片田舎の剣聖 錬鉄の英霊   作:ナチュル志保

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これにて壱章は終了となります。
よろしければ、引き続き温かく見守りくださいませ。


【壱章・第8.5話】『回想_月下の語らい』

 

特別討伐指定個体、ゼノ・グレイブル討伐から三日後。

 

エミヤの身体はまだ完全に癒えてはいなかった。

スレナ、アリューシアの手配により都市病院の個室を用意されたエミヤは、白い天井を見上げながら小さく息をつく。

火傷の痕跡は消え、外傷も癒えかけている。それでも医師は「一週間は安静に」と告げ、強引に動こうとすれば誰もが止めに入る。

 

――一週間も寝ていられるほど、悠長な性分ではないのだが。

 

とはいえ、実際にエミヤが受けた負傷は、客観的に観ても決して軽いものではない。

ゼノ・グレイブルの炎弾は、掠めただけでもエミヤの脚の肉を焦がしその身体を焼いた。

また、燃える地表の上に居続けたことによる炎症も酷く、礼装により僅かに抵抗出来たとはいえ、戦闘終了後に確認すればスレナよりも酷い状態であった。

そのような怪我を受けても平然とした姿で話すためポルタ達は勘違いしかけたが、スレナが呆れながらその場で応急手当をしたところ、あまりの重体に皆青ざめた顔をしていた。

もちろん、かつての鞘を所持しているわけでも、治癒魔術を習得しているわけでもないエミヤは、言わば慣れと根性で耐えていただけに過ぎない。

 

そのため、回復薬を受けつつ、騎士団が運営する病院で安静を言い渡させたエミヤだが、何もしないというのは性に合わず、我慢できなかった。

 

既に(彼の基準では)動ける程度まで回復したので職務に戻ろうとすると、見舞いに来た騎士団員に安静を諭される。

それでは魔術の鍛錬を行おうと深夜に簡易結界を張りながら始めようとすると、たまたま顔を出したルーシーに呆れられながら止められる始末。

結果、両名から渡された書物で暇を潰していた。

 

 

 

せめて職員達の食事の用意を、と考えたエミヤが毛布を押しのけ、上体を起こそうとしたところで扉が軋んで開いた。

 

「……エミヤ…君はじっと出来ない子どもかい?」

 

ため息混じりの声。振り返れば、ベリルが立っていた。片手には小さな紙袋、街の果実酒の店の品らしい。

 

「わざわざ差し入れか。稽古はいいのか?」

 

「あぁ、みんな真面目だからね。変わらず修練に精を出しているよ。

……それに、友人が倒れたって聞いたら、心配になるよ」

 

そう言って、ベリルは椅子に腰を下ろす。

本来はもっと前に訪れたかったベリルだったが、入院直後は面会が許されなかったのだ。

 

修練場の近況を幾つか聞いた後、ベリルが口を開いた。

 

「……今回のこと、あらためて礼を伝えさせてほしい。

任務を引き受けてくれたこと、スレナを守ってくれたこと。そして……怪我をさせちゃったことも」

 

言葉の端に、自責が滲む。

エミヤは目を伏せ、静かに応じた。

 

「感謝も謝罪も、私の方こそだ。

君も知っての通り不測の事態の怪我など、あり得ること。

何より、私の反応が速ければ、スレナを傷つけずに済んだ」

 

「……お互い様だね」

 

二人の視線が交わり、ふっと笑みのようなものが漏れる。

 

話題は自然とスレナへと移った。

ベリルは、彼女と酒を酌み交わした夜のことを語る。

元々はエミヤの怪我を報告するためにスレナがベリルの元を訪れたのだが、

スレナの落ち込んでいる姿を見て、ベリルが夕食を提案したのだ。

 

ベリルにとってスレナは弟子の一人だが…共に過ごした家族の一人だ。

久しぶりの2人の時間、成長した彼女のこれまでの軌跡を直接聴ける喜び。

何より、ふと見せた変わらぬ姿への安堵。

 

