ものすごく!嬉しいです!!
閑話に続き、同日にもう一話投稿させていただきます。
そして、おっさん剣聖第二期の放送時期発表!おめでとうございます!!!
原作を楽しめたり、コミカライズに浸れたり、おっさん剣聖ライフを浴びれる、幸せ…
午前の街は、まだどこか眠たげだった。
都市の東区、多くの一般市民が暮らす住宅区域の一角。
通りに面した控えめな建物の扉には、小さな札が掛けられている。
――本日、休業。
それは、誰に向けたものでもないようでいて、確かに一人の客のためだけに用意された表示だった。
扉を開けた瞬間、ほのかに漂う紅茶の香りが、来訪者を迎える。
アンティーク調の内装は派手さこそないが、落ち着いた木の色合いと、磨き込まれた床が静かな品を醸し出していた。
テーブル席は二つだけ。
壁際には小ぶりな棚が置かれ、必要最低限の食器と茶葉の缶が整然と並んでいる。
カウンターは四席分。奥には簡素だがよく手入れされた調理台があり、そこに立つ男の姿があった。
「……来たか」
振り返ったエミヤは、いつもと変わらぬ黒いシャツに、茶色のエプロンを身につけている。
本来エプロン姿が似合わないはずなのに、相変わらず様になっていると
剣も弓も持たぬその姿は、戦士としての彼を知る者ほど、奇妙な違和感を覚えるじゃろな。
内心思いながら、魔法師団長は店の中に入った。
「うむ。噂は本当だったようじゃな」
ゆったりと店内を見回しながら、ルーシーは頷いた。
その視線は、壁、床、棚、そしてカウンターへと丁寧に巡っていく。
「悪くないのぉ。……いや、思っていたより、ずっと良いのじゃ」
「買い被りだ」
エミヤは短く答え、カウンターの内側に戻る。
「座りたまえ。今日は店を閉めている」
「そのようじゃな。どれ、売り上げに貢献するとするかの」
「……余計な気遣いはするな」
そう言いながらも、彼の動きにはどこか柔らかさがあった。
ルーシーがカウンター席に腰を下ろすと、エミヤは湯を沸かし、茶葉を量る。
その一連の所作は無駄がなく、静かで、しかしどこか丁寧だった。
ほどなくして、白磁のカップに注がれた紅茶と、小皿に載せられたクッキーが差し出される。
「どうぞ」
ルーシーはカップを手に取り、香りを確かめるように目を細めた。
「……ほう」
一口含んだ瞬間、その表情がわずかに緩む。
「相変わらずじゃな。味は一級品じゃ」
「そうか」
エミヤは素っ気なく返す。
およそ、お客さんに向ける態度ではないが、もとより彼女しかいないので取り繕う気もない。
クッキーにも手を伸ばしたルーシーは、軽く眉を上げる。
「手作りかの」
「ああ」
「……本当に、何でもできる男じゃのう」
「"こちら"では、作り始めて日が浅い。
真剣に配分を調整しているが、まだ改良の余地があると考えている」
その言葉に、ルーシーは苦笑した。
「十分じゃろ……凝り性なのも考えものじゃぞ」
しばし、紅茶を味わう静かな時間が流れる。
店内には、時計の針の音と、湯気の立つ微かな音だけがあった。
「しかし……」
ルーシーは再び店内を見回す。
「物が少ないのぉ」
「そうかね?」
エミヤは肩をすくめる。
「これから少しずつ増やすさ。今は、これで十分だ」
「うむ、良ければわしのお勧めの店を紹介するぞ?」
「ありがたい申し出だ。店の名前さえ教えてもらえれば、後で見に行こう」
その返答に、ルーシーは小さく頷いた。
「で、この喫茶店。調子はどうじゃ?」
「ぼちぼちだ」
率直な答えだった。
「一週間前に開いたばかりで、特に宣伝もしていない。客が多いわけじゃない」
「ほう」
「元々私は午前中、騎士団の訓練で手が取られる。だから開けるも午後から、夕食時までだ」
「随分と控えめじゃな」
「利益を得たい訳ではないからな」
エミヤは淡々と続ける。
「最初の客はベリルだったよ。ミュイを連れてな……花まで持ってきた」
「ほう、あやつが花か。似合わんのぉ」
「そこには同意するよ。あぁ見えて彼は律儀だからな。
その後は、騎士団の連中や食堂の者、それと近隣に住む親子連れが何人か」
少しだけ、声の調子が柔らぐ。
「皆、落ち着いて過ごしてくれている。それで十分だ」
「欲がないのう」
