片田舎の剣聖 錬鉄の英霊   作:ナチュル志保

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弐章開始となります。
本話、暗いシーンも含んでおりますため、ご注意ください。


【弐章・第1話】『問われる覚悟』

――― 体は剣で出来ている。

 

 

 

錆びた歯車、荒れた荒野、無数に連なる剣の墓標。

孤独な主は剣の丘にて省みる。

 

この生涯に意味はなく。

その体は、きっと剣で出来ていた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

闇の中で、誰かの泣き声がした。

幼い子どもの声だ。すすり泣くような、喉を詰まらせるような。

けれどその響きには「助けを呼ぶ」力もなく、ただ苦痛と諦めが混じったかすかな音にすぎなかった。

 

……またか。

 

エミヤは目を閉じたまま、既に理解していた。これは夢だ。

忘れたくても忘れられない、胸にこびりついた残骸。

彼が幾度となく見てきた惨状のひとつに過ぎない。

 

足元には、ぬめりとした液体が広がっている。

血と薬液が混じった匂いが、むせ返るほど濃く鼻を突いた。

壁の向こうからは、金属を叩く音、呻き声、そして肉を裂く湿った破裂音。

 

――研究施設。

 

この悪夢は、いつも同じ始まりを持っている。

 

 

 

錆びた扉を押し開く。視界に広がったのは、異様に静まり返った廊下。

床に転がるのは、白衣を着た人間の死体。

喉を掻き切られ、片腕をもがれ、瞳を見開いたまま息絶えた研究者たち。

その死骸のいくつかは、己の血で「助けて」と殴り書きした跡を残していた。

 

エミヤは表情を動かさない。

すでに終わったことだ。夢に過ぎない。

だが、己の足が廊下を踏みしめるたび、死臭と薬臭がむせ返るように蘇ってくる。

どれほど否定しても、あの日の惨状は骨の髄にまで刻まれていた。

 

――この研究施設は、人間を兵器に変えるための巣窟だった。

 

合成化。魔獣の核を人に埋め込み、生きた武器を作り出す。

捕らえられたのは大人も子どもも区別なく。

この非道を世に放てば、どれほどの惨禍をもたらすか

 

――エミヤは、ひとりでそれを止めることを選んだ。

 

「……」

 

床に横たわる研究員の首筋に、己が手が伸びる。

その瞬間、記憶の中の自分は一切の迷いを見せなかった。

 

ただ、淡々と、確実に。

倒れていなければ、斬る。叫べば、射る。抵抗すれば、切り伏せる。

動機も理由も、言い訳も要らない。

そこに在るのは「壊滅」という結果だけ。

 

研究記録を抱え逃げようとする助手の背を矢で射抜き、悲鳴をあげて逃げ惑うスタッフの胸を刃で貫く。

子どもの泣き声が混じる。だが、その声が「助けて」と響いても、心は動かなかった。

 

――誰ひとりとして、この研究の証を外へ出させはしない。

 

そのためには、職員も、スタッフも、例え見学に来た役人であろうと。

生き残る可能性そのものを、すべて絶つ。

 

鉄の匂いが濃くなっていく。血と焦げた肉片の臭気。

道を阻む者を切り捨て、矢をつがえては壁に張り付いた影を射抜く。

そのたびに肉が裂け、骨が砕け、呻きが響く。

彼の表情は冷え切っていた。痛みも、同情も、そこにはなかった。

 

……いや。

 

なかったのではない。

 

――抱えきれないほどに、抱えていたから。

 

心が砕けぬよう、徹底して冷たく振る舞うしかなかったのだ。

 

 

 

「……まだだ」

 

歩みを止めない。最奥を目指す。

そこにいるのは、被験体――まだ「生きている」子どもたち。

エミヤの夢は、いつもそこで色を変える。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

最奥の扉は、今までのどの隔壁よりも厚かった。

鋼鉄を幾重にも重ね、外界から隔離するように封印されている。

それを、エミヤの手が押し開ける。

軋む音が地下に響き渡り、鉄臭い空気がさらに濃くなる。

 

