片田舎の剣聖 錬鉄の英霊   作:ナチュル志保

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――Sword,or Death





【参章・第8話】『片田舎のおっさん、無限の剣製を駆ける』

エミヤが独り目を覚ますと、そこは見知らぬ世界だった。

 

薄く揺らめく白い霧が、視界の境界を曖昧にしていた。

上下も遠近も定まらない。空はなく、地面もまた存在を主張しない。

だが、足は確かに何かを踏みしめている。乾いた石畳にも、濡れた土にも似ていない。

現実の地表と似つかぬ世界は、恐らく例えるのなら――時空の歪みによって訪れた、電子の舞台。

 

――なぜ、そのように感じたのか。

私には本来、電子の世界に纏わる記憶はないが、確かに記録はある。

そして、そのこと自体がイレギュラーなのだ。

 

英霊エミヤは、電子世界での聖杯戦争を経験していない。

その経験を持つのは、恐らく限りなく近い、他の誰か、のはずだ。

しかし、英霊というシステムが不確かな存在を投影させるものだから、なのか。

私の記録は、時折、他の存在と混ざるように実在している。

 

とはいえ、そうした事例は英霊であれば、特殊ではあるが珍しくはない。

ここで重要なことは、私は自身が経験していない電子の聖杯戦争の記録を、非常に重要なものとして無意識に扱っていることだ。

そして、この世界に現界してから強く引きずられていたことを、"今初めて思い立った"。

 

何故、今まで疑問に感じなかった刷り込みに、今気づくことが出来たのか。

それは、この場所が、現実と不確かな場所だから、だろうと推測する。

 

直前の自分の記憶は確かにある。

魔力漏れによる疲労により、私はいつもの借宿で倒れていた。

 

誰かが連れ去ったとは考え難い。

流石にいくら消耗していても、この身は英霊だった者だ。

自分を害する者による接触であれば、抵抗もできるだろう。

加えて、身に着けてる装飾品の対魔力であれば、精神干渉もある程度はレジストできる。

 

それらの情報から判断すると、今の場所は恐らく夢のような空間であり、

世界の外から何者かに干渉された、と考える仮説が立つ。

 

「……随分と趣味の悪い目覚めだ」

 

声を発すると、霧はわずかに震え、波紋のように空間へ溶けていった。

その響きは反射しない。吸われるでも、返るでもない。ただ消える。

 

エミヤは自身の状態を確認する。

漏れ出ていた魔力も止まっており、戦闘も最低限熟せる程度の余力もある。

だが、"生きている感覚"が希薄だった。

霊体化に近い感覚だ。受肉して以降、久しい感覚だった。

 

「さて、私が何者かに呼び出されたことは間違いないが、吉と出るか凶と出るか……」

 

エミヤは呟きの後、歩き出す。

方向を決めたわけではない。ただ、進んだ先が“前”になるという確信だけがあった。

霧は歩くたびに避け、彼の後方で再び結合する。戻る道は初めから存在しない。

 

数十歩ほど進んだところで、空間の密度が変わった。

霧の流れが止まり、白が薄れていく。代わりに視界を支配したのは、灰色の静寂。

そしてその中心に、人影が倒れていた。

 

うつ伏せに伏した男。

赤い外套。黒い肌。白髪。

 

遠目から視て、まさかと感じた疑念は、近づくほどに確信となった。

その男には、敵意もなければ、そもそも存在できる程の十分な魔力も残っていない。

どのような手段でこの空間にたどり着いたか知る由はないが、直に消える運命、1時間も保てないだろう。

そして、この空間に彼を助けるような者は現れない、そもそも此処に余人は訪れない。

 

肩に触れ、顔を覗き込む。

その瞬間、空間がわずかに瞬きをした。

 

同じ顔。

同じ瞳の色。だが光のない焦鉄のような眼差し。

エミヤの喉が、乾いた音を立てた。

 

「お前は――」

 

言葉が出た瞬間、男の存在がより鮮明になる。

否定できない。逃れようがない。鏡より残酷な回答。

 

「……私か」

 