「……この喫茶店は、そうした場所にすることが目的だからな」
その言葉に、ルーシーは静かに笑った。
「そうかの」
紅茶を飲み干し、カップを置いたルーシーは、次の問いを投げる。
「メニューは、これだけかの?」
「今のところはな。飲み物と軽食、それに簡単な食事程度だ」
「…婦人向け、子供向けのものが目立つのも、お主が話しておったテーマに沿ってるのじゃろ。
それにしても、増やすつもりはあるかの?」
「いずれは。ただ、当分はシンプルな喫茶店を続けるさ」
「うむ、食堂では若者向けの料理が目立っておったが……お主、ほんと色々作れるのぉ」
ルーシーはカウンター越しにエミヤを見つめ、ふと別の点に目を留めた。
「カウンターに立つ姿は、なかなか様になっておるの」
「そうかね?」
「うむ。しかし――」
視線が、彼の服装へと向けられる。
「その格好は、どうにかならんのか」
「シャツにエプロンだ。失礼にはならないと思うのだが」
「やれやれ」
ルーシーは額を押さえた。
「これほどの味を出す店の店主が、その姿で良いと思うておるのか」
「動きやすい」
「論点が違う。気品じゃ、気品」
きっぱりと言い切られ、エミヤはわずかに目を伏せる。
「……服など、気にしたことはない」
「だから言うておる。今後は、わしが仕立ててやる」
「遠慮する」
「却下じゃ」
即答だった。
「この店のためでもある。看板じゃぞ、お主は」
「……」
しばしの沈黙の後、エミヤは小さくため息をついた。
「……分かった」
「うむ。素直でよろしい」
満足げに頷いたルーシーは、ふと調理台の器具へと視線を移す。
その瞬間、わずかに目を細めた。
「……お主」
「何だ」
「その器具……僅かに、魔力を帯びておるな」
一瞬、空気が変わる。
「まさかとは思うが――」
「企業秘密だ」
即座に遮るエミヤ。
「……わかったのじゃ、追及はやめておこうかの」
呆れたように笑い、ルーシーはそれ以上踏み込まなかった。
そして、改めてエミヤを正面に見据えて言葉を投げかける。
「悪くない一歩じゃ、エミヤ。
"普通の営み"に近づいてみると良いのじゃ」
彼は何も返さなかった。
ただ、静かな店内に、再び紅茶の香りが満ちていく。
◇ ◇ ◇
ルーシーは最後の一口をゆっくりと飲み干し、カップを置いた。
そして、小さく息を整え、椅子の背にもたれかかる。
「さて」
その一言で、店内の空気が変わった。
「ここの話は、ここまでじゃ。本題に移るが、良いかの?」
「……分かった」
エミヤは頷くと、カウンターの内側から一歩下がり、壁際へと手を伸ばした。
何もないように見える空間に、微量の魔力を注ぐ。
次の瞬間、店内を包む空気が、ぴたりと閉じる。
音が消えたわけではない。
だが、外と内を隔てる「膜」が張られた感覚が、確かにあった。
「防音かの」
「正確には、遮断に近い」
エミヤは淡々と答える。
「盗聴、探知、魔力感知の類も弾く……この店を開くにあたって、最低限はな」
「喫茶店にしては、随分と念が入っておる」
「こうした場面では便利だろう?」
それ以上、ルーシーは突っ込まなかった。
代わりに、表情を引き締める。
「今から話す内容にはの、秘密機構が関わるのじゃ」
エミヤの視線が、僅かに鋭くなる。
「会話の後、お主には口封じの術をかけることになるが。異論はあるかの?」
「ない」
即答だった。
「必要な措置だ」
「うむ。話が早くて助かるのう」
エミヤの了承を得たことでルーシーは一息入れた後、本題の話を始める。
「以前、お主から頼まれておった件じゃ」
エミヤが静かに頷く。
「魔術学院の結界について、じゃな」
「……調査は、進んだのか」
「信頼しておる魔術師から、報告が届いてのぉ」
ルーシーは一度、言葉を区切る。
「結論から言うが。学院に張られている結界そのものに、監視や識別といった属性は付与されておらん」
「ふむ、先日の君の言葉通りだな」
「うむ。お主が感じた違和感の正体は、結界自体ではないのじゃ」
エミヤは黙って続きを促す。
「だが、調査を進めた結果、妙な一致が見つかってのう。
お主が学院を訪れた、その時間帯じゃ」
「何かあったのかね」
「学院地下で、訓練が行われておった」