その部屋にあったのは――子どもが三人。

年の頃は十歳前後だろうか。

血の繋がりはない様だが、互いに寄り添い、抱き合いながら怯える姿は、姉弟そのものだった。

 

一番上の少女。

長い黒髪を乱し、蒼白な肌に黒い文様が浮き出ている。

眼は濁り、焦点を結ばず、涎を垂らしながら呻き声を漏らす。

 

……既に怪物化が進行していた。

 

腕は膨れ上がり、爪は刃のように尖っている。

足元には崩れ落ちた死体がいくつも転がり、その裂けた傷口からは血と臓腑が流れ出していた。

それが誰であったか、子どもにも大人にも区別はない。ただ、喰い散らかされた痕跡だけが残っていた。

 

その怪物の前に、もうひとりの少女が立ちはだかる。

彼女は涙に濡れた瞳でエミヤを見つめた。

 

「待って!」と叫び、必死に両手を広げる。

 

「お願いです、この子は……私の、私たちのお姉ちゃんなんです!

必ず、必ず禁術の解除を見つけます!だから……だから殺さないで!」

 

声は震えていた。

だが懇願の必死さは、真実だった。

 

彼女はまだ信じている。

人の姿に戻れると。

怪物になり果てても、救えるのだと。

 

その瞬間、怪物と化した姉が首を傾けるようにして、ゆらりと歩みを進めた。

黒い瞳に理性の光はなく、ただ獲物を嗅ぎ分ける獣の目。

だが、その前に小さな影が飛び出した。

 

――弟だった。

 

華奢な体を震わせながら、彼は姉の胸にすがりついた。

 

「お姉ちゃん!思い出して!

僕たち、三人でここから逃げようって……約束したじゃないか!」

 

涙を流しながら訴える。小さな声で、それでも必死に。

 

「僕たちを守ってくれたお姉ちゃんに……戻ってよ!」

 

エミヤの手が、反射的に柄へ伸びた。

 

――仕留めなければ。

 

怪物はもう人ではない。自我も失っている。

なのに、次の瞬間。

彼の手は震えて、動かなかった。

 

弟の声が、胸に突き刺さった。

奇跡など存在しない。

それでも、ほんの一瞬だけ、心のどこかで信じてしまった。

もしかしたら――と。

 

 

 

だからこそ。

 

獣の顎が、少年の首筋を噛み千切った瞬間。

エミヤは己の愚かさを呪った。

 

血が噴き出す。

小さな体が力なく痙攣し、腕が姉の胸から滑り落ちる。

その目はまだ信じていた。「戻ってくれる」と。

だが、その希望は、赤黒い液体と共に地へ崩れ落ちた。

 

「いやあああああああッ!!」

 

次女の絶叫。

彼女は床に倒れた弟へ駆け寄ろうとする――その前に、怪物が再び口を開いた。

 

エミヤは――もう迷わなかった。

 

投影。

二本の白刃が閃き、怪物の首を一閃で断ち切った。

黒い血が噴水のように舞い、天井へと飛び散る。

絶叫は途絶え、怪物はその場に崩れ落ちた。

 

だが、残されたのは静寂ではなかった。

 

「……ひどい、ひどい、ひどい……!」

 

妹の声が、嗚咽混じりに繰り返される。

 

「お姉ちゃんを、返して……!弟まで殺したくせに……!」

 

彼女は涙に濡れた顔でエミヤを睨みつけた。

 

「あなたなんかに、助けられるくらいなら……!」

 

その言葉が、刃のように胸に突き立つ。

だが、エミヤは踏み込む。

 

この少女もまた――研究の全てを知っている。

生き延びれば、再び地獄を招く火種になる。

 

彼は、知っている。

この手で何度も、そうしてきた。

 

だから、刃は迷わず振り下ろされた。

 

血が飛び散り、子どもの体が崩れ落ちる。

最後に耳へ届いたのは、かすれた呪詛だった。

 

「……絶対に、許さない……」

 

そして。

視界は暗転する。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

――息を呑んだ。

 

