スコットランドのとある魔術師によって生み出された、魂を持たない有機人形。
日本における本来の用途は、霊的犯罪に関与した受刑者の刑罰として、収奪した魂を閉じ込めておくためのものだ。
その1体が教会地下の物置に隠されていた。母が何らかの目的で保管していたらしいが、今となってはその目的は誰にも知る由もないことだ。
だから僕は、拾ってきた悪魔の魂を、その
『おい、コーラが切れたぞ』
…………ソファに寝転がってコップの氷を鳴らしている、そこの自堕落な女がその悪魔、イバラだ。
「冷蔵庫は」
『ない。全て飲み干した』
「じゃあ買ってこい……」
財布から1000円を取り出すと、待っていたとばかりに立ち上がったイバラは、僕の手から紙幣を掠め取った。
『行ってくる! 汝にもメロンソーダを買ってきてやろう!』
「いらない」
イバラが女になった理由は簡単。地下に置いてあった
死んだ母と入れ替わるようにしてやってきた彼女は、それはもう人間世界に順応した。
一々飯がうまいとか、寝たり風呂に入ったりするのが気持ちいいとか、夜な夜な地下室で一人、変な声を漏らしていたりとか……悪魔には感じることのできない自然界の電気信号を、これでもかと楽しんでいるようだ。
居間で寝転がって漫画雑誌を読みながらスナック菓子を頬張る姿などは、(想像上の)実家の姉を見ているかのような気分になる。
『ほれ、買ってきたぞ! オレンジジュース!』
「あぁ、うん。ありがと……」
彼女は僕の否定が聞こえていたようで、メロンソーダではなく果汁100%のオレンジジュースを買ってきた。そういう意味じゃなかったんだけど。
徒歩1分のコンビニとはいえ、帰ってくるのが早すぎる。こういうことにばかり悪魔の術を使いやがって。
『それより昼飯は何だ? 手伝うから早う作らんか』
「昼になったらな」
『ならん!
この能天気加減を見ていると、時折中身が悪魔であるということを忘れそうになる。
降魔術。読んで字の如く、悪魔を降す術だ。
霊句を読誦し、律を顕在化させることで結界や呪縛を作り、洗礼された品物やら神札やら、あるいは呪物なんてものでも活用して……とにかく霊的な方法による攻撃。
祓魔師にはそれぞれ、生まれ持った祓魔の術がある。例えばインの邪視がそれだ。
あの目がどのような呪いをもたらすものかは知らないが、同じく邪視と呼ばれる者同士の中でも、一つとして同じ力を発揮する者はいない。
「…………
霊句に反応して、コンクリートの床が光り始めた。ヒビからいくつもの芽が生まれ、早いものから茎を伸ばし、蕾を作っていく。
「おしまい」
最後の霊的デコイに銃弾がヒットして、観察していた教官がストップウォッチを切った。
「記録、4分6秒」
学年で暫定1位だ。僕は生粋の祓魔師ってヤツらしく、人に聞かずとも悪霊の殺し方が体に染み付いている。
「ところで、それは何だ?」
教官は、床に落ちた霊的デコイの上から咲く紫の花の群れを指差して、怪訝そうな表情で僕を見下ろしてきた。
「スイートピーですよ。ご存じありませんか?」
淡色のグラデーションとカーブするような小さな花弁が特徴の花。本来どの季節に咲くものかは知らない。
割合に好きな部類の花だ。縦に花を連ねるところなどは、自らの姿を広げて主張する大輪にはない奥ゆかしさを感じる。
「質問の意図を無視するな。それが貴様の降魔術か? その花にどんな効果がある」
「花言葉は〝詮索するな〟です」
「見え透いた嘘を吐くな」
僕の降魔術はこれ。任意の場所に花を咲かせるだけのものだ。霊的存在に対する殺傷性はない。植物由来の毒やトゲ如きが、人間の数倍頑丈な悪霊に効くはずもないし。
ここで聡明な諸賢の中には、口や鼻に咲かせて窒息を狙うか、内臓に咲かせば速やかに悪霊を殺せるのではと思われる向きがいるやもしれない。