倒れた男は答えない。

だがエミヤは、もう結論を得ていた。

 

さらに一歩、顔を近づける。

そして、誰にも聞こえない声で呟いた。

 

「――お前が……私を呼んだのだな」

 

霧はもう揺れなかった。

代わりに、伏せた男は――微かに震えていた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

ベリルは、乾いた風の匂いで意識を繋ぎ止めていた。

 

視界に広がるのは赤錆色の空。

どこまでも続く剣の丘。無数の刃が地面から突き出し、折れ、砕け、あるいは炎を纏ったまま朽ちている。

遠くで唸る熱風は、鍛冶場の炉よりも巨大な何かの呼吸のようだった。

 

「……なんだ、ここは」

 

声は震えていない。

だが、地平へ吸い込まれていく自分の声が、妙に頼りなく感じられる。

 

地下牢で仲間たちと共に戦っていたはずの戦場の気配は、跡形もない。

それどころか自分独り、現実離れした大地に放り出されたのだ。

魔法や不可思議への耐性がない自分では、取り乱し受け入れられないだろう。

そのように自身のことを客観的に考えられるのは、偏に、先ほどの一瞬で"彼女たちから助言を貰っている"からだ。

 

剣の海の中央――丘の頂点に、この世界の主が立っていた。

 

地下牢で対峙していた生物、“ロノ・アンブロシア”は彼の姿を得た影だった。

しかし、遠くに立つ彼は、影ではなく色や表情があり、より人間の姿だった。

 

エミヤに非常によく似た人物は、しかし見れば彼本人とは異なる点が目立つ。

まず、彼を象徴する赤い外套は腰布として装備されており、中に来ていた黒のアーマーが目立つ。

白髪は逆立つことなく下ろしており、何より左半身に傷とも罅とも取れるような印が宿っていた。

 

その男は腕を組み、まるで自分の世界の玉座に座しているかのような傲慢さでベリルを見下ろしていた。

ベリルは悟る。彼はただの影ではない。意思を持つ怪物だ。

 

男が、静かに口を開いた。

 

「意識なき影とはいえ――ただの人間たちが私を倒すとは。

英霊として召喚される者として、恥ずべき醜聞だな」

 

その声音はエミヤに似ている。だが熱がない。

あるのは、冷たい憤りだけ。彼らしい皮肉も感じ取れなかった。

 

ベリルは剣を自然体で構えつつ、男に向かって問いを投げる。

 

「君、喋れるんだね。じゃあ話そうか」

 

男は鼻で笑うでもなく、ただ一度だけ目を細めた。

 

「会話は可能だ。だが意味があるとは思わんな」

 

――距離が離れている。

声は届くが、剣は届かない。近づくにしても相当の距離を駆ける必要がある。

 

頭の片隅に常に存在する剣士としての思考を保ちながら、

ベリルはこの異常な状況を、あえてそのまま受け入れることにした。

どうせ分からない。なら聞くしかない。

 

「早速質問させてもらうよ……此処はどこかな?」

 

男はため息をつく。

 

「ここは私の心象世界。英霊エミヤが持つ奥の手、『無限の剣製』。

魔術師でもない君には分からないだろうが――要は、私の世界に一時的に取り込んだと想像すればいい」

 

ベリルは顎に手を当てる。

 

「そうか。じゃあ次だ。君は誰かな?」

 

「君の知る人物ではないのかね?」

 

「いいや、君はエミヤじゃない。今まで通りアンブロシアとも思えない。

……もしかしてエミヤの親戚かな?」

 

男の額に青筋は浮かばない。代わりに、肩が落ちた。

 

「君――この局面でそんなことを言えるとは。素で天然なのか?」

 

「失礼だね。俺だって違うとは思ってたさ。

でも、それなら君は誰なんだい?」

 

男は視線を遠くへ逸らす。

 

「英霊という存在は聞いているだろう。

私は、ある世界で呼ばれ、そして"泥に呑まれた"者だ。

呼び名に迷うのなら――アーチャーと呼べばいい」

 

ベリルは口角を上げる。

 

