八方塞がりの人生に絶望している諸賢には喜んでいただきたいところだが、どうやら死んで新しい世界に生まれ変わる、という創作によくある話は、まるっきり寝る前の妄想という訳ではないようだ。
現に、ここにその異世界転生なるものを経験している少年がいた。というか、それはつまり僕のことなのだけれど。
「イスモア霊修学園一年の
瘴気の曝露量が一定以上となった生命体には、〝悪霊〟が感染する。
その中でもとりわけ人間がそうなってしまった場合を、我々はグールと、そう呼称することにしている。
「繰り返します。意識のある方は手を上げてください」
あくまで便宜上の名称だ。死者の冒涜とか、グールも生理学的にはまだ生きているのだとか、ごちゃごちゃ抜かす小綺麗な人権派さんは今すぐここに来て、僕の仕事を代わってくれ。
「…………」
グールの中に、まだ正気を失っていない人間が残っていた場合、それを殺害してしまうと業務上(給与発生してないけど)過失になる場合がある。そのため、グールの群には事前に声をかけるのが通例となっている。
実際に殺してしまったところで、過失を問われた前例はない。とはいえ、万が一を考えれば、学園の教えの通りにしておけば大体のことは円い。
「反応なし」
前頭前野の機能の大半を失ったグール達は、その種を生かすという生得的な本能によって、正常な生物に牙を立て、生ある肉ごと生命力を奪おうとする。
ステージ2と呼ばれる状態までならば、一通りのサクラメントと治療による経過で寛解する。だが、ここまで理性を失った人間を、神はもはや人間とは見做さない。
「この匂いは、シンナーか……」
薬物によって精神的に不安定になった人間は、こういった霊的な存在に対する抵抗力が著しく減退する。
つまり、法を犯して物陰でこそこそラリってるような、ワルになりきれもしない中途半端な
「…………
造物主を裏切る霊句に反応して、悪魔祓い仕様に改造されたカービンが青く光り始める。
この銃は教会で聖別されたのち、我々悪魔祓い用に霊的改造を施された、暗いところではちょっとしたライト代わりになってくれる
あとはもう奴らを目がけて引き鉄を引くだけ。相手はグールになる前からトルエンだかキシレンだかで脳髄まで腐ってたような連中だ。全力の9割を制限されていても負ける道理はない。つまらない仕事だ。
ただ、悪霊を浮世から消すこの瞬間だけは、僕は心の中でアンタイ・ヒーローでいることができる。
「さよなら」
今日も引き鉄が軽くてたまらない。人だったものを殺してお手軽な爽快感と人助け気分を味わえるのだから、祓魔師とかいうのはなんと酷い商売か。
キィィッ…………!!
最初の一体に接触した弾丸が炸裂し、清浄な光が耳障りな音を立てながらグール達を浄化していく。
死後の去就は、あとは彼らの生前のおこないに委ねられた。悪霊に堕ちた身とはいえ、それ自体に彼らの罪はない。
「
「遅かったですね、先生。今終わるところです」
やってきた教員のほうを向いたまま、残った最後の一体に、木製の短刀を革紐で括り付けただけの銃剣を突き刺した。
「入学して三日ばかりでこの数のグールを……やはり、あの
突き刺した銃剣を引き抜いた瞬間、グールの体が塵のようになって崩れ落ちた。
計18体の浄化された〝元人間〟が、千年の統治下に召し上げられるのか、終わりなき責苦を受けるのか、それは僕の知るところではない。
さて、流石に説明不足の感が否めないので、この世界について、なるべく簡潔に説明しようと思う。
霊的存在が巷間に認知されている地球。
以上。
折角、異世界転生なる珍妙な体験をしているというのに、普通に日本語の看板を近所に見た時には激しく落胆した。
しかも、住んでいる地域も前世とほぼ変わりない。以前は上野、今世では浅草という寸法であるから、もう何も目新しくない。
僕は祓魔師の家系に生まれた。家系と言っても、歴史は遡っても大正くらいまでの浅い家業で、突然霊的素養に目覚めた曽祖父の代から始めた生業であるという。
しかし、今現在〝花生〟の名を継ぐ祓魔師は僕一人。それまでは母と二人だったが、ナントカ(名前忘れた)とかいう悪魔にぶっ殺されて、めでたく僕は
「49番、
母は、
その母も、5年前に悪魔に殺された。祓魔師の末路は全てそれだ。
「聞こえないのか、49番、
イスモア霊修学園。
表向きはだが、単なる啓示宗教の学校法人ということになっているが、その実態は祓魔師養成学校にして、形式的には消防庁の管轄となる。
