片田舎の剣聖 錬鉄の英霊   作:ナチュル志保

30 / 36
いつも読んでいただき、ありがとうございます!!
…FGO、10年間ありがとうございました。
以下、終章に関する私の遺言です。
第2節-5
M・スペクトラム決断戦


【参章・第5話】『サーヴァントのなり損ない』

木剣の乾いた音が、騎士団修練場に響いていた。

 

剣と剣が打ち合う音。踏み込む足音。息を吐く音。

そして、いつものように騎士たちの打合い相手に徹するエミヤの本日最初の稽古を見て、

異常に感づいたのはヘンブリッツただ一人だった。

 

「エミヤ殿」

 

稽古の審判を務めていたヘンブリッツは、エミヤに声を掛ける。

普段であれば、エミヤが適度に負かした騎士達への助言という恒例の時間だったが、

騎士達ではなく先に声を掛けてきたため、エミヤはバレていると予感した。

 

「私の思い違いかもしれませんが……」

 

ヘンブリッツは言葉を選ぶように、一瞬だけ視線を逸らす。

 

「構わない……君の考えは当たっているだろう」

 

「それでは……エミヤ殿、体調が悪いのですね」

 

そのヘンブリッツの指摘に、先ほどまで対峙していた騎士たちも驚きながらエミヤを見る。

元々感情を表に出さない武人だったが、体調不良者とは思えぬ体捌きだった。

そして何より、対峙していた我々が気づけぬ不調を、太刀筋を見て判断した副団長の推察力。

 

エミヤは木剣を騎士に預け、歩み寄った。

その動きに、ほんの一拍の遅れがあったことを、本人だけが自覚していた。

 

エミヤは内心で小さく息を吐く。

自分では、隠しているつもりだった。呼吸も、姿勢も、剣の振りも。

それでも、多くの騎士を纏め上げる王国騎士団の副団長の目は誤魔化せなかったらしい。

 

「大したものじゃない」

 

そう前置きしてから、エミヤは正直に口を開いた。

 

「体調不良というほどでもない。原因にもある程度心当たりがあってね。病ではないさ」

 

「……そうですか」

 

ヘンブリッツは眉をひそめる。

敢えてこの場で明示的に発言しないあたり、不調の原因は魔術に関するモノだろうと推測する。

そして、これほどの戦士であるエミヤが隠しきれていない不調。

魔術師でなくとも、今の状態がその言葉通りの重さではないと、理解できる。

 

「無理をされている自覚は?」

 

「多少はな」

 

エミヤは肩をすくめる。

 

「だが、今日はベリルが魔術学院で講師をしている。

こちらは人手が足りないだろう。できる範囲で務めるつもりだった」

 

その言葉に、ヘンブリッツは即座に首を振った。

 

「いけませんね」

 

短く、はっきりと。

 

「エミヤ殿ともあろうお方が、無理をしてまで修練に勤めていただく必要はありません。

騎士達の稽古であれば私でも見れますので、今日はお休みください」

 

エミヤは一瞬、反論しかけて――やめた。

多少の不調であれば無視して勤めてしまうのは、自分の悪癖なのだろうと自覚していた。

 

「……分かった」

 

素直に頷くと、ヘンブリッツは少しだけ表情を緩めた。

 

「えぇ、普段からお力添えいただていることは皆理解してますから、大丈夫です。

見送りに一名付けましょうか?」

 

「いや、そこまで重症ではない、気遣い不要だよ」

 

エミヤは小さく苦笑し、修練場を見渡した。

 

「……すまない」

 

「気にしないでください。エミヤ殿、お大事になさってください」

 

修練場を後にする背中を、ヘンブリッツは最後まで見送っていた。

 

 

 

宿屋の一室。

簡素な寝台に身体を預けた瞬間、張り詰めていたものが一気に緩んだ。

 

「……思った以上、か」

 

天井を見上げながら、エミヤは小さく呟く。

四肢が鉛のように重い。魔力が、静かに、しかし確実に漏れ落ちている感覚があった。

 

目を閉じる。

 

意識が沈んでいく、その途中で――

 