「なるほど、アーチャー。呼び名が分かると助かるよ。

ちなみに俺の名前はベリルだ。よろしく、するような仲になるか、分からないけどね」

 

そのままベリルは続けて男――アーチャーに目的を尋ねる。

アーチャーの瞳がわずかに光る。いや――燃えた。

 

「私の目的は、な。

君たちの世界に迷い込んだ漂流者の抹殺だよ。

――君もよく知る、エミヤだ」

 

「……は?」

 

ベリルの声に初めて動揺が混ざる。

 

「なぜそんなことを?」

 

「私としても面倒だ。だがな、ベリル。

私たち"抑止の守護者"は、命じられるまま役目を全うする掃除屋だ。

その手駒の一人が、他所の世界で"長期休暇"を取っている。雇い主は面白くないのだろう」

 

アーチャーは肩を竦める。

 

「本来、君たちの世界に縁など無かったが――予期せぬ繋がりが出来てね。

探し出して連れ戻せと命じられたのだ。

……もっとも、俺の目的は少し別だがね」

 

「つまり……君はエミヤを元の世界に戻しに来たってことかい?」

 

「あぁ、そうだ。

先ほどまでの私は、魔生物に宿った身体だったため意思を持たない生物だった。

私としても無益な殺生も望まぬし、こちらの世界の住人を脅かすつもりはなかった。

……だからこそ、君に聞いておきたい」

 

アーチャーの声が、氷の刃のように落ちた。

 

「――奴を殺すのを、邪魔しないでもらえるかな?」

 

「断る」

 

即答。反射より早い。

 

アーチャーは口元を歪めた。

 

「予想通りだ。だからこそ、一番邪魔な"お前"だけをこの世界に呼び出した」

 

ベリルは歯を噛みしめるでもなく、ただ言う。

 

「他の選択は……ないのか?」

 

「ない。お前を敵と認識した。あとは殺し合うだけだ」

 

「じゃあ最後だ。君の本当の目的ってやつを教えてほしい」

 

「……敵を前に、これ以上話すことなど無い。

もしお前が俺の元まで辿り着けるなら、考えてやろう」

 

そう告げつつ、アーチャーは、ゆっくりと手を上げた。

 

「尤も、それは不可能な話だ。この剣の丘はすべてお前の敵。

たかが一介の剣士が辿り着くとは思えん。

その道半ばの理想、ここで落として――惨めに死ね」

 

空間が震えた。

アーチャーの背後で、剣が――浮いた。

 

一本ではない。十本でも、百本でもない。空を覆う刃の群れ。

その実態は贋作の束、どれも本物ではないのに、どれも本物の死を告げている。

 

剣は空中で静止し、待機していた。

主の号令さえあれば、即座に敵を駆除する意思を放っている。

 

ベリルは剣を構えた。

 

「……確かに、俺だけだったら越えられないと思う」

 

アーチャーは無言。ベリルの言葉を遮る価値すらないと判断している。

 

「けどね――悪いけどこっちも後押しを貰っていてね」

 

アーチャーの眉がわずかに動いた。

 

「まずは君の元まで辿り着く。無限の剣、踏破させてもらうよ」

 

アーチャーは冷笑した。

 

「強がりか。

……待て、お前から発している著しい魔力は何だ?」

 

ベリルは答えない。ただ歩き出す準備をしていた。

アーチャーの声が、世界へ命じる。

 

「多少のバフを得たところで――ただの剣士に何ができる。

お前はここで終わりだ」

 

「なら、試してみようか」

 

ベリルは地面を蹴った。

 

 

 

ベリルは駆ける。

荒涼とした剣の丘を、迷いなく、一直線に。

 

固有結界「無限の剣製」。

そこは大地も空も、英霊エミヤの戦技と執念によって構築された異界。

突き立つ刀剣は墓標ではなく“兵”。折れた刃も、砕けた槍も、朽ちた大剣も――すべてが敵意を持つ。

 

アーチャーが腕を振り下ろす。主の号令だ。

その瞬間、世界が吼える。

待ちきれないとばかりに、我先にと刃は兵となり地に降り注ぐ。

 