荒い呼吸で目を覚ます。

そこは、借宿の自室。月は翳り窓の外に灯りはない。

エミヤの全身は汗に濡れ、布団がしっとりと湿っている。

 

胸の奥が痛んだ。

何度目だろう、この夢は。

思い出すたびに、胸を抉る。

だが、忘れたことは一度もない。

 

彼は数え切れないほど、このような現場を歩いてきた。

正義の味方を掲げ、災厄を防ぐために――どれほどの命を、自らの手で絶ってきたか。

守護者となり世界と契約してから、幾万も見て来た惨状だ。

 

誰かの不幸が消えることはなく、時代を問わず惨たらしい悲劇は生まれる。

世界が終わる予兆となる出来事も、決して珍しいものでは、ない。

 

その中で私は…俺は、いつだって救えぬものを切り捨て、守れるものだけを守った。

殺して来た者には、被害者として巻き込まれて、それでも手を取り合い懸命に生きる人々も、いた。

故郷に帰りたいと、最愛の人にもう一度会いたいと、泣きながら懇願する者たちも、いた。

 

その全てを、斬り伏せてきた。

その果てに残るのは、恨みと血の匂い。

 

「……過ぎた過去、ただの夢だ」

 

吐き捨てるように呟き、額の汗を拭う。

だが、心臓の鼓動は収まらない。

視線を落とした掌が、わずかに震えていた。

 

――夢は、まだ終わっていないのだろう。

 

本当に終わる日は来るのか、それすら分からない。

 

 

 

例え、この道に間違いはなかったとしても。

歩みを止められぬ愚者は、鉄と硝子を焚べて、剣と成りて進むだけ。

 

暗闇に独り、エミヤは深く息をつき、静かに目を閉じた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

翌朝。

王都の騎士団修練場にて、夢の余韻を振り払うように、エミヤは木剣を振り抜いた。

 

最近ようやく退院できたエミヤは、特別指南役を務めるベリルの補佐としての役割に戻っていた。

彼自身は“客分”に過ぎないが、求められるままに剣を振るい、時には助言を与えていた。

 

乾いた音と共に、目の前の騎士があえなく膝をつく。

稽古用の打ち合いとはいえ、容赦はしていない。

受け止めきれぬ刃の重さに、相手は苦笑いを浮かべながら頭を下げた。

 

「……次」

 

声をかけると、数人の騎士が前に出る。

若手を中心に組まれた一団が、彼に挑むように構えを取った。

汗に濡れた額と真剣な瞳。その中に、ひときわ真面目そうな若者の顔があった。

 

鋭い突き、連携した踏み込み。

だが、エミヤは一歩の遅れもなく捌き、淡々と木剣を振るう。

数合も打ち合わぬうちに若者たちは弾き飛ばされ、最後に立っていたのはその真面目な騎士ひとりだけになった。

 

「……」

 

彼の剣は迷いを含んでいた。

刃筋は通っているのに、踏み込みが浅い。

普段ならばもう少し鋭いはず――そう思った瞬間、エミヤは軽く木剣を払った。

青年はあっけなく武器を手放し、地に落とす。

 

「終了だ」

 

そう告げると、青年は悔しそうに唇を噛み締めた。

 

騎士たちの稽古がひと段落したのを見計らい、ベリルから休憩を指示する。

全員が散っていく中、例の青年だけが片付けもせず、木剣を拾った手を止めたまま俯いていた。

 

騎士に憧れ、剣を誇りに日々務める若者に、多くの困難や迷いが生じる出来事と直面する様子は想像に難くない。

無論、生きていれば、誰だって大小様々な問題と向き合っている。

いくら騎士として心身を鍛えたとしても、常に市民の頼りとなり、命を張り、国の剣となる彼らもまた、生きる人なのだ。

 

こうした時、騎士団副団長であるヘンブリッツは率先して騎士のケアを行う様子はよく見ていた。

彼は人柄もよく、親身になって若手騎士にも声をかけ、悩みを聞く。

今日に限って言えば、他の任務があるとのことで、不在にしていた。

 