その言葉に、エミヤの眉が僅かに動く。
「特別討伐指定個体――ロノ・アンブロシア」
初めて聞く名だが、その響きには、はっきりとした重みがあった。
特別討伐指定個体とは、過去に撃退したゼノ・グレイブルでも使われていた危険生物に対する名称。
その戦闘経験から、穏やかな予想は出来なかった。
「その名は聞いたことはないな」
「無理もない。魔法師団や学院教員の、実戦訓練用にのみ使われる存在じゃ」
「性質は?」
「アンブロシアは、実態を持たぬ影の集まりでのぉ。
対峙者の“危険度”を読み取り、その危険度に応じて、自らの姿と能力を変える」
エミヤは、静かに耳を傾ける。
「過去、様々な生物に化けたが、強者であればドラゴンなどじゃ」
「……訓練用とは思えんな」
「封印する術が確立しておるからの。前から使っておるのじゃ」
ルーシーは続ける。
「その日の訓練自体は、問題なく終了しておる」
「だが?」
「封印術に、いつもより時間がかかったらしくての」
エミヤの視線が、わずかに鋭くなる。
「通常、あり得ない話じゃ。
だが――」
ルーシーは、言葉を選ぶように一拍置いた。
「アンブロシアは“脅威度”を感知する」
「……まさか」
「何かと不運が重なり、万が一じゃが……」
ルーシーは、はっきりと言った。
「お主の情報を、読みに行った可能性がある」
沈黙が落ちた。
店内は完全に遮断されているはずなのに、妙に広く感じられる。
「……ふむ、あり得ないと断じるわけにはいかないようだな」
エミヤが、低く言う。
「うむ。お主が学院を訪れたタイミングと、訓練の時間が一致しておる」
「結界に異常がなかった理由も、説明がつく」
「そうじゃ。結界は正常だった。ただ――」
ルーシーは目を細める。
「“中で何かが動いていた”だけじゃ」
エミヤは、ゆっくりと息を吐いた。
「……それで?」
「念のため、じゃ」
ルーシーは正面から彼を見る。
「直接、調査に行ってほしいのじゃ。
……万が一で考えると、最悪、影の性質に影響を与えている可能性も捨てきれん」
「君と私で対応すればいいのかね?」
「いや」
ルーシーは首を振った。
「わしが直接行きたい気持ちはあるのじゃが、別件で都市を離れねばならん」
「そうか」
「代わりに、一人話をつけておる。
キネラ・ファイン。優秀な魔術師で、今回の調査を進めてくれた張本人でもある」
ルーシーは、どこか含みのある笑みを浮かべた。
「都合がつけば、今日の午後から動いてほしいとのことじゃ」
エミヤは、少し考える素振りを見せた後、頷いた。
「分かった」
「話が早いのう」
「先延ばしにする理由もない」
それを聞いて、ルーシーは満足そうに頷く。
「では、そのように手配する」
緊張の糸が、わずかに緩む。
ルーシーは立ち上がり、改めて店内を見回した。
「……しかし、やはり紅茶が良い」
「気に入ったなら、何よりだ」
「うむ。帰りに、もう一杯飲みたいくらいじゃが……」
苦笑しつつ、扉へ向かう。
「ああ、そうだ」
エミヤが声をかける。
「帰りに、家へ寄るのだろう」
「うむ?」
「使用人のハルウィに、手土産を渡してくれないかね」
カウンターの下から、小さな包みを差し出す。
「焼き菓子だ」
ルーシーは目を丸くした。
「……いつの間に、あやつとそんなに親しくなったのじゃ」
「顔を合わせる機会があっただけだ」
「それを“だけ”と言うか」
呆れつつも、包みを受け取る。
「まあよい。きっと喜ぶじゃろ」
そう言って、扉を開ける。
「ではな、エミヤ。続きは午後じゃ」
「あぁ、君も一息ついたらまた来ると良い。
メニューに無くても、ある程度の要望であれば用意してみせよう」
「それは楽しみじゃ」
軽く笑い、ルーシーは店を後にした。
静寂が戻る。
エミヤは一人、カウンターに立ち、防音の術を解除した。
外の街の音が、ゆっくりと戻ってくる。
「……大事にならなければ良いのだが」
食器を片付けながら、エミヤは独り呟いた。
◇ ◇ ◇
北区にある魔術師学院を訪れたエミヤは、以前と変わらず活気が溢れていた。
講義を終えた学生たちが廊下を行き交い、談笑の声と魔術の発動音が混ざり合う。