初手は様子見などではない。

確殺の雨。情もない。逃がすつもりも、生かすつもりもない。

 

剣の柄、折れた刀身、突き出た槍の軸。

足場は悪い。だが選べる道は一つしかない。

踏み外せば即死。迷えば串刺し。だが止まれば全てが終わる。

 

ベリルは咆哮した。

 

「行くぞ……ッ!!」

 

一閃、二閃、三閃。剣群を打ち払いながら駆ける。

 

見切りの剣を極めたベリルの戦い方は、剣士として当然ながら接近戦のみに特化する。

剣の道を極めつつある存在と言えど、剣技一つで空間を割くことは出来ない。

当然ビームも出ない。

 

そして、これも当たり前のことだが相手もまた剣士の得意なレンジで正々堂々戦う人物ではない。

迫りくる圧倒的な物量。有無を言わさぬ一方的な殺戮は息づきの隙すら与えない。

そのような剣の雨を前にベリルが出来ることは――剣が届く場所まで走るしかない。

 

「まずは辿り着く」

 

それが今のベリルの戦術であり、覚悟の形だった。

 

空間が鳴動し、地面から浮かび上がった無数の刀剣が、休むことなく一斉にベリルへ向けて射出される。

軌跡は直線、放つ殺意は濃密。

剣は、“必中の死”を描いて飛来する。

 

しかし、ベリルは止まらない。

 

右から迫る一本目を、半身の捌きと切り上げで弾く。

左からの二本目は、足運びだけで回避しつつ、背後へ回る三本目を振り返りもせず逆手の斬撃で払い落とす。

動作に無駄はなく、軌跡は円のように連なり、守りながらも前進を止めない。

 

弾かれた剣が火花と共に地面へ突き刺さる。

だがその墓標がまた震え、次弾としてベリルを狙う。

終わりのない波状攻撃。息継ぎすら許さない連射の殺戮装置。

 

迫る剣の数は十、百、千――指数関数的に増加していく。

もはや刃の群れは“雨”ではない。

夜空に浮かぶ無数の星そのものが落ちてくるかのような、天蓋を埋め尽くす"流星の群れ"。

 

刀剣の軌跡が白い光の尾を引き、降り注ぐ。

一つひとつが瞬く恒星。すべてが自分へ向けられた死の軌道。

無限、圧倒、無慈悲、無情――人間の意志など些事と嘲笑う物量の宇宙。

 

(……駄目だ。心を強く保たないと)

 

刃を弾くたび、精神が削られる。

身体の限界よりも先に、意志が折れかねない。

 

刃を弾くたび、空気が裂ける。熱風が肌を撫で、鉄の臭いが肺へ刺さる。

視界のノイズが加速し、思考が剣戟へ削られる。

 

だが削られたのは思考だけではない。

迷いもなく、余分もなく、"先"だけを捉えて剣を振るう。

剣士としての本能が研ぎ澄まされていく。

 

ベリルは気づく。

"彼女たち"から貰った"後押し"は、この身に良く馴染む。

魔術も知らない自分がそのように感じるのは、極限状態の集中力が剣士としての限界を一つ越えさせたのだ。

 

……いや、違う。

俺を励ましてくれていたのは、此処までたどり着かせてくれた皆がいるからだ。

彼ら、彼女らの顔が浮かぶ。

共に背中を預けた彼ら、師と仰いでくれる彼女ら、そして、友。

俺は独りじゃないから、ここまでたどり着き、怯むことなく剣を振るえる。

 

――先に立つのは孤独な主、立ち塞がる剣の群れ。

 

――俺は、孤独に狂う剣鬼には、なれなかった。

 

――俺は、いつだって周りに励まされて縁を大切にしながら、忍ばせた想いを奮い立たせてきた。

 

ベリルは笑っていた。

彼は、絶望する程の戦況を前に――剣士として楽しみを感じていた。

 

「……だったら。俺はただの剣士じゃなくて――」

 

アーチャーの瞳が開く。

 

「――英霊を倒す、剣士になるよ」

 