ベリルもまた、悩む騎士に寄り添いアドバイスをかけることも多かった。

当然、特別指南役としての務めには含まれていないが、剣術道場の指南として、1人の剣士として、相談に応じることも度々あった。

彼もまた、せっかく同じ場所で高め合うのだから、楽しく前向きに鍛えられる方がいい、という本心もあるだろう。

 

ただ、今日に関しては、この後自身の剣探しとして鍛冶屋に向かう予定と聞いている。

また、若手騎士クルニの悩みも出来れば聞いてあげたいと話していたので、そちらで手一杯だろう。

 

――気づかないふりもできた。

だが、彼の顔に影が差しているのを、エミヤは見過ごせなかった。

 

「……君、少しいいかね」

 

声をかけると、青年ははっと顔を上げる。

 

「はい、なんでしょうか!」

 

「食堂に食材が届いている。運ぶのを手伝ってくれないか?」

 

「は、はい!」

 

言われるまま、青年は慌てて走り出す。

その背を見送りながら、エミヤは小さく息をついた。

 

――問い詰めるより、手を動かさせた方が口も開くだろう。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

しばらくして。

騎士団食堂の片隅、二人分の皿が並んでいた。

厨房から借りた簡単な器に、エミヤが手早く仕立てた甘味。

林檎を煮詰めたソースに白パンを添えただけのものだが、香りは豊かで、湯気が甘く立ち上る。

 

「……こんなものまで、用意できるんですか」

 

青年が目を丸くする。

 

「報酬だ。荷を運んだ労力へのな」

 

エミヤは淡々と答え、向かいに腰を下ろした。

 

しばし、静かな時間が流れる。

やがて青年が口を開いた。

 

「……先日の巡回のことです」

 

硬い声。だが、言葉は抑えきれぬように溢れ出す。

 

「街道で人が犬型の魔獣に襲われていました。自分は仲間と共に助けに入ったんですが……」

 

青年の手が震え、匙が皿の中で音を立てた。

 

「……僕は、犬が好きなんです。小さい頃からずっと一緒にいて……。

だから、咄嗟に斬れなかった。仲間が駆けつけてくれなければ、僕は……あの人を守れなかったかもしれない」

 

言葉の端に滲むのは、自己嫌悪。

 

「剣を持つ覚悟が、自分には足りなかったんじゃないかと……騎士に向いていないんじゃないかと……」

 

エミヤは、しばし黙っていた。

その顔に浮かぶのは、ただ静かな眼差し。

そして、低く言葉を落とした。

 

「……覚悟は、戦場に立てば嫌でも試される」

 

青年がはっと顔を上げる。

 

「だがな、たとえ覚悟ができていても、揺らぐ瞬間など幾らでも出てくる。

そして、その時の迷いに対して、目を背けて無理矢理飲み込むことが必ずしも正しいとは言わない」

 

青年は息を呑む。

エミヤは続けた。

 

「君は犬が好きなんだろう。なら、それを否定するな。斬れなかったのは弱さじゃない。

だが、この先も騎士として歩むのなら、守ると決めた命を前に――次は立ち止まるな。それが覚悟だ」

 

その声音は冷たくも厳しくもない。

ただ、確かに地に足のついた重みがあった。

青年はゆっくりと視線を落とし、震える拳を膝の上で握りしめる。

 

「……ありがとうございます」

 

か細くも確かな声だった。

 

エミヤは返事をせず、皿に残った林檎を口に運ぶ。

窓の外から差す夕日が、食堂の中を赤く照らしていた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

青年が去ったあと、食堂にはエミヤひとりが残る。

窓の外には夜の帳が下り始め、橙から群青へと空の色が移ろっていく。

 

「……覚悟、か」

 

誰に聞かせるでもなく呟いた声は、空気に溶けて消える。

夢に見た過去と、今目の前で迷う若者。

 

誰かを守るため覚悟を奮い立たそうとした立派な彼に対して、

いつからか弱き者を救うことなく切り捨てた俺が、御託を並べたものだな。

 

心の中に漏れた苦い感情に顔を顰めながら、エミヤは立ち上がり、食器を片づける。

 

夜風が吹き込み、淡い月の光が彼の背を照らしていた。

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