残念ながら、体内に咲かせるには、直接その体内に触れていなければならない。体内に触れている時ってそんなもの、既に殺して腹を捌いている時だろう。
ただ、醜い死骸にささやかな色を添えてやるくらいが限界の、実に程度の低い降魔術だ。
「まぁいい……記録自体は申し分ない。戻れ」
僕はカービンから弾を全て抜いてから、訓練場を囲む階段状の休憩席に戻って、コンクリの段差に腰を下ろした。
「お疲れ様です。モロ。暫定2位と8分差ですよ」
「へー……」
誰だか知らないが、50体の反撃してくるデコイを相手に、かなりの善戦なんじゃないか、それは。
「インはどうだった」
「その暫定2位です」
「天才じゃん」
つい最近祓魔師としての道を歩み始めたばかりだと聞いたが、僕のように昔から鍛錬を続けているはずの候補生達を押さえて2位とは、僕よりも生粋の祓魔師なのではないか。
「君より遅いでしょう?」
「年季が違うんだよ」
日本では並ぶ者なしとすら言われた祓魔師であった母は、僕を祓魔師にすべく、年端もいかない頃から徹底的に降魔の技を叩き込んできた。
生まれつきの才能である霊的濃度はともかくとして、この境遇で実技面を誰かに一歩譲るようでは、祓魔師としては向いていないとすら言える。
「それにしても、あの花……」
インは、次の候補生の計測などには一切興味を示さず、計測が始まっても残り続けるスイートピーを見て目を細めた。
「あれ、君の仕業ですよね。あれが君の降魔術ですか?」
「欲しいか? 花」
「…………まぁ、くれると言うなら、ください」
さて、僕の今日の気分としては、新生活とかいうものに慣れない浮遊感が、刺激物を嫌がっているので、目に優しい種類がいいか。
赤は好きな色だが、今じゃないかな。むしろ昼下がりは爽やかな青が最もふさわしい。
「これは?」
「ネモフィラ」
花心に向かって色が抜けていく青い花の群れが、インに差し出した僕の手の上に控えめに咲いた。
「青が似合うと思ったんだ」
インはその赤い目を少しだけ見開くと、肩から体を揺らして破顔した。
「やっぱり変な人ですね」
「フェイスだ。今日から貴様らの担当となる」
頭を綺麗に丸め、眼帯で右目を隠した教官は、非常に嫌そうな表情で僕達を一望した。
フェイスというか、もっといい名前があるんじゃないか。
例えばほら、スキンとか。別にいやらしい意味じゃない。頭頂部の特徴からもじっただけだ。非常にキャッチーなネーミングだとは思わないか。
「失礼なことを考えていないか貴様」
考えていません。
「いいから、左から自己紹介をしろ。私にではなく、チームを組む二人に向かってだ」
祓魔師候補生は、1年の間は3人組で行動させられる。理由は至極単純で、少しでも生存率を上げるためだ。
とはいえ、1組につき一人、現役祓魔師でもある教官が指導につくので、少なくとも候補生の時点での死亡事故は、まぁ……ないことはないが、少ない。
「
メガネをかけた威勢のいい少年と、
「
機嫌の悪そうなツインテールの少女。
…………どっちも僕と相性が悪そうだ。特に機嫌が悪そうなほう。自分以外全員が敵とか思っていそうな顔をしている。
「先に言っておくぞ問題児ども」
その序文は不穏すぎるからやめてくれないか。
「貴様らはこのままでは……進級できん!」
ほらきた。高1で留年とか、母さんになんて報告すればいいんだよ。墓前でそんな情けない話はしたくないぞ。
というか、半年も経たないうちから既に留年リーチの、値下げタグ付きの落ちこぼれを集めたチームということか?
そんな「ハンバーガーのピクルス嫌いだから包み紙の上に全部集めとこ」みたいな発想で僕達は集められたのか?