石造りの建物に差し込む陽光は柔らかく、どこか穏やかな空気を漂わせていた。
エミヤは正門を抜け、指定された中庭へと足を運ぶ。
柱の傍で一人の女性が待っていた。
深い緑色のローブを羽織り、癖のない長髪を背中でまとめている。
学者らしい落ち着いた雰囲気の中に、どこか人懐っこさも感じさせる佇まいだった。
「……エミヤ、さんですね?」
声をかけられ、彼は足を止める。
「そうだ。あなたが、キネラ・ファインか」
「はい」
女性は小さく頭を下げた。
「この魔術師学院で教員を務めております。
本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
「こちらこそ。話はルーシーから聞いている」
簡潔な自己紹介を交わし、二人は並んで歩き出す。
「こうして直接お会いするのは初めてですが……」
キネラは横目でエミヤを見ながら、少し困ったように微笑んだ。
「正直に言うと、もっと近寄りがたい方を想像していました」
「よく言われる」
「でしょうね」
くすりと笑い、話題を変える。
「そういえば、エミヤさんがベリルさんやファウステスさんと面識があると聞きまして」
「ああ」
その名前が出るのは、もはや珍しくもない。
「学院中、その話題で持ちきりなんです」
「……模擬戦の件か」
「はい」
キネラは少し身振りを交えて語る。
「剣魔法科の特別臨時講師として招かれたベリルさんが、
魔法師団元エースのファウステスさんに勝利した、と」
エミヤは小さく息を吐く。
「本人から直接聞いた。彼の実力であれば、大げさに騒ぐ話でもない」
「いえいえ」
エミヤの評価に対して、キネラは首を振り答えた。
「剣が魔術を上回ることはあり得ない、そう考える生徒たちが多くいました。
……いえ、生徒だけではありませんね。むしろ魔術を研究する教師の方が同じ思想でしたし、
恥ずかしながら私も同じように考えてました」
「実際、多くのケースでは剣士よりも魔術師団の方が勝率は高いだろう」
「そうです」
キネラは頷いた。
「そんな私たちの常識を、目の前でベリルさんが斬ってしまったのです。皆目を疑いました。
もっとも、ファウステスさんだけは驚くこともなく、納得されたご様子でした」
キネラの言葉に、エミヤは以前のファウステスとの会話を思い出す。
彼自身、騎士団の模擬戦映像を見た時から、剣士に対する評価を変えていた様子だった。
とはいえ、まさかお年を召した方であるに関わらず直接対決を選ぶとは……
「彼の御仁も、己の研究心は未だ若々しいのだな」
彼と言葉を交わしたエミヤだからこそ出る軽口に、キネラも笑いながら頷いていた。
「エミヤさんもまた、経験豊かな魔術師と学院長から伺ってます。
ベリルさんと同様に、特別教師や師団に入るのはいかがですか?」
話の流れから、キネラが冗談として言っているのかと彼女を見るが、
期待した目で話していることを感じ取ったエミヤは、一度咳ばらいを交えながら慎重に回答した。
「期待しているところすまないが、その可能性はない。私は教え導く立場には程遠い。
何より君たちの魔術とは系統が大きく異なるので、学ぶにしても組織に属することはないな」
「それは残念です」
急な提案でしたね、と詫びながらもキネラはさほど残念がる様子はなかった。
恐らく、ルーシーから一度勧誘しろとでも頼まれたのだろう。
想像すると彼女なら言いそうだと、ため息を吐くエミヤ。
しかし、初対面ではあるが会話の端々から、彼女が学院を心から大切にしていることが伝わってきた。
しばらく歩いたところで、キネラは思い出したように言う。
「そうだ、もう一つ」
「?」
「私、ミュイちゃんの担任を務めているんです」
その名を聞いた瞬間、エミヤの表情がわずかに和らいだ。
「……あの子は、どうだ」
「とても頑張っていますよ」
キネラは即答した。
「最初は緊張していましたが、今は少しずつ周囲に馴染もうと努力しています。
魔術の習得も決して早くはありませんが――」
「投げ出さない、だろう」
「はい」
キネラは微笑む。
「一つ一つ、確実に身につけようとしています」
その言葉を聞いて、エミヤは小さく微笑んだ。
それは、無意識の反応だったのかもしれない。