世界の骨が擦れ合うような鈍重な摩擦音が聴こえた、気がした。

聞き慣れた音が、耳の奥で思い出すかのように。

歯車が噛み合い、回転する音。

規則正しく、冷たく、どこまでも続く音。

 

(……幻聴か)

 

そう思おうとして、思考が途切れる。

音だけが、やけに鮮明だった。

 

エミヤの意識は、その音に引き込まれるように、深い闇へと沈んでいった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

午前の講義が終わると、魔術学院の廊下には独特のざわめきが満ち始めた。

魔術式の余韻が空気に残り、インクと羊皮紙の匂いが混じる。

若い学生たちが口々に感想を交わしながら去っていく中、ベリルは教室の窓際に立ち、軽く息を吐いた。

 

「……ふぅ」

 

剣魔法科の臨時講師という立場にも、少しずつ慣れてきた。

元は剣一本で生きてきた身だが、魔術分野で補助をしてくれる教頭のファウステスさんと共に

先生として工夫をしながら皆に教えているフィッセルをサポートして講義を行うのは、刺激が多い。

 

「お疲れさま、ベリル先生」

 

そう声をかけてきたのは、フィッセルだった。

先ほどまで授業中の振る舞いについて両名からフィードバックを受取ったフィッセルは、

高評価だったことも合わさり柔らかな表情をしている。

この点、フィッセル自身のことも褒めて伸ばそうとする方針がファウステスさんと一致していて、やりやすい。

 

「先生、この後何か予定ある?」

 

「うーん、特には思いつかないなぁ」

 

午後は予定が空いているから、前にエミヤに習った肉料理を挑戦してみるのもいいかもな、とベリルは内心考えていた。

やはり育ち盛りの少女が美味しそうに食べる姿を見ると、俺も頑張らないとなぁと不思議とやる気になるものだった。

 

ふと、ベリルは教壇の方を見る。

そこではファウステスが、使い終えた魔術触媒を丁寧に片付けていた。

 

「ガーデナント君」

 

そのファウステスが、ふと顔を上げて声をかけてくる。

 

「少し、時間をもらえるかな」

 

「はい?」

 

その声音は穏やかだが、どこか含みがある。

ベリルは直感的に、ただの雑談ではないと察した。

 

「フィッセル君も、よければ同席してくれ」

 

「分かっ…分かりました」

 

三人は教室を出て、職員用の小さな控室へと移動した。

扉が閉まると同時に、外の喧騒は遠のく。

 

「さて……本題に入ろう」

 

ファウステスは咳ばらいをした後、そう切り出した。

 

「学院で密かに調査している件に、ガーデナント君にもご助力いただきたい」

 

その一言で、ベリルの意識が引き締まる。

魔術学院に関わる話が、特別講師と言えど基本部外者である自分に持ち掛けられる、はっきり言ってイレギュラーだ。

 

「フィッセル君、訓練用の特別討伐指定個体、“ロノ・アンブロシア”を覚えているかな」

 

「もちろん。相対者によって姿を変える訓練用の生物、です」

 

答えたのはフィッセルだった。

さすがに知識が早い。

 

「その通り。本来であれば、学院内の管理下で問題なく運用される存在だ。しかし……」

 

ファウステスは一拍置き、言葉を選ぶ。

 

「最近になって、通常とは異なる反応が観測された」

 

ベリルは腕を組む。

 

「異常、ですか」

 

「可能性の段階だ。確証はない」

 

ファウステスは即座に否定するように首を振った。

 

「だからこそ、本来であれば学院内で解決すべき案件だと考えている。ただ……」

 

そこで、視線がベリルに向けられた。

 

「この件、元々はエミヤ殿と学院の教員で調査を進めていた」

 

その名前を聞いた瞬間、ベリルの脳裏に、寡黙な剣士の顔が浮かぶ。

 

「エミヤが?」

 

「うむ。結界に関連して調べていた最中でね。そこで、わずかな違和感が浮上した」

 

違和感。

その言葉がどの程度の重要度か測れないが、こうして学院外の自分を信用して話すぐらいのものだ。

きっと少なからず重みがあるのだろう。

 

「念のためだが、ガーデナント君にも同行をお願いしたい」

 

ファウステスは、あくまで穏やかにそう言った。

 

