カムパネルラの傷跡   作:忘旗かんばせ

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第四章 1

 

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 さらば、地球儀。

 

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 眠っていたのは一時間ほどだったように思う。

 

 ぼくはゆっくりと瞼を開ける。意識の覚醒は、遅い。だから、それがなされるまでの間、ぼくは目に映した情報を夢のように受け取ってしまう。

 

 旧世代のテレビが付いていて、まるでドラッグをやった夜みたいに煩雑な群像を映していた。ひたすらに下品な声が、蛙の鳴き声みたいな多重奏。脳みそがおかしくなってしまいそうで、きっとそれが目的なんだろう、と推察できた。

 

 電灯は薄暗い。外に灯りはなく、灯った常夜灯だけが唯一の光源。薄暗い部屋の中に、だからいるのは一匹の幽霊だった。

 

 兎の顔をしている。

 

「ああ、起きた?」

 

 不気味な鳴き声。薄汚い、吐き気がする。ぼくは返事をしなかった。

 

 フラッシュ。

 

 幽霊の手が、ぼくに触れる。肌が呪われるようだった。

 

「大丈夫? 意識、ある?」

 

 煩い。聞こえない。ぼくには何も。

 

 目を逸らして、じっとしていること。幽霊をやり過ごすために必要な手順はそれだけだ。

 

 胸元に、首筋に、頬に、手が這うたび、ぞっとする。肌から熱が奪われて、ぼくは死人に近づいていく。体の内側に、澱のような毒が積み重なって、血が穢されるような。でも、意識さえしなければ、やがてそれも全て嘘になる。ぼくには誰も触れられない。触れさせない。だから、ぼくには何も見えない――見えない、はずなのに――

 

「――起きてるじゃん」

 

 目があった。

 

「……ドクタ」

 

 ぼくは目を覚ました。

 

「やあ、驚いたよ、君さ。ボクが触診した途端、過呼吸だぜ。治療、ミスったかと思ったよ」

 

 灯りはすでに付いていた。ぱちぱちと、瞬きを繰り返して、明るさに目を慣らす。

 

 伸び放題の長い髪に、ひどい乱視だと言っていた、瓶底みたいな分厚い眼鏡。羽織る白衣は、けれど知っている。コスプレ用で、本物じゃない。

 

 ドクタ。ぼくは彼をそう呼んでいる。

 

「おはろ」

「……おはろ」

 

 独特な挨拶に返事を返す。模倣は原初のコミュニケーションで、逆に言えば全ての会話はそのようなものの発展系でしかない。意思疎通など、夢のまた夢だ。

 

 目が慣れれば、場所を理解する。病室というには狭苦しく、汚れたアパートの一室。けれどそここそが、ぼくらにとって最も信頼する医院なのだ。

 

「んでー? どしたのよ。君が大怪我して来るなんて、珍しーじゃない?」

 

 大抵、誰か担いでくるでしょ、なんて言われるけれど、そうでもない。彼の記憶に残っていないだけで、ぼく自身が怪我をして世話になったことも、何度かある。

 

 彼はドクタ。その名の通り医者をやっている。あくまで――破壊者(ダウナ)の中では、そのような役割をしている、という意味だけれど。

 

 ぼくは彼に言った。

 

「ファウストが裏切った」

「へー、何を?」

「……」

「…………、え? マジで?」

 

 頭の回転は、悪くない方だ。そうでなければ、体を診せるには恐ろしすぎる。

 

「アレクサンドロスが殺されて、ファウストはセルバンデスが殺った」

「……あー、もしかしてこれ、状況は最悪、ってやつ?」

「そうでもない。まだ二人死んだだけだ」

 

 少なくとも、ぼくの方が早々にくたばって、ファウストが体勢を立て直し、セルバンデスを突破する、というルートに比べれば、まだマシ。それはもちろん、最悪ではない、という意味でしかないが。

 

「死んだ二人が問題だよ。特にアレクサンドロスの喪失は痛いな。ファウストはともかく、彼女が死ぬくらいならボクが死んだ方がよっぽど良かったくらいだ」

「そうだね」

「そこは嘘でもいーから否定してよ」

 