「その減らず口がいつまで続くか、見物だな!」

 

「最後まで続くさ。託してもらったからね!」

 

ベリルは再び地面を蹴った。

 

刃の雨は止まらない。

だが今、確かに戦いは始まっていた。

 

ベリルの戦いは丘を登る戦い。

アーチャーの戦いは丘に星を降らせる戦い。

 

交わる地点はまだ遠い。

だがその距離こそが、物語を剣聖の試練たらしめていた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

それは、ベリルが「無限の剣製」に呑まれた瞬間、世界は一度だけ彼を“拒んだ”。

英霊の心象が広がるよりも早く、彼の意識は別の位相へと弾かれたのだ。

 

落下感はなかった。

引き裂かれる感覚も、衝撃も、耳鳴りすらも。

 

次に視界が開けたとき、そこは地下牢でも、荒野でも丘でもなかった。

 

――白い。

 

無数の光の粒子が波のように満ち、海のように揺らいでいる。

だが水ではない。彼は知ることが出来ないが、それらは情報だ。

魔力とコードと演算の奔流。

 

電脳世界「月の海(ムーンセル・オートマトン)」の深層。

白銀の水平線はどこまでも続き、天はない。

代わりに、星のような光がただ規則的に明滅していた。

 

ベリルは立っていた。

治療途中のはずの身体は存在しない。あるのは意識だけ。

 

その前に、一人の少女が立っていた。

 

黒い制服。電子の海でも風に揺れる長い髪。

その足元は波紋のように光を返し、立っているのに沈んでいるようにも見える。

ベリルは直感した。

 

「……君が俺を呼んだのかい」

 

少女は小さく頷いた。

だが言葉よりも早く、焦燥が空間に滲み出ていた。

 

「時間がない。だから必要なことだけ伝えるね」

 

声は震えていない。だが切実さは隠しきれていなかった。

 

「この後、貴方はたった一人で“無限”と対峙しないといけない」

 

「無限?

……はは、冗談もほどほどにしてほしいんだけどな」

 

ベリルは笑った。だが目は笑っていない。

英霊に一人で挑むという意味を、彼はすでに理解していた。

 

少女は続ける。

 

「無理を承知でお願いする。どうか彼に、勝ってほしい」

 

その“彼”が誰を指しているのか、ベリルは聞くまでもなかった。

 

「……無限を相手にするなんて無茶だ。けど」

 

ベリルは少女をまっすぐ見た。

その瞳は電脳の光を反射しながらも、濁りがなかった。

 

「君のそんな顔を見るとさ。俺がやらなきゃいけない事情がある、だよね?」

 

少女は驚いたように目を見開いた。

そして苦しげに、けれどどこか嬉しそうに微笑んだ。

 

「そう。私は貴方の世界に本来干渉できない存在」

 

彼女は自分の手を見下ろす。指先は光の粒子となって滲んでいる。

存在の不安定さを示すように。

 

「今だけ、偶然か運命か、たまたま貴方の世界と繋がったからこうして話せる」

 

「それでも私には直接どうにかする方法がない」

 

悔しさが、光の海をわずかに乱す。

ベリルは肩をすくめた。

 

「任せてほしい、なんてあまり無責任なことは言えないけど。ちゃんとやるよ」

 

「……ありがとう」

 

彼女は息をつく暇すら惜しむように、虚空へ指を走らせた。

 

カタカタカタ、と音はしない。

だが確かに、コードを書く指の動きがあった。

空間に紋様のような術式が走る。魔術師のそれではない。

しかし、それは確かに彼女の世界での魔術師の姿。

 

すると小さなウィンドウのような光の窓が開いた。

そこから聞こえたのは、聞き慣れた声。

 

『ベリル!?お主、なんでそんなとこにいるのじゃ!?』

 

「……は?」

 

突然のルーシーの驚きの声に、ベリルも驚いた。

 

『それにこれは……いや、今は考えても仕方ないの……大方、他の世界の理じゃろ』

 

しかし彼女はすぐに状況を察した。

 

「……えぇ、そんなすぐに分かるのかい?」

 

『当たり前じゃろ、エミヤを見とったら、ある程度"外の世界"も考えられるものじゃ』

 

いや、そんな考え、誰より長く傍に居た俺も、まったく思いつかないけど??