「学院のみで対処できる可能性が高いとは思っている。

しかし、未知の要素が絡む以上、剣の専門家が一人いるだけで、選択肢は大きく広がる」

 

最近になって改めた考え方なのだがね、と話すファウステスさん。

この前の模擬戦以降、剣士の自分にも見せてくれる穏やかな表情だった。

そして、そこまで言われて、断る理由はなかった。

 

「……分かりました」

 

ベリルは頷く。

 

「エミヤが関わっていた調査なら、なおさらです。出来る限りで、力になりましょう」

 

その言葉に、ファウステスはわずかに目を細めた。

 

「助かる。ちなみに……」

 

そして、ほんの少しだけ、学者らしい光を宿した目で続ける。

 

「アンブロシアは、相対者によって姿を変える。

もし異常が見当たらなければ――ガーデナント君に対して、どのような姿を取るのか、個人的に興味があってね」

 

「確かに、気になる」

 

隣で聞いていたフィッセルも目を光らせながらこちらを見てきた。

 

「……はぁ」

 

ベリルは小さくため息をつく。

 

「いざという時は、助けてくださいね」

 

「はは、善処しよう」

 

軽く笑うファウステスを見て、ベリルは苦笑するしかなかった。

だが同時に、胸の奥がわずかに高鳴っているのを感じる。

 

(強い生物、か)

 

剣士としての血が、静かに騒ぎ始めていた。

 

 

 

地下への入口は、学院の奥まった一角にあった。

重厚な扉の前で、すでに一人の女性が待っている。

 

「お待ちしていました」

 

キネラ・ファイン。

学院の女教師であり、解析系を得意とする魔術師だ。

 

「キネラ先生」

 

ファウステスが軽く会釈する。

 

「エミヤ殿の件、調査を進めてくれていたと聞いている」

 

「はい」

 

キネラは頷き、ベリルとフィッセルを見る。

 

「ベリルさんにフィッセルさん、ご協力ありがとうございます」

 

「ええ。念のため、ということで」

 

ベリルがそう答えると、キネラは少しだけ安心したように微笑んだ。

 

「私としては、教頭が行かれるのであれば、解析者的にも戦力的にも十分だと思っています」

 

そう言ってから、付け加える。

 

「フィッセルさんや、ベリルさんに同行いただけるなら、安心して見送れます」

 

「……それなら、なんで先生はここに?」

 

フィッセルが率直に尋ねた。

その問いに、キネラは一瞬、言葉に詰まる。

 

「それは……」

 

視線を落とし、少しだけ遠慮がちに続ける。

 

「本当に、念のためです。いざというときに備えて」

 

その空気を引き取るように、ファウステスが口を開いた。

 

「魔術師たるもの、未知の可能性があるときは、対処の可能性を多く用意するべきだ」

 

淡々と、しかし揺るぎない声音だった。

 

「最悪を想定し、最善を選ぶ。それが未知を学ぶ者としての基本だよ」

 

ベリルは、その言葉を聞きながら、地下へと続く扉を見つめる。

 

「では、行こう」

 

ファウステスの合図で、扉がゆっくりと開かれる。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

牢へと続く最後の扉が、ファウステスの術式によって開かれた。

 

石造りの広間。

中央には、拘束用の魔法陣が刻まれた円形の檻。その内側に――それは、いた。

 

「……あれが」

 

ベリルが息を呑む。

 

ロノ・アンブロシア。

影が形を持ち、しかし集まる風の様に"ガワ"が決まらず動き続ける。

 

隣を見ると、ファウステスもフィッセルも準備が出来ていた。

どうやら、対峙者が前に出て向き合ってから、形を取るようだ。

 

ベリルは恐る恐るといった心情で、前に出た。

 

瞬間、影の動きが活発になる。

激しい渦となる中で、内側から形を得た“それ”は――こちらに向かって歩き出した。

 

影の生き物だからか、色を持たない。

しかし――その姿は、この場にいる三名が皆知っている姿だった。

 

「……エミヤ殿、か」

 

ファウステスの声が、無意識に低くなる。

その瞬間だった。

 

アンブロシアの身体が、完全に“定まった”。

影が揺らぎ、像が固定される。

同時に、意思なき影は、明らかに敵意のみこちらに飛ばしてきた。

 