 否定してほしい言葉なら、最初から言わなければいい。それはエネルギーの無駄で、不必要な冗長化だ。

 

「ま、ともかく、なるほどねー。それでボロボロだったわけか。君が物理的な肉体(フィジカル)の方をやられるのは珍しいと思ったけれど――ファウストとガチンコやったらそりゃあ、さもありなん」

「一番デカかったのは、セルバンデスに吹き飛ばされた傷だけどね」

「それはしょーがないね。頭からバリバリやられなかっただけ、マシだと思いなさいな」

 

 君なんか特に強いんだから、危なかったんだぜ――なんて全くその通り。彼が辿り着くタイミングがずれていれば、三つ巴の戦いになっていただろうし、万全のぼくを見逃してくれるほど、彼には良心も理性もない。敵が強ければ強いほど興奮する変態が彼だ。遺憾ながら、()()()()()()()程度の立場にはあるだろうと理解している。

 

「しかし、裏切り――裏切りか。彼ほどの破壊者(ダウナ)が、裏切りね」

「裏切る理由なんて、誰にでもあるものだよ」

 

 ぼくは言って、ベッドから起き上がった。

 

「まだ寝てなよ」

「寝てらんないよ。返答次第では殺し合いになる」

「……あのさ、身内相手に初手脅しから入るのってどうかと思うなー、ボク」

「その身内に()()()()()()()()ばかりでね」

 

 ぼくはカムパネルラを呼び出す。やや過剰な、あるいは短慮な行動をとっているとは自分でもわかっているけれど、この殺戮科医に対しては、過剰なくらいの対応を取らなければ安心できない。

 

「結論から言おう、ドクタ。破壊者(ダウナ)を裏切って()()()()()()()

「あー、はいはいはい……そーゆー展開ね。ファウストが裏切った、ってそういう意味かよ、畜生」

 

 しくったにゃー、治療なんかしなきゃ良かったや。

 彼は言って、手のひらを上に向けた。

 

「一応聞こうか。見返りは?」

()()()()()()()()()()。死者蘇生、社会の改革、世界の改変。どんな願いでも自由自在だ」

「へぇ、それは魅力的」

 

 彼は言って、眼鏡を指で押し上げる。

 

「本当にどんな願いでも叶えてくれるのかい?」

「ああ」

「そんじゃーさ――」

 

 彼は言って――中指を立てた。

 

「このクソったれた世界を、終わらしてくれよ」

 

 死ねや、裏切り者(トレイター)

 言いながら、彼は己の乖獣(オルターエゴ)、ドゥ・リトルを呼び出して――

 

「降参」

 

 ぼくは両手を上げた。

 

「……はぁ?」

「今までの、全部嘘」

 

 首筋に突きつけられた、ドゥ・リトルの指先――異形のメスが薄皮を裂いて、血が滲むのを感じた。刃の主――ドゥ・リトルは、困惑したようにこちらの顔を覗き込んでいる。鴉のようなペストマスクに表情が浮かぶことはないけれど――その主はそうでもない。

 

「……え、何? どーゆーこと?」

「だからさ、逆なんだよ」

 

 ぼくは言って、カムパネルラを引っ込めた。

 

「ファウストは破壊者(ダウナ)としての仲間意識こそ強かったけれど、だからこそ誰よりも人間に近かった」

 

 言えば、彼は手を額に当てた。理解した、というジェスチャーだ。

 

「あー、そこをつけ込まれたってわけか。……それで、確認ってわけ。趣味悪いねー、君」

「どうとでも言ってよ。これでも、傷心中なんだ、ぼくは」

「だからってさ、もうちょっと信頼してくれても――あー、いや、信頼するために、ってわけね。なんだい君、ビビりだな」

 

 彼は言って、どかりと椅子に座り込む。闇色の外套を翻して、ドゥ・リトルは姿を消した。

 

「ちょっと、首、直してほしいんだけど」

「そのくらいなら包帯巻いときゃ自然に治るよ」

「痕が残ったらどうするの」

「残んないよ。ドゥ・リトルのメスだぜ」

 

