静寂な朝――。
ビデン村の道場には、まだ新しい陽光が差し込んでいた。
板張りの床に射す光の輪の中、ふたつの影が向かい合っている。
一方は、深紅の外套を脱ぎ、黒衣に袖を通した銀白の男。
その手には、二本の木刀。均衡の取れた構えは、ありとあらゆる攻守も難なくこなせると思わせる精密さを孕んでいた。
もう一方は、長年この道場で教え続けてきた男――ベリル・ガーデナント。
堂々たる立ち姿。背筋は伸び、構えに無駄がなく、見た目には穏やかだが、刀の間合いに踏み込めば容易に斬られると誰もが理解する。
握られた木剣にこそ、彼の信念が宿る。
弟子たちは息を呑んで見つめていた。
周囲の音は聞こえない、まるでこの打ち合いのためだけに時間が用意されたかのようだった。
誰が合図するまでもなく、二人は動く。
静かに、音もなく間合いが詰まる。
エミヤの木刀を描いて横へ流れ、ベリルがそれを受け、返す。
剣戟はまるで水面を撫でるように軽やかで、それでいて重い。
どちらも大技を繰り出さない。
目に見える“強さ”ではなく、互いの呼吸、わずかな視線の揺れ、その“隙”を探す応酬。
無駄のない、削ぎ落とされた動きは、二人の剣士としての在り方を物語っていた。
やがて、数合打ち合う中で、ほんのわずか――刃が交差し、弾かれたエミヤの木刀が後ろに撥ねる。
止まった。
その瞬間、弟子たちから拍手が上がった。互いに余力を残すように見える。
だが確かに、最後にわずかに間合いを制したのは、ベリルだった。
「……やるな」
短く、エミヤが言った。
「君もね。……でも、もう少し押し切れると思ったよ」
ベリルは苦笑しながら肩を回し、軽く汗を拭う。
エミヤも木刀を納め、静かに息をつく。
弟子たちがふたりのもとに駆け寄り、興奮気味に声をかけてくる。
エミヤはそれをやんわりとかわしながら、ふと遠くを見た。
陽光は強くなってきている。剣士たちの一日が、また始まる。
◇ ◇ ◇
時は数ヶ月前――
サーベルボアの群れとの戦いの後、ベリルはエミヤのもとを訪れた。
村を救ってくれた礼として、ベリルは深く頭を下げた。
だがエミヤはそれを、あくまで当然の行動だったと静かに受け流す。
「礼を言うほどのことでもない。ただ、通りかかっただけだ」
「……名を聞いても?」
「エミヤ。……君は?」
「俺はベリル・ガーデナント。いちおう村で剣術道場の師範をしてるよ」
互いに名乗り合い、ひとつの縁が結ばれる。
しかし、この男――ベリル――が剣術の師範と聞いて、納得した。
戦いの最中に見かけた彼の剣技は、洗練された動きだった。
それも、かなりの技量の持ち主だ。私が生前、出逢ってきた来た剣士の中でも上位だろう。
「それにしても……あのとき、剣を飛ばしていたね。あれは魔法かい?」
「魔術だ。……技術の一種にすぎないよ」
ベリルの問いかけに、エミヤが一部訂正するように答えた。
ベリルもまた、それ以上深くは聞かず、ただひとつ、心に刻んだ。
エミヤは、自分が考えていた魔法使いとは、掛け離れた人物だった。
弓の腕も卓越しているが、剣を飛ばすなど聞いたこともない。
目の前の男は、ただの魔法使いではない。何よりあの迷いのない振る舞い。戦場で磨かれた、存在なのだと。
剣を磨く者として、エミヤは気になる。もう少し言葉を交わしたいと思う。
ただ、窮地を救ってくれたが、彼にとっては、あくまで特別なことではないのだろう。
何より、どこか距離を置くように話す、少しだけ不愛想とも受け取れる彼に、持ち掛ける話題も持ってないからね。
◇ ◇ ◇
そんな二人はその後、差し当たりのない会話で終えた。
エミヤは踵を返し、いつの間にか村から去っている、はずだった。
その夜。エミヤは村から離れ、アフタヤ山脈の付近に独り、とどまっていた。
サーベルボアの襲撃を抑えたが、念のため今夜だけは自主的に見張っておこうと考えていた。
村人の会話を耳にした程度だが、今回のような出来事は今までなかったと聞いたエミヤは、
疲労で疲れている今夜だけは最前線で見張り役を引き受けようとしたのだ。
無論、村人には伝えなかった。気を使わせてしまうだろうし、
何より突然見知らぬ外の者が、そのような申し出をしても、疑わしいだろう。
ただ、独り待機していたエミヤの元に、ベリルの父、モルデア・ガーデナントが訪れる。
彼とは広場で少し会話していた。といっても他の村人と同様に2-3言葉を交わしただけだが。