「未観測反応だ」

 

ファウステスが即座に判断を下す。

 

「地下にいる全職員に通達。

ロノ・アンブロシアが既存データと一致しない行動を示した。至急、牢へ集結せよ」

 

魔術通信が走る。

同時に、ベリルとフィッセルの意識も切り替わった。

 

フィッセルは迷いなく、魔力を帯びた剣を抜刀する。

刃が鳴り、空気が震えた。

 

そしてベリルは――

剣を構え、“殺気”を読む体勢へ入った。

 

(来る)

 

確信と同時。

 

影が、消えた。

 

「――っ!?」

 

その速度は、人の領域を逸脱している。

注視していたにも関わらず、三名は影の姿を見失った。

次の瞬間、フィッセルの目前に現れた影は、その双剣で容易に命を刈り取りに来た。

 

魔術は間に合わない。

魔法剣士の特性を見抜き、真っ先に始末する。

そして仲間の死に揺らぐ隙をつき皆殺しにする、合理的な戦法。

 

だが。

 

咄嗟にベリルが影とフィッセルの間に入り、死の刃を受け止めた。

ベリルだけが反応できたのは、長年鍛え続けた剣士としての直感だった。

 

「させるか――!!」

 

剣がぶつかり合う。

火花が散る。

 

双剣を受け止めた瞬間、ベリルの腕が痺れた。

重い。鋭い。殺すためだけの斬撃。

 

(間違いない……筋力や俊敏さは明らかに上だが、この型はエミヤだ)

 

奇襲は失敗した。

影が距離を取ろうとする。

 

「逃がすか!」

 

ベリルが踏み込む。

二手、三手と剣を重ねる。

 

逃げ場を潰す。

考える暇を与えない。

 

(エミヤの一番の脅威は――分からない殺しだ)

 

だからこそ、近接で叩き潰す。

 

四合目。

五合目。

 

「――ッ!」

 

双剣が、砕けた。

新たな相棒となったベリルの魔剣は、主の意を酌み刃を砕く。

そして剣の合理に逆らわず振るうベリルの連撃は躱せない。

 

そのまま、首を狙う必殺の一撃。

例え夫婦剣が現れたとしても、この一撃は剣ごと切り伏せる。

まさに、どのような武器でも貫く軌道。

 

――だが。

 

影が盾代わりに出した剣は――絶世剣。

 

「……っ!?」

 

折れない。欠けない。

例え真名を告げずとも、その剣は異なる世界と云えど真価を発揮する。

 

剣撃が止められた、その一瞬。

 

(止まった――!)

 

ベリルは即座に後退を選ぶ。

相手がエミヤであれば、頭の片隅で止められる想定もあった。

故に、これ以上の深入りはしない、此処であれば、離脱出来る。

 

だが、その視界に映ったものに、判断が遅れた。

 

影の手に――"筒状の武器"。

 

(……何だ、あれは)

 

理解が追いつかない。

弓矢ではない、魔装具の類であれば"溜め"の間に離れなければいけない。

ベリルが、そしてこの世界の住民が見たことがない"異物"。

 

次の瞬間。

 

雷鳴のような音。

直後の衝撃。

“凶弾”がベリルの胴体を串刺しにした。

 

「――っ!!」

 

二発。

皮膚の下で電撃が爆ぜるような激痛。

稲妻ではない――稲妻めいた痛みそのものが弾として撃ち込まれたのだ。

ベリルの視界が白く瞬き、血より先に意識が軋んだ。

 

未知の痛みに対して、人間が体内に送る危険信号は想像以上に強い。

並大抵のことでは意識を落とさないベリルでも、意識を保つことはできなかった。

 

だからこそ、残りの二発は、無意識に振るった剣が弾いた。

顔と心臓を、剣が守っていた。

 

だが、意識が落ちる。

膝が折れ、ベリルは倒れた。

 

「先生――!!」

 

影は、迷いなく止めを刺しに行く。

だが、その刃を、フィッセルが受け止めた。

 

重く、速い。

ベリルの教えを収めたフィッセルであっても、正面から受け続けることはできない。

 

その間に。

 

「――退け!!」

 