「はぁッ!? 何でよ! このバカ男共はともかく、私は絶対安泰でしょ!!」
「ちょ、ちょっと待ってもらおう!! それは聞き捨てならないぞ!!」
「何? 私に意見する気? アンタ誰か知らないけど、どーせ木っ端の雑魚祓魔師の家系でしょ? 私は永木よ!」
「確かにオレの家系はそこまで名の知れているほうではないが、バカ男などと一括りにされるのは心外だな!!」
あーあ。教官の前で口喧嘩始めちゃった。教官の顔は茹でダコのように赤くなっている。
というか、頭に血が昇った時ってホントに頭のてっぺんまで赤くなるんだ。全く今後に役立たないゴミみたいな知見を得てしまった。
「では、一人ずつ端的に理由を教えてやろう。まずは
名前を呼ばれた
「貴様は一般科目、祓魔科目ともに文句ない……」
そういや祓魔師のくせにめちゃくちゃ普通の勉強ができるガリ勉くんがいるって、噂になっていたような。
学生の祓魔師ってのは大体一般人を見下しているから、裏の世界の学問以外をも見下す傾向にあるが、こいつは珍しい。
「問題は戦闘技能だ。貴様の射撃試験、制限時間内に何匹の霊的デコイを破壊した?」
「えー……61体!」
「自信満々にホラを吹くなッ! ゼロだッ!!」
その嘘は勇気がありすぎじゃないか。年齢をサバ読む時だって精々三つが限界だろ。
というか今のは僕の記録じゃないか? 聞き覚えのある二桁だぞ。
「対人型の訓練での試合数52試合中、貴様の勝利数は何回だ」
「はい! 50――――」
「ゼロだッ!! いい加減をほざくな痴れ者がッ!!」
今度は大ボラを吹かれる前に、教官が大声で先回りをした。
何だその戦績は。52試合というのは、一年生の祓魔師全員との試合数だ。一年は53人いて、おとといまで総当たりで対人型を想定した二人一組の組み手をおこなっていた。
つまり、52人全員に負けてる訳か、こいつ……。
「いいか、貴様の場合、筋力や運動能力に問題はない。だがな、戦闘訓練に対するやる気がないのは、傍目には一目瞭然だぞ!」
「はぁ、お言葉ですが教官殿、暴力などという前時代的な方法は、オレの好むところではありません」
「そうか。喜べ、留年どころか退学も近いぞ。そうなれば戦闘を学ぶ必要もない」
「次ッ!!
「ふんッ……」
「貴様も、成績に問題はない。一般、祓魔、戦闘技能科目の全てにおいて平均以上だ」
「当然よ」
ご多分に漏れず
「しかし貴様は素行が悪すぎる!! まだ今年度が始まって半年足らずだが、貴様今までに何度遅刻してきた!!」
「知らないわ」
「入学式から今日までの平日全てだッ!!」
もっと意外な悪行が来るかと思ったが、意外とスタンダードだな。いや、悪いことには間違いないのだが、身構えていた割には弱い衝撃だったというか。
「私が起きる時間が始業時間よ」
「そんな訳があるかッ!! バカはその顔だけにしておけッ!!」
「何ですってぇ!?」
そら「何ですって」だろ。人の顔面を指してバカ顔は、曲がりなりにも教員の言っていい言葉ではないだろ。頭に血が上りすぎじゃないか。肌色の頭皮が真っ赤だよ。
「放送室に侵入し、自作の聞くに耐えん演歌を熱唱すること5回ッ! 校内全ての時計を4分ずつズラす目的不明の嫌がらせを7回!! 教官の携帯を窃盗、内部写真データを流出させること2回ッ!! そして〝私のカブトムシのお墓〟などというモニュメントを勝手に裏庭に作るなぁッ!!」
訂正する。スタンダードではなかった。あとバカ顔も言いすぎではなかった。言いたくもなるわこんなもん。
「私の勝手でしょ」
勝手の風呂敷が広すぎやしないか。小学生の一団くらいならその上でピクニックができそうだ。
というか最近度々流れてきていたあの放送、死にゆくセミの最後の悪あがきみたいな不愉快な混濁音は、彼女の歌声だったのか。インが耳栓を持参するようになった原因だ。
「私は
こういうのって、ちょっと口が悪いせいで周りと馴染めないが、実は他人思いの努力家みたいなのが相場なんじゃないの。