エミヤは黙って聞きながら、想像するように目を細めた。

 

「……良い時間になったみたいだな」

 

「あぁ、こんなおじさんに付き合わせちゃいけないと思ってたんだけどね。

それでも家族のような彼女が大きくなって活躍してることを聞けたのは、泣いてしまう程嬉しかったなぁ」

 

心から嬉しかったと話すベリルの姿に、エミヤも嬉しくなる。

 

「そうだ、スレナから聞いたけど…

討伐の件、功績をスレナの手柄にするというのは、本当かい?」

 

「あぁ、私がスレナに頼んだ。

私の武器が、やつを貫けると知られれば、厄介なことになる。

名誉や賞金も特に惹かれないからな」

 

だから、スレナが討ったことにした方が都合がいい、と語るエミヤ。

言葉の通り、評価よりも隠匿が重要と考えているようだ。

ベリルは小さく息をつき、苦笑を浮かべる。

 

 

 

やがて話題はゼノ・グレイブルとの戦闘の話に移る。

 

「グリフォンってだけでも厄介だけど、それに加えて炎と、何より硬い鱗か…」

 

「あぁ、私の武器でも、一定以上の神秘を宿した物でなければ通らなかったな」

 

「エミヤがそう言うってことは、きっと俺の剣だと通らないと思った方が良さそうだね」

 

「無論、君であれば部位を見極めて刃を突き立てることは可能だろう…だが、時間がかかるのは、間違いないな」

 

魔物との戦闘時に時間を要するということは、自分の体力消費に伴う危険も増すが、何より同行者の危険にも繋がる。

今回のような範囲攻撃を持つものや知恵のある獣から、負傷者や新人を守りながら闘うことは非常に難しいことなのだ。

 

「………いよいよ、課題と向き合わないといけない時なのかもしれないね」

 

「あぁ、君の剣の問題は、以前から話していたことだな」

 

エミヤの言葉に、ベリルは記憶を辿る。

冬の冷えた山間、二人だけで剣を交えたあの夜を――。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

ビデン村から外れた、山間の奥地。

二人の影が向かい合っていた。

 

吐く息は白く、周囲を囲むのは無数の裸木。

風が枝を鳴らし、時折雪片が落ちる。人目に付かず、存分に剣を振るうことができる修練の地。

 

「……準備はいいか」

 

「ああ」

 

短く交わす言葉の後、空気がぴんと張り詰める。

十度目になる、全力の模擬戦。

 

エミヤの両手に、淡い光が奔った。虚空から形を成すのは二振りの刀。

東の国の英雄、新選組三番隊隊長、斎藤一の二刀流だ。

 

鞘もない刀身を、彼は無造作に構える。

だが一歩踏み出した瞬間、その姿勢は隙のない構えへと変わった。

 

――踏み込みの鋭さ、初動の速さ。

 

ベリルは目を細める。測っていた間合いが合わない間に刀が届く。

 

初撃は、鋭い。

低く滑るように踏み込み、二刀の斬撃が同時に奔る。

左右からの連撃を、ベリルは一歩退きつつ剣で受け流す。

しかし間髪入れず、さらに畳みかけるように二撃、三撃と襲いかかる。

 

そのどれもが、不規則。受け続けるがリズムが合わない。

届かないはずの間合いから、するりと滑り込んだ刃が迫る。

迎撃を試みると、いつの間にか距離が離れている。

 

打ち合う音が、山に響いた。

雪が震え、木の枝から粉雪が舞う。

 

「………視えてきた」

 

ベリルの唇に、わずかな笑みが浮かぶ。

序盤は完全にエミヤが主導を握っていた。

二刀による変則的な角度、受けを殺しながら次の斬りに繋げる連撃――。

独特の技法に、さすがのベリルも初めは守勢に回るしかない。

 

だが、持ち前の目による剣術の解析、そして積み重ねた剣の理により、男はすぐに慣れる。

この模倣が型を持たずに常に相手の感覚を狂わせながら切り伏せる無敵の剣であるのならば、

そうした剣技であることを理解したうえで、一手、一太刀ずつ合わせて対処すればいい。

 