 

ルーシーの突然の落ち着きに、誰より困惑しているベリルだが、刻一刻を争う場面だと切り替える。

 

『――事情は他の者からも聞いとる。負傷者は必ずわしが治療する』

 

一拍。

そして、覚悟を決めた声。

 

『全力でバフをかけてやるから、思う存分やってくるのじゃ』

 

魔術教員からの伝令で、すでに危険な相手と対峙していることは聞いていたのだろう。

彼女の詠唱は高速。正確。震えながらも迷いがない。

傍にいた少女は静かに目を閉じ、ルーシーの術式に自分のコードを重ねた。

 

「……私から贈れる、精一杯の応援」

 

光がベリルの身体へと流れ込む。

 

電脳の魔力回路が開く。

ベリルの身体、そして剣へ二重の強化が刻まれる。

 

――魔法師団の団長、ルーシー・ダイアモンドが施した最強の支援魔術。

それは、云わば"英雄作成"とも言える程の、大魔術。

 

――月の勝利者、もう一つの結末をも知る彼女が施した最強の支援魔術。

それは、残花の迷宮で勝ち取り続けた象徴、大魔術。

ついでに、さりげなく運動靴のコードキャストも加えている。彼女のお気に入りだった。

 

(……これ、俺でも分かる……すごいな)

 

ベリルは身体に刻まれていく加護の流れを朧気に理解していた。

だがそれ以上に、その応援の重さを感じていた。

 

「二人とも、ありがとう。

……それと、念のため、○〇の方法も教えてもらえるかな?」

 

――一瞬ノイズが入ったようだ。

ともあれ、彼の質問は、ここでは割愛する。

ただ、少女は驚愕に身を固まらせ、ルーシーもまた呆れてしまうものだった。

 

 

 

「負荷、かかってるね」

 

少女は苦笑した。頬に汗はない。だが演算の負荷が表情に出ていた。

 

「もう、これが限界みたい」

 

「……十分すぎるよ」

 

ベリルは照れたように頭を掻いた。

 

「最後にさ。君の名前、教えてもらえる?」

 

少女は固まった。

絶望を前にして、一瞬の出会いで終わる人物に名前を問う人間など、彼女の観測史上ほとんどいなかったのだろう。

 

だが彼女は微笑んだ。

初めて、ただの情報体ではなく“人間らしい顔”で。

 

「白野。私の名前は――岸波白野」

 

「月の勝者であり、彼のマスター。…アーチャーを、お願い」

 

ベリルは頷いた。

 

「行ってくるよ。――見ていてほしい」

 

光が爆ぜた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

遠方の丘の頂。

紅の腰布を揺らし、魔剣の丘を背負って立つアーチャーは、呆れと失望を混ぜた視線でこちらを見下ろしていた。

 

「……人間か?本当に人間なのか、貴様は」

 

声は冷たい。だが、棘の奥に苛立ちがある。

英霊でありながら人間に追いつめられつつあるという矛盾を、彼自身が認められないのだ。

 

ベリルは応じるように剣を低く構えた。

刃先はぶれない。心も身体も、折れることはなかった。

 

ルーシーと白野の強化はすでに身体の深層に食い込んでいる。

それらはベリルの持ち味を活かす支援。

魔力が続く限り、彼が信じるように剣を振るえる力。

 

「……あぁ、人間だよ。ちゃんと生きてる、普通の人間だ」

 

「普通の人間が、この物量の中でまだ立っていられるものか!」

 

アーチャーが手を上げると、丘全体が反応した。

幾度も剣が、空を埋める。

 

無数の刀剣が地から浮き上がり、回転し、ベリルへと矢じりのように照準を定める。

次の瞬間――それらは一斉に解き放たれた。

 

「――はっ!」

 