その不遜な言動とのギャップがなさすぎる。臭い匂いがする蓋を開けた時に臭いものが入ってたら、それはもう単なる臭い飯だろ。
「このままいけば貴様に許されるのは退学のみだ。個人情報をバラされても2度は大目に見た可哀想な教員に泣いて許しを乞え」
二人目があまりにもヤバすぎて、一人目の名前もう忘れた。何だっけ。ウォンバットくんみたいな。
「さて、最後に、花生……」
ここにきてフェイスの舌鋒の勢いが急激にトーンダウンした。
「貴様は……流石、あの花生イガネの息子だ。一般に問題なし、戦闘技能科目に関しては、全科目で学年1位だ。単独で複数回降魔に成功しているのも、1人の例外を除けば同学年に貴様しかいない」
永木が憎々しげに僕を睨み付けてきた。そんな顔をされても、こっちは生まれてからこっち、ずっと母や、後見人の輔祭のコマ使いだったんだ。年季が違う。
「ただな、〝霊句〟と〝律〟の科目が、芳しくない……いや、貴様のためを思って厳しい言い方をすれば、著しく悪い」
「い、著しく……? それって具体的に下から何番目、とか……」
さっきまで回数とかで具体的な数値に表れていたのに、僕の番だけ急に言葉を濁していないか。
「………………著しく、だ」
フェイスは目を瞑ったまま死ぬほど迷った挙句、同じ言葉を繰り返した。
「ただ、授業態度に問題はない。毎回の補習に必ず参加していることも、教員達はよく知っている」
「つまりあれですよね、そこまでしても単位取れなくて落ちるかもしれないってことですよね」
「………………」
黙らないでくれないか。さっきまで気風よく舌禍を振り回していたじゃないか。なんで僕の時だけ哀れなものを見る目で安易な沈黙に逃げるんだ。
「貴様の頑張りはよく知っている。私も協力を惜しむつもりはない。だから、まぁ、何だ……頑張ろうな…………!」
僕の肩にフェイスの手が置かれる。その手はあまりにも慈しみにあふれており、怒りに任せて振り払うこともできなかった。
「く、くくっ…………」
咄嗟に右を見た瞬間、恩場と永木は図ったように同じタイミングで顔を逸らした。おい、肩が震えているぞ。お前ら覚えとけよ。
路地裏を走る悪霊を、二つの影が追う。
「ネコ! 逃すなよッ!!」
「命令しないで! イシメ、アンタこそへばってんじゃないわよッ!」
実地訓練という名の、足りない要員の補填。つまりは現職の手の回らないところを、僕達が代わりに駆り出されている訳だ。
「行ったぞ! 花生!」
こちらに向かってくる悪霊のさらに向こうから、恩場のデカい声が路地に響いた。
『キキキキキキッ!!』
不愉快な鳴き声だ。老木のように焦げた色をした、老木のように細い全裸の男。めちゃくちゃ健脚の不審者、とかではない。こいつは悪霊だ。
『此度の祓魔師の顔を拝んでやろうと思えば、年端もいかぬ
「……人間様の言葉が分かるのか」
『霊気を乗せておるだけじゃ。畜生共の簡単な音節など、一度聞けばマネできるわ』
「僕が学生の頃に知りたかったよ、それ」
『たわ言をほざきおって。どう見ても学童であろうが』
前世の話だよ。
「追い詰めたぞ悪霊め!!」
「逃げ場はないわ。さっさと消えなさい」
後ろから恩場と永木もヤカーに追い付いて、僕達は作戦通り、狭い場所での挟み撃ちの状態へと持ち込んだ。
『儂を祓うつもりか、
「当たり。全文字正解。賢いね」
『ほざけ青二才がぁッ!!』
異常に伸びた爪を立て、ヤカーは両手を振り上げた。
直線的な攻撃だ。一歩下がるだけで避け、カービンを回して銃床で突くようにして腹を攻撃する。
『甘いわぁッ!』
ヤカーは膝を曲げるようにして飛び跳ね、膝で銃床の突きを受けた。そして突きの勢いを利用して、背後の恩場達へと一気に肉薄する。
「させないわッ!!」
僕ほどではないとはいえ、接近戦に長けた永木が前を張った。拳銃と警棒のよくある祓魔師のスタイルで、警棒で牽制しながら銃撃を試みる。
「イシメ! 詠唱を急いで!!」
「分かっているッ!!