つまりこの学校に在籍して、3年間死ぬ思いで悪霊の殺し方を学び続けても、最終学歴は中卒って訳だ。
「はい」
新入生の僕らは全員、支給された銃器を構えて、悪霊を模した霊的デコイに銃口を向けていた。
煩わしい入学式はなし。入って早々、僕らは将来の祓魔師として、いや、荒事に従事させるコマとして、悪魔殺しの技だけを教えられる。
「…………
まさかこの精神年齢で、親の名前が偉大な子供の気分を味わうことになろうとは思わなかった。
最初から自我が確立された僕の精神に、今更波が立つこともないが……なるほど、確かに彼らは僕ではなく、その先の母を見ている。
「撃て」
引き鉄は軽かった。
座学は朝だけ、そこからはとにかく検査、検査、検査……デコイを撃って、斬って壊して、あとはまだ名前も交換していない新入生同士で近接戦。
射撃検査、近接戦検査、共に点数は学年1位。総合的な戦闘能力で、僕を上回る新入生はいない。これなら誰も文句はないはずだ。
「本当にあの
霊的濃度検査を除けば。
「問題ありますか。二桁ですよ」
「小数点を二桁とは言わん」
霊的濃度というのはつまり、そうだな、漫画的表現をするなら、魔力とかそういう言葉に置き換えられるだろうか。
一般人を10、通常の祓魔師を1000として、新入生は大体100から150の数値が計測される。
「はぁ、まぁいい……検査表を持って教室に戻れ」
僕の霊的濃度は0.6。なぜこの素養で悪霊が見えているのか、正直己でも疑問が尽きない。
さて、疲れる1日だったが、僕に不満はない。何せ一度は青春を経験している身だ。今更どんな気分で普通科で未成年を演じろというのか。
どちらかと言えば、同級生が哀れだった。祓魔師の学生というのはこうも枯れた日々を送らされるのか、と。
「――――おい! 貴様、今何と言った!!」
さっさと家に帰ろうと、一階の昇降口を目指していた時。丁度そちらの方向から誰かの怒声が聞こえてきた。
誰だか知らないが、あとは帰るだけ、という時に、昇降口の前で面倒事を起こさないでくれないか。
「知らない、と言いました」
揉め事を起こしていたのは、僕と同じ新入生と、上級生が3人。上級生のほうは、僕らの着る真っ黒な制服とは違い、肩に2本の赤いラインが入っている。
「知らない……!? このオレに肩をぶつけた上に、カーステアーズの名を知らないだと……!?」
「はい。何せ悪霊のことも、祓魔師のことも、ほんの一週間前に知ったばかりですから」
新入生はその短い金髪を揺らして、癖毛を指に巻き付けながら、全く興味なさげにそう答えた。
その足下には教材が散乱している。中には「6歳からよく分かる悪霊」とか、僕が子供の頃に母から読まされたような参考書の表紙が混じっていた。新入生の私物か。
「外来か……これだから純粋でない祓魔師など……」
「行きましょう、このような無礼者に、わざわざ教えてやる必要もありますまい」
「…………次はないぞ、新入生」
激昂していた少年は、取り巻きがヤケに板に付いている他の少年達と共に、新入生を睨み付けながらその場を去った。
残念だけど僕も知らない。祓魔師の家系としては有名なのかもしれないが、母は僕に悪霊を殺す術以外は教えてこなかったから。
「はぁ……」
金髪の生徒は、ため息を吐きながら教科書を拾い始めた。関係ない誰かの関係ないいざこざだけど、見過ごして帰っても、決まりよ悪さで今日の眠りが浅くなりそうだ。
「あっ……」
咄嗟に拾ってしまった教科書を見て、金髪の新入生から小さな声が漏れた。
「盗んだりしない」
あの連中がぶつかって落としてしまったものだろうが、懐かしい教材ばかりだ。悪霊の存在を知って日が浅いというのも本当だろう。
「疑っていませんよ。ありがとう。花生モロくん」
「知ってるのか」
「君の名前は有名ですから」
カー、カー……なんとか先輩を差し置いて、何だか申し訳ない。
「
金髪の新入生改め、
「僕は花生……いや、そうか」
「はい。その名前だけは知っています。こと日本においては、最高の祓魔師の名前だと」
そう語る
「この目が気になりますか?」
邪視、と呼ばれる。人に悪心を催す悪魔の目。悪魔に襲われたことのある夫婦の間に生まれた子に発現するという、悪魔の目だ。
「人と悪魔の混ざり物……ご存知でしょう。卑劣な悪魔の目です」
邪視には所有者によって複数の効果があり、人間にはもちろん、その効果は悪霊にも及ぶ。というか悪魔に強い。
特に霊的濃度の高い者にほど、その効力が強まるという性質上、一部の祓魔師にとっては喉から手が出るほど欲しい能力だ。
「気に障ったか?」