本来の持ち主であれば届かない可能性がある対処法でも、あくまでエミヤの攻撃は模倣にとどまる。

常識で測らず、どのような間合いであっても常に斬られると思考したうえで、相手の動きを視認し、捌く。

そして、体運びで徐々に追い詰める。

 

受けの一閃で弾かれた刃を、半歩ずらして力を逃がし、体を開いて二撃目を空振りさせる。

呼吸を整えるように応じるうち、徐々に余裕を取り戻していった。

 

「……っ」

 

やがて、決定的な隙が生じた。

ベリルの剣が低く払われ、エミヤの片方の刀が空を舞う。金属音が澄んだ響きを残し、雪原に突き刺さった。

 

返す剣が、一直線に胸を狙う。

ベリルの目が確信を宿す。これで終わり――で、あるはずがない。

 

――その確信に応えるかのように――

 

――爆ぜた。

 

残された片刀が、閃光とともに小さく爆発を起こしたのだ。

火花が弾け、白煙が広がる。

衝撃を予感したベリルは瞬時に身を引き、剣を盾にして受け止める。

雪が舞い、煙が立ち込め、視界が奪われる。

 

わずかに距離を取ったエミヤの姿が、その向こうに揺らめいた。

彼は深く息をつきながら、再び構え直す。

 

「……さすがだね、今ので決め手にならないか」

 

ベリルは煙を払いながら呟いた。だが声に混じるのは怒りではなく、楽しげな色。

相手が咄嗟の判断とはいえ、決着の一撃に対しても逃げの一手を講じる戦上手さに、彼は心底歓迎している。

 

 

 

爆煙の余韻が消えぬうちに、エミヤの周囲が光を帯びた。

 

全投影連続層写。

生み出されたのは、形も大きさも異なる十数振りの剣。宙に浮かび、刃先をベリルに向ける。

 

 

ベリルが僅かに息を整える。

思考は冷静で、眉一つ動かさない。

 

次の瞬間――一斉掃射。

風を裂き、閃光のように剣が降り注ぐ。正面から、斜め上から、背後を狙う軌道すらある。

 

ベリルは退かない。

踏み込むでもなく、ただその場で体を微妙に捻り、剣を振るう。

 

カン、と乾いた音。

刃が弾かれ、雪の上を滑る。次の刃も、さらにその次も、すべて弾き落とされていく。

 

まるで嵐の中に一本の大樹が立っているかのようだった。

剣は確かに雨のように降り注ぐ。だが彼の一太刀が振るわれるたび、嵐は形を失い、ただ風だけが残る。

 

「……やるな」

 

遠目から放った一斉射撃の中、エミヤの唇から漏れたのは短い言葉だった。

 

かつて、初めてこの戦法を受けたとき。

ベリルは苛烈な連射に追い詰められ、紙一重で防ぎ切るのが精一杯だった。

種類も大きさも異なる無数の剣に翻弄され、視界を奪われ、防戦一方だった。

 

だが今の彼は違う。

一撃ごとに呼吸を合わせ、剣を振るうたび無駄のない動きで対処していく。

慣れと経験。鍛え抜かれた反応速度が、過去の自分を置き去りにしていた。

 

雪原に弾かれた剣が転がり、しんとした静寂が戻る。

ベリルは少し肩を上下させたが、顔色は変わらず、冷ややかな眼差しをエミヤに向けていた。

 

「……まだ終わりじゃないでしょ」

 

その声音は挑発ではなく、事実を告げるものだった。

 

エミヤもまた応じるように、ゆっくりと弓を構える。

先ほどまでの剣撃から一転、弦にかかるのは漆黒の矢。

 

放たれる。

矢は直線を描き、雪を穿つ。

剣幕の掃射とは異なり、より速く、正確に、されど弾幕を作るかのような物量が、ベリルに迫る。

それだけではない。次の矢は天へと放たれ、上空から雨のように降り注ぐ。

さらには角度を変え、死角を狙う矢が無数に襲いかかる。

 