僕達の戦法は至って簡単だ。近接戦闘が得意な僕と永木で注意を引き付け、その間に霊気を充足させた恩場の降魔術で祓う。それだけ。
「喰らいなさいッ!!」
永木はヤカーの背後にいる僕が射線上にいることを嫌って、下気味に拳銃を発砲した。
ヤカーは身軽にも発砲のタイミングに合わせて跳躍し、永木が構え直す前に飛びかかった。
『抜かったなッ!! 所詮は童よ!!』
「ぐっ……!」
「い、つぅ……!」
正面から思いきり蹴り飛ばされ、永木は霊句を読誦中の恩場を巻き込んで地面を転がった。
『勢いは口ばかりか。カカッ。弱い弱い』
ヤカーは鉄のように硬い爪を立て、毒の垢に汚れた手を永木の頭上で振り上げた。
それに永木が気付いた時、恩場ともつれた足がひっかかってすぐに立てないことにも気がついた。
「い、いやッ……!」
病禍の名は単なる当て字ではない。その体に何の策もなしに触れれば、重篤な病に罹患することになる。しかも現存するいかなる治療法もなす術ない、残酷な病だ。
組員が殺されるのを黙って見ている訳もない。僕は即座にカービンを振り抜き、空砲で振り上げたヤカーの腕を吹き飛ばした。
『ぬッ!?』
突然の衝撃に体を持っていかれ、あらぬ方向に振り飛ばされた腕が壁を切る。5本の爪の跡が、ヤニで煤けた壁に修復不可能な傷を付けていた。
「はぁッ……はぁッ……」
永木は、しばらくは無理そうだな……立ち上がったはいいものの、若干の恐怖が表情に表れている。気丈にヤカーを睨みつけてはいるものの、悪霊さんのほうは脅威とも思っていないようだ。
ヤカーは実体のある悪霊だ。そしてわざわざ敵に触れられるリスクを冒して実体を得るような悪霊は、大概は近接戦に強い。
『……そこの童、この儂を泳がせておったな』
「は?」
いきなり何を言い出すのか。単に攻撃のパターンを確認しただけだろ。
というか、恩場達の前でそういうこと言わないでくれるか。ただでさえ下降気味の僕の印象が、取り返しの付かない悪さになりそうなんだけど。
『なるほど、そのほうが頭か』
全くお門違いなことを言い始めた。僕達のリーダーは恩場だ。
なぜって、永木に権力なんて持たせたらロクなことにならないのは火を見るより明らかだし、僕は人の上に立って指示するようなガラじゃない。
『カカカッ!! 最も強い者から殺すのが、悪霊というものじゃ。なぜならほれ、残された弱き者の絶望たるや……カカ、カカカカッ!!』
やはり悪霊の言うことなんて、一々聞くだけ時間の無駄だな。
「
一番口舌に馴染む霊句(短いから噛まなくていい)を唱え、いつもより軽いカービンをヤカーに突き付けた。
『くるかッ!! 祓魔師め!!』
魔法円を仕込んだ特殊なライフリングは、(実弾より効果が減退するものの)空砲でも降魔の力を発揮することができる。
『受けてやるッ!! 精々にわか仕込みの降魔でも見せるがいいわッ!』
片手で持ち上がるカービンの照準を緩慢な動作で合わせ、僕を侮っているヤカーの額に向かって発砲した。
ぽんっ!
『…………何じゃこれは』
ヤカーの額からは、一本の赤いチューリップが咲いていた。少しくすみがちな花弁がむしろ艶っぽく見えなくもない。
「チューリップ」
『分かっとるわそんなことはァ!!』
「花言葉は〝悪霊退散〟だ」
『嘘をつけぇいッ!!』
じゃあ〝さっさとくたばれ〟でもいいよ。やることはどうせ同じだ。
『こなくそッ……こんなものッ!!』
ヤカーは青筋を浮かべながら、額に咲いたチューリップをかきむしった。
が、取れない。
『どうなっとるんじゃこれはぁッ!!?』
「酷いな。折角のプレゼントなのに。誕生日だろ?」
『違うわァ!!』
「じゃあ弔花だよ。大事にしろ」
どうせ明日は来ない。いつが誕生日かなんて知らないが、今のうちに祝っておいたほうがいいんじゃないか。悪霊に生誕を祝う文化があるとも思えないけど。
『コケにしおって……! ならばお前から食ろうてくれるッ!!』
流木のような頭を振り回し、関節を無視した意味不明な軌道で、下から爪が振り上げられる。