ベリルは地を蹴った。

同時に放たれた剣の群れは、まるで星の海から降る流星。

方向性も規則性もないのに、すべてが彼の急所を狙っている。

 

一振り目。

ベリルは振り下ろさず、横へ“なぞる”。

彼の持つ魔剣は、この煌めく舞台の中、主人が敵の理想を断ち切るため協力する。

押し当てるように刃を這わせると、衝撃の角度が変わり、剣は軌道を逸れて地面に突き刺さる。

 

二振り目。

三振り目。

四、五、六。

 

剣は流れ、弾かれ、逸れ、落ち、刺さり、砕ける。

斬撃の軌道は最小。動きは無駄がない。まるで解法のあるパズルのように刀剣を処理していく。

 

だがその速度は、常識を越えていた。

 

強化魔術の力を惜しみなく使いながら、ベリルの技量は本来の力以上に引き立てる。

そして、脚部強化による瞬間加速と持久力。

この丘を踏破するため、彼を人間の限界から解き放っていた。

 

信じられないことに、耐久力などはさして向上していない。

彼の筋力と瞬発力、鋭さのみを強化している。

それは、彼女たちも、ベリル自身も、防御に加護は不要と考えた結果だ。

――事実、被弾することは、今もないのだ。

 

アーチャーはその動きを見て目を細める。

 

(……バフは脚と体幹、そして筋力。三重か。だが……)

 

アーチャーは指を弾いた。

浮遊していた剣の群れがベリルを“追尾”しはじめる。

 

「そんなこともできるんだね!」

 

追尾剣は意識のある弾丸。

放たれた剣が地面に刺さったあとも、柄が震え、再起動し、ベリルの背後から突き上がるように飛び出してくる。

それは避けても終わらない戦闘を意味していた。

 

ベリルはわずかに足を止める。

避ける動作から、迎撃動作へ。

彼は剣を回転させず、腰を落とし、脚力だけで身体を微細に横へ流す。

剣が頬をかすめる。だがそのまま刃を絡めて弾き落とす。

 

「……あぁ、そうか。これも“流す”んだな」

 

彼は理解した。

この世界の刀剣はすべて急所を狙っている。

だからこそ、衝撃を殺す角度に導けば、追尾も殺せる。

 

理解してしまえば、手は自然と動いた。

残るのは読み間違えないように見切ることと、切り崩す執念だけだった。

 

次に射出されたのは、奇妙な武器だった。

 

曲刀のようで直線的な刃。

投げ槍のようで魔力が滲む。

ベリルの目がわずかに開く。

 

(……切ると爆発するタイプか?)

 

直感は既に未来を見ていた。

 

放たれた武器は高速回転しながら飛来。

ベリルは“斬らず”、刃を当てて滑らせた。

剣を寝かせ、鋼と鋼を擦り合わせるように押し当てると、武器は軌道を曲げ、遠方で爆ぜた。

 

――爆風は届かない。

彼は爆発の中心線から最初から外れていた。

 

「……器用なことをする。人間が英霊の解法を理解するか」

 

「生憎と、友人にずいぶん鍛えられていてね」

 

アーチャーが小さく舌打ちする。

だがベリルの前進は止まらない。

 

次に放たれたのは、巨大な剣だった。

 

地面に刺さっていた大太刀の群れが変形し、融合し、魔力をまとった城門のような刃となる。

それは破壊そのものが目的の剣。

避ける余地もない横幅で、ベリルへと一直線に飛来した。

 

「――っ!」

 

ベリルは剣を下段から構え、気合いだけで斬り上げた。

 

技だけでは説明がつかない。筋力向上と言えど、そもそも試そうとしない。

ただ、ベリルには逸らせると信じたからこそ成した剣技。

刃は振り上げの途中で巨大剣と衝突。

ベリルの腕が裂けるように震えたが、大剣は僅か上空に押し上げられ目標を見失った。

 

さらに剣の雨は濃度を増す。

 

「……加護で強化されているとはいえ、いずれ反応は鈍る」

 

アーチャーはすでに観測者として未来を計算していた。

彼は戦闘者ではなく、戦闘演算機構としてベリルを見ている。

 