ファウステスの魔術――念道術により、二人の間に巨大な壁が出現した。

同時に、フィッセルの身体が引き寄せられ、ファウステスの元へ。

フィッセルは倒れたベリルを抱え、後退する。

 

その瞬間、魔力反応が増えた。

十名の魔術教員が駆けつける。

 

「治療を!」

 

一人がベリルに駆け寄り、回復魔術を開始する。

残る教員たちは、影を囲むように展開。

 

「拘束します!!」

 

「鎖を――!」

 

魔術が放たれる。

影目掛けて20程の魔術による鎖が迫る。鎖には強力な弱体魔術がかかっている。

どれか一つでも影を捉えれば、今後有利になるはずの牽制は、

影が新たに出した剣――蛇腹剣の、剣とは思えぬ剣戟により、ひとつ残らず叩き落とされた。

 

「水球で拘束を!」

 

他の教員による水の魔術が影を包み始める。

対剣士には、物質的な水による牢に閉じ込めれば容易く無力化ができる。

しかし、それら水の魔術に対して影が用意した武器は――魔槍。

その刃が触れた瞬間、水は制御を失い“落ちた”。

 

「魔術を、打ち消した?」

 

その悪夢の様な事象を見破ったのは、一人状況を俯瞰して視ていたファウステスのみだった。

何より長年魔術を研究していたファウステスは、その魔槍が意味する最悪の展開を、誰よりも先に理解した。

 

そして、他の魔術教員は、理解する間もなく。

 

影が迎撃中に周囲に投影した、複数の魔剣による連続掃射による死が迫っていた。

 

教員たちは、各々瞬時の判断で身を護る。

最も信頼する防御手段――斬撃や魔術すら防ぐ程の防性魔術が、紙のように破られる。

驚く間もなく、半数の教員が剣に貫かれ、倒れ伏した。

 

回避を選んだ教員たちも無傷では済まず、軽傷とは言えない傷を負った。

 

「――防御を!!」

 

ファウステスが厚い土の壁を作る。

途端に大小様々な射出された剣が刺さる。

長くは保たないことをファウステスは悟り、魔術通信を繋げる。

 

「ファイン君、聞こえるか。最悪の事態だ。エミヤ殿、剣士を至急――!」

 

――魔術師では勝てない。

最悪の事態を告げる直前。

 

厚い土の壁が、斬られた。

絶世剣による、一閃。

 

土煙が舞う。

 

視界が遮られた、その一瞬。

影が、回り込んでいた。

 

魔槍が、ファウステスの喉元を狙う。

 

「――ぐっ……!」

 

凶刃迫ることを見越したファウステスによる強力な磁場魔術。

魔法師団長の魔術であり、自身の奥の手。

だが、それすらも槍先が触れた瞬間、消えた。

 

回避が、間に合わない。

死が、迫る。

 

「――ッ!!」

 

魔槍がファウステスを貫く直前、フィッセルが前に出た。

剣で、槍を逸らす。

 

そのまま、影の猛攻を、耐え忍ぶ。

 

 

 

彼方の世界を知る者が見れば、この状況がどれほどの惨劇か分かるだろう。

あの影の戦闘力は、彼方の世界では、サーヴァントの残留霊基に匹敵する。

――シャドウサーヴァント。それも、魔力が有り余っている状態。

そう、"大量殺戮兵器"だ。

 

 

 

過去に、エミヤの槍と戦った経験が、フィッセルを支えていた。

そうでなければ、槍の達人とも思わせる動きに初見で対峙すれば、急所に一刺しで終わりだ。

彼女は傷を負いながらも、必死に防ぐ。

 

だが、限界は近い。

このまま単騎では、いつか死ぬ。殺される。死が迫る。

今の一合は、奇跡的に読みが嚙み合った。背筋が凍る。

今の一合は、幸運が味方した。多くの者はそこで命を落とす。

今の一合は……分からない、思考する隙が無い、死んだと思ったが、死んでいなかった。

 

少しでも傷を負えば殺される。動きが止まれば殺される。何かが僅かにズレれば殺される。

――まるで深い水底に落とされたようだ、空気が重く感じる。早く抜け出したいのに、抜けれない。

もう、息が、続かな……

 