爪を飛び越して前腕を踏み付け、銃身を振って顔を横殴りにした。その勢いのまま銃口を向けるが、即座に振り下ろされた左腕を避けた瞬間に、また射程をリセットされる。
『ぐぅ……小癪な』
一発もらえば死は確実だ。祓魔師ってのはみんな生身なので、体からして頑丈な悪霊に対しては、いつも不利を強いられる。
というのはぺーぺーだけ。曲がりなりにも僕は〝花生〟だ。
「これなーんだ」
手から取り出した提灯のように長い花を、ヤカーに向かって投げつけた。
ヤカーは当然ながら、鬱陶しそうにその花を振り払った。それこそが罠だ。
『ぬおッ!!?』
花の中身には、大量の花弁が詰まっている。衝撃で中身が飛び散る構造になっているこの花は、一瞬で敵の視界を奪いつつ、煙のように拡散しないので、僕の妨げにはならない。
『こ、小童ッ……ごぁッ』
先に右腕を木製の銃剣で叩き折り、痛みに悶えるヤカーの胸を蹴り飛ばして倒した。
そしてその胸を踏みつけて拘束し、確実に頭に銃口を降ろす。
「策なしに敵に触れるべきじゃない」
祓魔師だけではなく、悪霊にも言えることだ。
さて、あとは実弾を撃ち込んで、ぶっ殺してから安全に祓うだけ――――
『ぐっ……この、こうなれば……!』
「おっ」
仰向けで胸を踏みつけられている体勢から、ヤカーは筋力だけで上体を起こした。額からチューリップを咲かせた滑稽な姿だが、(文字通り)腐っても悪霊ということか。
「どうすんの?」
『カカカッ…………あっ、UFO!!』
え!? UFO!? ど、どこどこ!?
『かかったな阿呆めッ!! これを喰らえッ!!』
何ッ!? UFOは嘘だと!?
「何やってる花生!! トドメを――――」
『もう遅い!! 苦しめ小童ッ!!』
ヤカーは爪の一本を折り、その場に叩きつけた。そこから毒々しい色の、様々な色が混ざっているせいで結果として黒く見える汚らしい煙が、粉っぽい破裂音を伴って巻き上がった。
「うっ、何よ、この……」
この煙は、瘴気……!
「吸うなッ!!」
恩場と永木が瘴気を吸う前に、空砲で煙を吹き飛ばす。彼らも僕の忠告に気付いて、咄嗟に顔を腕で覆った。
「…………」
煙が晴れた時、そこにヤカーの姿はなかった。
「あー、逃げちゃった」
壁にいくつも刺し数が付いている。僕らの身長よりも高い場所だ。あの爪を壁に刺して、三次元的な逃げ道を使ったのか。
「アンタが遊んでるせいで取り逃しちゃったじゃないのよ!!」
遊んでない。
「何よあの◯ギー司◯みたいな降魔術は!」
「かわいいだろ」
「全ッ然!! ムカつくだけよ!!」
仕方ないだろ。あれが僕の降魔の術なんだから。名は体を表すと言うじゃないか。花生の名にぴったりだとは思わないか。
見た目も綺麗だし、結構自慢の降魔術なんだけどな。あ、そうだ。
「これ、君にもプレゼント。ラベンダー」
かわいい破裂音と共に手の中に飛び出したラベンダーを、彼女に押し付けた。匂いが強すぎるのが少し難点だが、好きな部類の花だ。
「…………何で?」
「匂いにリラックス効果があるらしい」
花言葉は〝怒るとシワが増えるぞ〟だっけ。
「殺すッ!!」
永木は至近距離でカービンを突きつけ、僕の額に銃口を押し付けた。痛い痛い、食い込んでる。
「落ち着けネコ。花生、オレ達は大通りをあたる。お前はこのまま路地を調べてくれ」
僕と永木の間に、背を打ちつけてしばらく動けなかったらしい恩場が気を取り直して、間に割って入った。
「冷静さを忘れるな」
「分かってるわよ……遅れないでよね、イシメ」
3人組を組んでから一週間が経つ。彼らはいつの間にか、互いのことを下の名前で呼び合う仲になっているのに、なぜか僕のことは「花生」呼びだ。
何が恩場イシメだよ。怨罵イジメの間違いだろ。
激昂する永木の背を押しながら、恩場は来た道を戻ってヤカーを探すように彼女に提案した。
彼の言うことならば永木も聞くようで、表情は不満げながらも、しぶしぶと言った様子で歩いて行った。
「…………花生、なぜお前がネコから名字で呼ばれるのか、よく考えてみるといい」
名字で呼んでるのはお前もだろ。
『ここまで来れば……』
ヤカーは肩で息をしながら、その目に怯えの弱い色を濁らせていた。