直線と曲射の嵐。

まるで二重三重に罠を張り巡らせるような攻撃だった。

 

だがベリルは、揺らがなかった。

矢の軌道を読み、足を運び、剣で弾き、身体を傾けてかわす。

一本一本の矢に翻弄されることなく、確実に処理していく。

 

矢羽根が折れ、木々に突き刺さり、雪を抉る。

そのたびに彼の動きは研ぎ澄まされ、気配は一層鋭さを増していく。

 

「……っ」

 

エミヤの瞳に、一瞬の驚きが宿る。

この身は弓の英雄に選ばれるほどの技量であり、その腕はエミヤ自身、自負している。

彼の矢はただの矢ではない。軌道をずらし、速度を調整し、相手を追い詰めるよう計算され尽くしていた。

英雄ではない相手であれば、普通は数本でも防ぐのに必死になる。

 

なれど、対峙するは未だ自覚無き、片田舎の剣聖。

 

嵐の只中で、まるで舞うように冷静に対処していた。

雪を踏み締め、振るわれる剣筋に迷いはなく、視線は常に矢の先を射抜いていた。

 

矢雨が止む。

残るのは吐息と、雪を踏む音だけ。

 

追撃がないことを確認し、ベリルは剣を下げ、ふっと息をついた。

 

「……エミヤには付き合ってもらってるからね。この程度では倒れないよ」

 

静かな声音だったが、確かな自信と、戦いを愉しむ熱が滲んでいた。

 

 

 

雪原に静けさが戻る。

矢の雨が止み、風が冷たく頬を撫でる。だがその沈黙は、終わりではなく、次の嵐の前触れだった。

 

エミヤの手に、双剣が形を結ぶ。

白と黒、陰と陽を象徴するような対の剣――干将・莫耶。

 

「……来たね」

 

ベリルの目がわずかに細められる。

エミヤは多種多様な武器を投影し、数多の攻め手を状況に応じて使用するが、

彼が一番信頼している構えは、あの夫婦剣だと知っている。

その剣技が強固であり、生半可な攻撃には一切崩れないことも、知っている。

 

そして、何より、あの武器を使用した、恐らくエミヤだけの攻め手。

 

以前の模擬戦で、この双剣を投げつけられた時のことを覚えている。

見た目以上に厄介な武器だった。投げた刃は互いを引き寄せる性質を持ち、弾いても新たに現れる剣に導かれ強襲する鶴翼二連。

真正面から迎え撃つか、あるいは同時に両方を処理するしかない。

 

エミヤが腰を沈める。

雪を蹴り、双剣が空を裂く。放たれた二本は弧を描き、ベリルを挟み込むように迫る。

 

ベリルは退かない。

剣を握り直し、呼吸を整える。心臓の鼓動に合わせるように、振るう。

 

ギンッ、と火花が散った。

 

一本目を正面から打ち払い、その反動を利用して体を回転させる。

迫り来る二本目をも、刃の軌跡で撃ち落とす。

 

だが――。

それで終わりではなかった。

 

エミヤの影から、さらに四本の干将・莫耶が放たれていた。

同じ軌道、同じ角度。まるで鏡写しのように、四方から同時に迫ってくる。

 

「……ッ!」

 

ベリルの瞳が一瞬、驚きに揺れる。

 

正面、背後、左右。

それは捉えたものを逃がさぬ檻となり、一本でも受け損ねると刈り取ると思わせる魔弾。

それら四方から収束する刃に加え、同時に迫るのは投擲を終えた本人――エミヤ自身だった。

 

猛然とした踏み込みに雪が爆ぜ、空気が震える。

 

「そういうことか」

 

ベリルは悟った。

 

――本命はこの一撃だ。

 

干将・莫耶を撒き餌とし、自らの刃に全てを込めて迫る。

 

交錯の瞬間。

エミヤの双剣が、青の閃光を帯びた。

 

(強化魔術!?)