"後二手で詰みになる"瞬間、後方から再び影に向かって魔術が放たれる。

影は即座に感づき後退し、回避。

 

その隙に。

 

「……教頭」

 

フィッセルが息を切らしながら言う。

情報共有をしなければいけない。今居る者で、この悪夢を乗り越えなければいけない。

そのためには、共通認知であっても、言葉にする重要性を、フィッセルは知っている。

 

「……あれには、意思がない。とにかく、感情がない」

 

ファウステスも同じ認識だと即座に応じる。

フィッセルは魔法師団元エースのお墨付きを貰え、その後の仮説も間違いないことを悟る。

言葉にするには……勇気が必要だった。

改めて覚悟したフィッセルは、一呼吸後に、続けた。

 

「あれは……魔術を、すべて打ち消す。そして今、剣を使えるのは……私だけ」

 

前に出る、と。

 

囮になる、と。

 

「やめろ……!!」

 

ファウステスが止める。

彼の、これほどまでに切羽詰まった声を聞いた者など、いないだろう。

それほどまでに、フィッセルの発言は、自己犠牲を意味していた。

 

そして、彼は誰よりも、この場でフィッセルの犠牲しか道はないと、悟っていた。

己が生涯、長年費やしてきた魔術が、あの影を押し止めるには無意味であることを、理解していた。

他に方法がない。教頭の立場でありながら、愛する生徒の犠牲しか、時を稼げないのだ。

 

それは……あまりに残酷だった。

その残酷な選択を、ファウステスは今、己を押し殺してでも選ばなければいけなかった。

 

「……頼む」

 

フィッセルは、微笑った。

 

「大丈夫、です」

 

手は震えていた。

恐怖を、その細身で必死に押し殺した。

息が整わない。あまりの理不尽に視界が点滅しているようだ。

それらを、歯が折れる程の勢いで、恐怖心をかみ殺す。

 

ふと、かつて言われたベリルの言葉を思い出す。

 

――逃げることもできない相手と対峙したなら、せめて、悔いが残らないように。

 

きっと、今が、その時。

それなら、覚悟は、できる。

ううん、違う。

覚悟を決めないといけない。

私は……私は――

 

「――私は、ベリル先生と、師団長の弟子、だ」

 

前に出る。

影の前へ。

 

圧倒的な強さを前に、少し前に決めた決意すら吹き飛び、震えが戻る。

 

(死ぬ、かな)

 

いや。

 

(……死ぬ、だろうな)

 

剣士だから、魔術師だから、分かる。

 

それでも。

悔いは、残さない。

フィッセルは剣を掲げ、いつまでも蝕む恐怖心を殺す様に、力の限り叫んだ。

 

「私はフィッセル・ハーベラー!!」

 

声を張り上げる。

 

「誉れ高き魔法師団のエースにして――」

 

剣を構え。

 

「ベリル先生と、ルーシー師団長の弟子だ!!」

 

そして。

 

「――かかってこい!!」

 

地獄が、口を開いた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

キネラは、魔術学院の石段を駆け上がる足を止めなかった。

息が切れるのを感じながらも、思考だけは冷静に保つ。

 

――最悪の事態。

 

ファウステスから魔術通信で告げられたその一言が、頭から離れない。

影の存在。未観測反応。教員の半数が戦闘不能。

そして何より――ベリル・ガーデナントが倒れた。

 

魔術学院だけで対処できる段階は、すでに越えている。

キネラは、躊躇なく騎士団本部の扉を叩いた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

「緊急事態につき、助力を願います」

 

そう切り出したキネラの言葉を、騎士団長アリューシアは一瞬で理解した。

説明の途中で、すでに立ち上がっていた。

 

「状況は?」

 

「魔術学院地下で、訓練用指定個体が未観測の反応を示しました。

既に教員多数が倒れ、ベリル先生が重傷です」

 

彼女には、その一言で十分だった。

アリューシアは振り返り、外で控えていた騎士に即座に命じる。

 

「至急、副騎士団長を魔術学院に向かうよう伝令を。私も出る。

一名、至急ギルドに向かい、リサンデラに緊急要請を依頼してください。ベリル先生の名前を出しなさい。

私が不在中に何かあれば、勤務中の騎士で位の高い者に指示を仰げ」

 