 殺戮科医、ドゥ・リトル。その爪の鋭さは折紙付きだ。確かに――痕が残るような、生半な切れ味ではない。

 

「……でも、痛い」

「我慢しな。ボクを疑った罰だぜ」

 

 へん、と鼻を鳴らして、彼は丸まった包帯を投げて寄越した。自分で巻けということか。

 ぼくは仕方なく、首に包帯を巻いていく。うっかり絞めてしまわないように気を付けながら。

 

「そんで」

 

 彼は足を組んで言った。

 

「ボクをわざわざ試した、ってことは、何、ボクを共犯者にしよう、ってこと?」

「平たく言えば、そう」

 

 裏切りはもう十分だ。これ以上、内部の結束を乱されるわけにはいかない。

 

「ファウストが死んだ理由をでっち上げようってことね」

「いや、そこはセルバンデスに喰われた、でいい」

 

 事実だし、何より説得力がある。問題は――

 

「敵対した理由」

「ふむ」

「最低でも、相手に()()()()()()()()()()()()

「それは――」

 

 結構まずいな、と彼は言った。

 

「二、三人、それで裏切りそうな奴はいるよねぇ」

 

 苦虫を噛み潰したような表情。言葉でない以上、正確な意味は読み取れないが、不愉快、もしくは、不都合。いずれかの意味を示していると思われる。

 

「ただ、ペテンの可能性もあるんじゃない?」

「だとするなら、ファウストは空前絶後の間抜けだね」

 

 その可能性も実は否定できないのだけれど、楽観的に考えて痛い目を見たばかりなのだから、安全側を取るべきだ。

 

「最低でも、そのペテンを暴かなきゃ話にならない」

「もしくは、闇に葬るかだね」

 

 どちらが楽かはケースバイケースだろうけれど、どちらにせよ、アレクサンドロスが落ちたことが痛かった。

 

「うーん。ボクらだけだと正直手詰まりだよね」

 

 彼は言って、チラリとこちらを見た。

 ぼくは、何かを言おうと口を開くけれど、それよりも早く、ドクタが遮る。

 

「問題はさ、空いた穴をどう埋めるかだよ」

 

 ドクタは言って、人差し指を立てた。

 それは、気遣いだ。

 

「索敵ができる破壊者(ダウナ)をどっかから引っ張ってこなきゃ」

 

 だろう? と水を向けられる。

 ぼくは答えた。

 

「でも今は、どこも余裕がないはず」

「優先度はこっちの方が高いよ」

 

 本当でも嘘でも、と彼は言った。

 

「もし本当ならボクたちのこれまでの戦いは全て無意味だったことになるし、これからの戦いも全て無意味になる。もし嘘でもそれを暴けない限りは常に内憂外患だ」

 

 最優先で対処しないと、最悪ボクらは世界より早く破滅する。

 彼は断言して、腕を組んだ。

 

「とりあえず、ボクも当たれる範囲を当たってみる。君も頼むよ」

「……わかったけど、期待はしないで欲しいな」

 

 こういう意味でも、アレクサンドロスを失ったことが重ね重ね痛かった。

 彼女の人脈網にいかに頼っていたかを失って初めて痛感する。

 

「んじゃ、さっさと出ていってくれたまえ」

 

 彼は言って、スリッパの爪先で出口を指す。

 彼にはいくつかの精神的制約があって、その一つが三十分以上同じ人物と同室にいることができない、というものだ。

 ぼくが寝ている間は、きっと席を外していたのだろう。彼自身、早く休みたいと思っているはず。ぼくは察して、部屋を出ることにした。

 

「くたばらなければ、また」

「うん」

 

 ぼくは頷いて、部屋の扉を出た。

 廊下を出て、階段を下る。

 建物を出れば、夕暮れ。埃っぽい、煩雑な空気。鼻が慣れてようやく、あそこには血の匂いが満ちていたことを思い出す。

 

 血の匂いは、好きじゃない。

 

 宵の青と、陽の赤が濁り。

 入り混じる空は、酷く虚しい色をしていた。

 





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