中線を捉え――
壁を突き破って、馬鹿みたいな破砕音と共に――そのまま隣の、男子トイレへ。
ドアの開いた個室に、ホールインワン。叩きつけられて、けれどまだ、立ち上がり――
「
ガチャリと鍵を閉められる。
それは
密室、狭すぎる空間に、一対一。
拳の間合いですらない――牙の間合いだ。
セルバンデス。
彼には悪癖がある。
ぼくは、ゆっくりと立ち上がる。
戦っていた時間は、合計しても五分もない。けれどそろそろ――いつ、次の電車が来てもおかしくはない頃。目撃される、通報される、警察に見つかる、どれもこれも、厄介極まる。
だから早く、この場を離れないといけない。
閉じた個室から、
バイバイ、ファウスト。
最後だから、教えてやるよ。
誰よりも優しくて、誰よりも仲間思いだった君のことが――
ぼくらはずっと、大嫌いだった。
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