珍しい色なので、ついジロジロと眺めてしまった。実物を見るのは初めてだ。
「いえ、そうではなく……」
「美味しそうな色だな」
「はっ?」
気まぐれで買ってきた寒天ゼリーの色に似ている。全部赤色! とかパッケージに自信満々に書いてあったヤツ。
あるいはかなり前に流行った琥珀糖というものにも似ているか。どっちにしても食べたら甘そうな色だ。
「……君は変わった人ですね」
意味が分からない。前後に脈絡を追えないのは、僕に問題があるのだろうか。
「イン、でいいですよ。モロ」
「…………」
こんな学校でも、友達ってできるものなんだな。
「悪霊には、主に二つの類型がある。肉体のあるものと、ないもの」
教鞭で何度も黒板を叩く音が聞こえてくる。つまらない授業中の僕の気がかりはもっぱら、その回数が一時限のうちに3桁を超えやしないかということだけだった。
「肉体の有無はその悪霊の規模に関係しない。肉体があろうが弱い悪霊も、生者に直接干渉できずとも最優先で祓うべき悪霊もいる」
そんなことは祓魔師でなくとも常識だ。全世界の人間が霊的存在を把握はしなくとも薄ら認知している昨今に、こんなガキ相手の手解きを受けることになるとは思わなかった。
「
「特にありません」
「そうだ。違いはない。祓魔師は生きながらにして霊的存在。一度祓魔師となった者は、どちらの悪霊にも接触することができる」
教師は祓魔師を兼任する雇われだ。高名な悪魔祓いであろうと、カリキュラムに従わなければならない。
「先日、大久保公園に現れた
まさか学園から近場だからとかいう理由で、学生の僕達が駆り出されるものとは思いもしなかった。教師の落ち着きぶりからして、珍しい話でもなさそうだ。
「花生の手際は見事だった。距離をとって大部分を浄化したのち、残った個体を安全に殺害してから祓う。恐ろしい手慣れ具合だ」
それほど人手が足りていないという訳か。全国に12000人と言われている祓魔師の平均年間殉教数は、54人。約0.5%だ。
去年の警察官の殉職率と比較して、大体25倍。巷では最悪の職業などと呼ばれている。
対して、一定の技能を認められ、新人祓魔師となる者は、年に20人から18人程度の狭き門。悪霊に対抗できる者は減るばかり。
「グールは元が人間なので、外見や凶暴性は元となった人物に依存する。例年、人型の悪霊に手を下すのを躊躇う者や、接近戦に負ける者がいるが……あの花生イガネの息子には釈迦に説法か」
狭い教室の視線がほぼ全て僕に集まっていた。その中に好意的な色を醸す眼差しは一つもない。
僕は鼻から抜けそうになる後ろ向きな皮肉の笑い声を、どうにかして押さえることばかりに苦心した。
「噂通りですね、モロ」
「イン……」
僕に敵対心剥き出しでないのは、イン一人だけだ。こいつもこいつでなぜか周りから浮いているので、精々はぼっち仲間か。
とはいえ、インに関しては、生まれた頃から降魔の技を教えられる大多数の祓魔師とは違い、つい最近この世界を知ったことが要因として大きいのだろうけど。
「噂とは?」
「先生も言っていることですよ。〝あの花生イガネの息子〟というのは、軽い看板ではないということでしょうか」
「……やめてくれ」
詳しい事情は知らないが、救世の英雄とまで言われる偉大な人物の七光りは、僕には荷が勝ちすぎる。
「君こそ、初めてとは思えない」
インも数匹の悪霊を祓っていたはずだ。ずっと前から訓練している僕らの中にも、初めての監督者のいない実戦で、一匹も祓えず逃げ帰ったヤツだっているのに。
「偶然ですよ。偶然、身に余る力を持っていたというだけ」
インは己の片目を目蓋ごしに押さえながら、皮肉なんだか本心なんだから分からない笑顔を浮かべた。
「さて、花生、折角だ。貴様の実力を見せてみろ」
教員の男は、中心の長机に悪霊を模した人形を磔にし、その周囲に簡易的な魔法円を敷いた。
「降魔に失敗した者ほどよく見ておけ。花生、準備はいいか」
「はい」
こうして完全に捕らえた悪霊は、単なる霊句の詠唱で浄化させることができる。
多くの悪霊はそれができないほどに暴れるので、仕方なく物理的手段を取っているのだ。
「
霊句を唱え始めた瞬間に、天使の名を貶めたヘブル語の魔法円が、ぼんやりと青色の光を発した。
今から唱えるのは最も基本的な霊句だ。全ての祓魔師が最初に使う、最も基本的で、最も効率的な降魔の命令。
「不浄なる霊、我が名に降れよ」
突然、青い光が収束し、一本の眩い光線となって人形の胸から真上に突き出された。
そして――――!