『さて、どうして喰ろうてやろうか、あの童ども』
爪の一本を失い、右手の方向に対してバランスが取れないが、悪霊の体は瘴気によって再生する。
痛みを伴う再生だが、それがヤカーの精神を減退させる理由にはならず、むしろ復讐心を滾らせていた。
『まずはあのふざけた男のガキからじゃ……! 背後から首を手折り、それからゆっくりと……!』
「醤油と大根おろしでしゃっきりぽん?」
『そうじゃ、しゃっきり……!?』
だが、その復讐心は無駄となる。
『なっ……!?』
「誰があれに騙されるんだよ」
やり方が古典的すぎる。平成初期の漫画かよ。悪霊として形を成してからの年月がうかがえる引っかけだ。
『なぜ、一人で……!』
「秘密なんだ。色々と」
僕はその日に焼けてボロボロになった紙のような額を指差した。そこに咲いたままになっているチューリップを。
『貴様、わざと――――!』
ヤカーの眉間に実弾を撃ち込んだ。枯れ枝のような体はみるみるうちに炭のように崩れ、黒い煙となって霧散していく。
「さよなら」
その死を悼むかのように、ヤカーの遺体に代わって、彼岸花の花畑がそこに生まれた。
「なんか、嫌われるんだよな……」
僕はいつもの〝律〟科目の補習で渡されたプリントに書き込みながら、コンビニで買ったりんごジュースを飲み干した。
「なぜでしょうね?」
補習に付き合ってくれたインも、僕の話を聞きながら首を傾げている。君がそういう反応ということは、やっぱり相手に問題があるよな。
「仲良くしたいんだけどさ……」
やはり、花生の名前が悪いのだろうか。大半の生徒はこの名を恐れて遠巻きにするか、敵意と競争心を滲ませた目で僕を睨んでくる。
「あれは試したのですか? お花プレゼント作戦」
「あー、あれね」
以前にもこのことをインに相談したことがある。その際は「君の特技を活かして、花をプレゼントするのはどうですか?」と、非常に建設的なアドバイスをもらったのだ。
僕も妙案得たりという気分で、早速二人に試してみたのだが、微妙な顔をされてしまった。
「花の種類がよくなかったのかな」
「今度はヒマワリにしては? 大は小を兼ねると言いますから」
名案。それ採用。
「流石インだ。僕一人じゃずっと嫌われて終わりだった」
インは唯一、僕のこの降魔術を褒めてくれる人物だ。何せ単なる花だから、殺傷能力はゼロ。教員にも苦い顔をされる。
しかしインだけは「花を出すなんて、素敵じゃないですか。好きですよ、モロの花」と褒めてくれた。
そんなに褒めても――――お花が出るだけだぞ! もう沢山お花作っちゃう!! いくらでも持ってけ!!
「わぁ、綺麗ですね。それは、花冠?」
「そう。シロツメクサ。こういうのだけは昔から得意なんだ」
もっと幼い頃は、母さんにもよくこれを贈った。頭に乗せるのがもったいないなんて言って、皿に水を溜めていつまでも眺めていた。別に枯れたって、言ってくれればいくらでも作ったのに。
「それにしても、すっかり上位者ですね。君のチーム」
「あぁ……」
フェイス教官が、僕達に進級するために取り付けてきた条件は非常に簡単だった。
力を証明すること。
肉弾戦が嫌いだろうが、素行が悪かろうが、霊的濃度が一般人の絞りカスみたいな数値だろうが、極論悪霊を祓えさえすれば、祓魔師としての仕事はできる。
それだけが僕達に望まれるただ一つの資質であり、存在理由だ。
「でも、君のチームが一番だろ、イン」
現在17チーム存在する一年生の3人組の中で、最も数多く悪霊を祓っているのは、インの所属する組だ。
「すごいじゃないか。学年で一番だぞ」
個人技なら負けるつもりはないけどね、と、心の中で張り合っておく。ちなみに僕らは討伐数で言えば4位。それなりだ。
「それは違います。モロ」
インは、消え入りそうな笑顔で眉を降ろして、僕にしか聞こえないほどの小さな声で言った。
「降魔ができるのではなく、これしかないんです」
とある魔術師によって発明された有機人形。魂と結合することにより組成が変化し、血液の成分を除いて人間と全く同じ存在になる。
祓魔師は野蛮なので悪霊は全部ぶっ殺す。