 

ベリルの直感が叫ぶ。

 

ただの剣ではない。強化を重ね、刃そのものが相手の防御を砕く“必殺剣”へと至っている。

エミヤの切り札とも言える、干将・莫耶を巨大な剣“オーバーエッジ“へ強化し攻める――鶴翼三連。

 

ベリルは防御を選ばなかった。

避けることはできない。受け止めねばならない。

それでも、剣士としての矜持が彼を突き動かす。

 

激突。

 

耳をつんざく衝撃音。

 

エミヤの強化された双剣と、ベリルの剣が真正面からぶつかり合う。

 

一瞬の均衡。

だが次の瞬間、鋼が裂ける音が響いた。

 

バキィッ――!

 

ベリルの剣が砕けた。

エミヤが投影した剣と言えど、その耐久性は所持しているものと全く同一。

その剣の刃が粉々に弾け、残滓が雪原に散らばる。衝撃に押され、ベリルの足が二歩、三歩と下がる。

 

武器の破壊、その結果を受け止め、彼は静かに息を吐いた。

 

「……参った、これで詰み、だね」

 

ベリルは苦笑を浮かべる。

悔しさは残るものの、敗北を潔く認める声音だった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

その後、お決まりとなった感想戦をしつつ、雪の影響もあるのでいつもより早く引き上げた二人は

ガーデナント家に帰り、各々、普段通りに過ごす流れとなった。

 

 

 

深夜。

ベリルは眠れず、冷えた夜風を浴びようと外に出ていた。

 

夜は更け、山の静けさが村を包んでいた。

澄み渡った空に白銀の月が昇り、雪の大地を青く照らし出している。

 

眠れない理由は、模擬戦の熱が引かないこともある。

普段から勝ち負けを引きずっているわけではないが、それでも今回の負けは、

いつもとは異なり考え悩んでしまう結果だった。

 

無論、剣が悪いから勝てない、などの思考はない。

武器の優劣は闘いの常であり、戦況に応じた戦い方が求められる。

あの必殺剣も、打たせない状況を作れば、攻略したことになる。

 

ただ、前回も模擬戦でも剣が攻撃に耐えられないと思う瞬間があった。

ベリルの経験が積まれることで、エミヤとの模擬戦、一戦の時間が長くなり、

その分自身の体力と合わせて剣の耐久力も課題となってきていた。

 

体力の低下は仕方ない。

日々鍛錬は怠らないが、そもそも歳には勝てぬものであり、

自分の体力を計算したうえで、立ち会うだけの話だ。

だが、剣の問題となると、これは解決できない話でもないことが、よりベリルを悩ませる。

 

当然、普段使いをするには申し分ない剣だ。

愛用の剣であり、愛着を持って一介の剣士としても大切に扱ってきた。

そして、この村で剣が必要になるタイミングなんて、野獣対峙や野盗を追い払うときであって、

そもそもエミヤと対峙することなんて、まったく考えることではないのだ。

 

そう、考えることではないのだ。

俺の目標は、剣の頂を目指す道だが、今はおやじ殿を超えられる剣士になることを漠然と追っているだけ。

おやじ殿もすっかり引退をしているが、それでも今もなお頭からこびり付き離れない、あの剣士に、まだ俺は届かない。

 

だけど、俺はこの年齢だ。

今更、村から離れて未知の強敵と対峙することもないのだ。

田舎のしがない道場主で生涯を終えるだろう。それでいいのだ。不満はない。

エミヤと打ち合えることは確かに楽しいが、そのために剣を新調したいとは、今の俺は思わない。

そもそも、あの苛烈な攻撃に耐えられる剣となると特別な一品になるし、それを俺が持つのは、分不相応なのだ。

 

それなら、俺が目指す剣の道とは、剣の頂とは、なんだろう。

負けを良しとして、割り切ろうとする者が、思い描いていた剣士なのだろうか。

 

 

 

考えながら歩き出すと、道場に人の気配があることに気づいた。

この時間、親父やお袋が起きてるとは思わないから、エミヤだろうか。

 