(たった一人の人間が、この世界すべてを敵にする物量を越えられるはずがない。いずれ無理が出る)

 

しかし、ベリルは止まらない。

止まらないどころか――

 

「――はは、そうか。そういうことか」

 

彼は笑っていた。

 

「無限を斬る……斬れる。

挑むのは、こんなに楽しいんだね」

 

アーチャーはその言葉に今更ながら自身の認識が誤っていたことを理解した。

ただの人間、ただの剣士、バフを貰っただけの人間、ではない。

 

奴は、剣聖だ。

この世界における、剣聖の一人だ。

 

そして。

 

アーチャーの号令よりも早く。

 

神性を帯びる剣が一本、避けられない角度で射出された。

 

それは主の危険に駆けつけた、審判の矢だった。

防御も回避も許さない必中のタイミング。

ベリルは剣を振りかぶらなかった。

 

「――斬鉄」

 

囁きは詠唱ではない。

決意の完了通知だった。

 

閃光のような一閃。

鋼の理をねじ伏せるような直線の斬撃が走り、神剣は触れた瞬間に霧散した。

 

無限を拒む剣閃は、ただ一度だけ世界より速かった。

 

アーチャーの瞳が大きく開かれる。

 

「……そこまで辿り着くつもりか、ベリル」

 

「辿り着くさ。言っただろ?――君の元まで“踏破”させてもらう」

 

アーチャーは薄く笑った。

 

「……いいだろう。ならば見せてみろ、剣聖」

 

丘が再び震える。

無数の剣が再装填される音なき咆哮。

ベリルは地を蹴った。

 

――剣の丘を、ただ一人で駆け抜けるために。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

そして、ベリルはアーチャーの前で、ようやく足を止めた。

 

無数の剣群を越えた身体は煤にまみれ、呼吸は乱れている。

だが膝は折れない。

倒れたはずの男がここに立っている事実そのものが、既に人間の範疇を逸脱した光景だった。

 

対するアーチャーは、剣の丘の中心で静かに振り返る。

赤黒い腰布は熱で揺らぎ、足元には砕けた武具の残骸が山を成す。

射出され続けた刀剣は未だ空中に留まり、次の命を待つ猟犬の群れのように唸っていた。

 

「……人の身でここまで来るとはな。呆れを通り越して称賛すら覚える」

 

声は冷淡、だがその奥に微かな感情の波がある。

黒化してなお失われない英霊の理性がそこにあった。

 

「褒めてもらえるのは光栄だよ。けど、もう少しだけ待ってほしい」

 

ベリルは片手を上げる。

戦闘の停止を求める仕草。だがそれは降伏ではなく、交渉の宣戦布告だった。

 

アーチャーは夫婦剣による構えを取りながら、疑わしいように尋ねる。

 

「待った、だと?命のやり取りの最中にか?」

 

「そうさ。だって約束を果たしてもらう必要があるからね」

 

ベリルは笑う。

弱々しく見える微笑ではない。腹を括った者の笑み。

白野とルーシーから受けた加護はまだ身体に巡っている。

だがベリルが止めたのはそれが理由ではない。

 

「知りたいんだ。君自身の言葉で」

 

ベリルは剣を降ろさず、しかし切っ先を地に向けたまま続ける。

 

「――教えてもらうよ、アーチャー」

 

呼び掛けには敬意と距離感が同居する言い方だった。

 

「君の本当の目的は、なんだい?」

 

刹那、炎の世界が静止する。

アーチャーは目を細めた。

 

「目的……か」

 

言葉は低い。煮え滾る憎悪が零れ落ちる直前の熱量。だが、吐き捨てない。

 

「――お前に語る義理はない。だが……ここまで辿り着いた対価くらいは支払うべきかもしれんな」

 

エミヤはゆっくりと剣を下げた。構えは解かない。だが、射出の意思は止まっている。

 

「そうだ、俺には守護者としての責務など、欠片も興味はない」

 

刃が黒く脈打つ。

 

 

 

「俺の目的は――ただの八つ当たりだよ、ベリル」

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