そして次に向けた視線は、キネラだった。

 

「私は――エミヤさんの宿に向かいます」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

部屋の中は、静まり返っていた。

扉を開けた瞬間、アリューシアは違和感を覚える。

空気が、重い。澱んでいる。

 

床に横たわるエミヤの姿を見て、キネラは即座に駆け寄った。

 

「……これは」

 

魔術師としての視点で見れば、明白だった。

 

「魔力漏れによる衰弱です。

体内循環が破綻しかけている。病ではありませんが……危険です」

 

意識はない。呼吸は浅く、規則性も乱れている。

だが――まだ、生きている。

 

「地上にいる他の魔術教員を呼び、安定化を図るべきです」

 

キネラはそう告げながらも、胸の奥で別の焦りを感じていた。

今、地下では時間が刻一刻と削られている。

アリューシアは短く頷いた。

 

「先に学院へ向かいましょう。エミヤさんの処置は後続に任せます」

 

決断は一瞬だった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

想定される中で最良の時間で魔術学院に駆けつけたアリューシアとキネラ。

至急と言えど装備の不足は許されない為、可能な限り早く駆けつけたが、

それでも地下の状況を危惧し不安が拭えない。

 

そこへ、ヘンブリッツとスレナが合流する。

二人とも、すでに戦闘装備だった。

 

「シトラス、何があった」

 

スレナの声は硬い。

 

「先生が重傷です。敵とは未だ戦闘中を想定してます」

 

「最悪の状況だ」

 

アリューシアの言葉の重さに、スレナも危険度合いを正しく認識する。

 

キネラは学院の奥、指定された魔力集積地点へと皆を導いた。

そこは、ファウステスと事前に打ち合わせていた万が一の手段として用意していた場所。

 

「ここです」

 

床に刻まれた魔術陣が淡く光る。

 

「ファウステス教頭の念動術――その奥の手です。

この魔力を通すことで……」

 

言葉が終わる前に、世界が歪んだ。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

――少し、時が戻る。

 

地下牢。

 

そこは、もはや戦場ではなかった。

 

地獄だった。

 

床には血が溜まり、壁は抉れ、魔術の残滓が煙のように漂っている。

ベリルの治癒担当を除く魔術師たちは、すべて倒れ伏していた。

 

あのファウステスですらも壁にもたれ、意識はあるが身体が動かない。

魔術を連発し、すべてを打ち壊された反動が全身を蝕んでいる。

 

そして――

 

ただ一人、前線に立ち続けている者がいた。

 

フィッセル・ハーベラー。

 

片腕は、すでにない。

片目は潰れ、血に染まり、開かない。

喉は裂け、声も出せない。

 

それでも。

 

それでも、彼女は剣を握っていた。

 

影が放つ死を、受け、逸らし、耐える。

動くたびに、血が飛び散る。

 

――限界は、とうに過ぎている。

 

それでも、倒れない。

 

後ろで、光が放たれ、何かが起きた、気がした。

……実は、少し前から音が聴こえないから、ただの願望だったかもしれない。

だが、振り返り確認する余力などない。

……実は、もう頭も、ろくに働かない。

 

今ここで、自分が倒れれば――すべてが終わる。

その一心だけが、彼女を支えていた。

 

そして。その時が来た。

今まで支払っていた"努力"と"幸運"が、尽きたのだ。

 

影の莫邪が、フィッセルの身体を深く貫いた。

 

口から、血が溢れる。

 

さらに影の後方から射出された剣が、彼女の身体を壁へと縫い付けた。

 

動けない。

 

目の前に、最後の死が迫る。

 

――ああ。

 

十分、頑張ったよね。

みんな、ごめん。

 

 

 

そう思った、その瞬間。

 

剣が、弾かれた。

鈍い衝撃音。

視界の端に映る、赤い髪。

 

スレナだった。

救援が――間に合った。

 

その事実を理解した瞬間、フィッセルは、すべてを手放した。

意識が、闇へと沈んでいく。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

――戦いは、ここから次の局面へと移る。




皆さま、今年もありがとうございました。
来年も、素敵な一年になりますように。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。