「…………」
何も起こらなかった。
「ふぅ……! ま、こんなもんかな」
堪え切れなかった笑い声を噴き出したインの咳払いが聞こえてきた。
「何がこんなもんだ。失敗してるだろ」
「何言ってるんですか」
厳密には何も起こらなかった訳ではない。教員は僕が指差した人形の胸の辺りを凝視した。
ほら、胸のところに跡が見えるだろうか、ほんの少し、ほんのちょこー……っっっとだけ黒い焦げ跡が付いているのが。
「成功してますよ」
「見え透いた嘘を……む?」
ぜひ、よく目を凝らしてご覧いただきたい。焦げ跡は5枚の花びらからなる花弁のように見えるはずだ。
花生という名前のせいだろうか。僕が霊句で祓おうとした悪霊には、このような焦げ跡が付く。
「かわいいでしょう」
「………………」
長い、長い沈黙が教室に訪れた。心なしか、先ほどまで敵意の目で見ていたクラスメイト達も、何だか哀れなものを見るような目で僕を見下ろしてくる。
「成功、いや成功? せっ、成功、か……」
そう。術自体は成功しているのだ。ただ、あまりに霊的濃度がカスすぎて、降魔という目的を果たせていないだけ。
それは失敗というのでは? などという至極当然の疑問を抱いた諸賢に。黙れ。僕が成功と言えばそれは成功だ。
「貴様、この霊的濃度で、どうやって悪霊を祓っているんだ……?」
知らないね。そんなこと僕が知りたい。
僕達は浅草にある、屋根の半壊したとある教会に住んでいる。月に一度輔祭が監督に来る以外に、人間がこの場所に用があることはない。
「ただいま」
広い協会だが、居住スペースは家族で借りるには手狭程度の宿直棟だけだ。とはいえ、帰ってやることと言えば寝るだけの僕にとっては、それでも持て余す。
『悪霊共を殺してきたか』
女性の、しかし女性ながらやや低い声が礼拝堂に響いた。
『匂う匂う。賤しい悪霊共の気配が匂うて敵わん』
奥の比較的損傷の軽いチャーチベンチに、寝転がる影が見えた。
その影は突如体を起こし、これ見よがしに長い黒髪が揺れた。
『何をしておる。近うよれ』
立ち上がったその影は、樹脂のように凹凸のない褐色の指で、背中越しに僕を手招きした。
「…………イバラ」
日本人離れした赤みの薄い褐色の肩が、椅子から立ち上がる体と共にゆったりと翻った。
『実に侮辱的とは思わんか? 本来神を拝する十字架の前で、悪魔が休ろうておるなど』
不自然に赤い唇がシンメトリーのまま端をつりあげると、おもむろに伸ばされた彼女の腕が、そのまま僕の体を抱きしめた。
『おかえり、モロ』
僕は悪魔を飼っている。悪魔のような女を。
死体が瘴気を吸うか、グールに肉体の一部を食われて長時間経過した人間がグールとなる。鉄製の武器に弱い。
基本的には死体、つまり酸素の供給がないため、脳細胞はほぼ死滅しており、会話や意思疎通はできない。しかし稀に、感染して間もない個体や、生きたまま感染した個体は、人語を話す場合がある(一方的な心情吐露にとどまり、意思疎通はできない)。