道場に足を運ぶと、そこにはエミヤが一人、縁側で月を見上げていた。

 

「この時間にエミヤが道場にいるなんて、珍しいね」

 

声をかけると、エミヤもベリルが近づいたことに気づきながら返事をする。

 

「夜風と静寂が心地よくてな」

 

「邪魔しちゃったかな?」

 

「構わない。君こそ、遅くまで起きていて大丈夫なのか?」

 

「明日は道場も休みだから問題ないよ。……なんとなく寝付けなくてね」

 

そう言って、ベリルは彼の隣に腰を下ろす。

頭上には雲ひとつなく、冴え渡る満月。

冷たさと温かさを同時に抱いた光が、二人を静かに照らしていた。

 

しばしの沈黙。夜の静けさが、耳に痛いほど澄んでいる。

 

「……少し、聞いてもいいかな?」

 

ベリルの問いに、エミヤは静かに頷いてみせた。

 

「君はどうして――」

 

彼は迷いなく問いを投げる。

 

「どうして、そんなに強くなれたんだい?」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

(ベリル)side

 

共に過ごし、剣を交え、彼を知った。

だが、お互い過去を語り合ったことはない。

大人になれば、その距離感のままでも生きていける。

だが今夜は――月があまりに綺麗だったからかもしれない。

 

ベリルは、ずっと胸に抱えていた疑問を口にした。

 

彼は、エミヤは、強い。

だがその強さは、才覚や才気ではない。もっと別のものだ。

 

我慢強い――そう言うしかないのかもしれない。

 

彼には剣の才能はない。

彼には剣を楽しむ気持ちがない。

彼には、自分を大切にするという、ごく当たり前の心がない。

 

それでも彼は、戦い続けてきた。

多彩な武器を操り、文字通り命を掛けながら、あらゆる場で生き抜いてきた。

だがそれは強さへの憧れではなく、ただ「歩き続けた結果」に過ぎないのだ。

そもそも、なぜ争いが好きではない彼が、そのような戦場に何度も身を投じる必要があったのか。

 

どうして?

 

彼は他者と向き合うとき、不器用ながらも優しい。

人との交流に温かさを見いだしながら――同時に、自ら距離を引いて遠ざける。

まるで、自分を理解する者など現れはしないと、諦め切っているかのように。

まるで、自分は温かさを享受する資格がないと決めているかのように。

 

どうして……?

 

ベリルは胸に湧き上がる思いを抑えきれず、ふっと笑った。

 

「エミヤ。俺はね――剣が好きだ。

自分を鍛えるのも好きだ。長い年月、剣と向き合ってきた。

それは、今こうして片田舎で子供たちに剣を教えるだけの生活になっても、何も変わらない」

 

月を仰ぐように目を細める。

 

「尊敬するおやじ殿を超えたい。届かなくても、いつか超えたいと思っている。だから努力できる。

……根っこにあるのは、剣が好きだっていう強い想いなんだと思う」

 

自分の想いを誰かに吐き出すなんて、果たしていつ以来だっただろう。

若き頃には、酒場で友人と語り合った覚えがある。

それも、何時しか年月が流れ、同世代が居なくなって、

気付けば自分の想いを考えることも無くなり過ごしていた気もする。

 

少しの気恥ずかしさと、誇らしさを感じる。

そのどちらも、この歳でも友と呼べる者と、こうして会話できることへの気持ちだった。

 

そして再び彼を見据える。

 

「エミヤは、どうして、そんなに強くなれたんだい?」

 

沈黙が落ちた。

雪明かりの夜道に、二人の影だけが寄り添って伸びる。

 

やがて、ぽつりと声が落ちた。

 

「――俺は、正義の味方に、なりたかった」

 

正義の味方。

子供たちが夢見る、物語に出てくる英雄。

大人になれば誰しも知る、それが子供だけの夢であることを。

 