キネラは、その横顔を見て、内心で小さく驚いた。
(……まるで、家族を案じるよう、ですね)
だが、その感想を口に出すことはしなかった。
「こちらです」
案内された先は、学院の地下へと続く重厚な扉だった。
表面には複数の封印術式が刻まれ、淡い光を放っている。
「ここから先が、地下魔法研究所です」
キネラが説明する。
「危険な魔法生物や呪物の管理も行っています」
彼女が扉に手をかけた、その時だった。
――ギィン。
耳障りな金属音が響いた。
同時に、空気が鋭く張り詰める。
「……っ!?」
キネラが息を呑む。
扉の前に、目に見えない壁が立ち上がっていた。
だが、それに触れたのは――
「……私だけ、か」
エミヤの前で、結界が明確に反応していた。
「そんな……」
キネラは信じられない様子で術式を確認する。
「この結界は、許可のない侵入を拒むものですが……
今まで、個人を選別する反応はありませんでした」
「性質としては?」
「外部への流出防止が主です」
キネラは考えながら説明する。
「死霊やゴーストのような存在が、外へ逃げ出さないための――」
そこまで言って、聡明な彼女は一つの"馬鹿げた可能性"に、はっとする。
しかし、瞬時にあり得ないと判断しつつも、キネラはエミヤを再び見る。
エミヤは、少しだけ視線を伏せた。
「……可能性の話だ」
静かな声だった。
「詳しくは話せないが」
キネラは、黙って続きを待つ。
「私は、過去に――死者だった」
「……え?」
一瞬、言葉を失う。
寸前に過った"馬鹿げた可能性"の答え合わせが行われたのだ。
「今は肉体を持っているが」
エミヤは淡々と続ける。
「もし、結界が“情報”を参照しているなら……
死者だったという記録が、引っかかったのかもしれない」
沈黙。
キネラは数秒間、何も言えなかった。
やがて、深く息を吸い、ゆっくりと吐く。
「……理屈としては、あり得ます」
「否定はしないか」
「魔術を学ぶものは、未知の出来事に対して可能性の模索を怠ってはいけません」
それが、あり得ない事象だと思っていても、と続けながらキネラは苦笑する。
「存在そのものではなく、属性や履歴を見ることもある」
「……そうか」
「その場合、今は入れないでしょうね」
キネラは結界を見つめる。
「私一人で調査を続けることもできますが……」
「ルーシーも言っていたが、影の確認はあまり先延ばしにすべきではないのだろう?」
エミヤが問いかける。
「えぇ。エミヤさんのおっしゃる通りです。
…早期解決のためにも、関係者に伝える必要があります」
キネラは慎重に言葉を選んだ。
「どこまで共有してよいか、教えてください」
エミヤは少し考えた後、答える。
「面識があり、力を持つ者に限ってくれ」
「……ファウステスさん、ですね」
「ああ。それなら構わない」
「学院長には?」
「遠出していると聞いた。
彼女であればすべて共有して構わないが、まずは教頭の立場でもある彼に相談するのが先決だろう」
エミヤは淡々と言う。
「分かりました。ご協力、感謝します」
「なに、私が影響を与えてしまった可能性があるのだろう?
むしろ、手間をかけさせて、申し訳ない」
「いいえ、今回一連の事象は、皆さん予想していないものです。
それは一番調査に関与している私だから、余計に感じますよ」
キネラは深く頷いた。
「今日の確認は、ここまでですね」
「十分だ」
二人はその場を後にする。
◇ ◇ ◇
学院を出て、しばらく歩いた帰路。
エミヤは、胸の奥に違和感を覚えた。
(……魔力が、漏れている)
微細だが、確かに感じる。
先ほどの結界に触れた際、正面から防御せず、受けてしまった。
「何か、結界の防衛反応に当てられてしまったか」
幸い、今は立ちくらみ程度で済んでいる。
無理をしなければ、問題はないだろう。
「今日は、このまま帰るか」
夕暮れの街へ向かいながら、エミヤは静かに歩を進めた。
結界は、確かに何かを拒んだ。
それが、始まりなのか。
それとも――
まだ、前触れに過ぎないのか。
錆びた歯車は、今確かに動き出した
結ばれた縁を捨てずに、剣の頂へと歩むのであれば
汝、自らの力を以って、その覚悟を証明せよ