聞かずとも感じた気配から、この男もただ者ではないと感じ、記憶に残っていた。
「エミヤ殿。……ひとつ頼みがある」
「…私に?」
「村を守ってくれた、その実力。そして、貴殿に確かな剣の腕があると見受けられる。
勝手な頼みになるが、もし先の目的がなければ、しばらくこの村に滞在して、ベリルと……しばらく打ち合ってやってくれないか」
それはエミヤが予想していなかったものだった。
今回の戦闘では直接剣では戦っていないため、せいぜい不思議な力を使う魔術師か弓兵と思われると考えていた。
それが、戦う姿を直接見ていない者に、看破されるとは。
「私は剣士ではない。それに、私の剣の技量では、貴方の願いに満たないと思うが?」
「もちろん、貴殿が剣士ではないことは分かる。だが、」
モルデアの眼は鋭く、どこか切実だった。
「アイツは、俺の壁を越えられずにいる。力はあるが、それだけじゃ駄目だ。刺激が必要なんだ。
だが、貴殿となら違うはずだ。……見ていてそう思った」
エミヤは少しだけ考える。
この世界で自分に何ができるのか。
何をすべきか、ではなく、何をしてもいいのか。
「他に用があるわけでもない。……しばらく、この村にいるとしよう」
この地に来た理由はわからない。
だが、剣を振るう理由は、昔も今も変わらない。
◇ ◇ ◇
弟子たちの声が遠ざかり、道場の空気が静けさを取り戻す頃、
ベリルとエミヤは互いに軽く汗を拭いながら、並んで腰を下ろしていた。
しばらく無言のまま、二人の間に流れるのは、穏やかな風と木の香り。
先に口を開いたのは、ベリルだった。
「……改めて、礼を言わせてほしい。村を、皆を、助けてくれて」
「すでに伝えているが、礼を言われるようなことじゃない。あの場に居合わせた、それだけだ」
エミヤはそっけなく返す。だが、その声音は冷たくはなかった。
稽古終わりで疲労が残る中、どこか、淡々とした静かな決意がにじんでいた。
ベリルは少し肩をすくめた。
「それでも、礼くらい言わせてくれ。
それに、今もこうしてこの村に居てくれるのは、おやじから何か頼まれたでしょ?」
「さてな。今の私に目的はなかったからな。次が決まるまで少し居させてもらおうと思っただけさ」
もちろんエミヤが居ることはモルデアの頼みあってのことだ。別に本人に直接口止めをされたわけではないが、
親子の会話を見ていると、エミヤから直接伝えるのも何か違うかと思いはぐらかしたのだ。
――それに、直接言葉にしなくても、おそらくこの男には父親の真意は伝わっているだろう。
彼の、モルデアの頼みを了承した翌日。
エミヤはモルデアから住まいの話を持ちかけられていた。
それは「村での仮住まい」として、ガーデナント家に滞在しないかという提案だった。
「遠慮しなくていい。うちには部屋も空いてるし、飯もある」
「……世話になるつもりはなかったが、恩を仇で返すような真似はしたくない。礼を言う」
「なら、決まりだな」
ちなみに、村に滞在することになってから、エミヤは畏まる必要がないと彼らに伝えていた。
曰く、自分はそんな大それた者ではない、と。
かくして、エミヤはガーデナント家に一時的に住まわせてもらうことになった。
頼まれていたことはベリルとの打合いだけだが、そこは客人だとしても住まわせてもらう立場だと考えるエミヤは、
自ら道場の手伝いを買って出た。ーーだけでなく、その延長からか、許される範囲でガーデナント家の手伝いまで行っていた。
エミヤが道場の手伝いを始めてから、道場の清掃や備品の整備は見違えるほど整い、
弟子たちが言葉を交わすまでもなく、環境が少しずつ変わっていった。
さらに、エミヤは時間が空くとフレンの家事にも自然と加わるようになり、
特に料理の腕前に関しては、ガーデナント家をたびたび驚かせた。
これには、予想しなかったモルデアも、全部決まった後から知ることになったベリルも、驚愕である。
ただ一人、ベリルの母――フレン・ガーデナントは、その様子を見て一言。
「いつまでも家にいてほしいわ。何より、二人は見習うように」
ここまでの対応を知ると何も言えなくなる父子。
反省した(居心地が悪くなった)2人は、今までよりも少しだけ家事を手伝うことが増え、フレンも内心喜んでいた。
剣士だからといって、家事がやれない訳ではないのだ。
こうして、エミヤの“仮住まい”は決まった。
あと1話分、本編開始前のお話を書きたいと思ってます。