だが彼は、その夢を今も胸に抱いていた。

数え切れぬ戦場を渡り、救えぬ惨劇を見てきた目で。

それでもなお、彼は「正義の味方になりたかった」と語った。

 

淡々と告げられる生い立ちは、壮絶なものだった。

夢を抱いたがゆえに、彼は道を踏み外し、命を落とすことさえあった。

だがその歩みを止めることなく、今なおその名を口にする。

 

ベリルは唇を引き結ぶ。

 

辛くなかったか――そんな問いは無粋だ。

 

苦しくなかったか――そんなのは答えを聞くまでもない。

 

だから、違う問いを投げる。

 

「君は……至れたのかい?その夢の頂に。正義の味方に」

 

しばしの沈黙。

やがて、エミヤは小さく息を吐いた。

 

「……どうだろうな。道半ば、なのかもしれない」

 

それまで淡々としていた声が、ふいに柔らかさを帯びる。

 

「ただ――俺は、間違っていなかった。

この夢を目指したことは、間違いじゃなかったと。そう思えるようになった」

 

その顔には、初めて穏やかな笑みが浮かんでいた。

 

その笑顔を、ベリルは忘れまいと心に刻む。

過酷な道を歩き続けた者が、幼き日の夢を掲げ続けた者が――その道に悔いはないと誇らしげに言えるのだ。

 

気づけば、自分の心も晴れていた。

探し物を見つけたように。

 

――ああ、俺も歩ける。

まだやれる。まだ頑張れる。

この剣の道を。今の自分の歩幅で、きっと最後まで。

 

(ベリル)sideout

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

病室の窓の近くに置かれた花瓶。

一輪の花が、温かな風に揺れている。

 

ベリルは、ふと自分の掌を見つめた。

剣を握り続けてきた手。共に欠かさず鍛錬をしてきた武骨な手。

俺の満足のために、酷使してきた手だ。

 

あの村で生涯を終えると思っていた。

それでも、今は違う。

村の外に出た、かつての教え子たちは皆、立派に成長している。

そして今の自分を頼りにしてくれる者がいる。

 

かつての自分のように必死に剣を振るう若者がいて、支えを必要とする弟子たちがいる。

 

――守りたい。

 

その想いが、胸の奥で揺るぎなく燃えていた。

 

視線を彼に向けた。

月下で交わした言葉。

「正義の味方」などという、到底子供じみた夢を、それでも誇りを持って語った男の姿。

 

――俺もまた、剣の道を進む者として、自分の答えを示さなければならない。

 

呼吸を整え、ベリルは口を開いた。

 

「……なぁ、エミヤ」

 

「なんだ」

 

「俺は、誰かを守るためにも、そして剣の道を進むためにも、強くなりたい。

剣士としての強さを、求めたい」

 

一拍置き、言葉を絞り出すように続ける。

 

「かつての課題、先延ばしにしていた問題と向き合うよ。

俺は、自分の剣が欲しい。俺だけの、折れぬ剣が」

 

その声音には迷いがなかった。

年を経てなお消えない熱、剣を愛し続けた男の願いがそこにあった。

 

エミヤは手を止め、ベリルを一瞥した。

口元に、かすかに皮肉めいた笑みを浮かべる。

 

「……ようやく口にしたな」

 

「……何?」

 

「無欲な君が本気でそう思うなら、手に入れるべきだろう。

俺も、その言葉を待っていた」

 

エミヤもベリルがいつかこの答えを望んでくれることを待ち望んでいた。

だからこそ、ベリルには明かさなかったが、事前にスレナから持ち掛けられていた報酬の提案についても、快く賛同していたのだ。

 

それは冷めた声音だった。だがベリルには分かる。

その言葉の裏に、確かな信頼と、友としての励ましが込められていることを。

 

ベリルは小さく笑みを返した。

 

「……あぁ。ありがとう、エミヤ」

 

かつての夜の余韻が、今もなお続いているかのように。

ベリルは、自らの道を定めた。




投稿後に読み返しましたが、長く書いてしまいました。
読んでくださった皆さま、ありがとうございます。
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